IF.皇帝の幻の遠征計画と半人半バのお嬢様   作:なすび。

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 大変お待たせしました。
 84年凱旋門賞にルドルフがいたら? というIFです。

 雰囲気だけのプログラムはこちら。
 コースもザックリイメージ。

【挿絵表示】

 発走時刻、枠番などは映像資料から。道中も勝負服からの目測仕様。
 いつも通り二次創作だとアウトー! なのは全部言い換えます。

 ルドルフ視点からはじまり
 ◇◆◇から◇◇◆の真ん中がトレーナー君視点です
 レース開始からはルドルフ視点です


『Sire X,1936-1957』Le coeur hérité【前編】

 ぬるま湯に浸かっている時のフワフワとした感覚。意識が水底から浮上するようはっきりしはじめ、見知らぬところにいると気付いた。

 

 ――恐らくこれはあの時と同じく、"夢"なのだろう。

 

 英国のレース前に見たものと同じく、モノクロの景色が広がっていた。

 

 周りを観察するようゆっくりと見まわす。

 すると昔のヨーロッパ紳士(しんし)淑女(しゅくじょ)恰好(かっこう)をした、黒いシルエットだけの者たちが活気づいていた。彼、もしくは彼女たちは新聞を片手に謎の言語で話したり、優雅にお茶を(たしな)みレース場を満喫している。

 

 そして新聞売りのような影が気さくなジェスチャーの後、私に大学ノートサイズ紙切れを渡した。その紙切れは不可解な文字の羅列(られつ)のレースプログラムだった。かろうじて読めたのは『Grand Prix de Paris(パリ大賞典(パリ大賞))』というレース名。そして平地で距離が3000という内容だけ――。

 

 『パリ大賞典』――ある大事件が起きるまで、このレースがヨーロッパ最大級の重賞レースだった。

 

 ここは恐らく過去のロンシャンなのだろう。

 夢は現実に見たものを映すという。昼間シャンティイ校の理事長、Jebel(ジェバル)さんから、彼女の『ひとつ上の先輩だったウマ娘』について、思い出話をして頂いたからかもしれない。

 

 出走者一覧を見るとやはり読めない。そして何故だかここに来てからずっと……花火の後に感じる火薬の臭い、鉄臭さが風に乗って(かす)かに(ただよ)ってくる。

 

"――折角のレースだ。プログラムが読めたら嬉しいのに――"

 

 違和感しかないその中で、私は暢気(のんき)にそんなことを考えていた。

 

 すると――紙の上の文字が風に吹かれた羽のように、宙にバラバラっと浮かびあがった。また同紙の上に舞い落ち組み替えられる。そして『Noir comme un corbeau』( カラスのように黒い )という意味のフランス語が浮かび、また読めないレースプログラムへと戻っていく。

 

「……何なんだ? 選手のあだ名か何かか?」

 

 ――Est la bonne réponse(正解です。   )――

 

 また文字が浮かんで組み替え戻る。

 

 会場のどよめきからレースが始まる気配を感じ取り、正面のターフへと視線を向ける。そこにはゲートではなく、胸くらいの高さに張られた(ひも)の前に並ぶウマ娘達が居た。

 

 ターフ両端の支柱に沿って(ひも)の両端が上がり、レースが始まった。

 正面スタンド前を横切った400m地点。比較的大柄で『カラスのように黒い』ウマ娘がバ群の中で転倒しそうになるも、何とか持ち直す。

 

 『こんな時代だから、こんな時代だからこそ、私はいいレースがしたい』

 『――私はレースを勝つ事で皆の希望になりたい』

 『憧れの、"Lig×th×use o× Ale×an×ria"(アレクサドリアの光のようなお方)のように』

 

 モノクロの世界で唯一色付いたウマ娘――彼女から何かが聞こえたような気がした。

 

 その光景は最近聞いたいた話と同じだった。

 Jebel(ジェバル)理事長から聞いたあのウマ娘の話の夢なら、きっとここは件の事件から連想されたものだろう。

 あのウマ娘はこの厳しい時代に、私と同じように誰かの希望になろうとしていた。シャンティイの理事長が私たちに良くしてくれたのは『似たものを私から感じたから』という理由だった――。

 

 青毛のウマ娘はバ群の中を進み、坂を上って下る。そして『False straight』(フォルス・ストレート)を通り抜け、(ゆる)いコーナーを回った。最終直線――ゴールまで残り400m地点まできたが、先頭までは10バ身もある。

 

      先陣を切るのは内ラチ側に1名、

 

 その後ろ3バ身離れて1名

 

 

 

   そして青毛のウマ娘――二人の真ん中を射程に収めているが。

 

 あの位置から(まく)るのは相当に難易度が高いだろう。間に合うのかという野暮な突っ込みを頭から()き消し、私はじっとその試合模様を見守った。場内からは渦潮(うずしお)のように歓声(かんせい)が巻き起こり、この辺り一帯を(つつ)んでいく。

 

 すると私の(ほほ)をレースの時のチリリとした感覚が駆け巡った。驚いた私は頬を片手で押さえる。

 このモノクロの世界を引き裂き閃電(せんでん)が走る。獅子の咆哮(ほうこう)の如く雷霆(らいてい)(とどろ)いた!

 

 ――そんな錯覚(さっかく)の中心。霹靂神(ハタタガミ)と化した青毛のウマ娘は豪脚(ごうきゃく)を炸裂させる!

 

 あの感覚は私がいつもレース中に覚えるそれに近い……!

 興奮から全身に伝わり鳥肌が広がる。そして高揚感を伴った震えが一瞬のうちに走っていく。

 

 そうこうしている内に青毛のウマ娘は、先頭2名の間を通り2バ身をつけて完勝!

 そして彼女はとても素敵な笑みを浮かべ、観客に応え手を振っていた。

 

"――いい夢だ。私もそんなウマ娘になりたいものだな――"

 

 レースプログラムを小脇(こわき)に挟む。そして心からの祝福を込め、フランスのトップスターに拍手を贈った。

 そしてその時だった。脇の下に挟んでいた紙が分厚く変化した気がした。

 

 違和感を感じて広げてみる。すると彼女の次走について書いてあった。対戦相手は英国2冠の『青』の名を冠する栗毛のウマ娘。ふたりは『セイントレジャーS』で覇を競う事になるらしい。

 そして私の心の中に青毛のウマ娘の強者と相対するという喜びが広がった。

 

 『みんな喜んでくれるだろうか? 相手も強そうだし試合も楽しみ!』

 そんな無邪気な心の声が――私の中に響いてくる。

 

 しかし、場内にわずかに漂っていただけの鉄と火薬臭いその嫌な臭気。それが一段と強く鼻腔を突き刺しはじめた。そして歩く人の足音や拍手が、規則正しく踏み鳴らされる足音に変化していく。手に持ったその次走の紙は、熱感を伴わず一瞬で灰燼(かいじん)()す。

 

 周りの景色はすべて(すす)よりも黒い色に塗りつぶされ、すべての光源が消える。

 ほどなくして目の前の視界一色の黒は、紙の上に所々熱源を押し当て、着火して燃え落ちていく。

 

 そして目の前に広がったのは凄惨な光景だった。爆発痕(ばくはつこん)のような大穴と焦げた臭いに包まれ、荒れ果てたレース場。あまりの光景に私の心が強く痛んだ。

 

『――、――――』

 

 青毛のウマ娘は(なげ)きの声を上げ、荒れ果てたスタンドの中央に崩れ落ちていた。他人事とは思えず、私は青毛のウマ娘に駆け寄っていくも――。

 後味の悪いその光景はプツリと終わった。

 

 目を開き身体をゆっくり起こす。嫌な汗をテーブル横のフェイスタオルで拭いた。

 

"――時世故仕方なかったとはいえ、実に不快な内容だ――"

 

 肺の中にあの嫌な空気が残っていそうな気がして、ゆっくりと空気を吐きだし入れ替える。 

 それから程なくして横のベッド、トレーナー君が寝ているほうから激しい音が聞こえた。起こしてしまったのではと振り返る。

 セントラルヒーターが暑かったのか? はたまた隣のベッドで寝ていたトレーナー君の寝相が悪いのか。派手に布団を蹴り飛ばしていた。

 

 彼女は大変満足そうな表情を浮かべ、大の字かつ仰向けにゴロリと寝転がっている。

 風邪を引いてしまうかもしれない。そう思って布団をかけてやると、彼女は幸せそうに(もぐ)りこんだ。

 

 ――のどを(うるお)してこよう。

 

 日常に戻ってこれた安堵感に私は包まれながらベッドを降りる。

 壁掛け時計は午前4時半。時計の横に置かれたデジタルカレンダーの日付は10月6日の土曜日。

 

 今日のスケジュールは午前6時にシャンティイを発ち、パリ市内へと出発。朝と夕方の空いた時間にバ場の確認をする予定だ。

 

 窓に近づきカーテンをめくる。外の景色は日本とは違い、いまだ夜に塗りつぶされた朝焼け前の景色が広がっていた――。

 

  ◆  ◇  ◇

 

――20××年+1 10月7日 午前8時半――

――パリ ロンシャンレース場 向正面――

 

 朝の外気がチクチクと私の両頬を軽く突き刺してくる。

 ダウンの白いロングコートに手袋。しっかり着ても深く息を吸い込み過ぎてしまえば、おそらく身体が冷えてしまうだろう。頭上の両耳の先が冷え始めたので、私はゆっくりとした動作でフードを被る。

 

  パリは日本に比べ、ひと月ほど冬の深まりが早く、そして日の出は遅い。

 軽く見上げれば、朝日が通ったのか通っていないのか、よくわからない曇天(どんてん)一色。足元もジトリとしている。強く踏めば粘土質なそれがグチャリと音を立てる。

 

 ――重い。相当に重たい。

 

 新潟で経験した不良のソレとは比べ物にならない。泥交じりのねっとりした土に、水を含んだスポンジのような糸くず根の芝。

 

 ――今日のレースは泥仕合となるだろう。

 

 灰の空から降る光にぼんやり照らされた一帯を見回す。我々と同じように、海外から来た他のウマ娘達とトレーナーが、バ場を確かめ話しながら歩いている。そして右を向けばスタンドが見える。

 

 振り向くと2m離れた位置にトレーナー君が居る。今はまだ設置されていないが、ゲート付近のバ場を気にしているようだ。Moulin de Longchamp(ムーラン・ド・ロンシャン)と呼ばれる風車が、彼女越し1ハロンほど向こうで風を受け、ゆっくりとまわっている。

 

 両腕を組み脇の下に入れて温め、芝と対話していたトレーナー君は私の視線に気づいた。そして寒そうにしながら、やや小さめの歩幅で此方へと寄ってきた。

 

「重というより……これは不良ですね」

「そうだな……君側の作戦の方は思い付きそうかい?」

「なんとか形になりそうですよ。聞かれると厄介だから、会議は控室でやりましょ」

 

 いつもの髪型とスーツにトレンチコート、マフラーに手袋姿の彼女は白い息を軽く(くすぶ)らせながらほほ笑んだ。そして我々は程なく、それぞれバ場の確認へと意識を向け戻す。

 

 下を向いて端から端までゆっくりと

 

      ジグザグに歩き――

            穴はないか?

 ぬかるみはないか? 

      芝は剥がれてはいないか?

 

 普段通り、我々はこのルーチンをこなしていく――。

 

  ◇  ◆  ◇

 

――20××年+1 10月7日 午後15時45分――

――ロンシャンレース場スタンド 関係者席――

 

 世界一を決めるレースだけあって、今日のロンシャンはどこもかしこも大(にぎ)わい。今年は日本から……まあ私達の事なんだけど、物珍しい挑戦者が来たと話題になっていた。

 

 日本からの挑戦者はルドルフで3人目らしい。ひとりはキングジョージにも挑んでいた『不屈の英雄』。もうひとりは『ある名門』の方だった。

 

 レースが始まるまで手持無沙汰。せっかくだしと配布されていた無料プログラムを開く。

 ルドルフの人気はまずまず。しかしアウェーという事を考えれば十分なものだった。評価が上がってルドルフは機嫌よく喜んでいたしね。まあ良しとしよう。

 

 パドックでルドルフを見送った私は現在別の――内なる強敵と戦っていた。

 そう、『片頭痛』だ。しかもこんな時に限って薬が効かないし何なんだろう。

 


 【片頭痛:Migraine】

  みんな大嫌いなアレ。天気が曇るとやたらと自己主張が激しい。

  原因は色々。研究している人もたくさん。患えばやる気は直滑降。

  歴史を紐解くと、頭痛持ちの有名人が結構な頻度で出てくる。

  ……人類の最大の難敵であるのは間違いないだろう。


 

 おそらく緊張感と気圧が原因で起きたのだろう。ズキズキという痛みと共にこめかみは脈打ち、頭蓋骨が軋むキュルキュルといった嫌な音がずっと響いてる。

 

 この煩わしさから私は歯を食いしばった。エナメル質(歯の表面)()れる嫌な音が響く。

 

『お客様。それは私達のお耳にたーいへんよろしくないので、お静かに。――おチビちゃん頭痛か? お薬飲んだ?』

 

 聞き覚えのある声とともに、何者かによって背後から視界を(ふさ)がれた。私にこんなことを家族とルドルフ以外で仕掛けてきたり、『おチビちゃん』と呼ぶのはあの子しかいない。

 

『またその呼び方で……Afternoon(こんにちは)。薬は飲みましたよ。お気遣いありがとうございます。ところで課題は終わったんですか?』

Hello!(ちわっ) 久しぶりに会いに来たのに、開幕から宿題の確認!? そりゃないよー!』

 

 背後からカラりとした陽気な笑いが響いてきた。そして声の主である『あの英雄』の手がそっと目元から離される。

 

 私がゆっくりと振り返ると、そこに居るのは、小柄な栗毛のウマ娘。――米国史上最強クラスの英雄。元教え子のディーネがとても満足げな笑みを浮かべ、『どうだ、来てやったぞ』といわんばかりに仁王立ちしてた。

 薄手のシンプルなキャメルコート、青いセーターにスラックスを身にまとった彼女は、すっかりパリのハイセンスに染まっていた。

 

 私との契約を解除した後、彼女はフランスの大学へと進学した。そして『私も誰か育てたい』という事で、今度の目標は『最強』ではなく『トレーナー』になりたいらしい。それで毎日勉強で忙し――かったはずである。

 

 まあ、住んでる場所がパリだし来るかなと思ってはいた。……だけど――。

 

『というか、どっから関係者席入ってきたんですか?』

『細かい事はどうでもいいんじゃない? ノープロブレム! オーケイ?』

 

 ディーネは長い尻尾を機嫌良さそうに揺らしながら、右隣に並んだ。そして私が持っている、プログラムの端を軽くつまんで引っ張り(のぞ)き込んだ。

 

『硬度4.3。Collant(粘り気アリ)か。ルドルフは悪路に強いんだっけ?』

『ある程度は。梅雨時に散々鍛えたとはいえ、ここまで粘るバ場は未知数です』

Collant(不良バ場)は8年前の4.6。時計は2分39秒(2M39S)。そしてラビットもいる。予想は?』

『逃げが2ないし3競って、良バ場と同じペース。隊列は縦長の前残り勝負』

『その論拠は?』

『同チームから2名以上。その条件で4集団います。ロンシャン( こ こ )は重たいからといって、ペースが(よど)む事はないですし』

『まあ純粋に世界一のウマ娘の力を測るなら、かっ飛ばすほうが小細工し辛いしね。他には?』

『重バ場に強い子がそこそこいる。その子達は(あし)を余したいからフォルス・ストレートの入り口までは隊列が伸びるんじゃない?』

『なるほどなるほど。というと外を多少回っても、バ群がスリムならそこまでリスキーではないと』

『そういう事です。やることはやったからあとは、信じるしかない……』

『肩の力入り過ぎだよ? そんなんじゃルドルフが勝ったらぶっ倒れるんじゃない? 私のダービーの時みたいに、バタリといって大騒動になりそうで心配なんだけど……』

 

 ディーネは両手を軽く上げて肩をすくませ、呆れたようなジェスチャーを取った。

 

『問題ないです。貴女が支えてください』

『えー……。というのはジョークで、元よりそのつもりだけど』

『ふふふ、お願いしますね』

 

 軽いやり取りを行った後頭の中をまた整理し始める。

 データを見る限り少なくとも4名は重バ場適正がありそうだ。そして、凱旋門賞は毎年夏頃から内ラチの柵の位置を調整し、数メートルほど内バ場を凱旋門賞本番まで保護している。つまり最内から6m以内は、開幕週そのままの真っ新な状態だ。なので外バ場が使い込まれており、外差しで勝つのは非常に難しい。

 

 さらに雨が多かった今年は良い感じに耕されている。……野菜の種を撒いたらいい感じに生えてくるんじゃないだろうか? それを造園課の方々が朝早くから必死にお手入れしていた。――あれは大変そうだった。

 

 そして参加者がやたらと多いのも本レースの特徴だ。今年の参加者は23名だが、故障したファシオの他1名を入れ25名前後でやり合う予定だった。去年は26名で年によりバラつきはあるが、過去10年のデータでは最低17名は出ている。この数が問題となるのは最終コーナー以降だ。

 ここまでにある程度前を取らなければ話にならない。モタつけば下りからの長い平坦で勢い付いたバ群に、あっさりと包み飲まれる。日本のダービーと同じく、そのまま出られないというわけだ。

 

 『馬』だった場合は最終直線前の『False straight(フォルス・ストレート)』も曲者らしいと、前に居た世界で聞いたことがある。少しだけ曲がっているのだが、(ゆる)過ぎて直線と見紛うため偽直線と呼ばれる。この最終コーナ手前の偽直線を『馬』は最終直線だと勘違いし、飛ばしてしまうことがあるそうだ。

 まあ『馬』ならともかくこの世界の凱旋門賞(ここ)を走るのはウマ娘だ。その点の問題はないだろう。ラビットに釣られて行きたがるというのも、私の知る『馬』ではなくウマ娘――賢いルドルフではありえない。

 

 そして何よりも不安なのは虫の知らせのように、繰り返し見せつけられ続けているあの不吉な夢のこと。

 それが『今日の事じゃないように』そんな気持ちを込め、祈るように天を仰ぎ見たくとも――薄曇りの空に黄道の支配者の姿は見えなかった。

 

 視線を左奥の向こう正面に移す。ルドルフは風車近く、スタート位置のポケットでじっとしている。レースが始まったらトレーナーは祈る事しかできない。

 

『今年のレース。勝つのはイギリス校だ』

『ちょっと! フランス校のウマ娘が弱いって仰るの?』

 

 センチメンタルに染まりかけた私を、思わず現実に立ち返らせたのは(にぎ)やかな会話だった。

 

 その発信源はふたりのご年配なウマ娘。ひとりは青いドレスと帽子の素敵な栗毛(くりげ)の淑女で、もうひとりは美しいカラスの羽をイメージした帽子を被り、白いフランスの国旗をイメージしたカラーリングの白いドレスに青いショール。そして赤いブローチの組み合わせ。会話から察するに英仏という随分(ずいぶん)珍しい組み合わせだ。

 トレーナーバッジもないしスタッフにしては派手。なのに関係者席に居るという事は『VIP』か『殿堂入り名バ』(レジェンド)のどちらかだろう。

 

 もうレース直前だというのに、彼女たちはかなり激しめの論戦をやり合っている。あまりの勢いに私の目は点になってしまった。

 

『異論は認めない。というか貴方が騒ぐから、そちらのお嬢さんが驚いているよ?』

『それは言いがかりが酷過ぎるのでは! ――って、まあ! なんて素敵なの』

 

 青毛の淑女が私にぐいっと詰め寄ってくる。勢いに押されて私は思わず後ずさりしかける。

 

Jebel(後輩)からアハルテケの半人半バ(スマグラディ・セントウル)が居ると聞いていたけど、ああー! 本当に髪も瞳も綺麗ね! 日本からフランスにようこそ!』

『ちょっとちょっと、ちょっと! ひいてる! ひいてるって! ごめんねーこの方いつもこうなんだ! こら離れろ失礼でしょ!』

 

 私の両腕を掴んでまるで目当てのお人形を見つけた少女のように、瞳を輝かせたカラス帽子の淑女――興奮気味の彼女を栗毛の淑女が引っぺがした。

 

『あー。ついごめんなさい!』

『えっと、びっくりしましたがお構いなく』

 

 どうしていいか分からず適当に愛想笑いを私は浮かべた。職業柄ウマ娘達に普段から振り回され慣れてるとはいえ、この勢いには驚いて身が固まってしまう。

 

『Madam Grand――貴女の担当してる子のインタビューを拝見させていただきました。走ることで誰かを引っ張っていくって素敵な夢よね。あのインタビューを見て、久しぶりにこの方と来てみたくなったの』

Madam Corbeau noir(マダム コルボノワール)はそういう子好きだねぇ』

『ええ。Lady Blue(レディ ブルー)。昔のわたくしみたいでしょう? ふふ』

『そうだね。君はいつ如何なるい時もずっとそうだった――』

 

 レディ・ブルーと呼ばれた淑女のイントネーションからは、しんみりした雰囲気を感じられる。恐らくJebel(ジェバル)さんを後輩扱いからして彼女たちの世代は――。

きっと厳しい時代だったのだろう。

 

『皆さんレースが始まりますよ』

『あらもうこんな時間!』『ありがとう。後輩たちがどう走るか楽しみだ』

 

 ディーネが気を利かせて収拾をつけてくれた。ありがとうという意思をこめてニコリと彼女に微笑むと、ディーネも同じように笑みを浮かべ揃ってターフに目を向けた――。

 

  ◇  ◇  ◆

 

――20××年+1 10月7日 午後15時57分――

――ロンシャンレース場 向正面――

 

"――『好位置待機。絶対深追いダメ、ダメ絶対、ダメ』か――"

 

 トレーナー君から渡された作戦を頭の中でシュミレーションする。彼女の予想通りならば、ひと息を入れるタイミングが難しいそうだ。

 

Entrez, s’il vous plaît(どうぞ、こちらにお入りください。)

 

 係の者に案内されゲートの中に入る。私が通された2400mの旅路の出発ゲートは23番――大外だ。キングジョージ含めて2回目の外様。ここまで引きが悪いと、私だって運の所為にしたくなる。

 

"――今度からゲート抽選をトレーナー君に引いて貰うべきか? ――"

 

 私を含め2回もダービーウマ娘を引き当てたトレーナー君の事だ。去年も商店街の福引で目当ての『米田(ヨネダ)コーヒー券セット』を1発で引き当てていた。きっと運は良いはずだ。

 

 ゲートの内ラチ側を(のぞ)き込みKGVI & QESでも一緒だった者たちの様子を伺う(うかが)

 21番ゲートの『Trade Treaty』(トレイドトゥリィティ)は、9月に風邪を引いて前哨戦(ぜんしょうせん)をキャンセルしぶっつけ本番。同じように調子が悪そうなのは少し離れた9番ゲートの『Richard Wells』(リチャードウェルズ)――彼女も顔色に疲労感が漂っている。

 

 13番ゲートの『Sunny Princess』(サニープリンセス)は愛想よくカメラに微笑み、その隣の14番ゲートの『Blue Angel』(ブルーエンジェル)は私の視線に気付き、人懐っこさを全開にして手を振ってくれた。折角なので私も小さく振り返す。そして私の隣22番ゲートの『North Heart』(ノースハート)は気合い十分といった様子。

 

 背後を振り返ると入っていないのは残り2名。――そしてその最後のひとりがゲート入りを妙に渋っている。

 我々は時としてゲート入りに対し、どのような性格の者でもなんだか無性に抵抗したくなる時がある。全く以て不思議な現象だ。

 私は振り返るのをやめ、目の前のターフへと意識を向ける。空は相変わらずで風からは湿った土の濃い匂いが漂っていた。

 

『――、Tout est prêt (準備が整いました)

 

 いつも通りスタートの体勢を整え――。

 

『――!』

 

 タイムを数え始める。右手には22名。バ群は水に濡れたマットレスを叩くような音を響かせ、前に前に前に! と勢いよく飛び出していく。

 ハナを切ったのは3名。そこに陣営方針が変わった『Fraoula Road』(フラウラロード)、そして『Trade Treaty』(トレイドトゥリィティ)の2名が喰らい付く。

 

 ――流石にこれは悪手ではないだろうか?

 

  フランスの女王『North Trickster』(ノーストリックスター)は中団に構え始めたので、彼女の前を押さえるつもりで進む。そして前年の凱旋門覇者『All Strong』(オールストロング)は、得意の後方待機か? しかし2000以上かつ稍重以上は厳しいと思い、マーク候補からは外した。

 

 人数が多いので内側に切り込み過ぎないよう、ゆるやかに進路を取り前目の位置に合流を測る。そして中団の前に待機している、先頭から5バ身かつ外にいた『Sage』(セージ)を最有力候補とみて直後をマークし、先頭から6バ身の位置に陣取った。

 

 先頭が最初の交差点を出た。残り2000m(テンの2ハロン)地点で29秒。バ場問わずラビットは飛ばすと聞く。テンの2ハロン(スタートから400m)は位置取りを意識しつつも、スロースタートがセオリーだ。不良で30秒を切るのは早すぎる。

 

 そして水平なこの交差点部を過ぎると足元の地面は上りへと変わる。

 ここからテンの1000m(残り1400m地点)まで、高さ7mの坂が300m、続けて高さ3mを300mほどかけて登りきる。

 

 米国式ダートに寄せた素材靴と芝への慣れ、そして並走相手を2名使い追い通すトレーニングをしてきた。お陰でこのペースにも難なくついていける。

 

 悪路対策を含む地固めは十分だ――今の所何も問題はない。

 

 そして隊列はトレーナー君の予想通り、去年と違い縦長になりそうな気配を見せていた。横に広がりにくいならロスは無いだろう。先頭から7バ身の位置でまだセージの影に隠れ進む。

 

 右の内バ場は駐車場を過ぎ、木々が十数本ほど生い茂る、テンの4ハロン(スタートから800m)地点。最初の高さ7mの坂をから3mの坂に変わり、足元が気持ちだけ走りやすくなる。先頭は53秒で通過。タイムは良バ場と同じ。3名のラビットたちは依然(いぜん)全力カーチェイスを繰り広げている。

 

 現状の確認を行う。

 先頭は三角形のフォーメーションで進むラビットたちがまず3名。

 (GOAL↑)

 

      1番手『Sentinel』(センチネンタル)

         2番手『Knight Servitor』(ナイトサーヴィタァ)

 3番手『Best Princess』(ベストプリンセス)

 入れ代わり立ち代わり、ハナを互いに譲らない。

 

 

 そこから1~1.5バ身後ろ4番手にトレイドゥ――内側半バ身後ろ5番手フラウラ。

 トレイドゥの直後に6番手セージ――内半バ身さがり7番手『Belle Dancer』(ベルダンサー)

 セージの背後8番手私の横には――9から10番手の2名が窮屈(きゅうくつ)そうに横で並走。

 

 外に出せないよう、内側の2名を用心深くブロック。計画的な登山家のようにペースを守りながら坂を上り続ける。

 

 ペースメーカーの1名が後ろをチラリと見やる。彼女たちは激しく競り合いさらに飛ばし4番手以下をぐんぐんと引き離す。

 そして内バ場に数本木がペンペンと生えた位置を横切った。

 

 テンの1000m(残り1400m) 1分05秒。

 ――重より悪い足場で随分と押し込むものだ。

 

 食いしん坊(グルメ)なトレーナー君が考案した『改・栄養補給』(カーボローディング法)の真価は、この状況下でなら(なお)の事発揮されるだろう。私は余裕を悟らせない様表情を消す。

 

 曲がりながら下るカーブ――京都の第3コーナーに似ているが、違うのは下る高さだけだけでない。水平ではなく外ラチ側へと傾いているのだ。その足場の悪い下り坂を8m駆け降りる。こちらも短い水平部を挟んだ二段構えの下り坂だ。

 行き脚を使いたいがまだペースを保たなければならない。私から先頭までの距離は11バ身以上開いていた。

 

 しかしなお先頭の3者は連れ立ち流星群のように坂を雪崩落ちており、

 

 3名の殿から5バ身後ろにトレイドゥが追走。

 

 これを見る様に3バ身後ろにフラウラがぽつん。

 

 フラウラの2バ身後ろにセージはまだじっと待機している。

 私がセージの直後に張り付いていると彼女が一瞬だけ振り向き、そしてすぐさま前に闘志を戻した――。

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