IF.皇帝の幻の遠征計画と半人半バのお嬢様   作:なすび。

29 / 46
 お待たせしました。
 ルドルフ視点から始まり、
 ◇◆◇からトレーナー君視点です。

 資料が足りないのでフランスのアレコレは、現代に近い感じとなってます。
 二次創作で出したらアカンそうなのは言い換え仕様です。


『Verre』Recueil de Poèmes-576,1126

 ×し××は ひ××わ×みに そは×ども――。

 

 

――20××年+1 10月2日 午前9時――

――花の都パリ シャンゼリゼ通り――

 

 左に視線を映せば私の背丈を超える大きさの縦長な窓が連続している。そのガラス越しに見上げた空模様は、外に行き交うパリ市民たちのトレンドの変化の様に気まぐれであった。

 

 対面のトレーナー君はいつものスーツ姿に、誘拐対策の変装で琥珀色のコンタクト。そして頭には茶色いボブヘアのウィッグを被って変装している。

 

 私の方はというと、こげ茶の革製パンプスにボトムは黒のスラックス。そこに白いボウタイブラウスをイン。上着には今は食事中なので預けてあるが、アーミーグリーンの折り襟コートをここに合わせている。

 

 さて朝食は何にしようか?

 見知らぬ土地の食事はいつだって好奇心を満たしてくれる。きっと面白い発見があるはずだ。私は心を躍らせながら目の前に畳み置かれたメニュー表を開く。

 

"――『SURIMI』?――"

 

 手に取ったそれには"あり得ない単語"が記載されていた。

 聞き覚えはあるがこれはいったいどういう事だろう? 私は瞳を見開いた後、瞼を何度か瞬いてからもう一度メニュー表を凝視した。

 

 しかしやはり『SURIMI』と書いてある。どうやら幻覚を見た訳ではないようだ。

 

『"SURIMI"って何でしょうね? 前後の文面だとサラダっぽいですが』

『さあ? ……そもそも我々の知っているものなのだろうか? 気にはなるが、これを注文するにはかなりの勇気が必要だね』

『うーん。確かに……店員さんに聞いてみますか?』

『それはそれで旅の楽しみが減ってしまうから待ってくれ』

 

 公共の場という事を考慮し、トレーナー君と私はフランス語で会話のラリーを続ける。

 いつもの私ならば迷わず頼むだろう。だが、今は大事なレースの前でありここは異国だ。しかしそれでも好奇心に任せて頼むか、それとも戦術的撤退を選ぶか悩ましい所だ。

 

 朝の気配が優しく差し込む、丸テーブルにはレストランと見紛うほどのカラトリーのセットが並んでいる。そして対面のトレーナー君はまだ百面相を浮かべていた。そんな様子に私は微笑ましく思うと同時に、実は内心ほっと胸をなでおろしている。

 

 この頃の彼女はよく悪夢に魘されていた。仕事が立て込んでいる所為なのだろうか?

 先月泊まりに来た時も泣いていて、今日もずっと苦しそうな声にならない嗚咽が聞こえた。段々とそれは秋が深まるにつれその頻度は次第に増えている。

 

 理由を知り解決してやれるものならば、そうしてやりたい。しかし、不用意に触れれば真面目な彼女の事だ。きっと私に迷惑を掛けたと余計に悩んでしまうだろう。

 

 私が出来る事といえば、こうして気晴らしに誘うか、泣き止むまでそっと起こさない様に宥めるか。それくらいしかない。見た記憶がすべて残り、忘れる事が出来ない体質故に悪夢を見続けるのはとても苦しい事だろう。

 

 そんな風にトレーナー君を観察していると、ひときわ大きなクラクションが外の道路で鳴った。何事かと思い私は外をちらりと見るが、特に何もなかった。トレーナー君も何事かといった様子で外を見ていたが、彼女もまたメニューとの格闘を始める。

 

 我々がこうして寛いでいるのはガラス張りのカフェテラスが特徴的な老舗で、ここは映画のロケ地にもなっているそうだ。

 今居るテラスの外には広葉樹の街路樹が植わった歩道がある。その歩道に沿っているのが『ジョルジュ・サンクス通り』。さらにその石畳のような路面の通りの向こう側には、某革製品ブランドが、トラベルグッズ専門のなかで世界一の規模を誇る店舗を構えていた。

 

 今後も移動が続くだろうし、凱旋門賞が終わったら覗いてみるのも良いかもしれない。

 

 そしてトレーナー君が掛けている側にこの通りを進み突き当りを左折。

 道沿いに北上すると古くは『La place de l'Etoile』(星の広場)、今は『シャルル・ド・ゴールド広場』と呼ばれる場所へとたどり着く。そこにあるのは今回のレース名にもなっている『Arc de triomphe de l'Etoile』(エトワール凱旋門)

 

 そして凱旋門の南西に5キロ。ブローニュの森という巨大な森林公園の同方位の端に位置するのが、世界一美しいといわれるロンシャンレース場……凱旋門賞の舞台だ。

 

 ――ついに憧れのレースに出場できる。

 

 そんな高揚感がこの国にきてからずっと胸の奥で暴れまわっている。せめてレース前日には収まってくれないと、当日寝不足でなんて事になりかねない。困ったものだ。そんな子供の様に落ち着かない自身の本心を呆れ交じりに鼻で笑う。

 

 そしてほどなくトレーナー君が静かにメニュー表を閉じた。

 

『決めました。SURIMIとやらをを私、頼みます』

『えぇ……それは正気かい?』

『フランスだからきっと大丈夫ですよ。ルドルフはメニュー決まった?』

『ああ、勿論だ。君がSURIMIを頼むなら私も頼もう』

『――ルドルフこそ大丈夫ですか?』

『美食の街だからきっと外れはないさ』

 

 顔を見合わせて笑いあう。

 トレーナー君が『Madame』と呼びかけると、亜麻色の髪の妙齢な女性店員が注文を伺いに来てくれた。

 注文したのは朝のセットメニュー、その前菜に『SURIMIサラダ』。これを2セット。そして飲み物はというと、トレーナー君が『カプチーノ』を選択。私は『エスプレッソ・ドゥブル』を頼んだ。

 

 ――うまうみゃ!

 

 注文を終えて数秒もしない内にトレーナー君の通信アプリLEADの着信音が鳴り、彼女はスマートフォンを開いてそれを確認。そしてニコリと私に向かって彼女はほほ笑みかけた。

 

『シャンティイの施設使用許可。そして午後から校内見学の招待もきています。いかがしましょう?』

『報告ありがとう。是非伺わせていただきたいと返事を出してくれ』

『わかりました。――こちらの中央の景観は広大で優雅と聞きます。楽しみですね』

 

 ――シャンティイ。

 パリから約40キロ北に進んだ位置にある、ニューマーケットと双璧を成すウマ娘が主役の街。その街には超巨大な学園が存在している。

 

『そうだな。学園に近いレース場には博物館もあるという。もしかしたらマハスティさんの写真もあるんじゃないか?』

『ありそうですね。……時間があれば行きたいかも』

『ふふ。なら見学の帰りに見に行こう』

『いいんですか……! ありがとう! 楽しみだなぁ』

 

 10月1日の5時にフランスに入国し、同日早朝にフルメディカルチェックも済ませた。昨日散々ケアしたとはいえまだ2日間の休養期間は経過していない。空港に私の家族を招待してくれたトレーナー君へのお礼もあることだし、それくらいはお安い御用だ。

 

 そうこうしている内に、先に前菜に頼んだ『SURIMI』なるそれが配膳された。我々はしばしその皿を見つめ、『天使が通った』という外国語の表現に近い長い沈黙が流れる。

 

『……』『……』

『……え?』『ふむ、これは……』

 

 白く丸い平皿の上に濃い緑が鮮やかな葉物野菜。細いインゲンマメに玉子、そしてエビに一口サイズに乱切りされたジャガイモとトマト。色鮮やかな野菜たちの頂点へ、鎮座するように散りばめられたソレは確かに『SURIMI』だ。

 

 


【SURIMI】

 練り物=カニカマ。

 『フランスのヤングにバカウケなナウいアイテムなの!』 

 ペンネーム:赤いスポーツカー大好きさんより

 

 スーパーに高頻度で置かれてるフランスの国民食。

 チーズチクワならぬチーズカニカマなどあって、これはこれで美味しい。

 フランスが世界一消費しているらしく、2キロパックとか普通にある。


 

『カニカマですね』『カニカマだな』

 

"――ん? カニカマ、練り物、かまぼこ……――"

 

 私は思案するように腕を組み首をかしげてる間、トレーナー君は小さな白いココットをサラダの上に傾け、ドレッシングを回し掛ける。

 香りからしてオリーブオイルと白ワインビネガーベースのようだ。隠し味に入れてあるのか、アンチョビの癖のある香りが微かに漂ってくる。――美味しそうだ。

 そしてある程度考えがまとまり、頭上の耳が閃きに合わせ大きくパタンと1回動く。

 

『ふふ、蓋を開けたら何ともなかったね。では、シャンゼリゼのニューカマー、カニ風味かまぼこを賞味するとしようか』

『なるほど、新参者とカニカマですね。絶好調で何よりですよ。では、――"いただききます"』

 

 私もドレッシングをかけ、ナイフとフォークで具材を葉物野菜に巻き込み畳んで口に運ぶ。するとまず広がるのが酸味。その次にアンチョビの塩気。そしてカニとエビの旨味。そして野菜を軽く噛めばシャキシャキとした歯ごたえをきちんと感じる。

 

 おっかなびっくりに選んだSURIMIサラダは当たりであった――。

 

 

  ◆  ◇  ◇

 

――20××年+1 10月2日 午前11時――

――シャンティイ郊外 財閥保有装甲仕様リムジン内――

 

 パリを出て両脇を背の高い広葉樹に囲まれた森の中を、車はひたすら真っ直ぐ進む。随分長く走った後、開けた場所に出た――。

 

 車窓の両サイドに流れ続けていた木々に変わり、今度は白い壁に朱やグレーなど、淡い色合いの屋根の建物群が美しい小さな町に出た。レンガ造りの塀や細工の施された柵が美しく、時折屋根の上には煙突も見え隠れしている。ビルのような高い建物はない。そんな西洋の香りが漂うアンティークな街並みが外に広がっていた。

 

 遠くを見れば山などは見えず丘が広がるのみ。その小さな街を通り過ぎて高架をくぐると、家々の間隔が再び広くなる。

 そこをしばらく行くと海外特有の交差点―― 一方通行の周回道路(ロータリー式)の分岐点に出た。その中央にはウマ娘のシルエットを象った黒い看板が配されており、車は左回りに進んで3本目の通りに入っていく。

 

 すると片側が林により仕切られた街に出た――。

 

「右手は学園の森だそうですよ」

「なるほど、通りで木々が生い茂ってるのか」

 

 シャンティイの学園は英国の王立学園に匹敵するヨーロッパ最大クラスの規模のキャンパスだ。

 敷地内には東京ドーム約1498個分――7000ヘクタールの森をはじめ、4キロの直線トラック。トレーニングに最適な白いサラサラとした土のダートコース。草原や巨大な坂のコース他、近代的設備など、選手に必要なものは何でもそろっている。

 

「貸してごらん。私が結おう」

「ありがとう。お願いします」

 

 トレーナー君は間借り先の学園訪問に向け、身だしなみを整え直していた。

 ヘアセットをやり辛そうにしていたので手招きして寄せ、道具一式の入った小さな箱を受け取る。

 

 髪型は……いつものまとめ髪……いや、少し華やかな方がいいだろう。

 宝石をカットして磨くような心持で、暗く深い青の独特な輝きを持つ黒髪を扱っていく――。

 

 こめかみの近くから太めの三つ編みを作り、後頭部まで持ってくる。全体的なイメージはハーフアップで、頭の後ろにバラをイメージした編み込みを3つ作った。

 

 20分ほどかけて彼女の髪をセットし終えると、いつの間にか車は立派な細工のされた大きな門の前で止まった。その脇には警備の詰所のような場所があり、運転手と警備の者が窓を開けて何か話している。

 どうらや目的地に着いたらしい。警備の者が離れ、手続きを終え車はその巨大な敷地の中に入っていった。

 

 再び背の高い森に囲まれた道を進み、そこを抜けると一気にコントラストが明るくなった。噴水とシンプルな庭木と芝。それらが左右対称に配されたフランス式の庭園が、スモークがかった車窓の額縁の中に広がる。――手入れが行き届いたその庭に、私は思わず感嘆の声を漏らす。

 

「凄い庭……これだけビシっとなってると、維持管理が大変そう」

「確かに。ここを手入れするだけでトレーニングになりそうだね」

 

 トレーナー君は目を輝かせ忙しく頭を動かし、一生懸命周りの景色を観察している。これではどちらが引率なのかわからない状態だが、彼女が楽しそうにしているのは何よりだ。そして運転席の後ろにつけられたモニターには車の前から見た景色が徐々に映り始める。

 

 

「城だ! ルドルフお城だよ! お城があります!」

「ふふ、わかったから落ち着くんだトレーナー君」

 

 外観デザインは近隣にあるシャンティイ城を模してあるだろうか?

 曇り空から丁度切れ間ができて照らされた、グレーがかる青い屋根と白い壁が何とも美しい。おそらくルネッサンス形式で建てられているその建物は、ここが学校だと知らされてなければ、誰もが巨大な宮殿だと思い込んでしまうだろう。

 

 沢山配置された窓からは、こちらの気配を察知した影がどんどん増えている――。おそらく学園の生徒たちだろう。

 

 城内の入り口と思われるところから赤いカーペットが伸びており、そこにリムジンが横付けされた。ドアが自動で開き、私が先に出てトレーナー君の手を取り誘導する。

 

 トレーナー君を下ろした後一旦手を離す。それと同時に『わあ……』と感動したような声が彼女から漏れた。

 

 しかし仕事中だという事を瞬時に自覚し、しまったという表情をした。そして彼女は御用聞きにいた運転手に対し『ありがとう。必要があればまた呼びます。拠点待機で』という指示を飛ばした。

 

 少し離れた位置に立っていた初老の見た目のウマ娘が微笑ましさに笑い声を小さく漏らした。

 そのウマ娘は私と同じ"鹿毛"で、上品な身なりをしている。こちらの代表者だろうかと首をひねる前に、手が差し出された。

 

『Bonjour 日本から遥々ようこそ。私はこの学園の理事、Jebel(ジェバル)と申します』

『歓迎ありがとうございます。私は――』

 

 理事長と名乗るそのウマ娘から握手を受け、まず自身の名前を名乗る。そしてトレーナー君をついでに紹介する。するとこちらの理事長は微笑み交じりに眉を下げ、私とトレーナー君を見比べ、トレーナー君とあいさつを交わす。

 

『美しいGrand。才気に満ちた貴女を我が校に迎えられなくて残念です。しかし、マダムシンボリルドルフのように、素敵なウマ娘さんからのお誘いでは仕方ないですね。納得しました』

『えっと――』

 

 トレーナー君は反応に困りながらも社交辞令を軽く返している。今の件は初耳だが、彼女が私との契約を最終的に選んだ事に対し、表情を隠しつつも内心嬉しく思った。

 

 

  ◇  ◆  ◇

 

――20××年+1 10月2日 午前13時――

――シャンティイキャンパス どこかの廊下――

 

"――どうしよう!――"

 

 設備仕様に関する説明を受け、某魔法学園のような巨大な食堂でお昼を取ったのが30分前。そしてお手洗いに行って戻ってきたらルドルフは待ち合わせ場所に居なかった! 彼女は約束を破るようなタイプではない。……何かに巻き込まれたのかもしれないとか、焦りと不安が私の心の中でぐるぐると渦巻く。

 

 そして連絡したくても自分のスマホもどっかに落としたっぽい!

 ……うそん。泣きっ面にハチとはまさにこの事である。 

 

 この現場キャット案件に対処すべく、ビジネスバックに突っ込んでいたタブレットから、スマホの位置情報を確認してみた。

 しかし見つかったその座標はこれまたどんどん動いている! 多分拾ってくれた子がいるんだろうけど、これはこれで困った。

 

 スマホを追いかけつつ、見回しながらルドルフを探しているのが今の状況だ。

 ルドルフが事件に巻き込まれたというのは考え難いし、呼ぶだけなら耳の良い彼女の名前をデカい声で叫べば来てくれるだろう。けどそんなの恥ずかしくてできる訳がなかった。

 

 煌びやかすぎて目が眩みそうな白ベース、金綺羅金(きんきらきん)な廊下を早足に進む。

 その内装はまるでセイクライト記念前にゴールドシップに借りてみた映画、『ぶっ翔ばされて埼玉』のそれにしか見えない。普段の私ならこの宮殿のような校内に突っ込みを入れまくるだろうが、今そんな余裕は全くない。これっぽっちもない!

 

"――嗚呼、もう最悪。なんで、なんでこんな……――"

 

 声にならない喉から絞り出した音に似たものを心の中で響かせる。

 

 そして時折すれ違う学生たちに『Bonjour』と何事もなかったかのように挨拶を交わしつつ、動き回る座標を見ると玄関ホールに繋がっている。

 

 最初に記憶していた校内マップを頭の片隅から引っ張り出す限り、落とし物を届けに教職員の棟へと向かっているのだろう? だとするとルドルフを探す作業と並行できず面倒だ。

 

 そんな私の行く手に大き目の窓がひとつ開いていることに気が付いた――。

 一旦視線を自分の足元に移す。校内が土足可なのもあって靴は履いている。

 窓に近づき下を覗くと芝になっている。植え込みはない。そしてここは2階だ。

 

 外に出たと思われる拾い主の座標を確認するとその位置にはひとりだけ。シンプルなグレースーツを身に纏ったウマ娘が金髪を靡かせ、パッパカと駈足(キャンター)で走っている。持っているのはあのトレーナーっぽい外見のウマ娘だろう。

 

 私はタブレットを鞄に仕舞いチャックを閉め一旦肩にかける――。

 

 飛び降りようと窓枠に手をかけるが……こんな所から出たら『君はお転婆が過ぎる!』とルドルフに叱られる未来が頭によぎった。

 

 窓から降りるのは諦め校内マップを思い出しながら小走りに進む。

 そして外に繋がるちいさな木戸をあけた。金髪のウマ娘が居る方向を確認しながらドアの脇に鞄を置き、姿勢はクラウチングスタートを取る――。

 

 息を吸い込み、吐くと同時に大地を蹴り出す。

 ドア越しになんか聞こえた気がしたけど、今はそれどころじゃない。

 

 ルドルフのようなアスリートレベルの速度は出なくても、私は半人半バ(セントウル)だ。

 荒野だろうが砂漠だろうがどこでも走れるルーツ元の頑丈な身体に物を言わせ、白に近いグレーの石畳の上を全力襲走(Gallop)で突っ切る。コートは入り口で預けてしまっており、今はスーツいっちょ。真正面から冷たい空気の壁にぶち当たって物凄く寒いが今は我慢!

 

 宮殿のような校舎の前を横切るように進む目標との距離は約4ハロン800m。全力疾走している甲斐もあってぐんぐんと距離が近づいていく。

 

 残り100mの距離――私の気配に気づいたスマホを持ってると思われる、癖の強いロング金髪のウマ娘が振り向いた。青い瞳がキラリと反射。その明るいサファイアは驚きに染まる。

 

『そこのMadame! お願いとまって!』

 

 視線を交わしたと同時に叫ぶような声を私は彼女に向けた。すると金髪のウマ娘は大きく耳を動かした後、歩調が緩まり止まってくれた。そして彼女が止まった位置から10m以上、私はオーバーランをしてから停止した。

 呼吸を整えつつ振り返る。するとそのウマ娘は『何事か』といったような雰囲気をまといつつも、私の方に気を利かせて駆け寄ってきてくれた。

 

 金髪のウマ娘はとても大きかった。ゴールドシップよりおそらく一回り大きい彼女のジャケットにはトレーナーバッジも、社員証のようなものも見えない。

 ならば生徒か? とも思った。しかしここの学生は私服登校が許可されているとはいえ、フォーマルな服装をしている子はいなかった。一瞬のうちに色々な疑問を抱いたが、そんな事よりも先にスマホを回収するのが先だ。

 

『Bonjour Madame 私に何か御用ですか?』

『Bonjour 急にお呼び止めして申し訳ありません。スマートフォンの落とし物をお持ちではありませんか? 座標を見たらMadameの位置が示されていて。それ、私のなんです』

 

 そこまで伝えると驚いたように軽く目を見開いた金髪のウマ娘は、私の胸のバッジに視線を落とす。そして納得したような表情と声を漏らした。そして彼女は自身のポケットからスマホを取り出して――。

 

『ええ、持っていますよ。落とし物の"Pantoufles de verre"(ガラスの靴)は合うでしょうか? Cendrillon(サンドリヨン)

 

 差し出されたスマホを受け取り、目の前で生体認証をしてみせた。それが成功をしたのを確認した金髪のウマ娘は、華やかな顔に眩しくなるような微笑みを浮かべる。

 

『ぴったりですね。また校内で落としても、この先にある教職員の受付で落とし物を申請すれば返ってきますよ』

『ありがとうございます。丁度一緒に来てる子ともはぐれていて、同時にタスクをこなしていたのでつい。驚かせてしまって申し訳ないです』

『はぐれた? ……というと、やはり貴女は――』

 

 そう金髪のウマ娘が言いかけた瞬間、彼女の肩越しから聞き慣れた声と、速歩で近づいてくるその声の主の姿が小さく見えた。

 私の視線と物音に気付いた金髪のウマ娘が軽く体を傾けチラリと校舎側を確認し――『お迎えのようだね』と私を振り向かず小さくつぶやいた。

 ルドルフはまず金髪のウマ娘と軽くあいさつを交わし、そしてドアの外に置いてきた鞄を小脇に抱えて持ってきてくれていたようだった。

 

『待ち合わせ場所に居なくてすまない! 怪我人がでて保健室に運ぶのを手伝っていたんだ』

『そうだったんですね。何か理由があるとは思っていましたが、貴女自身の事件とかじゃなくて良かったです』

『ところで――鞄を置いて急いで駆けていくほど、そっちの彼女に何か急ぎの用だったのかい?』

 

 私の返事を聞いて安堵した雰囲気を醸し出したルドルフは、今度は不思議そうな表情を浮かべた。そして金髪のウマ娘と私を見て問いかける。すると、私が経緯を説明しようとする前に、手で制した金髪のウマ娘がルドルフの方を向き――。

 

『姫君はスマートフォンを落としたらしくてね。タブレットから位置を把握し、落とし物を持っているであろう私を追いかけて来たそうだ』

『説明ありがとう。それで既読もつかなかったわけか。君にこそ何もなくて良かった』

『心配かけてごめ――へくしっ』

 

 そこまで言いかけて身体がブルリと震え、それが意味する気配を察知した私は彼女たちから顔をそらしくしゃみを手で押さえて一発。手をハンカチで拭く。

 

『おっとこれは……。一度カフェテリアに戻って温かい飲み物など召し上がられた方がよさそうですね』

『そうしたいのは山々なんですが予定が押してまして……』

『確かにそうだが私は君の体調の方が心配だ。どうしたものか――』

『問題ないですよ』

 

 この後控えている予定は校内見学。――それを何故このウマ娘がそう言い切れるのだろうか? 訳が分からず私もルドルフもキョトンとしてしまう。すると、金髪のウマ娘は微笑んで言葉を続ける。

 

『申し遅れました。私はブロワイエ。日本からのお客様の案内を理事長から任されたここの生徒です』

『なるほど、そういう事か』

 

 ルドルフの耳がダジャレをひらめいた時の様に大きく動き、合点が言ったような様子を見せた。そしてブロワイエはうんうんと頷いて――。

 

『ええ、そういう事です。さあ、お姫様が風邪をひかない内に、少し早めのアフタヌーンティーから参りましょうか。詳しいお話はそちらで』

 

 ブロワイエと名乗った金髪のウマ娘は私たちに向けウインクを投げる。生徒である彼女がスーツを着ていたのは、私たちを出迎えるためであったのだろう。心の中で『ああ。そういう事か!』と疑問が解決した心境をひとりごちる。

 

 ブロワイエはついてくるようジェスチャーをし、先を先導するように歩き出す。ルドルフは私のカバンを持ったまま、『行こうか』といって私を促した。

 

 そして私たちは温かい室内に向け、やや駆け足気味に日本と比べて、晩秋に相当する気配が濃い道の中を戻っていった――。

 

  ◇  ◇  ◆

 

――20××年+1 10月4日 午後22時――

――シャンティイ城付近 コネタべル通り――

――オルドゥーズ財閥チェーン 高級ホテル――

 

 白とやや黄味がかったシャンパンゴールドのソファー、同系色のカーテンで統一された落ち着いた室内にはホログラムの火が浮かぶ白い暖炉が右手に置かれ、暖炉の上には大きな鏡。

 

 通りを見下ろせるバルコニーに繋がる大窓の横には、本物そっくりなヒヨコと牝鶏の石膏像が置かれている。この部屋に来た時ルドルフがこの像があまりにも良くできているからと、何枚か写真を撮っていたのが印象的だった。

 

私たちが座るソファーの前には木目調の薄型テレビが壁に掛けられており、そこからは誰が見る訳でもなくニュース番組をたれ流していた。

 

 3日の騒動の後。校内見学を引き受けてくれたブロワイエが、その後の私達の予定を聞いてちょっとした観光案内も買って出てくれることに。そして私たちはその案内で、シャンティイ城やその周辺のウマ娘の博物館を見て回った。

 

 今朝は軽い調整をかけ、その様子を見る限りルドルフは旅の疲れも出ておらず元気そのもの。

 

 ……今の所あの悪夢でよく見るパターンの兆候は出ていない――。

 

 ――同じソファーの右側にルドルフは掛け、生徒会の業務をテレワークでこなしている。その横で私はドイツ語の本を眺めるふりをし、その胸中に渦巻くものを誤魔化していた。

 

 違反に気を付けながらビタミンの補給。それらの処方許可はきちんと予め下ろしておいた。疲労も数値的に見られないし、グリコーゲン量も今日の直前検査の感じだとしっかり蓄えてある。

 

 凱旋門は中距離だが、ここで勝つには3000m以上のつもりで挑まなければならない。記憶をもう一度読み返しているが、今のところ見落としはないはず。

 

 ――喉が渇いたな。

 

 本をそっと閉じて両手を上げて背を伸ばす。そういえばルームサービスがあったのを思い出した。夕食から時間もたっているし、ルドルフも喉が渇いてるかも。そう考え、私は真剣な顔をする彼女に注文を伺うべくそっと呼び掛けた。

 

「ルドルフ。ルームサービス頼むけど、何か飲みますか?」

「そうだな……コーヒー、いや。今日はココアでいこう」

「マシュマロは?」

「3つで」

 

 部屋に設置された端末でルームサービスを注文する。

 

 それが届くまでの間、もう一度記憶に相違が無いかの確認作業に戻る。

 

 パワーとスタミナの殴り合いがヨーロッパスタイルのレースというのは共通だが、イギリスとフランスでは気を付ける点がまた変わる。洋芝の条件は似たり寄ったりだが、今回は土が違う。

 

 英国は石灰質で乾けば非常に硬くなり、重バ場ではこれまた石灰の所為で水捌けが極端に悪くなる。そして幅広な葉と糸くずの根が水をスポンジのようにため込み、それらが組み合わされば……。

 

 ズルっと一気に滑る。そんな重バ場だ。

 

 対してロンシャンの土には泥が混じっている。イメージ的には田んぼに近い。

 何故田んぼか? パリの地図にわかりやすいヒントがある。

 

 ロンシャンの競馬場はどこにある? セーヌ川の蛇行部――川でU字を描いたど真ん中でしかも元森。なら土はどうなる? 義務教育でナイル川の恵みとは何ぞや? といった話を聞いた覚えはないだろうか?

 

 泥だ。農耕地帯に豊穣をもたらす大地の恵みだ。セーヌ川上流から運ばれてくる、きめ細かい泥が堆積したその上にロンシャンレース場は建っている。

 

 イギリスと違い水を含めばぬかるみ、田んぼに近い泥の混じる路盤となる。

 そして今年の9月~今日まで例年以上の降雨があった。きっと今年は非常にバ場が重くなり、参加者の両脚を深みに強く引きずり込もうとするだろう。

 

 たかがバ場、されどバ場。地質を制する者は世界を制するだろう。

 

 それを不問と出来るほど、絶対的な身体能力があればすべてを解決できる。しかし、走るための理屈はレースで勝つために、尚の事きっちり詰めておかねばならない。

 

 人間の一流アスリートが経験したことが、ほぼない路面コンディション。

 極例として砂利道を何度か練習したくらいで突っ走って、いつもの調子が出せるだろうか? 少し実力劣る選手を用意し、しっかり砂利道に慣らして競争させるとどうなるだろう?

 

 結果は目に見えている。どんなに優れた選手でも、経験の差で格下相手に負けるというケースも十分あり得る。身体能力が拮抗しているならば、なおさら慣れているほうが勝率は高い。

 

 あの旧第3グラウンドにコースを作った意味はそこにある。

 滑りやすい幅広の葉の上を走ることに慣れ、荒れた大地でも走ることを恐れさせない。

 

 怪我をするかもしれないという深層心理のブレーキを外し、ヨーロッパで彼女が本領発揮するには慣れが必要だったから。本能の奥底、深淵からくる恐怖に打ち勝つためには、類まれな負けず嫌いだけでは足りない。

 

 泥に関しては再現度が足りなかったので、雨上がりの河川敷にふたりで赴き散々走り慣らした。

 きっと大丈夫――そう思うしかない。

 

 

 適当につけていた番組の音が電源を落としたかのように急に途切れた。私は何事かと思って画面を見る。

 

『番組の途中ですが、臨時ニュースです。週末の凱旋門賞に――』

 

 ルドルフは『凱旋門賞』という単語に反応して、点けっぱなしにしていたテレビに注意を向ける気配を漂わせた。

 

『出場予定だった英国のファシオ。トレーニング中に右脚を骨折。出走取消となりました』

 

 ルドルフが手に持っていたタブレットをカーペットの上に落した音が響く――。

 レース場に潜んでいたJabberwocky(不確定要素の魔物)の鉤爪はファシオに牙を向いていた。

 

 

「――おくれぬものは なみだなりけり。か……」

 

 想像に難いルドルフの方を私は見られなかった。――どう声をかけて良いかわからない。

 

 同情? 慰め? 憐憫?

 それを向けられることをルドルフからハッキリ求められても居ないのに?

 

 そういったもので他人の本心に触れられる程無粋にはなれない。トレーナーはアスリートの支えにならなければいけない。しかし、安易な慰めの言葉は、誇り高き彼女の魂を尊重すればするほど、戸惑ってしまう。

 

 私には彼女を導く責任がある。

 しかし親でもない、家族でもない。そこをはき違えてはいけない。

 

 けれど理屈だけで動く世の中じゃないんだよ? 感情だってあるんだぞ! 大事なんだよ!

 

 前に居た世界でいう彼女たち『サラブレッド』の脚はガラスによく例えられいた。

 

 それはこの世界でも例外ではなく――無事にキャリアを全う出来る選手は少ない。

 だからって、どうしてこうなんだ。なんでこのタイミングなのよ――。

 

 ルドルフが楽しみにしてたんだよ? あのルドルフが。

 レースが楽しみって、再戦が楽しみって……言ってたんだよ……なのに、なんで……。

 

 運命? そんな言葉で言い切りたくない。

 ファシオの気持ちも考えたら、そんな言い方は出来ない。

 

 彼女たちの勝負にどうして水を差した!!

 理不尽だ。それはあまりに理不尽でしょう!

 

 肩が震えかけるがそれを抑え込む。ボコボコと心の底から湧き上がる、溶岩のような熱を伴う激しい感情。怒鳴り散らしてしまいたいソレらがぐちゃぐちゃに入り混じるものをせき止めるため、歯を自然と噛み締めてしまう。

 

 

 そう暴れまわる私の本心を必死で押さえつけていると、ルドルフはため息を吐きだした後。

 

 ――私の右肩にポンと片手を乗せてきた。震えが伝わらない様にしたかったけど、ビクリと肩が動いてしまった。

 

 観念してルドルフの方を向くと彼女の表情はすこし哀し気ではあったが、それを振り払っていつもの表情にすっと戻っていった。

 

「――……再戦は楽しみだったんだが、仕方ないね……」

「――ええ……」

 

 そういってルドルフは何事もなかったかのように、落としたタブレットを拾い上げた。

 本当にルドルフは強い。――私よりもずっと、ずっと彼女の魂は強者だ。

 

「――勝ちにいこう」

「……そうですね。しっかり休んで、確実に……」

 

 ――何が起きても見守ろう。

 強くなりたくてもまだそこまでは及ばない私だけど。しっかり見守ろう――。

 涙が溢れそうになっても、

   辛くても、

 

  出来ることを精一杯しよう――。

 

 

 

 

 人の夢と書いて儚いと書く、

 

 

       では――

 

 ウマの夢と書けばなんという意味になるのだろうか……。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。