試験的に前半は一人称、後半は三人称でお送りします
小さい頃からずっと追い求めていた。誰にも邪魔されない私だけの先頭の景色を。もっと速く、もっと前へ。いつか、先頭のもっと先……誰も見たことがない景色へ……。
そして辿り着いた先は、何も見えない真っ暗な暗闇だった。今私は目を開けているのか、立っているのかも分からない。
こんなものを私はずっと求めていたのか……?
こんな景色を私は望んでいたのか……?
違う!!私が見たかったものはこんな景色じゃない!!
帰らなきゃ……そう思うがどうすればいいか分からない。このまま寂しく孤独に死んでいくのか?恐怖で震えが止まらない。
もうダメだ……。心が折れかけたその時、かすかにどこからか声が聞こえる。必死に耳を澄まし声がする方向を探す。すると僅かに光が見える。あそこだ。藁にも縋る思いで光が見える方へ進んでいく。はやく、はやく、こんな地獄のような光景はもう嫌だ。少しずつ光が強くなっていく道を懸命に進む。瞬間、私の意識は飛んでいた。
目を覚まして一番最初に飛び込んで来た光景は、大粒の涙を流しながら必死に私の名前を呼ぶサブトレーナーさんだった。私が意識を取り戻したのを確認した彼は、安堵の表情を浮かべている。
泣きながら笑うなんて器用なことをするなぁなんて見当違いなことを思いながら、今までまともに見たことがなかった彼の顔を見つめる。意外とまつ毛が長いことや、口と顎の真ん中に小さなホクロも見つけた。
しばらく彼の顔を観察していると、お医者さんが来て私の体を診察していった。話の内容はよく聞こえないが、深刻そうな顔を見るにきっと容態は良くないんだろうなと理解するが、不思議と気持ちは落ち着いていた。
もう少し彼の顔を眺めていたかったが、自然と閉じていく瞼に抵抗ができない。もしかしたら、眠ってしまったらまたさっきの所に行ってしまうのではないか?と不安に思ったのは一瞬だった。そっと私の手を握る大きな手は、今まで感じたことのない安心感に包まれて私は意識を手放した。
そして、目を覚ました私を待っていたのは苦痛の毎日だった。リハビリが辛い、チームメイトからの励ましが辛い、思い通りに動かない体が辛い、毎日お見舞いに来てくれるサブトレーナーさんの優しさが辛い。
とうとう我慢ができなくなって、生まれて初めて人に向けて暴言を吐いた。たくさん罵倒した。物も投げつけた。
そんな自分が嫌いになって命を絶とうと思った。
それでも彼は私に対して態度を変えることがなかった。もう来なくていい。私に関わらないで。何度言っても、何を言っても私が好きなジュースを持参して毎日私に会いに来る。
ある時、景色が綺麗で、もしも思いっきり走れたらとても気持ちよさそうな場所まで連れて行ってくれた。私に負担が掛からないようにゆっくりと車椅子を押して行くサブトレーナーさんの言葉が、いつもよりよく聞こえるくらい、息苦しかった病室から解放された私は久々に心が落ち着いていた。
見渡す限りの緑が太陽の光を浴びて輝いているように見える道は、どこまで続いているのか分からない。ひんやりとした風を頬に受けながら、ゆっくりと道のりを進んでいく。
彼にもう少しだけ速度を上げてもらうように頼み、レース場とは違う景色を楽しみながら、私はいつしか忘れていたものを思い出した。
幼い頃から走っていたばかりの私に、ある日両親がレースへの出走を勧めてくれた。走れるならいいかな、と初めての参加したレースはすごく苦しいものに感じられた。たくさんの子達に囲まれた状況は騒がしくとても窮屈で……。
だから誰もいない、絶対に追いつけない場所まで行こうって、思いっきり走って前に出た。そしたら、目の前がぱっと開けて、静かな誰もいない景色に辿り着けた。
そうだ……私は先頭を走りたい。もう一度、何度でもあそこに辿り着きたい!この気持ちだけは……譲れない……!!
病院に運び込まれて以来、まともに見なかった彼の顔をしっかり見つめ、少し頬が熱くなるのを感じながらお礼を言うと、彼の照れたように微笑む笑顔を見て、可愛らしいなぁと思いつつ二人だけの散歩を楽しんだ。
それから心に余裕が出来た私は、みんなに支えられながらリハビリに励むことができた。もう立ち止まらないように、夢を叶えるために、少しずつ前へと進んでいく。
怪我をしてから一年と一ヶ月、復帰レースで一着を取った私にみんなはとても喜んでくれた。これからもまた夢に向かって走ることが出来る、そう思っていたのに……
ねぇ、サブトレーナーさん?私はあなたが思っている以上に弱くて、寂しがり屋で、負けず嫌いなんですよ?あなたが応援してくれるから、あなたがゴール前で待っていてくれるから、私は誰よりも先にあなたの元に駆けつけるんです。
だからあなたが私よりも先にゴールしていなくなるなんて許しません。あなたを見つけるまで、私は見えないゴールを走り続けます。
少し前まで半袖でも暑さを感じていたはずなのに、今では少し肌寒くなった季節の中、スズカは同室の“スペシャルウィーク”を起こさないよう静かにジャージに着替えて部屋を出た。
今日は朝から病院で検査予定の為、いつもより早く起床して練習場に向かう。目的地に到着したとき、先客は見当たらず、しばらくは誰にも邪魔されずに静かな景色を独り占めできるとスズカは内心喜んだ。
(はっ、はっ、はっ……!!)
フォームを確認しながら少しずつ走るスピードを上げていく。体の調子は悪くない。
一人で走ったり、誰かと併走する時は問題ない。だか、模擬レースをするとどうしても脚が重くなる。復帰レースまでは問題なかったはずなのに、その後から無意識にブレーキを掛けてしまう自分の体に日に日に苛立ちを募りながら、スズカは黙々と誰もいないレース場を駆けて行った。
朝練を終え、チームメイトに軽く言葉を掛けてからスズカは病院に向かっていた。怪我をする前はほとんど利用することのなかった道を歩きながら一人物思いに耽る。
復帰戦以来のレース出場に内定が決まったというのに、このまま本来の走りを取り戻せなければきっとトレーナーから出場を辞退するように言われるだろう。早く何とかしなければ。焦る気持ちが体に引っ張られるように病院に向かう脚が自然と速くなるのにスズカ自身も気付いていなかった。
病院に到着した彼女は受付を済ませ待合室に向かう。今日はいつもより人が混んでおらず、早めに学園に帰れそうだ。そう思いながらどこか空いている椅子を探していると、思いもよらぬ人と出会うこととなった。
「あの、サブトレーナーさん……?」
「えっ?……スズカ!?」
彼女が話掛けると慌てて読んでいたものをカバンに仕舞い込み、バツが悪そうにする彼の態度を見てスズカは困惑した。確か今日は用事があって実家に戻ると言っていたはずなのに、なぜか病院にいる。彼はここにいることがバレてしまったことを誤魔化すように言葉を掛ける。
「スズカ?どうしたんだこんなとこで?……まさか怪我した所がまた痛くなったのか!?」
「いっ、いえっ。今日はいつもの検査です。怪我をしてから定期的に検査をしてもらっていますので……」
「ほっ……なんだそれならよかった。また怪我したら大変だしな!ちゃんと自己管理できてえらいぞ〜」
「もっ、もぅ、子供扱いしないで下さい!!
……それよりサブトレーナーさんは何で病院に?」
「ん?いや、今日はちょっと……っとスズカ!名前呼ばれたから俺はもう行くな!スズカも気をつけて帰れよー」
「あっ、あの、サブトレーナーさん!!」
看護師に名前を呼ばれてこれ幸いにと逃げるように検査室に入っていく彼の背中を見て、スズカは言い様のない不安に駆られていく。
なぜ彼が検査室に入っていくのか。今日は用事があって実家に行くと言っていたはずなのに……
思い返すと話掛けた彼の顔色は悪く、目の隈もすぐに分かる程に広がっていた。一体何があったのか……
彼女の疑問に答える人は誰もおらず、何度も呼ばれている自分の名前に気付かぬ程に、スズカは嫌な予感が脳裏に駆け巡っていた。
それから数日、同室のスペシャルウィークが何度も心配の言葉を掛けるが、大丈夫と力無く返事をするスズカは精神的に追い詰められていた。
本来の走りを取り戻せていない。それだけならまだ彼女はここまで疲弊していない。学園の授業を受けている時も、トレーニングをしている時も、脳裏をよぎるのはあの時病院で会った彼の顔。
何かを隠している。それは病院での態度を見れば明らかだ。自分の思い過ごしであればそれでいい。意を決した彼女は彼の元に赴く。頭から離れない嫌な予感を振り払うように。
部屋の前で一つ大きな深呼吸をして、彼がいる部屋をノックする。しばらく待つが何も反応がない。ゆっくりとドアノブを回し部屋の中に足を進める。
失礼しますと小さな声を掛けるが部屋の中は誰もいなかった。ホッとしたような、残念なような、自分でもよく分からない感情に戸惑いつつ彼が作業している机に向かう。
彼の机の上は一体何冊あるか分からない程の参考書が綺麗に立て掛けられており、その前はたくさんの写真立ての中に色んな子達が映った写真が並べられている。
その内の一つを手に取り、スズカは自然と頬が緩む。それは自身が所属するチームが合宿の最終日にみんなで撮った写真だった。
写真を見ながら合宿での思い出が蘇る。
怪我から復帰を果たしたスズカだったが、メンタルがまだ追いついていないと判断したトレーナーが企画した合宿は、最後の特訓と称してトライアスロンを実施することになった。その時にスタイルのいい二人のウマ娘に鼻を伸ばしてたサブトレーナーももちろん忘れてはいない。
合宿最終日にみんなで撮ることになった写真も無意識にサブトレーナーの隣を陣取ったことにトレーナーが嫌な笑みでからかってきたのもよく覚えている。
まだ合宿をしてそんなに時間は経ってないはずなのに、もう何年も経過したような、スズカはそんな気分になった。
そっと写真立てを元の位置に戻すと、ふと彼の机に一枚の紙が置かれていることに気付く。勝手に見てはいけないと頭では分かってはいるが、伸ばす手を止められない。
(見てはダメだ)(ヤメロ)(後悔するぞ)
体から発せられる警告と、ドクンドクンと大きくなっていく心臓の音が嫌にうるさい。もう自分の意志が離れた体は言うことを聞いてくれなかった。
「ウソでしょ……
なに……これ……」
手元にあるのは病院からの診断結果だった。医者ではない彼女は人間の体に詳しい訳ではない。だが、素人でも分かるくらいに赤色で強調された検査結果。そして下に大きく書かれた”至急入院の必要あり”の言葉にあの日から感じていた嫌な予感が当たっていたことを悟る。
「あれ?どうしたスズカ?俺に何か用か?」
「……」
いつの間に帰ってきたのか、彼の言葉にようやく体の自由を取り戻し急いで手に持っていた書類を机の上に置くと、彼に会いに来たはずなのに、今は見たくない彼の顔をゆっくりと見つめ返す。
スズカはようやく全て理解した。彼が隠したかったことを。彼が秘密にしようとしていたことを。
一体いつから……?恐らく最近ではないだろう。まさか、私が怪我をした頃にはもう……!?もしそうだとすれば、私は彼にとんでもない罪を犯したことになる。文字通り自分の命を顧みず私を救おうとしたのだ。それなのに、私は彼になんてことを……
スズカは自分を責め続ける。謝っても許されるものではない。それでも、誰にぶつければいいか分からないこの感情は自分にぶつけることしか出来ないのだから。
「サブトレーナーさん……もう、あまり時間がないんですよね?」
「えっ!?……あぁ、うん、そうだな……」
「……っ」
一縷の希望を持って彼に問い掛けるも、観念したように答える彼を見て、スズカにさらなる絶望が襲う。
全部見たわけではないが、さっきの検査結果は明らかに彼の体に残された時間が少ないと分かるような内容だった。でも、もしかしたら治療に専念すれば助かるかもしれない。
そんな希望は彼の一言で否定された。
どうすればいい?何をすればいい?何て話をすればいい?焦るスズカとは裏腹に彼女に声を掛ける彼の顔は、驚くほどに穏やかだった。
「確かに残された時間は少ないけど……俺はスズカを信じてるから」
「……えっ?」
「俺はスズカが先頭に立って走っている姿も好きだけど、一番好きなのはセンターで歌っているスズカなんだ。だからさ……またキラキラしながら楽しそうに歌っているスズカを見せてくれないか?」
「っ、サブトレーナーさん……あなたは本当に酷い人ですね……」
「ははっ、今頃気付いたのか?俺はスパルタだからな」
「はい、本当に厳しい人です……
ねぇサブトレーナーさん?ちゃんとゴールで待ってて下さいね?あなたがいないと、ゴールがどこか分からなくなっちゃいますから」
「?あ、あぁ、ちゃんと待ってるから安心しろ。最前列で見届けるからさ!」
「約束ですよ?」
本当に彼は酷い人だ。スズカはそう思わずにいられない。きっと彼は自分の最後をURAファイナルズに捧げている。どんなに苦しくても、辛くても、誰にも気付かれないように頑張って、そして一人で逝くつもりなのだ。
絶対に一人では逝かせない。彼が向かおうとしている景色はあの真っ暗で孤独な場所なのだから。あんな所に彼を連れて行く訳にはいかない。私が目指している景色の先に、あなたが待っていてくれているのだから。
(あぁ、そういうことだったのね……)
スズカは今まで不調の原因をようやく理解した。ゴールで待っていてくれている彼がいたから、復帰レースで勝つ事ができたのだと。彼の居場所へ誰よりも早く、誰にも譲らないように走ったから一着を取ることができたんだと。
スズカの暗かった心に火が灯る。彼は約束してくれた。ならば、私は彼の願いを叶えるだけだと。決意を胸にスズカはゆっくりと部屋を退出していった。
もしも彼が帰ってくるのが遅かったならば、もしも後少しだけ時間があれば、もしも彼女が検査結果に書かれている名前を読んでいたら、きっと未来は変わっていただろう。
だがもう彼女は、彼女達は止まれない。運命のレースに続々とゲートインする彼女達を、例え三女神であろうと止めることは出来ないのだから……。
三女神「「「誰か止めて!」」」
次回の投稿は遅くとも今週中には出来ると思いますので、気長にお待ちいただければ幸いです。