神が讃えしその駿駆 作:松武栗尾
ウォームアップを終えてある程度までのトレーニングメニューをこなした『スピカ』メンバーたち。
「ようしお前ら、併走始めるぞ! まずはスカーレットとウオッカ、それとスズカだ」
併走とは実際のレースのように文字通り競わせるように走るトレーニングだ。トレーナーは少女たちへ三人一組で行うよう指示を送る。
「距離は二〇〇〇メートル右回り。本番のつもりで行けよ!」
「当然よ!」
「今日こそは勝ってやりますよ、スズカ先輩!」
「ええ。私も頑張って逃げるわね」
気合い十分な中等部組とは打って変わり、高等部のサイレンススズカは穏やかに微笑んでスタート地点へと歩んでいった。
「ああ、シンザン先輩の走りを生で目にする日がくるなんて……!」
「けど良かったのかよ。ご指名したのがテイオーになっちまったから、アイツと一緒に走れねーじゃん」
併走一組目を見やりながら感慨に耽るメジロマックイーン。その隣に立つゴールドシップが体を彼女の方に傾けながら問いかける。
「確かに残念ではありましたけど、こちらがお願いする立場ですからシンザン先輩のご要望に沿った走者を立てるのは当然のことですわ」
「マックイーンがそう言うなら良いけどよ~」
「それに、テイオーもシンザン先輩の走りを目の当たりにすればきっとあの方の素晴らしさを理解してくれるはずですし」
「ふーん……じゃあ、アタシはちょっくら行ってくるから、タイムの方頼むわ」
肩を竦めつつライバルへの思いを吐露したマックイーンへとゴールドシップは薄い反応を見せると、スタート係兼ゴール番を務めるため彼女から離れていく。
「三人とも準備いいかー?」
「おう、頼むぜ!」
「勿論よ!」
コース上に横一列に整列したスズカたちへ確認後、ゴールドシップが手に持った赤いフラッグを上げる。
「じゃあいくぞー。よーい、ドン!」
そして勢いよく旗を振り下ろす。瞬間素早く反応し少女たちは一斉に飛び出した。
ぐんぐんと速度を上げて先頭に立つサイレンススズカ。負けじと彼女に並ぶダイワスカーレット。二人の争いを後ろから窺うウオッカの順に直線を抜け、第一、第二コーナーへと入っていく。
「相変わらず気持ち良さそうに走るな、スズカは」
先頭の景色は誰にも譲らない、といつか言っていた彼女の言葉を思い出し、その走りに惚れ込んでいるトレーナーはしみじみと呟いた。
「ほぁー……良い逃げっぷりだぁ」
そんな感傷に浸るように少女たちの走りを見守る彼の隣から、どこか間延びした感嘆の呻き声があがった。
「あの子、名前なんていったっけ?」
「サイレンススズカさんです!」
「そうそうスズカちゃんだ。スズカちゃんはいつもあんな風に走るの?」
「はい! スズカさんが逃げたレースは全部勝ってるくらいですから!」
「へぇ。いつの時代も、逃げの映えるウマ娘はいるんだね……現役の頃のカブの走りを思い出すなぁ」
「カブ……ってバイクのことですか?」
ちらと視線をやれば、ラチに手をかけたシンザンが相変わらずの呑気さでスペシャルウィークを相手に話していた。
今の彼女は学園指定のジャージを纏っている。トレーニングをするわけだからそれは当然なのだが、話を聞いたところなんでもジャージとシューズを持参していなかったらしく借りた物だそうだ。
(しっかし、自分の練習着を持ってきてないってのも変な話だよな)
トレセン学園に所属するウマ娘がトレーニング用具を持参し忘れたというのもおかしな話であるが、休学明けというのもありそちらのゴタゴタを片付けてから練習に望むつもりだったのかもしれない。
履き慣れていないシューズのため違和感があるのだろう。時偶足元を気にする素振りを見せては「うーん、ないならないで変な感じがする……」などとぼやいている姿も時折見せていた。
(それにしても……だ)
新しく咥えたドロップをカラコロと鳴らしながら、打ち解けた同郷の後輩と話に興じているシンザンをトレーナーは盗み見る。
練習を開始してすぐのランニングで見せた妙な行動。『スピカ』メンバーたちの後を追うように少し離れて彼女がドンケツを走っていたことを思い出す。
ランニングの後にその点を確認してみたところ「体力も落ちてるから、あの子たちの走りの邪魔にならない距離で走ってただけだよ」と返ってきた。
(……の割に、息上がってねぇんだよな)
本人はそう言っていたがトレーナーが見ていた限りでは軽いランニングとはいえ、彼女の息遣いは始める前と全く変わっていなかった。
それだけでなく、少し遅れての追走ではあったものの、『スピカ』のメンバーたちとの距離をピッタリ同じままに保ち続けていたのも腑に落ちなかった。
(本人が言う程体力は落ちてないだろう。けど何だってウチの連中から離れて走ってた? バ群が嫌いなのか、それとも練習に対するスタンスの違いが……)
「トレーナーさん」
「っ! ああ、どうした?」
様々な考えを巡らせて分析していたトレーナーは不意に当人から呼ばれて咄嗟に身構える。
そんなトレーナーの内情を知ってか知らずか、シンザンは視線をターフを上を滑るように駆けるスズカから外し、その黒い瞳で彼の目を見つめた。
「あんなとんでもない足の子を見つけるなんて、トレーナーさんただ者じゃあないね」
「お、おう。サンキューな」
「わたしを鍛えてくれたトレーナーと親分と同じくらいすごいと思う」
スズカの逃げの才能を見出だす際、別のチームに所属して燻っていたところを『スピカ』に引き抜いた加入というあまり穏やかでない経緯があったのだが、偉大な成績を残した彼女のトレーナーたちと比較されるという、ありがたいお言葉をいただいた手前トレーナーは口を慎んだ。
しかし、だ。こうしてシンザンにジッと見つめられると妙な緊張感に襲われる。自然と背筋が伸びてしまい、自分よりも年下の少女を相手にしているようには思えなかった。
「……なあ。お前、歳幾つだ」
「ふふふ、随分と藪から棒だね。いいじゃないのわたしの歳のことなんて」
「ゴォーール!」
実は年上なんじゃないかという突拍子もない考えが口をついて出てしまったが、シンザンは口元を手で覆い笑って受け流しただけで気分を害した様子はない。それと同時に決着を告げるゴールドシップの高らかな声が彼らの鼓膜を突いた。
「だぁーっ、負けたぁー!」
決着を告げるその声にシンザンと揃って顔を向ければ、うっすらと顔を紅潮させ両膝に手をついたウオッカが悔しさも露に叫んでいた。
「スズカ先輩だけじゃなくて、スカーレットにまで負けたぁーっ!」
「う~~っ! スズカ先輩っ、やっぱり速い……!」
「流石ですわね、スズカ先輩。相変わらずのタイムでしたわ」
「はぁ、はぁ……ありがとう」
彼女の横では荒い息のスカーレットも腰に手を当て天を仰いでおり、一方でマックイーンから手元のストップウォッチに刻まれた走破タイムを伝えられたスズカは呼吸を整えるスズカへ告げていた。
「少なくともトレーナーさんよりは年下のはずだから、安心してちょうだいな」
悲喜こもごもな彼女たちの決着を見届けた後、胸の内を読んだような冗談めいた発言をトレーナーへと残しシンザンはラチから手を離して下を潜り自らの併走相手であるスペシャルウィークとトウカイテイオーを促す。
「そりゃそうだよな……悪いな変なこと聞いち──おい今
「さてと……次はわたしたちの番だけど、大丈夫?」
「はい!
彼女の呼び声に応じて、見事な四十五度のお辞儀をスペシャルウィークは披露した。因みにスペシャルウィークがシンザンの併走相手に選ばれた理由は「同郷のよしみで走ってみたい」というシンザン本人の意向があったからだ。彼女と一緒に走れればと半ば期待していたマックイーンはちょっぴり凹んだ。
「ふふ、そんなにキラキラした目で言われちゃ、わたしも頑張って格好良いところを見せてあげないと。それで、テイオーちゃんは準備の方はいいかな?」
「……」
素直で気持ちの良い返事を貰えてシンザンも嬉しそうに同郷の後輩の頭を撫で、一人でポツンと佇んでるポニーテールの少女の方へ目線を向ける。
「…………」
「テイオーさん?」
「……うん。オッケーだよ。二人とも、よろしくねっ」
「?」
併走が始まってからトレーナーから離れ、シンザンとスペシャルウィークの会話の輪にも加わらず背を向けてじっとしていたテイオーはパンパンッと乾いた音を立てて自身の頬を2度叩き、向き直って大きく頷いた。
やけに気合いの入った様子のテイオーにスペシャルウィークは頭を撫でられた姿勢のまま不思議そうな表情を作ったが、シンザンは気にした素振りも見せず「こちらこそよろしくね」と手を動かし続けながら微笑みかけた。
(落ち着け、ボク……)
テイオーはシンザンとスペシャルウィークを待たせたことを謝りながら自らを落ち着かせた。
正直なところ彼女は困惑していた。己の失言が元とは言え、事態がこのように運ぶとは思いもしなかった。まさかマックイーンがシンザンをトレーニングに誘うなんて誰が想像するだろうか。
シンザンもシンザンだ、とテイオーは思う。彼女は自分の無礼を気にも留めずそれどころかマックイーンの願いを二つ返事で了承してくれるなんて……。
初めて生徒会長室で会った時も思ったが意外と気さくなんだなぁ、としみじみ感じ入ってしまう。同時に、そんな飾らないのんびりとしたシンザンに対してテイオーは好感を抱き始めていた。
「お願いします、ゴールドシップさん!」
「あいよー」
だが人柄と走りは別だ。
ゴールドシップに合図を送るスペシャルウィークの声に気を引き締め、思いを強くする。穏和で好印象な印象の強いシンザンだったが、その飾らなさが逆に実力への疑念を抱いてしまう原因になっていた。
(『五冠ウマ娘』、なんて言うからカイチョーを怖くしたみたいなウマ娘だと思ってたけど……)
スペシャルウィークを挟んで一番外側に並んだシンザンを盗み見る。
テイオーにとっての憧れである
無敗でクラシック三冠を成し遂げたルドルフは気高く、威厳があり、全てを従えるような覇気に満ち溢れていて、レース他を圧倒するような強者の走りを見せつける──他の三冠ウマ娘にしてもそれは同じだった。
だがシンザンは
テイオーにはシンザンから彼女たちのような風格を
常識に囚われぬ熱きターフの演出家とも、追い縋るもの全てぶっちぎるシャドーロールの怪物とも、そして自らの目標であり続ける絶対最強の七冠皇帝とも違う。
視線の先の茶褐色髪をしたどこにでもいそうな風貌のウマ娘は、闘気など微塵も感じさせない穏やかな目付きでターフを見つめているだけだ。
自分がおかしいのだろうかと、テイオーは訝しむ。生徒会長室で出会わずマックイーンから『五冠ウマ娘シンザン』の話を聞いてから彼女に出会っていればまた別の印象を受けたのだろうかと首を傾げてしまう。
「じゃ、いくぞー。よーい──」
ゴールドシップの掛け声にテイオーは意識を切り替える。成り行きはどうであれ、シンザンと走れることになったことについてはマックイーンと何より彼女に感謝した。己の感情はどうであれ、これから共に走る相手は三冠ウマ娘なのだ。実力は折り紙付き……のはず。
募る言い知れない不安、三冠ウマ娘と走れるという期待、そして未知数の実力者に挑むという高揚感を滲ませ、視線を己の行く先へと戻して合図を待ち──
「──ドンッ!」
フラッグのはためきと同時に思い切り芝を蹴りつけた。
(よし──!)
上手くスタートを切ったテイオーは口元に笑みを作る。このまま内側を取り続けて先頭に立ちこの併走のペースを握ろうと脚に力を込めた矢先──
スッ、と外から内に寄せる影が視界の端に写り込んだ。
(っ!?)
スペちゃん? いや違う。彼女の髪は
でなければ該当するのは一人だけである。
テイオーは目を見張りつつも笑みを深くし、簪を差した茶褐色のウマ娘──シンザンの後ろ姿を睨み付けた。
「……先輩、スタートが上手ね」
コース外からシンザンの見事なスタートダッシュを目の当たりにしたスズカは静かに呟いた。
「スターティングゲートが無いとはいえ、すごいスムーズなスタートでしたね」
「シンザン先輩、先頭を走ってますけどスズカ先輩の目から見てどうですか?」
後方に『スピカ』メンバーを引き連れたまま直線を抜けて第一コーナーへと入っていくウマ娘を目で追いながらスカーレットが頷いて同意を示し、ウオッカが彼女の走りに疑問を投げ掛ける。
「そうね……見た限り、あの人はあまり逃げ慣れてないような気がするわ」
「確かに前には出てるけど、むしろテイオーとスペ先輩に押し出された、っていう印象の方が強いわね」
「スタートの上手さがシンザン先輩が先頭に立てたっていう方が正しい見方かも……」
少女たちが期待を胸に語り合う傍らで腕を組んで併走を見守るトレーナーは彼女たちの分析を小耳に挟みつつ、自らの脳内にあるシンザンのデータを振り返る。
(アイツの脚質は先行……終始好位に着けて最後に先頭集団を交わすタイプのウマ娘だ)
好スタートから先団を確実に捉える位置を走り、最後の直線で図ったように競争相手を抜き去ってゴールする……お手本のような勝ち方を見せた彼女のレース映像を思い出しながら彼は真剣な眼差しで注視する。
(だがハナを走れば自分の得意な展開には持っていけない……どう出る?)
それに併走の相手は同じ脚質のテイオーと強力な末脚を持つスペシャルウィークだ。ペースを作れるとはいえ難しい展開を強いられるのは目に見えた。
「そこまで
トレーナーはそう溢しシンザンとの併走に臨んでいるテイオーへ視線を移す。
スタート時はシンザンに先行されて僅かに動揺を見せたものの、今は冷静に後方にピッタリと着いている。しかし併走前に見せた表情からして、テイオーはシンザンへの一方的なものではあるものの、整理のつけられない感情を抱いているのは確かであった。
ではテイオーの抱いている感情とは一体何なのか。
彼女の中で絶対の存在である
いや違う。そういった理由ならテイオーはストレートに口にするはずで、あんな風にもて余したりしないはずだ。
もっと根っ子の部分……自分には感知できないウマ娘の走りへの本能がシンザンへの言葉にできない感情を抱かせてるのかも──
「あら?」
脳内で考えを巡らせていたトレーナーだったが、不意に上がった声にハッとし現実に引き戻された。
「どうした?」
「いえ……ただ先輩が」
「? シンザンがどうした──」
彼は声の主であるスズカの指差す方へ視線を飛ばし、直後眉根を寄せた。
シンザン、テイオー、スペシャルウィークの順、第二コーナーを抜けて向こう正面半ば、丁度一〇〇〇メートルの位置に差し掛かったところだろうか。
それまでシンザンの背後に控えていたテイオーが動いており、ジリジリと前を走るシンザンへと肉薄し、内に空いたスペースからシンザンに並び立て、徐々に前へと出始める。
一方のシンザンだが速度を上げるような真似をせずテイオーと競る様子はない。まだ脚を貯めているのか。残り八〇〇メートル、最後方で二人の様子を窺っていたスペシャルウィークも仕掛け始める。
「え、ちょっと……」
「シンザン先輩?」
併走を見学していた『スピカ』メンバーが俄にざわつき始める。後輩たちに抜かれ最後尾になり、三バ身程離されたまま向こう正面を過ぎ第三コーナーから第四コーナーへと差し掛かったというのにシンザンはまだ動きを見せない。
「おい、どうしたんだ。流石に仕掛けないとまずいぞ……」
これにはトレーナーも不審に思い、思わずラチに手をかける。最後の六〇〇メートル──
瞬発力やパワー、レースでの駆け引きなどの要因で多少の前後はするものの、ラストの六〇〇メートル付近でスパートを掛けなければまず勝つことは無理だ。
「あのタイミングじゃ、ちょっと厳しい……」
「いえっ、もしかしたら、シンザン先輩はすっげぇ末脚を持っててそれでバーッて、交わすもりかも……」
「そうですよ、三冠ウマ娘なんですから流石にあんな……」
ハラハラした面持ちで呻くスズカとウオッカたちの心配を余所に、シンザンはというと六〇〇メートルのハロン棒を通過して重い腰を上げるようにやっと速度を上げ始める始末。トップスピードに乗って直線へと掛かったテイオーとスペシャルウィークに追い付けそうに見えない。
(いくら『鉈の切れ味』があるとはいえ、あのタイミングで仕掛けて勝てる程アイツらは甘くない……ブランクで勝負勘が鈍ったか?)
『鉈の切れ味』。かつてクラシックレースを含めた大レースで見せつけたシンザンの凄まじい末脚は鉈に例えられた。
しかしその豪脚を目にすることはできないだろう、とトレーナーは複雑な心境で『鉈』の持ち主であるウマ娘の参加するこの併走の行方を見守った。