神が讃えしその駿駆   作:松武栗尾

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シンザンのヒミツ③

実は、ONよりMGの方がしっくりくる。


第二十二話 エキシビションレース

 SNSに投稿された写真を確認した直後、逸る気持ちを抑えてシンボリルドルフは足早にグラウンドへと向かっていた。

 

「すまない。失礼するよ」

 

 ごった返す生徒や職員、一般のファンを掻き分け先を急ぐ。

 

 その度にすれ違ったファンや生徒たちが面食らったような表情を浮かべるが、当のルドルフはそれに気付かぬままに。

 

 

 

 ────シンザン、三冠バ駄目だ!

 

 

 

 頭の中で悲痛な金切り声が木霊する。

 

「すまない、ちょっと──ああ、通してくれないか」

 

 自分はどうしてこうも浮き足立っているのか。そんなことは分かりきっていた。

 

 今でも鮮明に思い出せる。両親に連れられて初めて訪れた京都レース場。目の当たりにした歴史的瞬間。

 

 

 

 ────シンザンついに三冠バ達成できそうもない!

 

 

 

 誰もがもう駄目だと思っていた。実況者すら三冠成らずと心の叫びを放送に乗せてしまうほどに、勝利から程遠かったのだから。

 

 

 

 ────ああっシンザンまた来たっ、シンザン先頭に立った!

 

 

 

 だがそれは過ちだった。

 

 あの瞬間は……淀の最後の直線での攻防は今も瞼の裏に、頭に、心に焼き付いている。

 

 三〇〇〇メートルの長丁場を走っていたとは思えない凄まじい末脚。

 

 大逃げをものともせず、並ぶ間もなく先行集団を抜き去り、最高のコンディションでもってレースに臨んだライバルすらを抑えきっての完勝……。

 

「すまない、通してくれ」

 

 人間、心根から感動した時は本当に全身が震えることも知ったのもあの時だった。

 

 晩秋のターフに立ち三本の指を掲げた姿。

 

 幼心に刻まれた、己がこの道へ歩むことを明確に意識することになった一番最初の切っ掛け。

 

 人々の往来の激しい校舎区画をやっと抜けて、校舎とグラウンドを隔てるせり上がった通路の下を潜る。

 

 エキシビションレースが行われているとあってかなりの人集りだ。目を向ければグラウンド脇のスタンドも観客によって埋まっている。

 

(この先に……)

 

 彼女がいるはず──いや、()()

 

 ルドルフの直感がそう告げている。『できれば勝負服は芝の上でしか着たくない』と本人が時折ぼやいていたのを耳にしていたのだから。

 

「すまない、通してくれ」

 

 表情を固くし、視界を塞ぐ観客の合間を慎重に進んで最前列へと目指す。

 

 一歩一歩、遅々として進むことができないのにモノトーンだった記憶は急速に色を取り戻し、活き活きとし始める。

 

「すまない、通してくれな──っ」

 

 あまりの人の多さに押し返され、思わずルドルフは顔を強張らせた。

 

 この先に彼女がいるのに──!

 

「通してくれ……っ」

 

 脳内で『何故』という疑問が延々と浮かび続けている。何故走るのか。何故今なのか。何故()()()()()()()()──煩雑な思考が浮かんでは消えていく。

 

 だが心は違う。

 

 ──ただ、見たい。

 

 淀の直線。眼前を過ぎ去って決勝点を駆け抜けた、今も胸に刻まれて、心を捉えて離さない、大きな背を。

 

 今も自分のイメージの中を走り続ける、真っ赤な勝負服姿を。

 

「頼む……っ」

 

 あの人を。ターフに佇むあの人を。もう目にすることは叶わないと諦めていたあの姿を。

 

 いつか競いたいと心から焦がれ、ついぞ叶わなかったあの勝負服を纏った偉大な先人の駆ける姿を、今一度──

 

「お願いだ、通してくれ……っ!」

 

 突然、目の前が人垣が左右に割れた。

 

 悲痛な想いが通じたのか、はたまた偶然か。とにかく生じた隙間を見逃さず、身を捩じ込ませ一思いに駆け出してルドルフは最前列へ一気に飛び出す。

 

()()は……)

 

 柵から上半身を乗り出し、かつて見た彼女の姿を見定めようとして──

 

 

 

 ──ガシャコン。

 

 

 

 わっという歓声と同時に、眼前を轟音と共にウマ娘たちが駆け抜けていく。

 

 その先頭を赤い風が吹き抜けていき──

 

 

 

 

 

「あっ……」

 

 

 

 

 

 ルドルフの、皇帝としての面持ちが静かに崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

『エキシビションレースマイル部門一六〇〇決戦を制したタイキシャトル選手! そして、全出走者へ今一度大きな拍手を!』

 

 学園グラウンドにアナウンスが響く。

 

 「イピカイエー!」と勝鬨を上げる優勝者とその他マイル部門の出走者がエキシビションレースを一目見ようと集った多くのファンの声援と声援を浴びつつ、アナウンスに促されてコースから退場していく。

 

「タイキシャトル……マジで強かったな。マイル王の呼び名は伊達じゃないってワケか」

「ミホセンパぁーーイ!! 頑張れーーーー!!!!」

 

 その様を横目にナリタタイシンは隣で絶叫するウイニングチケットを白い目で見やった。

 

「いや、ミホさんまだバ場入りもしてないし。てかうっさいって」

「だって! ミホ先輩が走るんだよ!?全力で応援するに決まってるじゃん!」

「アタシも知ってるけどさ……」

「引退レースで全っ部を出し切って燃え尽きた先輩が! 体の負担からドリームトロフィー・リーグに移籍しなかった先輩が! 大好ぎなマイのだめに走゙る゙ん゙だ゙よ゙っ゙!? ……ゔあ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙あ゙あ゙っ゙っ゙!! ミ゙ボ先゙輩゙ぃ゙ぃ゙ぃ゙ぃ゙っ゙っ゙!!!!」

 

 マイル戦の熱と周囲の興奮にあてられたのかいつも以上に熱を発していて手が付けられない。

 

 とはいえ、チケットにとっては同じチームに所属し、いつもお世話になっている大好きな先輩がクラシック同期のために一時的とはいえターフに戻ってくるのだ。

 

 チケットが感極まるのも致し方なし、と耳を塞ぎながらタイシンは半ば諦め気味に肩を竦ませた。

 

「ミホせんぱい……」

 

 チケットのやかましさが耳に入っていないのか。気が気でない面持ちで次戦を待つ、逆隣のウマ娘へと目を向ける。

 

「ちょっとマイ。アンタがそんな顔してたらなおさらミホさんが心配するじゃん」

 

 首を傾げ、タイシンは自分よりも頭一つ以上背の高いウマ娘──マイシンザンへと微笑みかけた。

 

「アンタがやることはミホさんを心配することじゃなくて、応援することでしょ。違う?」

 

 補助用の杖を柵に立て掛け、両手も柵に添えて体を支えるマイシンザン。

 

 屈腱炎の症状自体は軽度なもので、退院こそ早々にできていたものの彼女を見舞った病魔がどういったものであるかを象徴するような仰々しいサポーターが左脚に巻かれていた。

 

「も、勿論ですわ。それにお言葉ですがわたくし、緊張など……そう、緊張などしておりませんわ」

「それは少々苦しいのではないかな、マイ君」

 

 それこそGⅠレースを走るような緊張感を走らせた面持ちでグラウンドへ目線を送っていたマイシンザンが強がりを見せるが、背後からそれを否定する怜悧な声がかけられる。

 

「ハヤヒデ」

「君、尻尾を脚の間に巻き込んでしまっているぞ」

 

 振り向けばボリューミーな芦毛のウマ娘、ライバルにして親友のビワハヤヒデが眼鏡越しの視線をマイシンザンの腰あたりへ向けていた。

 

「そ、それは……」

「ミホさんの体調を心配しているのだろうが、彼女が走れると判断を下したんだ。タイシンの言葉通り、我々はそれを信じてミホさんが気持ちよく走れるよう声援を送ることしかできないんだよ」

「うう……」

「とはいえ引退して久しいミホさんが君のためにとターフを駆けるのだから、そう割り切れるものでもないのは理解してはいるがね……時にチケット」

 

 胸中を見透かされて耳を垂らして俯いたマイシンザンからハヤヒデは一度視線を外し、チケットへと水を向ける。 

 

「ぐ゙ず゙っ゙……バ゙ヤ゙ビデ゙ぇ゙……!゙!゙」

「まだレースが始まってもいないのにそんなに涙を流していてはレースが始まったら脱水症状になってしまうぞ」

「だ、だっでぇ……!!」

「チ、チケットのことはほっといてさ! 急にいなくなったと思ったけどどこに行ってたわけ?」

「ん? ああ、そうだな。実は少々屋台を回っていたんだ」

 

 また泣き叫ばれては堪ったものではないと、タイシンが横から声を投げかけると彼女は眼鏡を煌めかせ、やけに得意そうに頷いた。

 

「屋台?」

「マイ君へ差し入れをと思ってね」

「わたくしに、ですか……?」

「ああ。それで、差し入れというのは──これだっ」

 

 短い鹿毛を揺らして顔を上げたマイシンザンの眼前へ、バッと両手に持っていたそれを突き出した。

 

「チョコバナナ……っ!」

「君も好きだっただろう? 実は屋台でチョコバナナを売っているのを見つけてね。君のために買ってきたんだ」

「よ、よろしいのですか?」

「無論だよ。それに、甘い物を摂取すれば気持ちも落ち着くだろうから」

 

 芦毛の先輩の両手に握られたチョコレートでコーティングされカラフルなトッピングがまぶされたバナナのお菓子にマイシンザンの目の色が変わる。

 

「お、お気遣い感謝いたしますっ。早速ちょうだいいたしますわっ」

「ああ。一本と言わず、好きなだけ食べるといい」

「えっ、よろしいのですか? ですが、せんぱいご自身の分のチョコバナナが……」

「ふっ、安心したまえ。私はすでに十分と言っていいほどに堪能させてもらっているよ」

「ビワハヤヒデせんぱい……!」

 

 豊かな胸を張るハヤヒデと尊敬の眼差しを向けるマイシンザン。

 

 間の抜けたやり取りになっていたがマイシンザンの緊張が解れたようだしまあいいか、とタイシンは苦笑するだけに留めておいた。

 

『──続きましてエキシビションレース中距離部門! 出走者が入場いたします!』

 

 『皆様大きな拍手を!』とグラウンドに響き渡ったアナウンスと共にレース出走者たちがバ場へと入場を始めた。

 

 放送と拍手、歓声に釣られてグラウンドへ目を向ければ、色とりどりの勝負服に身を包んだウマ娘たちの中に──

 

「あっ! マイ、ミホさんが手、振ってくれてる!」

「ふぉえ!?」

「ほらあそこ!」

 

 マイシンザンの肩を叩き、足を止めて手を振る緑色の勝負服のウマ娘を指し示した。

 

 しかし当の本人はチョコバナナに夢中だったようで、口元を手で覆い、慌てて飲み下そうとする始末だった。

 

「……アンタ、良いところのお嬢様なんだよね?」

「──っ、ケホッ! しょ、少々お目溢ししてください、ませっ」

 

 お嬢様らしからぬ振る舞いでむせるマイシンザンへタイシンは半目がちの視線を送るが、彼女は必死に息を整えるのに必死で気付かない。

 

 少女は先輩へ声援を送ろうと大きく息を吸ったが……。

 

「ミ、ミホせんぱいっ、頑張ってく──」

「ミ゙ボ先゙ば゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙い゙っ゙っ゙っ゙っ゙!゙!゙!゙!゙」

 

 爆発と錯覚するほどの大絶叫がそれを遮ってしまった。

 

「ち、ちょっと!? 声がデカ過ぎだって!」

「それではマイ君の声援がミホさんに届かない──」

「頑゙ 張゙ っ゙ で え゙ ぇ゙ ぇ゙ ぇ゙ ぇ゙ ぇ゙ ぇ゙ ぇ゙ ぇ゙ ぇ゙ ぇ゙ ぇ゙ っ゙ っ゙ っ゙ っ゙ !゙ !゙ !゙ !゙ !゙ !゙」

 

 ぐわんぐわんと耳元で爆ぜる大声援に両耳を抑えて顔をしかめるタイシン。

 

「ああもう! 本っ当にうるさいったらありゃしない……って」

 

 面食らう周囲の目線まで集めてしまい、羞恥で顔を赤くしながらチケットに一発かましてやろうかと行動に移そうとしたタイシンだったが。

 

「あれは……」

 

 不意に、遅れるようにしてバ場入りをした一人のウマ娘が視界に入った。

 

 ここからだと顔が見えないが立ち振舞いが目立つわけでもない。どころかこれからレースに臨むウマ娘には見えないほどにのんびりと歩んでいて緊張感が窺えない。

 

(あんな勝負服、着てる子いた──)

 

 だというのに不思議と目で追っている自分がいて、覚えがあるのに見たことがない勝負服に眉間に皺を作って記憶を辿っている最中。

 

 くるりと例のウマ娘が踵を返す。

 

「──っけ?」

 

 叫ぶチケットに敵うはずもないのに負けじと声を張ろうとしてむせ返るマイシンザン。その惨状に収拾をつけようと奮戦するハヤヒデという軽い混沌としたやかましさも忘れて、タイシンは耳を抑えたままの体勢で固まってしまった。

 

 

 

 

 

「いやー、皆さん華がありますねー」

 

 勝負服を纏った周囲のウマ娘に目線をくれて、ふわふわのツインテールを揺らしながら後頭部をさするナイスネイチャは他人事のように呟いた。

 

「名だたる子たちがゴロゴロと……まるでGⅠウマ娘のバーゲンセールですね、こりゃ」

 

 ははは、と笑ってはみるもののため息が溢れそうになる。

 

 これから自分が走るエキシビションレースの中距離部門はGⅠウマ娘は当たり前で、二冠ウマ娘まで出走するのだ。レベルの高さに思わず尻込みしてしまう。

 

「これといった結果も残せてない地味ーなアタシでこの面子相手にどこまで食い込めるものか……」

 

 ナイスネイチャー!! と。

 

 少しネガティブな思考に陥りそうになった時、ふと観客席の方から自分の名を呼ぶ声が届く。

 

「みんな……」

 

 目を向ければ声を上げて手を振る、『カノープス』のチームメイトたちの姿が飛び込んできた。

 

 大きく手を振り、勝ちを信じきった眼差しを送ってくる彼女たちの姿を前にすると気負っていたのがバカらしく感じてくる。

 

「……っしゃ。いっちょやってやりますか!」

 

 チームメイトの声援に鼓舞され、ネイチャは鼓舞され、拳を握りながら気合いを入れるのだった。

 

「むっふっふっ……ついに、この時がきてしまいましたか」

 

 一方桜の瞳とおでこを煌めかせ、腰に手を当てて仁王立つサクラバクシンオーは大胆不敵な笑みを浮かべている。

 

「これまでは短距離レースでしか私の勇姿をお見せすることしかできませんでした──しかし! 今日は私の中距離レースで圧勝する姿をこれでもかと! ファンの皆様の目に焼き付けようではありませんか!」

 

 勝利宣言でもするかのような堂々っ振りではっはっはっはっとバクシンオーは高笑いを上げた。

 

「あれま、バクシンオー先輩は中距離を走るんですか。適正距離から外れてるとセイちゃん思うんですけど……」

「そう言うなって。これもエキシビションレースの醍醐味ってやつさ!」

 

 上体を反らして笑い続ける彼女を横目にのんびりと客観的な感想を述べるセイウンスカイへ、腕を組んだヒシアマゾンは闘志を滾らせて笑う。

 

「普段のレースじゃ走れない奴らと走れるんだ、こりゃタイマンの張りがいがあるってもんだよ!」

「まあ、それもそうですね~」

「だろう? にしてもだ」

 

 肩を竦めて同意するセイウンスカイから目線を外して──

 

 

 

「ミホさんの勝負服姿がまた見れるなんて思いもしなかったよ!」

 

 

 

 観客席へ手を振るエキシビションレースに出走する少女──ミホシンザンへとヒシアマゾンは嬉しそうにかっと笑い掛けた。

 

 菊の花を主に置いた色とりどりの花が咲き誇る、緑色の勝負服。振り袖を模したそれは勝負の世界(レース)にあって淑やかさと華やかさが絶妙に調和した、美しい勝負服だった。

 

 引退から長らく表舞台に出ることがめっきり減っていたが、勝負服を纏う今の彼女からはかつてトゥインクル・シリーズを背負う一人として第一線を駆け抜けた、古強者の風格は今も失われていなかった。

 

「ふふ、チケットさんったら」

 

 とはいえ、当の本人はヒシアマゾンの嬉しそうな発言に気付かず「ミ゙ボ先゙ば゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙い゙!゙!゙」と相変わらずの声量で名を呼ばうチームメイトの姿に苦笑しているのだが。

 

「マイ……」

 

 チームメイトに向けていた表情を真面目なものに変え、自分に憧れてトレセン学園に足を踏み入れた、大切な少女──マイシンザンへと視線を移す。

 

 マイシンザンが屈腱炎に罹ったと先輩から報せを受け取り、病院での面会時……病室の窓から遠い眼差しで景色を眺める少女の姿を目にしたあの瞬間から、いたってもいられなかった。

 

 背を小さく丸めた姿が、目指していた憧れの人が去り、ダービーを目前にして故障した己の惨めな姿と重なったから……。

 

(長いこと走ることを控えていたお陰で、脚の違和感もない……)

 

 このエキシビションレースに出るにあたり、トレーナーにも許可を取っている。調子も現役時代の絶好調時に比べれば多少見劣りするが、調子は好調──まずまずといえるだろう。

 

(これもトレーナーさんのお陰ですね……)

 

 選抜レース以前から目を掛けてくれて、スカウト後はずっと連れ添ってきた義理堅い性格のトレーナーに感謝しつつ、ミホシンザンは意識を切り替える。

 

 あの子を少しでも勇気付けるためにも、良いレースをしなければならない。

 

「私の走り──しっかり見ていてね」

 

 そう言葉短く呟いて、ミホシンザンは毅然とした眼差しで観客席へ背を向けた。

 

「いやはや、ミホ先輩もいるとなるとセイちゃんじゃ歯が立ちませんなぁ~。いっそ辞退しちゃおうか?」

「……もう、スカイさんったら。そうやって相手を油断させようとしても、私には効かないんですからね」

「にゃはは……やっぱりですか?」

「当ったり前だよ! いつでも全力全開タイマン上等! 半端な策じゃ、ミホさんを揺るがすこともできやしないさ!」

 

 わざとらしくお手上げの仕草を取ったセイウンスカイへ困った顔を向けて釘を刺す。ちろりと舌を覗かせた彼女の背中を機嫌良くバンバンと叩く。

 

「大体、レース中のミホさんの顔を見たらそんなことをする気力も失せる──」

「わっ、私の顔のことは関係ないでしょうっ」

 

 意地悪そうな笑顔を作って自分のレース中の顔のことを指摘するので、ミホシンザンは咄嗟にヒシアマゾンの声を遮る。

 

「なんですかそれ? セイちゃん気になるな~」

「いいかいスカイ。ミホさんはレースで叩き合いになると普段の優しい顔からは想像できないおっかない──」

「もうっ、ヒシアマさんっ」

 

 ミホシンザンが所属寮長を怒ろうとした矢先。

 

『──おっと、エキシビションレース中距離部門出走者に変更があるようです』

 

 そんな放送が流れてきた。

 

『出走を予定していたマチカネフクキタルですが、どうやら体調不良のために出走を辞退する模様です』

 

 ええー、と観客席からざわめきが起こる。

 

 それは出走する少女たちも同じで、各人それぞれに反応を示した。

 

「なんと! フクキタルさんが欠場と!」

「言われてみれば、この場にいないし……なーる、そういうことでしたか」

 

 ちょわっ! とした身振りで驚きを露にするバクシンオー。顎に手を当て辺りを見渡し、ネイチャは納得した様子

 

 一方ミホシンザンはというと、あからさまに顔を曇らせフクキタルの身を案じる。

 

「大丈夫かしら……あんまり深刻でなければ良いですけど」

「それはおかしいね。さっき会ったときはピンピンしてたはずだけど……」

「セイちゃんも同意ですね。フクキタル先輩が体調を崩す人には思えませんし」

 

 逆にヒシアマゾンは首を傾げ、賛同するようにセイウンスカイも頷いた。

 

『マチカネフクキタルが欠場のため、これより行われるレースは十九人立てで行われ──え、代走?』

 

 放送の向こう側で何やら動きがあったようだ。

 

『エキシビションレース中距離部門ですが、出走者の変更がございます』

 

 出走者の変更? 少女たちの頭にクエスチョンマークが浮かぶ。

 

『体調不良のマチカネフクキタルに代わり──あー……あ、あの。これ間違ってませんか?』

 

 妙に歯切れが悪い。『ほ、本当に間違いじゃないんですね?』と再度確認を取る戸惑い声が放送に乗ってしまい、なおさら頭の上の疑問符が増える。

 

「あれ、ちょっとアナウンサーの様子がおかしくないですか?」

「言われてみれば……そうですね」

「あれま。フクちゃんの代わりに走るって伝えてもらったんだけど、信じてもらえてないみたいだ」

「いやそもそも代走っていうのも変じゃないか? レースが本番じゃないとはいえ、普通代走なんか立てないだろう──」

 

『し、失礼しました……改めまして、エキシビションレース中距離部門、出走を辞退したマチカネフクキタルに代わり』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『シンザンが出走いたします』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「「「……………………」」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「「「は?」」」」」

 

 今なんと言った?

 

「今時の子の勝負服はお洒落だねぇ」

 

 聞こえてきた声──先程の代走について触れていたのと同じのんびりとした声──に一斉に振り返る。

 

 振り返り、視界に飛び込んできたウマ娘を視認した全員が言葉を失った。

 

 

 

 (えり)を黒。袖口を白に縁取った赤い羽織。

 

 

 

 黒色の長着に銀鼠色の二股袴。

 

 

 

 袴の裾から覗く黒足袋と赤い鼻緒の右近下駄。

 

 

 

 和服をそのまま勝負服へと仕立てた一張羅。

 

 

 

 トゥインクル・シリーズに関わる者なら必ず一度は目にする時代を作った、いや()()()()()()であった伝説のウマ娘──

 

 

 

「やっぱり、勝負服が一番映える場所は芝の上だよねぇ」

 

 

 

 前髪(ひたい)の星を輝かせる『五冠バ』シンザンの堂々たる姿が色褪せぬままに、そこにあった。

 

 

 

 絶句する後輩たちの胸中など知らないようにシンザンは目を細め、華のある後輩たちを見渡した。

 

「な……なんだって先輩が──」

「フクちゃんが具合悪くしちゃったでしょう? で代わりの子を探してたところを丁度通りかかってね」

 

 シンザン出走という凄まじい衝撃からいち早く立ち直ったヒシアマゾンがしどろもどろに尋ねれば、当の本人は相変わらずの呑気さで答える。

 

()()()()、勝負服も実家から送ってもらってたからじゃあちょっくら出てやろうかな~、と。分かっていただけたかな?」

「お、押忍……」

「おおっ! よもや先輩がフクキタルさんの代わりにレースに出走するとは! このサクラバクシンオーの目をもってしても読めませんでしたよ!」

「そりゃそうだよね。どうせだからさ、気合い入れて(かんざし)も変えてきたのよ」

 

 最な物言いにころころと笑い、「ほれ見てよ」と言って呑気に指差すシンザン。

 

 シンザンの存在に我を取り戻すことすらままならない中、バクシンオーただ一人だけがこの状況を受け入れて促されるままに髪留めへ目を向けた。

 

「むむむっ。言われてみれば、確かに普段身に付けているものと違っているような……」

「素敵でしょう? この櫛簪(くしかんざし)、贈り物なんだ」

「ほう! どなたからの贈り物なのかお聞きしても!」

「んー? んふふ、これはねぇ──」

「──して」

 

 真面目な面持ちで顎に手を添えて覗き込むでこっぱち学級委員長の質問に答えようとして、遮るように投げ掛けられた声へとシンザンは振り向いた。

 

 視線の先。そこには魂が抜けたような顔で身を震わすミホシンザンが。

 

「ど、どうして……シンザン先輩が……」

「ミホ」

 

 彼女の蚊の鳴くような声を遮ったシンザンの声がやけに大きく聞こえた。

 

「何をアホ面浮かべて、これから仕切りだってのに。本番じゃないからって気合いが乗ってないのと違うんじゃないの」

「え、あ……」

「夢にまで見た『五冠バ』シンザンとこれから競走するんだよ? そんなんで()()になると思ってるの。自分」

 

 二人のやり取りを遠巻きにしていたウマ娘たちがぎょっとする。

 

 温厚で優しいで通っているシンザンが聞いたことのない強い言葉を口にしたのだから。

 

 直前のバクシンオーとの呑気な会話を見ているのだからなおさらである。

 

「──まあ、言いたいことは沢山あるだろうけど、それはレースが終わった後に聞こうじゃない」

 

 己の一言で空気に緊迫感を走らせたことを歯牙にも掛けず、シンザンは亡霊を見た眼差しでいる同じ名を抱いた親しき後輩(ミホシンザン)の肩を叩く。

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 それっきり興味を失くしたように、群れから離れていった。

 

 傍観していた他の出走者たちが互いへ目配せする。

 

 誰の顔も強張っていた。ファンへの日頃の感謝を示す場所としての走者も観客も楽しむはずのレースが、それこそ本番と変わらぬ緊張感を伴ったものへと変貌したのだから。

 

「……あのー。ネイチャさん?」

「なんでしょうかスカイさん」

「セイちゃん、一つ気になることがございまして」

「奇遇ですね~。実はアタシも気になってたことがあるんですよ」

 

 赤い羽織の背中へ視線を送り、声も表情も固くして言葉を交わすセイウンスカイとネイチャ。

 

 大先輩の緊急参戦というとんでもないサプライズに対し突っ込みたいことは色々あったが、それ以上に気になって仕方のないことがあった。

 

 お互いに顔を見合わせ、シンザンの背へ目線を戻す。

 

 

 

「「先輩、なんでアイマスクなんか着けてるんでしょうか……?」」

 

 

 

「…………」

「その様子じゃ、ミホさんもこのことは知らなかったみたいだね」

 

 途方に暮れたように立ち竦むミホシンザン。ヒシアマゾンは神妙な顔をして心ここに在らずな先輩へ寄り添った。

 

「しっかしアタシたち、あのシンザン先輩と走るのか……くそっ、ヒシアマ姐さんとあろうものが気圧されてちまうなんてな」

「関係ありませんとも!」

 

 己の掌を見やり、悔しさと焦燥を滲ませたヒシアマゾンを他所に、バクシンオーは変わらぬ闊達さを発揮する。

 

「たとえ相手がシンザン先輩であろうとなかろうと! 目指すものは勝利のみ! このサクラバクシンオー、ファンの皆様もシンザン先輩も、あっと言わせて走らせてもらいますとも!」

「……へっ。言うじゃないかバクシンオー。折角の機会だ。アタシも胸を借りるなんて日和った真似はしないで、全力でタイマンしてやるよ」

 

 彼女の堂々とした宣言にシンザンのペースに呑まれかけていたヒシアマゾンの闘志が甦り、眦鋭くして力強く掌へ拳を打ち込んだ。

 

「ミホさんも憧れた先輩とタイマン張れるんだし、気合いいれていこうじゃないか」

「…………」

 

 隣のミホシンザンへ水を向けるが、返事が返ってこない。

 

「ミホさん?」

「どうかしましたか?」

 

 ヒシアマゾンに続きバクシンオーも声をかけるが、それでもミホシンザンは反応を示さず、目を見開いてただじっとシンザンを見つめていた。

 

 

 

 

 

 予想外の出走者の登場に異様な雰囲気が観衆の間に立ち込めていたが、スターターが姿を見せた途端に興奮へと塗り替えられた。

 

 赤旗を振るったスターターの合図と共に聞いたことのない軽快なファンファーレが鳴り響き、拍手が巻き起こる。

 

『本日のエキシビションレースで使用されるファンファーレはなんと! 来年度に開催を控えるURAファイナルズで使用されるウイニングライブ楽曲が使用されます!』

「……楽しそうなファンファーレだぁ」

 

 他の出走者たちから距離を取り、彼女たちと観客席が視界に収まるポジションに一人佇むシンザンは実況の解説に耳を傾けながら呟いた。

 

「さて、と」

 

 「米軍ラッパの時代が懐かしいや」と昔を懐かしみつつ、ファンファーレが鳴り止んで続くように起こった歓声を全身に浴びながら、シンザンは各々その時を待っていた十九人の後輩から視線を外しゲートへと向き直り……。

 

 

 

 

 

「────()()()かな」

 

 

 

 

 

 額に上げていた白いアイマスクへ親指を掛けた。

 

 

 

 

 

『全ウマ娘ゲートイン完了。エキシビションレース中距離部門。多数のGⅠウマ娘を迎え、かの伝説をも交えた二四〇〇メートルの攻防をどの子が制するか。緊張の一瞬』

 

 

 

 

 

『スタートしました!』

 

 

 

 

 




捕捉:第二十五回菊花賞競走の実況放送

 史実におけるシンザンのクラシック三冠達成の歴史的瞬間を伝える実況は


①関西テレビ放送の松本暢明(のぶあき)アナウンサー

②日本短波放送(現ラジオNIKKEI)の小坂巌アナウンサー

③ラジオ関東(現アール・エフ・ラジオ日本)の窪田康夫アナウンサー


 以上三名のアナウンサーによるものが作者の方で確認できています。

①の松本アナウンサーはテレビでの競馬中継黎明期から活躍されていた関テレでの第一人者と呼べる方で、かの杉本清アナウンサーの先輩としても知られています。
 実況は最後の直線での『シンザンがきた』と繰り返す印象的な実況となっており、関西テレビのYouTube公式チャンネルにてアップロードされておりですぐに視聴することが可能です。

②の小坂アナウンサーはいわゆる『シンザン三冠馬駄目だ』の発言を残したことが有名であり、シンザンの前年に三冠へ挑戦し敗れ去ったメイズイの実況もしており、恐らくその時の光景が脳裏を掠めたため咄嗟にこの発言が出てしまったのだと思われます。
 後日小坂アナウンサーはシンザンの調教師に実況での発言を謝罪しているのですが、当の調教師自身もそれを感じていたらしく、謝罪をあっさりと受け入れたという逸話も残っています。

③の窪田アナウンサーはラジオでの実況が難しいと言われる相撲中継や安保闘争における機動隊とデモ隊の衝突を現地から中継したという経歴の持ち主で、『スタートぉ!』で始まる独特で端切れ言い実況と相まって臨場感のある実況をされていました。
 菊花賞では最後の直線、シンザンとウメノチカラの追い込みを伝える際の声に含まれるの緊張感は言葉に言い表せない緊張感を漂わせています。



 ちなみに、本文でルドルフが想起している実況は②の小坂アナウンサーのものです。

シンザンが一番強かったと思うレースは?

  • 皐月賞
  • 日本ダービー
  • 菊花賞
  • 天皇賞秋
  • 有馬記念
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