神が讃えしその駿駆 作:松武栗尾
夏の眩しい太陽の光で照らされ、キラキラと煌めく水面。
「残り十分だ! 最後まで手え抜かず気張ってけよ!」
白い砂浜に寄せては返す穏やかな波の間。可愛らしいウマ娘の耳がピョコピョコと見え隠れする様を見据えながら、『スピカ』のトレーナーは遠泳トレーニングを行っているチームの少女たちへ激を飛ばす。
チーム『スピカ』の夏合宿も四日目を向かえ、丁度折り返し地点に差し掛かったところであった。
「テイオー、息継ぎのペースが乱れてる! ウオッカとスカーレットは腕の振りが小弱い!」
「いやー、今の子はすごいねぇ。さっきからずーっと泳いでるのにまだ体力があるんだもん」
波打ち際に立ち、少女たちに万一があった時にすぐ対応できるよう浮き輪を腕にかけてトレーニングを見守る彼の耳に、他人事のような声が届いた。
「普段から学園のプール施設でトレーニングしてたからな。このくらいアイツらならどうってことはない」
「それもそうかぁ」
「自然環境下での遠泳はかかる負荷がプールで泳ぐのとじゃ段違いだ。アイツらの良いトレーニングになる」
のんびりした声へと言葉を返し、むしろ、と続けトレーナーは手にしたストップウォッチから視線を上げ、声の主へと振り返った。
「俺はお前が泳げないってことの方が意外だったけどな、シンザン」
そう言ってトレーナーは自身で持ち込んだパラソルの下で腰を落とし、ノートに何かしらを書き留める茶褐色髪のウマ娘へと笑いかけた。
『合宿に参加させてほしい』
それが、かき氷をご馳走になった折に聞かされた彼女の願いだった。
色々と想像の上をいく言動を取る彼女であるが、無理難題を押し付けるような少女ではないこともあってトレーナーは二つ返事で応諾したものの、まさか自分の担当チームの合宿に参加したいとは。
ここでも予想を超えてきたことにトレーナーは面食らったが、それ以上にシンザンが『スピカ』の合宿に顔を出すという行為に彼自身が喝采をあげそうになったのも事実だった。
『五冠』を成したウマ娘と自分の担当する少女たちとが数日とはいえトレーニングだけでなく寝食までも共にできるとなれば、レースに対する姿勢や気の持ちようといったメンタルの面で今後の『スピカ』でのトレーニングに活かせるかもしれないと閃いたのである。
是非ウチの連中と、と口から出かけた叫びを呑み込み、この機会を逃す手はないと理解しつつ『スピカ』のメンバーに確認を取ってから、ということでその場での確約こそしなかったが「そりゃそうだ」とシンザンもあっさり了承してくれた。
その際彼女と連絡先の交換というとてつもない
『今のご時世、スマホを持ってないのは何かと不便だから持ってた方が良いってミホに勧められてさ。それに、マイちゃんとも簡単に連絡が取れるようになりますよ、って
そんな風にモニョモニョと言葉尻を濁しながら拙い手付きで掌に収まる現代技術の結晶と格闘するウマ娘の姿に、微笑ましい気持ちが込み上げたものだ。
その後はかき氷をご馳走になった礼を述べてシンザンと別れ、部室に戻って合宿についてのミーティングを行い、最後に付け加えるようにしてシンザンからの申し入れの件をトレーナーは切り出した。
『スピカ』の面々は打ち明けられた話に当然驚いたものの、一瞬にして大歓迎といった様子で、彼女たちの好意的な反応にトレーナーも気を良くし、その場でシンザンと連絡を取りチーム全体が合宿への参加を了承した旨を伝えたのである。
……とは言えだ。
合宿三日目の朝。早朝のランニングを終えた『スピカ』を朝食の味噌汁の香りと共に湯呑み茶碗片手で朝刊へ目を通す姿、誰が想像できただろうか。
合宿には途中から参加するとは事前に聞いていたが、いつの間にか現れて「朝練お疲れ様~」とマイペースに振る舞う眼鏡を掛けた大先輩を前にしたら、誰だって言葉に困るに決まっている。
「わたしが現役の頃はまだプール施設がなかったからね、こればっかりはしょうがない」
「は?」
そんなことを振り返っている矢先にこれだ。時折、シンザンとの話の噛み合わないことが多々あるのだ。
「……まあ、それは置いておくか。そんなことより、さっきからノート取り出してずっとにらめっこしてるが何書いてるんだ?」
「んー? まあ、色々よ。色々」
「色々、ねぇ。普段他の後輩たちにやってるっていう、ウチの連中の改善点をまとめてるってわけじゃないのか」
「担当トレーナーがいる子にそれしちゃあねぇ。トレーナーさんみたいに本職の人たちと比べたら、わたしのそれなんて月とすっぽんよ。にしても、マックイーンちゃんとゴールドシップの体力はすんさまじいねぇ」
一々突っ込んでいたらきりがないので、先程から何かしらを書き留めている点を尋ねたのだがはぐらかされてしまう。のんびりした表情のシンザンは謙遜するようにぼやいて額の汗を拭いつつ、顔を上げて遠泳トレーニングを続けている後輩たちを見やる。
「泳ぐ速度も変わってないし、水を掻くフォームも崩れてないからびっくりしちゃうよ」
「スペも負けてはないが、スタミナに関しちゃあの二人がウチで突出してるのは確かだな。そんなに気になるか?」
「いやね、わたしが現役の頃は長距離を走れることが活躍する指標の一つだったからさ。如何せん贔屓目で見ちゃうのよねぇ……いやはや、悪い癖だわな」
「『八大競走』時代の名残だね」と自戒の言葉を呟き、唐突にシンザンはパタンとノートを閉じて、よっこらせと掛け声と共に立ち上がった。
「さてと。残り時間も五分切ったし、わたしも準備するとするかなぁ」
「五分切った? おいおい、まだそんなに時間は経って──」
やはり唐突な彼女の発言にトレーナーは笑いながら手元のストップウォッチへ目を落とす。
「ね? 言ったでしょう?」
液晶パネルに04:45と表示されていたことに目を瞬かせた彼へ変わらぬ調子で告げ、「しっかし、京都に比べればあれだけどやっぱり暑いなぁ……」と続けながらその場から離れていった。
一人残されたトレーナーは少しの間固まった後にいっしゃく、にーしゃく、と歩幅で何やらを計測しているシンザンへ視線を向け、不思議がって首を傾げた。
「……シンザンのやつ、時計持ってなかったよな」
遠泳終了後、休憩を挟んだ後にジャージへと着替えた『スピカ』一行。
「あのぉ……シンザンさん」
「なぁにスペちゃん」
「これは一体、何でしょう……?」
遠泳の後はシンザンから提案されたトレーニングを行うとトレーナーから事前に伝えられていた少女たちであったのだが……。
「これはね、土俵」
「「「どひょう?」」」」
突拍子もない返答に少女たちは顔を見合わせ、おうむ返ししてしまう。
砂浜に描かれた直径五メートル弱の円形の図形。その中心部には二本の平行線が向かい合って引かれている。確かに、日本人なら一目見て分かる、馴染み深い相撲の土俵の形をしていた。
「いえ、土俵というのは理解しているのですが……」
「そもそも、どうしてこんなものを?」
困惑を色を隠さないメジロマックイーンと彼女の隣でまじまじと土俵を見下ろしていたダイワスカーレットが意図を理解できず疑問を呈すると。
「そりゃあもちろん、これから相撲を取るからだよ」
なんてことはない、と伸びをしながらシンザンは事もなげに答えた。
「相撲を取る、ってつまりトレーニングは──」
「正解、わたしが考えた練習ってのはつまり相撲のことよー」
「えーっ、ボクたちお相撲さんの真似しなきゃいけないのー?」
「相撲は良いよ~。瞬発力、柔軟性、集中力が鍛えられるし、何より下半身の使い方が重要になってくるから、走りにも役立てられると思うよ。何より楽し──おっと口が滑った」
戸惑う少女たちの中であからさまな反応を示すトウカイテイオーに対してもさほど表情を変えず、彼女は相撲トレーニングを行う理由をざっと述べる。しれっと本音が漏れているのはご愛敬だ。
「あの、トレーナーさんは事前に聞いていたんですよね?」
「……」
「トレーナーさん?」
「……スズカ、すまん」
「嘘でしょ……」
気まずそうに顔を背けた監督者であるトレーナーも把握していなかったことに、サイレンススズカも言葉を失う。
もちろんトレーニング内容について尋ねていないわけはないのだが、「始めてからのお楽しみ」とシンザンにはぐらかされてしまい、トレーナーは彼女の裁量に委ねるしかなかったのだ。
……まあ言うて彼女のトレーニングについての噂で悪い話は耳にしたことはないしそもそも間近でトレーニング姿を目にしていたこともあり、そんな突拍子もないことはしねーだろと楽観視していた自分がいないとは言えなかったけれども。
「もーっ、シンザンがトレーニング考えてるって言うから、どんなことするのかなって期待してたのにさっ。トレーニングがお相撲? ボクのワクワクを返してよー!」
「落ち着いてくださいテイオーさん……」
「けど、テイオーほどではないですけど、これにはアタシもちょっと拍子抜けっていうかなんというか……」
トレーナーからシンザンが鍛練を着けてくれると聞き、内心楽しみにしていた特別トレーニングの内容が相撲と知り、ぶーたれるテイオーをなだめるスペシャルウィークと、その傍らで複雑な面持ちのスカーレットが砂浜に描かれた土俵の境界を指でなぞっている。
「まあまあ。自分らの夏合宿の貴重な時間をいただいてやらせてもらうんだ。ちゃんと懸賞も用意してるからさ」
「
懸賞とは大相撲の取り組みで勝利した力士にスポンサーから贈られる金銭であったはずだ。
気になる言葉に乗り気でなかった少女たちの関心を引いたシンザンはゴソゴソとジャージのポケットを探り始め。
「じゃじゃーん」
彼女が取り出したのは、紙切れの束だった。
「? なんじゃそりゃ」
「無料券」
率直に訪ねてみれば返ってきたのは端的な返答。
「無料券? 何の無料券──」
「ああっ!!?」
「うおっ!?」
それが何であるのか飲み込めずにいたところ、突如マックイーンが絶叫したので彼は肩を跳ね上げてしまった。
「ど、どうしたマックイーン」
「驚かさないでよ……ビックリするなぁ」
「そ、それはまさか……っ!?」
「あの無料券がどうかしたんで──ああーっ!?」
チームメイトの非難めいた眼差しに気付かない様子でわななくマックイーンと、続けて正体に気付いたらしいスペシャルウィークも信じられないものを見たかのように、まん丸お目めと口をかっ開いてシンザンの手に握られたそれを指差した。
「ス、スペちゃん?」
「スペ先輩までどうしちゃったんですか……」
訳が分からないスズカたちの困惑に答えるように、スペシャルウィークとマックイーンは叫んだ。
「そ、それって、駅前のスイーツ店が発売してる──」
「『スーパーウルトラデラックスバナナチョコレートフルーツパフェ』の無料券ではありませんの!!」
察しの良い二人の見せた反応にシンザンは満足そうに微笑んで、無料券の束を扇子のように広げてピラピラと振ってみせた。
「当たり~」
「パフェの無料券……駅前のスイーツ店の?」
「それって、よくテレビとかで取り上げられるあのお店のこと? 嘘、あそこのパフェってたしか──」
「一日十食限定、開店直後に売り切れるのが常である、超激レアスイーツでしてよ!!」
マックイーンが興奮するのも無理はない。
彼女が元々甘党というのもあるが、全寮制を取るトレセン学園の生徒たちがこの有名店で取り扱っているスペシャルパフェを口にするためには、外泊許可を取って前乗りでもしない限りこの至高のスイーツをいただくことは時間的にも距離的にも不可能に近かったからだ。
「そうそう、そこのお店。なんでも普段は売り切れたら終わりらしいけども、この券をお店に持ってけばいつでも食べられるように取り計らってくれるから、食べたい時に食べられるよ~」
「それは本当でして!?」
「嘘じゃないですよね!」
「本当に本当よ」
しかしシンザンはその点もしれっと解決していたので、理解が追い付いた少女たちのざわめきに興奮の色が混じり始める。
「マジかよ! 随分と太っ腹じゃねーか!」
「お邪魔させてもらってる身だからね、これくらいのことはするさ。といっても、わたしも……確かハヤヒデちゃんだったかな? にこのデザートのことを教えてもらって知ったんだけどね。喜んでもらえたみたいで嬉しいよ」
「しかし、どうやってそんな貴重なスイーツの無料券を、それもウチのチームの人数分手に入れられんだ? 数えた感じ、俺の分まで用意してくれたみたいだし」
「ふふん、まあ色々とねぇ」
八枚。そう、『スピカ』のトレーナーの分も確保しているのだ。その心遣いに感心した様子のトレーナーの姿に、黄色い声を上げる後輩たちを前に胸を張っていたシンザンは得意気に鼻を鳴らす。
可愛い後輩と優秀なトレーナ──―もちろん自分のトレーナーには負けるけれども──には言えないがこういった時ほど、己の蹄跡の放つ輝きの強さのありがたみを感じたことはないのだから。
「ルールはね、単純明快にいこうじゃない。わたしに勝つごとに一枚、懸賞としてこれを自分らにプレゼントします」
「つまり、一人一回ずつ、先輩に勝てば……」
「そう、少なくともスズカちゃんたちの分は手に入るって算段なわけだ」
「わたしに勝つごと──って、先輩、一人でアタシたち全員と勝負するつもりなんですか?」
「当然じゃない。こっちから提案してるんだから、このくらいの負担はないとね」
「おう……体力オバケなのは相変わらずだぜ」
「ねえっ、勝った子にあげるってことは、もしボクが八回戦って全部勝ったら無料券は全部ボクのものにもできるってことだよね?」
「え?」
スズカの呟きに無料券を仕舞い込んでいたシンザンは首肯しながらスカーレットへあっさりした調子で答えると、ゴールドシップが称賛の口笛を吹く。
対してのテイオーは先程まで不服さはどこへやら。乗り気になった様子で予想の範疇にない提案をしてきたので思わず黒い瞳を瞬かせたシンザンではあるが。
「まあ、確かにそういう考えもできなくはないね」
「ホントに! じゃあ、ボク頑張っちゃおーっと! あそこのお店、はちみーも美味しいんだよねー!」
特に否定することもせず首を縦に振る。
「テイオーちゃんは冴えてるねぇ」
用意したアメに思惑通り誘われてくれているのだ、拒否する必要なんてなかったのである。
「ほんっと、現金ね」
「へへんっ! ボクが強すぎて泣いちゃっても知らないからね!」
シンザンの答えにテイオーは白い三日月を揺らし、得意気に胸を張って自信を滾らせた。
「この勝負……負けられませんっ」
「メジロの使命を果たす日がついにやってきましたのね」
「二人とも、真剣過ぎるわ……」
一方でチームメイトの発言に火を付けられたスペシャルウィークとマックイーンが目をマジにして四股を踏み、あるいは摺り足を始めたのでスズカは突っ込む気力すら湧いてこなかった。
「ふふ、わたしとしては用意した甲斐があったってもんよ」
二人の意気込み用に満足げなシンザンは『シンザン鉄』シューズを丁寧に脱ぎ揃え、リラックスした様子で土俵に入ると少女たちへ問いかけた。
「で、だ。まずは誰から始めようか」
彼女の問いに誰が一番槍の役目を果たすかを決めるためチーム『スピカ』は顔を見合わせた、その時だった。
「────俺がやります」
テイオーやスズカたちの背後。それまで一言も発していなかった鹿毛の少女が名乗り出る。
「お、一番槍はウオッカちゃんか」
「ふっ……相撲だなんて、おもしれーこと考えてくれましたね。シンザン先輩」
顔を綻ばせるシンザンに対し、ウオッカは不敵な笑みを浮かべながらトレーニングシューズを脱ぎ捨て即席の土俵へと上がる。
「どうして先輩がトレーニングに相撲を選んだかなんてのは、この際何でもいいです。けどそこに勝ち負けがあるってんなら、全力でやらせてもらいます」
シンザンと向かい合い、不敵な笑みを浮かべるウオッカ。そして自身の肩に引っ掛けていたジャージの上着に手を掛け──
「──トレーニングに相撲を選んだこと、俺が後悔させてあげますよ」
バッ! とジャージを空高くへと投げ放ち、闘志も剥き出しに高らかに宣言した。
「……とか格好つけてるけど、アンタもデラックスパフェが食べたいだけでしょーが」
「う、うっせっ。折角カッコつけたのに締まらねーじゃんかっ」
「ふふ、否定をしないところがウオッカらしいわ」
「分っかりやすいんだ~」
「スズカ先輩っ、テイオー!」
「へへへ、わたしも甘いものが好きだから、気持ちはよーく分かるよ。ウオッカちゃん」
「シンザン先輩までぇ……!」
硬派を自称するウオッカを茶化すのも程々にして、早速シンザン主導の元、相撲という一風変わった特別なトレーニングが『スピカ』の夏合宿で開始された。