神が讃えしその駿駆 作:松武栗尾
『チーフ、どないしてシンザンをオープンに出すんですか。中山のバ場は開いたんですよ』
『関東の連中にとやかく言われるくらいなら、堂々と威張ってバ場走らせたらええに決まっとるからや』
『それはチーフの都合やないですか。第一、バ場開けさすよう競バ会に働きかけたのはチーフやのにどないして』
『これはシンザンのためでもある。俺等が陰で何言われようが鼻で笑ってやれば済む話やが、シンザンが後ろ指指される訳にはいかんからな』
『それでも僕は納得いきません、あの子なら追い切り十分です。オープンを走らせて調子崩したらどないするんですか。万が一怪我でもしたら……っ!』
『お前が何を言っても覆す気は毛頭ない! シンザンはオープンに出す……これは決定事項や』
────チーフッ!!
トレーナーの切実な怒声が耳の奥で残響する。
『アルケス』の部室からお暇して校舎へと戻る道中。
親分が自らをオープン戦への出走を決めたその日の夜。親分とトレーナーが激論を交わす一部始終を、扉の隙間から覗き込んでいたことを思い返していた。
「トレーナーがあんな風に怒鳴るの見たのは始めてだっけかな」
シンザンは白い息を吐きながら独りごちる。
中山の本バ場を使用できるのに、あえてオープン戦に連闘を決定した親分に食って掛かるトレーナーの姿を昨日のように覚えている。
普段はにこにこしていて、その癖せっかちで気短であったものの……あの時のように、それも義理の父親で仲の良い親分へ激情をぶつけるような人ではなかった。
それだけに、トレーナー室での怒鳴る姿に衝撃を受けたのは間違いない。
(気付けば飛び込んでたもんな……)
尊敬する二人の口論する様にいても経ってもいられず、場をとりなすため──その道に通ずる男たちの衝突を小娘の自分が治められるなど思い上がりだった──トレーナー室へ乱入した。
そして自分の体を慮ってへ必死の翻意を促していたトレーナーへ向け、自分はトレーナーへなんと言ったか────
「…………」
足を止め、シンザンはあの時トレーナーへ告げた己の発言を思い起こし、即座に頭を振るう。
「……椿さんの印象が変わってくれていればいいけども」
明石椿──有マ記念を巡るローテーションのいざこざに興味を抱いていた、若い女性トレーナー。
トレーナーのことを誤解したままでいてほしくなかったから、こちらから話題を振りはした。けれど実を言えば、出会った際はオープン戦への出走についての詳細を語るつもりは全くなかったのだ。
それが、彼女が『アルケス』のサブトレーナーであり、チームトレーナーである明石梧郎の実の娘と知り、気が変わった。
(同じだったもんね、立ち位置が)
椿さんの立場がかつての親分とトレーナーの関係と重なって見えたのだ。親分の娘さんと結婚し、師弟の絆だけでなく義理の親子関係で繋がっていたトレーナーに。
だから特別に、殆ど話したことのない有マの顛末を彼女に伝えたのだ。会って間もない彼女なら、トレーナーの抱えた悩みを理解してくれるかもしれないと。
だが……そう上手く話も転ぶ訳もない。
当たり前だ。
それに気付くことができず、自らの浅ましさから苛立ちから声を荒らげてしまった……彼女には申し訳ないことをしてしまった、とシンザンは反省する。
自省しながら、授業への出席を考える。
午後の最初の授業はもう終わり、次の授業の時間も半ばまで過ぎている。あまりおサボりのし過ぎも褒められたものでない。最後だけでも受講しなければと歩き始めようとしたその時。
「あ──」
視界の端で、何かが舞った。
白い色をしたそれに気を取られ、シンザンは釣られて濃い灰色の空を見上げれば……。
「────────」
雪だ。
音もなく、しんしんと空から舞い落ちる冬の訪れにシンザンは足を縫い付けられた。
「────────」
少しずつ、だが確かに増していく降雪の中、立ち尽くすシンザンの脳裏で急速にあの日──
『おー、奇遇やな。自分もグラウンドの状態見に来たんか』
──おはようトレーナー。わたしにも立場があるからねぇ。
『それもそうか。にしても今日は冷えるわ……おー寒』
──雪が降ってるくらいだからねぇ。
『天気がこの様子じゃあ今日一杯グラウンドは使えなさそうやけど、仕方ないわな』
──もう、こっちは走りたがり屋を宥めないといけないっていうのに呑気だねぇ。
『はは、ほんとにほんとにご苦労ね、ってやつやな。そういえば、テキのチームに新しい子入ったんやって? 名前は確か……』
──サンちゃんのこと?
『そうそうその子。シンザン、その子のこと、よう面倒見てやって、がっつりしごいたれよ』
──ほー珍しい。トレーナーがそこまで言うのは。
『俺もよう分からんのやけど、あの子のことがどうも気に掛かってな』
──ふーん……。
『なんや、妬いてるんか?』
──はんかくさいねぇ……親分にどやされない程度には、鍛えてみるよ。
『おう、頼むで。それと、今日の昼によしまつの出前頼も思っててな。自分の分も頼んどいたろか?』
──本当? ありがとうねトレーナー。いつものやつ頼んどいてよ。トレーナーはやっぱり煮込みうどん?
『当たり前や。冬場に食べる
──……まさかとは思うけど、昼間っから酒盛り始めないでしょうね。
『あほ。流石に平日の昼間、それも仕事中から盛り上がる訳ないやろ……って、言っても説得力はあらへんか……』
──……前科があるからね。
『……堪忍してくれ。ほんま、反省しとるんやで……』
──んへへへっ、分かってるって……そいじゃあ、お昼はトレーナー室に顔出すよ。じゃ、また後でね。
────おう、楽しみにしときや。
どこか遠くで学校のチャイム鳴るのが聞こえ、シンザンは我を取り戻した。
どのくらい足を止めていたのだろう。周囲を見渡せば植え込みも校舎へと続く石畳も、薄っすらと白く覆われている。そこで始めてシンザンは制服の両肩が湿っていることに気が付いた。体温で肩に落ちた雪が溶けたのだ。
「……結局、午後は丸々サボタージュしちゃったよ」
風景が白く染まりつつある中で、シンザンは白い息と共に小さく呟いた。
「雪の日はいつもこうだ」
雪を見るとトレーナーが帰らぬ人となった日のことを思い出すようになり、浦河へ帰ってからも暫くは冬の季節が辛かったのを覚えている。
それでも時の経過で心の傷も癒えるもので、脳裏にちらつくものの気持ちが塞ぐようなことはなくなっていたのだが……。
復学し学園生活を再開させてからの初めての降雪。加えて現役時代の思い出を語り聞かせていたこともあり、トレーナーとの最期の会話を嫌にでも思い出してしまう。
「最期の話が昼飯の話題になるなんて考えもしなかったよ」
始業前の早朝に学園のグラウンドでばったり会ってそんな会話を交わした後、午前の授業を全て終えた自分は親分のチームから独立し自らのチームを持つことになったトレーナーの元へ足を運んだことを覚えている。
そしてご相伴に預かろうとトレーナー室の扉を引き、目に飛び込んできたのは──
「…………」
……おセンチになるのはよろしくない。
しかし──学園にいると、トレーナーの面影がちらついてしまい、脳裏に思い出が過ってしまうので、難しいところもあるのは確かだ。
だが自分は特段感傷的なウマ娘ではないのだか……。
「歳、かなぁ……」
叔父貴の言う通り、根性が足りなくなってきたのかもしれない。
嫌になっちゃうわね、と自虐を溢しつつ終礼ぐらいは顔を出さなければと校舎へ足を向ける最中、シンザンの脳裏にとある句がふっと浮かぶ。
雪の降りしきる空を、今一度見上げる。
一瞬躊躇ってからその句を──義理の息子にして自慢の弟子であった、トレーナーを偲んだ親分の句を、ぽつりと詠んだ。
補足:第十回有馬記念におけるローテーションを巡る対立とその時系列
『五冠馬』シンザンの蹄跡を語る上で決して外すことのできない有名なエピソードがあります。
それは、『シンザンの有馬記念前週へのオープン戦出走とそれに伴う栗田騎手の飲酒による直前でのシンザンへの騎乗取り消し』──第三十七話から前後編で描かせていただいだテーマになっています。
シンザンを語る上で必ず語られる栗田騎手の飲酒エピソードですが、実際のところ、なぜそういう経緯を辿ったのかを知る人は少ないのではないでしょうか?
恐らくですが『師匠である武田がオープン戦に出走させたことへの栗田の反発』との認識の方が多いと思われます。
事の真相はどうであれ、この点に関しては栗田騎手は最後まで胸の内に秘めたまま故人となってしまったので、真実を知る日が訪れることはないでしょう。
ですが、当時の報道や史料、後の証言を元に時系列順にまとめることで、彼がどのような心情で事にあたっていたのかについては僅かでも仮説は立てることはできなくはないと思われます。
本あとがきでは作者が調べた当時の状況を天皇賞に優勝し、最後のレースとなる有馬記念へ向けてシンザンを中心にシンザンを育て上げた男たち、そして周囲がどのように巡りまわったのかを時系列順にまとめたものになります(一部作者側の憶測や推測も含まれていますので、その部分に関しては太字にしています)。
当然、下記に記した事の全てではありません。ですが、シンザンやその関係者に関心がある読者の方々の、当時のシンザンを巡る競馬界の様相を知る一助になれば幸いです。
※間違っている点などあればご指摘いただけると大変ありがたいです。
11月23日
シンザン天皇賞優勝。武田、勝利後の記者会見でシンザンは有馬記念を最後に引退することを表明。
年末の有馬記念に備え武田厩舎が所属する京都競馬場に戻らず、親しい調教師仲間の在籍する東京競馬場の厩舎で師走を過ごすことに。
12月中旬(天皇賞から二週間前後?)
シンザンを預けている調教師から武田の元にシンザンの動きが重い旨の一報が入る。
武田、シンザンの調整のため、中山競馬場での経験を積ませるため早めの本馬場解放を要請するが「関東の調教師たちが拒んだ」ため、日本中央競馬会のトップとの交渉で許可を取り付ける。
強引な手法に対する調教師たちに批判されることを嫌い、有馬記念一週前のオープン戦への出走・連闘を決定。
シンザンの主戦騎手であった栗田は師匠である武田の判断に猛反発?
12月13日
オープン戦に向けての追い切り調教時の併走相手が見つからないと、東京競馬場に残った厩務員の中尾が京都競馬場の武田へ報告。武田、シンザンの追い切りは単走で実施することを決定。
※中尾曰く、「シンザンは他の馬と併せ馬で調教することで、レースが近いことを知り、闘志をかき立てている」とのこと。
12月18日
シンザン、鞍上に武田博を据えて中山第六レースのオープン戦に出走。クリデイの二着に敗れる。
翌日のレースのため阪神競馬場の調整ルームで控えていた栗田は調整ルームを抜け出し、前後不覚になる程に酒を飲んだ(神戸在住の馬主の元、神戸在住の馬主と阪神競馬場近辺の小料理屋、阪神競馬場近辺の馬主関係者の自宅等場所にも諸説あり)。
※当時は調整ルームを抜け出しても罰則は与えられず、「前検」と呼ばれたレース直前の重量検査に間に合えば問題なしとされていた。
12月19日
栗田、前日の痛飲のため阪神三歳ステークス、阪神大賞典を含む五鞍での騎乗を取りやめになる(栗田が阪神競馬場に姿を現さないことを電話で報告された武田が急遽方便を用い、栗田が体調不良のため騎乗が叶わない連絡を競馬会へ入れたとされる)。
※病状は急性胃腸カタルによる吐血とも急性アルコール中毒とも言われている。
栗田は一旦関西の病院へ入院した後、名古屋の病院へ転院している。
12月20日
スポーツ紙が栗田の騎乗取りやめが体調不良でなく泥酔の為だったとの記事を掲載。
武田、酒の失態を犯した栗田を来年1月いっぱいまで騎乗停止させることを決定。
※この際武田は数人の関東の有力騎手へシンザンへの騎乗を依頼するも紆余曲折あり丁重に断られたため、自厩舎に所属する騎手を代役として騎乗させることを決断する。
12月21日
スポーツ紙が上記の武田の決定を報道。
武田、代役騎手と馬主と共に上京。栗田のシンザンへの騎乗停止を正式発表。
12月22日
シンザン、代役騎手との攻め馬開始。
スポーツ紙がシンザンに騎乗する騎手に関する記事を掲載。『五冠』達成に一抹の不安と報道する。
12月23日
シンザン、中山競馬場の本馬場での単走で追い切り調教。
関西騎手クラブ、栗田の飲酒に関する不祥事に対する声明を発表。
※声明文では関西騎手クラブ支部長を務めていた栗田の辞任についても触れている。
12月24日
阪神競馬場裁決委員、栗田に対し19日のレースを病気を理由に直前で取りやめたことに関して戒告を発する。
日本中央競馬会理事長、武田に対し厩舎所属の栗田への監督不行き届きのため警告を発する。
12月25日
有馬記念前日の馬券販売でシンザン二番人気に。ハクズイコウに一番人気を譲る。
12月26日
第十回有馬記念当日。圧倒的一番人気を背負いシンザン優勝、史上初の『五冠』達成。引退の花道を飾る。
……次回から暫く緩い話を書こうと思っています。