IF.皇帝の幻の遠征計画と半人半バのお嬢様   作:なすび。

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 大変お待たせしました。
 【出走選手表】――見取り図は適当仕様

【挿絵表示】

 ほとんど顔なじみのメンバーですね。
 グレードは84年準拠。
 二次創作だとアウトだと判断した単語は換えてます。
 それではどうぞ。

 ルドルフ視点から始まり、
 ◆◇◇からトレーナ君視点。
 ◇◆◇以降ルドルフ視点です。


リゾナヲ蹟軌之冠三代初『秊八九五二紀皇』

――20××年+1 9月半ば某日 午後21時――

――トレーナー寮B棟4階 405号室――

 

 鯉は滝を上り竜となるだろう――。

 1時間ほど前にそのレース名を見て私にトレーナー君はそう告げた。そして彼女は現在入浴中だった。

 

 セイクライト――初代三冠ウマ娘の名を戴いたレースが私の次走。夏を上手く乗り切れたか菊花賞の試走にと望んだレースだ。

 

 程よく空調が効いた室内には壁掛け時計と、薄型テレビから垂れ流れている音のみが通り過ぎていく。

 背を少し後ろに倒すと低反発素材で出来たコーナーソファーが私を包む。

 両腕の下には精巧にホタテの貝殻を模したホタテクッションを挟んで腕を休めて膝を立てる。

 そして右手にはスマートフォンを持ち、生徒会業務の最終チェックをしていた。

 

 今日は寮には帰っていない。

 ひとりでいると気分が落ち込んでしまうため、何となくトレーナー君の部屋に遊びに来ていた。突然の訪問だったにもかかわらず今回はすんなり入れてもらった。いつもなら片付けるといって数分待たされるというのにね――。

 

 生徒会のメールボックスを確認し終えた私はスマートフォンの画面を切り、目の前のテーブルの上にそれを伏せて置いて視線を室内左側に向ける。

 

 片付いていた理由は視線の先にあるリビング左隅にあるその縦長のガラス棚だった。

 それらは全部で2つあり、右に前任のディーネ、その左に私に関する思い出の品々が飾ってある。

 私の方の棚には勝った時の蹄鉄を半分渡して置いた分を盾に加工したものや、私がダービーの時にトレーナー君の髪に差したバラが、ブリザード加工され手のひらサイズのガラスドームに収められていた。

 

 彼女と画面越しに出会ったのが2年前の6月。随分と年月が経過したものだ。

 譲れないものがあって喧嘩もしたり、子供っぽいやり取りをして遊んだりもした。最初は特別という意味で大切だったけれど、今は傍にいて当たり前の存在という意味合いの大切さに移り変わっている。

 

 

"――関係というものは月日が経てば変わると言うが……――"

 

 


【マエツニシキ、短距離マイル路線へ】


 

 今朝見たこの新聞のタイトルを見て、思わず2度見してしまった。

 いつもならレース前で高揚している私の気分が下り坂になったのもこれが原因だった。

 同期でデビューし、弥生、皐月、ダービーと激しく火花を散らしてきたライバル『マエツニシキ』が路線変更してしまったのだ。距離適性を考慮して今年から整備された短距離路線やマイル路線に移ったという。

 

 私に本気で向かってくる数少ない同期だった。そのことがぽっかりと胸に穴をあけた気分にしてくれる。心の中に鈍い色の空が広がり、見上げればポツリポツリと水滴が顔に滴ってきそうな――。

 そんな本音を理想像側の自身の魂は『見せるな』とささやいてくる。それに応え、溢れる何とも言えない感情を握り潰す様に手元のホタテクッションを抱きしめた。

 

 すると――。

 

『――――! 』

 

 ぎゅうぎゅうに潰されたホタテクッションが、私の暴挙に対して叫んだわけじゃない。

 なんというか、声にならない引き攣ったような音が風呂場から反響してきた。

 何事かと思って両耳が驚きに跳ね上がり、勢いよくリビング入り口を振り向く――。

 

『――どうしようっ』

『ヤバイ。どうしよう、増えてる……どうしよう! ……食べ過ぎちゃった!』

 

 足音がその場でくるくると旋回しているような距離のリズムを刻み動いている様子が分かる。

 今の言動から察するに恐らく体重が増えていたのだろう。酷く動揺し、落ち込んでいる気配が聞こえすぎる両耳から手に取るように察知できた。

 

 おそらく夏合宿の間殆ど外に出られなかったのが響いたのだろう。

 しかしトレーナー君は普段あまり食事量が多いわけでない。寧ろ食べなくなってしまう事の方が多いのに太る方が私には珍しかった。

 

 『 嗚呼ァ! ×××((名前))(ピ―)kg微増です。絞りきれてませんとかシャレになんないよ! もう、ヤダぁ!』

 

"――…………――"

 

 彼女はまた声にならない喉の音と、しゃがみこんだような物音を響かせた。

 私もまた心の中で"この空気は一体なんだ"と、言葉にならない謎の虚無感に支配される。

 

 先ほどまで懐かしい思い出や、同期に思いを馳せていたというのに――。

 

 適当な所まであきれ果てた後、ふと微笑ましさが込み上げてきた。美も富も能力も、完全無欠ともいえる存在の彼女が凡ミスをして慌てふためくなんて。可哀想だがそんな様子を覗いてみたい気持ちもある。

 

 私の空気を完膚なきまでにぶち壊したトレーナー君が、そっと浴室から出てこちらに向かってくる物音がした。彼女の足取りは通知表がオール2のアヒルの行進だった学生のように、ひどく落ち込んだような気配を纏っている。

 

 先程地獄耳がとらえたあの一連の流れはあまり聞かれたくない事だろう。そう思った私は知らんぷりをしてテレビを見ているふりをする。

 リビングに戻ってきた彼女はダイニングキッチンの冷蔵庫を開けた。そのタイミングで彼女の方を向き、『おかえり』と声をかけた。

 

「ただいまー……。ルドルフも麦茶飲みますか?」

「頂こうか。随分元気がないが、どうしたんだい?」

「んー……まあ、ね? その、調子に乗って食べ過ぎました……」

 

 トレーナー君は目を泳がせつつバツの悪そうな表情を浮かべ、俯き、液体を注ぐ音を手元に響かせつつ正直に答えた。まあアレだけ騒げば私が聞いていると思って誤魔化さなかったのだろう。

 

 髪をおろし、いつもの白いナイトウェアワンピ姿のトレーナー君が、手早く麦茶を用意して戻ってきて私の左隣に腰を下ろした。そして目の前のテーブルに氷の音をカランと響かせてそれらを二つ置く。

 

「それはまた……。深刻な問題だ」

 

 プライバシーに配慮してすっとぼける私をよそに、憂鬱そうな空気を纏ったトレーナー君はソファーに立て掛けてあった、牡蠣のむき身クッションを軽く抱きしめる。

 

「そうなのマズすぎます。という訳で、私も明日から走っていいですか? ウォーミングアップとか邪魔にならない時に」

「構わないよ。しかしそんなにいう程食べていたようには見えなかったが……」

「うーん。多分不規則な生活と夜遅くまで作業してたので、口さみしくて食べたものがじわじわ来たのかもしれません」

「なるほど。それならまあ――わからなくもない」

「不甲斐なくてすいません」

 

 昨年のオープンキャンパスで『すみません、すみません、ああ。すみません!』と、滅多矢鱈に謝っていたウマ娘を思わず思い出してしまう程に、トレーナー君はしょ気ている。何かフォローしてやりたいが、下手に何か言うと余計に状況を悪化させてしまうかもしれない。それなら彼女の悩みを解決する手助けをする方が無難だろう――。

 

「大丈夫だ。走ればすぐ落ちる。こんな時間だしそろそろ寝ようか。明日は早起きして涼しい時間から慣らしていこう」

「――起きれますか?」

「全く君は私に気を使わせておいて、またそういうことを言うんだから!」

 

 折角気を使ったのに余計な事を言い始めた私は軽く彼女を嗜める。今みたいに歯に衣着せぬ辛辣な突っ込みを入れてくるようになったトレーナー君との距離感は、出会った頃よりもずっと近い。

 そしてこの学園で最も親しく、唯一振り回せる存在となった彼女に手を差し伸べ、引いて立たせる。

 彼女は破顔一笑を浮かべ、いたずらっぽい雰囲気を漂わせた。

 

「突っ込み役としてはついつい! ごめんなさい」 

「イタズラがすぎないようにね? 今日は私が押しかけた側だから洗うよ、君は先に歯磨きを」

「ありがとうございます。では、お願いします」

 

 トレーナー君から空っぽになったガラスコップを受け取り、先に寝支度へと向かわせる。

 

 コップを洗って水切り籠に干し、テラスに繋がるカーテンを閉めようと窓に近づいた。

 閉めきる前に見上げると、満月が星空の中点に差し掛かっているのが見えた。

 

 曇り稍重であった私の胸中は、すっきりとした心模様へと変化していた――。

 まるで目の前に広がる初秋の空に浮かぶ月に照らされたかのように。

 

 

  ◆  ◇  ◇

 

――20××年+1 9月30日 ――

――中山レース場 シンボリルドルフ控室前――

 

 緊急時のため打ち付けられた蹄鉄の音をカツカツと響かせて廊下を歩く。

 中山レース場のバックヤードを通り私はルドルフの控室を目指していた。右手には買ってきて欲しいと頼まれた生徒会へのお土産と、レース後に必要なものが入った袋をひとつ下げている。

 そして服装はいつものシニヨンヘアーとスーツといったところ。

 

 普段通りだ。だが、いつもと違うのは今日はGⅠではなく『GⅢ セイクライト記念』で、ルドルフは久々に体操服姿で挑むことになる。

 

"――しかし、凱旋門を視野に入れてるのに何でセイクライト記念なんだろう?――"

 

 このレースへの出走は彼女の希望だった。何度か本当にいいの? と聞いているけれど彼女はどうしてもだという。そしてその理由は本人も何故かわからないという。

 

 以前の担当でもこんなことは日常茶飯事だったので今更驚かない。彼女たちには譲れない何かがあるようで、その結果そのウマ娘の思考回路上あり得ないローテーションが提案されることがある。

 

"――元居た世界とは条件が違うし、行けるとは思うけど……――"

 

 前に居た世界の『馬』は輸送の問題が障壁のひとつだと言われていた。しかし、名前や性質の似たウマ娘は環境の変化に非常に強い。こんなローテーションをこなすなんて『馬』では絶対に無理だ。

 何はともあれ本日のレース後のフルメディカルチェックの結果次第。ダメージ回復を早める術は十分すぎるほど持ち合わせている。――健康面は何とかなるだろうとは思いたい。

 

 来月10月7日は『凱旋門』――世界最高峰クラスの国際徒競走の一角だ。前走のキングジョージを勝ち抜いたことで、フランス側から是非にとも招待状が贈られている。ヨーロッパ勢は私たちを迎え撃つ気満々といったところなのだろう。

 

 

 そうこうしている内に目的地に到着して控室のドアを開けると、経済雑誌に目を落としていたルドルフが私の方へ振り返る。

 

「おかえりトレーナー君。お土産は買ってきてくれたかい?」

「ばっちり。これを副会長ふたりに渡して、ライブ後すぐにフランスに飛ぶけど忘れ物はないですか?」

「問題ないよ。今日のレースをしっかり勝って、好調を維持しつつ勝負といこう。ファシオからも再戦を挑まれたからには受けて立たねばな」

 

 前回死闘を繰り広げたファシオも今回の凱旋門賞に登録していた。レース後に連絡先をルドルフと交換してメールを交わす程の仲ではあるものの、ライバルとしてしっかり意識してくれているようで会見では最も強敵として私達の陣営を名指ししていた。

 

 これにはルドルフも大変満足だったらしく、例え全員にマークされたとしても、全て撃破してやると意気込んでいい感じにやる気が出ている。そんな風にみんな青春しているなって所がちょっぴり羨ましい。

 

 

「そうですね。厳しいローテですが、なんとかサポートしてみせますよ」

「任せたよ。前任が何度も月4回出走を決めても、故障から守り切った君とならきっと大丈夫だ」

「そうはいっても無茶なんですから、ほどほどにしてくださいね。今回だけですよ、今回だけ」

「それには同意はしないけど控えるよ」

 

 ルドルフはそんな予防線を張った。私も言いたい放題言ってるけど彼女も私に対して思う事をはっきり言うようになったなと感じていた。

 その証拠にルドルフは私に話しかける時に腕を組まなくなっており、ごく自然体で話してくれている仕草がふたりでいる時には目立っていた。

 

 その信頼に応えたい――。それが貴女のトレーナーとしての誠意だ。

 

 

  ◇  ◆  ◇

 

――20××年+1 9月30日 15時30分――

――中山レース場 正面スタンド前――

 

 精神統一のルーチンでバ場の一点を見つめた後、瞳を閉じて呼吸を整えてまた見開く。

 視界の先に広がるのはくすんだ苔のような色合いの芝がびっしりと地面を覆っている。皐月弥生の茶色く生えそろっていなかったバ場とは違い、路面コンディションは最高だ。

 

 前髪を揺らしそよぐ風からは、まだ夏の余韻がする。しかし見上げると青い空の草原を、真っ白な羊の群れが走り抜けていくかのように、丸いウロコ雲が連なっている。そしてその青は高く、高く、どこまでも蒼穹が奥まで続くような少し季節の深みを感じられるもので、思わず手を伸ばしたくなる。

 

『さて中山第11レースは芝の2200m右回り外。ラジオジャパン賞セイクライト記念GⅢ――初代三冠ウマ娘、セイクライトの祝福を受けるのはどの子だ!』

 

 アナウンスが始まった事を両耳がとらえる。今日は一風変わった面白い実況をする男性アナウンサーではなく、若い女性が担当しているようだ。

 

『3番人気はこの子! ベルパレード! ここで勝ち星を上げ秋の上りウマ娘となるか!』

 

 弥生賞からの付き合いのベルパレードが先にゲートへと入っていく。そして次に入場したのは――。

 

『2番人気 イグニカメルン! 今日は一段と輝いて見える彼女の末脚は火を噴くのか!』

 

 こちらも皐月賞、ダービーでも一緒だった。見知った出走者も大分増えており、この中で一番古い付き合いになるのは、サウジアラビアRCからの出走者だろう。

 

『1番人気はシンボリルドルフ! ヨーロッパ中距離王決定戦、キングジョージを勝ち抜き玉座を手に入れ現在無傷の7連勝! 一体この子を誰が止めるのか!!』

 

 本日は5枠出走の黄色い体操服とゼッケン姿。勝負服を着てこそはいなくても、立ち振る舞いを意識しながらゲートに入る。――私にいつかついて来てくれる者たちが見ているのだから。

 

 厳しくもきっと今もどこからか見守ってくれている両親。

 そして、人も財も惜しまず投入してくれるトレーナー君。

 

 私を応援し、支える者たちのため――。そして学園を去っていった者たちの励みにもなれるよう、全てのウマ娘達にとって何らの道となれるよう。

 

『ゲートイン完了。10名の出走準備が整いました』

 

 そんな自らの願いを叶えるため、

   ――走ろう。自ら望む未来を目指して。

 

『スタートです! 横一線の状態で好スタートをきったが、抜けてくるのは最内1枠1番快速娘ルミナスラッド! 1バ身リードいきなり飛ばしていく!』 

 

 1枠のルミナスラッドが視界右手から一気に抜けていき、私の両サイドはほぼ横並び。全員私を意識してるだろうから我武者羅に逃げはしないだろうと、トレーナー君が言っていたことを思い出す。

 

『外から7枠7番ベルマッハ上がって2番手で追走!』

 

 左の視界外から上がっていくベルマッハを先に行かせる。私はこの2人を後ろにつき道中を3番手で追走する事に決めた。背後にはピタリと影の様に張り付く何名かの気配がしている。

 きっと私をマークするつもりなのだろう。ここまでは想定済みだ。

 

 2と書かれたハロン棒が視界の横を通過。

 ここから右上の角を少し押して潰した玉子焼きの断面のような台形――外回りの上り坂が始まる。途中インターバルはあるものの、上りからの下りの続くここで仕掛けるのは愚策。ポジションを狙っていくならば向正面だ。

 

『ルミナスラッドは4バ身後続を突き放して先頭のまま第1コーナーに突入!』

 

 残り1800。坂途中の短い水平部からさらに登りに入ったのを接地した靴底の感触が知らせる。

 タイムは24秒。トップと私の距離は10バ身――その真ん中あたりにベルマッハ。そして後続は私の後ろで団子状態で待機している。見かけ上かなりの縦長だがそこまで飛ばしてはいない。

 

『1番手から5バ身離れてベルマッハ2番手追走。そこから5バ身離れてシンボリルドルフ3番手。後続は団子状態だがすっきりした先行集団』

 

 残り1600。タイムは37秒弱。12秒刻みでルミナスラッドもきちんと様子見して走っているのだという事を確信。足元はほぼ水平となり――丘の頂にたどり着いた。皐月弥生の左右対称な設定時と違い、台形左上の頂点となる第2コーナーのほぼ中央を目指す直線部が続く。

 後ろは私を警戒して脚を残しているため無理に出ないで、肉食獣が姿勢を低くし獲物までの距離を詰めるような心境でタイミングをうかがう。

 

『その外半バ身後ろベルパレード4番手、その内ブロッサムクラウン並んで様子見。その後ろ9番イグニカメルン追走、その内ならんでクラウンパーソロン』

 

 残り1400を通過。タイムは49秒大よそ12秒刻み。先頭からは15バ身程離されている。

 

『殿の3名は前からメグロアーネスト、その後ろフルールラヴァン、最後方はイグニカメルン! さあ2コーナーへ突入です』

 

 視界は右に緩やかに弧を描き旋回。私の前を行くベルマッハが下りを利用して詰めようとする脚色が見えた。それに呼応するようベルマッハの後ろに隠れにじり寄りついていく。

 テンの1000mこと残り1200mの通過は61秒。隊列は縦長だがスローに近い。

 

『向正面ルミナスラッドまだまだ逃げる! 現在リードは5バ身! 2番手のベルマッハ、その真後ろシンボリルドルフ! 虎視眈々と前を狙っているが、その後ろクラウンパーソロンとベルパレードがピタリと張り付いている!』

 

 残り1000m。通過は1分14秒弱。ルミナスラッドは一呼吸入れた。

 後ろが団子だとみて休憩しつつも詰まらせるつもりなのだろう。そんなことは予測済みだ。あらかじめ少し外に出ており、半バ身後ろ側からベルマッハの横を狙ってついていく。

 

 このあとほぼ直線の緩やかなカーブの第3コーナーが待っている。

 第4コーナの曲率を考えればそろそろいい位置を確保したい。

 

『残り800! 第3コーナールミナスラッド前途洋々3バ身! そして後ろからシンボリルドルフ2番手争い前を狙う勢い! その内ならんでベルマッハ! 2名の激しいつばぜり合いが始まった!』

 

 残り600m地点まではほぼ直線だ。

 

 目の前にいるルミナスラッドに並び、第4コーナーでは少し外を回って程よい芝の上で最終直線勝負に持ち込みたい。それを読んでかベルマッハもそうはさせまいと同じポジションを狙い外に進路を出して喰らい付いてくるので半バ身下がり共に上がっていく。

 

『おっと、最後方イグニカメルンが外を回って一気に上がっていくが間に合うのか! 縦長のバ群は団子状態のまま第4コーナーへ!』

 

 殆ど隙間が無い状態で内からルミナスラッド、ベルマッハ、私、そして一気に上がってきたベルパレードの4名による巨大な壁が出来上がった状態で残り400mを通過。

 ベルマッハを僅かに差をつけたと思ったが、食い下がり、勝利の執念を燃やした彼女は差し返してくるではないか! 左の大外をまわるベルパレードも私を追い抜かんという勢いだ。

 

"――闘志に応え全員迎え撃たせてもらおうか!――"

 

 4コーナーをほぼ同じ感覚で全員膨らみながら曲がって、空いた最内にもじっと待っていた後続が突っ込んできたのが視界の端に見える。

 

 ぐるりと前方の景色がまわり最後の上り坂、そして両耳に突き刺さる歓声の嵐吹き荒れる正面スタンド視界にすべて収まった。同じタイミングでスズマッハ、スズパレード両者が直線を向いた瞬間スパートをかける! 私もピッチを上げてそれに応戦しようとすると、気分の高揚か両脚と全身に紫電が走った様な感覚を受けた。

 

 ここでストライドも変えて一気に突き放したい。だがまだだ、ストライドを変えるなら坂上からだろう!

 

『正面を向きまず猪突猛進突っ込んできたのはスズマッハ猛烈な勢い! その外ほぼ並んでシンボリルドルフもつれ合うように残り200を通過! 激しい激突のまま坂を上っていく』

 

 目を見開き残り200手前でまずひとり、ふたりを視界外へと仕留めた。

 歯を食いしばり全身全霊で坂に蹄鉄をグリップさせ叩きつけ、大地を踏み抜くように駆け上がる。

 

『強い強い! 坂を上がり切りシンボリルドルフ独走状態3バ身! 2番手争いは激しい接戦!』

 

 坂を上がり切ったころには私以外誰も居ない景色。念には念を入れてストライドの幅を変え一気にゴール番目指して一直線に駆け抜ける!

 

『シンボリ強い! シンボリルドっ強い! シンボリルドルフゴールイン! シンボリルドルフ無傷の8連勝そしてレコードです! 2着以下混戦の為判定となりました!』

 

 ゴール板を切った瞬間、場の空気が決壊したかのように声援が轟々と降り注ぐ。軽く肘を曲げて身体をスタンドに向け手を振り応援してくれているファンへ応える。

 

 ひとしきりそれが終わった後関係者席をみるとトレーナー君はいなかった。もう準備に行ったのかと思ったら、この音の激流の中でもしっかり両耳は彼女の声を捉えた。

 声がした方を向くと、一般席で以前ダービーを見に来ていた私のファン――トウカイテイオーやそのご両親と一緒にトレーナー君はどうやら観戦していたらしい。

 

 そんな様子になんというか、常に子供らに優しい彼女らしさを感じて微笑ましくなり心も温かくなった。

 

 はしゃぐトウカイテイオーの横で彼女は此方を見て手を軽く振ってから、その場の者に断りをいれ持ち場に戻っていった――。

 

  ◇  ◆  ◇

 

――20××年+1 9月30日 22時――

――成田空港 第2ターミナル4F 某カード会社ラウンジ――

 

 ロビーの特設スペースでメディアインタビューに応え終わった私とトレーナー君は、空港と関係各社の好意で貸し切られたカード会社ラウンジの一角に通された。そしてそこで学園関係者からの見送りを受けている状況だ。

 

 その中には学園関係者だけでなく、トレーナー君が『思い出に』とこっそり招待したトウカイテイオーが、先程から嬉しそうに尻尾を振って私の手を握って頑張ってと応援を送ったあと、トレーナー君の方を向き直った。

 

「トレーナーさんいつも遊んでくれたり、今日も招待してくれてありがとう!」

「娘がいつもお世話になっております。本当に何もかも感謝しても足りません」

「いえいえ。トウカイテイオーさんの財閥スポンサーを務めるジュニアチーム試験、トップ合格おめでとうございます。最高幹部のひとりとしてご息女の今後益々のご活躍を期待しております」

 

 トウカイテイオーはトレーナー君の実家が所有する国内チームに入ったらしく、その話は以前雑談の話題に上ったことがあるので知っていた。あれだけ注射が嫌だと言っていたのにトウカイテイオーは余程私と勝負がしたいらしい。

 

 トレーナー君はトウカイテイオーの保護者との短い歓談を終えると、トウカイテイオーに視線を合わせてゆっくりと言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

 

「しっかり寝て、食べて、練習しすぎない。健やかに成長を積み重ねてトレセン学園を目指して頑張って下さい。データ越しに下部チームの事は私も時々見ていますので、コーチやチームドクターのいう事をよく聞いてくださいね?」

「わわ、バレてた!? うーん、頑張るよぉ!」

「ええ――素質は上位陣でも平均以上。期待しているので身体づくりを頑張って下さい」

 

 トレーナー君は木漏れ日の様に優し気な笑みを浮かべ、期待していると言われて目を輝かせた小さな私のファンの頭を撫でた。それはまるで小さなアスリートの道を祝福するかのようなそんな雰囲気を漂わせている。

 

「驚愕ッ! 一体貴女の守備範囲はどこまで広いのやら……」

「上からの命令もありますし、やるからには根元から耕す主義なので徹底的にやらせて頂いております。勿論ルドルフのサポートを疎かにしない範囲には留めているのでご安心ください」

 

 トウカイテイオーの頭から手を離したトレーナー君は爽やかな笑顔を浮かべた。それに対したづなさんは苦笑いを浮かべ、エアグルーヴは呆れたような表情をした。マルゼンスキーは『十分な備えあれば憂いナッシングね』と今どき風の発言。ブライアンは眠いらしく顔をそらして手を当て、器用に葉っぱを咥えたまま欠伸を浮かべているが、そんな中でも見送りに来てくれたことが私は嬉しかった。

 

 そして今日は変わった見送りも来ていた。

 そのウマ娘の容姿は、濃い赤いマライアガーネットの色合いに似たピンクの虹彩のつり目がまず印象的だ。ふいっと顔をそらせ、少し離れた位置でツンとした雰囲気を漂わせて立っていた彼女がこちらへ移動するにつれ、その綺麗な瞳の中に移る私の姿はどんどん大きくなっていく。

 

 髪型は前髪に炎を逆さにした様なひと房白い毛が入り混じる流星。サイドが内巻きで、後ろ髪は長く外はねで私に似た茶色。そして金色の植物を模した飾りが頭上の右耳を縁取っている。

 

 私とは犬猿の仲といった距離感の彼女が来てくれるのは珍しい上に嬉しかった。そして彼女は腰に手を当てた状態で私の前に堂々と立つ。

 

「なんだよ。ニヤつきやがって」

 

 表情に出ていたらしく、不機嫌な言葉のジャブが私に飛ぶ。トレーナー君が理事長と話をしつつもチラリとこちらの様子を心配そうに伺った。しかし大丈夫そうだと思ったらしく視線を理事長に戻していったのが視界の端に見えた。

 

「君が見送りに来てくれると思わなくてね、シリウス」

「気に入らないアンタの得意顔を焼き付けておこうと思ってな」

「そうか。留守の間学園であまり暴れないでくれよ?」

 

 シリウスシンボリ――。憎まれ口を叩いているが、取りこぼされた者が出ない様目を光らせる心優しい学園の影の支配者だ。以前は面倒を見ている者たちと共にグラウンドを占拠するなど問題行動が目立っていたが、その理由は校則が原因だった。

 規則やぶりに対し制裁は必要だが、以前の校則は反省文を何時間も書かせており、行き過ぎた罰であるという訴えがでていたのだ。確かにトレーニングが出来なくなるほどの罰はどうかと思い変えようと思ったが、きちんとルールを遵守して学園生活を送る側とのバランスを考えると難しかった。

 

「――アンタの事は気に入らないが、そこのお嬢サマのツラを立てて自重させる」

 

 そこで数多の思想、宗教観、文化など異なる国の出身者をまとめるノウハウを持つ、オルドゥーズ財閥幹部でもあるトレーナー君に相談。それから調整を重ね本末転倒となる罰則を短時間で効果的な内容に変更。トレーニングや学業が遅れた者を取りこぼさない様、先の遠征前に強化メニューも組んだ。

 

 そしてさらに英国から帰国後、トレーナー君はシリウスが面倒を見ていた、一部成績最下位者を引き受けて心を掌握。そのことで最近は以前のような抗議活動はしていない。

 

「ありがとう。助かるよ」

「あっそうですか。――勝って帰って来いよ。勝負した時にぶっ潰し甲斐が無くなる」

「勝負しても勝つのは私だし譲る気もない。楽しみにしててくれ」

 

 好戦的なシリウスの事は嫌いじゃない。挑んでくる者が貴重な私にとって、喰らい付き全力で掛かってくる者が居るのは嬉しい事なのだから。

 

「仲良しさんすぎるそこのお二方? バリバリ燃えてるしいい感じなところ悪いけど、そろそろ出ないと時間ですよー」

 

 手をパンパンと鳴らしてトレーナー君が激しく闘志をぶつけあっていた我々を止める。彼女は嗜める様に我々を見る。

 

「おっとすまない! つい楽しくて」

「そんな感じでしたね。貴女が主役なのですから最後に挨拶をして締めてくださいな」

 

 それに頷いた私は改めて来てくれたお礼を述べようと前を向くと、シリウスは驚きに目を見開いていた。それはまるで豆鉄砲を食らってひっくり返ったハトのような表情だ。思わずその珍しい光景に私も興味からつられて目を見開く。

 

「オイ、どこがだよ。今の見てどこが仲良いって判断したんだ?」

「全部です」

「視力検査したほうが良いんじゃないですかねお嬢サマ?」

「両目の視力3の後半くらいはありますから問題ないです」

「へぇー案外いいんだなって、アンタは草原暮らしの部族か!」

「半分アハルテケですしそうでしょうね」

「アハルテケの連中にそんな能力ねーよ嘘つくな!」

「あらバレましたか。でもそういうコトにしておいてください」

「嫌だっていったら?」

「スポンサー権限で却下します」

「なんだそれ横暴じゃねーか」

「権力は躊躇わず振るえというのがうちの家訓でして」

 

 目の前でトレーナー君とシリウスが、まるで某双子のリスによるボケと突っ込みの応酬を連想させる、コミカルなやり取りを繰り広げていた。その様子を見て私以外でもこうなるのかという感想と同時に、胸の内から面白さにくすぐられて笑いが込み上げ溢れてしまった。

 

 どうやらシリウスですら私を振り回してくれるトレーナー君には敵わないらしい。そうやって溢れて止まらない笑いをかみ殺していると、『アンタも笑うな!』と顔を真っ赤に染め上げて怒るシリウス。それ対し『大変失礼した』と返した後皆を見る。

 

 全員に見送りのお礼を伝え4階のラウンジを出る。見送りをしに来た関係者もその後ろについて来ている。そして我々一団を囲む様にオルドゥーズ財閥の関係者と、空港警備がこの場を切り取りながら3Fに降りる。

 チェックインカウンターの並ぶロビーを見回した風景の奥。――離れた場所から私の両親らしきふたりがそっと見送っていた。

 

 しかし私と視線が合うと父からは目をそらされた。母はじっとこちらを見つめている。

 そんな様子は付かず離れず遠くから、あえて厳しくして私の事を常に思い見守ってくれるふたりらしい在り方で、心の奥になにかジワリと滲んだ感情が、自身の鼻をツンとさせる手前まで迫った。

 

「ああ、よかった! 来ていましたね」

 

 そっとトレーナー君が私に聞こえるくらいの声で囁いた。

 

「もしかして君が招待したのか?」

「ええ。貴女とご両親の様子を伺う限り正解でしたね」

 

 花が綻ぶような様子でふふ、とほほ笑む彼女に私も微笑み返し『そうだね。心遣いありがとう』と心からのお礼を告げる。そして両親に視線を戻し、手を振ってからトレーナー君とお辞儀をする。すると2人も返してくれた。

 

 そして外はどんどん冬に向かっていく秋だというのに、何だか春の陽気のように心が温かくなった私は、トレーナー君へ手を差し出し彼女の手を引いて出国手続きに向かう。

 

 手続きを終え一旦振り返る。手を振った後国際線出発出口をくぐり、我々は花の都へと旅立った――。




【史実と違う所】
 凱旋門はいかず国内ルート選択でモデルにしたレースを走ったというのが史実です。負担考えたらそっちのほうが良いし、このレースを書くか非常に悩みました。

 しかし元ネタはレコードですし取り扱わないのは無しにします。某ネコ型ロボット系トレーナー君に頑張ってもらう事にしました。

【変更履歴】
 誤字脱字の変更。ご報告ありがとうございました。

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