前半トレーナー君視点、後半ルドルフ視点です
――21××年 夏頃――
――西日本 某所――
"――ああ、またこの夢か――"
――夢を見る時に、夢だと理解できている時がある――。
私の見る夢はいつも色があって、そして匂いが無く一部五感が欠けている。
これは前の人生を生きていたころの思い出の中だろう。
暑さのしない不思議な感覚と、見上げれば入道雲と蒼穹のコントラストが美しい夏空。そして視線を前に向けてから左右を見渡せば、深い緑の草原。遠くに見えるのはぐるりと囲むように小さな山々。
××の草原地帯の草はそよぐけれどその音はせず、夢なので当然草や大地、風の匂いはしない。
山が低いのではなくここは高原に当たる。標高の高いここはあるカルデラの中で、山に見えるのはその外輪を縁取る山々だった。そして――右手には浅い湖が見え、牛などが寛いでいる。
――!
私が乗せてもらっている鼻を鳴らす子に視点を下ろすと、"真珠のような不思議な光沢"の純白のタテガミや毛並みが目に入る。
2000年代――夢に見ている元の世界の時間軸の100年以上前のこと。
東北にある軽量種の馬たちが輸入された。
世界的な絶滅が危惧されていたこの子たちに国内でも数を増やすべく、絶滅回避策を打たれることとなった。
そして"この子たちの仲間"はこの極東でも世界でも順調に増え、その数を回復させるに至る――。
××市で数年ほど医者の任に着いていた間にこの子と出会った。この地を離れ関東圏に移る1年前にこの子は亡くなった――。
そして私もその5年後に列車事故で亡くなって、不思議な人類の居る今の世界にやってきたのであった――。
背中の上から体を前に傾けて左手を伸ばし、彼女の首に手をやって撫でる。触れてみるが思い出の中の毛並みの感触はしない……。
「――戻れないのにどうしてこの世界の事を時折夢見てしまうのかしら」
――!
少しだけ首を後ろに向け私を見て、私を乗せてくれているその子はまた鼻を鳴らした。その姿をみた懐かしさからふと笑みがこぼれる。
そしてどうしてだか彼女の名前を思い出そうとしても思い出せない。モヤがかかった様な記憶に鍵がかかったような――。
『――お嬢様。お目覚め下さい』
目の前の白真珠のような毛並みの子が喋ったわけではない。
――20××年 9月前半某日 午前6時頃――
――相模湖付近 某所ホテルの離れの屋敷――
夢の景色は消え、瞼を開くと青色のベッドの天蓋が見えた。
カーテンを開ける音と、液体が注がれる音と同時にミントの香りが微かに香ってくる――。
眠い目をこすりながら体を起こすと、周りに見える室内の内観は自身のトレーナー寮のものではない。
左右を見渡せばヒトの外見をした、ヴィクトリア朝を彷彿させる長めの袖と、長めの裾丈のメイド服の使用人2名が朝の支度の準備をしてくれている。
――今日は件の会議の日。
スポンサーとして参加する私はきちんと身支度を整えるため、昨日は郊外にある財閥所有の屋敷に戻ったのであった。
屋敷の傍にはホテルも経営しており、養父の一族以外にも財閥幹部や社員なども泊っていく。関係者に耳が良いウマ娘が多いことも考慮し、喧騒を避けるためわざと首都圏を外して作ってあるとか? 確かそんな理由の立地だったはず。
寝起きでまだはっきりしない頭で起き上がり、ベッドから1メートル離れたところに用意された椅子に腰かけた。
椅子の目の前には小さな丸テーブルが置かれ、その上にはアクセサリーボックス。その傍らには淹れたてのミントのハーブティは微かに白い筋を立ち昇らせている。
喉が渇いていたのでわざと温めに淹れられたそれを飲み干す。
その後寝ぼけている状態のまま、されるがままに肌、そして爪、髪を手入れされていく。
"――見ているだけの予定だったんだけどなぁ――"
手入れされながら昼の会議に向け、自分はどうすべきか? 私は寝ぼけた思考のまま頭の中で軽くシュミレーションしていく――。
「お化粧と髪型と服装はいかがいたしましょうか?」
不意に背後から私の髪を手入れをしてくれている使用人から声がかかる。
「化粧はそうですね、会議なのでしっかりした理知的な印象がいいです。髪型はハーフアップ。髪飾りは渡されたものを最後に付けてほしいですね。服は紺色のスリーピースで、今回はパンツスタイルではなくマーメイドのひざ丈で。シャツはクロスタイ。指定のない色合いは任せます」
目の前のテーブルの上にある青いベルベッド生地のような質感に、四隅の角に金色の金具のが施されたアクセサリーボックスを見やる。
この中には今回"ある事"に信憑性を持たせるため、父と相談して借りたイメージ戦略アイテムが2つ入っていた。
"――これを使ったイメージ戦略がうまくいくといいけど――"
口に手を当てあくびを噛み殺しながら、使用人が髪を梳きやすいよう前に視線を戻す。
この必殺アイテムを使うにあたり私にもそれ相応のリスクが伴う――。
イメージ戦略用この高額な装飾品を持ち出した以上、身の安全の確保のため私は守りを固めることにした。
今回は養父の秘書がひとり、それと護衛がひとり。そして2人は何かあった場合の訓練を受けたウマ娘。そしてドアtoドアでの行動なら万一の不安は少ない。
ドアがノックされて使用人を通じ、ノックした者に入室するよう促す。
するとグレーのパンツスーツ姿に、緩く巻かれた白真珠のような色合いの長い髪をサイドアップで纏めたアハルテケのウマ娘。養父の秘書『マハスティ』が入ってきた。
『おはようございます、お嬢様』
マハスティの左耳辺りにある金細工のチェーンとドロップ型の真珠、エメラルドのなどをあしらった豪華な耳飾りが歩くたびにシャラリと音を立てている。
そして彼女は私の少し前で止まってほほ笑んで英語で挨拶をしてくれた。
『おはようマハスティ――お養父さまから何か連絡でもありましたか?』
『ええ、特にこれといった話ではないのですが、総帥から伝言で"気を付けていってらっしゃい"と』
『ふふ、そうですか。ありがとうございます』
養父らしいメッセージに私は朝から心が温かくなった。
この後の予定は支度が終わったら目の前のマハスティと一緒に朝食をとり、時間を潰してから車内で昼食をとりつつ学園へと向かう。
その胸にトレーナーバッジは無し。なんだか少し新鮮な気持ちだった。
◆ ◇ ◇
――20××年 9月前半某日 午後13時半頃――
――日本トレセン学園 玄関口付近――
――会議参加者受付案内所――
全体会議の開催場所は持ち回り。よって本日のトレセン学園で行われることとなっていた。
そのためURAの役員などの政府関係者やスポンサー対応のため、理事長、たづなさん、生徒会長の私。
そして会議室までの案内役として両副会長や、他生徒会や役割に立候補したウマ娘などの者たちがそれぞれ対応を行っていた。
「ひえー。スポンサー連中はいかにもって感じなのばっかだな」
その合間に来るもの来るものが大物ばかり。そんな様子に目を丸くしてヒシアマゾンが軽口をたたいている。
スポンサーはオルドゥーズ財閥以外の15社の代表がすでに来た。そしてどの者も立派な身なりをしており、トレーナー君よりもはるかに年上の方々ばかりだった。
「ルドルフのトレ公も来るんだろ? この中にあのお嬢か……なんか想像つかないな」
「どちらかというと、お茶目で可愛らしいイメージの方ですしね」
ヒシアマゾンやたづなさんの言う通りだった。私の中で最もポンコツさが無かったトレーナー君の第一印象を以っても、
『――受付はこちらで間違いないか?』
考え事をしていたらいつの間にか会議参加者が来ていたのだろうか。
目の前から低い女性の声で英語が飛んできた――。
『ええ、間違いないです』
そう私は返事をとっさに返す――低い声の主は白真珠のような毛並みの大人のウマ娘だった。
待機していた英語が話せるマルゼンスキーに目配せをし、外国語を話すこの要人らしき人物に受付の案内を任せた――。
"――ん? 外国語? という事は……――"
いきなりの事で判断が遅れた。目の前に立つグレーのスーツを身に纏ったウマ娘は、よく見ると見覚えのある独特な光沢のある毛並み――どこかで見覚えがある気がする。
そして入り口側に目を向けると――。
その姿は一瞬誰だか分からなくなるくらいの変わりようだった。
しかし、近づいてくるにつれ香る"花の匂い"と髪の独特な燐光から、その人物が自分のトレーナーだという事に気付いて驚き何度か瞬きをする。
"――メイクや装飾品でああも変わるものなのだな――"
彼女は右胸に大きな宝石のブローチを身に着けることで、目に分かる形で財力を示していた。普段の仕事の関係上ほぼ素に近いナチュラルなメイクから、化粧の仕方を変えて大人びた印象に。
チキンハートと称し惚けていたトレーナー君は、外見や所作から印象を上手く操作し、大財閥の令嬢らしい姿をきちんと演出しきっていた。
財閥の関係者と思われる白真珠のウマ娘が私の右手の受付で手続きをしている。その間、トレーナー君は秋川理事長と挨拶を交わしている。その傍には護衛と思われる明るめの緑系統の瞳に、ショートカットの赤い燐光を放つ黒髪――黒スーツ姿の大人のウマ娘がピタリと張り付いていた。そして次に私とトレーナー君の視線が交わる。
あまりの変わりようにこちら側がどう接していいか戸惑うと、先に気を使ってトレーナー君は言葉をかけてくれた。
「おはようございます――会議以外はいつも通りで大丈夫ですよ」
「気遣いありがとう。おはようトレーナー君。あまりの雰囲気の変わりように驚いたよ。差し詰め
トレーナー君は優雅に笑みを浮かべ、慣れているのか『あら、お上手ですね。ありがとうございます』とだけ返答が返ってきた。
スポンサーという立場で来ている彼女に通訳をさせるわけにもいかない。なので、この一行の会議室までの案内役は、そのままマルゼンスキーが引き受けてくれた。
「では、会議場で――」
静かにそういって付きウマ娘2名を伴い会議室へ向かい去っていくトレーナー君。
その去り際の後頭部にも恐らくエメラルドであろう大きな宝石、真珠やダイヤモンドのような透明な宝石や金で構成された宝飾品で飾られていた。ビジュー様の横長のその髪飾りは、ハーフアップの後ろの結び目でその存在感を放っている。
「おいおいおい、ルドルフ! お前のトレ公フル装備じゃん。タイマンでも張りに行く気か!? 会議場で大砲外交でもする気か!?」
「報告だけと言っていたが、予定が変わったのだろうか……? ふむ?」
いつも米国育ち同士ということで絡みたがるヒシアマゾンが、トレーナー君のあまりの完全武装っぷりに引いてしまっていた。
それには私も同意だった。何故ならトレーナー君が右胸に身に着けていた、丸い若草色の宝石のブローチは相当な価値のあるものだ。
それを見て『まさか持ち出してくるとは』と私は大変驚かされた――。
若草色の宝石の正体はオルドゥーズ・ダイヤだ。
不幸の宝石ブルーダイヤほどではないが、世界中のテレビ番組などでも取り上げられる有名な宝石のひとつであるのは間違いない。
元の原石名は『草原の輝き』と呼ばれる。その2500カラットの巨大原石から切り出された、4つの500カラット超えのグリーンダイヤモンドのひとつが、先ほどの代物だ。そして『草原の輝き』から作られた宝飾品の全てを、オルドゥーズ財閥は初代当主から所有している。
それらは当主やその権限代行者が身に着けた時のみ歴史の表舞台に現れ、財閥の繁栄と力の証とされている。
博物館などに気まぐれに展示でもされなければ、おいそれとお目にかかれる代物ではない。
他の宝石との外観の違いはダイヤモンド様の圧倒的な輝きで、多少知識があるだけの私でもひと目でわかる程見事なもであった。
"――上からの指示が変わったか、養子だからと侮られないよう養父の配慮か。そのどちらかだな……――"
私も家庭環境の関係でアクセサリーの使い方の意味や、印象操作の大切さは叩き込まれてきている――。
どう見てもトレーナー君の装いが、その経験からどう見ても戦いに赴くそれに思えてならない胸騒ぎがする。
"――また何か考えがあるのだろう――"
そこまで思考を巡らせたところで、次の会議参加者がくる気配を耳が察知した。私は会議までまだまだ続く仕事に向け意識を集中する。
◇ ◆ ◇
――20××年 9月前半某日 午後14時――
――日本トレセン学園 会議室――
会議に集まった人数は合計で50名を超えこの室内に集まっていた。
室内後方から見て前方にはスライド用のスクリーン、スクリーン左に司会兼発表者の台がありその外さらに左の窓側に司会者用の椅子。
そしてUの字のように席が並んでいる。理事、生徒会、教官やトレーナーなどのスタッフ代表者が左手に。そのUの字一番下にスポンサー席。そしてUの字右側にURAなどの政府関係者、ヒト側のスタッフ教育を行う機関の代表者、そして学園入学前のウマ娘養成所の代表者などが着席している。
日差しが強いため我々の背中側の窓はカーテンが引かれ、室内は空調で涼しく整えられている。
ちらりとスポンサー席を見ると、トレーナー君はポーカーフェイスで動かずじっと座っていた。――自身の左隣に秘書を座らせ、護衛と思われる黒スーツ姿のウマ娘は、室内最奥の壁際で待機している。
そしてたづな理事長秘書が会議室の前方。スクリーンの左端の司会進行席に移動してきた。
「時間になりましたので、今から会議を始めさせていただきます。本日はご多忙の中お集まりいただきありがとうございます」
司会進行役のたづな秘書のあいさつから会議が始まり、私の顔の表情がこわばりはじめる。
緊張感を押さえるように少し呼吸をゆっくりと整える――。
「司会進行役を務める、日本トレセン学園理事長秘書、駿川たづなと申します――まず代表者の方々の紹介から入らせていただきます」
紹介はまず学園側から始まった。
理事長、教官とトレーナー代表1名ずつ、そして私たち生徒会と続き自己紹介の方は淡々と進む。
そしてスポンサーは16社の紹介が始まり、その最後に紹介されたひと際若いオルドゥーズ財閥総帥代理の紹介に場がどよめいた。
まさか本校に勤務しているトレーナー君を、財閥側が立ててくるとはこの場の誰ひとり思わなかったのだろう。
頭上の両耳から入ってくる大人たちの小さな声が、都会の喧騒のように行き交っている。
しかし、そんな中でも堂々と紹介を受ける姿、装身具の豪華さに押され――その後ゆっくりと会議場が静まっていく。
それはかつて幕末に横須賀沖に停泊した黒船。
ぺリー代将率いる東インド艦隊の物珍しさに集まって、その正体を知って慄いたかつての浦賀のように。そんな歴史的事象の様子にも似た雰囲気であった――。
財閥の名だけではなくトレーナー君は史上稀に見る麒麟児。そんな黄金の頭脳を持つ重鎮の機嫌を損ねないよう、周囲の者たちは様子見を決め込んだようだ。
「今日の会議の目的は『フリーエージェント制度』及び『そのフリーエージェント制度を活用した日本法人全体の運営方針』の決定です。17時までに具体的な結論を出したいと思っておりますので、ご協力よろしくお願いいたします」
全員の紹介が終わり会議が始まる。
――最初のフリーエージェント制度の運用はスムーズに決まった。
フリーエージェント制度初運用での本校における半年間の効果を秋川理事長から発表され、それに対し会場の大人たちは満足げな表情を浮かべている。
そして『人数制限ありの運用』と、『外部養成機関や本校のスタッフを教育する人材調達としての人数上限の大きめの運用』についてあっさりと決まった。
更にこの制度の活用に関してはURAもその上も予算は潤沢に出すという――。
ここまで決まって一旦休憩を挟み、本題は後半に持ち越されることとなった。
――20××年 9月前半某日 15時10分――
10分前に休憩は終わり今度は問題の教育改革の方に移ったが、雲行きはあまり良くない状況になってきた――。
「講座オンライン授業化によるオンラインコース化については"
スタッフの人事編集による余暇の確保は通りそうだ。しかしオンラインコース導入には、予算の確保に関して教育機関側とURA役員から難色が上がった。
まして導入分野が国力に直接つながりそうにもない、スポーツエンタメにともなると及び腰にもなるだろう。
「動画化によって言語上の問題が解決でき、時間があるときに出来るという事は大きなメリットです。しかし他国でも黎明期のオンライン学習の分野に進むのはちょっとリスクが大きすぎませんか?」
"――やはり厳しいか……――"
下部組織のウマ娘養成機関の代表者も難色を示してしまった。
スポンサー側もひそひそとトレーナー君以外何か耳打ちし始め反応が鈍い。
だがそんな中――。
「オルドゥーズ財閥代表。発言をどうぞ」
たづなさんのセリフをを聞いた私は、思わずたづなさんとスポンサー席を二度見してしまった。
仕掛け時を見つけたトレーナー君は、この場で始めて口を開いた。
「もしよろしければ――システムの構築やその運用資金、および切り替えのための資金提供を我が社が"全て"行いましょうか?」
何となく察しはついていたというか、期待してしまっていたとはいえ思わず目が丸くなってしまう。
かつて威圧の為に鳴らした黒船の空砲のようなその衝撃的な一言に、場はざわめくか、あっけにとられている。
ゴールドラッシュの金山運営から始まり、IT、スポーツ、医療、エネルギー関連分野など、手広くやっていることで知られるオルドゥーズ財閥。
その年間純利益は世界トップクラスだ。
目の前の若きその派閥総帥代理は、億を超える2つの装身具を身に着けていた。それを見れば、誰もがひと目でその予算を軽く出せる存在だとわかる――。
停泊して沈黙を保っていた艦艇から――ついに主砲が炸裂した。
「丁度、オンライン教育分野への進出を我が社は考えておりまして。よろしければ是非、この計画を引き受けさせて下さい」
大規模オンライン公開講座ことMOOCの運用には、収益化が難しくほぼ慈善事業と化している。
しかし反面、海外では各教育機関や大学が、独自で提供しているオンライン講座に関しては運用がうまくいっているという。年々オンラインのみの専攻者が増え定着しているという。
なので参加する各レース関係の教育機関がやっているもののうち、オンライン化できるコースを実現化。そして各機関のオンラインコースを集めた
一般的なキャンパスプログラムと同様オンラインでの出願とし、所定の機関に所属、または卒業しているものを書類審査で受け入れる。学位や単位におけるプログラムコースの場合は所定の基礎的なコースの受講を求める。
このような前提の元のアイデアを提出したのであった。
そして米国といえばそのオンラインコース運用の最先端にいる国。そしてかの国でもオンラインコースのシステム開発に、オルドゥーズ財閥は噛んでいるらしい。そんな企業に開発してもらえるのはこちらとしても好条件だ。
レース関係者用の教育機関で試験運用して上手くいけば、国内の他の教育機関への応用も効く。他の分野にまで広がる未来も開けてくる可能性まで秘めた、選択肢が差し出されたのだ。
まさにそれこそ――いい意味でも悪い意味かはまだ解らないが、時代の節目には違いない。そんな大きな変化の渦の前に私の尾と耳の毛が、興奮で逆立つ感覚を受ける。
「もちろん『責任も』こちらで引き受けましょう」
裏表のなさそうなとてもきれいな笑顔を目元と口元に浮かべた。そしてダメ押しの一言でトレーナー君は場の空気を傾けていく。
自分たちの責任なしにその実験運用がほぼタダで出来るならば――。
"――通る可能性が高い!――"
その後挙手による多数決は、満場一致でオルドゥーズ財閥が引き受けることで決まった。そしてその瞬間――何やら意味深に一瞬だけトレーナー君の口元がニヤリと笑ったような……そんな様子が引っ掛かった。
◇ ◇ ◆
――20××年 9月前半某日 午後16時半頃――
――日本トレセン学園 生徒会室――
「いただきます!――うーん、このロールケーキ美味しい!」
生徒会室の応接用ソファーの一角。
トレーナー君は先ほど宅配で到着した、様々なフルーツがゴロゴロと入ったロールケーキを大喜びで賞味している。
そして彼女の座る二人掛けソファーの右隣に、自分用のアイスコーヒーを淹れて戻ってきた私は腰かけた。
会議終了次第化粧室で秘書に宝石類を外して引き渡し、トレーナー君は校内で付き人と別れたらしい。
そしてごく普通の髪留め、トレーナーバッジを身に着け会議室等の片付けまで手伝いに来てくれた。
副会長のふたりが今この部屋に居ないのは、たまにはきちんとコミュニケーションを取れるようにと配慮してくれた結果だった。そんな彼女たちからは『どうして見学と言っていたのに、何故あんな事になったのか聞いてほしい』と頼まれている。皆気になっていることは一様であった。
そして宅配アプリでケーキを注文したトレーナー君を、甘いもので釣り上げて生徒会室に誘導してきたわけだ。
今日のトレーナー君の雰囲気は化粧のせいか知的な美女といった風だ。しかし、こうして美味しい物を賞味している姿は、いつもの彼女だなと思えて何故かほっとしている自分がいる。
「トレーナー君。単刀直入に聞くが、今日は養父君への報告のための見学だけじゃなかったのかい?」
彼女は『ちょっと待って』といったような動作を右手で行った。その後――アイスミルクティを少し飲んでから語り始める。
「生徒会室で案を見た後、養父や叔父にオンラインで状況報告をしたときに、内容を話しました。そうしたらアジア地域担当の叔父が、教育関連の事業や慈善事業をしたいってことで、依頼をもぎ取ってくるよう指示がでました」
「つまり上の方針が変わったという事かい?」
「そうです。叔父にバトンタッチといきたいところでした。しかし、叔父は東アジアに居るには居ますが――現在季節外れのインフル明けでして。学生さんにうつすわけにいかないからと。だから私が仕事してたんです」
トレーナー君の叔父上がそんな状況だと知って気の毒に思っている間に、彼女はケーキを食べ終えてしまった。
その様子はウマ耳があれば、確実に前に垂れ下がっていそうなくらいションボリし、物足りなさそうな雰囲気を漂わせている。
大方また緊張感で食が細っていて、その原因が解けお腹が減ったのを自覚したといったところだろうか?
「――おかわりはいるかい?」
「欲しいです!」
おかわりがあるという事実にきらきらと期待に瞳を輝かせて、勢いよく返事が返ってきた。その様子に思わず微笑ましさが込み上げる。
多めに買っておいた追加の分のケーキを、トレーナー君の皿へと乗せると、彼女はまた嬉しそうに食べ始めた。
そしてある程度食べ終わったのを確認してから、私は本題を切り出した。
「ところで――これはあくまで予想だが、ある程度我々に自力でやってみせ、足りない部分があれば最初から手伝うつもりだったのか?」
「ええ。生徒会の案はいいと思っていましたが、何でもやってしまうのは教育上よくないですからね」
「なるほど。だがどうやって身内を動かしたんだ? いくら君でも難しかっただろう」
「極東進出のために養父が日本国内の人材を求めている。それが突破口になりました。オンラインコースをウチが管理すれば、青田買いで優秀な人材を得られると提案し、オッケーを貰った次第です」
そう答えつつ彼女は片手に持った皿の上のケーキを、一口大にフォークで切って食べる。そして美味しそうに食べながら彼女は顔を綻ばせる。そんな中、私は彼女がきちんと見守ってくれていた事を知って心が温かくなった。
「そうか。――ありがとう、君の一押しが無ければ通すのは難しかったよ」
「ふふ、どういたしまして。」
これで当分の間学園改革に関する憂いはなくなった――。
やっとレースの方に集中できるなと思いつつ、私もケーキを食べ進める。
そして、そういえば夏らしい事を生徒会の視察以外、今年は何もできなかったなという事を思い出した。
"――トレーナー君だけにまともに時間を割いたのも、春に花見をしたっきりか――"
その状態ではそれは副会長の2人に気を使わせてしまうのも当然だった。
トレーナー君はというと、最近マルゼンスキー主催の両親、または本人が、海外の出身者である生徒で構成された『外国系ウマ娘の会』に身を置いているらしい。主催のマルゼンスキーからは『特に寂しい様子はしていなさそう』という報告は受けていた。
「そういえば私、今年は夏らしい事何もできなかったなぁ。そうだ! ルドルフ、週末にお時間はありますか?」
「今週の山場は今日の全体会議だったから大丈夫だよ」
どうやらトレーナー君も同じ事を考えていたらしく、彼女から遊びのお誘いが来そうな気配がしている。一体何に誘ってくれるだろうかとワクワクしていると……。
「『東京国立博物館』で全国
"――君の興味の対象は今度は埴輪か.......!?――"
前は『鳥獣戯画展』、その前は『深海ダイオウイカ展』と『始皇帝兵バ俑展』。
その度にそれら展示会関連の謎の土産菓子が私に手渡されるので、彼女が変わった博物館めぐりを趣味としているのは知っていた。そしてどうやら今度は埴輪の展示が気になったらしい。
「普段触れない分野に触れるのもいいね。行こうか。所でトレーナー君はそんなに考古学が好きなのか?」
「はい。考古学には厨二的なロマンがあると思うんです。発掘品や遺跡を見るとわくわくします」
話すたびに新しい一面が増えていくことになんだか面白みを感じてしまう。
そして私はある提案をそこに付け足す。
「『国立博物館』の近くなら美味しいランチが食べられるところを知っているのだが。そこもいかないかい?」
「それは是非! いきたいです!!」
すると思った通り、トレーナー君は更に表情を輝かせた。
"――ふふ、食べることと知識欲、君はどちらが好きなんだろうね?――"
当日この一風変わったトレーナー君の反応を見比べてどういう違いがあるか、それを見るのが楽しみだなという気持ちで私の胸は躍った――。