よく晴れた平日の早朝、夏の暑さが鳴りを潜め始めた季節の中、子供の頃に通い慣れた道を懐かしいと感じながら俺は久々に実家に足を運んでいた。仕事の引継ぎに思ったより時間が掛かってしまったのでほとんど寝ておらず、目を瞑ればすぐに夢の中に旅立てそうだ。
たづなさんと健康診断を受ける為のスケジュール確認をしたら、翌日しか時間が取れなさそうだったので、たづなさんがすぐに病院に確認して急遽健康診断を受けることになった。健康診断というより今日受診するのは人間ドックと同じ検査の為、だいたい検査に一日掛かってしまう。
本来今日行う予定だった仕事の引継ぎをした後に、実家に連絡をしたついでに父さんと爺ちゃんにも検査を勧めた。二人ともまだまだ健康なはずだが、自覚症状がない病気に掛かっている可能性もある。
定年を迎えた父さんも、もうすぐ90を迎える爺ちゃんも今の所大きな病気になったことがないが人間いつどうなるか分からない。大事に至る前に検査をした方がいいだろう。
幸いにも父さんと爺ちゃんの丈夫で健康な体を引き継いだ俺も大きな病気に掛かったことはない。トレーナーという職業は想像以上にハードで体力を使う仕事だ。頑丈な体を持つということはトレーナーにとって必須と言っても過言ではない。
”チームスピカ”の先輩トレーナーだってウマ娘達から蹴りを喰らってもすぐに復帰する化物染みた体をしている。さすがにあそこまでは真似出来ないが、それでも病気になることなく健康で過ごせている体をくれた両親に改めて感謝をした。
久々に実家に顔を出し、家族の顔を見たら懐かしさと安心感に包まれる。最後に会ったのは去年の正月以来だったか、元気そうにしている姿を見ると自然と頬が緩んでくる。
まだ実家でゆっくりしたいと名残惜しみつつも、病院に予約した時間が近付いて来たので、母さんの運転で病院まで送ってもらう。父さんと爺ちゃんも一緒に車に乗り込むもその顔はどこか面倒くさそうだ。相変わらず病院嫌いだなこの二人は。
「どうだ学園生活は?彼女たちとうまくやれてるか?」
「ん?まぁ何とかやれてると思うよ。みんな素直でいい子ばっかりだしな。問題児が何人かいるけど」
「私の夢はサイレンススズカです」
「どうした急に?
爺ちゃんスズカのファンだったっけ?」
突然真顔で自分の推しを告白する爺ちゃんの頭を心配するも、まぁ爺ちゃんだしなと勝手に納得し、車は病院に走り進んで行く。ちなみに、父さんの推しウマ娘は”ミホノブルボン”らしく、ブルボンの勝負服に鼻の下を伸ばしている所を母さんに白い目で見られているのは我が家の日常風景でもある。
病院に到着し、すぐに受付を済ませて頭がボーッとする中自分の名前が呼ばれるのを待つ。やはり寝不足気味が効いているのだろう、急激に襲い掛かってくる睡魔に負けじと抵抗するが、油断したら一気に夢の中に連れて行かれそうだ。
先に父さんと爺ちゃんは検査を受けており、母さんも先に自宅に帰ったので、今は一人で待合室で待機している。
それにしてもここの病院に来るのはいつ以来か……スズカが怪我したときだったか、いや、テイオーが怪我をしてリハビリに付き合ったときが最後だったか……と眠気で頭が働かない中そんなことを考えていた。
今来ている病院はここらへんの地域では一番規模が大きい病院であり、人だけでなくウマ娘の診療も行っている。特にトレセン学園に通っている生徒もよく利用しており、怪我の治療はもちろん、リハビリに通ったりレースが決まった子が念の為に検査をする場合も多い。恐らく外部の施設では一番お世話になっている所だろう。
このまま寝てしまってはマズイと思った俺は、待合室に置いてあった雑誌を適当に一冊手に取り席に戻った。
『徹底解剖!ウマ娘たちの秘密をあなただけに!?
〜ポロリもあるかも!?〜』
……何だこのふざけたタイトルは?出版社はどこだ?頑張っている彼女達をそんな目で見ているというのか?バカにするのもいい加減にしろ!!
俺は興奮した気持ちを抑えきれずワクワクしながらページを開いていった。
……まぁ知っていたさ。タイトルに騙されるなんて男ならよくあることだ。俺はまた一つ賢くなったんだ。次は騙されんぞ!!
それにしてもこの雑誌、クソみたいなタイトルだが中身は意外としっかりした内容だな。写真に載っているウマ娘の勝負服についてだったり、戦績から脚質まで細かい所まで解説している。ただ写真の中にいるウマ娘達はみんなどこか色気を感じる。一体いつ撮ったんだこの写真?
「あの、サブトレーナーさん……?」
「えっ?……スズカ!?」
突然話しかけられてビックリした俺は読んでいた雑誌を咄嗟にカバンの中に仕舞い込む。後でちゃんと返さねばと思いつつ声のした方向に顔を向けると、そこには栗毛の長髪が特徴であるウマ娘”サイレンススズカ”ことスズカが困惑した表情でこちらを見つめていた。
もしかして、さっきまで読んでた雑誌を見られた!?あんなクソみたいなタイトルの雑誌をニヤニヤしながら読んでた所を見てしまったのか!?
……ヤバい、クビになる……。トレーナーを目指しているやつが如何わしいタイトルの雑誌を読むなんてバレてしまったら……俺は誤魔化すようにスズカに話し掛けた。
「スズカ?どうしたんだこんなとこで?……まさか怪我した所がまた痛くなったのか!?」
「いっ、いえっ。今日はいつもの検査です。怪我をしてから定期的に検査をしてもらっていますので……」
「ほっ……なんだそれならよかった。また怪我したら大変だしな!ちゃんと自己管理できてえらいぞ〜」
「もっ、もぅ、子供扱いしないで下さい!!
……それよりサブトレーナーさんは何で病院に?」
「ん?いや、今日はちょっと……っとスズカ!名前呼ばれたから俺はもう行くな!スズカも気をつけて帰れよー」
「あっ、あの、サブトレーナーさん!!」
俺たちの会話を遮るように名前が呼ばれたので、チャンスとばかりに逃げるようにスズカの側を離れて行く。正直助かった。もしさっきの雑誌を問い詰められて、スズカのような普段クールな美女に流し目で見られたら、俺のニンジンさんが一気に収穫時期まで成長するのは間違いない。長年の相棒は感性が豊かだからしょうがない。
俺はスズカからの呼び掛けを無視して足早に立ち去った。
病院の検査が無事終わり、数日が過ぎた頃に病院から検査結果が届いたと実家から連絡が来た。一週間は掛かると思っていたが思いの外早く届いたみたいだ。
自分で中身を確認する前に母さんから内容を確認したら、俺と父さんは全くの異常なし。たが、爺ちゃんは年の影響か検査結果が思わしくなく、念の為入院することとなった。
緊急性のあるものではないのでそこまで心配はしていないが、寧ろ勝手に病院を抜け出してレース観戦に行かないか心配である。あと数ヶ月で推しのスズカが出走するかもしれない新レースが開催されるので、それまでは大人しくしてもらおう。
実家から連絡が来た翌日に、学園に向かう前にポストを確認すると、中には検査結果が入った封筒が入っていたのでそれをカバンに仕舞いつつ学園に向かう。
それにしても今日は朝から腹の具合が悪い。昨日の夜に食べたウマ娘用巨大カップ焼きそばを食べたのがいけなかった?タマとオグリが美味しそうに食べてたから俺も買ってみたのだが。
腹の痛みと戦いながら何とか午前中の仕事を終え、一息つくとカバンから検査結果の書類を取り出し確認することにした。封筒から書類を取り出すと、なぜか三人分の書類が出てきた。どうやら間違えて父さんと爺ちゃんの分まで送ってしまったらしい。
また郵送で送り返すか、そう思いつつ自分の検査結果を確認した後、爺ちゃんの検査結果も確認することにした。
……年が年だから仕方ないとはいえ、これ大丈夫か?どの検査もアウトじゃん……。昨日電話した時は元気そうだったからちゃんと大人しくしとくように念を押しとかなければ。
書類を眺めていたらまた腹の調子が悪くなってきた。もう今日は何回トイレに駆け込んだか分からない。今回は長い戦いになりそうだ。覚悟を決めた俺は手に持っていた爺ちゃんの検査結果が書かれている書類を机の上に置き、肛門に力を入れながら小走りで決戦場へと向かうのであった。
無事死闘を制し色んな意味でスッキリとした俺は軽やかステップで部屋に戻った。前にカフェからもらったコーヒーでも飲んで午後からもがんばろう!そう気合を入れて部屋のドアを開けると、既に先客がいた。
「あれ?どうしたスズカ?俺に何か用か?」
「……」
いつ部屋に入ってきたのか、俺が部屋に入った瞬間、慌てて手に持っていた何かの書類を机に置き、ゆっくりとこちらを向くスズカの顔は、レース中に大怪我をして入院していた時にただ一度だけ俺に弱音を吐いたときに似ていた。
「サブトレーナーさん……もう、あまり時間がないんですよね?」
「えっ!?……あぁ、うん、そうだな……」
「……っ」
ふむ、スズカは一体何の話しをしているのかな……?一瞬戸惑うも、スズカの表情を見て彼女の悩みを理解する。
彼女、サイレンススズカというウマ娘は過去に一度レース中に選手生命が断たれていたかもしれないほどの大きな怪我をした。
入院中に色々あったが、仲間の励ましとスズカの努力でまた彼女は走ることが出来るようになった。復帰レースでも一着を取り、周囲は”異次元の逃亡者”完全復活!とスズカの復帰に喜んだが、その後スズカはレースに出場していない。
最初から最後まで誰にも先頭を譲らなかったスズカの力強い走りを体が忘れてしまったのかと思うほどに、練習でも結果が出ない。スズカ自身も何が原因か分からず、気付いたらオーバーワークをしているくらいにスズカは追い込まれていった。
スズカの所属するチーム”チームスピカ”のトレーナー、沖野トレーナーはスズカを病院に連れて行き、検査を行ったが体に異常は見受けられなかった。
ここで沖野トレーナーはスズカの症状を医者に報告した所、体ではなく精神的な問題との結論に至った。全力を出してまた走ることが出来なくなるかもしれないと無意識に体がセーブをかけているのかもしれないと。
そこから沖野トレーナーと俺は、スズカのメンタルケアに徹して彼女が無理をしないように細心の注意を払って指導にあたっている。
そんなスズカは今年から初めて開催される新レース『URAファイナルズ』というレースに出場を内定している。
二年前だったか三年前だったか……トレセン学園の理事長がマスコミを集め、開催を宣言したこの新レースは『すべてのウマ娘にチャンスをあたえる』という理念の元に開催されるレースで、ようやく今年初めて実施されることが予定されている。
学園の生徒たちはこのレースを楽しみにしているが、特にスズカはこのレースにかける意気込みは人一倍だ。
開催まで残り数ヶ月に迫って来たのに関わらず、未だに本調子にならないスズカは焦っているのだろう。
「確かに残された時間は少ないけど……俺はスズカを信じてるから」
「……えっ?」
「俺はスズカが先頭に立って走っている姿も好きだけど、一番好きなのはセンターで歌っているスズカなんだ。だからさ……またキラキラしながら楽しそうに歌っているスズカを見せてくれないか?」
「っ、サブトレーナーさん……あなたは本当に酷い人ですね……」
「ははっ、今頃気付いたのか?俺はスパルタだからな」
「はい、本当に厳しい人です……
ねぇサブトレーナーさん?ちゃんとゴールで待ってて下さいね?あなたがいないと、ゴールがどこか分からなくなっちゃいますから」
「?あ、あぁ、ちゃんと待ってるから安心しろ。最前列で見届けるからさ!」
「約束ですよ?」
少しは気分が紛れたのか、クスっと笑いながら部屋を退出していくスズカ。それにしても年下とは思えない程の色気があったな。俺はいつの間にか収穫時期まで成長していたマイニンジンのせいで、しばらく部屋の中で立ち尽くすこととなった。
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誤字指摘も大変有難いです。この場を借りて感謝を申し上げます。
明日の投稿が出来ないかもしれませんが、気長にお待ちいただけたらと思います。