神が讃えしその駿駆   作:松武栗尾

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 シンザンを超える子がやっと現れたか。





 ──無敗でのクラシック三冠を達成したシンボリルドルフへ溢したタケダチーフトレーナーの呟き







第三十四話 ルドルフとウメノチカラ

 暫しの間、静かに熱を帯びるウメノチカラの双眸からエアグルーヴは目を離すことができなかった。

 

(これだけのウマ娘と競っていたのか、あの方は)

 

 とうに現役からは退いているはずの、目の前のウマ娘がかつて抱いていた熱量を受け止めていたであろうシンザンの存在が、如何に大きなものであったのかを思い知らされる。

 

(もし、私もシンザン先輩と競うことができたのなら。会長のお考えも少しは……?)

 

 ふと、グラウンドでの一幕が蘇る。シンザンの走りに囚われていたシンボリルドルフの自分すら説明できなかった感情を見出す助けになるのではないのだろうか?

 

「っ!?」

 

 うっすらと、そんな考えが脳裏を過った瞬間。振動と着信音がエアグルーヴを襲った。

 

「も、申し訳ございません。お話の最中でしたのに……」

 

 着信を告げるスマートフォンを慌てて取り出すと画面に表示された発信元を確認する。

 

「……庶務からです」

「となると業務連絡になりそうだが……」

「私のことは気にしなくていいよ、時間を貰ってるのはこっちなんだし」

 

 ルドルフは確認を取るように対面のウメノチカラへ目配せをすると、感謝祭の運営を優先してくれ、と彼女は手振りと共に促してくれた。

 

「お気遣い感謝します」

「ありがとうございます。では、失礼して──私だ、何か問題が……っ!?」

 

 瞳に宿っていた古強者の輝きが嘘のように霧散したウメノチカラへ断わりを入れ、着信を告げるスマートフォンの画面をタップした瞬間、スピーカーから大音量のリズミカルな音楽が流れ出す。

 

 あまりの爆音にエアグルーヴは反射的に体を仰け反らせたが、ただ事ではなさそうな雰囲気を察し、指示を仰ぐために電話を寄越したであろう後輩である生徒会庶務へ即座に問い掛ける。

 

「どうした! 何があった!」

 

 スピーカー越しに聞こえるノリの良い爆音とそれに掻き消されまいと声を張り上げる後輩に釣られ、エアグルーヴの声も次第に大きくなってしまう。

 

「この音楽は一体なんだ! 音楽のせいで聞えん! ──ああくそっ、場所は! 今どこにいる!」

 

 このまま互いに吠え合っても埒が明かないと、彼女の現在地点を端的に伝えさせ、エアグルーヴはうんと頷いてスマートフォンへ怒鳴った。

 

「──屋外ステージだな! すぐに向かう! 私が現場に着くまで可能な限り対応してくれ! 頼んだぞ!」

 

 電話を切ると、少し疲れたような気分がしたのでふうー、と長く深い息を着いてからルドルフへ報告を上げる。

 

「……どうやら屋外ステージで問題が発生した模様です」

「のようだね。私にも聞こえていたよ」

 

 でしょうね、とエアグルーヴは苦笑するルドルフの視線を受けながら額に手を添える。

 

 ……通話終了間際に聞こえた『まだまだ終わんねーぞーバイブスアゲてけー!』という推定パリピギャルの絶叫から、彼女もおおよその事情も察したのだろう。

 

「会長、ここは私にお任せください」

「そうか……ありがとう、すまないね」

「お構いなく。会長は引き続きウメノチカラ先輩とのご歓談をお楽しみください」

 

 腰を浮かせようとしていたルドルフを制してエアグルーヴは残りの紅茶を飲み干してから立ち上がり、残る二人へ頭を下げる。

 

「頼んだよエアグルーヴ」

「お任せください──ウメノチカラ先輩、ご馳走になりました」

「頑張ってね副会長さん」

「ありがとうございます──では、失礼いたします」

 

 手を振るウメノチカラを真っ直ぐに見据え、僅かにでも彼女を侮ったことを胸の内で謝罪してエアグルーヴは踵を返し、屋外ステージのプログラムの円滑な運営を実施するため目的の場所へと向かった。

 

 

 

 

 

「気持ちの良い子だね」

 

 ルドルフがエアグルーヴの背へ暫し視線を送っていたところ、不意にウメノチカラが口を開く。

 

「友達を侮辱されたと感じて怒ってただろう? エアグルーヴさん、感情で動くタイプじゃないだろうからよっぽど許せなかったんだろうね」

「そうですね。彼女の中でサイレンススズカの存在は大きいことは確かです」

「ああいう子、私は好きだな」

 

 カップに口を付けコーヒーを流し込み、しみじみと呟いた黒鹿毛のウマ娘へ同意するようにルドルフは頷いた。

 

 エアグルーヴとサイレンススズカはデビュー時期も近い同期であり、大舞台で何度も鎬を削り合ったライバルと言ってもよい間柄だ。初対面とはいえ、ウメノチカラの頭ごなしな物言いに我慢ならなかったのは想像に難しくはない。

 

「とはいえあの子には悪いことしたな……確か、天皇賞だとそのサイレンススズカを負かしてたっけか」

「はい。大逃げを打ったサイレンススズカを捉えての勝利でしたから」

「だったねそういえば。レースは勝ち負けが全てだなんてエアグルーヴさんも分かってるだろうし……余計なお世話だったね」

 

 ほうと一息ついて、ウメノチカラはうっすらと薄い笑みを浮かべる。

 

「天皇賞ウマ娘に説教臭いこと垂れるなんて、何様なんだかね私は」

 

 ウメノチカラの発言に対しルドルフは彼女の言わんとするところは理解できた。

 

 

 

 グレード制が施行されている今日と施行以前のトゥインクル・シリーズにおける天皇賞の位置付けの問題だ。

 

 今日の天皇賞がシニア級ウマ娘にとって最高格付けであるGⅠレースの中の一つであるのに対し、八大競走という古い枠組みの中、天皇賞は全てのシニア級ウマ娘の最大の目標とされていた。

 

 天皇賞の持つ格式と伝統、下賜(かし)される天皇楯の栄誉と重みは尋常のものではなく──一度優勝したウマ娘が再戦し敗北を喫することは()()であるとされ、勝ち抜け制度を設けられていたことから見てもかつての天皇賞に対する関係者の認識は今日のウマ娘やトレーナーのものとは大きく異なっている。

 

 故に当時に現役時代を過ごしたウメノチカラの『天皇賞を勝てなかった自分』がという自嘲と自省、そして羨望交じりの声音を前にして、ルドルフは彼女も古い時代の古いウマ娘なのだと察した。

 

 

 

「ですが、ご自身を下卑しないでください。重要なのは何を言われたのか、ではく誰が言ったのか、という部分です。先程のエアグルーヴに向けた発言もウメノチカラ先輩だからこそ、大きな説得力を持っているのだと私は理解しているのですから」

「……皇帝なんて重々しい肩書きを背負ってる割にはルドルフさんも気持ちの良いこといってくれるじゃないか」

「忌憚のない意見を述べたつもりだったのですが……」

「あははっ、そうか。忌憚のない意見か」

 

 意外そうに目を丸くするウメノチカラの言い様にルドルフは思わず苦笑してしまうが、今のは本心から出た言葉である。

 

 一大エンターテイメントスポーツになる以前、ウイニングライブもまだ存在しない派手さや華やかさではなく、『走り』そのもので人々を魅了した時代に駆け抜けたウメノチカラの言葉にはそれだけの重みと価値があった。

 

 シンザンと競い合ったウマ娘の言となればなおさらである。

 

「今日、ルドルフさんと話せたのは幸運だな」

「私も情意投合の思いです。シンザン先輩と鎬を削ったウメノチカラ先輩とお会いできるとは……ただその点に関して、一つ疑問がございまして」

「疑問?」

「生徒会長の任に当たるものとしてとして、ウメノチカラ先輩がファン感謝祭に足を運んでくださり感恩戴徳(かんおんたいとく)の念に堪えないのですが、何故本日お越しいただくことになったのでしょうか?」

 

 相槌を打ちつつルドルフは真面目な眼差しでウメノチカラを見据え、彼女と出会ってからここまで抱き続けていた疑念を投げ掛けた。

 

 考えてみればおかしい話だ。偶然、シンザンが出走することになったエキシビションレースが開催されるファン感謝祭当日に、かつてのライバルであったウメノチカラが偶然現れることなどあるだろうか?

 

 それもグラウンドでかつてのライバルのレースを観戦などと恣意的に過ぎる気がする……ルドルフは何かしらの思惑を感じずにはいられなかった。

 

「無礼とは存じていますが、私としてはどうも腑に落ちないのです」

「ああ、そういうことか」

 

 怪訝そうに首を傾げるウメノチカラだったが、合点がいったように頷くと顔を綻ばせた。

 

「特に深い理由はないよ。単純に約束してただけさ」

「約束、ですか?」

「シンザンのヤツとね」

「シンザン先輩と?」

 

 予想外の答えにルドルフが目を丸くすると、ちょうど脇を通りかかった黒鹿毛のウマ娘にコーヒーのお代わりを頼みながらウメノチカラは「そうだよ」と頷く。

 

「アイツとは秋のファン感謝祭で会う予定でさ。復学する前からも連絡は取ってたし復学してからもちょこちょこ顔も合わてたんだ──お代わりどうする?」

「……では、同じものを」

「で次に会うのはファン感謝祭でって話もしてたんだけど──一週間前くらいかな。電話してきたと思ったら『ファン感謝祭の特別レース走ることにしたから』なんて言ったもんだから意味が分からなくてさ……」

 

 今日に至る経緯を語るウメノチカラは呆れ混じりに笑った。

 

「理由も話さないし、レースを見に来いとも言わないから何かあるなとは思ったけど……ミホちゃん絡みだと分かった瞬間合点がいったよ」

「お二人は、仲がよろしいのですね」

「仲が良いって……まあ、否定はしないけどさ……どっちかと言えば腐れ縁って言葉のほうが正しいかもね」

「腐れ縁、ですか?」

 

 二人の関係に率直な感想を漏らし、目礼と共に黒鹿毛の模擬店長から注文したドリンクを受け取りながらルドルフは眉を寄せた。

 

「そっ、腐れ縁だよ」

「それは──シンザン先輩のデビュー戦からの、ということでよろしいでしょうか」

 

 

 

 シンザンとウメノチカラのライバル関係を語るうえでこんな逸話がある。

 

 シンザンは十一月十日京都でのメイクデビューを果たしている。だが本来であれば一週間前、十一月三日のデビュー戦に身を投じるはずだったそうだ。

 

 では何故そうならなかったのか? その理由はシンザンの出走予定であったデビュー戦に出走するデビュー前から注目されていたウマ娘が原因だった。

 

 彼女の追い切りを目の当たりにしたシンザンのチームトレーナーであったタケダが『むざむざ負けにいく必要もない』とシンザンの一週間メイクデビューを遅らせた、という経緯がある。

 

 そしてその素晴らしい脚を持ち、デビュー前から注目されていたウマ娘が目の前の彼女──ウメノチカラであった。

 

 

 

「おや、随分詳しいじゃないか」

「偉大な先人の蹄跡を辿ら、そこから教訓や課題を見出し自らの糧とするのも我々後進の務めであると、常々心掛けていますので」

「なるほどね……温故知新ってやつなのかな」

 

 一旦会話を切り、お代わりしたドリンクへ手を伸ばす。

 

 片やデビュー前から大きな期待を抱かれていたウマ娘(ウメノチカラ)。片や大した期待を持たれていなかったウマ娘(シンザン)……だが二人目の三冠ウマ娘となり史上初の『五冠ウマ娘』となったのは後者である。

 

(なんと因果な話だろうか)

 

 ふとそんなことを考えたがすぐに脳内から追い出して温かな紅茶の香りを楽しんでから喉へと流し込み、ルドルフは注文したコーヒーへどかどか角砂糖をぶち込むウメノチカラを一瞥した。

 

 ……カフェオレあたりを注文すればよかったのでは? と胸中でこっそり突っ込みを入れながら。

 

「……今日、ルドルフさんに」

「ルドルフで構いません」

「そうかい? じゃあお言葉に甘えて──ルドルフに会えたのは本当に良かった。実は私、君と一度会って話してみたかったんだ」

「私と話を、ですか」

「うん。史上初の無敗三冠に続く七冠──『五冠バ』シンザンを超え、その名を過去の物にした君にね」

 

 コーヒーを口に着け、その水面を眺めるウメノチカラの言葉にああと、ルドルフも遅れて納得する。

 

 

 

 二人目の三冠ウマ娘にして史上初の『五冠ウマ娘』となりトゥインクル・シリーズにその名を不動のものとしたシンザンの引退後、多くのウマ娘が彼女に続く偉業へと挑み、そして敗れ去った歴史がある。

 

 気付けば彼女はトゥインクル・シリーズの指標となり、『シンザンを超えろ』というスローガンが関係者の間で唱えられることとなり、史上三人目の三冠ウマ娘となったターフの演出家が颯爽と登場し、シンボリルドルフ(自身)が七冠を戴くまで掲げられていた。

 

 故にウメノチカラは自らの目で判断を下したかったのだろう。無敗での三冠。前人未到の七冠ウマ娘として今日のトゥインクル・シリーズに君臨し『シンザンを超えろ』のスローガンの役目を終わらせた自分がシンザンを超えたか否かを。

 

 

 

「なるほど。では、お伺いしてもよろしいでしょうか? 果たして私があなたのお眼鏡にかなったのかどうか」

「そうだね──結論から言うと、君はアイツを、シンザンを超えてはないみたいだ」

「あはは……手厳しいお言葉をいただいてしまったな」

 

 その批評にルドルフは思わず頬を掻いて苦笑する。だがシンザンのライバルであった彼女が言うのであればその通りなのだろう、と納得する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぴたり、と。

 

 続けられた言葉に、ルドルフは動きを止めた。

 

「…………申し訳ありません。今、なんと」

「言葉の通りだよ。君自身がシンザンを超えたと思ってない、そう言ったんだ」

 

 無意識の内に手を下ろしながらルドルフは黒鹿毛のウマ娘を凝視した。

 

 視線の先のウメノチカラは口元を曖昧な形に歪め、黒い水面に視線を落としたままだ。

 

「個人的に、君はシンザンを超えたと思ってた。本当だよ? けど、本人がそうと認めてないのにアイツを超えただなんだと言うのは違うと思ってね」

「その根拠は」

 

 前のめりになって食い気味に問いかけてしまったことにルドルフははっとすると、咳ばらいをして姿勢を正した。

 

「──申し訳ございません。どうして、ウメノチカラ先輩はそのようなお考えに至ったのでしょうか」

「目だよ。目を見て分かった」

「目を見て?」

「グラウンドで会ったときの、シンザンがレースに勝った後の君の目は私もよく知ってる目をしてた」

 

 カップを置いたウメノチカラは真っ赤な瞳でじっとルドルフを見つめた。彼女の表情から微笑みは消えていた。

 

「あの目をするウマ娘が、自分がシンザンを超えたなんて考えるはずがない」

「何故……そうだと言い切れるのですか」

「分かるさ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 迷いなく放たれた言葉にルドルフは口を噤んでしまう。ウメノチカラは卓上に肘を突き両手を組むとその上に顎を乗せて話を続ける。

 

「スプリングステークス、皐月賞、日本ダービー──シンザンに負けるたび、叩きのめしたい、こてんぱんにしてやりたい、勝ちたいって想いが強くなって気付けばアイツをどう負かしてやろうかってことばっかり考えててさ。朝起きて顔を洗う時、風呂に入る時、寝る前に歯を磨く時、鏡と向かい合うといつも同じ目の色をした自分と睨み合ってた。その私の目とさっきの君の目は同じだったんだ。挑む者の目だよ」

 

 夢想するように語る彼女の真剣な眼差しを向けられ、ルドルフは黙って耳を傾ける。

 

「つまり君はシンザンのヤツを叩き潰したいのさ。私もそうだった。残念なことにその願いは叶わなかったけど」

「ウメノチカラ先輩……」

「昼も夜もアイツのことを考えた努力も虚しく、私の無駄な足掻きに終わったのさ」

 

 肩を竦めるウメノチカラへルドルフは彼女の名を呟くことしかできない。

 

 同時に、エキシビションレースでエアグルーヴすら戸惑わせてしまった己の衝動を、シンザンの走る姿に呼び起こされた自身の感情の奔流、その根源を知ったような気がした。

 

 

 

 ──これは、彼女への強い対抗心の表れなのか。

 

 

 

「──けど、君がどうして自分がシンザンを超えられてないと思っているのかはもっと根本的な理由がある」

「っ」

 

 納得しつつも、どこか違うような違和感に囚われていたルドルフは鼓膜を揺らした声に反射的に再び身を乗り出してしまった。

 

「あなたは……知っているというのですか。私が──自分すら気付けなかった、形容できないでいたこの感情の正体を」

「ああ、知ってる」

「!」

 

 核心に迫り、ルドルフは身を正すことも忘れて黒鹿毛のウマ娘を食い入るように見つめる。

 

 エアグルーヴに問われた時、答えることができなかった己の激情を、自分すら把握できず言語化の叶わなったシンザンへ抱く情念の正体を、ライバルであった黒鹿毛のウマ娘は知っていると言うのだ。

 

「教えてください、ウメノチカラ先輩。それは一体……」

 

 コーヒーを流し込む黒鹿毛のウマ娘へ縋るように頼み込む。皆の模範となるべき生徒会長という立場も忘れて。

 

「──ルドルフ、君は」

 

 鋭さを伴ったウメノチカラの真っ赤な視線を浴び、ルドルフは表情を強張らせた。

 

「君は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シンザンに()()()()()()()

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へっ?」

 

 真剣そのものだったウメノチカラの斜め上をぶち抜いた答えを前に、ルドルフは自分でも信じられないような間抜けたか細い音が喉から漏れたのだった。

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