神が讃えしその駿駆   作:松武栗尾

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第十五話 府中オアシス

 夏である。

 

 白く燃える太陽は強い熱を帯びた日差しを遥か高い天上から降り注ぐ季節。

 

 夏である。

 

 へばりつくような湿気と通路や校舎に照り返る日光によって上昇した気温で学園の至るところで陽炎が立ち上る季節。

 

 夏である。

 

 学園の敷地内に植えられ、青々とした葉を生い茂らせた桜の木々や校舎の外壁に留まる蝉の声がジイジイミンミンとやかましく鼓膜をぶん殴ってくる季節。

 

 そう、風呂釜のような蒸し暑さの中に不思議と開放的な気分を呼び起こし、誰も彼もがうきうきと気持ちが浮き足立たせてしまう、あの夏がやってきたのである。

 

「……暑い」

 

 ただ一人──シンザンだけは憂鬱な気持ちであったが。

 

「…………暑いっ」

 

 彼女の汗ばんだ顔にはいつもの長閑さはなく、ただただぼんやりとした面持ちであった。

 

「昔より暑くなってるんじゃないのこれ……」

 

 東京砂漠。いつか耳にした忌々しいフレーズがシンザンの頭を過る。しかし新聞やラジオではダムの水位がどうとか水不足がどうとかといった情報は一切流れていないから、単純に己の感覚の問題なのだろう。

 

「ごきげんよう、シンザン先輩」

「んあー?」

 

 そんな風に彼女がぼやいた折、不意に品の良い挨拶が聞こえてくる。

 

 暑さでやられて幻聴まで聞こえるようになったか、と茹だった頭で考えるがどうやらそうではない。声のした方に視線だけ向ければ、日傘の下で人懐っこい上品な笑みを浮かべるウマ娘が自分を見下ろしていた。

 

「今日も暑いですね」

「えーと、自分は……」

「ファインモーションです。ファインって呼んでください」

「ファインモーションちゃん……」

 

 ファインモーションと名乗って会釈したウマ娘の名前をどこかで耳にしたような、と働きの悪くなった頭を回転させる。

 

 そしていつぞや、愛らしい後輩(マイちゃん)との間で話題に上がったことがあったはずと思い出した。

 

「あー、ファインちゃん。外国のお姫様の」

「はい。以後お見知りおきを、だね」

「へぇ~。わたし、本物のお姫様に会うのは初めてだよ、へぇ~」

 

 御上には一回だけ会ったことあるけど、と胸の内で宣い、失礼とは分かりつつ視線は相変わらず微笑んでいるファインモーションを足元から顔へと行き来する。

 

 ……同時に、このバカ暑い中全身を黒いスーツで固めた変な連中がチラチラと視界の端に写っていた理由にも目処がついた。

 

「可愛いらしいお姫様だこと。で、そのファインちゃんが──」

「おいファイン! 何やってンだよ」

 

 ──何の用で、と尋ねようとしたところで機嫌を損ねた声を投げかけられる。

 

「あっ、シャカール!」

「これからオレのデータ収集に付き合うンだったろう、が──って」

 

 名を呼ばれたファインモーションは笑顔を輝かせて振り返り、彼女へ声をかけた前髪に剃り込みの入った柄の悪そうなウマ娘へ駆け寄っていった。

 

「オイ、マジかよ……」

「ごめんねシャカール。今行こうとしてたんだけど、先輩の姿が目に留まっちゃって」

「あ、その子、この間一緒に写真撮った子だ。自分のお友達かい?」

「うんっ、この子はエアシャカール」

「オイッ、(あち)ィから引っ付くなって」

 

 暑さに弱って故郷の訛りが出るシンザンに気が付き、顔を強張らせたウマ娘の腕に組み付つきながら、ファインモーションは嬉しそうに紹介する。

 

「私の大切な親友(ひと)っ♪」

「ほぉー」

「語弊のある言い方すんなっ!」

 

 左眉にピアスという、反体制的な見た目の明らかな不良ウマ娘と外国のお姫様が友人というデコボコな関係性を意外に思い、シンザンはエアシャカールのことをまじまじと見つめた。

 

「……エアシャカール。よろしくな、センパイ」

「改めてよろしくねぇ」

 

 ファインモーションに拘束され、日傘の下から逃げることもシンザンの視線からも逃れることができず、気乗りしない様子で軽く頭を下げたエアシャカール。

 

 あら存外可愛らしい顔してるじゃないの、とその際シンザンが場違いな感想を抱いたのは別の話。

 

「じゃ、そういうことでオレらは行くンで……」

「えー!? 待ってよシャカール! せっかくシンザン先輩とお話できる機会なんだよ? どうしてそんな素っ気なくするの?」

「イヤ、センパイの邪魔しちゃ(わり)ィしよ……つーか、あンま関わりたくねェ」

「それはつれないよぉシャカールちゃん。ファインちゃんはわたしに聞きたいことがあるみたいだし、もうちょっとゆっくりしていけばいいじゃないの。ねぇ?」

「そうだよ! それでねっ、先輩」

 

 距離を取ろうとして体が反っていくシャカールの声に耳を貸さず、お姫様は好奇心で瞳をキラキラさせてシンザンへ視線を戻し──

 

 

 

「その格好は日本の伝統的な夏のスタイルなの?」

 

 

 

 興味津々に声を弾ませ、ファインモーションはシンザンの出で立ちについて指摘した。

 

 炎天下。彼女たちはトレセン学園のど真ん中に座す三女神像前にいた。

 

 そしてシンザンはというと三女神像の泉の側にパラソルなど立てて、『シンザン鉄』が装着されたゴツいトレーニングシューズを並べて置き、両足を泉に突っ込んで腰を落ち着けているのだ。

 

 自ら作った日陰の元でパタパタと両手に二つの団扇を持ってパタパタと顔と濡れタオルを巻いた首周りを扇ぎ、脇に打ち水用の柄杓を置いて、おまけにパラソルの庇に風鈴をくくりつけ涼やかな音を堪能しているという見事なまでの涼の取りっぷりである。

 

 学園の象徴ともいえる三女神の御前でのふてぶてしい姿に、切れたナイフのような性格のシャカールも流石に近付きたくなかったのだ。

 

「いやぁ、そういうわけじゃあないんだ」

「そうなんだ~。てっきり、日本の人たちはそういう風に夏を過ごすんだって思ったんだけど、私の勘違いだったんだね」

「イヤ、一目見ておかしいと思わねェのかよ……これだから世間知らずのお姫様は」

 

 素直に驚くファインモーションへこの場から離れることを諦めたシャカールは、つい横から突っ込んでしまう。

 

「……わたしはね、夏が得意じゃないの。だからこうしてパラソル立てて水場で涼を取ってるのさ」

「だろうなァ。だからってこンなところで涼まなくてもよ……『五冠ウマ娘』様は随分とロジカルじゃねェことすンだな。冷房効いた校内にいた方が快適な話じゃねェのか?」

「んー、どうもクーラーの風は好かなくてね。文明の利器はわたしの体にはあまり合わないのよ……まあ、良くても扇風機までかなぁ」

「アンタがそれで良いってンならオレは別に──ただ、もっと人目につかねェとこで涼めよな」

 

 ため息混じりに理由を述べたシンザンに聞こえないようボソリと毒付いた。

 

「確かにアイルランドよりも暑いけれど、私は日本の夏が好きだけどな~。夏祭りに花火大会、それに浴衣だって着れるんだもん!」

「ほー」

「あとは肝試しとお盆! 夜の学校やお墓で妖精を探したり、ゴーストをお家に招き寄せたりもするんだよね?」

「イヤ微妙に違ェし全然素敵じゃねェ……」

 

 パラソルに吊られた風鈴を指で触れて楽しそうにかたるファインモーション。対照的にシャカールは間違った情報を覚えていた彼女に呆れ、げんなりしていた。

 

「だったら、ファインちゃんに日本の夏をもっと堪能してもらえるよう、もうちょい早くあれを準備しておいても良かったかもね」

「えっ、何かサプライズがあるの!」

 

 シンザンは相変わらず両手の団扇で顔を扇いだままそんなことを溢す。すると面白いくらい分かりやすくファインモーションは食い付いた。

 

「準備、って随分大袈裟な言葉だな?」

 

 シンザンへ顔を寄せたお姫様程ではないが、シャカールも気になったようで組まれていた腕を引き抜き揉みほぐしながら尋ねてくる。

 

「それはねぇ──」

 

 後輩たちの反応に気を良くしたシンザンは片方の団扇を置き、人差し指を立ててこれから自分が実行する予定について説明するのだった。

 

 

 

 

 

「ふいー、終わった終わったー」

「夕方とはいえ、やっぱりこの暑さは堪えるわね……」

 

 数日後のトレセン学園。『スピカ』の面々が全身汗まみれの状態でロードワークを終えて学園に戻ってきた。

 

「んだよスカーレット、まさかバテちまったのか? スタミナがまだまだ足りてねえみたいだな~?」

「な、何よ! 走ってる最中死にそうな声で唸ってたアンタに言われたかないわよ!」

「ん、んだとー!? 俺はんな情けねーことしてねーぞ!」

「二人とも暑苦しいですわね、全く」

 

 帰ってきて早々に揉め始めるウオッカとダイワスカーレットを尻目に、メジロマックイーンが気にした風もなく手で顔を扇いでいる。

 

「ふふ、二人ともまだ走れそうなくらい元気ね」

「そ、そう言うスズカさんも余裕そうですね……」

「ええ、走るのは好きだもの」

 

 「さ、流石スズカさん」とへとへとになりながらも自身の慕うサイレンススズカへの尊敬の眼差しを送ることは忘れないスペシャルウィーク。

 

「よーし今日も良く頑張った。俺は原付(コイツ)置いてくるから、お前ら先に部室戻ってウォームダウンしておいてくれ」

「おいおいトレーナー。アタシをこのまま部室まで乗っけてってくれんじゃなかったんかよ」

「学園は原則乗り入れ禁止だ。それと早く降りろ。押し辛くて敵わねえ」

 

 少女たちの後ろから原付バイクを押していたトレーナーが声を張って指示を出しつつ、座席に陣取っていたゴールドシップに下車するよう注意した。

 

「後汗はそのままにしないでしっかり拭いとけよ。これから合宿って時に風邪引かれちゃ──」

「あっ! あれ見てよトレーナー!」

「? どうしたテイオー、って」

 

 んだよつれねーなー、といじけるゴールドシップをあしらいつつ突如声をあげたトウカイテイオーの指差した先へ顔を向けると、何やら見慣れないものが彼の視界に飛び込んでくる。

 

「かき氷ぃ?」

 

 それはかき氷屋台だった。

 

 夏祭りや初詣の参道脇でよく見るこぢんまりとしたもので、夏場に店先で度々目にする『氷』ののぼり旗もしっかりと掲げて何を商っているかを周囲に知らしめている。

 

「なあスズカ、学園(ウチ)の敷地内って移動販売とかって許可されてたか?」

「ちょっと分からないですけど……今までああいうのを見た記憶は……」

 

 数人の黒服ウマ娘たちが「これがかき氷か」「殿下は美味だとおっしゃってはいたものの」などと言葉を交わしつつ、自分たちの注文した色鮮やかな赤青黄色で染められた小さな雪の山を興味深そうに見つめながら立ち去っていく光景を前にトレーナーはスズカへ尋ねるが、困惑の返答が戻ってくるだけだ。

 

「わぁい、かき氷だー!」

「あ、おいテイオーっ」

「かき氷……かき氷っ!」

「メ、メロンシロップはございましてっ!?」

「スペっ、マックイーン!」

「アタシブルーハワイ!」

「お、俺はかき氷なんて軟派なものは食べねーしぃ~? まあけど、皆が食べるってんなら──うげっ」

「カッコつけてる場合じゃねぇっ! アタシたちも行くぞウオッカ!」

「お前たちもかよ……っ!」

 

 スズカを除く全員がトレーナーの制止も聞かず一目散にかき氷屋台へと飛んでいく。

 

「だぁーっ、今手持ちそんなにねえんだぞ……!」

 

 いつもの癖で奢ること前提でつい考えてしまい、トレーナーは思わず頭を抱えた。

 

 彼の不安なぞ知ったことではないテイオーたちは屋台へつくと、屋台の中で身を屈めていた店主へと一斉に声をかけた。

 

「店員さん、かき氷ちょーだい! はちみーをたっぷりかけたやつ!」

「私はいちごシロップとブルーハワイとコーラとそれから──!」

「メロン! メロンシロップを所望しますわ!」

 

 真夏の暑さの中での厳しいトレーニングを終え、まさかの小さなオアシスを見つけた少女たちの情熱的な注文とは裏腹な、のんびりとした調子の声が屋台から返ってくる。

 

「──ごめんねテイオーちゃん。もう一回、一人ずつ順番に注文してもらっていいかな?」

「もーしょうがないないなあっ。まずははちみーをたっぷりと……って、店員さんどうしてボクの名前知ってる──」

 

 名前を知っていたことに驚いたテイオーだったが店主の顔を見た途端に口を噤んでしまった。

 

「テイオーさん? どうしたんですか?」

「鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔してるわよ?」

「テイオーっ、後ろがつかえているんですから早く頼んでくださいましっ」

「スペちゃんもスカーレットちゃんもお疲れさま」

 

 固まって動かなくなったテイオーを怪訝に思うスペシャルウィークたち──マックイーンだけは関係なしに急かしていたが──は自分たち名前を呼ばれたことに首を傾げ、直後にはっとする。

 

 

 

「「「「シンザン先輩!?」」」」

 

 

 

 続けて、声を揃えながら屋台から手を振ってくる茶褐色髪のウマ娘の名を叫んだ。

 

「いらっしゃい、『スピカ』の皆。練習終わりかな?」

 

 屋台のど真ん中で当たり前のように陣取るシンザンは少女たちへ微笑みかける。

 

「シンザン先輩……って、え? 本当に?」

「いや、いやいやいやまさかそんな──」

 

 響いた名に面食らったトレーナーも慌てて、原付バイクをその場に一旦停めるとスズカと共に屋台へと駆け寄って確認する。

 

「──マジだ」

「嘘でしょ……」

「な、何やってんすか先輩!」

「見た通り、かき氷配ってるよ」

「そんなの見たら分かるよ! なんでシンザンが学園でかき氷なんて売ってるのさー!?」

 

 シンザンを認識したところで言葉を失う二人の横でショックから早く立ち直ったウオッカが至極もっともな突っ込みを入れるも、シンザンは相変わらずの呑気さで返答されて我を取り戻したテイオーは戦慄きながら叫んでしまう。

 

「まあまあ、これはわたしの趣味みたいなもんだから気にしないで──そんなことよりも、ほら。かき氷(これ)食べて涼んでいってちょうだいな」

 

 そんなチーム『スピカ』の動揺などどこ吹く風のシンザンはかき氷機に氷塊をセットし、どことなく嬉しさを滲ませて一息つくように少女たちへ勧めるのだった。

 

 

 

 

 

「くあぁ……キンッキンに冷えてやがる……!」

「ふぁひほおり、冷たくて美味ひい~」

「本当、こうして夕暮れ時に食べるかき氷も良いわね」

「マックイーンのやつ美味しそうだなー、アタシにもちょびっと分けてくれ」

「なっ! 駄目ですわ! あなた同じものを頼んでいるじゃありませんの!」

「ゴルシちゃんはマックイーンが食ってるのが食べたいんだよ~」

 

 それぞれの好みの味に彩られたかき氷が行き渡ると、いっせーので一斉に頬張るチーム『スピカ』。

 

「……つーん」

「ちょっとテイオー、お気に入りのシロップがなかったからって拗ねちゃったの?」

「……別にぃー? 拗ねてなんてないしぃー」

 

 ただしテイオーだけは「そんなもの、ウチにはないよ」とバッサリと否定され、無念そうに肩を落としみかんシロップで我慢していた。

 

「──なあシンザン。この氷にしろ屋台にしろ、一体どっから運んできたんだ?」

「知り合いに運送業やってる人がいてね。その人に頼んで送ってもらったんだ」

 

 ベンチに腰かける少女たちがトレーニング終わりで火照った体を冷ましてくれる氷菓に舌鼓を打って堪能する様を、トレーナーは屋台にもたれ掛かって眺めながら屋台の主へと戸惑いも露わに問いかける。

 

「随分と面白い伝手があるんだな」

「言っておくけど、お金はちゃんと払ってるからね。まけてもらってるけどさ」

「いやそんなこと聞いてないぞ……」

 

 ガリガリと氷を削る音に混じって返ってくる答えにむしろ代金を支払っているのか、というのが率直な感想だった。

 

「屋台の方は学園を休む前から使ってたから、その間は学園の端っこに置いといてもらって後輩に面倒見てもらってたのよ」

「昔から、って休学前からこんなことしてたのか? 費用だって諸々かかるし、トレーニングの時間を確保するのだって大変だったろう」

「かき氷配ってるのは夏休みの間だけだっただし、一日中店番ってわけじゃないからねぇ。これ始めたのも引退してからだから、まあそう大変なものでもないさ」

「なるほどな。だがトレーナーからは何も言われなかったのか? そうじゃなくっても周囲からの目もあるわけだろう? 何せ『五冠ウマ娘』なんだから──」

「トレーナーさん、逆よ逆」

「逆?」

 

 ん、とトレーナーの声を遮ってシンザンは頂上部分が赤く染まったかき氷を彼の目の前に突き出す。

 

「史上初の『五冠バ』だからさ。このくらいのわがままはって、皆お目こぼししてくれてたの。親分も理解してくれてむしろやりやすかったくらいだよ」

「あ~……」

 

 これ以上ない説得力のある言葉に納得しつつ、目立たない見た目と違い全く枠に嵌まらない奴だとトレーナーは首を振り、ごそごそと財布を取り出した。

 

「ありがとうなシンザン。ほらこれ、これでアイツらの分も払えるか?」

「いやいやトレーナーさん。さっきも言ったでしょうに、ウチはお金取ってないよって」

 

 財布からあるだけの金額を取り出してシンザンへ差し出すが、彼女は少し憮然としたものへと表情を変えて手で制した。

 

 そう、かき氷屋を開いているシンザンは代金を受け取っていないのだ。材料や機材など全てを自費で賄い、生徒だけでなくトレーナーや学園職員に至るまで、望んだ人々に分け隔てなくサービスで提供しているらしい。

 

 夏季休暇期間のみとはいえ、趣味というにはあまりにも献身的で伊達や酔狂でやっているのではないと彼は感心してしまったほどだ。

 

「いいから取っておけって。ま、ヒロフミじゃくて悪いけどな」

 

 しかしトレーナーは半ば押し付けるようにシンザンの手へ代金を渡してから、かき氷を受け取る。

 

 トレセン学園の生徒から物品をタダで貰うなんていうのはトレーナーとして、何より一人の男としてあるまじき行為であるとの矜持からだった。

 

「……ふふ、律儀な人だぁ。悪いねトレーナーさん、今日の晩ご飯は福神漬けと冷飯だけにしちゃって」

「はは、んな貧相な晩飯になるほど稼ぎは悪くないっての」

 

 それでも千円札を一枚だけ抜き取り、残金を返してきたシンザンの冗談にトレーナーは頑固な奴だと笑いながら冗談を返す。

 

 ……確かに稼ぎは悪くはないがその稼ぎを『スピカ』の少女たちに還元し過ぎてしまうせいかどうも金欠気味になってしまう、という意味では彼女の言うことは近からずとも遠からずと言ったところであったが。

 

「しかし、引退式後っていうことは何か切っ掛けがあったってことだよな? 趣味にしてはどうも気合いが入り過ぎてるし」

「んー。まあ、老婆心みたいなものはあるかなぁ」

 

 自分用のかき氷を作る手を止め、ちょっと考える素振りを取り、別に隠すものでもないしとシンザンは頷いた。

 

「トレーナーさんなら知ってるんじゃない。昔、わたしが夏に調子落としたこと」

「菊花賞前の話か?」

「そう。それよそれ」

 

 その指摘にピシッと指差す。

 

「あの時は皆を不安にさせちゃってさ。わたしの前の年にもメイズイってー速い子が『コメこぼし』てたからなおさらでね」

 

 二冠ウマ娘となり、三冠へ王手をかけたクラシック戦線の夏。その年の夏は何十年振りと言われたほどの異常な暑さに見舞われ、運悪くもシンザンは酷い夏負けにかかってしまったのだ。

 

 夏の間体調を崩し、練習どころではなくなったシンザンを復調させるため、あらゆる手を講じた彼女のチーフトレーナー(おやぶん)が発案した内の一つがそう、かき氷だったのである。

 

 なんでも、夏の高校野球のテレビ中継でスタンドの応援団が氷を頬張っているシーンを見て思い付いたらしい。

 

 二人の尽力があったからこそ三冠を達成できたものの、シンザンは要らぬ心労をかけさせてしまったと時折思い出しては今も反省したりしているのだった。

 

「あれ以降かな、わたしが夏にかき氷屋をやるようになったのは」

「つまり、自分みたいな思いを他のウマ娘にさせたくない。そういうわけか」

「へへへ、買いかぶり過ぎだぁよ。わたしはそんな大それた考えなんてしてないさ」

 

 彼女はぐらかすように笑い、シロップをかけぬままかき氷を頬張った。

 

「こんな暑い中頑張って練習してる子たちへ、細やかな楽しみを提供したってばちは当たらないでしょ」

「はは、そりゃそうだ」

「昔と比べれば娯楽も増えたから余計なお世話だと思うけどね。まあなにより──」

 

 シンザンは言葉を切って視線をトレーナーから外す。

 

「後輩が楽しそうにしてるの見るのが好きなんだよ、わたしは」

 

 己の過ぎ去りし青春時代を少女たちに重ねるような、落ち着きのある優しげ眼差しでかき氷を頬張る少女たちを見つめて、シンザンは呟いた。

 

「トレーナーさん?」

「……いや、なんでもない。おーいお前ら! この後合宿の話すんだからな。はしゃぎ過ぎて忘れんなよ!」

 

 年季を感じさせるその柔和な横顔に見入っていたトレーナーは呼びかけにはっとして、誤魔化すように首を振って担当たちへ声を飛ばした。

 

(何でか分からんが、コイツを見てるとウチの婆さん思い出すんだよな……)

 

 はーい! とスペシャルウィークたちから元気の良い返事が返ってくるのを確認しつつ、彼は失礼な感想をシンザンへ抱いてしまった。

 

「トレーナーさんとこもこれから合宿かい?」

「おっ!? そ、そりゃ当然だよ。夏合宿がコイツらの実力を伸ばす絶好の機会だからな」

「まあそりゃあそうだ」

 

 トレセン学園の夏休みといえば合宿である。

 

 それは担当トレーナーやチームに所属していないウマ娘たちも例外ではなく、教官の指導の元で学園の管理している宿泊施設で合宿を行い、普段とは異なる環境で研鑽を積み、自らの能力を向上させているのだ。

 

 ……故にシンザンは暇をもて余しており、こうしてかき氷屋なんてものを開く時間があるのはまた別の話である。

 

「──で、どの辺りでやる予定なの?」

「ん? ここからそう遠くない海沿いでやる予定だが……」

「どのくらいの時間で?」

「民宿に泊まって一週間ってとこか」

「へー」

 

 意味深に唸るシンザン。その姿に首を傾げるも折角貰ったかき氷を溶かしてしまうのも忍びなかったので、トレーナーは早速いただくことにした。

 

「……ねえトレーナーさん」

「なんだ?」

 

 たまにはこういうのも良いな、とイチゴシロップのかかったかき氷を口に含みその甘味と冷たさを楽しんいると、屋台の向こう側のシンザンがおずおずと尋ねてくる。

 

「トレーナーさんを男と見込んでさ、一つお願いがあるんだ」

「俺で聞けることなら何だって構わないぞ」

「じゃあ、遠慮なく言わせてもらうけど──」

 

 断る道理もないし、ちゃんと女の子らしい可愛げのある仕草もできるんだなと笑ってトレーナーは二つ返事で快諾した。

 

 ──が、あまりに予想の斜め上だったので危うく氷菓を落としてしまうところだった。

 

「その合宿にお邪魔してもいいかな?」




ファインモーションが欲しかった…
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