いつもの出走者紹介
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最初トレーナー君視点。控室~レーススタート直後までルドルフ視点、そしてレースはトレーナー君視点で、後日談はルドルフ視点です。
――20××年+1 4月15日 10時45分頃――
――中山レース場 スタンド内 土産物屋付近――
GⅠレースが開催される日だけあって、本日の中山はどこもかしこも――――
人、人人
人、人、ウマ娘ウマ娘、人人、ウマ娘ウマ娘ウマ娘
ウマ娘、ウマ娘、人人ウマ娘、ウマ娘、人人人、ウマ娘
人人、ウマ娘――そして……。
一見すると人間に見える
ルドルフから頼まれたのは食事の調達で、私自身の用事は留守を預かる生徒会の3役以下のウマ娘達へのお土産だった。
なにせ今年は遠征などでルドルフは学園を空けがちになる。ルドルフ個人からのお土産もあるとはいえ、一介の担当トレーナーならまだしも私がここのスポンサーかつ、資本家なのは既に学園に知れ渡っている。そんな状況かつ、ルドルフのサポートを考えるなら、配らないより配ったほうが良いに決まっている。
そのため副会長の2人と他の生徒会の子達には特に気を使っておく必要があり、負担をかける分アフターケアは怠れない。レース後や帰る間際だとしっかり手土産の内容を吟味できないだろうと考え、今のうちにと買い出しに出かけて来た。
そして目的地に着いた私は学生さんたちは何が喜ぶだろう? などと考えながら中山レース場の土産物店に入った。
店内にはウマ娘グッズや、千葉の地元のお土産があふれている。その中で商品を吟味しながら棚と棚の間を縫うようにゆっくりと見て回っていると――。
『――。――――』
『――――。――――、――――――――――』
『――』
しばらくして聴覚の鋭いウマ娘でなくても聞こえる大きさで響くその耳障りな会話内容――。
私が商品を吟味している棚を挟んだ向こう側の右前で繰り広げられる噂話には、私への悪意が含まれていた。
その内容は運がいいだけのトレーナーやら、親の七光りなどなど――それらの暴言を聞こえる位置から耳に入ったのは随分と久しぶりに思える――出る杭は打たれるとはよく言ったものだ。
"――ルドルフの人気に伴い、私の存在も関係者以外に意識されはじめているって事だろうか?――"
ダークサファイアの様な輝きを放つ黒髪に、エメラルド様の瞳という目立つ容姿なのだから隠れようもなく目立ってしまう。以前の担当だったときも、これ見よがしに悪意のある言葉を浴びせられることはなくはなかった。
理不尽ではあるがそれに心を痛め、とらわれていても仕方ない。
ルドルフは弥生賞で皐月賞レコード並みの結果を出すなど頑張ってる。私も彼女を支え続けるためには強く居続けなければならない。
トレーナーとして、導くものとして、もっと、もっと先を、ルドルフのいく先を照らすように――私は担当しているウマ娘の羅針盤だ。
この頃は以前よりブレたりせずにそう思えるようになっている。
きっと以前の私ならば気持ちに整理が付かず多分悩んだだろうが、そうならなくなってきたのはルドルフをはじめこの学園での出会いが大きく私を変えているからかもしれない。
好き勝手に人の噂を囀る集団の言葉を思考からシャットアウトした。
そして学生の間で流行っていると聞く船橋市非公式キャラクターの『ふなはっしー』とのURAコラボ商品のお菓子類を、いくつか取ってそっと買い物カゴへと入れる――。
◆ ◇ ◇ ◇
――20××年+1 4月15日 11時5分頃――
――中山レース場 シンボリルドルフ控室――
"――まだ食事前だし着るのは早いが……――"
更衣室内の一角。
カーテンに囲まれたフィッティングスペースに勝負服の一式をかけ、その傍にジャパンモデルの勝負靴をしゃがんでからその傍に置いた。そして立ち上がった私は秒針の音しか響かない空間の中、心の内を歓喜で満たしながら真っすぐに本日初めて実戦で袖を通す戦装束と向き合った。
"――この日をどれだけ待ち望んだことか……!――"
そんな期待を大きく吸い込んで、そしてゆっくりと吐き出す――。
春先の低温で芝の生育が遅れたお陰で、私の初GⅠ戦となる皐月賞のそのターフは弥生賞時には茶色一色だった時よりも緑がちらつき、十分すぎるくらいの良バ場となった。昨年の冬から続く異常な低温には色々と心配ごとで頭を抱えさせられたがこの状況は大変ありがたい。
横長の楽屋鏡の上の壁に掛けられた、シルバー縁のシンプルな丸い時計は11時10分を示していた。
"――ついでの用もあると聞いていたが、遅いな――"
トレーナー君に食事の調達を頼んだのが少し前になるが、帰ってくるのが遅い気がする。
基本的に彼女は真面目で時間を守るタイプだ。そして
しかし、それでも帰還が遅れるトレーナー君の身が心配な私は、通信アプリLEADに連絡を入れるべきか悩んでいたところ、ドアの向こうから微かに響いてくる駆け足の様な足音を私の両耳はしっかり捉えた。
音の響き方からしておそらくトレーナー君だろう――。
彼女の存在をはっきりと示す軽快なリズムで響くその足音はドアの前で止まり、ドアノブが回る。そして予想通り部屋にしおらしく入室してきたトレーナー君の頬は、メイクの上からでもわかる程綺麗な桜色に上気して、おなじみの三つ編みシニヨンヘアーからは、春の野に自生するツクシのようにアホ毛が所々飛び出していた。
「すみません遅れました!」
「お帰り。無事に帰ってこれたようで何よりだよ。メディアにでも捕まっていたのかい?」
「ええ、すこしばかり。いまご飯温めますね」
そういってトレーナー君は買い物袋の中からお弁当を取り出し手早く温め始め、手持無沙汰になった彼女はハンガーに掛かった勝負服に気付いた――。
「そういえば今日は勝負服の日! ついにGⅠ! すごいなぁここまで4戦ですよ4戦!」
「ここまでスムーズにいくとは思わなかったが、今日を含めてもダービーまで5戦コースなら最小キャリアで行くことになるね。――ところで、お弁当は何だい?」
「おにぎりとさっぱりしたうどん類をいくつかとフルーツ。あとレースまでの補充用にニンジンゼリーはこれとは別に持ってきています」
きちんと炭水化物を中心に選んできてくれたようだった。『適当で頼む』と任せていても、抜かりなく手配してくれる彼女の細かいケアには常日頃感謝しかない。
「ありがとう。君のお弁当は何にしたんだい?」
「サンドイッチですね。ゲン担ぎにカツサンドも含めてみました」
トレーナー君はそう言って左側の肘にぶら下げた袋からカツサンドを取り出して見せ、私の右隣の席にサンドイッチをいくつか取り出して置いた。そして私の前にもおにぎりやフルーツ、食事に必要な箸や使い捨てお絞りなどを配ってゆく。
「ふふ、カツを食べて勝つという事だね?」
「そう来ると思いましたよー。ギャグも絶好調、レースも絶好調! 午後も張り切っていきましょう」
そう元気よくトレーナー君が気合を入れた瞬間電子レンジの電子音が室内に響いた。
『お、できたできた』と言いながら彼女が扉を開くと、食欲をそそるうどんつゆに含まれるカツオダシの香りが一気に室内に広がった――。
トレーナー君から最初の1皿目を受け取って、楽屋鏡側の壁に備え付けられた横に長いテーブルの上に乗せる。そして空腹ながら彼女が準備し終えるまで待ってから、ふたりして『いただきます』と述べて食事を開始した――。
◇ ◆ ◇ ◇ ◇
――20××年+1 4月15日 13時頃――
――中山レース場 シンボリルドルフ控室――
勝負服に袖を通し、髪とメイクをセットし直してもらい出陣準備は完了していた――。
壁にかかる時計を見ると15時25分の発走に対し今から準備をしに行くと早すぎる。
そこでトレーナー君が持ってきてくれた雑誌を片手にのんびり過ごす事にし、トレーナー君はというと私の傍でタブレットを操作して色々と情報を見ているようだった。
そして先に沈黙を破ったのはトレーナー君だった――。
何かを見つけたように『お?』と小さく声を上げたため私は顔を上げて彼女の方に視線を向ける。
「ねえねえ、ルドルフ。今日の皐月賞の前評判ありましたよ」
「ほう? 私の評価はどんな感じだい?」
レース前日になると元トレーナー達による前評判のようなものがスポーツ新聞の紙面をにぎわす。その内容はペースや展開や、脚質、近走の成績や着順予想などなど実に様々だ。
自分の評価が気になった私はそう尋ねるとトレーナー君はにっこり笑てタブレット画面をこちらに向けて見せてくれた。
「最高評価を推している方が多いですね。予想ペースは貴女が弥生賞に出したタイムの影響かハイペース展開が推されています」
「やはりそうなったか。ならばマークされて囲まれないように気を付けねばな。最終作戦に変更はないかい?」
そう私が尋ねると少し首をひねって考えるような動作をしつつもすぐ返事が返ってきた。
「特に変更はありません。確認で上げるなら今回は皐月までの出走数が少ない子が多く粒揃い。そして全員似たり寄ったりの脚質なので、3コーナー超えたあたりから前が詰まりやすい気がします。なので囲まれる気配がしたら早めに逃げにつけて3番手以内に位置取る。そして先頭のペースを見ながら脚を残して一気にぶっちが理想かなと。細かい所はいつも通り現場判断でお任せします」
「承知した」
「では、武運長久を――貴女に
トレーナー君はタブレットを閉じて台の上に置き、私の方に自身の左拳を差し出してきた。その意図を察した私は右手の手袋を外し、そっと近づけ――。
「ありがとう。――勝ちに行こう」
トレーナー君の拳に自分の拳を軽くぶつけた。するとニコリと
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
――20××年+1 4月15日 15時20分頃――
――中山レース場 ゲート前――
気温は13度~14度だろうか? 肌寒い風がターフの上に立つ私の両頬を撫で通っていく――。
いつも通りのルーチンで精神統一を終えた私はゲートの裏側に到着して、そのしばらくもしない内に、マエツと視線が一瞬あった。
マエツと互いにしばらく闘志入り混じる視線を交わし合った後、私たちは言葉を交わさずゆっくりとお互いにゲートの方を向き、自分たちの出番が来るまで待った――。
『芝も先月より生えそろい、ここ数日にわたり晴れ間が広まり良バ場に恵まれました。中山レース場、第10レースはクラシック級路線の第1関門G1皐月賞――階級がひとつあがった彼女たちによる青春ドラマの芝2000mが開幕します!』
場内に若い女性の声でアナウンスが流れ始めると同時に、今までとは比べ物にならない観衆の声が場内に響き渡った。
それは轟々唸り垂直に流れ落ちる大瀑布の前に立ったような音圧で、それらが両耳に押し寄せてきているのを感じ、雰囲気に当てられた私も自然と気分が高揚としてくる感覚を受ける。
『3番人気はここまで2戦2勝無敗のウマ娘、イエロージャンボ! 現在中山無敗! ラスト1ハロン12秒の末脚で挑む距離延長! 今日も彼女がぶっちぎるのか!』
『2番人気はここまで6戦! 連対率100%ウマ娘マエツニシキ! 皐月の空に勝ちドキを上げるのは彼女か!』
ひとり、またひとり、ゲートに入って来てついに私の番まで来た――。
『1番人気はここまで4戦4勝ウマ娘シンボリルドルフ! この娘の快進撃を止める者は居るのだろうか!』
スタンドからより一層大きな歓声が上がる!
ゲートの先が輝いているような錯覚を受けながら、まだ茶色が目立つ野芝を踏みしめ、威風堂々としているように見えるような態度を心がけつつゲートインした――。
『各ウマ娘ゲートイン完了しました』
呼吸と体勢を整え、体重をすぐ出られるように一旦後ろにかけ――
『――スタートです!』
ゲートが開くと同時に前に体重をかけて勢いよく飛び出していく! よく乾いたバ場に脚を叩きつけ土埃を巻き上げる!
――私は勝利を! 栄光を! 見果てぬ夢を!
それらを掴むべく自らの脚をかり進んだ――!!
◇ ◇ ◇ ◆ ◇
――20××年+1 4月15日 15時34分頃――
――スタンド最前列 トレセン関係者席――
スタンドの見学立見席に来ていた生徒会のエアグルーヴとナリタブライアンと合流し、私は固唾を飲んでレース開始を待っていた――。
ルドルフがゲートインしてしばらくした後――。
『――スタートです! 一斉にそろって飛び出しています! 間から早くもシンボリルドッが抜け出しそうでしたが、その外からルミナスラッドが行きました』
ついに――ついにクラシックG1戦線がはじまるその扉が開いた!!
実況のお姉さんがいきなり舌を噛んでしまったのがすごく気になったが、1周目のスタンド正面――目測で右から左へとルドルフを追う。
緑が芽生え始めるもまだ冬の気配を感じる野芝を力いっぱい蹴り、土埃を舞い上げながら若きウマ娘達が目の前を走り抜けていく様はやはり圧巻であった。
『イエロージャンボが先行争いを制し、ルミナスラッドが2番手追走!』
いつも通りペースを少し落としてルドルフは好位を狙うも一瞬で周りを囲まれた!
先頭が残り1600mを過ぎ――頭の片隅で並行して数えていた秒数は23秒! ペースが速い!
"――うわぁ。予想通りとはいえもう囲まれてる! 徹底マークだわこれ!――"
私はハラハラしながら黒いおなじみの双眼鏡を構え覗き込むと、第1コーナーのカーブに入る前から囲まれまいと、ちゃんと動いたルドルフが見えて少し胸をなでおろした!
『人気のシンボリルドルフは4~5番手! 続き内にイーストカムリが追走しながら1コーナーカーブに突入です!』
ルドルフは中山の小さなコーナーで他の子達が横に膨らんだその瞬間を逃さず、外に出て2番手のすぐ下の外めにつけた。囲もうとしても他の子が距離ロスを嫌って出てこないと踏んだのだろう。
『さあ残り1400! マエツニシキ7から8番手くらいの位置に控えています!』
1コーナーを抜けてすぐ2コーナーへバ群は向かう。36秒とペースは少し落ち着いたが、ルドルフは先頭から1バ身~1.5バ身ほど後ろ、2番手のやや左外に控えている。
『先頭は前途洋々意気揚々! スイスイと逃亡中のイエロージャンボが1から2バ身ほどちぎり、2番手追走しているのはルミナスラッド、そしてその外シンボリルドルフ虎視眈々と前を狙っている! これは良い位置だ!』
1200mを通過。先頭の通過時計は標準で2コーナーを抜ける手前まできた。
そろそろ向こう正面にくるのだがルドルフはどう動くのだろうか。今回は良い位置だし無理しないかもしれないが、彼女の事だから何か考えていそうな気はしなくもない。
G1のプレッシャーからくるうるさい拍動の感情と入り混じり、今日はどんなレースをルドルフは最終的にプランするのだろうかとも高揚しながらもその動向を私は見守り続ける――。
『シンボリルドルフのすぐ後ろに並ぼうと、かっ飛ばしていくのはイーストカムリ! そのさらに外にはベルマッハが5番手! 後は中からコトノテスコがその後ろをついていく!』
2コーナーを完全に抜けて向正面の直線に入った所で、他より進みやすいこの地点でルドルフはじわじわと前方に進出し始めた。
『そしてマエツニシキ中団の最内から控えて追いかけ、その集団の外を回りレイメイノフジが上がり、その後ろはアキツスワロー、外をついてビゲイサーペン! この辺り膠着状態!』
残り1000m――今度はペースはまたもや標準通りだが……。
"――あら? 前の子はひと息入れつつルドルフやマエツニシキに不利な展開を作る気?――"
もう少し詳しく見ようと目を細めた所、掲示板が望遠鏡内の視界を一瞬横切って、目の遠近感が狂ったように感じ気持ち悪くなってしまった。
慌てて双眼鏡から顔を離し何回かその不快感を拭うために瞬きつつ、双眼鏡を使わず目視で全体を見る。
前から後ろまでは目測13バ身くらいで詰まっているほうではある。
人気の2名、マエツニシキは早仕掛けの差し、ルドルフは好位抜出型の先行だ。
この2人にとってハイ気味からミドルペースに戻され、バ群がぎゅっと圧縮されてしまうような後方ほど不利になる展開は有利とはいえない。
このままやや団子気味に4コーナーに行くと、かなりバ群がゴチャつきそうな気配が漂っている。
遠近感の狂いの余韻から抜けた私は、双眼鏡を再び構え直して覗き込むとルドルフはちゃんと考えていたのか、2番手の子の外にピタリと並ぼうと仕掛け始めた。
"――お、流石!――"
内から123番手が並び4番手以下の壁にするつもりだ! 相手の考えを利用してさらに自分に有利な状況をルドルフは整えている。中山のカーブは小さくかなり小回りを要求さるため、無理に外に出ようとすれば吹っ飛んでいくし、外を回ればかなりのロスになるから出て来れなくなる! 見事なブロックに関心していると先頭を取る勢いのルドルフと先行集団は3コーナーへと吸い込まれていく。
『3コーナーに入っていきます! 以前先頭を引っ張るのはイエロージャンボだが! シンボリルドルフがその外からぐいぐいと押し、両者の間にルミナスラッドが抜かせまいと粘る! 残り600!』
ここで不要になった双眼鏡から目を外した。ルドルフがロングスパートをかけた! すごい勢いで中山の3コーナーを曲がっていく。どうせ外に膨らむと踏んで減速せずに行くつもりなのだろう!
『3コーナーからスパートをかけているのかシンボリルドルフ早くも抜け出し先頭で4コーナーへ!』
開花が遅れ赤い枝の目立つ桜の木々を背景にバ群は3コーナーを抜け、半バ身ほど2番手に差をつけたルドルフは今度は間髪入れずに4コーナーに突っ込んでいく。
内側の子、2番手のイエロージャンボは歯を食いしばって逃げ馬の意地『抜かせまい、ここで差をつけさせまい!』と粘っているのも見え、先行集団の熱気がこちらまで伝わってくるような気分になった!
『4コーナーのカーブを抜け、さあ中山名物の短い最終直線勝負が始まった! 後ろの子達は追いつけるのか!』
カーブで並んでいた子に押し出されて膨らみ、大分外にルドルフは押し出され、そのすぐ後方――半バ身後ろに外を通ってきたマエツニシキが迫っていた。
"――後はお祈りあるのみ!――"
息をするのも、瞬きをするのも忘れるように、自分の心臓の音だけが聞こえてくるような感覚と、周りの歓声が乖離しているかのような時間の感覚を感じる。
一番前から後ろまで13バ身以内だろうか? トップから6バ身以内のウマ娘たちは数名程、内から外に各々大きく広がりながら十分ゴール板を狙える位置取りにいる。
最内ラチ側の子から1~2バ身ほど後方から外ラチへ向かってコースを横切るようにラインを引いたとして、その延長線上――ほぼコースの真ん中に位置する外側で、マエツニシキとルドルフがぶつかりそうな距離間でハナを争い火花を散らしている!
『イーストカムリ内側で頑張るも外ではシンボリルドルフとマエツニシキが並んで激しいデットヒート! お互い一歩も譲らず前に突っ込んでくる! アキツスワローも飛んでくる! さあどうなる残り200! 中山の坂を上って坂上! 抜けたのはシンボリルドルフだ!』
残り100mを切った。
ルドルフも競っている子も怪我しちゃうんじゃないかとハラハラしながら見守る!
ルドルフはすぐ外にいるマエツニシキの半バ身ほど前に出たままゴールめがけて走っていく! 歯を食いしばってマエツニシキも粘っている!
しかし、弥生の時より少し緑色になったとはいえ、まだまだ茶色いその野芝のターフの上。
その上を緑の一筋の線が駆け抜ける、春の女神の息吹の様に彼女の勝負服の緑が一閃を描いていく――!
「っ! 抜けた!!」
『シンボリルドルフ完全に抜けた――!』
呼吸をするのを忘れた私は思わず、場内に流れる実況と同じような声を出したと同時に大きく息を吸い込んだ!
「今1.5バ身差程つけシンボリルドルフゴールイン!』
ウマ娘程ではない聴力だけど両耳が張り裂けそうな位の大歓声が私を包む。その雰囲気に感化され、ルドルフが初めてG1に勝てたことなど、様々な感情が溢れてぐちゃぐちゃになった頭の中が、まぶしい光に包まれたかのような気分を受け、全身が宙に浮いたかような感覚を受けた――。
「――おい! 大丈夫なのか!?」
左隣にいたエアグルーヴが私の背中に手を回して倒れないように支えてくれたようだった。ブライアンも目を丸くして心配そうにしている。どうやら先ほどの浮遊感は本当に倒れかけたのだ。
はっとしたわたしはすぐさま全身に喝を入れ、しゃんと脚に力を入れなおした。
「ごめんなさい! ありがとうエアグルーヴ」
「全く大丈夫なのか? 気絶などしたらこの後の業務に差し支えるぞ?」
「面目ないです。感動しすぎてしまいしたね」
エアグルーヴは私の背中をトントンと叩いて『気持ちは分かるがもう倒れるなよ』と苦笑いを浮かべた後、彼女と私はターフの上に視線を戻した。
『1着シンボリルドルフ! 無敗のまま皐月賞を制しました! 2着マエツニシキ! 3着イグニカルメン! クラシック戦線の1冠目皐月賞を制したのは5連勝のシンボリルドルフ! そして出ました! 2分1秒1! 皐月賞レコード出ました!』
ここまで叫んで声が出なくならないのだろうかと思ってしまう程、場内はヒートアップしたと同時に、今度は両サイドの副会長ふたりがばっと私を振り向いた。
今度こそ倒れると思われたのだろう。びっくりして目を丸くして二人を交互に見やりながら、『大丈夫、まだ大丈夫!』と言って安心させてすぐまた一緒にターフに目を向き直した。
するとルドルフは観客の前に記念撮影のために立つと、左手を腰に当て晴れ渡った空に向け右手を天高く上げ一本指を立ててポーズを取った。
何度勝ち続けてもやっぱり担当してる子が勝った時は嬉しい。両目が潤みそうになるも恥ずかしいのでぐっと我慢して、頭を軽く左右に振り――。
「ではでは、お仕事行ってきます!」
「おう」「ああ、いってこい」
両サイドにいたふたりに別れを告げ、ちょっと離れた所まで移動した後振り向くとルドルフがこちらを見ていた。
私は潤みそうになる涙腺と、歓喜に溢れる心のまま気持ちをこれでもかと詰め込んだ笑みを浮かべ、ターフの上に立つルドルフに向け手を振った。
それからルドルフに背を向けて関係者席出口へと、誰かを吹っ飛ばさないよう気を付けながら駆けていく――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◆
レース後日
――20××年+1 4月19日 午後14時――
――トレセン学園 プレハブのトレーナー室――
鼻歌を歌いながらトレーナー君はアルバムをガラス扉のついたグレーの引き出しから取り出し、トレーナー室のテーブル&ソファー……があった所に彼女が勝手に持ち込んで設置した、上がり畳のこたつスペースで待つ私の所に戻ってきた。
こたつの上には黒い和風の網籠に入ったミカン、そして私の目の前と右側に桜の花が描かれた縦長の湯飲みが2つ並び、淹れられた玉露の綺麗な緑の水面から白い湯気がたなびいている。
今日は新聞部や各社から貰った皐月賞の写真を2人で選んでアルバムに並べる予定だ。
正方形のこげ茶色の小さなこたつの壁側に座る私の右――ドア側の面の優しい色合いのピンクのこたつ布団がトレーナー君の手により軽く上がる。それにより少し温度が低い空気が入ってきて、彼女が『おこたは日本の良い文化ー』と言いながら入ってきた。
「ふふ。お気に入りだね」
「ええ、脚が冷えないし何より心地が良い最高の文化です。さてと、お写真はどれにします?」
「そうだな。――これはどうだろうか?」
私はライブで歌っている写真を選んだ。構図はビンテージデザインのスタンドマイクに右手をあて、左腕をまっすぐ正面に指差し伸ばした瞬間だ――自分で言うのも何だがかなりかっこよく撮れているように思う。
「黒いウーハーを背景にめちゃくちゃかっこいいですね」
「だろう? あと……これと」
私はターフの勝利写真で指を1本立ててポーズを決めているものと、そして笑ってはいけないのだけれど、その写真に写るトレーナー君の微笑ましい姿のせいでクスリと鼻を鳴らし1枚の写真を手に取った。
その瞬間トレーナー君は湯飲みに口をつけるのをやめ、そっとテーブルに戻して数秒固まった後大きく目を見開いた――そして。
「え。え……ええええ! なんで、なんでこの写真が!? え、どうして!?」
これは流石にないだろう思っていた写真が混ざっていたことに、あたふたとトレーナー君は仰天している。彼女がそう思うのも無理はない。本来ならば既に取材もオフレコだったはずの写真なのだから。
「撮ってしまった方からは『素敵だったからつい』だそうだ。私もとてもいい写真だと思う」
トレーナー君をぎょっとさせたその長方形の縦長の写真の中には、勝負服の私が左手にいてトレーナー君の後頭部を撫でて落ち着かせながら、右手でこぼれる涙を持っていた白いハンカチで拭いて苦笑いを浮かべている。右側には眉尻を下げ申し訳なさそうにしながらも、嬉しそうなトレーナー君の顔が映っているものだった。
泣き上戸なトレーナー君が嬉し泣きをこらえていたのを、ターフから見ていた時から気付いていた。きっとふとした瞬間に彼女は泣くだろうという予感はなんとなくしていた。
そしてその予想は見事的中した――。
トレーナー君はライブ前の会見が終わるや否や、オフレコになった途端不意に気が抜けたのかぽろぽろと宝石の様な瞳から真珠を零す様に嬉し泣きをしてしまった。その時はお互い喜びに浸っていて気付かなかったが、残っていたメディア関係者がこの様子を密かに撮影していた。
写真を送ってくれた新聞社からは『とても素敵だったので思わず撮ってしまいました。よろしければどうぞ』とオフレコを無断撮影したことに対する謝罪の他、このような一言が添えられていた。
「喜びの感情を爆発させている君の素直な姿が素敵だと思う。残しておいてはダメかい?」
丸い両耳まで真っ赤にして俯いているトレーナー君はちょっと唸った後に――。
「恥ずかしいですけれど、この写真をルドルフが気に入ってるならいいですよ」
「ありがとう――あとはどれがいいかな?」
「それならこれはどうでしょうか?」
トレーナー君が差し出したのはレース後に、応援に来てくれていた学園の生徒と私が一緒に集合写真を撮ったものだった。
「これもいいね。残しておこう」
そんな風にふたりで20枚程度の写真を選び終わった後、トレーナー君がふと私の方を向いた気配がしたので顔を上げる。
「そういえばルドルフ。昨日また『ポニーテールのあの子』にあったよ」
「ああ、熱心なファンの子だね。ウマッターにもよくメッセージをくれるから覚えているよ。確かトウカイテイオーだったかい? トレセン入学前のウマ娘の大会で有名な子だったね。あの子と何かあったのか?」
そのトウカイテイオーがトレーナー君に話かけるようになったのはの重なり合った偶然の結果だった。
弥生賞の後にアルバムの収めるべく写真部から貰ったデータを印刷しようとするも、ここに備え付けてたコピー機が壊れた。私的な利用の為に学園の機材を使うのを避け、コンビニへ写真の出力に向かったトレーナー君は、そこで私が特集された雑誌を買えなくてがっかりしていたトウカイテイオーに、トレーナー君はその雑誌を譲ったんだとか。さらにトウカイテイオーはトレーナー君と行動範囲がよく被るらしく、私を担当しているという事もありトレーナー君によく甘えているらしい。
私は直接会ったことが無いのだが、何故か会ってみたいと思うウマ娘だった。
「貴女に伝言を頼まれまして、そしてその伝言について相談があるんです」
「ほう? 私に伝言とは……一体どうな内容なんだ?」
「今週末に大きな大会の決勝レースがあるそうで。そこで1位取ったら自分とあってほしいって」
「大会……ああ、あれか! ふふ、私も1位になったことがある大会だよ。懐かしいな――」
何故だかわからないがトウカイテイオーには不思議と親近感を感じている。
普段なら公平性を規してそういった個人的なファンサービス安易に応じないのだが、トウカイテイオーががっかりする姿を見るのが嫌で、何となく断れない気分になってしまう――。
「いいだろう。彼女にはダービーのインタビュー後に時間を作ると伝えてくれるかい?」
異例ではあるがあの大会を勝ち上がるのだから、いずれこの学園にも入学してくるだろう。対面が少し早まるだけだ、そう自分に言い聞かせながら私はその件に関して了承した。
「わかりま――あ、でもルドルフから伝えた方が喜ぶかもしれませんよ? ウマッターのダイレクトメッセージなどで直接伝えるのはダメですか?」
「いい提案だ。折角だしその方が喜びそうだしそうする事にするよ」
今夜あたり連絡を入れるにも、まだ幼い子供のようだし遅くならないうちにしようと私はスマホを取り出して予定メモに書き込んだ。
「貴女の後ろをついてこようとする、ちっちゃなファンもできて嬉しいですね」
メモに書き込んだあたりでトレーナー君が話しかけてきた。
「ふふ、そうだね。――当日君がインタビュー前に彼女を迎えに行ってくれるかい? ダービー後だと多分私は身動きが取れないだろうから。君は確かウマッターをしていないが、連絡先は持っているかい?」
「お返事の為にLEAD交換を済ませてあるので大丈夫です」
普段Horsebookを連絡手段にして、LEADをそう易々と渡さないトレーナー君がIDを交換していたことに少し驚いて目を丸くした。子供に優しいのかなと思いつつ私は当日の連絡を頼んだ。
「よしアルバム完成。しまってきますね」
「頼んだよ」
トレーナー君は席を立って私の対面側を通り、上がり畳の横にある棚にアルバムを収納した。そして戻って来て写真を封筒に入れなおして隅っこに置き、ふたりしてミカンを剥いてのんびり食べ始める――。
しばし外で歌う小鳥のさえずりしか聴こえないゆったりとした時間が流れ、先に会話をし始めたのは私の方からだった。
「――もしかしたら君がその子を将来担当する羽目になるかもしれないね?」
私が目を付けたように、もしかしたらトウカイテイオーもトレーナー君に頼るかもしれない。
何の気もなしにそう思ったので素直にそう伝えると、トレーナー君はばつの悪そうな表情を浮かべて首を振った。
「それはないですよ。本人曰く病院とか、特に注射が大嫌いらしいので……」
「おっと、それはそれは。はは、確かに他と比べてうちは血液検査を時々するから避けたくなるのも無理はないか」
なんとも子供らしい理由に思わず微笑ましさがこぼれ、トレーナー君も私と同じ感想なのか慈しむような温かいほほ笑みを湛えていた。
「ふふ、可愛い理由ですよね。あと、トウカイテイオーちゃんは貴女を目指すなら私に頼ったら意味がないって、超えるつもりで頑張る! いつか勝負したい! とも言っていましたよ」
「それは凄い気合の入りようだね。こちらもそう簡単に超えられない様頑張らねばならんな」
まさか超えるつもりで頑張るとは大したものだとその心意気に感心した。
デビュー2年目にしてそこまで強く憧れてもらえたことが嬉しい。トレーナー君も『ええ、がんばりましょう』とほほ笑んでからミカンを頬張り――。
「――来月末はついにダービーですね」
「ああ、一生に一度きりの大勝負のひとつだ――所でトレーナー君、話は変わるが君はタロットなどには詳しいかい?」
不思議そうに眼をまん丸にするトレーナー君の瞳に自分自身が映り込むのが見える。
まあ、唐突にこんなことを言えばそんな反応を返されては仕方ない。彼女は口に含んでいたミカンを飲み込んでから首をかしげてうなった後――。
「タロットですか? そうですね、占いが好きなウマ娘からセフィロトがどうたらってところまで説明は受けてますよ。それがどうかしましたか?」
それなら説明しなくていい妥当と思った私はトレーナー君と自分自身を鼓舞するため、言葉を紡いだ――。
「私の勝負服の色にも使われている色であり、君を象徴する青々とした草原の様なエメラルドの瞳も緑。そして、生命の樹において緑やエメラルドはネツァクという第7のセフィラの色とされる」
「確かに思い返せば偶然にも似たような色ですね……」
「ああ、君は私を皐月賞に送り出すときに皐月その英語表記の語源にかけ、随分しゃれた応援をよこしてくれたのでそのお返しを今しようと思う」
そういうと思い返す様にトレーナー君は首を傾げたり視線を左横に寄せた後、思い出したらしく少し恥ずかしげな表情を浮かべた。
「勢いでそういえばそんなことを言いましたね。思い返すとかなり恥ずかしいですが、ルドルフが何を言おうとしているのか気になるので続けてください」
「ふふ。まあ高揚しているときは皆そんなものだよ。話を戻すと、ネツァクというセフィラは
「それは初耳、なんて言うかとても縁起が良いんですね」
「そうさ。そして実力申し分なく、勝利という言葉に縁のある大変縁起のいい君がいれば、私はダービーにおける運も含めすべての要素の不安も全くなく挑める。参加する者は皆一様に頑張っているが、その努力をさらに上回るつもりでいこう。一度きりのチャンスに
そう鼓舞すると
「なるほど、そういうことですか。そうですね、必ずや――勝利へ」
お互い顔を見合わせてほほ笑むが、その後トレーナー君はすこし辺りを見回して――。
「……うーん、かっこいい感じで締めくくったはずなのに、お互いこたつに入ったままの雰囲気だとなんだか締まらないですね」
そういって彼女はこたつの上にある籠へと片手を伸ばし、ミカンを剥いてその粒を手の平に3つ4つと取り出しはじめた。
「こらこら、それは突っ込んだら野暮というものだよ?」
私は鼻で笑いつつ、小腹が空いたのでこたつに脚を入れたまま、身体を伸ばしてトレーナー君の手の内からミカンの欠片をふたつ取ってひとつを口に運んだ。
「あ、おみかん達が拉致された」
「君の突っ込みで気が抜けたら小腹が空いて我慢できなかったよ。後で剥いてあげるから機嫌を直してくれ、ほらトレーナー君、口を開けて」
ミカンを私に持ってゆかれて少し不満げな表情をトレーナー君は浮かべていた。彼女の開いた形の良い唇に囲まれる小さめの口に、私の手元に残っていたひと粒を運んだ――。
この麗らかな春の午後からダービーまで……あと5週間と少し――。
ウマ娘の世界はこちらの世界みたいに賭けがないらしい。
しかし予想する人はいるんじゃないかな? みたいな表現を出してみました。
史実沿いだと1名出走取消がありましたが、今回は出たことにしておきました。