神が讃えしその駿駆   作:松武栗尾

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第三十二話 先輩が一番強かったのは…… 後編

「わたしのことを誰彼構わずべらべら話すのは止せってのに……」

 

 まさかのシンザンその人の登場に呆気に取られる『スピカ』メンバー。驚くテイオーたちには一瞥もくれず、シンザンは頭を抱えるポニーテールのウマ娘を半目で見下ろした。

 

「せ、先輩ぃ……」

「何べん言っても分かりゃあしないね、ええ?」

「だ、だって、おチビさんたちが先輩のことを良く知らないから教えてあげようと──いたっ!?」

 

 ぺしっ、と目に涙を浮かべて弁明するミナガワマンナの頭を引っぱたいて容赦なく黙らせた。

 

「それが余計だって言ってるの、わたしは」

「でも……」

「自分は昔っからそうだった。わたしがレースに強かっただなんだってあっちこっちで触れ回ってたけど、自分はシンザン(わたし)じゃないんだよ」

 

 なおも言い募ろうとするミナガワマンナに有無を言わさず、シンザンは低くした声で言い聞かせる。

 

「ましてやわたしと勝負したこともない、バ場の外にいたウマ娘の自分がやれわたしのあのレースが強かった、あの時の末脚は凄かっただなんだと言ったところでね。今の子たちが『ハイそうですか』と素直に納得すると思う?」

「うう……」

「個々人が下すべき評価を一方的に押し付けるような真似、()()()()()()()()()。大体、自分はどうしていつもわたしのことを人様に喋りたがるんだかねぇ」

 

 ぐうの音も出ず項垂れるミナガワマンナを真剣な眼差しで見下ろす大先輩から滲み出る圧力を前に、チーム『スピカ』は身動ぎも取れず黙りこくるしかできない。

 

 声も荒らげず滔々と説教するシンザンの姿は……はっきり言って堂に入りまくっていた。

 

「そもそも昼飯時に後輩捕まえて昔話だなんて、拘束された側はたまったものじゃないよ。ねぇテイオーちゃん」

「ぴゃっ!? ──う、うん! そうだね、そうかもね!」

 

 突拍子もなく水を向けられ、油断し切っていたテイオーは慌ててぶんぶんと首を振り愛想笑いと共に同意する。いや同意するしかなかった。

 

 シンザンの声がミナガワマンナに向けるものより穏やかなものなのが、またおっかなかった。

 

「皆も、今日みたいなことがあったら教えてちょうだいね。わたしが責任もってとっちめるからさ」

「あ、りがとうございます?」

「うんうん──ほれ、自分もしょぼくれてないで立ちなさいよ」

 

 チーム()を代表してスカーレットが頬を引き攣らせながら礼を述べると、満足したようにシンザンは一つ頷いてしょんぼりした様子でニンジンハンバーグを突っつくミナガワマンナを促した。

 

「……え?」

「そんな顔して目の前でご飯食べられたらテイオーちゃんたちも困るでしょうが。ほれ、わたしに着いてきなさいや」

 

 悄然としていたミナガワマンナががばりと顔を上げ、大先輩をまじまじと見つめた。

 

「……それって、先輩とお昼ご飯食べられるってこと?」

「自分が食べ終わるまで付き合うだけよ」

「……っ!」

 

 空の食器を掲げてシンザンは首を振る。が、対してミナガワマンナは表情に生気が宿り、瞳に輝きを取り戻し始めた。

 

「や、やった! 先輩とお昼食べられるなんて……っ! いつ以来だろう!」

「そういうのはいいから。ほれ、向こうの方の空いてるテーブル取ってきなさい」

「うん分かった! ……じゃあねミホ、おチビさんたち~!!」

 

 叱られていたのが嘘のようにテンションを爆上げさせ、耳と尻尾をぶんぶん振り回しながらミナガワマンナはさっと立ち去っていってしまった。

 

「た、楽しそーな先輩だったな……」

「……本当だよ、もう」

 

 色々とすごかったポニーテールの先輩の後ろ姿を見送りつつ、ウオッカとテイオーは疲れたように言葉を漏らす。

 

 その脇ではシンザンがため息混じりに片手を翳して詫びるので、スカーレットは苦笑しつつも率直な感想を述べた。

 

「……あの子は昔っからわたしのことになると話が止まらなくなるもんだから。本当、迷惑かけました」

「あ、あはは……迷惑じゃないって言ったら嘘になっちゃいますけど……ライバルの皆さんのお話しはすごく面白かったです」

「…………ふふ、そう」

「シンザン先輩とは何度もお話させてもらってますけど、やっぱりすごいウマ娘なんだって実感しちゃいました」

「いやいやぁ、その辺りの話は話半分で聞いて──」

「わ、(わたくし)はそう思いませんわ」

 

 「マックイーンちゃん?」と不意に声を上げたメジロ家の令嬢へシンザンは目を向ける。

 

「ミナガワマンナ先輩がおっしゃっていましたわ。『五冠ウマ娘』シンザン──あえて呼び捨てにすること、お許しください──の栄光の日々とはつまり、トゥインクル・シリーズの歴史を語るに等しい、と。(わたくし)も同感です」

「そう言ってくれるのは嬉しいんだけどねぇ」

「確かに、(わたくし)はメジロ家のウマ娘。シンザン先輩のお話を伺う機会はありましたから、『スピカ』の皆さんよりシンザン先輩の成した功績に対する先入観がないとは言い切れません」

「だろうねぇ」

「それでも、直接言葉を交わし、共に走ったからこそ──(わたくし)は競争ウマ娘としては勿論、一人のウマ娘としてもシンザン先輩をお慕いしています」

 

 何より、とマックイーンは曇りない眼差しでシンザンを見据えた。

 

「幼き頃に拝見したシンザン先輩のレース──天皇賞での走りに衝撃を受けたからこそ、(わたくし)はメジロのウマ娘としてだけではなく、一人のウマ娘としても楯の栄誉に浴したい。その想いを強くしたのですわ」

「マックイーンちゃん……」

「で、ですから」

「ん?」

「その……差し支えなければ、ま、またシンザン先輩ご自身からお話をお伺いしたく……」

 

 毅然とした態度はどこへやら。マックイーンは声をしぼませ、人差し指を突き合わせてもじもじし始める。その様子に最初は首を傾げるだけのシンザンだったが……。

 

「……そういえば、天皇賞の話はできてなかったっけね」

「っ!」

「今度、お茶でもしながらゆっくりお話でもしようじゃないの」

「ええ! その時はメジロ家総出でお茶会の準備をさせていただきますわ!」

 

 大先輩の誘いの言葉に、嬉しそうに顔を綻ばせたマックイーン。

 

「……ほんっとさ、マックイーンってシンザンのことになると楽しそうだよね」

「あらテイオー、また妬いてるの?」

「うんまあ……けど、レースを走る切っ掛けの一つがシンザンって訳だし。大目に見てあげないとね」

「へー、今日はやけに大人だな」

「うっさいやいっ」

 

 半ば呆れつつも微笑まし気に『スピカ』の面々。テイオーすらマックイーンの告白を前に苦笑するしかなかった。

 

『先ぱーい! こっちこっち~!』

「……少しは恥じらいってものを持とうとしないのかね、あの子はまったく──ほいじゃまぁ、また今度お話しましょうねぇ」

 

 大きな声で名を呼ばれ、やれやれと首を振ったシンザンは『スピカ』メンバーの顔を見渡して空いている手を軽く振った。

 

「ああ、そうだ」

 

 少女たちも言葉を返し、穏やかな雰囲気でこの場は解散……そう思った矢先だった。

 

 

 

「ところでミホ」

 

 

 

 がたんっ、とそれまで気配を殺していたミホシンザンが名前を呼ばれた瞬間に音を立てて椅子の上で姿勢を正した。

 

「は、はいっ」

「自分がいる時だけでも、ミナの手綱はしっかり握るようにって、わたしは言ったはずだよ」

 

 淡々とした口調で述べるシンザン。その調子は端で聞いているテイオーたちの肝が冷えそうになる。

 

「は……はい」

「自分も後で説教だ」

「でも──」

「分かったね」

 

 振り返った大先輩の黒い瞳が、鈍い輝きを放っている。

 

「…………はい」

 

 有無を言わせにぬ圧力に、観念したようにがっくりと肩を落とした。

 

 「じゃあねぇ『スピカ』の皆」と立ち去っていく『五冠ウマ娘』。

 

 ほぼとばっちりのようなものだったのだが、最後の最後で鋭い一撃を食らい頭も耳も項垂れさせたミホシンザンのことをテイオーたちは気の毒に、とても気の毒に思った。

 

「…………」

「その、大丈夫っすか?」

「元気出して……後ではちみー奢るからさ」

「も、申し訳ありません。ついお話に聞き入ってしまって……」

「……ううん、大丈夫ですよ。元はと言えば私が切っ掛けだったものね」

 

 後輩たちからの慰めの言葉にミホシンザンも少しだけ気を取り直し、額に浮く冷や汗を拭って顔を上げた。

 

「私がシンザン先輩の話をしてるところをミナさんに見られさえしなければ……はあ」

「……あのお。こんな状況で聞いちゃうのは本当に申し訳ないんですけど」

 

 こめかみに手を当ててため息をつくミホシンザンへ、申し訳なさげにスカーレットが手を挙げた。

 

「ミホ先輩が言いかけてたシンザン先輩のすごかったレースって、結局どんなレースだったんですか……?」

「……やっぱり、気になりますよね?」

 

 明らかに憂鬱そうにしている先輩へ尋ねるのも心苦しかったが、そもそも今回の一件はシンザンのレースの話が切っ掛けである。

 

 伝説の三冠ウマ娘(シンザン)が全力を発揮したかもしれないというレースの内容が気になるのも本音でもあったので、『スピカ』の少女たちは互いの顔を見合ってから一斉に頷いた。

 

「思いがけない横やりもありましたし、話の方もだいぶ脱線しちゃいましたけど──」

 

 言葉を切り、これから話す内容が聞かれないことを確認するようにミホシンザンはちらりと遠くへと視線を向けた。

 

「──この距離なら、大丈夫そうね……全力でレースを走ったことがないんじゃないかって言われていたシンザン先輩が、全力を出したなんて言われるレースがあったんだけど」

 

 大先輩の様子を一旦窺い、神妙な面持ちを浮かべたミホシンザンを前にチーム『スピカ』は固唾を飲む。

 

「それはね」

「「「「……ごくり」」」」

 

 

 

 

 

「オープン競走だったの」

 

 

 

 

 

「「「「…………」」」」

 

 

 

 

 

「「「「オープン競走?」」」」

 

 

 

 

 張り詰めていた空気が一気に弛緩した。

 

「オープン競走、っていわゆるオープン戦のことですか?」

 

 オープン競走。それはあらゆるウマ娘に出走件が与えられる競走の総称である。

 

 とはいえ、オープン戦に出走するためにも幾度かレースに勝利している必要があるが、逆に言えばその条件さえ満たしていればGⅠ勝ちウマ娘であろうと重賞未勝利ウマ娘であろうと三冠ウマ娘であろうと、関係なく出走可能。それがオープン競走だ。

 

「GⅠレースじゃなくて?」

「重賞ですらないんですの?」

「そう。宝塚記念の前のオープン戦だったかな」

 

 戸惑いを隠せずにいる『スピカ』の面々の気持ちが分かるのか、ミホシンザンは少しだけ微笑みを取り戻す。

 

「シンザン先輩、スタートダッシュがとても上手いでしょう?」

「はい、ファン感謝祭の時も一歩先んじてた位でしたよね」

「けど、一度だけスタートダッシュで出遅れちゃったの」

「それがそのオープン戦、って訳っすね」

 

 スタートでの出遅れ自体は珍しいことではない。

 

 しかしミホシンザンの口振りからするに、シンザンにとっての出遅れは予想外のものだったのだろう。

 

「でも、スタートを出遅れたこととシンザンがレースにどういう関係がある訳?」

「それがね、ただ出遅れたのじゃなくて……ふふ」

 

 テイオーの率直な疑問に対してもうんうんと首肯しつつも、ミホシンザンが込み上げてくる笑いを抑えるように手を口元に当ててしまう。

 

 ことさら訳が分からず、眉を寄せたマックイーンが再度尋ねた。

 

「何か、おかしいことでしたの?」

 

 

 

 

 

()()()()。シンザン先輩」

 

 

 

 

 

 ────転んだ?

 

 一瞬、少女たちは何を言われたのか理解できず首を傾げてしまう。

 

「そう、スタートダッシュで転んじゃったの。シンザン先輩も自分で驚いたとは思いますけど……今にしてみれば笑っちゃうわよね」

「え? でも、転んだら競走中止になっちゃいますよね?」

「普通はそうなんだけど、そこがシンザン先輩のすごいところ。思い切り踏ん張りを効かせて、つんのめるところで耐えてそのままレースを続行したの」

 

 絶句するスカーレットをそのままにミホシンザンは「先行集団から五十メートルは離されちゃってたかな」と話を続ける。

 

「でも直線に入った途端に怒涛の追い込みでレースには勝っちゃうの」

「えっ、勝ったの?」

「勝ちましたよ。シンザン先輩ってば、本当にすごいウマ娘よね」

「五十メートルも先んじられたのに、ですか?」

「ええ、勝ちました。私も現地で応援してたからよく覚えてるもの」

 

 テイオーとマックイーンも言葉を失う中、「でもね」とミホシンザン。

 

「一番笑っちゃったことは転んで大きく出遅れて、五十メートルも先行されていたのに誰も()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のよ」

「「「は?」」」

 

 声を揃えるテイオーたち、その中で半笑いのウオッカが振り絞るように声を発する。

 

「そ、それは流石に冗談っすよね? だって、んな出遅れたら──」

「いいえ、本当ですよ。だって、私も『あのシンザンも転ぶんだな』位にしか捉えなかったんですもの」

 

 誰もなにも言えなくなり、しんと静まり返る中もう一度、シンザンたちがいる方へ目を配り、可笑しそうに両手で口元を覆ってくすくすと笑うミホシンザン。

 

「ただ、この話をすると『転んでない、つまずいただけだ』って怒られちゃうから……ふふっ、私が話したことは秘密にしてね」

 

 言いたくて堪らなかった秘密をやっと打ち明けられた、そんな面持ちで愉快そうにミホシンザンは顔を綻ばせた。

 

 一方でほんのり頬を染めた先輩を遠い目で眺める『スピカ』の少女たちはというと。

 

 

 

 

 

「「「「…………」」」」

 

 

 

 

 

「「「「……ええ」」」」

 

 

 

 

 

 大先輩の知られざるレースでのでたらめっぷりに、ただただ絶句することしかできなかった。




 捕捉:あの名実況者も脱帽。『つまずいても勝ったシンザン』



 シンザンがその強さを見せつけたレースとはなんでしょうか。

 カメラの画角外から飛び込み、史上二頭目の三冠を達成した菊花賞。

 大外も大外、カメラのみならず観客の視界からも文字通り『シンザンが消えた』伝説の有馬記念。

 直線で先頭に立ち決して並ばせなかった皐月賞、直線で交わされた瞬間に差し返したダービー、並み居る強豪を一蹴した天皇賞、あるいはスプリングステークス、宝塚記念、目黒記念……。

 シンザンとライバルたちが繰り広げた数多ある名勝負。優劣は着けがたいところではありますが、そんな中でもシンザンの底知れない強さを様々と見せつけたレースがありました。

 そのレースとはそう、シンザンの引退レースにして観衆の目からその姿を消した伝説の有馬記念──



 ではなく、とあるオープン戦でした。



 1965年6月13日、阪神競馬場。二週間後に控えていた宝塚記念の叩きとして第6レースに出走したシンザン。騎手はシンザンの主戦騎手を務め前年に戦後初のクラシック三冠を達成した名手・栗田勝ではなく、シンザンを管理していた調教師・武田文吾の長男であった武田博。

 前年に騎手免許を取得したばかりの新米騎手を背にスタート地点へ向かうシンザン。ゲートにすんなりと収まってスタートの瞬間を待ちます。

 ゲートが開き、同時に観客席からどよめきが上がりました。一頭大きく出遅れた馬がいる──まさかのシンザンでした。

 スタートダッシュの上手さを武田調教師と栗田騎手が褒める程のシンザンが前へつんのめるように躓き、『先行馬に五十メートル程離された』くらいに出遅れてしまいます。

 しかしそこは三冠馬シンザンです。自らの出遅れに対して動じることなく、鞍上の博騎手も兄弟子にして義理の兄でもある栗田の教え通り『落ち着いて』先行集団との差をじわじわと詰めていきます。

 四コーナーから正面スタンド前の直線へ差し掛かり、猛然と追い込みをかけるシンザン。

 凄まじい末脚でもって先行するライバルたちを矢のようにごぼう抜き、終わってみれば『気が付くと周りに馬が見えず、そこがゴールだった』という博騎手の言葉の通り一馬身半の差を着けての勝利でした。

 このシンザンのハプニングへのファンの反応はとても面白いもので、シンザンの出遅れに対する驚きはあったもののシンザンが負けると思っていたファンは殆どいなかったという、驚きの逸話があり、馬主にいたっては『転んでもすぐ起きて行けば勝てるよ』なんて発言をしたとか……。

 それを裏付けるかのようにウマ娘のゲーム内でも実況を担当し、かつて関西テレビに所属した競馬実況のレジェンド・杉本清アナウンサーもシンザンが転んだレースが一番印象に残ったレースだったと回想しており、『人気馬が出遅れれば普通ならあっ、とかどうした、とか声が出るところがシンザンに対してそれがなく、何の問題にもならないと思ったのだ』と当時の心境を語っています。

 映像が現存しているかすら判別しない過去のレース……それでも言葉として、あるいは文字としてその強烈なレース振りを語り継がれているのはまさしくシンザンの底知れない実力を垣間見せたレースだったからと言う他ないでしょう。
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