神が讃えしその駿駆 作:松武栗尾
──やっぱり朝日杯を勝ってるウメノチカラじゃないか?
──いや、弥生賞勝ちのトキノパレードが固いよ。
──それを言ったら不利があって二着に入ったブルタカチホは三勝してるし、そっちの方が……。
──関東じゃまだ走ってないが、アスカって子の末脚はとんでもないぞ。俺はこの子が勝つと……。
頭上で交わさる大人たちの会話を耳にしつつ、少女は人混みの中をあてもなく彷徨っていた。
周りを見渡しても上着の裾やベルトのバックルが見えるだけ。上を見上げても自分よりも背の高い大人たちに遮られ、自分がどこにいてどっちを向いているかすら分からない……少女は迷子になっていた。
今日はなんでも大きなレースが開催されるということで、少女は両親に連れられてきたのだが、初めて訪れたレース場は小女にあまりに広すぎたのだ。
人混みに揉まれ、手を繋いでいたはずの両親とはぐれてしまい、探そうにもどっちに行けば良いかも検討もつかない。知らない場所で知らない人々に囲まれ、頼る人すらも存在せず、あまりの心細さで少女の涙腺が我慢の限界に達する──
「──今日は『シンザン』が勝ちよるで!」
直前。すぐ側で調子の良い声が上がった。
少女ははっとしたように声のした方へ顔を向けるが、声の主は知らない男の人だった。
「シンザン? 誰だいその子?」
「なんや、関東の人らは知らんのかい。ほれ、見てみいここ」
「えーと、シンザンシンザンシンザン……」
一瞬前まで泣きそうになっていたことも忘れて、少女は二つの背中を見上げて会話に耳を傾ける。
「……あー、タケブンさんのところの子か。通りで聞き覚えのない名前なわけだ。主戦場、関西だろ? このシンザンって子」
「シンザンは強いでぇ。関西じゃ四戦四勝で無敗や」
「へえー。けど、この子阪神*1走ってないだろ」
自分たちが見られていることも気付かぬまま、二人は肩を寄せ合って競走番組表の記載されたパンフレットを覗き込み、話を続ける。
「本当に強かったら同じチームのプリマドンナやオンワードセカンドと合わせて出走させるはずじゃないか。無敗って言っても裏街道じゃあね。それだって一緒に走った相手が弱かっただけかも──」
「うんうん、あんさんのおっしゃることもよう分かる。けど、シンザンの走りをみたらその考えも変わるさかい。よう注目したってや!」
「うーん……」
半信半疑の眼差しを向けられても自信を崩さず、どころか己の贔屓のウマ娘を強く推す訛りの強い男の人を、少女はぽかんとした顔で見上げ続けた。
「……まあ、それでも俺はウメノチカラを応援しようかな」
「なんや、結局は関東デビュー贔屓かい」
「そっちだって関西デビュー贔屓だろうに。そもそも、俺は単純にウメノチカラが好きなんだよ……大きな声じゃ言えないけど、あの子の赤い目に惚れちゃってさあ」
「っ、だはは! 確かにあの鋭い目で射貫かれたら堕ちん男はおらんわ! 結局は手前の好みの子に落ち着くもんや! 言うてわしも贔屓のウマ娘はアスカやしな。あの子は今時の子で洒落っ気が──」
細やかな討論も一段落着くと、二人組は笑い声を上げてその場から立ち去っていった。
離れていく二つの背中を眼で追う少女だったが、自分の置かれている状況を思い出すと慌てたように辺りを見渡すと、再び両親を探しを再開する。
『シンザン』──その響きに今まで感じたことのない好奇心を刺激されながら。
(ひえー……アタシ本当にシンザンと走ってるんだ)
意匠を極限まで抑えた赤い羽織、二股の銀鼠色袴の裾が前方で翻る様を視野に納め、ナイスネイチャは畏怖とも感動ともつかない想いを抱いていた。
(まあ、アタシ先輩の走りは詳しく知らないんだけどね……けど)
ただ、こうして同じレースを競っているからこそ気が付いた点があった。
一流と呼ばれるウマ娘、特にGⅠレースに勝利するような少女たちは気迫や威圧感といった雰囲気をレース中発しているものなのだが……。
(そういうの、あんまりないよなぁ……)
改めてシンザンへ視線を移し内心で首を傾げた。
単純な成績で見ても数少ないクラシック三冠を達成している彼女ならそれこそ皇帝やシャドーロールの怪物たちと何ら遜色のない覇気を放っていてもおかしくないはず。
しかし、シンザンの後ろ姿からは何も感じ取れない。
(けどこれ。もしかしたらアタシでも勝てるんじゃ──って、何考えてんだバカ!)
ふと頭を過った邪な考えをネイチャは頭から一蹴してレースに集中する。シンザンからのプレッシャーを感じていないのは自分だけかもしれないのだ。
(っていうか……)
レースは向こう正面を半ばも過ぎ、後半戦へと突入した。そこで一度状況を整理しようとネイチャは改めて隊列を先頭から確認して、これまた気が付いた。
「バクシンオー先輩、まだ先頭にいない?」
『さあヤシロコハクを外に置き先頭は依然サクラバクシンオー! これまた予想外の展開です! 第三コーナーに入ってなおサクラバクシンオーが先頭をキープ!』
第三コーナーに進入し残り一〇〇〇メートルを切った。だというのに、適正距離を超えたはずのバクシンオーがまだ先頭を維持していた。
短距離の王者が見せる異常な粘りを見せることで実況の調子が上がり、観衆の歓声にどよめきが混じり始めた。
『勝負所と見たかラブモートとコクドウチタンが外からサクラバクシンオーを射程圏内に捉える! ナイスネイチャとセイウンスカイも進出を始めた! ミホシンザンは中団でまだ脚を溜めている様子! ヒシアマゾンはまだ最後方──!!』
最後の直線に向けて徐々にギアを上げていく少女たち。それに比例して観客席のボルテージも一気に上昇する。
(バクシンオー先輩がこんなに走れるなんて……!)
出遅れという大きなハンデを背負いながらも先行集団へ上がり込んだセイウンスカイも、スプリンターとは思えない異様な粘りで先頭をキープする桜色の勝負服に驚愕を隠せない。
続けてバクシンオーと先頭で鎬を削るウマ娘を一瞥する。
彼女がペースが遅いと判断して先頭を奪おうと時には流石はシニア級で二つの大レースを制したウマ娘と舌を巻いたのだが、今はそうも言えない状況になり始めている。
あのサクラバクシンオーが限界距離の一四〇〇メートルを超える距離に達しながらなお先頭を維持しているのだ。
こんなことは誰も想定しておらず、加えて互いに先頭を譲らないことが影響してレースが後半へと入ってからのペースの上がり方が想定よりも早い。
(ペースが早めに上がるのは願ったり叶ったりだけど……)
逃げ脚を武器にするセイウンスカイは走行中の体感タイムの正確さにはそれなりの自信がある。
前半のペースが緩くとも後半でペースの上がり幅が大きければ、先行するウマ娘たちはそれなりに脚を使っているため後方からのレースでも十分に勝負できる。これは願ったりの展開ではあった。
(この人──ッ!?)
しかし、自分の右斜め前を走る彼女──内ラチから二人分程外へポジションを取ったシンザンがまだ仕掛ける様子を見せないことにセイウンスカイは得体の知れない焦りが芽生える。
(けど、流石に仕掛けないと……っ!)
周囲の激しい動きに乗り遅れぬようセイウンスカイも追い出しにかかる。一瞬だけスパートをかけないシンザンより先に自分が仕掛けることへ躊躇いを覚えたが、悠長に構えている余裕はない。
覚悟を決め、己の外を走る赤い勝負服のウマ娘を意識して見ないようにしつつ、スパートをかけてじわじわと先頭との距離を縮めていった。
(もう直線に入るっていうのに──っ!)
(バクちゃん、まだ垂れないワケ!?)
(こ、こんなはずじゃ……!)
一四〇〇メートルを超えれば必ずバクシンオーは後退していくものと想定していた上級生たちもこの異様な状況には大きな焦りを覚え、特にペースが遅いと見て中盤で先頭を奪取しようと画策していたウマ娘は相当に参っていた。
(バクシンオーの奴……いつの間にこんな距離を走れるようになってたのよ!?)
左前──内ラチぴったりを走る学級委員長に驚きも露にしてラストスパートへと入るが、脚色が自身の想定よりも鈍い。
バクシンオーに競りかけていた彼女は気付かぬ内にペースの狂いを今更に自覚していた。
日々高みを目指してこその競走ウマ娘。その当たり前すらを忘れていた代償であり、バクシンオーの成長を想定しなかった己に怒りを覚える。
『四コーナーを切って最後の直線へ向きました! 各ウマ娘見事に横一線です!!』
内側にコースを取って距離のロスを減らす者。スペースに余裕のあるバ場の外側へコースを取った者。思惑はそれぞれだが全員が自身の勝利を求めた結果、横一列に広がって観客席前を激走するウマ娘たちへファンも最後の大歓声を飛ばす。
『サクラバクシンオー頑張る! サクラバクシンオー頑張る! サクラバクシンオー頑張る一方でウエスタンジャックも伸びてきた!』
最後の力を振り絞り、五〇〇メートルの長大なホームストレッチの芝を猛然と駆け抜ける。
勾配のない学園のグラウンドコース。単純であるがために、末脚と勝負根性の強さが物を言う。
誰もが気焔を吐き、ターフを蹴り付け、汗を飛ばして全身全霊で先頭を奪取しようとする。
(先輩は──)
(あの人は──)
(シンザン先輩は──)
同時に、少女たちは視野の外にいるウマ娘の動向に神経を尖らせる。
突然の乱入者──歴史の向こう側にいた存在。シンザンに。
まだか、まだか、まだ来ないのか。
全ての出走者たちが死力を尽くし一着を目指す中、泰山の沈黙に極限の緊張に精神をやすりがけされるその最中で。
「ひぃっ……ほぇっ……!!」
ただ一人、サクラバクシンオーは一杯になっていた。
(な、何故です……あれほどの坂路トレーニングを積んできたはずなのに……!!)
他のウマ娘たちが戦々恐々としている中、酸素が足りない頭で自問自答を繰り返す。
おかしい。距離延長を見越したトレーニングを徹底的に重ね、自分優位になるような作戦を練った。そしてこのエキシビションではあるが中距離レースを大勝し、今後の本番である長距離戦へのステップレースになるはずだったのに……!
「む……無念、です……っ!」
『おっとサクラバクシンオー苦しいか!? サクラバクシンオー苦しい! 先頭は、先頭はヤシロコハク! 外からはコクドウチタンとラブモートが来る!』
大歓声に掻き消された小さな呻きを最後にバクシンオーはズルズルと後退していった。
ホームストレッチを少女たちが最後のラストスパートを掛ける迫力に観衆の興奮が最高潮に達し、各々自分の応援するウマ娘の名を声の限りに叫び、声援を送る。
『内からナイスネイチャとセイウンスカイ、ウエスタンジャックも粘る粘る! これは混戦です、大混戦です!! 誰一人として一歩も譲らない!!』
凄まじいデットヒートに矢継ぎ早にウマ娘の呼ぶ名が変わる。
『セイウンスカイも頑張るがこれは厳しいか! 先頭はヤシロコハク! いや内からウエスタンジャック、外からはラブモートが競りかけて────あ、いや』
『シンザンです! シンザンがきた、シンザンがやってきました!!』
「「「「「────ッ!」」」」」
来るのは分かっていた。分かっていたのに、一瞬だった。
スタミナが底を尽いたバクシンオーと彼女を交わす少女たちとの間に生まれた空間。その一瞬の空白に滑り込んでシンザンは先頭へ躍り出る。
「こ、の……!」
「させるか──っ!」
予兆もなく内から伸びてきた赤い勝負服に競り合おうと試みるも、差は縮まるどころか開くばかり。
(くそ──)
競り合うことすら許さない鋭利さ。追い縋ることすら認めない重厚さ。
強靭な勝負根性と瞬発力を併せ持った黄金の決め脚を前に、少女たちは手も足も出ない。
「くっそぉ……!!」
伝説に挑む機会を手にしながら己に抵抗する術がないことを様々と叩き付けられ、それまで先頭をキープしていた少女は歯を食いしばって呻吟した、その時だった。
深紅の勝負服に纏わり付くようにして、もう一つの影が視界の端に滑り込んできた。
ついさっきまで外にいたはずがいつの間に入り込んでしまったのだろうか。気が付けば少女は屋内道に迷い込み、あれだけいた大勢の大人たちの姿も見当たらない。
どこまでも伸びる陽の届かない屋内道は重い静寂に包まれていて、冷たさすら感じられた。
この不思議な空間を前に少女は不安で一杯だったのに、この先には一体何があるんだろう? と仄かに芽生えた好奇心に後押しされ、おっかなびっくりといった風に先へと歩を進めた。
進んでも進んでも通路の終わりが見えてこない。加えて仄暗い通路ののし掛かってくる重苦しさに好奇心もしぼみ切り、心細さと不安が少女の心を再び蝕んでいく。
真っ直ぐ進んでいるのに、少女には屋内道が出口のない迷路に迷い込んだような錯覚を覚えてしまう。
……早く両親の元に戻りたい。その想いが強くなり再び泣きそうになる、その時だった。
「準備はええか『シンザン』」
突然男の人の声が耳を突き、少女は顔を上げた。
見れば通路の終着点に辿り着いていて、突き当たりがT字路になっており右側の角の向こうから声が響いてきた。
自分以外の人がいるという嬉しさと安堵感から少女は通路の分岐点まで小走りする。
「ねぇねぇ。リュウたち勝ってると思う?」
「アホ。今は目の前のレースに集中しいや」
角から目元だけを覗かせると、そこには男の人だけでなく体操着を着たウマ娘が一人。
「今日のレースはただのオープン戦とちゃうねん。スプリングステークスや、目の前の勝負に意識向けんで勝てる程甘い相手はおらんぞ」
「でも、リュウたちだって頑張ってるんだから心配くらいしたっていいでしょう──」
「確かにリュウたちもクラシックの出走権手に入れるために気張っとるな。けどな、それはお前のレースには一切関係あらへんぞ」
『シンザン』。そう男の人から呼ばれたウマ娘の顔を、少女はじっと大きな瞳で観察する。
そこまで大きくない体。太い脚。結った茶褐色の髪。前髪に乗せた白いアイマスク(?)。落ち着いた表情。黒い瞳。
ぱっと見、どこにでもいるような目立たない普通のウマ娘だった。
「チームメイトの勝ち上がりを願うな言うとんのとちゃうで。気を散らすな言うてるんや。よう考えてみい、阪神のリュウたちはレースに勝つことだけを考えて、自分のことなんて頭にないはずやろう? なのに自分は大事なレースを前に、向こうの勝ち負け心配してるっててどういうこっちゃ。それで万一負けたなんてなったら目も当てられんし、それこそあの子らに顔向けできへんぞ」
「……ごめんなさい」
「今必要なことは目の前のレースに集中すること。それだけでええんや。外野のことなんて全部忘れてまえ」
男の人の言にシンザンは耳を垂らして項垂れる。どうやらシンザンは怒られていたようだ。
「──まあ、説教はこの辺にして、本番前の最後の確認しよか。府中を走ることにおいての注意点、復唱してみ」
「んー……」
しょげたシンザンを前にする男の人はふっと軽く息を吐いたかと思えば、高めがちな声をもう一段階高くして空気を返るような明るい調子で切り出した。
対するシンザンも素直に応じて指を折り始める。
「その一、第三コーナーの坂で仕掛けるな。その二、直線の坂下で早追いするな。その三、直線の坂に入ったら三秒数えて追い出せ。あとは──」
「あと?」
「──あっ、スタートを切って第一コーナーに入るまでには必ず十番手以内を維持すること!」
「……うん。四つ目は、いらんかったかな」
「えっ。そ、そうだったっけ?」
「大体、今日のスタート位置は二コーナーのポケットからや。ったく人の話を聞いとんのか聞いてへんのか……」
「ご、ごめんなさい」
「四つ目に関しては
あれっ、と自信満々だったシンザンが首を傾げる様に男の人は肩を竦めると。
「ほんじゃ……今度こそ準備はええな。シンザン」
雰囲気を真剣なものへと変貌させた。
「……うん。大丈夫だよ、
シンザンも態度の変化に応えるように額のアイマスクを外して──
「──行ってくるよ」
空気を一変させた。
「おう」
さっきまでの穏やかな雰囲気とは異なる変わり身に少女が目を丸くしていると、トレーナーと呼ばれた男の人は踵を返したシンザンの背中を叩いて送り出す。
「
そして、シンザンは通路の果てへと進んでいった。少女は変わり様にポカンと口を開けたまま彼女の背中を見送ってしまう。
何もかもが違って見えた。
霧散した呑気な雰囲気。
顔から消えた穏やかな表情。
宿す光がぐっと絞られた瞳。
白いアイマスクの下から現れた、これまた白い菱形模様。
だが不思議なことに、同じ白色でもシンザンの前髪で揺れる小さな星が少女には夜空に輝く一等星のように眩しく見えたのだった。
「……大した子やで、ほんま」
一人残されたトレーナーの呟きが反響する。
「これからスプリングステークス走るんに、チームメイトの勝敗に意識向けられるくらい精神的に余裕があるんやから……しっかし、今日は阪神でうちの子らが揃ってレース出るから仕方あらへんけど、テキ*2も勿体ないなあ。今日はシンザンの晴れ舞台になるっちゅうんに」
そうぼやくとトレーナーは腕を組んで天井を見上げた。
「……まっ、レースが終わったら電報送ったればええか」
んー、と考え込むように唸っていたトレーナーは一度肩を弾ませるといたずらっぽく笑って振り返り──
「くく、テキの驚く顔が目に浮かぶわ──って」
ばっちりと目が合った。
「あ……」
「なんやお嬢ちゃん、どないしたん
見つかった、と少女は固まってしまう。
「もしかして、迷子かいな?」
だが、トレーナーはと言えばすたすたと目の前までくるとしゃがんで目線を合わせてくる。
怒られると身を竦ませていた少女だったが、少年の面影が残るふっくらとした輪郭が湛える優しげな笑顔を見て、おずおずと頷いた。
「……ん」
「ほんなら、僕がお父ちゃんとお母ちゃんに会わせたるよ。ほらっ、こっちにおいで」
ぱんっ、と両膝を叩いて立ち上がり、自分の手を握ったトレーナーに引っ張られる少女は後ろを振り返る。
「えーと、レース場に迷子センターなんてあったっけかな……大丸と訳がちゃうしなあ」
「……」
「なんや。お嬢ちゃん、シンザンが気になるんか?」
「……ん」
「そりゃあ良い眼しとるで。将来は立派なトレーナーさんやな──はは、ウマ娘のお嬢ちゃんにトレーナー薦めるのも変な話やな」
「……」
トレーナーの冗談も他所に少女は背後を見つめ続ける。通路の果て、光の中へ消えていくウマ娘の背を。
「……あいつはシンザン。俺が担当してるウマ娘で」
足を止めたことに気付き、どうしたんだろうと怪訝に思い手を繋いでいる大人の人の方を見上げると。
「
真剣な声で言い切ったトレーナーの大真面目な顔と視線がぶつかった。
「……なんてな、クラシック入ってからはごっつい子とも当たる。口で言う程楽やあらへんけど……ま、そのくらいの実力のある子や。お嬢ちゃんもよかったら応援したってな」
少しの間を置き、肩の力を抜くようにおどけて見せるトレーナー。
だけどこの人は信じてる。言っている意味は分からないけどそれはきっと凄いことなんだ、と少女はぼんやりと理解できた。
そしてその凄いことをしようとしているトレーナーとシンザンを目には見えない強い力が繋いでいる、そんな気がした。
「そいで。お嬢ちゃん、お名前は何てえのかな?」
「…………」
「おっ、しっかりしとるなあ。知らない人に名前を教えへんなんて。お父ちゃんとお母ちゃんの教育が──」
「…………ン」
「ん?」
歩みを再開したトレーナーから顔を覗かれて、思わず俯むく少女。
首を傾げる傍らで、少女はシンザンの姿を頭の中に浮かばせて、少女は蚊の鳴くようなか細い声で
────ミホシンザン……です。
ここへきて追い込みを掛けてきたウマ娘に、誰もが言葉を失った。
目立った動きを見せず、勝負の外と思われていた彼女はバクシンオーとシンザンに気を取られる出走者たちの中で存在が薄くなっていたところを、差してきた。
虚を突いた急襲に誰も態勢を建て直すことも、反応することさえ叶わない。
「……スタートダッシュ──いえ」
耐えに耐え、忍ぶに忍び、
「レースで一番大切なことは」
先行するウマ娘たちを一蹴し。
「
「
『ミホシンザン!! ミホシンザン!! 内から
誰よりも憧れ、誰よりもその背中の遠さを知っている少女──ミホシンザンが、シンザンの喉元に食らい付く。