神が讃えしその駿駆   作:松武栗尾

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第五話 『新参(シンザン)』先輩

「ゴォーール!」

 

 目の前を三条の風が駆け抜けた刹那、ゴールドシップは決着を告げる赤い旗を勢いよく振り払った。

 

「……なんだよー、シンザン負けてんじゃねーか」

「うーん、駄目だったか。皐月賞の時より速いんだけどなぁ」

「まさかお前、消えるのかぁっ!? ……って期待したアタシのドキドキを返してくれよなー、ったくよぉ」

 

 ゴールドシップはフラッグを肩に担ぐと顔をしかめ、そそくさと脚を止めて額の汗を拭っているシンザンをなじった。

 

「先輩、負けちゃいましたね……」

「……ああ」

 

 彼女たちへ目線を送るサイレンススズカの言葉にトレーナーはドロップを口から離して短く答える。三人中三番目、それが彼女の出した結果だった。

 

 空けられていた距離さえ詰めはしたが差し切れず、前走者に一バ身の差をつけられて入線したシンザン。ある意味予想通りの結果に終わってしまい、『スピカ』の面々は当惑した表情を浮かべて見つめるしかできない。

 

 一線から退いていたいた故の体力の衰え、ブランクと言ってしまえばそれまでだが、三冠ウマ娘の走りとして評価するならば、彼女のそれは凡走と言わざるを得ないものであった。期待していた分拍子抜けすると同時に、見てはいけないものを目撃してしまったような、なんとも言えない気不味さがトレーナーたちの間に漂っていた。

 

(とは言え……)

 

 共に走ったスペシャルウィークとトウカイテイオーに賛辞を送っているシンザンへ、彼は難しい顔をして厳しい眼差しを送る。

 

 二〇〇〇メートルの距離を走ったとは思えない程の息の整いようだ。余力を温存しているの明らかである。かと言って彼女の走る姿勢などを見ていた限りでは、手を抜いていたとは思えない。

 

「マックイーン、シンザンの走破タイムはどうだった? マックイーン!」

 

 トレーナーは声を張り、信じられないといった表情でシンザンを凝視して固まっているマックイーンへ呼びかけた。

 

「二分三秒八……です」

「二分三秒八?」

 

 その名に違わぬ素晴らしい走りを見れると胸を弾ませていたのだろう。期待を裏切られたような結末になってしまい、心ここに非ずといった風のマックイーン告げた走破タイムに彼は思わず眉根を寄せる。

 

 起伏のない学園のトラック芝二〇〇〇メートルで二分三秒八……トゥインクル・シリーズのレース平均から見てもやや遅いタイムであった。

 

(シンザンがハナに立ったことで前半のペースがかなり遅くなった、てのも理由の一つだろうが……)

 

 前半が相当なスローペースだったとはいえ、こう遅いタイムを出されてしまうとなると……。

 

「……なんだかなぁ」

 

 あらゆる大レースを制してきたレース映像の中のウマ娘と、今目の前で併走を行い、平凡なタイムで走ったウマ娘が同一人物とは到底思えず、トレーナーは一人困惑した感情と格闘していた。

 

 

 

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 

 ゴールドシップの前を駆け抜けた瞬間、テイオーは力を抜くと惰性で十数メートルを走りながら速度を落としていった。

 

「くぅぅ、負けちゃ、いましたぁ……っ!」

 

 止まり際、真横を無念そうに歯を食い縛ったスペシャルウィークがすっ飛んでいくのを横目にしつつ、息も整えぬままに振り返る。

 

(シンザンは……っ)

 

 姿を探して──いた。遥か手前、ゴールから二、三メートル程しか離れていない位置で脚を止めている茶褐色髪のウマ娘がゴールライン番を務めていたゴールドシップに絡まれている。

 

(勝った、の……?)

 

 併走とはいえ自分は彼女よりも先にゴールを駆け抜けた。だと言うのに、この違和感は一体なんなのだろうか。

 

 シンザンに先んじたというのにこれといった手応えがない。自分がシンザンよりも勝ったという確信が持てなかった。

 

「テイオーちゃん」

 

 不完全燃焼の面持ちで俯きがちにその思いに駆られていると、声をかけられる。テイオーが顔を上げるとシンザンが微笑みかけていた。

 

「いやぁお疲れ様、一緒に走れて楽しかったよ。にしても、随分柔らかい走りをする──」

「ねえ、一つ聞いていい?」

 

 二〇〇〇メートルを走ったとは思えない程落ちついた息遣いの彼女の話を、呼吸を弾ませるテイオーは遮って口を開いた。

 

「シンザン、本気で走ってた?」

 

 ピタリと、テイオーの発した言葉にシンザンは動きを止める。

 

「ボクが並んだ時、少しもヨレないし、抜いたって競ってこない、スペちゃんにまで先を譲ったりしてさ。ボク、本気で走ってもらってるように感じなかったんだけど……」

 

 併走中盤の直線。テイオーは彼女の走り振りから闘志というものが感じられなかった。手を抜かれているではないか……そんな疑念が胸に過ってしまったのだ。まさかとは思ったものの、少なくともテイオーはそう感じた。

 

「……本当はもっと走ってあげたかったんだけど、自分の練習靴を履かないとどうも走り辛くてね」

 

 顔色を変えず、シンザンはそっと視線を足元へと落とした。

 

()()がないとこうもしっくりこないとは、思いもしなかったよ」

 

 ポンポンと自分の脚を叩いてこちらに目線をくれるシンザンの黒い瞳に、申し訳なさそうな色が見てとれる。暗にテイオーの指摘が正しいことを物語っていた。

 

「じゃあ……どうしてマックイーンの提案に乗ったりなんかしたのさ」

 

 火照った体がスッとに冷めていく感覚に襲われながら、自分が思ったよりも低い声音でテイオーは鋭く問い質してしまう。

 

 突然の頼みに応じてくれた手前、文句を言うのはお門違いだが万全の状態で併走に臨めないと把握していたのだから、日を改めても良かったのではないか。後出しでそんなことを言われたところで彼女自身この半端な結果に納得できなかった。

 

 何より、彼女の走りに魅了されているマックイーンや、勝つつもりで併走に臨んだ自分の想いを蔑ろにされたような思いになる。

 

「言い訳でしかないけど……テイオーちゃんがわたしの実力なんて分からないって、言ってくれたからかな」

 

 不満の表情を浮かべ、冷めた目でシンザンの答えを待っていたテイオーは呆気に取られてしまう。

 

「え?」

「わたし、結構色眼鏡で見られるし、気を遣われて遠慮されがちなことが多くてね。だからテイオーちゃんみたいに正直な感想を口にしてくれる子は久しくいなかったから、つい嬉しくなっちゃって」

 

 「個人的に会長が気にかけてるテイオーちゃんに興味があるのも理由の一つかな」と続けた彼女にテイオーは言葉を失った。

 

「……何それ、ワケ分かんないよ」

 

 間を置いてテイオーはポツリと呟くが、シンザンの言わんとしていることが漠然と理解できたような気がする。

 

 強者とは孤独なものだ。隔絶した強さは時に人を畏れさせ、寄せ付け難いものにする。ましてや史上初の偉業を成し遂げたウマ娘となれば尚更だろう。と同じ次元に並び立てる者はそうそういない。

 

 そしてそういった人物をテイオーは一人知っている。自分の憧れであり、何人も並び立つことのできない目指すべき絶対の存在を。

 

「まあけど、時間を取ってもらったのに期待を裏切ったわけだし、こればっかりはわたしの落ち度だから……皆には謝らないとね」

 

 「特にマックイーンちゃんには」と続けて、ちらと視線を肩を落としている芦毛の少女へ向けつつ、申し訳なさそうにシンザンは耳を項垂れさせる。

 

「ごめんね、テイオーちゃん。わたしに真正面からぶつかってくれたのに、無下にするような真似をして」

 

 素直に頭を下げるウマ娘を前にテイオーは戸惑った。自らの非を認め、なんの躊躇いなく詫びたシンザン。

 

 敬愛するルドルフと、そのルドルフが敬意を払う彼女を重ね合わせ、気付かない内に対抗心を燃やし過ぎていたのかもしれない。

 

「──じゃあさ、約束」

 

 そう考えるとテイオーはバツが悪くなり、そっぽを向きながら口を尖らせる。

 

「約束?」

「約束してよシンザン。次に走れる時がきたら、本気で走るって」

 

 シンザンのことを穿った目で見ていたこともあり、ムキになり過ぎたと自省する。許しの言葉と受け取ったシンザンは、顔を上げ朗らかに微笑んだ。

 

「……勿論」

 

 小さく頷いて一言を残すと、彼女は会釈をしてトタトタと遠ざかって行った。

 

 テイオーはスペシャルウィークへと歩み寄っていくシンザンの背を目で追う。

 

「スペちゃぁん……ごめんね、格好いいところ見せてあげられなくて」

「ええっ!? そ、そんなことないです!」

「この通り、情けないわたしを許してちょうだい」

「顔を上げてくださいっ! そ、そうだっ、さっきのスタートダッシュすっごく上手でしたね! 私、びっくりしちゃいました──!」

 

 慌てふためくスペシャルウィークに両手を合わせて拝むように謝罪する彼女をじっと見つめる。

 

 結果として、マックイーンが熱弁していた彼女の実力を体験することは叶わなかった。底が見えなかったと言っていいかもしれない。けど、とテイオーは思う。シンザンと競う次の機会に恵まれたなら、本気の彼女に自らの全力をぶつけて勝ってみせる、とテイオーは拳を握ると共に固く決意した。

 

 

 

 

「ねぇ、シンザン先輩って知ってる?」

 

 シンザンがトレセン学園に戻ってきてから一週間程後。

 

 教室で授業を受けているところやトレーニング設備の利用、カフェテリアで食事する姿、また近頃実力を伸ばしているチーム『スピカ』のトレーニングに参加しているところを目撃されたことから、彼女が復学した情報ががさざ波のごとく学園中へと広がっていった。

 

「『シンザン』? 新参者なのに先輩なの? 転入生じゃなくて?」

「違う違う、先輩の名前だってば。あのシービー先輩が三冠ウマ娘になる前に三冠制覇したウマ娘なんだって」

「えっ、そうなの? めっちゃすごい先輩なんだ!」

 

 彼女の存在を知らなかった中等部や在学期間の被っていない高等部の生徒たちの間では、現生徒会長が活躍する以前に三冠を達成した、生きる歴史のようなウマ娘の登場したことへの戸惑いと純粋な好奇心を抱かせていた。

 

「……待ってよ。もしかして、重賞の『シンザン記念』ってまさか……」

「……先輩の名前からきてるらしいよ」

「うそー、本当にすごい先輩じゃん」

 

 声を潜めて囁き合う生徒たち。シンザン記念とはその名と通り彼女の功績を称えて創設された、一月上旬に京都レース場で開催されるクラシック級に所属するウマ娘のみに出走が許された重賞レースである。

 

「……なんか雲の上の存在、って感じ?」

「……うん。だね」

 

 三冠を制覇達成し、レース名に名を残す程のウマ娘……その瞬間に彼女たちの好奇心は畏怖の念に変わり、近付くことすらおこがましい、雲の上の存在早変わりしてしまった。

 

「あ、でも、この間寮で配られたお菓子を差し入れしてくれたのもシンザン先輩なんだってさ」

「……めっちゃいい先輩じゃん」

「……会ったらお礼言おうね」

 

 但しご当地土産の製菓を差し入れたことも知れ渡り、その行いがシンザンを詳しく知らない後輩たちの彼女への好感度が細やかにアップしていたことも、確かだった。

 

 逆にトレーナーや施設管理担当などの学園関係者、高等部の一部上級生たちにはシンザンの復学は正しく青天の霹靂と呼べる衝撃であった。

 

 

 

「ちょっといいかしら」

「んん? おー、おハナさん。どうしたんだよそんな深刻そうな顔して──」

「あなたのチーム、()()シンザンとトレーニングしたみたいじゃない」

「……なんで知ってるんだ」

「グラウンドで併走してたって、トレーナーの間じゃ話題になってるのよ」

「まあ……そりゃそうか。人目につくもんな。それでそれが一体──」

「お、お取り込み中すみませんっ」

「って、葵ちゃん?」

「あ、あのっ、『スピカ』の皆さんが()()シンザンさんとトレーニングしていたって噂をお聞きしたんですけれどっ!」

「葵ちゃんまで知ってんのかよ……」

「流行に疎い葵の耳に入るくらいの重大案件だってことなの理解した? それで、どうやって彼女とのトレーニングを取り付けたのよ、教えなさい。挨拶も兼ねて『リギル』と合同トレーニングしてもらいたいしね」

「わ、私にも是非っ! ミークのためにも、シンザンさんとトレーニングをさせてあげたいんですっ!」

「いや、詳しくは俺も知らねぇんだって……!」

 

 

 

 ウマ娘を鍛え、導いていく立場にあるトレーナーにとってのシンザンは、彼女と二人三脚で共にクラシック街道を突き進んだ偉大な先人たちの努力の集大成であり、同時に彼らの期待に応えたウマ娘として敬意を示すに足る存在である。

 

 そんな彼女と自らの担当するウマ娘と共に研鑽に励ませたいという思いは、トレーナー陣から抱くのも無理はなかった。

 

 

 

「後輩からアタシを呼んでるウマ娘がいるって言うから、誰かと思って出向いたらさぁ。いたんだよ、シンザン先輩が」

「下手なホラー映画より恐ろしい展開じゃないか」

「何事かと思って身構えたら『アマちゃん久しぶりだねぇ、元気してた? これ後輩へのお土産、みんなで食べてちょうだいね。ところで、今ミホいるかな?』、だってさ」

「なんて返したんだい?」

「『お、押忍……』としか言えなかったよ……」

「だよねぇ……私も同じ。栗東寮(こっち)に来てくれた時は笑って誤魔化すしかできなくて……先輩のサプライズは嬉しいけど、心臓には良くないタイプのサプライズだからなおさらね……」

「流石のアタシもビビったね、あれには……」

 

 

 

 対して高等部の上級生たちにとってのシンザンは最強の代名詞であり、話しかけることすら躊躇われる程の雲の上の存在であった。そのシンザンが土産物を差し入れる際に彼女と対面することになった寮長たちの心中は、恐縮の至りであったという。

 

 とにかく、彼女の復学は程度は異なれど驚きを持って迎えられたのは間違いなかった。

 

 

 

 

 

 学園のカフェテリア。昼時であれば賑わいを見せるこの場所も始業前の時間ということもあり、朝練を負えたであろう他の生徒たちの姿もまばらな中。シンザンは周囲の反響などどこ吹く風といった風に日課である朝刊の講読に勤しんでいた。

 

「今年ももう皐月賞の季節かぁ……何々、『激突! ビワハヤヒデ、ウイニングチケット』?」

 

 クラシックレース初戦を知らせる、紙面に踊るでかでかとした見出しと二人のウマ娘の写真をやや体を引いた姿勢で眺める。

 

「『今年のトゥインクル・シリーズクラシック戦線第一関門、皐月賞に王手を書けたのは二人のウマ娘。メイクデビューから六戦四勝、連続連対率百%のビワハヤヒデ、皐月賞トライアルの弥生賞を勝ち取り四連勝中のウイニングチケット──』……文字が小さいなぁ」

 

 有力候補についての記事に目を通すシンザンは独りごちる。ここ最近目が悪くなってきたようで、近くのものがぼやけて見えるように感じられた。遠くのものは普通に見えるのにこれじゃあまるで年寄りみたいだと、彼女は心の中で嘆息する。

 

「他にはどんな子が走るのかな、と──ん?」

 

 その内老眼鏡でも買おうかしら、と冗談を考えながら出走メンバー表に目を通していたシンザンだったが、ある名前を見て視線を止める。

 

「……ほぉう」

 

 紙面に顔を寄せ、やっぱり引き、目線をそのウマ娘の名前に固定し、まじまじと見つめながら彼女は思わず呟いた。

 

「この感覚、懐かしいなぁ」

 

 学園から一度去り、久しくなかった運命的な何かを、シンザンはその名から感じ取ったのである。

 

 

 

(なんでこんなトコにお父さんが……?)

(ウチのパパみたい……)

(おばあちゃん元気してるかな……後で電話してみよ)

 

 

 

 その場に居合わせた生徒たちは紙面に顔を寄せたり引いたりするシンザンの姿を目にし、失礼とは分かりつつも故郷の家族に重ね合わているとはを露にも思わず、彼女は一人機嫌を良くしてその名を脳裏に留めていた。

 

 

 

「なんだか、良いことがありそうだ」

 

 

 

 学園でのシンザン最後の二年間が、始まる。




チケゾー「ダイジンが仲間外れにざれ゙でる゙よ゙お゙ぉ゙ぉ゙ぉ゙ぉ゙ぉ゙っ゙っ゙!゙!゙」

BNWの名称はナリタタイシンが皐月賞を制した後に使用されるようになったそうなので、名前を省きました。
※Wikipedia BNWの項参照

ごめんねタイシン!
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