東京の直線は2003年の改修によるゴール板移動前のものです。
"――1月のケンタッキーはこれ程までに雪が積もるものなのか――"
銀世界に染まる街並みが車窓の外へと流れていく。
我々は今オルドゥーズ財閥が用意してくれた、黒く頑丈そうなリムジンに乗り、近隣の空港から移動している最中だった。
私は1番奥の席に座っている。同乗しているのは理事長で、彼女は備え付けの冷蔵庫の中を
心地よい芳香が車内に
「カーッ! 実に美味ッ! こんなにも良い待遇なのに、
しばらくもしない内に、理事長が感動したかのような声をあげた。
目を開いたらどういう状況が広がっているか、何となく想像はついている。しかし、気になって確認すると――。
理事長は車内の冷蔵庫から発掘したと思われる、高級ニンジンジュースに夢中な様子だった。余程美味しかったのだろう。
「確かに残念ですね。検疫の関係がなければ、旅の仲間が増え私も楽しかったと思います」
「うむ! 来れなかった分、相棒には土産を沢山持って帰らねばなッ!」」
理事長が再びジュースを味わいはじめたので、会話をそのまま切り上げる。
何故理事長がいるかというと『1月は忙しくない、故にッ視察へ行きたいッ!』と言うことだった。微笑ましい理事長の姿を眺めていた視線を外し、今度こそ目を伏せた。そして――今日初めて直接会うであろうトレーナー君のことを私は考えはじめる。
【オルドゥーズ財閥】
アメリカに集団移住した中央アジアの遊牧民の末裔。
ゴールドラッシュで一旗あげ、その後数々の分野で成功。
今では大財閥として数えられるようになった。
末裔であるウマ娘、セントウル、人間などが今も多数在籍。
一族経営ながらその方針は徹底した実力主義。
慈善事業にも熱心である。
お嬢様の実家つまり養子先。
日本トレセン学園の筆頭スポンサーである。
6月に行ったWEB会議の最後に交わした仮契約。そのことが影響してか、昨今、少女の
それにより学園の施設は一気に拡充し、学園の者たちは皆喜んでいた。財政面から見ても、彼女を引き入れたのは正解だったのだろう。
一旦思考するのをやめ――ゆっくり瞼を開き今度は車窓の外を眺める。すると丁度レトロな建物が特徴的なレース場を車は横切った。その景色からルイビル学園は目前であることに私は気付く。
そして程なく数分後くらいだろうか?
リムジンは学園の敷地内に入り、ロータリーから屋根つきのエントランスの下に入っていく。
仮契約から約半年の今日。『例のレース』からはや1年。
やっと見つけた私のトレーナーは、あの憧れの光景の中に居た少女。今から迎えに行くトレーナーだ。
今日が来るのをその日その日を指折り数え、
"――さて、彼女を迎えに行くとしようか――"
私は乗車口から屋内に向けて敷かれた、深紅のカーペットの上に足を踏み出した――。
◆ ◇ ◇
大統領執務室を彷彿させる、豪華な調度品に囲まれたルイビル学園の理事長室。ここでの正式手続きは今しがたつつがなく終わった。
テーブルの空になったカップから、まだ芳ばしい豆の香りがほんのり漂っている。
この場への参加者は我々とオルドゥーズ財閥の幹部。そしてルイビル側の理事長と生徒会長ディーネ、トレーナーの6名だ。
"――良い内装だが、長時間いると肩が
慣れない感覚から解放されることに、内心ほっとして息をついている――。
いい内装ではある。しかしどこを見ても目が
『スケジュールが押しているため、私はこれで失礼します』
右側のシングルソファーに着席していた、『白真珠のような光沢』の毛並みのウマ娘はそう発言した。彼女は保護者である社長代理として来ており、オルドゥーズ財閥の社長秘書の肩書を、契約調印前に名乗っていた。
"――毛並みから察するにアハルテケだろうか?――"
真珠色のウマ娘は簡単な挨拶を済ませ、ドアの向こうへと消えていった。
そして私の右隣にいる秋川理事長に視線を向けると、彼女はルイビルの理事長と何やら話し込みはじめる。私とトレーナーとなった少女は、静かに理事長同士の会話が終わるのを待っていた。
両理事長同士の会話がこの
話に区切りが付いたようで、ルイビル側の理事長がこの場を締めくくった。
すると我々側とは机を
「お疲れ様でした。今日は私も同じエリアに寝泊まりするためご案内します」
「よろしく頼むよ、『トレーナー君』」
両理事長とディーネ生徒会長とまだ話があるらしい。なので私とトレーナー君のみ先に退出する事になった――。
◇ ◆ ◇
部屋を目指して歩いている間、私とトレーナー君は終始無言。お互い出方に困っている状況が続いていた。
知り合ってまだ日も浅い。メディアで知った情報以外、私は彼女がどんな話題を好むのか? 具体的にはわからない状況だ。
私の少し右前を案内するように進むトレーナー君も、どことなく歩き方がぎこちない。しかも肩まで緊張しているように見える。
緊張感をほぐしてやりたいが、あまりいい案が思いつかない。ジョークでもとおもったが、ほぼ初見の彼女が引いたらどうするんだと、
赤いカーペットが敷かれた白亜の廊下を、そんな気まずい空気の中歩き続けていると……。
左壁面に並ぶ窓から、日の入りの気配を背にしたチャーチル・ダ〇ンズレース場の立派な建家が見えた。
"――あれがケンタッキーダービーの会場か――"
改めてみると異国
例えるならば長崎のグランバー園の『旧四津菱第2ドックハウス』だろうか? 1番外側には殆ど壁が無く代わりに白い細い柱がいくつも並び、その
その屋根には三つほど尖った細い塔が等間隔に立っている。建物全体から感じる雰囲気は、明治頃に数多く建てられた偽洋風の建築物に似ていた。
「――気になりますか?」
トレーナー君が私の視線の先に気付いて
「あのレース場で、かのケンタッキーダービーが開かれるのだったかな? ――折角だ、地元の者である君から色々と話を聞かせてほしい」
「そうですね……この地域にまつわるもの……。アメリカのレース史でも構いませんか?」
「それで構わない。好きに話してくれ」
そして内容がレース史となれば、資質と実力を試す事ができる。
丁度いい話題が見つかって私の方も気が楽になった。心なしか彼女の方も、表情から察するに、緊張が和らいでいるようだ。
「――では地元史含むアメリカレース史で。元々ルイビルは草野球の様にレース場のあるなしに関係なく、手軽に行うのが主流でした。そしてこの地に初めて競技場が整えられたのは南北戦争前になります。さて、ケンタッキーダービーが創設される前のアメリカで主流のレース形式は御存じでしょうか?」
ただ冗長に語るだけでは私が退屈すると思ったのだろう。こちらに気遣い問答を投げてくれた。
「レース史は得意でね。同じメンバーの組み合わせで、同じ距離を2回勝つまで走る『ヒート競走』だろう?」
専門的な用語を追加しながら私は会話のラリーを続ける。
「正解です。主に長距離のヒートレースが人気で、勝負は今のレースと違い着差がクビハナなどの僅差の場合は『デッドヒート』。勝者なしとなっていたそうです」
「ヒートといえば、かの『日食の名を冠するウマ娘』も戦績のうち7勝がこの形式だったね。アメリカだとこの形式で有名なウマ娘は『盲目の英雄』だったかな?」
「そうです。キーンランド校の英雄ですね。話を戻しますと、南北戦争勃発後は北部がレースの中心となりました。しかし、レースの形式は1回勝負の中距離走に時代は移りってゆきます。流石にヒートだと走る方も見る方もツライ、ということになりまして……」
「4マイルの超長距離設定では例え1本だとしても、それは確かにつらいか」
ヒート走の距離設定は大体4マイル。約6.4キロを僅差以上で2勝するまで何本も。
その過酷さを想像してしまった私の耳が前に垂れる。トレーナー君も私と同じ事を想像しているような表情を浮かべている。
「やっぱり、きついですよね?」
「そこまで長いのは嫌気がさすよ。……そういう君はどうなんだい?
「やれなくはないですが――翌日は全身筋肉痛にさいなまれ、ベッドから起き上がれなくなるのは確実ですね」
「ふふっ私も実際にやったらそうなりそうだ」
私はトレーナー君は顔を見合わせ苦笑いを浮かべ合った。
"――脱線させてしまったので話を戻すとしよう――"
「話題の中心を戻そう。結局その後どうなったんだい?」
「はい。形式を変えなかった各地のレース場は、やはり廃れていきました。そしてルイビルもレース形式の切り替えを検討することになります。しかし、何番煎じではお客さんは態々ここに来ません。そのため英国のダービーや、パリ大賞典を参考に華やかなレースをやろうという事になりました。そして――」
トレーナー君は窓の外の日が傾き西日に照らされる。彼女は段々と美しい
そしてこの地にまつわる過去を振り返るよう、眼前の
「バラで作られた優勝レイを巡る『ケンタッキーダービー』が誕生する事になりました。そのレースは長い年月の中様々な人々が代わる代わる支え続けられ、今日では住民全員で明るい未来を勝ち得た象徴となったんですよ」
「なるほど。その歴史背景を元に掲げられたのが『挑戦する勇気』それがこの学園の志だったか?」
そう以前本で読んだことがあった。
――もう十分だろう。
教養面を測り終え、満足した私は校風へと話題を切り替えた。
まるで二人で話しながらワルツでも踊るかのように、トレーナー君の学園での思い出話を引き出す方向へとリードしていく。
「そうなりますね。その校風通り、幼かった私を雇ってディーネのトレーナーになる許可を出してますから。時々それでいいの? まさか勢いだけでやってない? って突っ込みたくはなりますけど」
トレーナー君は飽きれた表情をしつつも、どこか
「ふふっ。
「そうなんですか? 意外ですね」
「おや? 君は私の第一印象をどう思っているんだい?」
どうやらトレーナー君にまで、私は硬い印象に見えていたようだ。
少し落ち込んだが、私について皆そう言うのだから仕方はないか……。
私の印象を尋ねると、彼女は軽く腕を組んで首をかしげて『うーん……』とかなり困っている。なんだか言葉選びに気を使わせているようで、申し訳なくなった。
「……すっごく真面目な空気が漂ってます。日本語で言い表しにくいです」
「ああ、すまない。その感想はかね当たってはいるが、こう見えてジョークも嗜むのだよ。今度いいジョークが思いつけば君にも披露しよう」
「それは意外ですね。楽しみにしてます」
「ふふっ是非期待しててくれ。――さて、話は変わるが、私は一度――日本で君を見かけたことがあるんだ」
彼女は不思議そうに首を軽く傾げ眉をひそめ、私と会ったことがあるかを思い出そうと考えるような仕草をした後――。
「日本? もしかして――ジャパンカップですか??」
「そうだ。中等部の1年生だった当時の私は友人達と見に来ていたんだ」
トレセン学園に私が入学したその年の11月後半。
第1回目のジャパンカップレースには、アメリカの遠征チームは3組きていたが、その中のうちG1未勝利のウマ娘を
チーフトレーナーの19歳の青年と、G1未勝利のウマ娘『ノベルティソング』。
そんな組み合わせの二人が挑む遠征計画に、トレーナー君は助っ人として参戦。
しかし、当時14歳だった彼女は、芝での実績は皆無。かつ最年少のスタッフだった。
――チーム修学旅行。
当然メディアが注目する内容は『若い』と『G1未勝利』。当時の各メディアはそればかり注目していた。
「招待された来日組のチームの中では、君の所属はひと際目立っていたね」
「まあ年齢の他、レノベルティのチーフトレーナーが『バ場が固いのとかないから水撒け!!』って、当日の朝に会見でブチ切れてましたしね」
「君が会見で必死に止めているのをニュースで見たのを覚えているよ」
「あはは……まあんなの中々ないですからね」
それはかなり賑やかな光景だった。
吠えて暴れるチーフトレーナーを、担当ウマ娘とトレーナー君が、顔を真っ青に染め上げ彼を退場させることで止めているのだ。
この個性的極まりない一行が世間を震撼させるなんて、私も含め全員が夢にも思わなかっただろう。
「お陰で胃も頭もキリキリでした。チーフトレーナーの要求は却下されましたが、直前に雨が降ってバ場が湿ったのはラッキーでした。展開もアメリカダートでお馴染みのハイペース――。ノベルティは勝つべくして勝ちました。私はそう思ってます」
あの日、国中に衝撃を走らせたレースが府中、東京レース場で行われた。
――その最終直線500.4 m。
ノーマークだったノベルティソングが、後方から一気に先頭集団をとらえはじめる。
『私の事を無視するな!!』まるで今までのすべて覆さんと言わんばかりに。
自らの評価も何もかも、全てを置き去りにして駆け抜ける。
歯を食いしばり
ノベルティソングは自らの実力を示したのだ。
最初で最後――G1勝利をラストランで。
それは今見ている
学園の先輩方が撒けたのは悔しかったが、本当にいいレースだったように思う。
「追い込みレースでの、府中および日本レコード。それを叩き出したノベルティソングの走りは実に見事で素晴らしかった。あの衝撃に魅せられ、ジャパンカップ、延いては世界と戦いたいと私は強く思ったんだ」
そう伝えるとトレーナー君は小首をかしげ、少しだけ背丈が小さい彼女は私を見上げる。
「ルドルフの夢は世界の大舞台に出ることなのですか?」
「私の夢か? そうだな。
"――そんな君が、私の夢を聞いてくれる日がくるなんてな――"
トレーナー君に私の夢である『百駿多幸』を目指していること伝えた。離している間、彼女は真剣に傾聴してくれていた。
「と、いう訳なんだ。そしてそれには実績が必要。海外レースに挑戦したい気持ちは、それと別に最近沸き上がってくる気持ちなんだ。自身の力がどれだけ通用するのか。なんというか、衝動的な感覚に近い」
「なるほど……」
興味深げに聞き入るトレーナー君に、私はにさらに言葉を続ける――。
「あのレースは私にとって特別なんだ。それに関わっていた君と、本日正式に契約を交わすことができ、とても嬉しく思っている」
「私は彼女たちの勝利に対し、直接的な貢献していませんよ?」
「君としてはそうだとしても、私の目には眩しく映ったんだ。共に歩む道が本当に楽しみで仕方ない」
お互い身体は窓の外を向いていたため、横に並ぶようにいたトレーナー君の片手をとる。そして茜色の西日に照らされる彼女の顔をみつめ、しっかりと想いを告げる。
するとどういう訳だか、ふいっとトレーナー君は私から顔を反らしてしまう。
「そんなにストレートに褒めちぎられると……さすがに照れてしまいますね」
西日で廊下全体が染まっているため分かりにくいが、様子から察するにどうやら照れているだけ。何か失礼でもあったわけではなかったようだ。安心すると同時にそんな彼女の様子に微笑ましさを感じた。
そんなとき、トレーナー君の背後から、何者かが忍び寄る気配を耳が察知した――。
『――うーん! いい感じの雰囲気だね!』
『うわぁ! ディ、ディーネ!?』
気配に警戒していた私は動じなかったが、トレーナー君は私の横で飛び上がっている。もし彼女に我々の耳と尾があればきっと逆立っていただろう、それくらいの驚きようであった。
イタズラが成功し、満足したような笑みを浮かべているのは小柄なウマ娘。
明るめの栗毛に、頭頂部から額の真ん中にかけ、細くも太くもない一筋の白い流星。そして美しく大地に着きそうな長い尾。
ディーネ生徒会長がひょっこり現れた。
びっくりしていたトレーナー君は、落ち着いた頭で言われた意味を時間差で理解したらしい。今度はあわあわと慌てている。
その顔色は
『なっ!? そんなんじゃないよ! ちょっと誉められ過ぎて恥ずかしかっただけで!』
『なんだー。いい雰囲気だったからそういう事かと『ないですから!』新しい担当の子とも上手くいきそうだねー』
ディーネ生徒会長のいじりに対し、必死の突っ込みを入れるトレーナー君。思わず笑いが込み上げて吹き出してしまう。
『面白いでしょ? 普段は澄まし顔で余裕ぶっこいてるけど、こうやってからかうとわかりやすく慌てるの』『ちょっと! そういう事教えるのやめて!』
『ふふふ。確かに意外な一面だった。大人びた雰囲気の強い方だと思っていたが、こんな一面があるのだなと』『忘れてっ! 今の忘れてください!』
トレーナー君はあまりの恥ずかしさに身悶え、ついに声にならない音を上げしゃがんで両腕で頭を抱えてしまった。
『ルドルフの宿泊する部屋の位置を確認したらふたりとも食堂へいかない? そっちの理事長さんはうちの理事長と後から合流しに来るらしいし、私は貴女を夕食のお誘いにきたの! どうかな?』
『気遣いありがとう。是非そうさせてもらうよ』
『決まりだね。てか、とっくに来客用の宿泊室についていそうな時間なのに、本当に2人とも何してたの?』
トレーナー君をどうしてやろうか? もっとからかってやろうという表情で、ディーネ生徒会長は話題を投げてくる。
"――慌てる姿が年相応で可愛らしいが、可哀想だから助け船を出しておこう――"
『――レース場を私が気にしていたら話が弾んでしまってね』
『なーるほど! それは盛り上がっちゃうわ。まあとりあえずいこうか!』
私はやっと彼女を
◆変更履歴◆
心理描写不足を補いました。中々難しいですね。
ディーネがトレーナー君にかけたセリフを変更しました。
誤字脱字発見と心理描写()を""――ABCD――""に小説仕様へと変更。
改行調整
改修前のデータを入手できたので東京の直線データ修正