IF.皇帝の幻の遠征計画と半人半バのお嬢様   作:なすび。

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前半トレーナー君視点。後半ルドルフ視点です。


『離別』さらば、"ケンタッキーの我が家"

"――朝が来たら、ルイビルともついにお別れですか。どうしても寂しくなってしまいますね……――"

 

 窓の外を見ると胸中を表したかのような薄曇(うすぐも)り。モヤがかる満月は夜空の中央に差し掛かっていた。1時間ほど前まで粉雪により、グランド全体は白く真っ新に塗り潰されている。

 

 その景色は私の心持の所為か、先行き不透明な私の未来見えてしまう。不安な気持ちを()き消すために出した、ため息が窓へと当たる。それが小さく白い丸の曇りを作り、私はその場を離れた。

 

 寝具を含め荷物をまとめて日本トレセン学園へと昨日既に送ってしまった。今いるのは、モノクロ調に統一している自室ではない。

 来賓用の宿泊室は三ツ星ホテルのような内装であった。今ではすっかり慣れた、アメリカを感じさせる豪華な一室で、日本に飛び立つ前に羽を休めている。

 

 昼間にシンボリルドルフのフルメディカルチェックを行った。そのデータを入れた媒体は、輸送用小型ケースに入れてある。そしてそれは既に先刻、現在室内中央のラグの上に転がる頑丈な黒いトラベルトランクに詰め終えた所だ。

 

 ――忘れ物はない……かな?

 

 日中の窮屈(きゅうくつ)な空気をまとったスーツを脱ぐ。そして肌触りがよい、シンプルなホワイトシルクワンピースに着替える。

 

 その後、室内から繋がる小さな簡易キッチンでココアを淹れた。

 

 白い湯気の立ち昇る茶色いマグカップを手にそっと歩く。そして金のカーテンタッセルでまとめられた、ザクロの様に赤く長いカーテンによって、両サイドを囲まれた出窓に向かう――。

 

 出窓にはそれと一体化している、赤いベルベット素材のウインドウソファーがある。湯気だけを揺らしながら、こぼさないようゆっくりとした動作で、それに腰かけた。

 そしてソファーに設置された、クリーム色の豪華で大きめなクッションにもたれかかる。置いてあったこげ茶のブランケットを、そっと膝へとかける。

 

 (なが)めた窓から見える空からは、ゆっくりと、ゆっくりと……。

 

 また粉雪が舞い落ちていっていた。

 

 

 私の心の景色も似たようなものだった。

 今までの思い出が浮かんでは舞い、そして今見ている雪の様にふわゆらりと沈んでいく。

 

 そんなぼんやりとした気分のなか、

 

  ゆっくり、

 

        ゆっくり

 

 

  思い出の回廊へ

        

     思考を落とし込んでいく――。

 

 

 高校と大学を同時卒業したての9歳当時。ゲートが開きゴールを目指し疾走する"駿馬(しゅんめ)"のように、過去にない速さの年齢でルイビル校に就職した。

 

 誕生日が過ぎて10歳になりたての私は、まずケアスタッフとして経験を積む予定だった。

 

 だが、その初勤務の日に事件は起きた。

 

 まるで今日も明日も平凡であろうと思われる、小さな港町のような早朝のミーティングルーム。

 そこに補給物資を求め、不意打ちに来た海賊の如く現れた"曲がれないウマ娘"ディーネ。

 

 彼女は早めに職場へ来ていた私を抱え、連れ去った。

 

 そしてそのままルイビルの理事長室に駆け込んだ。彼女は私の配置転換を願い、自らのトレーナーにしたいと激しく訴えたのだ。

 

 『私と一緒に冒険への航路を歩んでくれ』

 

 ディーネはその場で行き成り攫ったことを詫びた。そして自分のトレーナーになってくれと、熱烈なアピールをしてきたのであった――。

 

 当時の私はある絶望に飲み込まれていた。

 生きながらに死ぬ。そんな風に腐りかけていた私は、ディーネの姿を見て初心を思い出すことができた。その熱意に負け、私は"曲がれない"彼女のトレーナーとなる事を決めた。

 

 私たちは、世界一周を成し遂げた『黄金の牝鹿号』のような冒険をした。

 そしてその旅路の途中、全てのアメリカウマ娘の夢である、4冠"スーパーエフェクタ"という栄光の称号を共に掴んだ。

 

 しかし、その航海は適度に風のそよぐ、うららかな海ばかりではなかった。

 

 ディーネがダービーでレコードタイムを出した時。

 まるで晴れていた海域に突如襲い掛かったサイクロンのように、私たちへ事件が降りかってきた。

 

 ディーネが急激に強くなった原因は、薬物投与が原因。

 あらぬ疑いをかけられてしまったのだ。

 

 冤罪(えんざい)により一晩留置所で過ごす羽目になったが、すぐに(うた)いは晴れて解放された。その他にも嵐の海に()まれ、叩きつけられる波の水圧で、()も船体も破壊され、もうこのまま沈むのではないかと思うほど、苦しいことも沢山あった。

 辿(たど)り着いた先で財宝を見つけ、二人で手を取り合い、思わず踊すような楽しいことも色々と――。

 

 そしてすべて無事のまま、生涯戦績60戦という途方もない航海を共に乗り越えた――。

 

 あれから月日は流れた。

 去年の6月――シンボリルドルフから連絡が来る少し前。

 ディーネと私の大冒険の日々は静かに終わりを告げた――。

 そして新たな航海相手である、シンボリルドルフと歩むことを決めた。

 

 そんな私は今月ついに16歳になった……。

 

 "再び"大人になるまで、あと4年だ。

 

 息を吹き掛けてココアを一口含んむ。そして転がすように味わう。

 甘い甘い、丸みのある甘みが私の口の中に、温かな思い出が心に広がるよう、ココアの甘みも広がっていく。

 

 甘さへの逃避。その余韻(よいん)が終わると、また現実が顔を出してくる――。私がもっとエゴイストになれるなら、こんな風に苦しまないのかもしれない。

 

 だけど私はその方法を知らない。いや、知りようがなかった。

 

 しばし沈黙ののち、私は窓の外の闇に溶け込む様に目を閉じる。

 

 ――今現在、世間は私を『天才』と呼ぶ。

 しかしこれにはトリックがある。創作のお約束のような展開みたいなそれは……。

 

 

"――私が転生者(生まれ変わり)だから――"

 

 よく知る馬といえば"四つ足で走る馬"だった。

 

 私が存在していた西暦は21XX年――。

 ここより遥かに文明が発展している所で私は確かに生きていた。

 

 『人工子宮』により効率的に次世代が産み出され、科学技術で緻密(ちみつ)に組み上げ設計され尽くしたその世界で、私は『×××××』という名前の医者として生きていた。

 

 その暮らしは何の波乱もない、まさに()ぎの海のような生活で、高望みなどしなければ幸福そのものの人生だった。

 

 しかし、それは……乗っていた列車が事故を起こしたことにより、終わりを告げた――。

 

 痛みが無かった所為(せい)で、私は自分が死んだという事がわからなかった――。

 

 目覚めたときは(まぶた)が非常重く、そして赤ん坊独特の香りがする。

 

 寝起きから覚醒し、何事かと慌てる私の気持ちをいったん落ち着かせる。そして冷静にその香りを辿ると、それは私自身であった。

 

 まさかと思い声を出せばほぎゃあとしか言えない! さらに身体はふかふかした赤い厚手の布にくるまれ身動きが取れない――!

 五感からくる情報と儘ならない身体の状況から、自らの身体がいつの間にか赤子になっていることに気付いた。

 

 そこまで考えてたところで、鼻から空気を吸い込むとツーンとする痛みが走る。そこから『凍死』という2文字が頭によぎる。行動しなければ死が迫りくる。

 

 いつもなら感情制御で頭をクールダウンできるというのに、その時の私は人生で初めてぐちゃぐちゃの脳内を経験した。

 

 恐怖、痛み、理不尽、原始的な怒り。いろんなものが走り抜けていくことに、さらに自分が化け物になったのかと思い、発狂という状況に近いものにななる。

 

 混沌とする自我の激流に私は飲まれた。

 しかし、それでも必死で生きろと私の本能がもがき暴れる。

 

 ――私は一か八かで助けが来ることに賭け、この世界に産声を上げた!

 

 体力が尽きるのも覚悟の上で、言葉にならないその叫びを全身からあげた。

 

 お願いだから助けて、お願いだから。

 

 そんな命乞いを雪空の曇天に向かって全てをぶつけ叫んだ――!

 

 すると……。

 

 しばらくして雪を踏み鳴らし、此方へと近づく足音の気配が。そして誰かが私を抱き上げて顔に触れた。

 

 助かった。

 

 まだうまく開けられない目が疲労感でさらに重いが、何となく開いて私を抱くその存在を認識しようとした。

 

 しかし、生まれて初めて見た、自分以外のその存在に、私はひどく驚くことになる。

 

 ――なぜなら、獣のような耳を持つ女性が、私の顔を覗き込んでいたから。

 

 それがウマ娘との初めての出会いだった。

 

 日本の山奥、望月町という土地で、白真珠のような髪を持つウマ娘に拾われた。それから新たな名前と2回目の生を得た。そして助けてくれたウマ娘の上司にあたる方の養子となり、やがてレースを走るウマ娘の(とりこ)となってゆく。

 

 やがてトレーナーになるという目標を、淡い青写真のような夢として、私の感情に浮かび上がらせた。私に命と優しいひと時を届けてくれた、ウマ娘達に幸せを届けたいと。そう願うようになった。

 

 しかし、一度通った大人へのステップを、再度上るのは面倒だったの。そこで、ある実績を盾に養父にねだって、一緒にアメリカに渡った。そして飛び級を何度も繰り返しながら研鑽を積む日々を過ごし、いつしか私の周りにいた人々は、天才と呼ぶようになる。

 

 しかし、実際の私は前世経験値を引き継いでいる。だから本物の天才ではなく、世界を(あざむ)く『(いつわ)りの天才』だ。2回目の生で得た足し算のような経験を、たった1度の生で得たように見せかけてしまった。

 

 この世界の人類の努力の証をズルい手段で塗り替えてしまった。

 自らの手抜きが浅はかさの罪を犯したのだ。自分が今現在、ある意味詐欺師で、大嘘つきだと気付いたのは就職直後だった。

 

 

 感情制御が外れ、感情を組み込みなおしていた私は、子供の様に思考回路が酷く幼いくなっていた。その所為で深く考えていないことに、やっとその時気付いた。

 

 自業自得からくる自己嫌悪に対し、苦しみあぐねいていた。そんな時、私はディーネと出会い彼女の明るさに救われた。

 

 そして既にやってしまったことは嘆いてもしょうがない。私はその気持ちに区切りをつけようと決めた。

 

 ――そのつもりだった。

 

 開き直ろうとするたびに、誠実さに欠けるのではないか? 魂の奥底の良心が、私の在り方に問いかけるよう、忘れたころにまた自問自答を投げかけてくる。

 

 そのため炭の中で、静かに炎が(くす)ぶるかのように、罪の意識が常に付きまとっている。

 そうして葛藤(かっとう)しながら出した結論は、この世界にパワーバランスを崩さないよう留意しながら貢献し、その嘘を償おうというものであった。

 

"――最後まで名乗るに値する存在でいよう――"

 

 私は前に進むため、(いつわ)りの天才を演じる努力をするという開き直りを、(くす)ぶる気持ちを無視して、無理やりに気持ちの舵を切ろうとしている。

 

 初心に戻りこの世界の方たちのために頑張りたい。そんな風に普段はそうやって気持ちに(ふた)をして、ウマ娘の夢を応援するという夢をまた追っている。

 

 しかし、普通は自我が先で知識は後。だけど私は知識が先で自我が後。

 私の魂は歪んでいた。そんな持病のようなイビツサが、人格の不器用さを招いていた。そしてふとした時にその欠けた部分は顔を出す。そして開き直ったはずのそれに対し、自己嫌悪に駆られていく。

 

 全く以て矛盾の(かたまり)。嫌になる。

 何の薬にもならないから、一旦それについて考えるのはもうよそう――。

 

 ココアを一口飲んで、そのゆれる液面を眺める。冷めてきたそれは、もう白い湯気を立てていない。

 

 

 そして、私が偽りの天才になったこと以外に、一番大きく変わったのは……。

 

 『私が人類だけど人間じゃない』という事実――。

 この世界には3種類の人類がいる――人間とウマ娘と"セントウル"だ。

 


 

【セントウル(半人半バ)】

 新人類。人間の外見でウマ娘の身体能力を引き継いだ集団

 何故そう呼ばれるようになったかは現在では不明


 

 ウマ娘からはウマ娘が最も産まれやすいが、人間の男女も産まれなくはない。

 その特性が【セントウル】を産み出した。

 

 【セントウル】のはじまりは紀元前の草原だ。

 

 人間とウマ娘が共同生活を始めていた。そしていつしか、ウマ耳と尾のない『ウマ寄りの美しい容貌』と『身体能力』をもつ新人類【セントウル】が発生した。

 

 一般的に【セントウル】はシマウマ娘やロバ娘、ポニー娘などと生活圏が近い『遊牧民』など『草原で暮らすもの』に多い。それぞれ混じり合うウマ娘の身体能力や、『耳と尾以外の外見的特徴』を引き継ぐことがある。

 【セントウル】とされる基準はウマ耳や尾のない人間 の外見で、一定以上の身体能力を有するものが【セントウル】と認定される。『身体能力』が『人間』ならば『人間』とされる。

 

 私は『独特な(きら)めきを持つ髪』と『エメラルドのような瞳』を特徴とした、中央アジア系の軽種系『アハルテケ』のウマ娘が由来だと遺伝子鑑定結果が出た。アハルテケから派生した【セントウル】は、瞳の特徴から【スマラグディ(エメラルド)・セントウル】と呼ばれている。

 

 大きな窓ガラスの方に顔を向けると、深い緑の宝石のような双眸(そうぼう)、そして独特な髪の(きら)めきが映り込む。それらは私の中に流れる血が人間でもあり、ウマ娘でもあることを主張している。

 

 あの日から、あの事故から何もかもが変わってしまった。

 その変化により得たもの(主張の強い自我)もあり、失ったもの(安穏な日々)もある。

 

 管理が当たり前の世界から自由な世界にやってきて、最初こそは定められた道など無いことが異様にも感じた。

 

 いきなり目の前に指し示されていた道筋全てが消えたのだ。そのかわり目の前に広がったのは、いつ深みに嵌るやもわからないまま、夜道を手探りで這いまわり進むような人生だ。――初めて知ったレールのない生き方というのは、ただただ恐ろしく戸惑ったこともあった――。

 

 そんな私の胸中を(いや)してくれたのは、この世界に広がる全てだった。まるで満天の星空のような無数の命の輝き。心の中心に根付き温かみをもたらしてくれる『絆』にあふれたこの世界の情景――。

 

 それらはとても、イビツな私の心を通した目には美しく映った。

 

 生存戦略のみを完全に優先する方に(かじ)を切った前の世界にはない、余裕に満ちたこの世界の事を今はとても気に入っている――。

 

 私は物思いから現実に思考を戻し、すっかり冷めたココアを一気に飲み干した。

 

   ◆  ◇  ◇

 

「――随分目が()れているようだが、大丈夫かいトレーナー君?」

 

 昨晩ベッドに入ったあと、結局私は疲れるまで泣いてしまっていた。長年家族のように過ごした、学園の皆との別れが迫るという事実。それを意識したら、急に胸が締め付けられるような、そんな激しい痛みを(ともな)う寂しさ感じてしまったから――。

 

 朝起きて重たい(まぶた)の感覚を受け、急いで飛び起きて室内にある壁掛けの鏡を見る。 

そして案の定、(まぶた)()れあがっていた。

 

 (あわ)てて冷やしてはみたが手遅れ。このひどい状態の私の目元を、ルドルフに指摘されてしまい、恥ずかしいやら、情けないやらで気分は最悪だ。

 

「見送りで涙とか見せたくないので先に泣いておいたんです。やっぱり思い入れはあるので……」

「そうか……。あまり無理はしてくれるなよ?」

 

 ルドルフは私のそんな様子を酷く心配そうにしていた。

 

"――こんなにも情けない姿を晒してごめんね――"

 

 そうこうしている内に、迎えの黒いリムジンがエントランスに入ってきた。

 

 ――ついに巣立ちの時がやってきた。

 

 動じないようにしている。しかし、本音は今まで過ごした親元を離れる鳥が、何度も何度も、巣や親元を振り返っているような、そんな気持ちだった。

 

 『元』となってしまった担当ウマ娘ディーネや、ルイビルの理事長や面々に別れと心からの感謝を告げる。その後車まで敷かれた、赤いカーペットの方に向き直ると――。

 

「――行こうか、トレーナー君」

 

 寂しさに染まっている心に、優しく、あたたかな風がそよぐよう、語り掛ける声の主はルドルフだった。彼女は私の前に自身の片手をそっと差し出してくれる。

 

 今口を開くとそのまま感情の堰を切り落とし、更なる醜態(しゅうたい)を招く気がする。差し出してくれたその優しさに、甘える形で無言のまま頷いて返事をした。

 

 そうしないと、

 

 

 

   この感情に、耐えられそうに、  ないから――。

 

 優しく手を引かれながら迎えの車へ。エントランスの向こうの雪景色と、鮮やかなコントラストを成した、紅いカーペットの上を歩いてゆく。

 

 新たな旅の入り口である車のドアがゆっくりと開いた。

 

 秋川理事長、ルドルフに続き私も静かに乗り込んで行く。

 車内の最後尾。横並びの席のうちの窓側の席にルドルフに促されるまま、膝から崩れ落ちそうな身体を御しながら静かに座る。

 

 そして、この学園での思い出の区切りを示すかのように、ゆっくりと――ドアが閉った。

 

 車輪を静かに回しながら、リムジンは向かうべき先に進んでいく。

 そして最後の思い出の風景写真のように、車窓に収まったルイビル校の景色に私は自然と目がいってしまう。

 

 流れ戻れぬ時のように過ぎていく雪の積もった学園。心にあふれる思い出の光景から、私は目を離せず段々とまた抑え込んでいた気持ちが暴れ出す。それはまるで満水のコップの(ふち)のように、目頭や胸中へと湧き出ていた。

 

"――だめだ、泣かないとしているのに……目で追わないとしてるのに! ……見てしまう! 肩も震える!――"

 

 こんな未熟な様をルドルフや秋川理事長に恥ずかしくて晒せない!

 堪えようとはしていた。だけれど……!

 

"――また泣いてしまう!――"

 

 日本へ行くのが嫌なわけじゃないのよ。

 けれども溢れる感情や胸の痛みが止まらなかった。前世でも人工子宮から産まれ、教育プログラムを受け、家族というものはおとぎ話でしか知らなかった。

 

 しかし今は違う――養父という家族ができて家族のよさを知り、ルイビル校で出会った様々な仲間からは、"群れる"ということの良さを知ったから!

 そんな自分の内から(あふ)れ出てきている感情は、嵐の中での取り舵のように制御を失いそうになる! そんな自我をどうにか抑え込もうとしていた。

 

 なんとかかんとか攻防している内、学園が完全に見えなくなった頃――。

 

 ふいに後ろから優しく両肩を引かれた。そのまま引き寄せられた先に収まり見上げると、私を抱き止めているその温かい腕が、ルドルフのものだとわかった。

 

「泣きたいときは、泣くのだッ――」

 

 私は今ルドルフに軽く抱きしめられて見えないが、背後で声の主の秋川理事長が鼻を啜るような音を立てている。

 

「我々と行くのを嫌がってるわけじゃないのはわかっている。君にとって大切な仲間のだろうから、辛くて泣くのは普通のことだ。――だから、大丈夫だ。そのような事で失望したりなんかしない」

 

 頭上からふってくるはルドルフの、なだめ言い聞かせるようにゆっくりで――私の寂しさにあふれる胸中を優しくなでる様な優しい声色。

 彼女は私を大切なものを扱うかのように、優しく抱きしめている。もう片方の手で髪をなでる。

 

 その手から伝わる優しさに、抑えていたプライドの堰が決壊した。別れの寂しさが吹き出した感情に何もかも押し流されてゆく。

 

 情動が作る濁流(だくりゅう)にのまれ溺れないようルドルフの腕の中で彼女に縋りつく。

 

 そして泣いて泣いて――泣き疲れるまで泣いて、泣いて、泣きじゃくった――。

 ルドルフはそんな感情に流されている私を、その激流から守るかのように黙ってずっと抱え込んでくれていた――。

 

   ◇  ◆  ◇

 

 最寄りの国際空港がトラブルにより使用できないようだ。急遽(きゅうきょ)財閥側が片道1時間ほどかかる空港から、日本へ帰るためのチケットを用意してくれた。

 

 仲間との愛別離苦(あいべつりく)の感情に溺れていたトレーナー君は、泣き疲れた彼女は私の腕の中で静かに寝息を立てている。

 その様子は、感情の激流からやっと川岸に流れ着いたような。そんな安らかな表情をしていた。

 

 車窓の外から目が離せなくなっていた先刻の彼女の姿は、とても切なく悲しげなものだった。幼いころからずっと過ごしてきた地を離れるというのは誰だって寂しい。

 見守っていた私もつらくなり、プライドを保とうとしていた彼女の意向を無視し、本心をさらけ出させた。

 

"――これでよかったのだろうか。……失態に落ち込まないといいのだが――"

 

「総帥からは養子としてきちんと可愛がられているとはいえ、やはり長年住み慣れていては寂しいのだろうな」

 

 ぐるぐると悩み始めた私の思考を中断させたのは理事長だった。彼女は子供を見守るような視線を宿し、こちらを見つめている。理事長は先ほどまで、トレーナー君が涙を流す姿に心を痛ませもらい泣いていた。

 

「……そうですね。そうかもしれません」

 

 (きぬ)のような手触りのトレーナー君の髪を時々撫でる。すると時折身じろいだり、すぐったそうな仕草が見られる。

 

 泣き疲れてる彼女はトレーナーで、私はレースを走るウマ娘(アスリート)。私を支えるのが彼女の役目。故に、先程の様に未熟にも取り乱すようなことは、厳しい者が評価するならば即日落第ものの減点ものだ――。

 

 ――しかし。

 

 彼女も私もそれぞれ心を持ち生きている。それを忘れてはいけない。

 

 濃い血の繋がりの支えもなく、私と歳がひとつ程しか変わらない。そんな彼女がどれだけのものを抱えているか、私にはまったく想像がつかない。

 破竹の勢いで我々を含む人類の記録を破りながら歩んできた道は、決して平坦ではなかっただろう。歩みつかれる事もあっただろう――。

 

"――そして、別れが辛くなるほどそれだけウマ娘たちを深く愛せるならそれはそれで情が深く『ヒト』らしくていいのかもしれない――"

 

 このまま起きなければ、トレーナー君を抱えて帰りの便まで運ぼうかと思ったが、それはやめた。トレーナー君の新しい家となる我が学園へと旅立つ前に、育っ た 故郷(ケンタッキー)の風景は彼女も見たいだろうから。

 

 新たな航海への旅路の幕開けとなる空の港まであと20分。

もう少ししたら私の腕の中で眠る君を起こすとして……。

 

"――いましばらくは羽を休め、ゆっくり休んでくれ――トレーナー君――"

 

 やっと見つけた宝物のような彼女を落とさぬよう、大切に、大切に、落とさないようそっと腕に抱き直した――。




 実在のアハルテケ種で一番有名な黄金の毛並みですが、実に様々な毛色があるそうです。

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