神が讃えしその駿駆   作:松武栗尾

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明けましておめでとうございます。
新年早々、大変申し訳ありませんが今話は少し重い内容となります。ご了承ください。


第十四話 追憶の東京優駿

 五月三十一日。

 

『──先頭サンダイアル。サンダイアルまだ粘っております』

 

 東京レース場。

 

『第三コーナーから第四コーナーへと入りまして、オンワードセカンドも出てまいりました、オンワードセカンド出てまいりました。ナスノカゼも出てまいりました』

 

 第九レース。

 

『さあ第四コーナーを抜け直線! 各ウマ娘ラストスパート!』

 

 ()()()()()()

 

 トゥインクル・シリーズに挑むウマ娘なら誰もが一度は夢見る最高の舞台。東京優駿。

 

 色とりどりの勝負服に身を包んだ二十七人の少女たちが今年度のクラシック王者を競うダービーレース。府中に詰めかけた八万を超える群衆の視線が、終盤に差し掛かり二人のウマ娘に注がれ始める。

 

『最内からウメノチカラ! ウメノチカラ一番いいコースを取った! 外からはシンザン、シンザンも仕掛けてまいりました!』

 

 一人はデビュー前から注目され、その期待に応えるようにジュニア級でも注目度の高い朝日盃ジュニアステークス*1を勝利し、クラシックレースでも確かな結果を残すであろうと声高に呼ばれていた黒鹿毛のウマ娘。

 

 片やもう一方は然程注目されることもなかったはずが、六連勝無敗での皐月賞制覇──前者を二度降している──と今や破竹の勢いでクラシック競走の大本命と銘打たれた、茶褐色髪の地味なウマ娘。

 

『ウメノチカラとシンザン、この二人が抜け出しまして坂を登ります!』

 

 第四コーナーから直線へと抜ける。後続を置いてけぼりにし、件の少女二人が抜きん出る。

 

 一騎討ちの様相となり、繰り広げられるデッドヒートに府中に集まった八万を超える観衆の興奮とどよめきが最高潮に達する。

 

『ウメノチカラ僅かにリード! ウメノチカラ先頭!』

 

 ラスト四〇〇メートル。最内を突いた黒鹿毛の少女が東京レース場最後の刺客──心臓破りの坂で勝負に出た。

 

 コースの内側を疾駆する黒鹿毛のウマ娘が、その外側を僅かに先行するダービー本命バを頭一つ交わした。

 

 黒鹿毛のウマ娘が勝つ。その瞬間を目撃し、人々の脳裏をそんな予想が掠めて、そして──

 

 

 

 ────今だ、行け!!

 

 

 

『ウメノチカラ先頭、ウメノチカラ先──いやシンザン、シンザンが()()()()!』

 

 

 

 深紅一閃。

 

 

 

『シンザンリードシンザンリード! ウメノチカラ届かない!! シンザン強い!』

 

 並んだら抜かせない、抜かさせないとまで言われた恐ろしいまでの勝負根性をこれでもかと発揮して茶褐色髪のウマ娘が再び先頭に躍り出る。

 

 予想を完全に裏切られたスタンドからはどよめきが起こり、実況アナウンサーすらも驚きを隠せず金切り声を上げる。

 

 坂を上がり、最後の二百メートル。懸命に巻き返しを図る黒鹿毛のウマ娘とそれを寄せ付けない茶褐色髪のウマ娘の攻防は──

 

『シンザン強いシンザンリード────一着シンザン、続いてウメノチカラ! 三着オンワードセカンド、後続も続々とゴールイン──!』

 

 一と四分の一バ身。

 

 それが、ゴール前を駆け抜けた瞬間の勝者と敗者との着差であった。

 

『シンザン勝ちました! ダービーの栄冠はシンザンに輝きました、二年連続で二冠ウマ娘の誕生であります!』

 

 着けた着差は決して大きくはない。しかしそのレース内容は完勝と言っていいもので、勝ち時計の二分二十八秒八がダービーレコードから〇.一秒しか遅れていなかったことも、その証明にするのは難しくなかった。

 

 そして、二年連続でのクラシック二冠ウマ娘が人々の前に現れた。

 

 ()()()()は三冠なるか? この事実に、激闘を目撃した人々興奮と熱気が混ざり合った狂乱の中でそんな淡い期待を寄せながらも、今は勝者となった少女へ惜しみない称賛を拍手と声援と共に送り、労うのだった。

 

 八万の観衆の賛辞の中、クラシック級に挑んだ全ての少女たちの頂点──ダービーの栄冠を掴んだ地味で目立たない、茶褐色髪のウマ娘はクラシックレース二つ目の戴冠に湧く観衆へ手を振りながらも、その黒い瞳はスタンドの最前列に並び立つ二人の男たちへ、信頼と誇らしさの色も露に向けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────い、おい」

 

 物思いに耽っていたシンザンを我に返したのは、彼女を呼ばう無愛想な声だった。

 

「おお、ブライアンちゃん」

 

 声のした方へ顔を向ければ、一匹狼を思わせる空気を纏う、鼻っ柱に鼻腔テープを貼った黒鹿毛のウマ娘が視界に入る。

 

 誰であろう。それは生徒副会長にして、クラシックレース三冠を達成した傑物の一人──シャドーロールの怪物と畏れられるナリタブライアンであった。

 

「こんにちは、調子はどうよ?」

「それはこっちの台詞だ。アンタ、今アイツらのトレーニングを見てやってるんだろ」

「あ」

 

 呑気な問いかけにブライアンは呆れて首を振ると、彼女が咥えた木の芽もそれに合わせてゆらゆらと揺れる。

 

 

 

「ふ、ぬぬぅぅ~……っ!」

「頑張れー!」

「ふんぬぎいぃぃぃ……っ!!」

「あっ! 動いてる!? 動いてるよ!?」

「頑張って! ゴールまであと二十九メートルと五十センチ!」

「ふんがあぁぁぁぁぁぁ…………っっ!!!!」

 

 

 

 彼女が顎をしゃくった方では、シンザンの今日の練習に参加してくれた後輩たち──グラウンドの少し離れたところで巨大なタイヤを引きずろうと躍起になっている友達をキャーキャーと声をあげて応援している後輩たちの姿があった。

 

「アンタに物怖じしない連中が集まってるのに、それで当の本人がボサッとして端から見てるのはどうなんだ」

「いやぁ……こりゃまた失礼いたしました」

「まあ、あの後じゃそうなるのも仕方がないか」

「うん?」

 

 後輩に気を遣われ、感謝よりもばつが悪くなったシンザンは頭を掻こうと手を伸ばしたところでブライアンが引っかかる言葉を口にした。

 

 

 

「ダービーは残念だったな」

 

 

 

 そして続けられた台詞に、シンザンはそろそろと手を下ろして黒鹿毛の少女へ目を向けた。

 

「何よ、随分と藪から棒に」

「気にかけてた奴がいただろう。ダービーに出てた同じ名前のウマ娘が。さっきまで、そいつとアンタ自分が走ったダービーとで、その姿を重ねてたんじゃないのか」

「どうしてそう言い切れるのよ」

「さっきまでのアンタの顔は、よく知ってる顔だったんでな」

「ふーん……」

 

 ブライアンは感じたままに己の思いを淡々と伝えると、シンザンは彼女から目を背け、自身の現役時代よりもふかふかで柔らかくなった芝生を見下ろした。

 

「さぁて、どうだろうねぇ」

 

 特注の蹄鉄を取り付けた練習靴の爪先で芝を軽く突っつく。

 

 図星だった。

 

 先日開催された日本ダービー。

 

 今年度の優駿を決める最高のレース。そのダービーを制したのはBNWの一角ウイニングチケットであり、シンザンが応援していた少女マイシンザンは五着。歯痒い結果で終わったのだ。

 

「……こればっかりは仕方がない。一番悔しいのはマイちゃんだろうし、わたしがとやかく言いはしないさ」

 

 そうして数秒足元を弄くっていたのだが、シンザンは観念したように肩を竦める。

 

 とは言ったものの、これほどまで悔しい思いをしたのは久しぶりである。

 

 トライアル競争での疲労が予想以上に響いていたのも敗因の一つではあっただろうが、それ以上に……。

 

 だがしかし、出走することすら叶わない、親しい後輩であるミホシンザンが果たせなかったダービーの舞台を、マイシンザンは走り切った。それだけではなく掲示板にまで乗ってみせたのだから、これを快挙と言わず何と言うのか。

 

 共に応援へ駆け付けたミホもマイの健闘ぶり、そしてウイニングチケットがダービーが制覇し、自身が果たせなかったトレーナーの夢をチームメイトが叶えてくれたことで胸が一杯になったのだろう。彼女が涙を静かに流す姿を、シンザンは隣で見ていたのだ。

 

 ……その涙が喜びだけで流れたわけではないことを、シンザンは理解していたけれど。

 

「けど、それを言うなら自分のお姉ちゃんもそうでしょうよ」

 

 はぐらかすようにブライアンの姉──三強BNWの一人ビワハヤヒデもダービーに出走したのだが、一歩及ばず二着に終わっている──のことをシンザンは話題に上げる。

 

「ハヤヒデちゃんだって惜しいところまでいったんだよ。何か思うことはあるんじゃないの?」

「姉貴はあんなところで脚を止めるような人じゃない。次があるさ」

 

 尋ねてみればあっさりと答えが返ってきて、シンザンは思わず目をぱちくりさせた。

 

 「何せアタシの姉貴だからな」と、真っ直ぐに信じるブライアンの純真さにどこか懐かしさのような、不思議な感覚を思い出し、シンザンは仄かに微笑む。

 

「好きなんだね、ハヤヒデちゃんのこと」

「……ふん」

 

 ブライアンも素っ気なく鼻を鳴らすが、否定も肯定もしなかった。

 

 生まれた沈黙に、生暖かい風が吹き込んでくる。

 

 季節は春から夏へと徐々に変わり、空気に熱と湿り気を帯び始め、以前よりも高い位置で輝いている太陽に照らされながら二人は言葉を交わすことなくターフに佇む。

 

「……ものが大き過ぎだぁな」

 

 未だスタート地点からさほど離れてない地点でバカでかいタイヤ相手に必死こいて引きずろうともがく後輩たちの光景を見て、シンザンは珍しく顔をしかめさせた。

 

「ミゼットでも置いてあれば丁度良かったんだけどねぇ」

「ミゼット?」

「怪我させる前にちょいと止めてくるかぁ」

 

 ブライアンの疑問には答えず、現在の練習設備に対する認識不足を反省したシンザンは足を前へ二、三歩進めたところで不意にブライアンが再び声を上げた。

 

「なあシンザン」

「んー?」

 

 

 

「アンタはもう走らないのか?」

 

 

 

 ピタリ、と。その問いを投げ掛けられて、シンザンは歩みを止める。

 

「理事長からレースの説明は受けたんだろう」

 

 体ごと向き直った彼女へブライアンは言葉を続ける。

 

 彼女の言うレースとはURAファイナルズ──現トレセン学園理事長秋川やよいの発案で、年度を飾る一大イベントとして二年後に開催を控える新たなレース。

 

 トゥインクル・シリーズともドリームトロフィー・リーグとも異なる枠組みであらゆる距離、あらゆる条件でのレースが施行される。

 

 全てのウマ娘に輝く舞台を、という彼女の願いの形を具現化したURAファイナルズの何よりの特徴。それはトゥインクル・シリーズ、ドリームトロフィー・リーグの所属を問わず、出走権が与えられていることだ。

 

 二つの舞台で煌めく猛者たちの交流戦。まさに夢の対決、ドリームレースである。

 

 そして秋川理事長は開催を控えるURAファイナルズにぜひ参戦してほしいと、シンザンが復学した初日に面会、自ら頼み込んだのだ。

 

 しかし……。

 

「……わたしの気が変わったか聞いてくるよう、たづなさんか会長に言われたのかな?」

 

 黒瞳に深い輝きを湛え、凪の表でブライアンを見つめるシンザンは理事長とその秘書を前に、答えを保留した。

 

「いや──ただの興味本位だ」

「話を聞いてからまだ二ヶ月しか経ってないのにねぇ……皆()()を急き過ぎだと思わない?」

 

 当然、彼女の曖昧な態度は生徒会の一員であるブライアンも生徒会長であるシンボリルドルフを経由してその話は耳にしている。

 

「可愛い理事長さんの話はちゃんと聞いたよ、そこに込められた思いについてもね。わたしもその考えには賛成したさ。けど……」

「っ!」

 

 踵を返しすたすたとシンザンが戻ってきたと思えば、咥えていた木の芽を素早く抜き取られてしまい、ブライアンは呆気に取られてしまう。

 

 彼女は突然の行動に面食らったのではない。自分が反応できなかったことに驚いたのだ。

 

 普段は牛みたいにぼけっとしているくせに、いきなりに素晴らしい俊敏さを見せつけられ、三冠ウマ娘の名は伊達ではないということか、とブライアンは背筋に冷たいものが流れる感覚を覚えた。

 

「──『あっしには関わりのねぇこって』、ってね」

 

 その衝撃に身動ぎできなかったブライアンを尻目に、シンザンは奪った木の芽を咥え、少し斜に構えた雰囲気を纏って気障(きざ)な台詞を口にする。

 

「は?」

「何だぁ、いっつも楊枝なんて咥えてるから紋次郎のファンかと思ってたけど、違ったのね」

「紋次郎?」

「時代劇よ、時代劇。今の子はあんまり見ないのかな……モグモグ」

「……食べるなよ?」

 

 突然時代劇の物真似を披露され、相変わらずの呑気さにブライアンの戦慄もどこぞへ吹き飛んでしまう。

 

 それどころかもそもそと動く口の動きに合わせて短くなっていく木の芽を見て、コイツよく食用じゃないのに平気で食べようとするな、と彼女は軽く引いてしまう。

 

「──ぷへっ。URAファイナルズの開催意義は素晴らしい以外の何物でもないと思うけど」

「……食べるなよ」

「わたしは出ないよ。というより、出れないの方が正しいかな」

 

 コイツマジて食べやがったと言葉を失うブライアン。なんとも言えない表情の後輩の様子に、シンザンは気にするでもなく言葉を続けた。

 

「トゥインクル・シリーズは当に引退してるし、ドリームトロフィー・リーグにも登録してないから、わたしにURAファイナルズへ出場する資格はないんだ」

「だったらさっさと登録申請して──」

「そもそも、わたしの所属してたチームは解散しちゃったし、担当してくれたトレーナーもいないからね。登録も何もないよ」

 

 食い下がろうと試みるがその後も淡々と事実を告げられて、ブライアンも押し黙ってしまう。

 

 出ないのではなく()()()()という現状を説明し、二の句を告げなくさせようとするのは上手い手だ。

 

 レースに出走したくないのではなく、あくまで環境がそれを許さないのだというのには確かな説得力があった。

 

「……アンタがその気から、誰だってアンタのトレーナーになりたがるさ」

 

 少しの逡巡の後、ブライアンはポツリと小さく呟きを溢す。

 

 一瞬──ほんの一瞬だけ、その呟きを耳にしたシンザンは顔を強張らせた。

 

「……わたしのトレーナーは」

 

 が、直後には感情の露出を誤魔化すように頭上を見上げ、青空を見つめるシンザン。少しして彼女はブライアンへ穏やかな微笑みを向けながら、静かな声で告げた。

 

「わたしのトレーナーは、後にも先にも、二人だけだよ」

 

 これで話は終わり、と言外に示して踵を返す。振り返ることもなくトレーニングを積む後輩たちの元へ歩んでいく先輩の後ろ姿を、ブライアンは目で追うしかできなかった。

 

 「だーれのためーに走ーるのかー、なーにをもとーめーて走ーるのかー……」と哀愁の漂う歌を意味深に口ずさむシンザンを眺めながら、()()()()()()をしてしまった彼女は額の冷や汗を拭いながら、安堵の長く深い吐息をついた。

 

「『わたしのトレーナーは二人だけ』……か」

 

 新しい木ノ芽を取り出し、それを咥えながら噛み締めるように小声で繰り返して(かぶり)を振り、ブライアンも踵を返して自分の所属するチーム。『リギル』が休憩している場所へと戻る。

 

「ブライアン? 一体どこへ行っていたんだ」

 

 戻って早々、前髪の白い三日月が映えるルドルフが気付いて声をかけるが、顔をしかめるブライアンは無言のまま、顎をしゃくってグラウンドの一点を指し示す。

 

 ルドルフが目を向ければ、巨大なタイヤの傍らで複数の生徒たちに何やら語りかけている引っ詰め髪に簪を差した、地味な茶褐色髪のウマ娘の姿が見えた。

 

「あれは……シンザン先輩? ブライアン、まさか君──」

 

 察した彼女が詰問口調で問い質そうとしたが、ブライアンに手で遮られる。

 

「生徒会としてじゃない。個人的に聞いてみただけだ。案の定取りつく島もなかったが」

「……そうか」

「チームもない、担当トレーナーもいないからURAファイナルズは出場できないから自分には関係ないだと──まあ、言いたいことは分からなくもない」

 

 ブライアンはため息混じりに言葉を溢し、件の茶褐色髪のウマ娘へと鋭く視線を飛ばす。

 

 シンザンがかつて所属していたチームは管理していたチーフトレーナ──―彼女が親分と呼び慕っていたトレーナーの引退と共にその歴史に幕を閉じた。

 

 そしてもう一人、シンザンが唯一トレーナーと呼び親しんでいた担当トレーナーはというと……。

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ。首を縦に振るわけがないのは分かり切ってたさ」

 

 

 

 

 

 ブライアンは人目を憚るように、ルドルフにしか聞こえない小声で唸った。

 

 彼女の担当を務めたトレーナーは()()……既に鬼籍に入っている。

 

 いつのことだったか。同じく副会長を務めるエアグルーヴと共にルドルフから呼び出され、この事実を突き付けられた際は流石のブライアンも言葉を失ってしまった。

 

 どうしてこんな重要なことを自分たちは知らなかったのか、と疑問に思ったブライアンではあったが、続けられたルドルフの説明でそれは払拭されることとなった。

 

 彼のトレーナーの突然の訃報はスポーツ新聞の記事にも取り上げられる程のニュースにもなり、報道界隈や当然学園も一時騒然とした。

 

 だが先代学園理事長がシンザンや当時の彼の担当ウマ娘たちへの配慮から、学園内で彼の死について語ることをトレーナーや職員を通じて生徒たちに禁止したそうである。

 

 葬儀に関しても家族や彼が担当したウマ娘といった近親者・関係者のみでひっそりと執り行われ、これらの経緯に加えて担当ウマ娘であったシンザンも休学に入ってしまったことで語られることも少なくなり、半ば風化していったためこの事実を知る生徒は少なくなってしまったとのことだった。

 

「担当ウマ娘が学園を去る、というのは多々あるが逆のパターンは滅多にある事例ではないからね」

 

 トレーナーと担当ウマ娘は強い絆で結ばれていることが多い。それは大きな成績を残したウマ娘とトレーナーともなればその傾向は顕著になる。

 

 それはシンザンも例外ではない。どころか史上初の『五冠』を成し遂げ、酸いも甘いも共にしてきたトレーナーが突然いなくなってしまったとなれば、なおさらであろう。

 

 彼女の衝撃と悲しみはどれほどだったかは想像に難しくなく──推し量ることなど不可能だった。

 

 ……実際、その不幸から少ししてシンザンはトレセン学園を休学という形で去っているのだから。

 

「……シンザンにとってトレーナーがどんな存在だったのかはアタシは知らないし、アイツがトレーナーにどいう感情を抱いていたのかもアタシは知らない──けどな」

 

 先程の発言がシンザンにとっていかに不躾で胸中を乱すものであったかなど、ブライアンは百も承知だった。

 

 それでも、とブライアンは音もなく拳を握り締める。

 

「誰であれ、どんな理由であれ、アイツ程のウマ娘がトレセン学園(ここ)にいて走らないなんていう選択をするのが、アタシは気に入らない。あらゆる連中をその走りで魅了して飢えさせた、アイツのようなら特にだ」

「ブライアン……」

「会長。アンタだってその一人だったんだじゃないか? シンザンの走りに魅せられて、アイツを超えようとした一人だった。違うか?」

「…………」

「かつて目指していたウマ娘があんな風に腑抜けているのを、アンタは許せるのか?」

 

 静かに、けれど熱を帯びたブライアンの語る姿を前にして、ルドルフの脳裏を過去の情景が過る。

 

 帝王学を叩き込まれてきた幼い頃。

 

 ウマ娘が活躍する場として後学のため、両親に連れていかれた十一月の京都レース場。

 

 シンザンのクラシック最後の三冠目が掛かっていた淀の舞台・菊花賞。そこで目に焼き付けられた、他のウマ娘たちと鎬を削る姿。ホームストレッチで繰り出した凄まじい末脚……。

 

「……ああ、そうだな」

 

 目を伏せていたルドルフは同意するように小さく頷いた。

 

「全くもって、君の言う通りだよ。ブライアン」

「アタシはアイツの走りを直接この目で見たことはない。だからこそ、シンザンには走ってもらう。URAファイナルズだとか立場だとかは関係ない。アタシが、アイツを本気にさせる。アイツには自分がまだ喰らわれ(挑まれ)る側の存在だってことを、アタシが思い出させてやる──あんな走りをするような奴を前にして、黙ってられる程アタシも我慢強くないんでな」

 

 強さへの飽くなき探求、己の渇きを満たすため日々強者を求め続けるシャドーロールの怪物ナリタブライアン。『神讃』とさえ謡われたウマ娘との対決を望むように掌に拳を打ち付け、眦鋭くしてそう宣言した。

 

(……シンザン先輩)

 

 しかし、鋭い視線の彼女と対象的にルドルフは力ない眼差しで、彼女は後輩たちを引き連れてどこぞへと向かうシンザンへ目を向ける。

 

 少女たちへ語りかけながら自然に振る舞う先輩の姿。しかしその裏には、今も癒えることのない、深い傷と悲しみが隠れていることをルドルフは知っている。

 

(やはりあなたは、まだ過去に囚われているのですね──()()()()()()()

 

 その事実を知るルドルフの薄紫色の瞳には、彼女が普段に表へ出すことのない悲しみと、他人には決して理解の及ばない苦痛の色が灯っていた。

 

「──それと会長、これは関係ないんだが」

「……ああ、聞こう」

 

 少しの間を置いて悲嘆と憂いを払い、いつもの表情へと切り替えたルドルフは落ち着きを取り戻したと思えば唐突にそんな質問を投げかけてきたブライアンへと振り返る。

 

「確か、そうだな……誰のために走るのかとかどうとかって、出だしから始まる曲を知ってるか?」

「……は?」

「さっきシンザンが口ずさんでてな。どこかで聞いた覚えがあるんだが、何の曲だったか思い出せないんだ」

「…………」

 

 さっきまでの感傷はどこかにいってしまったのだろう、と思うくらいに今日一番の衝撃にルドルフは見舞われた。

 

「おい、なんだその目は」

「…………いや、なんと言っていいのやら」

「──ルドルフ、ブライアン! トレーニングを再開するぞ!」

 

 言葉を失っていると『リギル』のトレーナーを務めるおハナさんの召集がかかる。

 

「……ブライアン、おハナさんが呼んでいる。その話は一旦置いておこう」

「は? なんでそうなる」

「身心一如。邪念が入ったままではトレーニングに支障をきてしてしまうだろうからね」

「いや、だったらなおさら今教えてもらった方が集中できるに決まってるだろう」

「もちろん、後でしっかりと教示するさ──おハナさんとマルゼンスキーがね」

 

 そう言って最後の部分をブライアンに聞き取れないよう小声で囁くルドルフ。

 

 芦毛のアイドル(オグリキャップ)が登場する以前、トゥインクル・シリーズには元祖アイドルウマ娘と呼ばれ、人々から熱烈な応援を受けた伝説のウマ娘がいた。

 

 彼女がバ場(ターフ)を去る際に担当トレーナーから感謝の気持ちを込めて送られ、レース後にウイニングライブが行われる切っ掛けの一つとも言われるトゥインクル・シリーズの歴史を語るには避けては通れない楽曲を知らなかったブライアンにルドルフはショックを受け──これはおハナさんにお灸を据えてもらわねば、と真剣に考えながらトレーニングを再開するのだった。

*1
現在の朝日杯フューチュリティステークス。一九六三年当時は朝日盃三歳ステークス(現馬齢での二歳馬)の名称で開催されていた




シンザン「幾十万のぉー観衆にぃ~まごーこーろ見ぃーせたそのぉーすーがたぁ~……」

後輩1「……シンザン先輩って、歌はそこまで上手じゃないんだね」
後輩2「けど、むしろ親近感湧かない? なんかこうギャップ萌えって言うかさ」
後輩3「聞いたことない歌だけど……なんでだろう。すごく胸に染みる……」
後輩4「シンザン先輩、それっていわゆる演歌? ってやつですよね?」

シンザン「……うーん。グラウンドでの練習は止めにして、今日は歴史の勉強でもしようか」

後輩ズ「「「「え……?」」」」
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