神が讃えしその駿駆   作:松武栗尾

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シンザンのヒミツ⑤

実は、西暦じゃなくて元号派。


第三十三話 チーム『リギル』で

 季節が秋から冬に移り変わる今日この頃。色付いた葉が落ち始め、一段と寒さも強くなったトレセン学園のグラウンドコースに満ちる空気は四季に左右されず──今も昔も変わらず熱を帯びていた。

 

「はあ────っ!!」

「──たっ!!」

 

 昔と異なり、黄枯れることなく青々としたトラックコースを疾風と化して併走するウマ娘たち。

 

 彼女たち──学園最強のレースチーム『リギル』のメンバーへ向けラチ沿いでトレーナーの東条ハナが声を張る。

 

「フジキセキ! もうワンテンポ仕掛けを遅らせろ! オペラオーはよりポジションを意識したコース取りを心掛けて走れ!」

「「はい!」」

「ウィンター・ドリームトロフィーも近い。各自、自分のペースを……」

「どおっらぁぁぁぁああああ!!!!」

 

 だが、突如轟いた気合いによって少女たちに向けられた彼女の指示が掻き消された。

 

「おっと」

「むむっ?」

 

 外から自分たちをぶち抜いていった声の主にフジキセキとテイエムオペラオーが微かに目を見張る。

 

「っしゃ! どうだ見たか!」

「やるじゃないかヒシアマさん!」

「けど、随分な気合の入り様じゃないかい?」

 

 二人からの驚き混じりの称賛にガッツポーズを決める褐色肌の担当ウマ娘へため息が出そうになるのを堪えつつ、東条ハナは声を飛ばした。

 

「……ヒシアマゾン!」

「なんだいおハナさん?」

「一度、休憩がてらゴール板役をグラスと代わってやれ」

「んなっ、アタシはまだまだいけるよ!」

「駄目だ」

「でも……っ」

 

 食い下がるヒシアマゾンの言葉を有無を言わせぬ調子で遮り、すぐに柔らかくして諭すように声をかける。

 

「いいから──少し、追い込み過ぎだ」

「おハナさん……」

「ここで攻めすぎると本番に響く。深呼吸して、気持ちを落ち着かせておけ」

「……押忍」

 

 「お疲れ様でした」と苦笑する栗毛のチームメンバーから“ゴール”と書かれた板っ切れを渋々受け取った彼女を見届け、東条ハナは眼鏡の奥の瞳を閉じて口の中でため息を零した。

 

 今日のヒシアマゾンはいつにも増して気合が入っている、いや入りすぎている。

 

(まったく……()()()()()()()

 

 グラスワンダーを先程の併走に参加するよう指示を出しながら胸の内で呟く。

 

 彼女だけではない。他の『リギル』メンバーもそうだ。漂う空気もいつもの緊張感に加えて異なる幾つもの感情が混じっている。畏怖、警戒感──あるいは闘争本能が刺激されたゆえの興奮か。

 

(まあ、抑えろというのも難しいか。()()()()()()()()()

 

 何度目か分からないため息を胸中でつき、東条ハナは異様な空気を醸成する原因である、トレーニングに参加する『リギル』メンバーでない唯一のウマ娘を一瞥した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ保安官。この間のファン感謝祭で保安官の勝負服姿見かけたんだけど。腰に吊るしてたリボルバー、もしかすると本物だったりするの?」

「ノー! アレは正真正銘! 立派なモデルガンデース!」

「そりゃそうだよねぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コースの外。この空気を生み出した諸悪の根源(?)であり、先んじて併走を一旦終えた『五冠ウマ娘』シンザンが、背後からマイル王に抱きしめら(ハグさ)れたまま呑気に世間話に興じていた。

 

 ……あれがエキシビションレースで強豪古豪を一蹴し、巷を賑わせ『リギル』の少女たちを過敏にさせている伝説のウマ娘だと言われて誰が信じるだろうか?

 

「まっ! エルちゃん見て見て!」

「ハイ~?」

「あすなろ抱きよっ、シンザンセンパイっ、あすなろ抱きされてるわっ」

「ケ……? あれってただのバックハグデスよね……?」

 

 威厳もへったくれもない姿に鼻白んでいると「タイキちゃんってばトレンディ~♪」と二人の様子からマブさを感じ取って後輩相手にはしゃぐ声が聞こえてきたが、あえては触れまい。

 

「……いや。多分、気のせいだなこれは」

 

 ファン感謝祭以来、より強い視線と様々な感情を向けられるようになってなお変わらぬおとぼけ具合を前に──そしてむくれている担当三冠ウマ娘の様子に、トレーニングの緊迫感に混ざる異質な空気は自分の錯覚だと思うことにして、東条ハナは再びため息をついた。

 

 

 

 

 

 

「ヒシアマの奴……レースでシンザン先輩に負かされたことが相当刺激になっているようですね」

 

 正面を駆け抜けていったチームメイトたちを見送ると、エアグルーヴは何とも言い難い面持ちで隣に佇む生徒会長──同じチームメイトでもあるシンボリルドルフへ顔を向けた。

 

「気炎万丈といったところか。だが、それはヒシアマゾンや共にレースを走ったウマ娘だけじゃない。ファン感謝祭、エキシビションレースを目にした者は大なり小なり、彼女に感化されトレーニングに影響が出ているのさ」

 

 「君も、私もね」と音もなく三日月の流星を揺らしながら、ルドルフは『リギル』の一員であるタイキシャトルに絡まれている大先輩へ視線を向ける。

 

 

 

「保安官のリボルバーって、名無しの男が使ってたのと同じやつ?」

「ナナシノオトコ?」

「ほれ、ドル箱三部作の主人公のさ……」

「ドル箱……dollars……三部作……Oh! でもソーリーデス、ワタシのリボルバーはあのワイアット・アープが身に着けていたモデルなんデース」

「おお、OK牧場の保安官と同じなのね」

 

 

 

 「Exactly! お詳しいデスネ~!」と喜びの声を上げてハグを強めるタイキシャトルに対し、「わたしの現役の頃は西部劇が流行っててねぇ」とシンザンはなすがままにされ続けている。

 

 実に、穏やかな空気が流れていた。

 

「……二人は随分と打ち解けたようだ」

「タイキのヤツ、シンザン先輩にまでハグを……っ、私やスズカ相手にするのとは訳が違うんだぞ……!」

 

 今日のように幾度か『リギル』のトレーニングや夏合宿にも参加していたこともあり、初対面の時こそ抑えていたスキンシップを爆発させているタイキシャトルにルドルフは苦笑を漏らした。

 

 一方でチームメイトの過剰なスキンシップに大先輩が気分を悪くされないかと、エアグルーヴは気が気でならなかった。

 

「親しくするにも限度があるだろう……っ! 会長、私が少し言って聞かせますので──」

「うん、まあ良いんじゃないかな」

「ですが……っ!」

「シンザン先輩は気にも留めてないだろうから。むしろ……ほら」

 

 困った笑顔を浮かべたままのルドルフに指し示され、エアグルーヴは眉を顰めてシンザンへ視線を向けた。

 

 

 

「──で、公開日が有マ記念と同じ日だった訳なのよ」

「ワーオっ! ニホンではその日がファーストリリースだったんデスネ!」

「だから、レースが終わって諸々が落ちついたら観に行こうか、ってわたしのトレーナーと約束したんだけどさ……結局観れず終いだったのよねぇ」

 

 

 

 背後からがっちりと拘束(ハグ)されている割に、シンザンは目を細めタイキシャトルの腕に自身の腕を添えながら会話に興じていた。

 

「……何故シンザン先輩はあのようなリアクションを?」

 

 タイキシャトルはアメリカ出身であることもあり、人前で肌と肌を触れ合わせることに躊躇いがない。

 

 文化の違いもあり友人たちへの好意をハグという形で表現してくる……もちろん悪い気はしないのだが、エアグルーヴも含め日本のウマ娘たちにとって彼女のハグ攻勢にはどうも小っ恥ずかしさが勝ってしまうのだ。

 

 だというのにあの大先輩が衆目の前で余裕で受け入れられているのか理解できずにいると、ルドルフがうっそりと口を開く。

 

「あー……その、だね。恐らくだが、タイキシャトルのハグが心地良いんだろう」

「はあ?」

「ほら、彼女たちの体格差でだね。その、ね……」

 

 「分かるだろう?」とやけに歯切れの悪いルドルフの説明に、ただただ首を傾げるしかできないエアグルーヴだった。

 

「──ちっ、まったくもって話にならん」

 

 二人がそんな会話をしていると、横から荒っぽい気配が近付いてきる。

 

「こっちがその気で食って掛かってるのに……見透かしたようにのらりくらりと──」

「……やあブライアン」

 

 黒鹿毛のポニーテールに、鼻柱の鼻腔テープ。三冠ウマ娘にして『リギル』の一員でもあるナリタブライアンだった。

 

「どうした、二人して渋い顔して」

「いや……特に何かあったわけではないんだが」

「? ならいいが」

 

 何でもないとかぶりを振るエアグルーヴを訝し気に一瞥した後、ブライアンはルドルフへ視線を飛ばす。猛禽のごとき金色の瞳には微かに険があった。

 

「……会長。シンザンのヤツ。あんな人を食ったようなヤツだったのか?」

「併走のことだろう」

 

 あからさまにしかめっ面を浮かべるブライアンの問いかけにルドルフは即答する。

 

「残念だがブライアン、模擬レースかあるいは追い切りであれば万が一にも可能性があっただろうが、併走でシンザン先輩の底を覗こうとしたところで徒労に終わるだけだよ。今までのトレーニングを見てきてそれは察していただろうし、実際そうなっただろう?」

「併走でそこまで走らないのは……確かにこれまでの合同トレーニングで見てきてるからまだ良いが」

「良しとしているようには見えんのだが……」

 

 エアグルーヴの突っ込みには触れず、ブライアンはふんと大きく鼻を鳴らした。

 

「が、人が模擬レースを頼んでも『トレーナーさんが許可するならいいよ』の一点張り。ならトレーナーに許可を取りに行けば私の調整に影響が出るから首は縦に振れんとさ」

「ウインター・ドリームトロフィーも控えていることだ。おハナさんは君の調子が大きく狂うことは良しとしないだろうからね」

「まあ、な……シンザン相手に加減する気はさらさらないんでな」

 

 トレーナーである東条ハナの言わんとすることは百も承知であるようだったが、よほど不服なのだろう。ブライアンは眉間に皺を作って言葉を続ける。

 

「模擬レースが無理なら併走で。ヤツがその気になるようけしかけてみたんだが、これっぽっちも乗ってくる気配がない。それからは独り相撲してるみたいでアホらしくなったんでな……不本意ながら引いた訳だ」

 

 「食えないヤツだ」と白いため息混じりに首を振るブライアンの姿に、エアグルーヴとルドルフは目配せする。

 

 シンザンが復学してからというもの、ブライアンは自分と同じく三冠ウマ娘である先人と競う機会を狙っている。

 

 そしてファン感謝祭以降、強くなったその想い。彼女のシンザンに向けていた執着──強者と競い合いたいという純粋な闘争心がどことなくしぼんでいるのが纏う雰囲気からも見てとれた。

 

「……気に入らん。エキシビションレースであれだけの走りをしながら、目の前でお預けだなんで……」

「貴様の思いは尊重するが、シンザン先輩にも考えがあっての上で……」

「大体、どうしてシンザンはトレーニングでは加減して走るんだ? メリハリや調整でということなら理解するが、()()()()()()()()んだろう?」

 

 

 

「実はわたし、一度だけ本物の銃を撃てる機会があったんだぁ」

「What's? 日本でシューティングするチャンスがあったんデスカ?」

「何時ぞやセントライトさんに誘われて、ミハルと一緒に鳥撃ちに連れてってもらったのよ」

「セントライトサン……フーム、どこかで聞いた名前デスネ~?」

「まあ、わたしは遠慮したんだけどさ。素人がいきなりぶっ放すなんて危ないじゃない」

 

 

 

 「懐かしい話だぁ」とタイキシャトルの体に後頭部を埋めながら雑談に興じるシンザンの姿に、ブライアンの瞳があからさまに半目に細まった。

 

「……くそっ、アイツを見ていると段々突っ掛かっているわたしがバカみたいに思えてくる……っ」

 

 チームメイトと戯れる『五冠ウマ娘』をジト目で睨め付ける生徒会の同僚の空回りする姿に、エアグルーヴはどう言葉をかけるべきか思案していたところ……。

 

「──自身のランニングフォームに細心の注意を払い、己の力を完全に御し、自らのコンディションを十全に把握するため」

 

 ふっ、と隣に立つルドルフが呟いた。

 

「……だ、そうだ」

「なんだって?」

「彼女が併走で程々の力で走る理由だよ。あの『シンザン鉄(特注の蹄鉄)』が考案された程の凄まじい脚力……自身の認識と乖離した、自身の脚を傷つけてしまう過剰なパワーを律することができるまで己の走りを手の内に入れられるようなトレーニングを彼女のトレーナーが指示を与えたそうだ。今でも忠実に守っている、とのことらしい」

 

 答えが返ってきたことに目を見張ったブライアンだったが、すぐさま訝し気に発言主であるルドルフを見つめた。

 

「知っていたのか? 知っていたのなら教えて──」

「いいや。私も最近知ったんだ」

 

 首を傾げるブライアンを余所に、ルドルフは顔を上げて目を細めた。

 

 

 

「彼女の──シンザン先輩の()()()()から伺ったんだ」

 

 

 

 細められた眼差しが遠いものを見る目付きへと変わる。

 

 皇帝シンボリルドルフの物思いに耽るその様子に、エアグルーヴは彼女が思いを馳せているであろうあの日──ファン感謝祭当日のシンザンの強烈な走りを目の当たりにした、その後の出来事を思い返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「前にいた二人には随分距離を置かれていたんだけど、特に問題にはしてなくてね」

「はい」

「相手はシンザンただ一人。それだけを頭に叩き込んで、アイツの出方を窺ってたんだ」

 

 学園のカフェテラス。ファン感謝祭に合わせ一般開放され、学園の生徒だけでなく一般のファンにも解放され、加えて一部の生徒たちによる出し物も催されていることもあり大きな賑わいを見せていた。

 

「坂を下って、四コーナーを過ぎて直線に出たときは先行組は捕まえられると確信したんだけど……んー、あの時の末脚は完璧だったと今でも思ってる。それが外からあんな脚で来られるとはなぁ」

 

 カフェテラスの一角。そのテーブル席に立ち込める雰囲気は周囲の楽し気な空気感とは一線を画していた。

 

「勝ったと思ったんだけどなー……しかもだよ? シンザンが直線で私を抜き去っていった時、何をしたと思う?」

「えっ?」

 

 その問いかけにエアグルーヴは思わず背筋を正し、やや強張った面持ちをしかめて思案したがそれらしい答えは浮かんでこなかった。

 

「……恥ずかしながら私には何とも」

「それがさ、()()()()()()

「は? ……っ」

 

 半笑いで返ってきた予想だにしなかった答えに思わず間抜けた声を零してしまい、取り繕うに咳ばらいをする。

 

「んんっ。わ、笑ったというのは、つまり?」

「そのまんまの通りだよ。私を交わした瞬間こっちを振り向いてこう──にやっ、ていたずらが成功した悪ガキみたいな顔でさ」

「そんなことが……」

「私もレース中にシンザンが笑うだなんて信じられなくてね、自分の目を疑ったものさ。正直に言うと、今でも錯覚だったんじゃないかって思う時があるくらいだ」

 

 身振りと共に当時の光景を再現する、テーブルの斜向かいに座るウマ娘の話はまさしくトゥインクル・シリーズの歴史に刻まれた偉大なる蹄跡──その敗者側からの証言に他ならない。

 

 その事実をエアグルーヴが厳粛に受け止めていると、隣で静聴していた生徒会長のルドルフがおもむろに口を開いた。

 

「実は、私もあのレースを現地で観戦していたのですが……廃忘怪顛(はいもうけでん)。先輩方が繰り広げた淀の攻防の最中にそのような秘話が存在していたことは初耳です」

「君はあの日の京都に来てたのか。まあ知らないのは無理ない。大外を回ったアイツが内側にいた私に笑いかけたんだ、位置的に見えるはずがないよ」

「もちろんです……ただ、カネケヤキ先輩からもそのような話を伺ったことがありませんでしたので」

「ケヤキを知っているのかい?」

 

 ルドルフの告白に、対面のウマ娘はその切れ長の真っ赤な瞳を丸くして、白い三日月を持つ皇帝をまじまじと見つめた。

 

「彼女のトレーナーは、私の所属するチーム『リギル』の先代トレーナーでもありましたので」

「そうか……そういえばそうだったか」

 

 彼女は独りごちると目の前に置かれていたカップを手に取る。丁度、カフェテラスでは模擬喫茶店が開かれており、そこで淹れてもらったコーヒーを口に含んだ。

 

「あのトレーナーの元で、君は三冠ウマ娘になったんだもんな。にしても……ケヤキかぁ。ケヤキとは何度かレースした仲だったけど、アイツも元気にしてるかな」

 

 白梅の耳飾りを揺らして天井を見上げながら「久しぶりに連絡入れてみるか」と旧友を想い呟くウマ娘を前に、暫しの間を置いてルドルフが再び口火を切る。

 

「しかし……シンザン先輩のライバルと謡われたウマ娘であるあなたと、こうして言葉を交わせるとは思ってもいませんでした」

 

 

 

 

 

「ウメノチカラ先輩」

 

 

 

 

 

 『ウメノチカラ』──クラシック三冠の栄冠に輝いたシンザンの道程を語るうえで必ず名が上げられる、クラシック級時代のライバルと目されていたウマ娘だ。

 

 今日ではGⅠレースに格付けされている朝日杯フューチュリティステークスや、セントライト記念をレコード勝ちするなど当時の世代トップの実力を兼ね備えていた実力者でもあった。

 

 ある意味では歴史の中の登場人物といえる彼女と、生徒正副会長の二人が何故カフェテラスでお茶をしての歓談に興じることになったのか。

 

 エキシビションレースで偶然の対面を果たした後、自然の成り行きで折角の機会だからということでどちらからというわけでもなくぜひ一服でも、という話に纏まり現在に至っている。

 

 エキシビションレースのこと、在学時代のこと、そしてシンザンとの関係などざっくばらんに話に花を咲かせ、そして今はシンザンがクラシック三冠を達成した菊花賞についての話題に触れている最中であった。

 

「よしてくれ先輩だなんて。私は学園の卒業生じゃないんだから」

「それは了承できかねます。シンザン先輩の同期の先輩であり、ライバルであったあなたに先達の礼をもって接するのは至極当然のことです」

 

 黒鹿毛のポニーテールを揺らして苦笑するするウメノチカラにルドルフも困ったような微笑を浮かべつつも、至極真面目な調子で首を横に振る。

 

 そう、ウメノチカラはトレセン学園の()()()()()()()

 

 彼女が語ったところによると、現役最後のレースとなった春の天皇賞を最後に在学することなく自ら学園を去ったのだという。

 

 何故引退後に留まることなく去ったのか。その理由を遠慮して聞きあぐねていたいたところ「全てを出し切って満足したから」と先んじて告げられたのだが、その際のあっけらかんとした様子に思わずエアグルーヴとルドルフは顔を見合わせてしまったくらいだ。

 

「たまたまシンザンと同期だっただけさ。むしろ有名な二人に私なんかの相手をしてもらって申し訳ないよ。それに、君たち生徒会役員だろう? 生徒会はファン感謝祭の見回りで忙しいだろうに」

「お気になさらないでください、今のところ、これといった問題は発生していませんので。それに問題が発生したとしても私たち以外の優秀な役員が対応してくれるでしょう」

「はははっ、生徒会長がこうしっかりしていると下も良く育ってくれるだろうね」

「そんなことは決して……私が彼女たちから教わることの方がとても多くて」

 

 ウメノチカラの言葉にルドルフは面映ゆそうにして模擬喫茶で注文した紅茶に口を付けるその傍ら……自身の紅茶に手も伸ばさず、エアグルーヴは黙ったまま黒鹿毛のウマ娘をそれとなく観察した。

 

(この方が、シンザン先輩のライバルだったというウマ娘……)

 

 長い黒鹿毛をポニーテールに纏め、右耳に白梅の耳飾り。紅梅のような赤い切れ長の目──

 

 どこか鋭さを感じさせる見た目とは異なり、物腰は柔らかく落ち着きがあるウマ娘という印象をエアグルーヴは彼女から受けた。彼女がかつてシンザンと死闘を繰り広げたウマ娘だと知らなければ、そうとは気付けない程に。

 

 

 

(……目の色だろうな)

 

 

 

 瞳の放つ輝きがかつてと異なるからだろうなと、エアグルーヴは感じ取った。「全てを出し切った」という彼女の言葉からするに燃え尽きてしまったのだろうとも推測する。

 

 現役時代の彼女を知らないため実際のところは不明だが、シンザンと鎬を削っていた当時のウメノチカラの眼光は凄まじい色を放っていたのだろう。それこそ、日本刀の放つ輝きに等しい色をしていたに違いない。

 

 

 

 皐月賞三着、ダービー二着、菊花賞二着──これがクラシックレースにおけるウメノチカラの成績である。

 

 

 

 一生に一度しか出走の許されないクラシック三冠レースにおいて、これだけの結果を残したウマ娘はそう見つからない。しかし、彼女はいずれの栄冠も手にすることはなかった。

 

 何故なら、そこには必ずシンザンの存在があり、常に彼女の後塵を拝していたからである。

 

 結果論になるが、シンザンというトゥインクル・シリーズ史上類を見ない少女と同期でなかったなら、ひょっとすると──

 

「どうかしたかな?」

「────っ、は、はいっ」

 

 考えに耽っていたエアグルーヴを現実に呼び戻したのは、ルドルフの呼び声だった。

 

「大丈夫かい? もしかして、ファン感謝祭の準備で疲労がここへきて──」

「いえ、少し考えごとを……」

「そうか? ならいいのだが……」

 

 心配するルドルフへそう答えると誤魔化すようにカップに手を伸ばしたところ……。

 

 

 

「君、『シンザンがいなければコイツが三冠ウマ娘になってたかもしれないのか』って考えただろう」

「っ!?」

 

 

 

 ウメノチカラの発言にぬるまった紅茶を喉へ流し込もうとしていたエアグルーヴは盛大に噴き出した。

 

「エアグルーヴ!?」

「えほっ、けほっ……!?」

「ははは、やっぱりだ」

 

 図星を突かれ動揺する大きくむせながら驚きの視線をからからと笑う黒鹿毛のウマ娘へ送る。

 

「ど、どうしてそうだとを……っ?」

「いや、大体私と初めて会ったウマ娘は同じことを考えるからさ。そんなことだろうと思っただけだよ」

 

 背中をさすってくれるルドルフに感謝しつつ、エアグルーヴは気管に残る紅茶に悶え苦しみながらも頭を下げた。

 

「も、申し訳ありません。失礼なこと、を……こほ」

「ああ、気にしなくてもいいよ。慣れてるからね。でも、そうか……」

 

 ひらひらと手を振るウメノチカラだが、何がおかしいのか口元に拳を当ててくすくすと笑い始める。

 

「いかがしましたか?」

「……いやね。女帝と呼ばれている君のようなウマ娘でも、そんなことを思うんだね」

「そんなこととは?」

 

 笑う意味をルドルフが代わりに尋ねると彼女はコーヒーを呷り、微笑んでみせた。

 

「同情してくれたんだろう? 文字通り、シンザンに手も足も出なかった私のことをね。シニア級でもだけど、結局八大競走──GⅠレースって言った方がいいかな──には勝てず終いで現役を終えた訳だから」

「ふう……いえ、そういうつもりは決して」

 

 ウメノチカラの()に触れてしまったのかもしれない。そう受け取ったエアグルーヴは一旦呼吸を整えると謝罪の言葉を述べようとした。

 

「宝塚記念で」

「は?」

「君、惜しいところで負けただろう? あの、なんていったっけか……メイズイやタマちゃんみたいなえらい逃げ足を持ってた子」

「サイレンススズカのことですね」

「そう、サイレンススズカに」

 

 いきなり自身の走ったレースの話に飛び呆気に取られる横で、ルドルフが代わりとなって黒鹿毛のウマ娘の疑問に答える。

 

 頷くウメノチカラは微笑を引っ込めると真面目な面持ちになってエアグルーヴを見据えた。

 

「上手く追い込んだものの、ゴール前で彼女を交わすことは叶わなかった。けど、私に言わせればあれはレースの()()だよ」

「待ってください、それは……」

「多少展開が異なれば君が勝てていたレースだったろうし、誰かしらがあの子に競りかけていたらなおさらだったろう。そもそも、その()()()()()()()()()()()()()()()()()()あの宝塚記念は君が間違いなく勝ってた──」

 

 ばんっと、言葉を遮るようにしてエアグルーヴは思わずテーブルを叩きつけた。

 

「そんなことはありえません! あの宝塚は私が至らなかっただけで、スズカの方が強く私が弱かった──ただそれだけの話です!」

「エアグルーヴ、一般のファンの方々もいるんだ。少し冷静に──」

「大体、あの勝負をレースの()()などという言葉で片付けないでいただきたい! スズカが出走していなければ私が確実に勝っていた? そんな『イフ』語る価値などこれっぽちも──!!」

「エアグルーヴ」

 

 ルドルフの鋭い制止の声にはっと我に返り、エアグルーヴは自分が立ち上がっていたことにそこで気が付く。

 

 幸い、周囲はファン感謝祭を堪能してるようで誰一人こちらに注目している様子はなかった。

 

「……申し訳ございませんでした」

「彼女がとんだ無礼を……お気を悪くはされていませんか?」

 

 エアグルーヴはそろそろと腰を下ろし詫びを入れる。

 

 ついカッとしてしまったことで先輩に対する礼も欠いたこともそうだが、ルドルフにまで頭を下げさせてしまったことに自責の念に駆られてしまう。

 

「いや、今のは私が意地悪だった。ごめんごめん」

 

 が、ウメノチカラは気にした素振りもなくテーブルを拭いている。

 

「けど、それだよ」

「え……?」

「「()()()()()()()()。レースに勝ったウマ娘が強く、レースに負けたウマ娘が弱い。当然のことだ」

 

 俯いていたエアグルーヴが顔を上げると、ドリンクの跳ねを拭き終えた彼女は指先だけでちょんと指し示す仕草を取る。その顔に再び微笑みを湛えて。

 

「君も私も、それこそルドルフさんも変わらない。だろう?」

「ウメノチカラ先輩……」

「負けた相手が史上初の『五冠バ』になるような素質のウマ娘だったとか、そんなことは関係ない。けど、相手が自分よりも強いからといってそれを『ハイそうですね』と認めるのも面白くない。だったら、足りない頭を捻り、持てる全ての力を絞り出し、あらゆるものを総動員してその相手を負かして勝ちをもぎ取りにいく。それがレース──()()ってものだろう?」

 

 「まあ一度も勝てなかったんだけどね」とシンザンという史上稀に見るウマ娘に敗北し続けた事実を事実としてばっさりと切り捨てるウメノチカラの調子は、話す内容の重さに対しては妙に朗らかなものである。

 

 「まあ、つまりなにが言いたいかっていうとだ」

 

 だが、その目に宿る光は、紅梅のごとき真っ赤の瞳に微かに灯った熱は────

 

 

 

 

 

「君の場合はサイレンススズカって子に負けて、私はシンザンに負けた。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 かつての激闘を想起したのを引き金なったのだろう。かつての輝きの名残火(なごりび)が、瞳の奥深くで揺らめいていた。

 

 その双眸に射止められ、エアグルーヴの背筋がぞくりと震える。

 

 黒鹿毛のウマ娘の眼差しにちらつく色は、並のウマ娘では宿すことなど叶わぬ、強大な敵との死闘を潜り抜け、闘い続けてきた者しか出せない色だ。

 

 その古刀のような主張しない煌めきに静かに圧倒され、目の前のウマ娘は確かにシンザンのライバルその人であると、エアグルーヴは遅ればせながらに思い知らされたのだった。

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