神が讃えしその駿駆   作:松武栗尾

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第十八話 大一番を終えて

「に~し~、マクノ~城ぉ~」

 

 ゴールドシップの名乗り上げを耳に入れつつ、メジロマックイーンは立合いへの集中力と闘志を高めていく。

 

(……トレーナーにはああ言いましたけれど、付け入る隙がないわけでもありません)

 

 そう胸の内で呟く。このままがむしゃらに相撲をしても勝機はないと判断して、シンザンと取り組むのを一旦遠慮し、彼女の仕切りから立合い、取り口をじっと観察していたのだ。

 

 そしてシンザンの勝ち星が五十を超えた辺りで、とあることに気が付いた。

 

(下半身──左太股の裏)

 

 いわゆるハムストリングスとも呼ばれる部分。シンザンはそこを庇うような……いや触れられることを嫌がる仕草を見せていたのだ。

 

 勝機があるとすれば、そこにシンザンの意識を集中させ、隙を作るしかない。マックイーンはそう確信してこの一番に臨んでいる。

 

(申し訳ありません、シンザン先輩……卑怯の謗りは後程お受けいたしますわ)

 

 底の見えないスタミナを有しているシンザン。とはいえ彼女はすでに六十戦以上を連続でこなしている。体力的なアドバンテージは明らかで、マックイーン自身その自覚はあった。

 

(ですが、(わたくし)は勝ちにこだわらせていただきますの)

 

 本音は万全の彼女との取組みで勝ち星を飾りたいところではあったが悔しいかな。相撲ではシンザンに一日以上の長があり、そんな悠長なことは言っている余裕はない。

 

(……お覚悟を、シンザン先輩)

 

 有利な状況、それに突破口は見出だした。後はそれを活かせるか否か己の力量に掛かっている。

 

 そこで一度思考を断ち切るとマックイーンは前へと視線を飛ばす。

 

「────」

 

 シンザンと目が合う。

 

 彼女のマックイーンを見つめる瞳は吸い込まれるような深い輝きを湛えており──初めて出会った時の全てを見透かすような、あの瞳の色をしていた。

 

「待ったなし!」

「っ」

 

 瞳に吸い込まれそうになったマックイーンだったが、ゴールドシップの掛け声にはっとして深く息を吐いて身の強張りを追い出す。

 

 首筋を伝う冷や汗はただの暑さから流れたものだと彼女は自分に言い聞かせた。

 

 息を整えたマックイーンはキッと睨むようにシンザンを見据え、腰を落して両拳を仕切り線へと置く。

 

 一方の茶褐色髪のウマ娘は腰を落すだけで手はまだ着けない。

 

「「「…………」」」

 

 トレーナー以下チーム『スピカ』は、これまでとどこか異なる試合の気配を察し、無意識に息を潜めてその時を待つ。

 

 そして、数秒の間を取った後──

 

 

 

「────はっきよい!」

 

 

 

 バチンッ! と真正面からぶつかり合った。

 

「わ!」

「すごい──っ!」

 

 響き渡った衝突音に目を見張る『スピカ』メンバー。

 

 胸を合わせがっぷり四つに組むマックイーンとシンザン。互いに左の上手を取った状態で土俵の外へと押し出そうと揺さぶっていく。

 

「くっ!」

 

 しっかりと砂浜に踏ん張りを効かせ、前へ前へと圧を掛けていくマックイーン。しかしそうはさせじどシンザンも踏み込んでくる。

 

 これまで何十戦とこなし疲労も蓄積しているにもかかわらず、それを感じさせない力強さと安定感。

 

 前に寄ろうが左右に揺さぶりをかけようがシンザンは巌のごとく受け止める。

 

(やはり正攻法では……っ)

 

 文字通り岩と相撲を組んでいる錯覚に陥りそうになるマックイーンだがそんなことは今までの取組みで分かり切っている。だからこそ、穴を突いた秘策でもってシンザンを打ち負かす他はない。

 

 後はどうその形に持っていくか……じわじわとすり減っていく体力の音を聞きながらマックイーンは千載一遇の機会を窺う。

 

「マックイーン頑張れ!」

「落ち着いて!」

 

 鼓膜を揺するチームメイトの声援に応えるためにも、彼女は目の前の試合に全神経を集中させる。

 

「ふっ──」

 

 押して駄目なら引いてみろ。

 

 マックイーンは腰を引きながら左上手で引き落としにかかる。

 

「おっと」

「っ!?」

 

 が、それに合わせるように難なく右足を踏み込むシンザン。対処されたどころか上手が外されてしまい逆に付け入る隙となり彼女は前進してくる。

 

 その圧に押されて後退しかけるマックイーンだったが──

 

「はっ!」

 

 右足を軸に回転するように左半身を大きく引き、その衝動に耐えると共にシンザンの攻勢を削ぐ。

 

 マックイーンとシンザンの立ち位置が入れ替わり、四つに組んだ状態が解消された。

 

 シンザンの右腕をマックイーンの左腕が、マックイーンの左腕をシンザンの右腕を捉えた姿勢へと変化し、二人の取組みは土俵際へとやや動いた状態で膠着する。

 

(落ち着きなさい、メジロマックイーン……)

 

 シンザンの左斜め前に位置し、低い体勢で彼女の左肩口に額を押し当てるマックイーンも己に言い聞かせる。

 

 ひやっとした瞬間もあったが望んでいたポジションに納まっている。

 

 勝利の鍵となる右腕も下手を引いたままで──先程の攻防の結果もあって無理せず左足へと伸ばせる間合いを取れている。

 

「ふー…………」

 

 大きく息を吐くシンザン。やはり疲弊が濃いのか、触れた額から彼女の熱と早くなった脈拍が伝わってくる。

 

(焦っては駄目──気取られないよう、慎重に)

 

 荒くなり始めた呼吸を意識しつつ、マックイーンは額から伝わる圧と取り合った腕に注意を払い、右腕をそっと下げ、シンザンの左脚へ伸ばし探るようにもぞつかせた。

 

 ピクリ、とシンザンの左脚が震える。

 

 微かなその反応にマックイーンはやはり、と胸中で呟いてそのまま左太股の裏へと腕を回す。

 

「っ」

 

 瞬間、触れるか触れないかのタイミングでシンザンが左半身を引いたので前のめりかけたマックイーンだったが、必死に食らい付いてそれを許さない。

 

 大先輩の示した反応を前に、予想が確信に変わり勝利への道筋がよりはっきりと見えたことにマックイーンは自信付く。

 

(ですが……これ以上時間をかけては(わたくし)の体力が持ちませんわ)

 

 さっきよりも荒くなった呼吸とうるさい鼓動に長期戦は望ましくないと判断する。次の一手で勝負を決しなければおそらく負けるだろう。

 

 だがシンザンも疲れが目に見えている。弱点を突破口にすれば星を上げられるあろう。加えて左足に気を配っているからか取り合っている右腕の動きが鈍いこともあり、状況はこちら側有利に傾いていると言える。

 

「「…………」」

 

 互いに相手の出方を探るため、一時攻防が止まる。だがマックイーンは次の一手で勝利を我が物にするため、腹を括っていた。

 

「はー…………」

 

 最後の攻勢に備え、大きな一息を入れる。

 

「────ん」

 

 その気配を察してか、自ずとシンザンの体にも力がこもる。

 

 今この瞬間、聞こえてくるのは二人の息遣いだけとなる。

 

(────今ッ!!)

 

 今一度、今度は左足を抱えようと右腕を左足へと伸ばし──

 

「う!?」

 

 触れさせまいと左足を引いたシンザンが、驚愕の呻きを上げて()()()()()()()()

 

(決まったッ!)

 

 策が見事に嵌まり口角を吊り上げるマックイーン。

 

 左足への攻撃はブラフ。

 

 本命は別。左足を触れられることを嫌ったシンザンが引くタイミングに合わせ、注意が疎かになった()()へ向けて内刈りを放ったのだ。

 

 右足を払われ、支えを失って右側へと崩れていき──

 

「ッ!」

 

 ダンッ! と大量の砂を巻き上げながら左足で横っ飛び。無理矢理体勢を維持しようとするが。

 

「まだです────ッ!」

 

 好機と見てマックイーンはシンザンの右側面から腰をがっちりと捉える。

 

「ぬぅ……!?」

 

 側面を取られ、上手く踏ん張りを効かせられず土俵際まで押し込まれ流石のシンザンも焦りを露にする。

 

 このまま押し出されては叶わぬと、上体を捻りマックイーンの左腕を抑えにかかるものの。

 

「はあぁぁぁぁ────ッ!!」

 

 シンザンの必死の抵抗にも怯まずマックイーンは猪突猛進する。

 

「くぅ……っ!?」

 

 土俵際。漏れる息に苦しさを滲ませながらなおも残るシンザン。

 

「「「いっけー!!」」」

「────前、進っ、あるのみ、ですわッ!!」

 

 チームの応援を背に浴びて、裂帛の気合いと共に大きく踏み込んで最後の一押しを見舞った。

 

「────っ!?」

 

 シンザンの目が大きく見開かれる。

 

「「「おおっ!?」」」

 

 『スピカ』メンバーが驚嘆の声を上げる。

 

(────勝った!)

 

 もつれるように倒れながら、会心の取組みで掴み取った勝利にマックイーンは顔を笑みに歪めた。

 

 

 

 

 

 ──ぐるんっ。

 

 

 

 

 

「え?」

 

 そして、次の瞬間に彼女は赤焼けた空を見上げていた。

 

 

 

 

 

「「「…………」」」

 

 砂が舞う中で、マックイーンが大金星をあげた、と諸手をあげて歓喜しようとしていた『スピカ』のメンバーはまさかの結末に言葉を失っていた。

 

 息をもつかせぬ攻防。マックイーンの秘策によって難攻不落と思われたシンザンに土が着く。誰もがそう思っていたのに……。

 

「マ……マックイーンさんが」

「空中で一回転した……」

 

 顔を引き攣らせながら声を絞り出すスペシャルウィークとダイワスカーレット。

 

 スズカも両手を口に当てて驚きを隠していないし、テイオーとウオッカに至っては何が起きたのか理解が追い付かず目を白黒させている。

 

 彼女たちが戦慄する傍ら、土俵の上で行司を務めていたゴールドシップも(軍配)を翳すことを忘れて息を呑んでいた。

 

「すっげー……二丁投げなんて、初めて生で見たぜ」

 

 『二丁投げ』。決まり手の一つで、自分の足で相手の両足を払い投げる大技である。

 

 シンザンは土俵を割る間際、自分にのし掛かるような体勢でいたマックイーンの両足を刈り取ったのだが、あまりの鋭さに払い倒すどころか勢い余って空中で縦回転させてしまうという結果となってしまった。

 

「──っ! おい、大丈夫か!」

 

 最初に衝撃から立ち直ったトレーナーが血相を変えてマックイーンたちへと駆け寄っていく。

 

 砂を巻き上げるほどの、それも相当の高さから投げ落とされたのだ。砂浜とはいえ怪我をしているかもしれない。

 

「マックイーン! 怪我はないか!」

「え、ええ……」

 

 仰向けの姿勢で目をぱちくりさせるマックイーンの様子に良からぬ想像を働かせていたトレーナーはほっとすると共に、これ以上トレーニングを続けては負傷の可能性があると判断する。

 

 これまで怪我がないような相撲を取っていたシンザンがここへきて怪我に繋がる危険な技を放ったのだ。恐らく疲労からきた判断力の低下が災いし、咄嗟に繰り出してしまったのだろう。

 

「シンザン、悪いがトレーニングはこれで──」

「トレーナーさん。終いにしようか」

「──終了にする、ってなに?」

 

 切り上げるよう指示を出そうとしたところ、むくりと体を起こした彼女の言葉にトレーナーは呆気に取られた。

 

「安全に相撲を取る余裕がなくなっちゃった。せっかくの合宿なのに怪我させちゃお話にならないからね」

 

 あっさりと、だが真剣な表情で自らトレーニングの終わりを告げたシンザンは耳を垂らし、寝転んだままでいるマックイーンへ頭を下げる。

 

「マックイーンちゃんも、怖い思いさせちゃってごめんね」

「い、いえ。そんなことは……どころか、何が起きたのか(わたくし)さっぱりでして……」

「それより、念のため痛めたところがないか確認するからちょっと体を起こしてくれ」

 

 トレーナーはまだ混乱気味のマックイーンの体を起こし、腕や足を曲げ伸ばしして違和感がないかを確認しながら場を和ますように軽口を叩いた。

 

「しかし、一瞬マックイーンが勝ったと思ったんだが……結局パフェ無料券はお預けとはな」

「──っ!? そうでしたわ!」

「うお!?」

 

 その言葉に当初の目的を思い出したマックイーンは勢いよくトレーナーを払いのけ、シンザンへ食い掛かるように向き直った。

 

「シ、シンザン先輩っ、無料券は──スイーツはどうなりますの!?」

「うん、そのこともなんだけど……結局わたしに勝てた子はいなかったから、懸賞はなしだね」

「なっ……!?」

 

 至極当然の答えではあるのだが、事実を突き付けられ言葉を失うマックイーン。

 

「残念ではあるが、そういうことだ──お前ら! 今日のトレーニングはこれで終わりだ。撤収だ撤収」

「お、おう……くっそー、結局全敗かぁー」

「やっぱり経験の差なのかしら……ねえ、アンタ今日の夜時間時間空けといてちょうだい」

「ほらっ、いつまでもしょげてないで行くよマックイーンっ」

(わたくし)のスイーツが……よよよ」

「で、でもすごく惜しかったわよ? それに怪我がなくて良かったじゃない──スペちゃんも固まってないで帰りましょう?」

 

 スイーツ無料券はゲットできず、どころか一度も勝つことができなかったことに揃って肩を落とす担当たちの後ろ姿を見送った後、トレーナーは砂浜に座り込んだままのシンザンへ目を向けた。

 

「…………」

「どうした、お前まで落ち込んで」

「いやね、せっかく稽古時間を作ってもらったのに後味悪くしちゃったからさ……先輩失格だよ」

 

 隣に腰を落とし、覗き込みながら声をかけるとしょんぼりと言葉を返してくるシンザン。

 

「そんなことはない。新鮮なトレーニング内容だったし、負けず嫌いのアイツらには良い刺激になったよ」

「……そう言ってくれるとありがたいけど、負けそうになったからって意地張って怪我させちゃったら元も子もないじゃない」

「まあ、確かにそうだが……」

「でしょう? ……はぁ、勝ったのに、双葉山の思いを知ることになるなんてなぁ」

 

 ぼーっと水平線を眺め続けているシンザンへどう言葉をかけるべきかトレーナーが思案していたところ。

 

「『我、未だ木鶏(もっけい)たりえず』ってやつだな」

「木鶏──ってお前、そんなことまで知ってんのか」

 

 突然顔を覗かせたゴールドシップのいつもながらの博識さに感心を通り越して呆れてしまう。

 

「……ゴールドシップ。自分は本当に物知りだねぇ」

「当ったりめーよ。アタシを誰だと思ってんだ、ゴルシちゃんだせ?」

 

 かくいうシンザンもまじまじと見つめた後、ため息交じりにそう呟けば、彼女が落ち込んでいることなど知らんとばかりに、ゴールドシップは得意気に胸を張って親指で自分を指し示したのだった。

 

 

 

 

 

「あと、さっきの取組みなんだけどよー。あれ、同体だったぞ」

「へ?」

「同体……ってことは、取り直しじゃねーか」

「そーいうことだな」

「……自分、なんでそれを早く言わないのよ」

「へへへ、わりーわりー。マックイーンがあんまりにも派手にぶん投げられてたもんだったから、つい忘れちまってよ……」

「…………もう。穴があったら入りたい……っ」

 

 

 

 

 

「かっ飛ばせーっ、ユ・タ・カっ!」

 

 すぴすぴと心地良い眠りに落ちていたテイオーはその叫びで一気に覚醒した。

 

「な、なんだよぉ……ビックリしたなぁ」

 

 どうやら寝言のようだ。

 

 色々と突っ込みたい点はあったがチームメイトの眠りを妨げたくはないので触れないでおく。そもそも眠いし。

 

(うへぇ……まだ四時半じゃん……)

 

 スマートフォンの液晶の光に目を細めるテイオーは思わず呻いた。朝練のための本来の起床時間まで一時間もある。

 

 枕元に置いて眠りにつこうと布団を被り直し、寝返りを打ったところふと気が付いた。

 

「スズカ?」

 

 テイオーの右隣。スズカの寝床がもぬけの殻になっている首を傾げ、ああきっと走ってるんだろうな、と彼女は自己解決する。

 

(…………)

 

 天井を見上げながらスズカの走りに対する姿勢、冷めることのない情熱をテイオーはしみじみと再認識させられた。

 

「…………」

 

 暫し、暗闇の中で天井を見上げる。

 

「……ボクも走ってこよう」

 

 体が疼いてきたのでむくりと起き上がり、皆を起こさないようそっと布団から立ち上がった。

 

 民宿の浴衣から運動着に着替え、暗闇の中を横切って部屋を出ようとしたところ……。

 

「……シンザン?」

 

 扉側に一番近い場所。綺麗に整えられた主のいない布団に気が付いて、テイオーは呟いた。

 

 

 

 

 

「どうしたテイオーそんなにむくれて」

 

 テイオーが大きなニンジンハンバーグを突っついていた折り、トレーナーが声をかけてきた。

 

「……分かってるくせに」

「なんだ、相撲に勝てなかったことまだ引き摺ってんのか」

「一回も勝てなかったんだよ? 当たり前じゃん!」

 

 切り分けたハンバーグを刺したままフォークを立ててテイオーは口を曲げる。

 

「ボクはトウカイテイオーなんだよ? レースじゃなくても負けっぱなしは嫌だもん。パフェの無料券だってゲットできなかったし……」

 

 そう言って行司を務めあげたゴールドシップに酌を注ぎ──とはいってもニンジンジュースであるが──労をねぎらっているシンザンへ眼差しを向け、テイオーはつまらなそうに鼻を鳴らした。

 

「シンザンの得意な土俵で勝負したから勝てなかったけど……明日は絶対に勝ってやるんだから」

「相撲だけにか」

「は?」

「あ、いや、なんでもない……なあテイオー、そもそもどうしてシンザンは相撲なんかをトレーニングにしたと思う」

 

 そもそもシンザンのトレーニングは今日だけなんだけどな、とは言わず代わりに軽口を返したトレーナーだったが、テイオーの眼光に慌てて話題を切り替える。

 

「そんなの、シンザンが言ってたじゃん。足腰が鍛えられるって。あとは自分が得意だからじゃないの?」

「それはあるだろうな。けど、それだけじゃないぞ。最初に発揮良いって行司が合わせて立つだろ? あれ、何かに似てると思わないか?」

 

 その言葉にハンバーグを頬張ろうとしていた手を止め、テイオーは少し考えてみる。

 

 極限まで集中力を高め、緊張による束の間の静寂の中、低い姿勢から大きく踏み込み勢いよく前進する──

 

「……スタートダッシュ?」

「そうだ、相撲の立合いはスタートダッシュの踏み切りに似てるんだよ。まあ正確には陸上競技のクラウチングスタートの原理に似てるんだがな」

「あー」

「加えて相撲の勝敗は立合いで八割決まるそうだ。これは見方によってはレースのスタートダッシュ、序盤の位置取りにも比較的通じてると考えられるだろう?」

「あぁー……」

「それに、だ。テイオーお前、『木鶏(もっけい)』って聞いたことあるか?」

「モッケー?」

 

 少しだけ納得し始めたテイオーは聞き馴染みのない言葉に対して疑問符を浮かべた。

 

「木鶏──つまり木彫りの鶏なんだが、中国の故事に由来する言葉でざっくり言うと何事にも動じない状態って意味だな」

「へー」

「本当にざっくりな説明だからな? とにかくだ、十秒にも満たない時間で勝負が決することの多い相撲という競技から瞬発的な判断力、対応力や思考力、そして──」

 

 チラリと茶褐色髪のウマ娘を一瞥して。

 

「なりよりもその瞬間的な競技時間の中であっても、木鶏のごとき冷静さを失わない精神性を学び、それに気付いて自分の走りに活かして欲しかった、ってのがシンザンが相撲をトレーニングに取り入りた理由だと俺は考えてる」

「…………」

 

 真面目な面持ちでそう締めくくったトレーナーだったが直後におどけるように肩を竦めた。

 

「ま、時間があるときに確認は取るが、こればっかりは聞いてみないことには本当のところは分からないけどな。さ、せっかくの旨い飯が冷めちまう前に食べるとしようぜ──」

 

 そう言って食事を再開したトレーナーへ耳を貸さず、黙りこくったままテイオーは探るような目線を他のチームメイトへ酌を注ぐシンザンへ送り続けた。

 

 

 

 

 

「……シンザン、そこまで考えてないと思うんだけどな」

 

 昨夜の夕食での一幕が脳裏に過り、テイオーはあくびを噛み殺しながら真っ暗な廊下を進んでいた。

 

 まあ確かに最初こそご褒美に釣られて特に難しいことを考えず相撲に取り組んだのだが、二度三度と土を着けられている内にどうすればあのにっくきシンザンに勝つことができるかと自然と思考を巡らせていた自分がいたことについては否定はしないが。

 

「そ、それは、勝負に勝つために必要なことだし、当然のことじゃん……」

 

 民宿の真ん前を通る道路を横切り、浜辺へと足を運びながらトレーナーの言葉を誤魔化すように独りごちるテイオー。

 

「……シンザンも、色々考えてるのかなぁ?」

 

 足を止め、星の見えない夜空を見上げながら再び呟くが、答えはシンザンのみが知るところだろう。

 

「どうもそういうイメージが湧かないんだよね……」

 

 合宿期間中、シンザンは『スピカ』メンバーとは部屋で寝泊まりしていたのだが。

 

『せっかくですから皆一緒に寝ましょう!』

 

 というスペシャルウィークの誘いを快諾し、『スピカ』の部屋に移ってくるなり「昔、実家に遊びにきたミホたちと三人で川の字になって寝たのを思い出すなぁ」とのんびりと部屋から持参した布団を敷いていたシンザンの姿。

 

 普段の言動もそうなのだが、寝食を共にしたことでおばあちゃんみたいだという印象が強まり、トレーナーの言う思慮深さがテイオーの中ではどうもイコールで繋がらないのだった。

 

 サクサクと足元で鳴る砂音と寄せては返すさざ波に耳を傾けつつ、テイオーは人の気配を探ろうとした、その時だった。

 

 

 

 ────パーンッ。

 

 

 

「うひゃっ!?」

 

 夜の静寂(しじま)を裂いて響いてきた何かが弾けるような音にテイオーは肩を跳ね上げて耳を抑えた。

 

「な、なに今の音……?」

 

 

 

 ────パーンッ。

 

 

 

 恐る恐る耳から手を離すが、再び聞こえてきた弾音にテイオーは首を竦ませる。

 

「銃声、なわけないよね?」

「……テイオー?」

 

 金属同士を叩きつけ合うようなその音で足を止めていたテイオーだったが、不意に名を呼ばれた方へと顔を向けた。

 

「スズカ」

 

 意外そうな顔で覗き込む栗毛のチームメイトの姿があった。

 

「テイオーもランニングをしに?」

「う、うん。けどそんなことよりもさ、あの音聞いた? あれ、何の音──」

「先輩よ」

「え?」

 

 そわそわと辺りを見渡すテイオーの言葉を、スズカが意図しない答えで遮った。

 

 

 

 ────パーンッ。

 

 

 

「あれはシンザン先輩が走ってる音なの」

「……ははは。嘘だぁ、普通は走っててもあんな音は鳴るわけないじゃん」

 

 三度(みたび)鳴った弾音の後、スズカの話に耳を傾けていたテイオーは乾いた笑いをあげた。

 

「…………」

「……本当なの?」

「本当よ。ほら──」

 

 至って真面目な面持ちのスズカが指し示した方向へ半信半疑で顔を向ける。

 

 

 

 ────パーンッ。

 

 

 

 降り注ぐ月明かりが頼りの暗闇の砂浜で、例の弾音と共にパッと赤い火花が散った。

 

「先輩、特注の蹄鉄を着けて走ってるでしょう? 走ってる合間にジャンプをして、蹄鉄同士をぶつけて音を出して遊んでるみたい」

「ひょえ……」

 

 淡々とした説明に若干引いてしまうテイオー。

 

 シンザンの身に付ける蹄鉄は相当の重さがあるということは聞いてはいたが……衝撃で火花が散るほどの重量があるとは思いもしなかったし、文字通り体の一部としている彼女の肉体的強さには言葉を失ってしまう。

 

「け、けどスズカ? ボク、てっきり二人でランニングしてると思ってたんだけど……」

「え?」

「まさかボクたちに内緒でシンザンと約束したわけじゃ──」

「そ、そんなことはしないわ、ちゃんと皆も誘うに決まってるじゃない……私もたまたま目が覚めてどうせだから走ろうと思ったんだけれど、その時にはもう先輩は起きてたみたいで」

 

 改めてシンザンに畏怖の念を抱いたテイオーの邪推を慌てて否定したスズカは一つ咳払いをして事情を話す。

 

「私の目が覚めたのは四時頃、だったかしら? それで、着替えてから砂浜まできて、どうせなら先輩と一緒に走ろうと思って声をかけようとしたんだけれど……」

 

 言葉に詰まったスズカ。

 

「……スズカ?」

 

 その様子を怪訝に思ったテイオーは首を傾げる。走ることを誰よりも愛する彼女が遠慮した理由とは?

 

「──ちゃって」

「?」

 

 

 

「シンザン先輩の走る姿が素敵だったから、つい見惚れちゃって……」

 

 

 

 照れ隠しのように人差し指で頬を搔きながら顔を背けたスズカの意外な言葉に、テイオーは呆気に取られてしまった。

 

「……それ、ホントなの?」

 

 テイオーはにわかに信じられなかった。トレーニングでのシンザンは黙々と端々に、ただただ真面目に走りをこなす印象があったからだ。

 

 それも、それを言うのがあのスズカなのだ。なおさら自分の中のイメージとの乖離で困惑してしまう。

 

「ええ。とっても楽しそうに走ってて……先輩の景色の邪魔をしちゃいけないと思ったの。テイオーもきっと理解できるわ」

 

 スズカに促され、テイオーは半信半疑で目を細める。

 

 そして波打ち際を疾走する一つの影を捉えた。

 

 シンザンだ。

 

 そして、月明かりで照らされたシンザンの横顔が露になった時、テイオーはあっと息を呑んだ。

 

 笑っている。笑顔なのだ。

 

 普段の凪のように落ち着いた面持ちが嘘であるように、喜びに満ち溢れる表情をしている。黒い瞳も月光が反射してキラキラと輝いている。

 

 当の本人はこちらの存在に気付いていないのか、波打ち際を延々と往復し続けている。それも決められた距離で切り換える、なんてことはせず滅茶苦茶な距離で往復しているのだ。

 

 速度も一定を保つことなく、ジョギングのようなペースでノロノロと走っていたかと思えば、急に襲歩*1へと──それもテイオーですら目を見張るような速度だ──移行して最大距離を走り抜けたりする。

 

 そしてスズカが言っていたように走る最中に跳躍し、火花を散らして両脚を振り子のようにぶつけてはあの金属音を響かせたりもしていた。

 

 伸び伸びと奔放に、どこまでも気ままで解放的に浜辺を駆けるシンザン。

 

 その姿はまるで青々とした、どこまでも続く草原を駆けているのかと錯覚してしまうほどだった。

 

 そしてテイオーは理解した。あの走りが、ペースも何もない勝手気ままな走りこそが、シンザンの本当の走りなのだと。

 

 自分も走ろうとしていたことも忘れ、テイオーは境界が溶け合った夜空と水平線を背景に走る一人のウマ娘の走りとその笑顔に目を奪われていた。

 

 たった一人、誰にも邪魔されることなく、水平線がうっすらと白み始めるまで走り続けるシンザンの姿は、誰よりも自由に見えた。

*1
ウマ娘(本来は競走馬)が出せる最高速度を示す言葉。ギャロップとも呼ばれる。




捕捉

北葉山

 シンザンと同時期に活躍した大相撲の大関。粘りのある相撲を取ることで知られ、かの大横綱大鵬相手にも十一勝二十四敗と同時期に活躍した力士の中で二番目の金星をあげていた。
 シンザンの主戦騎手がシンザンを語る際『北葉山みたいな』というたとえを用いていたという逸話が残っている。



双葉山

 戦前から戦中にかけ神がかり的強さで角界に君臨し『相撲の神様』と謳われた不世出の大横綱。現役時代に達成した六十九連勝という不滅の記録は今も破られていない。
 現役引退後は時津風を襲名、相撲協会理事長を務め角界の発展に尽力。
 前述した北葉山は時津風親方(つまり双葉山)の弟子にあたる。



木鶏

 荘子に納められている故事から由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏における最強の状態を指す。
 スポーツ選手の間でも用いられることがあり、前述の大横綱双葉山が七十連勝を阻まれた際知人に『我、未だ木鶏たりえず』と電報を発したことが伝えられている。
 (Wikipedia引用)



大鵬

 シンザンと同時期に活躍した昭和の大横綱。昭和期の子供が好きなものを意味する『巨人・大鵬・卵焼き』という流行語にもその名が残るほどの人気を誇り、その甘いマスクから女性にも大変モテたという。
 シンザンのデビューした昭和三十八年の名古屋場所では前述した北葉山に敗れ、幕内初優勝を許している。

正直な話、史実のシンザンのことどのくらい知ってる?

  • 五冠馬ってことくらいしか…
  • 調教師がご先祖に騎乗していたのは知ってる
  • 美食家っていうのは耳にしたことがある
  • 実は寂しがり屋なんでしょう?
  • 全く知らない
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