誰もが認める剣の腕を持つが、過去に人間関係をやらかしている傭兵、スルド。彼はギルド側の不手際で、間違って女だらけの現場に派遣されてしまった。そしてそんな彼に声をかけてきたのは、身長二メートルを超す女傭兵で……?

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アドバンテージ・クエスト

 いわゆる美男美女の容姿が本当に生物として「優れている」なら、世代を重ねるごとにブサイクは淘汰されていくはずである。……大昔の人間がそう言った。

 そして実際にそうなった。俺の顔面は淘汰の恩恵を受けている。全ての人間の顔面が、同じ恩恵を受けている。

「スルドさんですよね! お噂お聞きしています!」

「あなたのような人が護衛してくれるなら安心です!」

「百人力ですよね!」

「心強いです!」

「頼りにしてます!」

 宝石に金貨にその他諸々財宝の山……遺跡や迷宮の底に眠っているそんな宝物の類を擬人化したような、絶世の美女集団がこちらに押し寄せてくる。目をキラキラさせながら、憧れのまなざしで、好意満点で。

「いや、恐れ多いな、ははは。評判に恥じぬよう頑張ります。……ちょっと失礼!」

 俺は彼女たちから逃げ出して、便所に駆け込んだ。個室に入り端末を取り出し、自分の登録した傭兵業募集情報を改めて見直す。そこには顔写真と共に、俺がこれまでに成功させた任務の実績、得意なことや苦手なこと、報酬金の相場などが大雑把に書かれている。ずいぶん前に俺自身が自分で書いてギルドに提出した物だ。

 その端末をさらに操作して、すぐにギルドの方へ連絡を飛ばす。魔術的ないわゆる電波の発信により、すぐに向こうの端末と繋がった。

「はい、こちら傭兵ギルド」

「カラカスを出してくれ」

「カラカスですか? それは俺ですね」

「お前この野郎!」

 自分の声が辺りに恐ろしく反響したが、知ったことではなかった。便所の外まで聞こえることはあるまい。

「どういうつもりだボケカスおいコラ」

「なんだよそんなに怒って、現場に元カノでも混じってたか?」

「いても分かんねぇくらい女がいるんだよクソ、どういうことだこれは……? ええ?」

 俺はもう一度自分の記入した傭兵情報を見直す。やはり記入ミスなど一切ない。しっかりとそこに書いてある。「女性を含むパーティNG」。「苦手なこと、女性と関わること」。

 断固として、断固として断固として断固として、それは俺が絶対に断り続けてきたことだったのに。なのに今日、今、あのような美女に囲まれることなど……もってのほかなのだ。

「ふむ……。この際だからはっきり言ってやろうか、スルド」

「なんだよ」

「すまん、完全にこっちのミスだ」

「はぁ!?」

「パーティメンバーの性別を記入してない依頼をなぁ、うっかり通しちまったんだよなぁ。しかもそこへ天下のスルド様を派遣しちまったわけだ……。……お前もしかしたら今、俺を路頭に迷わせる権利を持ってるかもしんねぇぞ」

「その権利を放棄するから今すぐ代えの人間を用意しろ」

「それが無理なんだよ、時間的にな。……だから頼むスルド、今回、今だけは我慢してくれ! なっ? あとでいくらでも埋め合わせはするから」

「どう埋め合わせるつもりなんだよ、クソ……!」

 俺は通信を切った。どうせこれ以上話しても無駄だろうから。

 ギルド側が無理と言うのだから、現状をこの場で打開する方法がないことは確かなのだ。俺がこの場から逃げ出す方法は、さっきの美女たちを見殺しにすることくらいしかない。

 彼女らは行商人らしい。男尊女卑思想や性差別のはびこっていた大昔でもあるまいし、別に女性が商売をするためにあちこち飛び回っていたって何もおかしなことはない。ついでに彼女らの容姿が異様に整っていることも、それは俺たち人類がそういう進化を遂げたからに他ならず、それ以上の理由は何もない。普通のことなのだ。

 そう、普通。彼女らは何ら特別な存在ではない。普通だから、賊に襲われれば普通に略奪され、普通に殺されるだろう。そしてそんなか弱い女たちは、金にものを言わせて優秀な傭兵を雇えたことを良いことに、多少危険な道を進行しようとしているのだった。

 多少危険な道……。夜中にそこを通った者がたびたび行方不明になるが、その原因がまだ判明していない程度の道……を、「夜中」に通るらしい。……正直言って正気とは思えない。何が彼女たちをそこまで楽観的にさせるのだろうか。

「やるしかないのか……」

 過去に起こしてしまったいざこざを思い出しながら、俺は仕方なくパーティの集合地……大きな宿のロビーへと戻ってきた。昼休みの学生みたいにくっちゃべっていた女性たちのうち何人かが、俺が戻ってきたことに気付いて、友達みたいに手を振ってきた。まったく、人を疑うことを知らなさそうな顔をしやがって……。

 と、彼女らに社交辞令で手を振り返している最中、急に自分の立っている場所に影が降りた。よほど巨体の人間が背後に立ったらしい、同業者だろうか?

「何か用……か……?」

 振り返ると、そこにいたのは女だった。例によって美人で、ただし身長が間違いなく二メートルを超えている。俺もそこまでタッパのある方ではないが、それにしたって自分より頭一つ分以上背の高い女性を見たのは初めてだった。

 彼女がわずかに首をかしげると、腰まで伸びる墨のように黒い髪が揺れた。

「お前、剣聖スルドだな?」

 長身女が俺の顔と、俺の背負った剣に交互に視線をやりながら言う。

 ギルドで実績を重ねてきた甲斐あって、俺の顔は世に広く知られているし、武器の方も多少特別な物を使っている。ギルドの方が勝手に喧伝した微妙にダサい二つ名も含めて、正体を言い当てられたこと自体に不思議はなかった。……俺の方は、その女が何者なのかを知らないけれど。

「お、おう。そのスルドだが」

「ふむ。お前はたしか、女のいるパーティからの依頼は断っていたのではなかったか?」

「ああ、その通りだが……今回はギルド側がミスったんだ。代わりの人員も間に合わないっていうんだから、どうしようもない」

「なるほど、そうか……」

 その女の声は、ある程度印象通りに低かった。ドスの効いた、何度か修羅場をくぐってきた人間の声だと感じた。目つきも鋭く、放っている威圧感は体格のせいだけではないように思え、あまり好意的な印象は受けない。……彼女とならまだ上手く付き合っていけそうな気がした。

「ちょっと来い」

「えっ」

 強引にグイと手を引かれる。彼女の腕は俺よりもわずかに太いように見えた。そして見た目通りおそろしく力強い。本気で力比べをしても互角かもしれない。

 俺は彼女に腕を引かれるがまま、宿屋の奥の方へと連れられて行く。階段を上り、長い廊下を行き、ずらりと並んだ部屋のうちの一つに連れ込まれた。

 後ろ手にガチャリと鍵を閉める音がする。「……は?」と頭の中に無数のハテナマークが浮かんだが、それを声にして抗議するには脳みそが混乱しすぎていた。

「ここなら不都合もないだろう」

「は……、いや、えっ……? なに……? 何の用なんだよ、お前……」

「剣聖スルド、私はお前の過去を知っている」

 ドキリと心臓が跳ね上がる。記憶の中の、本物の怒りと憎悪を顔に浮かび上がらせた鬼のような男の顔が、改めて鮮明な物として思い出された。

「……どういう意味だ?」

「お前がパーティメンバーの恋人を護衛のついでに寝取り、人間関係を崩壊させ、昨日までの仲間からあわや殺し合いとなるところまで罵られ、報復として悪評をばらまかれたという過去を知っている……と言った」

「お前……」

 長身女の言ったことは、全て事実だった。

 昔の俺は依頼人のうちの一人……こちらに過剰に好意的だった女性と、肉体関係にまで至ってしまったことがある。それも依頼を完遂する前、野営中でのことだった。そしてそれが他メンバーにバレた末、賊や魔獣と殺し合いをするよりも恐ろしい物を見る羽目になった。

 俺が今まで感じていた「殺意」というものは全て偽物だったのではないかと思えるほど、パーティ内の男に激しく憎まれたのだ。彼は俺が関係を持った女性の、なんというか、……正規の恋人だった。俺は不正規のそれだったということになる。

 なけなしの名誉のために言っておくと、俺はそのことを知らなかったのだ。ただ誘われたから、その誘いに、なんというか……乗ってしまっただけで。……まあそういうことだから、俺に非があることは確実なのだけれど、だからこそ二度と依頼中に女となど関わるものかと心に決めたのだ。それをあのクソ野郎は……。

 ちなみに、その時の男があることないことばらまいた俺の悪評は、真面目に傭兵業に勤しむうちにそのうちほとんど風化していったと見える。あの男と、あの男の恋人だった女が今ではどうしているのか、俺は何も知らない。知りたくもない。

「なぁスルド、目ぼしい女はもう見つかったか?」

「なっ」

 ただでさえ背の高い女が俺のことを蔑み、なおのこと見下すような目をする。

「俺は、俺はもう同じ過ちはおかさない……!」

「信用できないんだよ、スルド。お前も知ってるだろう? パーティの輪を乱されると困るんだ。こっちまで迷惑を被ることになる」

「それは……」

 あの時のパーティは俺を含めて五人だった。男女比は3:2で、俺と恋人を寝取られた男との争いを、残りの二人も汚物を見るような目で傍観していたことをよく覚えている。たしかに俺だって当事者になることはもちろん、傍観者側になることだって御免被りたい。信用できないという話もよく分かる。どうせあの商人女たちと話している時、俺の鼻の下でも伸びていたんだろう。……しょうがないだろ! 男なんだから!

「で、目ぼしい女は見つかったのか?」

「……知らない」

「答えろスルド」

「知らない! 俺はもう二度と、あんなことは…………えっ?」

 ふと見上げると、女の顔が変わっていた。どこかで見たことのある顔……。そうだ、さっき俺に手を振ってきた女と同じ顔をしていた。

 そして、みるみるうちに彼女の背は縮んでいき、やがて俺のことを少し見上げるくらいのところまで小さくなった。それもまた見覚えのあるサイズ感……依頼人の女性商人らと同程度の体格をしていた。

 ただし声だけが変わらない。低く、有無を言わせないような、女の声。

「選べ」

「えっ……?」

「私は魔術で姿かたちを変えられる。気に入った女を選べ、時間まで相手をしてやる」

「……は?」

「お前のような男を止めるにはそれしかないのだろう……?」

 かつて長身だった女は、そう言って俺から初めて目をそらし、面倒くさそうにため息を吐く。墨のように黒かった長髪は、今は肩までの金髪になっていた。

 出発時間まで、まだあと三十分はある。

 

 

 

 

 

 

 改めて見回してみると、そこは窓から綺麗な月が見える部屋だった。

「俺、もしかして死んだ方がいいんでしょうか……?」

「なぜ?」

「……言うまでもなくないですか」

 乱れた衣服を直しながら、俺がそう語る相手は、宿の部屋に用意された布団の上でまだ裸のまま寝転がっている。

「まあ確かに、趣味は悪いな。……まさかこのままの姿ですることになるとは思わなかった」

 俺に声をかけてきた時と同じ、並外れた長身に腰まである黒髪の女が、そう言いながら衣服を身に着け始める。彼女から敵意は感じなかった。

「せっかく女性と関わらないようにしてたのに……してたのに……」

「意思が弱いんだな、お前は」

「うっ」

 言葉の矢が、空想上の世界で鋼となって心臓を貫く。しかしそのダメージは実際の矢傷にも匹敵する物があった。心が痛い。体が痛む時よりもずっと痛い。

「もしも無事に、何事もなく、依頼を終えることが出来たなら。その時はもう一度相手をしてやる」

「えっ」

「だから紳士として、そして噂通り無敗の傭兵として、きっちり振る舞ってくれよ。……それで1:1交換だ。悪くない」

「いや、えぇ……? なに……?」

 よく分からない言葉を残して、彼女は何事もなかったかのように部屋を出て行こうとした。俺はその背中をポカンと見つめてしまう。

「あ、ちょ、あのっ」

「何か?」

「名前は!?」

 そう、俺はこの期に及んで、彼女の名を知らなかったのである。本当に、死んだ方がいいのかもしれない。

「……アバドンと呼ばれることが多いな。お前もそう呼んでくれ」

 なんだその物騒な名前は……。と、そんな風に再び呆気にとられているうちに、今度こそ彼女は部屋を出て行った。

 俺も部屋の鍵を持って飛び出す。時間ギリギリだった。

「それではみなさーん、出発しますよー。明日の朝までには絶対に間に合わせないと、取引がおじゃんですからねー」

 大所帯での行軍が始まる。行商人である女性たちが十数名と、俺とアバドンと、それから他にも数人屈強な男がいた。彼らも護衛として雇われたのだろう。そしてそれらの面々がいくつかの馬車に分かれて移動した。もちろん俺の乗る馬車には男しか乗らせないようにしてもらった。女性たちは不思議そうな顔をしたが、おそらく事情を知っているのだろう、他の護衛たちは俺の意思を率先して尊重してくれた。ありがたいかぎりだ。

 一時間ほど進むうち、ついに例のいわくつきのポイントへ差し掛かる。それはほんの短い道のりで抜けられる森だ。街道から逸れて一直線に抜けようとすれば、歩いて通っても十五分と無しに抜けられるが、大きく回って迂回しようとすると相当な時間を取られる。そんな極端な形状の森に最近は、どういうわけか行方不明者多発の噂が立っている。

 そこに来るまでは敵の類は何も現れず、なんなら退屈していたくらいだった。……しかし異変は、森に足を踏み入れて早々、突然に起こった。

 大自然の悪路ゆえに低速での進行を余儀なくされていた馬車群が、「うわっ」という男の悲鳴と共に急停止したのである。何事かと思い外へ出てみると、すでに戦闘が始まろうとしているところだった。

 馬車の先頭に出ていた護衛の男が、おそらくは何のためらいもなく剣を抜いていた。しかしそんな彼の足は震えており、全体的に及び腰だ。仮にも傭兵だろうに情けない……と俺は加勢に向かう。どうせ獣か何かが出たのだろう。狼くらいなら、群れで出てきたところで問題ない。

 ……と、思っていたのだが。

「なんだよこいつ……」

 震える声で後ずさる男に、俺も気持ちだけは同意した。

 馬車の前に立ちふさがった敵、それは狼だった。……ただし、その肉は腐り落ち、ところどころから骨が見え、目玉が眼孔から飛び出しぶらぶらと筋のような物でぶら下がっている……ゾンビとしか言いようのない狼が、そこにいた。

 死体を操る技術は実在する。が、それは完全な禁術であり、自然発生的に起こることではないはずだ。ゾンビを見たということは、どこかに黒幕がいるということになる。……俺も実物を見るのは初めてだけれど。

「何をびびってんだよ」

 とりあえず敵なのだから、と威嚇中のゾンビ狼を叩き切る。何の苦労もなく、それを討伐することが出来た。

「さ、さすが剣聖スルド……。太刀筋が見えねぇ……!」

「はいはい。じゃあ先に進もうぜ……って、ちょっと待て」

 近くの茂みがガサガサと不自然に揺れた。またゾンビ狼かと一応身構える。所詮は腐った死体だ、束になって来られても負けやしないだろうが……。

「上だ! スルド!」

 背後から聞き覚えのある声がした。頭上から何かが迫っていることにその時ようやく気が付いたが、それが何であるのかを確認している暇はもうない。

 それが何であるのかも分からないまま、俺は上から来た物を切った。ドチャ……、という音を立てて落ちたそれは……人間の死体だった。

「おお……さすがと言っておこうか」

 馬車から人が降りる音が聞こえたのち、月明りを遮る影が俺を覆う。なぜ彼女はいつも俺の背後に立つのだろうか。

「アバドン、今の死体どこから来た……?」

「……突然現れたように見えた」

「マジで……?」

 どうやら何者かの術中にはまってしまったらしい……。この森のどこかにいるであろう禁術使いをさっさと見つける必要があるが……と考えていた矢先、

「きゃー!」

 馬車の方から悲鳴が上がる。人探しをする余裕など与えてくれないようだ。

 悲鳴の原因は、お嬢様方がゾンビを目撃したことだった。気が付いた時には俺たちは、ゾンビの群れに包囲されていた。種類は人間の死体だけだが、とにかく個体数が多い。一……二……いや十……二十……もっといる。もっともっといる。なんだこの数は!? どこからこんなに湧いてきた!

 下手すれば百体近い、あるいはそれ以上の数のゾンビが、一行を取り囲んでいるようだった。

「引き上げよう」

「何?」

「この森を抜けるのは無理だ。ゾンビ共を蹴散らしながら引き返そう」

 何がどうなっているのかは知らないが、とにかくこの森は危険だ。だがそれと同時に、行方不明者は「この場所」でしか発生していないとも聞く。森を出れば安全は確保できるはずなのだ。

「分かった、依頼人たちにそう伝えてくる。頼んだぞ剣聖」

「丸投げかよ。あとその呼び方あんまり気に入ってないから!」

 アバドンが馬車の方へ戻り次第、一行は後退を始める。ただしこちらを囲むゾンビに近づきすぎないよう、ゆっくりとゆっくりとだ。

 その進路を確保するため、あるいは追手を退けるため、傭兵チームでとにかくゾンビを切り倒しまくる。動きが鈍く脆いので、戦うこと自体は賊を相手にするよりも容易だった。ただその見た目のグロテスクさばかりはどうしようもなく、各地で嫌悪感を押し殺すような悲鳴が上がっている。……だがその声には、どこか余裕と油断が混じっているように感じられた。

 黙々と真面目にゾンビ退治をしているのは俺だけか……? と思った矢先、依頼人たちとの話も済んだのか、ようやく馬車からアバドンが降りてきた。そして彼女は巨大な両刃の斧を持ち、ゾンビ共をばったばったとなぎ倒し始める。なんというかイメージ通り、彼女は表情も変えずに黙々とそれを行うことが出来る人だった。

 そして、…………ゾンビからの撤退戦が消化試合と思われたのは、そこまでだった。

「ぎゃあああああ!!」

 死体を切り裂く者のそれとは違う、もっと深刻な悲鳴が夜の森をこだました。何事かとそちらを見ると、……切り落とされた死体の首が、護衛の足に噛みついていた。

「あの状態になっても動くのか……」

「……まずいな」

「どうした……? って、お前っ、うおおおお」

 アバドンは斧の刃を全てゾンビの胴体に、しかも横薙ぎに振るっていたらしい。死体の上半身と下半身が、それぞれじたばたと動き回っていた。

「ぎぃやあああああ!!」

 向こうの方でまた悲鳴が上がる。上半身だけになった死体がさっきとは別の護衛の体に飛びつき、その肩にかじりついているところだった。……あぁ、あれは、頭上から降ってきたから俺が切った死体だ。……なんというか、これは、しくじったな。

 よく見ると、今まで切り伏せていたつもりだったゾンビたちは、どれ一つとして動きを止めていなかった。皆はじめはもぞもぞと蠢き始め、次第にその動きは激しさを増し、やがて人間に飛びかかってくるようになる。対処法は、もはや跡形もなくなるほど粉微塵に切り刻むしかないように思われた。

 しかしそれではさすがに手間がかかりすぎる。俺たちは次第にゾンビの大群に押され始めた。切っても切っても、切り方が甘ければ、体の一部分だけになってもなお飛び跳ねて襲い掛かってくる。その上、ゾンビに噛まれた人間もまたゾンビになるようだった。多勢に無勢にもほどがある。

 パーティに魔術師でもいれば少しは違ったのかもしれないが、まさかこんな異形を相手にするとは思っていなかった依頼人たちは、治癒魔法を扱える者程度しか雇っていなかったようだ。というか、ゾンビの群れを一網打尽に焼き払える魔術師がいたのなら、とっくにその魔法を使っているだろう。

 そして俺は俺で、剣の腕には自信があるが、魔法の方はからっきしだった。

「仕方ない、魔法を使う」

「は!? 使えんの!?」

 汗だくになりながら一体のゾンビに何度も斧を振り下ろすアバドンが、突然そんなことを口走り始める。姿を変える魔法では今は役に立ちそうもないが、まだ他に使える魔法があるのだろうか……?

「使えるが……これを使うとしばらく戦えなくなることがある。もしもの時は、あとのことはお前に任せるぞ」

「お、おう。任せろ。じゃあ頼む」

「よし……」

 アバドンは、懐から何かを取り出した。俺からするとそれは、紙のように見えた。通信端末よりも少し小さいような、四角形の紙片。彼女はそれをゾンビに向かって、手裏剣のように投げ飛ばした。

「サンダー!」

 かけ声に呼応して、投げられた紙片に雷が落ちる。そしてそれが合図となって、紙片の付近にいたゾンビたちへ次々と同じような稲妻が突き刺さっていった。

 その雷に打たれた死体は黒焦げの炭と化し、風が吹けばボロボロと崩れていく。いくらなんでももう動き出すことはないだろう。

「おお! すげぇじゃんアバドン!」

 一体だけすでにより近距離に来ていたゾンビを、元の部位がどこだったか分からなくなるまで切り刻みながら、彼女の方を振り返る。すると、

「馬鹿! 見るな!」

 顔の半分に大火傷を負った彼女が、手のひらで俺の視線を遮った。

「え……それ……」

「すぐに治る、とにかく見るな」

「お、おう……」

 直感的に、彼女の魔法には何らかのリスクが付き物なのだろうと理解した。すぐに治るという言葉が、嘘でなければ良いのだけれど。

 ……ともかく、今の雷のおかげでゾンビの数はかなり減った。こちらの戦力も何人か削れていったが……ひとまず森から逃れることは出来そうだった。生き残った数少ないゾンビたちを入念に切り刻む。その役目は俺がやらなければならない、アバドンのことはもうこれ以上働かせられないだろう。

 頭上を木々に阻まれた道の抜け穴が、俺たちが元々通っていた開けた街道が、ついに目に見えるくらい近くなってきた。戦いながらも、あるいは怯えながらも、誰もが安堵しかけたその時。

 ……原型をとどめてさえいない肉片たちが、動いた。

「おいおい……」

 二度と動けなくなるようにと入念にミンチにしてやった肉片までもが、糸に引かれるように一点へと集まっていく。森の中に散らばった肉が血が骨が、もはやそれが元々何であったのかさえも見て分からない物が、ずるずると地を這い集合した。

 それは、象のように大きな一つの肉塊となった。死体を動かすだとか、もはやそういうレベルを逸脱しているように感じたが、ただその肉塊が「悪意」の塊であることだけは確かだった。

「グオオオオッ」

 ドチャ、ドチャ、と血肉をまき散らしながら、それは馬のような速度でこちらに向かってくる。傭兵稼業を初めて以来何度目かの、死を覚悟する時がやってきた。

 アバドンが、紙片を投げ飛ばした。

「インフェルノ」

 紙片から巻き上がった炎が、死体の象よりも巨大な業火の火球となり、それを焼いていく。確かに雄叫びを上げて完成したはずの象が焼かれる時、その炎の中からは悲鳴さえ聞こえてこなかった。

 やがて、肉塊の全てが消し炭になる。よく見てみると、さっき彼女の雷が焦がした死体の炭は、もともと肉塊の集合にも参加していなかったようだ。つまり同じように焼け焦げた全ての肉塊も、もう復活することはないと考えられる。

 しかし……。

「アバドン!」

「ふっ……はっ……ぐふっ」

 救世主は、口から血を吐いていた。顔の半分を覆う火傷はそのままだった。

「おい、大丈夫か、医者に……」

「あっ……馬鹿……」

 俺が彼女の体を抱きかかえようとした時、なんだかつい最近、聞いたような音がした。

 ……ドチャ、と、肉の落ちる音。

「え……」

 彼女の片腕が、ボトリとその場に落下した。肩から抜け落ちるように落ちたそれは、なぜだかすぐに灰のようになって、風が吹くとサラサラと崩れ消えてしまった。

「ふっ……ふふっ……腕一本で……敵を消し炭に……爆アドだぁ……! あははっ! はははっ!」

 アバドンは血を吐きながら笑った。誰も、その場から動くことが出来なかった。

 だけどゾンビはもう、どこにもいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 片手にナイフ、もう片手にフォークを持って、彼女は今日三皿目のステーキを口に運んでいた。

「で、あの森のことはどうなった?」

「ギルドが調査部隊を編制していろいろやっているらしいが……、まだこれといったことは分かってないらしい。ただ、……あんな森の中に墓地なんかあったか?」

「さあ?」

「とりあえずそれが見つかったらしい。あとのことはまだ調査中だ」

「そうか」

 一皿目で腹が膨れた俺は、美味そうに分厚い肉を食い続ける彼女のことを眺めていることしかできない。傷一つない、その綺麗な顔を眺めていることくらいしか。

「ごちそうさま」

「お、四皿目はなしか」

「普通ないだろう」

「普通は三皿目もなくないか……?」

 二人で席を立ち、勘定は俺が持つ。そういう約束だったのだ。彼女……アバドンは命の恩人だから、飯くらい奢らせてくれと。そして彼女はそれを快く了承してくれた。……今日こうして会っていることの理由自体は、また別にあるのだけれど。蒔かれた種があったのだ。

「会計を」

 表示された金額を見て、何はともあれ「あらまぁ」という気持ちになる。ギルドが報酬の良い仕事をどんどん回してくれるので金には困っていないが……。今日はともかく、普段はそれがまた良くないのだ。女性に会おうものなら変に目をつけられ、チヤホヤされてしまうから。

 ただ、今隣にいる彼女は、そうでもないようだった。あれだけの威力の魔法を使えるのだ、彼女も彼女で十分稼いでいるのかもしれない。

「ありがとうございましたー!!」

 怖いくらい明るい店員に見送られて店を出る。これからはアバドンに付き合って服屋に行く予定だった。なんでもサイズの合う物を見つけるのが大変なんだとか。

 その道中、彼女の方が申し訳なさそうに切り出してくる。

「……あー、約束の件だが」

「約束?」

「うむ。致し方ないアクシデントもあり「無事に・何事もなく」とはいかなかったが……、それはそれとして、お前はお前の役割を果たしたからな。約束は守るつもりでいる」

「へぇー……。……俺がそう言われると期待せずにはいられない男だって、知ってるよな」

「それなんだが……」

 服屋に入ると、店員が俺の顔を見てギョッとしていた。アバドンがそっちへ向かって手を振ると、何やらいたずらな笑みを浮かべながらその店員も会釈をする。どうやら知り合いのようだ。

「……正直引いただろう? あの時の私を見て」

「どのあたりに引く要素があったんだ?」

「……言うまでもなくないか?」

 まあ、たしかに、俺は彼女の抱えている「負い目」を知っていた。

 あの森での死闘のあと、アバドンの怪我は全て一瞬で治った。彼女の魔法は己の身を犠牲にしなければ十分な威力を発揮できない物らしいのだが、一方で、その場から「自分に悪意を向ける者」が消えたなら、魔法使用のために負った傷は全て瞬時に癒えるらしい。実際、火傷痕は消えて、腕に至っては生えてきた。肩から白い光がシュイーンと腕の形を描いて引かれ、その中から彼女の腕が現れたのである。あれには驚いた。見たことも聞いたことのない魔術だった。

 それを見た俺は馬車の中で、彼女に聞いてみたのだ。じゃあなんで姿を変える魔法だけはノーリスクで使えるのかと。すると彼女はこう答えた。「一番練習したからだ」。だから俺はまた聞いた。なぜ雷や炎の魔法ではなく、姿を変える魔法を優先して練習したのかと。お前は戦うことを生業とする傭兵なんじゃないのか? と。

 彼女は少しムッとした様子で、きつい口調で言い返してきた。

「誰もがお前みたいにな、デカい女が好きなわけじゃないんだよ」

 馬車には、他の傭兵の男が一人と、依頼人である行商人のうちの二人ほどが同乗していた。改めて人数を均等に配分した結果、そうなっていた。……その場の全員が俺を睨んでいたように思う。

 誰もが好きなわけじゃない、なんて言うけれど、じゃあ彼女は自分自身の姿をちゃんと好きなのだろうか? せっかく人類は淘汰の歴史の極みに、等しく美しい容姿を手に入れたというのに、わざわざ姿を変える魔法を一番必死になって練習するなんて……。……そんなに繊細な心を持っているのなら、俺に顔の火傷を見られたことを、治った後になってまで気にしていたりはしないだろうか? 心配だ。

 いくつかの服を手に取り試着室へ向かう彼女の背中に向けて、俺は言う。

「俺はさ、引くどころか惚れたよ。誰でもそうなんじゃないのか……?」

 少し立ち止まったあとで、アバドンは返事もせずに再び歩き始めた。……けれど彼女は、最後の最後で振り返って、にやりと笑った。

「やっぱりお前は趣味が悪いな」

 言って、彼女はカーテンの向こうに消える。俺はやっぱり、今度こそ二度と女性の絡む仕事には参加しないことを心に誓った。

 もう二度と昔のような騒動は起こしたくないから。それから、……アバドンから間違っても失望されることのないように。

 

 



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