神が讃えしその駿駆 作:松武栗尾
あの前髪の星ですね、非常に印象的でしてね。府中の坂下からつつーっと登ってきて姿が見えてくると、他のウマ娘にはないあの星が余計に映えるんですよ。
──シンザンについて印象に残っていることはとの質問に対するナカオ職員の答え(のちに中央トレーナーへ転身)
(いやはや……フジには悪いことをしちゃったよ)
今朝方チームメイトと共にトレーニングに向かった
……とはいえ諸々の理由があったにしろお世話になった先輩の勝鞍くらいは知っておくべきではないかと、胸中で言い訳してしまう自分がいないでもなかったのが。
「……でも、不思議と遠慮なく言えちゃうんだから困りものよねぇ」
「? 何かおっしゃりましたか?」
「ああ、なんでもないよぉ。そんなことより、どう?」
物思いに耽っていたところを呼びかけられシンザンは我に返り、テーブルを挟んで正面に座る少女──マイシンザンへ目を細めてにっこりと微笑みかけた。
「わたしの作ったパッフェは美味しいかしら?」
「はいっ。とっても美味しいですっ」
朝食の時間も過ぎ、おまけに冬休みで寮生の姿がより人気の少ない食堂の一角。どんと鎮座するバナナチョコレートパフェを前にして、マイシンザンはあどけなさを残す笑顔で大きく頷いた。
「こう、沢山のバナナを使ったパフェを食べるのが夢だったたんですのっ」
「あらそう? そりゃあ良かった。夢が叶って良かったねぇ」
「はいっ、ありがとうございますっ、シンザンせんぱいっ」
無邪気に、それでいて育ちの良さを感じさせながらパクつく愛らしい後輩の姿に大満足で、シンザンは笑みを深めた。
屈腱炎による長期休養のためどうしても気持ちも落ち込みがちになってしまうマイシンザンに気分を晴らしてもらいたく、シンザンは何ができるかを考えた(ミホシンザンとの
そこでシンザンははたと気付く。
ウマ娘は甘味が好き。マイちゃんはバナナが好き。好きな
思い立ったが吉日、早速材料を買い込み、準備を整えて栗東寮へと乗り込み、持ち込んだ材料で寮内の台所を借りて調理したのが……今まさにマイシンザンが口にしているバナナチョコレートパフェなのである。
「こんなにもバナナを使っていただけるパフェでしたら、わたくし何個でも食べられますわ!」
「本当に? じゃあ今度はもっと作れるように準備しておかなくちゃねぇ」
少女の喜びようを前にして、シンザンはパフェを選んだのは大正解であったと鼻高々である。
……パフェを調理している最中、爛々とした眼差しでマイシンザンとデビューが同期である
「パッフェなんて作ったことはなかったけど……マイちゃんが喜んでくれるならバナナ使った何がしか他にも覚えても良いかも知れないわねぇ」
「で、ではエルビスサンドを作っていただけますでしょうかっ」
「『えるびすさんど』?」
「はいっ、バナナをこれでもかと使ったサンドイッチでして──」
一生懸命にエルビスサンドなる料理について必死に説明するマイシンザン、シンザンはにこにこしながら相槌を打つ。
「ハイカラなもん知ってるね〜」
そんなこんなでシンザンが可愛い後輩の色々な話に耳傾けている内に時間は過ぎ去って……。
「マイ〜、もう食べ終わった〜?」
パフェの器が空となり少しして、マイシンザンを呼ぶ声が上がる。
「早く遊び行こうよー」
「あ、はいっ。今うかがいますわっ」
声を対してマイシンザンは首を伸ばして返事をすると、申し訳なさそうな表情を浮かべ頭を下げた。
「では、シンザンせんぱい……とても心苦しいのですが、本日はこちらで失礼させていただきますわね」
「いいよぉ別に、友達と楽しんでおいで──あ、そうだ」
シンザンは財布を開き、抜き出したお札をマイシンザンへ手渡した。
「はい、これ」
「ええっ? シンザンせんぱい、これは──」
「お小遣いね」
「お、お小遣いですか? で、でもこんな額──」
突然渡された紙幣にたじろぐマイシンザン。
可愛い後輩の慌て振り様子にシンザンは笑みを浮かべたまま、持っていくように手振りで促す。
「いいから。持って行きなさいよ」
「ほ、本当によろしいんでして?」
「そんなに使い道もないしさ、それで友達と美味しいもの食べといで」
「シンザンせんぱい……」
暫くの間もじもじするマイシンザンだったが恐縮した様に頭を下げ、マイシンザンはバタバタと自分を待つ友達の元へと駆けていった。
「大事に使わせていただきますわっ」
「……はぁぁー」
友人と楽しげに語らうマイシンザンの後ろ姿を見送り終えると、シンザンはゆるゆると手を下ろしながらため息をついた。
「友達とお出かけの予定があったとは……」
今日一日、マイシンザンと一緒に過ごせると思っていたのだが先客──確かマイちゃんのチームメイトで名をヘブちゃんといったはず──がいたようで……その願いも叶わなくなりシンザンはちょっぴり悲しくなった。
……マイシンザンの予定を確認しなかった自分が悪いのだから仕方がないのだが。
己の無計画さに肩を竦めてもう一度ため息をつく。
「はぁ……仕方ない、また勉強の続きでも──」
「あれ? シンザン先輩?」
疎らな食堂からやはりまばらな談話室へと移動し、寂しさを紛らわせようとテーブルに置いておいた朝っぱら目を通していた写真集へ再び手を伸ばしたその時、横合いから呼びかけられた。
振り向くと、そこに今では顔馴染みとなったチーム『スピカ』のダイワスカーレットとウォッカが怪訝そうな顔で見下ろしていた。
「おぉ、おはようお二人さん」
「どうかしたんですか?」
「珍しいっすね寮にいるなんて。しかも朝早くから」
「用事があってねー。二人こそ今日は──って」
声を掛けてくれた後輩へ手を振るシンザン。寂しさを紛らわせるためにそのまま軽く雑談にでも洒落込もうかと思った矢先、身に覚えのウマ娘が二人の後ろに控えていることにはたと気付く。
「そちらさんは?」
「そっか。先輩はフラッシュさんと会ったことがなかったんでしたっけ?」
「ちょっぉと、覚えがないね」
「そうですね、申し遅れました」
ダイワスカーレットとウオッカの間から進み出たウマ娘が声を発した。
「はじめまして。エイシンフラッシュです。お初にお目にかかります」
黒鹿毛のウマ娘──エイシンフラッシュの会釈にシンザンは小さく感嘆する。目算十五度、見事な角度の会釈を披露されたからだ。
「ああ、どうもどうもこれはご丁寧に──シンザンいいます。どうぞよろしく」
「はい、もちろん存じ上げていますよ」
「あらそう? それは嬉しいわねぇ」
「シンザン先輩は数少ない日本の三冠ウマ娘の一人──それに外国のトゥインクル・シリーズで走るのなら、その国レースの歴史も学ぶことは当然のことですので」
ソファからのそりと立ち上がり会釈を返しつつ、心持ちに感心してしまう。
「外国のレース?」
「フラッシュさん、ドイツからの留学生なんですよ」
「ドイツから? そりゃあすごい」
頭に疑問符を浮かべたシンザンだったが、ダイワスカーレットの言に合点がいく。
自分の現役時代にもアメリカやフランス、イギリスからの留学生は少数いたが……ドイツから日本のレースに参戦とは随分と珍しい。
「どおりで雰囲気がちょっと違う訳だ」
「そうなんです! フラッシュさんは綺麗で、それにお菓子作りも得意なんですから!」
「どうしてお前が得意になってんだ?」
「そ、そんなに褒めていただくことでも……」
「いや、フラッシュ先輩も照れるとこっすか……?」
ふふん、と胸を張るチームメイト、その賛辞に頬を掻いて目線を逸らした先輩の反応に胡乱げな眼差しを送るウオッカ。
シンザンはというと二人は仲がよろしいのだろうな、と勝手に納得していた。運命、とまでは行かなくともウマ娘であれば引かれ合うものを感じるものは多々あるものだ。
「にしてもフラッシュちゃんは日本語も上手ねぇ」
「ふふ、ありがとうございます。外国のトゥインクル・シリーズで活躍するのなら、まずはその国の言語をマスターするところから、です」
「まんま日本人よ。実はね、わたしもドイツ語はちょっと喋れるのよ? 『いっひびんあいんべるりなー』つってね」
「まあ、お上手です。でも──何故
「はん?」
褒めつつも不思議そうに首を傾げるエイシンフラッシュの様子に、シンザンも首を傾げてしまう。
……当時のニュースで報じられていた位は有名な演説で耳にしてたため覚えていたのだが、何がおかしかっただろうか。
「……ま、わたしのドイツ語は脇に置いておいて。ドイツからなんて本当珍しいわねぇ。
「はい、私は──」
「西ですか? 東ですか?」
「
誤魔化すように話題を変えた瞬間、エイシンフラッシュは首を傾げた姿勢のまま固まってしまった。
「
「ん? ……ああそっか。もう統一してたものね、こりゃ失敬」
「え、ええ……私が産まれる以前の話ですから、大分昔の話になるのですが……」
エイシンフラッシュの混乱した様子にシンザンはうっかり分断時代の話をしていたことに気付き、頭の後ろに手をやりながら慌てて頭を下げる。
「……なあ。西とか東とか、統一って何のことだよ?」
「世界史の授業でやったじゃない……きっとそれのことをシンザン先輩は言ってるのよ」
「……? なーる。で、どうして先輩はそんなことを聞いてるんだ? ずっと昔の歴史の話なんだろ?」
「それは──ちょっ分からないけど」
脇で難しい顔をするウオッカとダイワスカーレットの囁きを耳に入れつつ、シンザンは下手なことを口にしない方が話がややこしくならないことを悟る。
……歴史の授業──その言葉に内心ショックを受けつつも、表情に出ないよう努めて素知らぬ振りをしながら。
「……残念だけども、お国についての話はまた今度しましょうね。フラッシュちゃん」
「っ。え、ええ。そうですね。そうしましょう」
硬直したままのドイツのウマ娘へ水を向けると、まだ思考が追いついていない様子ではあったが、我に返った様子で素直に従ってくれる。
「そいで、さっきのウオッカちゃんの質問だけど。今はどんな子がレースで活躍してるのか勉強するところだったのよ」
「そ、そうだったのですね」
「最近の子はよう分からなくてねぇ……」
「あ、この写真集。フラッシュさんも載ってたやつじゃないですか?」
シンザンは再びソファに腰を落とし、写真集を手に取って後輩たちの前に差し出す。
写真集を受け取ったダイワスカーレットが思い出したように口にすると、ウオッカも開いた誌面を覗き込みながら同意するように何度も頷きを返した。
「確かにそうでしたね」
「あれか、秋の天皇賞に勝った時の写真だったよな」
「あら」
秋の天皇賞を制したという情報にシンザンは食い付く。
「自分、秋天勝ちウマなの?」
「そうです」
エイシンフラッシュは一つ頷くと、誇らしげに胸元に手を添えて言葉を続けた。
「日本の伝統あるGⅠレースに勝てた時は、故郷の両親もとても喜んでくれて──その時の感激は今でも忘れられません」
「そりゃ可愛い娘が海の向こうの外国で頑張って結果を出したんだ。それこそ親御さんも泣いて喜んだろうねぇ」
「はいっ。加えて、シニア級の
大人びたエイシンフラッシュが子供っぽく顔を綻ばせる様子にシンザンも思わず微笑んでしまう。
「しっかし……中距離、中距離ねぇ」
「? フラッシュさん、何かおかしなこと言いましたか?」
「あ、いや。別に大したことじゃないわよ。単純に、今と昔は違うな〜って思っただけよ」
「違う……って何がっすか?」
ぼやきを聞かれてしまい、『スピカ』の二人に首を傾げられシンザンは手を振って誤魔化そうとするが……。
「まぁ──わたしの現役時代と施行距離が違うから、秋天を中距離レースの代名詞みたいに言われるとどーぉもしっくりこないなぁってだけでね」
気が変わり、肩を竦めつつ心を口にした。
そのぼやきにダイワスカーレットとウオッカが分かりやすく驚きの表情を浮かべる。
「あっ、そっか。先輩の現役時代って確か──」
「天皇賞は春も秋も三二〇〇メートルだったからね。むしろ二〇〇〇メートルの方に違和感を覚えちゃうのよ、わたしはね」
「秋天が三二〇〇メートル……イメージ湧かねえな」
「となると、同じ天皇賞でも私とシンザン先輩ではレース運びもスタート位置も──いえ、レースそのものが全く異なっていた、ということですね」
「そうだねぇ」
一方のエイシンフラッシュはというと、顎に手を添えて思案する素振りをしてそう尋ねてきた。
シンザンも後輩たちへ頷きを返し、目線を少し上げて当時を思い起こす。
「まず、第三コーナー手前の坂上をスタート地点に取ってね。スタートと同時に坂を降っていくから、そこで勢いをかってテンから行って早めに良い位置取るのが定石だったかな。ただし、東京の三二〇〇は府中の坂を
そこで一旦言葉を切り、シンザンは後輩たちへ向けて口の端を釣り上げてみせた。
「キツイよ〜。二週目の最後の追い出しでもう一回現れる府中の坂は」
「府中の坂を二回も……想像するだけでスタミナが削れる幻聴が聞こえてきます……」
エイシンフラッシュが深刻な表情のまま、これまた深刻な声音で心境を述べる姿がつい可笑しくてシンザンは声を上げて笑ってしまった。
「ははは、府中の坂経験者にはしんどさが伝わってくれたみたいねぇ……レース内容もそうだったけど、施行時期も今とは違って十一月開催でね。秋の日暮れに焼ける府中のコースを、天皇賞の厳粛な雰囲気の中で走る厳かな雰囲気は今の子らには経験できないだろうねぇ……わたしの時は生憎小雨がちだったんだけども」
「話を聞くと、今と昔の天皇賞っていろんな意味で今とは違ったんすね」
「
ウオッカの率直な疑問にシンザンは大きく頷いた。
グレード制が導入される以前。八大競走という枠組みの中で天皇賞はシニア級最大の目標とされ、三二〇〇メートルという過酷な条件でのレースに勝利するということはシニア級最強を意味していた。
加えて、天皇賞の持つ長い歴史と伝統……皇室崇敬の念が色濃く残っていた時代でもあったため、天皇賞で優勝することはウマ娘だけでなくトレーナーにとって──いや、トレーナーにとってこそ──も最高の栄誉でもあった。
「何せ、
「はあー」
「そうだったんですか」
冗談交じりにバンザイの手振りも加えつつ、きょとんとした様子で曖昧に相槌を打つ『スピカ』の二人と、「センゼン……センゼン?」と対照的に眉間に皺を寄せ何やら考え込むドイツのウマ娘を横目に言葉を続ける。
「そうよぉ。ダービーや三冠の掛かってた菊花賞とも違った張り詰めた空気が漂ってたもんだったよ。わたしの時はまた特異だったかもしれないけどね」
「へえー……そういえば。先輩の天皇賞の話ってまだ聞いた覚えがなかったかも」
折に触れていたためとっくに話していたつもりだったのだが……ここ最近どうも記憶があやふやで仕方がない。
「あら、そうだったかしら」
「言われてみりゃそうだな──せっかくだし、先輩の天皇賞について教えてくださいよ!」
ウオッカから提案にシンザンは目を瞬かせる。
「そうね、アタシたち、レース映像は視聴しましたけど、先輩から直接レースの話も聞いてみたいです。フラッシュさんもそう思いませんか?」
「……はっ! え、ええ。良ければ、ぜひ聞かせていただけますか」
ダイワスカーレットに名を呼ばれ、思考をフル回転していたエイシンフラッシュも我に返り慌てて頷きを返す。
「先輩の天皇賞って、大逃げしたウマ娘がいましたよね。こないだミナ先輩が話してた……あーっとミス、ハルカさん? でしたっけ?」
「ふふふ、ミハルカスよ。ミハルカス」
「あり……」
「ちょっとアンタ、先輩のライバルさんの名前間違えてるんじゃないわよ」
「誰じゃいなそれ」と思わず突っ込みかけるシンザンだったが、ウオッカとダイワスカーレットの夫婦漫才の様なやり取りについつい笑ってしまう。
「す、すんません……」
「あははは、良いってことよ。確かにミハルのあの大逃げは見事だった。前走の目黒記念で慣れない追い込みもあってなおさらだね」
「有マでもやられたし」と付け加える。
……天皇賞は非常に思い出深い、大事なレースなのでついついその気になってしまう自分がいる。
「スズカさんを近くで見てるから忘れちゃいますけど、やっぱり大逃げを打つってすごいことなんですよね」
「いやはやまったくだね。けど、あの時の天皇賞にはまた別に
「
エイシンフラッシュが目を丸くする。
「シンザン先輩がそのような評価を下すウマ娘がいたのですか?」
「いたよぉ。どえらいのが」
そう言ってシンザンはうんうんと何度も頷き、ソファに深く身を沈めて思い出すように瞑目した。
「ハクズイコウって名前でねぇ」
独り言になりますが、本作中でセントライト、スピードシンボリ、ハイセイコーが登場した場合(現状未定ではありますが)、本家ウマ娘とはキャラクターがまったく異なる場合があります(というか全く異なります)。
その際は温かい目で見守っていただけると幸いです。
スーちゃんはいずれ登場すると思ってたから全然分かるのよ。
セントライトさんとハイセイコーが実名で登場するなんて思わないじゃない……。