『暗殺教室RPG』RTA 殺せんせー札害チャート 作:朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足
滞りなく着々と進行する暗殺計画。
現在、その準備の一環としてE組の生徒たちの何人かが訪れていたのが殺せんせーの食事場所となる船上レストランである。その中でも水雲とカエデの二人は主にテーブル周りの装飾を担当としていた。
「……よし、できた。こんな感じでどうかな?」
「おぉ〜、すっごく綺麗だよ!」
ごとりと机の上に置かれた花瓶、そこに生けられている花々を見てカエデは思わず感嘆の声を上げる。
紫や緑、橙に黄。様々な色彩を巧みに組み合わせて作られたそれはきっと見る者全員に癒しを与えることだろう。実に見事なものだ。水雲がもつフラワーアレンジメントの技術、そのレベルの高さには彼女も舌を巻かざるを得なかったのである。
……改めて思う。この友人はあまりにも万能だと。
勉強や運動のみならず、メイクや料理、さらには生け花まで。私服のセンスも中々に悪くなかった。恐らくはまだ周囲に見せていない技術もたくさんあるに違いない。
なるほど、道理であの男がやたらと執着する訳だ。今ならその気持ちも少し分かる。かと言って、彼がしでかそうとした所行についてを許すつもりは一切ないが。
「これで一応私たちの仕事は終わりだね」
「……そうだねー」
「ん? どうしたの茅野さん? なんか元気ないみたいだけど、もしかして船酔いした?」
「いや、まあ、少し思い出しちゃったと言いますか……。この間の期末テストの時、穂波さんには本当申し訳ないことをしたな〜と……」
「え、まだ気にしてくれてたの!? そんなのもういいのに……。皆私のことを思って黙っててくれたんでしょ? 謝る必要なんかないって!」
「でも、もしあの時負けてたらと思うとさ……」
「たらればの話をしても仕方ないよ。結局は全部丸く収まって解決したんだから。ね?」
そう言ってカエデの手を取った水雲はそのままにぎにぎと揉み始める。その感触がちょっとくすぐったくて、彼女はつい笑みをこぼしてしまった。
ちょうどその時であった。
生徒の内の誰かが雰囲気づくりのためにかけたのか、突如として会場内に音楽が流れ出したのである。
「この曲は……」
カエデには聞き覚えがあった。いや、彼女どころか会場内にいるほとんどの人間がこの曲を知っていた。
アヤ・エイジア。かつては神秘の歌姫とも謳われていた日本出身の歌手。彼女が歌う歌は全てが日本語であるにも関わらず世界中に広まり、発売されたアルバム三枚の総売り上げは三億枚を超えた。他にも『彼女の歌を直接耳にした者は感動のあまりその場で意識を失ってしまう』などといった信じ難い話もあったりする。
そんな世界的にも非常に有名だった人物の歌である。ゆえにその曲が流れ出した途端、誰もが一瞬ぴたりと動きを止めてしまったのだ。
「アヤの歌だね」
「アヤ? ……ああ、これがそうなんだ」
そしてそれは二人も例外ではなかった。
仲よく揃って天井を見上げ、じっと音楽に聞き入る。
「穂波さんのその反応、ひょっとして聞くのは初めてだったりする?」
「ううん、聞いたことはあるよ。ただ、こうやって落ち着きながらちゃんと聞くのは初めてかな……」
「私もちゃんと聞くのは久しぶりかも。少し前までは耳にする機会も多かったけど、今はね……」
それは心地よい時間だった。アヤの美しい歌声が美しいメロディーとともに辺りに響き渡る。
しばらくして、ふと水雲はあることに気づいた。
「……あ。茅野さん、目から涙が出てるよ」
「え……嘘、本当に?」
指摘を受けたカエデは慌てて目を袖で拭う。
すると、そこは確かに濡れていた。自分でも知らず知らずの内に涙を流していたのだろうか。
その事実に驚くと同時に、今度は彼女の方があることに気づいた――水雲の目からも一筋の涙が流れている。
彼女もまた不思議そうに首を傾げながら目を拭った。
単に音楽を聞いていただけなのになぜ突然涙が流れ出たのか、彼女にもその理由がよく分からなかったのだ。
「私、何で泣いちゃったんだろう……。目にゴミでも入ったのかな?」
「う〜ん、私も前に聞いた時はこんなことなかったと思うんだけど……。まあ、それだけアヤの歌が感動的だったってことでいいんじゃない? というかそれ以外で思い当たる節がない訳だし……」
「……それもそっか。いい曲だったもんね!」
やがてアヤの曲が静かに終わりを迎える。
次に流れ始めたのは聞く者のテンションを上げんとするアップテンポの曲であった。がらりと変わった会場内の雰囲気、それに合わせるように二人も気分を一新する。
本番の時はゆっくりと、しかし着実に迫りつつある。
今回の作戦はかなり綿密に練られたものである。そこにはこれまで以上に皆の殺る気が込められており、何としても成功させたいという強い意思があった。
「じゃあ、そろそろ行くね」
「殺せんせーの最後のとどめ役か……。すごい大役だとは思うけど、穂波さんならきっと大丈夫! がんばってね」
「もち! そっちも怪我には気をつけてよ?」
その言葉を最後に両者は別れた。
全ては地球の存続のため、E組の少年少女たちは全力でこの暗殺任務を遂行する。
僕たちの暗殺は結論から言えば失敗した。
殺せんせーの周囲を水でドーム状に覆った後、そこからさらに弾幕を張ることで完全に身動きを封じ、そして最後は水中に潜んでいた三人のスナイパーによる三方向からの同時射撃でとどめを刺す。これが僕らの作戦だったけど、実は先生にはまだとんでもない技があったのだ。
その名も――“完全防御形態”。
この状態になった殺せんせーは、何と対先生物質すらもはね返してしまうらしい。
代償として二十四時間一切動けなくなってしまうというデメリットが存在するけれど、そのことを差し引いても十分過ぎる程に強力な技である。
……正直、かなりショックだった。
今回の作戦は今まで以上に皆の時間と労力をかけたものだったのに、結果それが通用しなかったからだ。すっかり意気消沈してしまった僕たちの耳には残念ながらいつもの殺せんせーの褒め言葉も届かない。
「まさかまだあんな奥の手があるなんてね……」
「本当、易々と殺させてくんねぇよな〜」
ホテルに戻った後も重苦しい雰囲気は続いていた。
まだ気持ちの切り替えができていないのか、誰も彼もが疲れた様子を見せている。
するとその時、事件は起こった。
何人かの生徒が急にばたばたと倒れ出したのだ!
『やあ、先生。かわいい生徒たちが随分と苦しそうにしているじゃないか』
そして、烏間先生の携帯にかかってきた電話。
相手の正体は分からない。ただその人物が言うに倒れた生徒には人工的に作られたとあるウイルスが感染しているらしい。それは全身の細胞を徐々に破壊していき、最後は死に至らしめるという非常に危険なもの。
電話の主はその治療薬と引き換えに、完全防御形態となって動けなくなった殺せんせーを山頂にある『普久間殿上ホテル』の最上階まで持って来るよう命じてきた。
交渉に応じるべきか、それとも応じないべきか。
もしこのウイルスが本当に人工的に作られたものなら、対応できる抗ウイルス薬はどんな大病院にも置いていないということ。皆の命は助からないだろう。
……でも、だからと言ってこのまま命令に従うのも腑に落ちない。相手は平気で人の命を脅かす人間、そんな人物が言うことをなぜわざわざ聞かなければならないのか。
「一ついい方法がありますよ」
どうすればいいか悩む僕たちに道を示したのはやっぱり殺せんせーだった。
先生が言う方法とは実にシンプルなものだ。こちらから敵の本拠地に乗り込んで治療薬を奪う、それだけである。単純ながらも成功すれば問題の全てが解決するのだから、確かにこれを狙わない手はないだろう。
こうして僕らは烏間先生の指揮の下、標的から治療薬を奪い取るために行動を起こした。
「何だよ、結構楽勝じゃねーか」
「さっさと終わらせて帰ろうぜ」
順調な道のりだった。侵入の際の険しい崖登りも日々の訓練を思えばそれ程苦ではなく、難所だと思われたロビーでもビッチ先生のおかげで無事にやり過ごせた。
戦闘に関してなら烏間先生もいることだし、これなら早々に目的を達成できそうである。皆の士気はこの上なく高かった。
だからこそ、既に現れていた敵に気づけなかった。
ありていに言えばこの時の僕らは浮かれていたのだ。
「寺坂君! そいつ危ない!」
烏間先生を抜いてずんずんと先を進む寺坂君と吉田君。二人の背中に向かって不破さんがそう叫んだのと、誰かが瞬時に彼らの背後に迫ったのはほぼ同時だった。その黒い影は二人のえり首を掴んで後ろに引き倒した後、直後に霧のようなものを全身に浴びて倒れる。それを発射したと思われるのは付近にいた帽子を被っている男で、その男はただちに烏間先生の一撃によって昏倒させられた。
……本当に一瞬の出来事であった。
ほんの数秒にも満たない内に、今の短くも激しい攻防が行われたのだ。
「いてて……」
「な、何だ……?」
ようやく我に返った僕たちが確認したのは、首を押さえて床に座り込む寺坂君たちの姿と――弱々しい息づかいで床に横たわる穂波さんの姿だった。
「ねえ、寺坂君。本当にここに残ってよかったの?」
膝の上にある水雲の頭をそっと優しく撫でながら優月はそう竜馬に問いかけた。今現在、この中広間には彼女たち三人と烏間先生に昏倒させられた男しかいない。他のメンバーは既に先へと進んでしまった。
優月がこの場に残ったのは水雲のためである。麻酔のガスらしきものを吸って意識を失った彼女をこれ以上連れて行くことはできず、かと言ってこのまま一人放置して行く訳にもいかない。ゆえに居残り役を買って出たのだ。
一方で、竜馬が残ったのは二人のボディーガード兼この毒物使いの男の見張りのため。ここが敵の本拠地である以上、また先程のように戦闘が必要な状況に陥ってしまうという可能性は否定できず、そのため万が一の際の護衛役として彼が残ったのである。
その役割に対して疑問に思うことはない。
クラスの中でもかなり大柄な彼が近くにいてくれるのはそれだけで安心感が違う。大いに助かっている。
彼女が疑問に思ったのは最終的に彼がここに残る判断をしたことだった。彼の性格を考えれば、本来なら絶対こんなところに留まろうとはしない筈なのだから。
例え何があってもそれを一切気にせずがんがんと進んで行くのが寺坂竜馬という男だ。
「あぁ? ……そんなの納得してねぇに決まってんだろ。ったく、こいつマジで余計なことしやがって……」
「余計なことって、そんな言い方……」
「十分余計なことだろうが。俺ならあんなガスくらっても全然平気だったのによ」
……何だかんだ言いつつも、一応自身をかばった水雲のことを気にかけてはいるらしい。
妙な言い回しなのは確かだが、恐らくはこれも彼なりの感謝の言葉ということなのだろう。
あの竜馬が婉曲的な表現を使っているという事実が少しおかしく感じられて、優月は思わず笑ってしまった。
「何笑ってんだよ」
「ううん、別に。……それにしても、皆大丈夫かな? 怪我とかしてないといいんだけど……」
「……あいつらなら問題ねぇよ。カルマがいるし、強力な武器だってある」
「強力な武器? 何それ?」
「スタンガン」
「スタンガン!? 何でそんなの買ったの……というよりよく買えたね。結構高かったんじゃないの?」
「最近臨時収入があったからな。買った理由はあのタコに試すためだ」
退屈しのぎにとりとめのない会話をする二人。
そんな最中、ふと優月は持ち前の洞察力によって竜馬の顔に赤みが増していることに気がついた。
「――寺坂君、貴方なんかさっきよりも顔が赤くなってない? まさかとは思うけど……」
「……。はっ、別にこんなの大したことねぇよ」
「……やっぱり飲んでたんだ、昼間の毒入りジュース。全くもう……無理してないで大人しく横になりなよ」
「いらねぇ。何のためのボディーガードだと思ってんだ。俺まで寝たら、いざって時に誰がお前らを守るんだよ」
「はぁ……。本当、貴方って意地っ張りなんだから……」
つまり水雲が取った行動はファインプレーだった訳だ。
いかに体の頑丈さに自信をもつ彼とはいえ、弱体化に弱体化を重ねるのはさすがにまずかったに違いない。
……きっと彼も本心ではよく分かっているのだろう。
だから彼はこの場に残ることを選んだのかとようやく得心がいった優月であった。
「……あ……ぅ……」
「よしよし。もう少しの辛抱だからね、穂波さん。後ちょっとすれば皆戻って来るから……」
願わくば全員が無事でありますように。
心の中でそう祈りながら、三人はその場で彼らの帰還をじっと待ち続けた。