神が讃えしその駿駆   作:松武栗尾

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シンザンのヒミツ①

実は、昔幼馴染に誤って蹴られたことが軽いトラウマになっている


第十九話 始まりのお話

「ふーい、走った走ったぁー」

 

 水平線から顔を覗かせる日の光を浴びて、シンザンは晴れ晴れとした顔で流れる汗を拭うと共に、体にじんわりと行き渡った疲労感に満足した。

 

 誰よりも早く起床し、誰もいない世界をたった一人、競争だとか稽古だとか何だとかを忘れて自由気ままに駆けることほど気持ちの良いものはない。

 

「砂浜の上を走るから楽しさはなおさらだべさぁ」

 

 現役時代、夏合宿は親分の方針で毎年京都──ただでさえ盆地という地形のせいで暑いというのに一ヶ月という長期間での泊まり込みだった──で行うことが決まっていたのである。

 

 海を臨んでの合宿に憧れていた身としては、細やかな願いを叶えてくれた『スピカ』のトレーナーとその担当の少女たちには感謝しかなかった。

 

「んふふ……砂浜、万歳っ」

 

 ぴょんと跳ねて浜辺にダイブ。そのまま寝転がって、暖まってきた潮風の香りを鼻腔一杯に堪能する。

 

「皆が起きる時間までちょっきり三十分、少し休憩してから戻るべや──」

 

 気分良く空を見上げて呟き、シンザンはごろんと寝返りを打って。

 

 

 

「「…………」」

 

 

 

 バッチリと、いるはずのない二人の後輩と目があった。

 

「…………」

「お、おはようございます」

「…………」

 

 気まずそうに挨拶してくるサイレンススズカと、何やってんだこの人という感情がありありと顔に出ているトウカイテイオーが見下ろしていた。

 

「……おはようさん、二人とも。今日は早起きだね」

「シンザンも子供みたいにはしゃぐんだ」

 

 テイオーの冷めた声に背を向けてのっそりと立ち上がり、砂を払う。完全に油断していた。昨日のこの頃、砂浜を走っていたときは誰もいなかったから誰も起きてこないだろうとたかを括っていたのだが……。

 

 だがこういうときこそ自然体であれ。そうすれば案外誤魔化せるものだ。レースと同じで何事も焦りは禁物──トレーナーのかつての教えは今も活かされている。

 

「まぁ、わたしも人の子だからねぇ」

「ふーん」

「随分早いんですね。合宿の時はいつもこの時間に?」

「いやぁ、いつもと同じだよ。夏は三時頃、冬は四時頃に起きて毎朝走ってるんだ」

 

 赤くなった顔を見えないように答えたシンザンだったが、今朝に限っては昨日の醜態で溜まったいた鬱憤も晴らすという目的もあったので、いつも以上に出鱈目な走りなってしまっていたのだが……それは黙っておくとしよう。

 

「いや、いくらなんでも早すぎだって。それもう深夜じゃん」

「こればっかりは昔っからの習慣だからねぇ」

「昔からずっと……けど、走ることが大好きだってことはすごく伝わりました」

「本当だよ。いつもは真面目に走ってるくせに、さっきはすっごく楽しそうに走るんだもん。シンザンもあんな風に笑うんだ、ってボクびっくりしたんだよ?」

 

 「普段からあんな風に走ってくれれば良いのにさー」とテイオーが分かりやすくふくれるので、ついつい苦笑してしまう。

 

 こうして分かりやすく自分の気持ちを表してくれる彼女のことをシンザンはとても好意的に感じていたのだ。

 

「いやぁ、練習と好きに走るのはまた違うじゃない」

「ふふ、それはそうですね。けど、あんな走りをする先輩がどうしてトレセン学園に入学を──あっ」

 

 信じられない言葉が鼓膜を叩き、シンザンは目を瞬かせて栗毛の後輩を見つめてしまった。

 

「スズカちゃん?」

 

 しまった、という風に口を抑え目を逸らすスズカ。

 

「どういう意味? それ」

「ごめんなさい、その、先輩の走りが変だとか言うわけじゃないんです。ただ、映像の中の走る姿と、さっきまでの走る姿があまりにもかけ離れてて……」

 

 テイオーにも首を傾げられ、口を滑らせてしまったことを申し訳なさそうに弁明するスズカへ耳を傾ける。

 

「なんと言うか、その──先輩の見たい景色は、レースにはないのかも、って気がしたものだから……」

 

 「す、すみません、変なこと言ってしまって」と俯いて謝罪するスズカをシンザンはじっと見据え──

 

「……いやー、その質問されるのは久しぶりだぁね」

「え?」

 

 思わず笑みを溢してしまった。

 

「あの、気を悪くしたりは……?」

なんもなんも(いや全く)

 

 失礼を働いたと思っているスズカの杞憂を、訛りが出ているのも気付かぬまま手を振って否定する。

 

 その疑問はシンザンとしては別に気に障るものでもなければ、不快に思うものでもない。なぜなら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ねえシンザン、それってスズカが正しいってこと? 本当はトレセン学園にくるつもりはなかったって意味なの?」

「んー、そうだねぇ……」

 

 懐かしさに目を細めていると、興味が湧いたのかテイオーも身を乗り出して質問してくる。目を伏せ、顎に手を添えて思案する。

 

「……聞きたい?」

「良いんですか?」

「早起きした二人に免じてね。早起きは三文の徳とも言うじゃない……ただ、ちょおっと時間をもらってもいいかしら」

 

 意外そうに目を開いたスズカへ頷くと、波打ち際によっこらせと腰を落とし、両膝を抱え込んだ。

 

「どうせなら、色々思い出したいしね」

 

 顔を見合わせたテイオーとスズカ。すぐに頷きを返して倣うようにその場に座った二人からシンザンは目線を切って海へと向けた。

 

 見つめる先はキラキラと煌めく海面ではなく、遥か遠く、己が生まれ育った北の大地のどこまで続く平原──そして己が競走の世界へと踏み入れる切っ掛けとなった、過去の情景へと向けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、あんたやトミオカさんが言うような素質が本当にその子にあるのかなあ」

 

 窓の外に広がる故郷の大地を眺めていた男は一度視線を切り、隣の運転手へと声をかけた。

 

「まあまあそう言わず。町からそう離れてないんですから……しかし、よっぽど帰り便の時間が気になってるようですね」

「如何せん仕事が立て込んでるもんでね。特にここ最近は追われてばっかしだから」

 

 男は腕時計に視線を落とし、帰りの飛行機の便の時間を頭に思い浮かべながら運転手──彼はサイトウといって、ここ北海道浦河の有力者であり、中央や地方のトレセン学園への入学を目指す地元のウマ娘を相手に競走私塾も経営していた──の返しに頷いてみせる。

 

 多忙であることもそうなのだが、彼は自身が担当するチームのウマ娘たちが気になって仕方がないのだ。

 

 自分が留守の間は信頼のおけるサブトレーナー(娘婿)に任せているとはいえ、チーム全体のマネジメントという点ではあの男もまだまだ勉強の途にあると言ってもよかったのだ。

 

「その子に素質があるなら、あんたんとこの塾に入ってても良さそうなもんだけれどね」

「ははは、本人が競バという世界にあまり関心がないもんですから……しかしあなたも変わりませんな。中央競バ──今はトゥインクル・シリーズなんて小洒落た呼び方に変わりましたけれども──もかなり世間に認知されてきて進学希望者が増えているのに、今もこうして足を運んでは勧誘活動を続けているんですから」

「そりゃあ指導者足るもの足を使わんと。椅子にふんぞり返って生徒たちに指示を出すだけじゃあトレーナーとは言えんですから」

 

 トレセン学園にはトレーナーが勧誘・推薦したウマ娘には試験を一部免除しての入学が許される、いわゆるスカウト制度が存在する。

 

 スカウトされた側は選抜レースを通すことなくチームに所属することを許され、スカウトした側も優先的にウマ娘との担当契約を結べるという、双方に利点のある制度であった。

 

 しかし昨今はこのスカウト制度を利用するトレーナーは極少数に留まっている。

 

 一部のトレーナーが自らのスカウトしたウマ娘の実力不足を理由にして担当する約束を反故にするなど利点よりも弊害が表面化してきたため、スカウト制度を縮小・一部のトレーナーのみに認可するようになったのだ。

 

 そして何よりも、昨今の入学希望者の増加により才能あるウマ娘たちが自然とトレセン学園に集うようになったため、スカウト制度を利用する機会や必要性が減ったという側面が大きいことは確かであった。

 

 それでも彼は呑気に据え膳をいただくのではなく、耳をそば立て、現地へ足を運び、彼自身の目で才能あるウマ娘を発掘したい、という強い信念がある。

 

 だからこうして昔からの知己であるサイトウの仲介の元、今も来年度・再来年度の進学者や転入生求めて勧誘活動を続けているのだ。

 

「それでも、長年この業界に身を置いている身としては嬉しい悲鳴だね。人攫いと勘違いされて親御さんに叩き出されてた時代が懐かしいよ」

「はははは、おっしゃる通りです。ですがそれもあなたやオガタさんのような方が身を粉にして中央競バの発展に尽くしてきたからだと、私は信じてますよ」

「よしてくださいや、あの人に比べれば僕もまだまたヒヨッコもいいところなんだから」

「何を言います。ここ最近のトレセン学園の入学希望者の急増も、あなたのところのコダマの活躍があったからじゃあないですか」

 

 

 

 『コダマ』。

 

 

 

 二年前、かの『幻のウマ娘』以来の無敗での皐月賞、日本ダービーのクラシック二冠を成し遂げた彼のチームに所属するウマ娘である。

 

 奇しくも時を同じくして運航が開始されたビジネス特急と同じ名をしており、その名に恥じぬ快速ぶりから彼女は『夢の超特急』の異名を取り、人々の夢を背にターフをかけたのも今は昔のことだ。

 

「そう言ってくれるのは嬉しいな。けど、コダマの後に続くような子を中々育てられなくてね……今年のダービーはウチからは一人も送れていないし」

「流石は名伯楽。彼女のような才能を持ったウマ娘を探しているわけですな」

 

 うんそうだね、と彼はサイトウに返事をしながら据わりが悪いように身動いだ。

 

 彼が探しているのはコダマのようなウマ娘ではなく、二冠ウマ娘(コダマ)を超えるような才能を持つウマ娘なのだから。

 

「そういえば、これから訪ねる子の母親もトレセン学園の生徒だったらしいですがね」

「ほう?」

「本人があまり話したがらないんで詳細はあれですが、オープンに出走できるくらいの実力はあったみたいですねえ……ほら、あそこですよ」

 

 話題がこれから訪れる少女の親の話に変わったことをほっとしつつ、サイトウの情報に彼は関心を寄せた。まだ世間様からの注目度があまり高くなかった時期に現役を走っていたウマ娘が母親とは。彼の中の興味が少し強くなった。

 

 町の中心部から海沿いの国道を行き、途中の側道に入って牧歌的な景色の中を走り続けて二十分程度だったろうか。

 

 サイトウの指した方向へ目を向ければ、見渡す限りの平野のただ中にポツンと建つ小さな一軒家が視界に飛び込んできた。

 

「奥さんこんにちは」

 

 トヨペットのトラックを家の前に停め、運転席から降りたサイトウが庭先で洗濯をしていた女性へと声をかける。

 

 サイトウに続いて降車し、洗濯棹に洗い終えた衣服をかける作業を止めてこちらを振り向いた女性──頭にチョコンと立った耳に栗毛の髪と尻尾という、ウマ娘の特徴を備えた女性へと目を向けた。

 

 ウマ娘というのは容姿端麗であるのが常であるが、彼は見た目よりも優しげな雰囲気に印象を抱いた。

 

「あ、サイトウさん」

「今日は絶好の洗濯日和だね」

「はい。つい昨日まで天気がぐずついていましたから、お陰さまで溜め込んでた洗い物もやっと──あら」

 

 眦の下がった目を細めてサイトウに微笑んだ母親はこちらの存在に気付くと同時に首を傾げた。

 

「そちらの方は?」

「ああそうなんだ。奥さん、ちょっと紹介したい人がいるんだけど」

「紹介したい人?」

「突然押し掛けて申し訳ない。実は僕、こういうものでして」

 

 サイトウに紹介され、名刺を取り出して彼女へと手渡す。ついで現役の頃の彼女と自分は会っていたのだろうかと記憶を辿ったが……それらしき顔は浮かんでこなかった。

 

「日本ウマ娘……っ」

 

 怪訝な面持ちだった母親は受け取った名刺に目を落とし、そこに記された文字の意味を読み取った瞬間にハッとする。

 

「わ、わざわざ東京からご苦労様です……」

 

 目的を察したのか、穏やかな雰囲気を引っ込めて萎縮したように頭を下げる彼女。その変わり身に思うことがないわけではなかったが、彼は見ない振りをする。

 

「──ところで、娘さんはいつもの場所に?」

「え、ええ。主人と一緒にすぐそこの空き地で追いかけっこを……」

「もし良ければ、そこまで案内していただいてもよろしいですかな?」

 

 互いに自己紹介を済ませ、軽い雑談に興じた後に隣のサイトウが本筋に入った。

 

 彼も頭を下げ、穏やかな声音で頼むと彼女はエプロンの端をそっと握り絞め、おどおどしながらもこちらです、と先導してくれた。

 

「……選手時代はあまり良い思い出がなかったのかもな」

 

 あまり乗り気とは言えない様子の母親の後に付き従いながら彼はサイトウへ耳打ちする。

 

 勧誘には本人の意志が一番重要ではあるが、当然両親の同意なくしては勧誘活動は成立しないのだから。

 

「サイトウさんよ、親御さんがあの様子じゃあんまり脈はなさそうだ」

「まあまあ、旦那さんの方は良い反応してくれるはずですから」

「だと良いが……あとは本人次第ってところかね」

 

 過ぎた期待は持たない方がよさそうだ、と胸の内でぼやきつつ言葉を交わしていればあっという間に彼女の娘が遊んでいるという、空き地という名の草原に到着した。

 

「ん……?」

 

 しかし……誰の姿も見当たらない、と怪訝に思ったのだが、よくよく見れば少女が草原に座り込んでいるではないか。それに、側には父親と思わしき男性が息も絶え絶えに仰向けで寝転がっている。

 

 ほう、と彼は小さく唸る。

 

 こちらの気配に気が付いたのか小柄な影がふと振り返り、母親の姿を認めた途端にお母ちゃん、と一目散に駆け寄ってきた。

 

「…………」

 

 その少女──今回の勧誘相手であるウマ娘を彼は眼鏡越しにじっと見つめる。

 

 これといって特長のない子だった。前髪にポツンと小さな白い菱形の星があるだけで、それ以外はなんの変哲のない、強いて言えば同じ年頃の子に比べて小柄なウマ娘の少女だった。

 

 だが、小柄な体格のわりには骨太で、無垢な表情は素直さの表れにも思えた。それに……。

 

「はじめましてお嬢ちゃん。君、足速いね」

 

 彼は両膝に手を付き、あどけない顔でこちらを見つめる少女と視線を合わせながら声をかける。

 

 

 

(ぼか)ぁ『タケダ』といって、東京にあるトレセン学園でウマ娘たちの指導にあたってる者なんだけれど」

 

 

 

 荒い息をつきながら慌てて寄ってきた父親を視界の端に捉えつつ、彼は目の前の幼いウマ娘が母の元へ駆け寄った姿にそれとない期待と……なぜか胸に込み上げた不思議な懐かしさを抱きながら、そのつぶらな黒い瞳を真っ直ぐに見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────お嬢ちゃん、レースの世界に興味はあるかい?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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