――20XX年12月25日午後20時――
――トレーナー寮――
"――うー……だるい。寝落ちしそう――"
空調で暖房を程よく利かせ、加湿器も稼働――。
そんな快適空間とかした寮の自室のリビングには、深緑色のふかふかしたコーナーソファーラグの寝っ転がりスペースがあり、そこに私は髪を下ろし、すっぴん&リップクリームのみ状態で横向きに転がっていた。
カフェテリアでの生徒会のクリスマスパーティーを手伝った後、マグロのお礼を理事長とルドルフから伝えられ、そして先に帰るようルドルフから促され帰宅して今に至る――。
結局あのマグロは職人を呼んで調理するつもりが、ゴールドシップが調理する事になった。
何故ゴールドシップが調理する事になったかというと『Horsebook』に釣果を投稿した直後、『それアタシが捌きたい!』と彼女からいいねとコメントが飛んできた。
どうしてもやりたいと強請り倒されてオッケーを出し、サポートとして私が厨房に回ることになった。
そしてゴールドシップはバイトで習ったという技術で、400kg以上はあるマグロをあっさり捌いてしまった。
いったいどんなバイトをしているのか気になったが、余計なことを聞いたら気分次第でいたずらされそうな気がしたのでやめておくことにした――。
そして今手に持った羽根ペン型タッチペンで、タブレットを操作しながら私は情報を見ている。
タブレットには信頼できる情報サイトなどからタイムなどを自動収集し、そのウマ娘が得意なコース傾向などがオートで表示される自作アプリを表示されていた。
"――海外勢はフランスの
フランス出身のウマ娘。"賢明な"という意味の名を持つ『
"――今年の凱旋門で11着だけど、出しているレースがドーヴィル2回、ロンシャン4回か――"
出走したレースは距離は2000m~2400m。そしてドーヴィルは欧州では小さ目のコース。となるとこの出走が意味するところはコーナリング力を実戦で試すためだろう。陣営はまだ凱旋門を視野に入れていると考えられる。
トレーナーは同じGrand持ち『軍神マルス』とあだ名される『イヴォン・マーウォルス』。
凱旋門の舞台であるロンシャンでの勝率が高く、重バ場傾向のある同レース場において重バ場に強い
そしてオーストラリア・クラシック3冠『
既にG1で勝ち星をいくつか稼いでいる彼女が残す課題はヨーロッパのバ場が合うかだけ。来年から『
神話に由来する名を持つ彼女自身もAJCダービー中心にオーストラリアの中長距離を制覇した強者。怪我さえなければ彼女は海外に挑戦したかったという。
非常に美しい黄金の髪を持つウマ娘で、現在女性のGrandは彼女と私しかいない。
そして今年のクラシック時点で英オークス含む3冠、ダブルティアラの『
今年の良バ場の凱旋門で2着と好走しているのもあり同じ条件なら確実に脅威になるだろう。
この型破りなウマ娘のトレーナーはGrand持ちの『ウィル・スターリング』。このトレーナーは、今年英国のレース文化に多大な貢献を上げている。その功績により大英帝国勲章を叙勲している。
そして――本年の凱旋門の覇者『All Strong』。活動拠点はフランス。
前年の凱旋門は15着、ジャパンカップ2着。とったG1は1つと振るわなかったが、今年は凱旋門で1着をもぎ取ったのち海外遠征を決行。カナダG1『ロスマンズ国際S』、アメリカのG1『ターフクラシックS』『ワシントンDC国際』で勝利をもぎ取った。今はまだアメリカにいるが陣営は『前人未到の凱旋門2連覇』を狙っているという。ルドルフに勝機があるとすれば例年通りロンシャンが重バ場だった場合だろう。
そして彼女のトレーナーはこれまたGrandの『ヘラルド・ミッドフォード』。私が転生というズルをしてこの世界の記録を書き換えるまで、彼が最年少で国際Sランクトレーナー試験に合格し、Grandとなった若き天才と呼ばれていた。
もし私とルドルフが凱旋門に来年挑むとなれば、歴代最多。……Grand Trainerの担当したウマ娘が一堂に会することになるだろう。Grandという称号が贈られはじめて初のヨーロッパVSアジアVS南半球。その3勢力が激突する史上初のレースとなるだろう。
"――注目されるのは間違いないだろう。ルドルフに恥をかかせないよう念入りにやらないとねぇ……――"
若干瞼が重くなって脳みそが店仕舞いを始めそうだが、まだまだと喝をいれてもう少し今度はキングジョージに出走しそうな子を見繕うべく、アプリの検索条件を変えようとタッチペンを動かす。
……けれど、夕方の手伝いの疲労もあって、私の頭はもう疲労で限界だったらしく――――。
◆ ◇ ◇
――20XX年12月25日午後22時――
――トレーナー寮付近――
生徒会の仕事を終えた私は一度入浴してからジャージに着替えた。
そして寮に置いておいたトレーナー君に渡すクリスマスプレゼントの入った紙袋とルームシューズの入った荷物を持ち、既に昼間荷物を運び入れておいた彼女の住む寮の部屋を目指している――。
"――まさか日本記録のマグロを釣って帰ってくるとは、本当に運がいいというか何と言うか――"
視察を終えて学園に帰ってきた夕方『とったどー』という内容のメッセージと共に、通信アプリLEADに巨大なマグロとその横で釣竿片手にピースをしている、真冬の対海装備を着込んだトレーナー君の写真が送り付けられていた――。
そしてそのマグロを料理人を用意するから生徒会のパーティーへ寄付してくれるという――。色々あって予算が削られ、生徒たちの年末の楽しみが減ってしまいそうだったのでその申し出は願ったりかなったりだが、釣りをするために北海道にまで足を運ぶトレーナー君の行動力には、相変わらず驚かれるばかりだった――。
そしてマグロの料理人には何故かゴールドシップが立候補しており、いつものイタズラ好きな彼女の姿を見ているが故に一瞬不安にはなった。
しかしゴールドシップはきちんと仕事を成し遂げ、寿司を作ったり大変楽しそうに過ごしていたし、食べ盛りの生徒たちは大喜び――クリスマスは昨年よりも1割程参加者が増え大成功に終わった。
そして今日から遂に約束のトレーナー君宅こと寮へのお泊り会が始まる日。
後に生徒会を引き継ぐ者の為、忙しさを軽減するためにいろいろと試してはいるものの、全体的にまだまだ改革中の為忙しい日々は続いている。
そんな中久しぶりにまとまったコミュニケーションを、トレーナー君と取れるでろうこの約束を楽しみにしていた――。
"――生徒会で泊まるのとは別に、誰かの家でお泊り会をするのは初めてだな!――"
何をして遊ぼうか? ゲーム機もあるというからソフトを買ってきて一緒に遊ぶか、それとも映画を見るか? 初めてのパジャマパーティーへの招待に浮足立つ私は色々なことを考えつつ、白い吐息のでる真冬の夜の道を進みトレーナー寮の既婚者エリア付近まで辿り着いた。
トレーナー君は本来1DKの独身者エリアなのだが、好条件での契約の事もあって理事側から特別配慮があり、既婚者エリアの3LDK大部屋が割り振られていた――。
エレベーターを使いトレーナー君の住む4階の部屋まで辿り着き、時折吐きだす息が白くなるような寒さの中、トレーナー君の居る405号室の角部屋のインターホンを押す――が、反応が無い。
"――ふむ? 手伝いに奔走していた様だし、疲れて寝てしまったのか?――"
寝落ちしてるかもしれないと思い、念のために渡されていた合い鍵でドアを開けて中に入る――。
玄関には明かりが点けられており、ドアを開けた正面に品の良いシューズラックとシンプルな傘立てがその隣に。
シューズラックの上には瓶に木の棒が数本刺さったタイプのアロマディフューザーが置いてあり、そこからトレーナー君が良く愛用している用品と同じライムとバラの香りが漂ってきている――。
靴を脱いで揃えて玄関を上がり、持ってきていた自分のルームスリッパに履き替える。
玄関の明かりを消して左手の廊下を奥に進むと、ドアの真ん中に縦長にガラスがはめ込まれたドアがあった。
ガラス部分から光が漏れているので中には居るのだろう。そっと開けて入るとまず右手にダイニングキッチンとテーブル。
左手が寝室などの部屋のあるドアが3つ――そしてまっすぐ前を見るとコーナーソファーと一体化したコーナーソファーラグがあった。
そしてそのラグの真ん中に、何やら白くて丸いシルエットがぽつんと見える。
そっと白いシルエットに近づいてみると――前の方が膝の少し上の高さで、羽ペン型のタブレットペンを持ったままこちらに背中を向けて身体を丸め、後ろの裾が長いフィッシュテールスカートのシンプルな白いワンピースのナイトウェアを纏ったトレーナー君が深緑の芝のような色合いのラグの上で寝ていた。その表情は実に幸せそうですやすやと静かな寝息を立てている――。
"――やはり寝落ちか――"
荷物を置いてそっとタッチペンをどかし、銀色のタブレットも踏まないようダイニングテーブルの上に移動してやろうと手を伸ばす。
手にしたタブレットには画面が映ったままで、そこには各国のウマ娘のデータベースと出走予想や好走傾向別のランキングが表示されていた。
"――ほう? 中々興味深いが、勝手に見るのは良くないな。後に許可を得てからじっくり見せてもらおう――"
タブレットの横のスイッチを押して画面の電源を落とし、そっと持ってきた紙袋と一緒にダイニングテーブルに乗せる。
その後寝室側に運び込んでいた自分の荷物から、モスグリーンのシルクパジャマセットを取り出して着替え、制服をハンガーにかけ昼間私のスペース用にと指定されていたクローゼットに吊るした。
戻ってくるとソファーの方で音がした――起きたのかと思ったら、どうやらトレーナー君が寝返りを打っただけだった。
なんとなくそっと近づいてスリッパを脱いでラグの上に上がり、トレーナー君の背後に横座りで腰を下ろした。
そして私は幸せそうな寝顔をしばし観察することにした。トレーナー君はむにゃむにゃと、なにやら言葉にならない寝言を発している。そんな彼女の髪に指を通した――。
そっと持ち上げると深い黒からダークサファイアの煌めきを放つ。この宝石の様な髪を私は気に入っているが、普段トレーナー君は恥ずかしがって中々触れさせてくれない。
「――幸見大福……」
とても幸せそうな表情を浮かべているのは、どうやら『幸見大福』の夢を見ている所為だった。
「ふふ、――沢山召し上がれ」
私がそういうとトレーナー君はコクコクとゆっくり頷き、またむにゃむにゃと寝言を言った後寝息を立てるだけの状態に戻った。そのままゆっくりと彼女の頭を撫でながら、あと数日以内に迫る年明けの先に向けて私は思いを馳せる――。
"――年が明ければついにダービーへの道。そしてその先には世界が待っている――"
トレーナー君曰く――来年のキングジョージや凱旋門の世界戦線に出てくると予想されるのは、超不良バ場の状況下の中距離G1で勝利をもぎ取るような、道悪が得意なシニア級のウマ娘が複数とのことだった。
そのため日本のレース場向けメニューの合間に、例のコースを使った練習以外にも道悪対策として、雨上がりの河川敷のドロドロになった部分を走ってみたり色々な事をこなしてきた。
来年からは成長に合わせ、私が今まで実家にて行ってきたトレーニングを参考にトレーニングメニューを変更していくとのことらしい――どんなトレーニングをするのか非常に楽しみだ。
トレーナー君がもぞもぞと動いて寝返りを打とうとしたので、頭と髪からそっと手を離す――。
しかし、その動きで感づいてしまったのか……寝返りを打ち仰向けになったトレーナー君の長いまつ毛がゆっくりと動き、エメラルド色の双瞳に私の姿が反射して見えた。
「――――ルドルフ?」
寝ころんだまま軽く左手で目をこすり、眠そうにトレーナー君は声を発した。
「反応が無かったので勝手に上がらせてもらったよ」
「あー……ごめんなさい。疲れて寝ちゃってました……」
「――すぐ寝るかい?」
「うーん……まだちょっと起きてます――」
トレーナー君は起き上がったあと、手櫛で髪を整えてぼーっとした様子で立ち上がりった。そしてキッチンに向かっていった。そして蛇口から水音を響かせた後、寝ぼけた顔でガラスコップから水を飲んだ後、あくびを噛み殺しながらこちらに戻ってきた。
「生徒会お疲れ様。あと、タブレットどけてくれてたんだね。……ありがとう」
トレーナー君はまだ眠そうにそう言ってダイニングテーブル上のタブレットを手に取り戻ってくるも、途中ではっと気づいたような表情を浮かべた。
「あ! ……ごめん、何か飲みますか? 」
「それならキッチンを借りていいかい? 君に是非と思うものをもってきたんだ」
私はちょんちょんとダイニングテーブルの上の紙袋を右手で指さす。
「ええ、いいですよ。キッチンと冷蔵庫の物はすべて使ってくれて大丈夫です。……もしかしてクリスマスプレゼントですか?」
「開けてみるかい? 2種類用意してみたよ」
トレーナー君に促すと『何が入っているかな?』と楽しそうな表情で紙袋を持ち、ラグの上にいる私の方へと戻ってきて横に座って中身を調べ始めた。
好みが外れてもいいように、紙袋の中には2種類プレゼントが入っており、トレーナー君が最初に取り出したのはサウジアラビアRCのレース後に聞き出しておいたリンゴの好みに因んだものであった。
「『御所川原』ジュース! 予約し忘れて今年は諦めてました……! ありがとうルドルフ!」
1L入りのボトルにリボンだけかけたものを3本――すでに売り切られた上に限定販売だったため抑えるのに苦労したが、実家の者を使って方々手を回しやっと卸売業者から譲ってもらったものだった。
トレーナー君は今の発言から買いそびれていたらしく、手に入ったのがよほど嬉しかったらしく大輪の花が咲いたような、こちらも心の中が華やぐような
「手に入れるのにかなり苦労したよ。気に入ってくれたようで何よりだ」
「ええ。これはお正月にふたりで開けましょう! ふふふ、嬉しいなぁ。だから以前私のリンゴの好みを聞いてくれてたんですね。――もうひとつは何でしょう?」
そういってジュースをラグの上に3本取り出した後、ニコニコしながら紙袋の中を再び覗き込んだトレーナー君が次に取り出したのは――『彼女の異名に因んだもの』だった。
「……! 都内で有名な紅茶店のものですね。流石ルドルフ。プレゼントのセンスもかっこいいです!」
トレーナー君にもう一つ贈ったのは、ミルクティーが好きなのでそれに合いそうな茶葉を2種類と、紅茶ジャムのセットだった。
上質な紙でできた黒い箱の中には、グリーンのラベルが貼られたアールグレイの紅茶ジャムの瓶を中心に、両サイドに黒い筒状の缶に山吹色のラベルが貼られた茶葉が2種類入っている。記憶が間違ってなければ、トレーナー君が好きな紅茶はウバ茶かアールグレイのはずだ。
「そう真っすぐ褒められるとなんだか照れるね。――ではこの紅茶の片方が今回のプレゼントの本命なんだ。淹れてくるから待っててくれるかい?」
「それはとても楽しみですね。ではお言葉に甘えてお願いしますね。ティーポットとカップ&ソーサーは、縦長のガラスキャビネットにセットがありますので、お好きなものを使ってください。ティースプーンや茶こしも同じ棚の箱の中です。ケトルや鍋はシンク下にあります」
「ありがとう。――では少し時間を貰うよ?」
そう伝えた後、私はキッチンを借りて甘い紅茶が好きなトレーナー君の為に、ロイヤルミルクティーを淹れることにした。
まずガラスキャビネットにあったセットのうち、3段目にあった『白地にジャガイモの花や実、葉があしらわれた』『伝説のウマ娘が創設したというブランド』のティーセットを取り出した。
ティーカップの飲み口の形状は朝顔のように広がったピオニーシェイプ――これはよくある形のティーカップで、味を楽しむならば1段上に飾ってあるマグカップを薄くして下の部分を膨らませたような『ヴィクトリアンシェイプ』が有用だが、私が淹れたいと思っている香りを楽しむための茶葉ならこれが一番いい。
次にシンク下から木製ハンドルの白いホーロー製片手鍋を取り出して軽く洗い、鍋に水を入れて火にかけた。そして沸騰したら1分ほど茶葉を蒸らす――。
その間トレーナー君はリンゴジュースを冷蔵庫に仕舞ったり、寝室とは別の部屋を開けて何かしているようだった――。
茶葉が十分蒸れたあたりで鍋の蓋を開けると紅茶の香りがふわりと広がる。そしてその鍋に牛乳を足して再びコンロの火を点けて温め、縁に泡が少し経ったくらいの沸騰寸前で止めて蓋を閉める。
そして5分ほどしてから温めるために入れておいたカップの湯を捨てて、茶こしで漉してロイヤルミルクティをポットに注ぎ、ポ紅茶缶とポットとティーセットをお盆に乗せて持っていく。
すると先ほどまで私が居たラグの上に小さな折り畳みのテーブルが置いてあった。
私は紅茶をそこに持って行き、横座りでこちらを興味津々に見つめながらちょこんと座っているトレーナー君の前にサーブした。
私もトレーナー君の隣に腰を下ろして自分の分を淹れ、ポットと茶葉の入った缶をテーブルの上、そして空になったお盆をラグ上に置いた。
「どうぞ。召し上がってくれ」
「ありがとうございます。頂きます!」
口元に弧を浮かべたトレーナー君は火傷しないように、慎重に口を近づけて紅茶を味わい始めた。
私も冷めないうちに口を付けて飲む。口の中に含むとミルクの優しい甘みが広がり、それに合う爽やかなベルガモットと、華やかな香りが鼻腔に抜けていく――そしてトレーナー君はカップの半分ほど飲んだのちに首を傾げた。
「変わった香りですね。ベルガモットの香りからアールグレイというのはわかるのですが……お花?」
「そうなんだ。この茶葉にはある青い花が入っているんだよ」
そういって私は先ほど開封した紅茶缶を開き、中身をトレーナー君に見せた。
こげ茶色の茶葉に交じり、青い細い花びらがいくつも入っている。
「綺麗な茶葉ですね。これが本命ということは、何か特別な理由でもあるんですか?」
「ああ、トレーナー君――学名が
トレーナー君は瞳を丸くした後、記憶を探るように視線が右上に動き腕を組んで考え始めた。
「学名ならラテン語……
【ヤグルマギク:
皇帝の花とされ、神話では賢者ケイローンが傷を癒すのに多用したともいわれる。
古い歴史を持つため悪い意味合いも多いが、基本的には高貴な花。
花言葉は――『教育』『信頼』『優美で繊細』『優雅で上品』
「正解だ。古代エジプトにも関係する歴史の長い花故に様々な由来があるが、いい意味だけで捉えてくれ。賢者ケイローンに因んで『アールグレイ・フレンチブルー』を選んでみた。そしてここ日本において、『浅葱色』は『碧血の故事』に因む色でもあり、『
【碧血丹心】
この上ない真心を持つ忠義の者を意味する。
忠誠心が強い者の血は青い玉に変わるという中国の故事より。
日本でも新選組の羽織の色に選ばれている。
「『碧血の故事』――『荘子』ですか?」
「おっと、その反応は想定外だ。――意外なところで君は東アジアの文化に詳しいな」
いくらトレーナー君が妙な所にも物知りな面があるとはいえ、まさかアメリカ育ちの彼女がアジアの故事に対して突っ込んでくるという想定外の返しに私は驚いた。
「日本の科学者、湯山秀樹先生が学会でお話しする程好きだったと聞いたので」
「なるほど、するとその科学者の話を聞いて『荘子』を?」
「ええ。何となく興味がわきまして――話を戻しますが、私とルドルフはお互い言いたいことをはっきり言うタイプで衝突もあるけど、そうだとしてもこれからも頑張って支えますよ。
そういたずらっぽく笑っているトレーナー君の眼が一瞬キランと輝いた気がした――この気配はあの地獄の課題が出された時と同じく、何かスパルタメニューを考えているときの雰囲気だ!
嫌な予感しかしないので、一応加減をしてくれる様布石を打っておくことにした。
「あはは……お手柔らかに頼むよ? ――ところで先刻から君が背中に隠しているのはなんだい?」
ほぼ丸見えの様子だが、トレーナー君は背中側に何か2つ箱を隠していた。トレーナー君はニコリと目元と口元に笑みを浮かべると、『ちょっと待ってね』と言ってカップの紅茶を飲み干してから、私に2つの箱を差し出した。
「小っちゃい方がプレゼントです。大きい方は、まあ見てからのお楽しみで」
「ほう? では小さい方から開けてみようか?」
「ふふふ、どうぞ――」
トレーナー君の目の前で小さな箱のラッピングを開けると、中には銀色で細工が美しい万年筆が入っていた――。キャップを取ってみると首軸は漆黒、ペン先は銀ベースに金のライン。キャップと本体は銀色で表面には上品なツタ植物の様な装飾が細工されている。
そしてクリップの部分には、以前正式契約を結ぶ際、トレーナー君が使っていた万年筆と同じメーカー名が彫られていた――。
「――生徒会いつもお疲れ様です。これから海外に打って出たり、成人に近づくにつれ人前でサインをする事も多くなると思いますので僭越ながら贈らせていただきました。本来は銀細工メーカーですが、純度の高いプラチナと金で作ってもらいました。錆や劣化の心配は殆どないと思います」
「英国の老舗金細工店への特注とはまた恐れ入るよ。確かルイビルでの正式契約でも使っていた物と同じでは?」
「ええ。デザインは少し変えましたが材質やメーカーは同じですね。けどよく覚えてましたね?」
「綺麗なデザインのペンだったから気になってね。君とお揃いのこの万年筆を大切にさせてもらうよ」
そう言葉をかけると『どうかな? どうかな?』という表情で私の反応を覗き込んでいたトレーナー君の表情はほっとしたものに変わった。
「センスが渋すぎるかと心配したけれど、ルドルフが喜んでくれてよかった」
サイン文化のアメリカでペンというものは日本の印鑑に等しい意味合いを持つ。
私の立場を考えて依頼してくれたのだろう手中にあるこの万年筆は、私の行く先をいつも考えてくれるトレーナー君らしいプレゼントだった――。
人前への露出も増え、良い物を買おうと思っていた矢先の事でこのプレゼントは素直に嬉しい。
この万年筆は気持ちを引き締める上で新年から使おうと考えつつ、それをいったん箱に仕舞って――次は大きい箱を開けに掛かった。
ラッピングを解いてそれを開けると……。
中には勝負服用の靴が入っていた――!
「シンボリルドルフ――Japan Racing Trackモデルです。勝負服の靴は素材だけしか弄れないので設計が大変ですね。やっと完成したので急いで持ってきてもらったんです」
「前はデザインだけの仮設計だったがこれが私の靴か――!」
思わず手に取り顔より少し上に掲げていろんな角度から眺めたり、靴底を押してみたりして確かめている。
靴の裏をみると、ソールのうち地面につかない部分に――金色の文字が横向きに刻印されている。その内容は『
以前どんなものが仕上がるのか待ちきれずに、いままで出ていたトレーナー君の出しているシューズブランドのダートモデルを見たのだが、『ディーネシリーズ』には
そしてついに私専用のモデルに向けて、私だけにメッセージが彫られていることに大変感動を覚えた――。
"――己の自由意志で掴めか……いいメッセージだ――"
「これが私のモデルのブランドコンセプトになるんだね? 文字の内容も気に入ったよ」
「それは何よりです。
「楽しみだ。年明けのトレーニングで、試しに勝負服とこれを履いて走るプランに変更しても構わないかい?」
「ふふ、待ちきれないって感じですね。わかりました。新年初のトレーニングは試走もかねて野芝のコースでタイム計測といきましょう。……あ、紅茶のお代わりもらってもいいですか?」
「どうぞ。余程気に入ったみたいだね?」
トレーナー君は自分の手で淹れようとしたが、私がポットを取って淹れようとすると『ありがとうございます』といってそっとカップを差し出してきた。
「だって普段逆なことが多いから新鮮で。たまにはルドルフに淹れてもらうのもいいですね」
「そうだね。こうやって喜んでもらえるというのが私にも新鮮だよ――あ! 髪が入ってしまうよ!」
トレーナー君の分を注ぎ終えた後、自分の分を注いでいたポットを置いて、いつも違い下ろされた青く光る彼女の髪の左房が、ティーカップに掛かってしまいそうになったのでそれを耳にかけてどかしてやる。
「ありがとうルドルフ。そうだ、忙しくてまだちゃんと言えてなかったね――」
目の前のトレーナー君がソーサー持っていない方の手でカップをこちらに向けて掲げ、その意図を察した私も自分のカップをそれに合わせて掲げ――。
「
照れているのか若干はにかみながら、それを誤魔化すように英語で祝いの言葉をトレーナー君は述べた。
"――おっと、随分凝った言葉をくれたな。ならば返しはこうか……?――"
「
素敵なメッセージを発した君に負けぬよう、こちらもボキャブラリーからいいフレーズを探して組み合わせて返し、微笑みあってメッセージの贈りあい紅茶をお互いに飲み干す――。
「さあ、サンタさんが来なくなってしまうかもしれないよ? 片づけてそろそろ寝ようか? 」
「それもそうですねー。――でもここの部屋のガラスは全て防弾ガラスだし、ベランダには特殊センサーを張り巡らせていますし……来てもどうやって入ってくるんでしょうね?」
「え? トレーナー君。私の記憶が確かだと、ここはそんなに厳重なセキュリティだった覚えはないのだが――?」
トレーナー寮のガラスがそんなガラスだと聞いていないし、学園側のトレーナー寮のセキュリティは入り口のセキュリティと警備員以外ないはずだが? と思い、ティーセットを片付けに立とうとした私は思わず振り返って聞いてしまった――。
「この国の治安はいいですが、念を入れた暗殺対策でということでお養父様から改築指示がありまして……。あ、理事長と寮の管理人さんには許可とってますよ? それとルドルフがお泊りするからにはベッドを『エアウェーブ』に発注しておいたので、寝心地ばっちりなはずです!」
トレーナー君はそう力説しながら目をキラキラとさせ『ドヤ!』とでも言いたげな表情を浮かべている。
"――確かにすごいが……いや、なんというか、君のずれてる部分が誰の由来かよくわかったよ……――"
トレーナー君がこんな風にずれてしまった原因である例の人物が、養女であるトレーナー君の為にその内トレーナー寮を要塞化するんじゃないか? ふとそんなことが頭によぎったが、まあセキュリティが良くなるのは学園としては歓迎であるため良しとしようと私は強引にそう結論付けた。
「何と言うか徹底してるね? 折角だからベッドをくっつけて、寝る前におしゃべりというのをやってみてもいいかい? 生徒会の仕事を挟まず、同じ年頃でお泊り会というのは新鮮だから」
「いいですよー私もそう言うの好きですから! レッツパジャマパーティーですね! あ、お片付けは私やります。ルドルフは歯磨きに先にどうぞ」
「わかった。では先に行って待ってるよ」
トレーナー君は台所で食器類を洗いに向かい、洗面台で歯を磨くために席を立ち廊下へつながるドアを開いた――。
さて年末のイベントの運営や年始の挨拶を終えれば、次は『皐月賞』の前哨戦の『弥生賞』に向けての調整――そのレースは国内で同期のライバルとなり得る者たちとの初顔合わせになる。
"――しっかり休んで英気を養い、それに備えねばな――"
予め昼間配置しておいた歯磨きセットで歯を磨き終えて口をすすぎ、入れ替わりにやってきたトレーナー君が歯を磨き終わるのを待つために、私は寝室へ向かった――。