IF.皇帝の幻の遠征計画と半人半バのお嬢様   作:なすび。

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 続きです
 トレーナー君視点からはじまり、
 ◆◇◇からずっとルドルフ視点です。


『20XX-4』JAPANCAP【後編】

――11月27日 午前5時――

――トレーナー寮 405号室の角部屋――

 

 洗面台の前で髪を首の後ろでひとつに縛り、シュシュでとめる。

 浴室前のランドリールームを出て、玄関の長い鏡で身だしなみをチェック。玄関の隅に置いておいた、タブレットの入ったこげ茶色の革製ビジネスバッグを肩にかけると――。

 

 ――寝起きが苦手で朝は弱いはずのルドルフが、眠そうにしながらリビングから出てきた。

 

「いってらっしゃい。帰りは何時頃になるんだ?」

「うーん。業務量がちょっと多いっぽいから20時くらいになるかも。作り置きとか冷蔵庫や鍋にあるので、きちんと食べてくださいね? お昼と夕方にまた具合を見に来ますから」

「ありがとう。――気を付けて」

「ほいほい。ではいってきまーす」

 

 玄関を出て合い鍵は渡してあるので戸締りをし、エレベーターではなく階段へと向かう。

 

 2日前のレース後から『気持ちを整理したいから部屋を貸して』とルドルフは私に頼んできた。

 学園に帰って来てからはトレーナー寮に泊まっている。

 

 ――まあ、帰り辛いよね。

 

 ジャパンカップの結果はハナ差の負け。

 それも写真をドアップにしてやっとわかるほどの差の3着――惜敗だった。

 

 ルドルフの体調不良がニュースになってしまい、彼女の両親からの連絡もあった。『娘の体調は?』と――。

 

 ライブが終わり次第行ったメディカルチェックの結果は"食当たり"が尾を引いていた。

 まず、体調不良は数日以内に回復するという見通しと状況を伝えた。

 そして不調で出走許可を出したこと、自らの不肖を詫びた。経緯を聞いたルドルフの両親は、ただ――『娘の力になってやってください』など、(はげ)ましの言葉を向けてくれただけだった。

 

 階段をゆっくり降りてマンションの玄関前とたどり着く。そして見上げて自分の部屋をしばらく振り返ってから、学園本館へと足を向ける。

 

 まだ薄暗い晩秋(ばんしゅう)の夜明け前の道。白い息を吐きだしながら、手をトレンチコートのポケットに入れて進む。

 

 まずルドルフが何事も無くて良かったのが一番だ。

 

 ――だけど。

 

"――悔しいな。本当に悔しい――"

 

 私以上にルドルフは今そんな気持ちなんだろう。

 昨日の親御さんの話だとトレセン入学前から、レースも座学も彼女は負けなしだったそうだ。

 

 つまりジャパンカップが彼女のキャリア上初の挫折というわけだ。それで目に見てわかるほどに落ち込んでいるのだが、私は慰めの言葉をかけることは出来なかった。

 

 ルドルフみたいな理想を求めるタイプは、挫折(ざせつ)した際に(なぐさ)めをかけ過ぎれば逆効果となる。

 安易な同情やは、向上心が高い者にとって侮辱的(ぶじょくてき)な気分を与えてしまう。良かれと思った言葉は薬にもなれば毒にもなってしまう。よくある事だ。

 

 ――そして、こんな時だからこそ、傷口をなめ合うなんてことをしたくないだろう。それは余計にみじめになるだけだから。

 

 誰かと接する上で、何が正しいかなんては一様には語れない。そして相手に合った最適な接し方を探るのも大切な指導技術のひとつ。それがひとりの選手を立派に育てるという意味で難しい所でもある。

 

 今回はルドルフ本人が何か投げかけてくるまで、私は待ちの姿勢を決め込もう。

 彼女の今の状態は心配ではある。けど今後を考えるならば、ここで自らの脚で立ち上がってくるのを見守らねばならない。

 

 そしてこの魂と記憶で生きた年数だけ言えば私は老齢だ。

 しかし、はっきりした情緒(じょうちょ)や個を獲得してから刻んだ時間を考慮するとまだ未熟な存在。そんな私によるこの判断が正しいか、そこに不安な点が無いとは言えなかった。

 

 けれどこれは必要な事。そう弱気になりそうな自分に強く言い聞かせる――。

 

 ふと前の街灯の下に反射タスキの煌めきが見えた気がした。その軽く走るような足音は近づいてきて――。

 

「おはようございます。朝早いんですね」

 

 声をかけて立ち止まってくれたのは明るい栗毛が印象的なウマ娘、サイレンススズカだった。東条先輩から走るのが好きで大変だと聞いてはいた。しかし、まさかこんな早朝に走っているのかと私は目を見張った。

 

「おはようございます。ええ、まだこちらに来て2年目ですから。――スズカさんは朝トレですか?」

「ええ、朝の空気はいいですね。どうしても走りたくなってしまいます」

「爽やかな1日スタートって感じで良いですね。お気をつけていってらっしゃい」

「――はい! では」

 

 会釈をしてサイレンススズカは走り去っていった――。

 

 誰も居ない学園の中を進み、総合トレーナー室にたどり着く。

 

 事務机の並ぶその部屋の電気をつけて窓を開ける。

 吹き込んできた風が両頬をすり抜け屋内へなだれ込み、息を白く染め上げた。

 

 そしてコートを脱いで自分のデスクに軽く畳んで置き、併設の給湯室に入る。空にして干してある電気ポッドに水を溜めて所定の位置に置きボタンを押す。

 

 その間に床を掃き()ごみ箱の前へ、ゴミ捨ては用務員さんが夜中にやってくれているので中身は空っぽだ。そこにチリ取りを傾けて終了。

 

 掃除用具を片付けて、ホコリ交じりの空気が流れきったタイミングで窓を閉める。そして暖房のスイッチを入れた。

 

 ――時刻は5時半。早い先輩や教官はこの時刻から来始める。

 

 お湯が入っている事を確認するのもかねてカフェオレを淹れて、自分のデスクに戻って端末と資料をセット。メディア担当課で整理され、こちらで最終判断を下さねばならない業務から、まず片付けることにした。

 

 仕事を捌き始めてから20分ほどが経過したくらいだろうか? 横開きのドアが開いて誰かが入ってきたので顔を上げると――。

 

「おはようございます」

「おはよう。いつも早いわね」

 

 直属の上司にあたるスーツ姿にメガネをかけた、東条先輩がまずやって来た。向いのデスクなので挨拶を返す。次に棒つき(あめ)を咥えて眠そうにな顔でやって来たのは"東条先輩曰く腐れ縁"――ゴールドシップのトレーナーが現れた。その先輩とも軽い挨拶を交わし、彼は給湯室に入っていった。

 

「件の報告はいつにしましょうか」

「他の者もほぼ居ないし、問題ないならばここでやるわ。異論はないかしら?」

「ありません」

「では、出走関連の報告書は出来上がってる? 座ってていいから書類だけ頂戴」

「こちらが報告書です。どうぞ」

 

 デスク越しに今回の出走許可に関する報告書の束を、向いのデスクにいる東条先輩へと渡した。

 

 レース前にご迷惑をかけるかもと、先輩にはあらかじめ話は通しておいたのだ。

 そして案の定、今回の件で私の指導能力不足を疑う声が上がった。それ故に報告書を仕上げなければならなかった。

 

 責任は自分が取るといった以上、厳しい追及や叱責(しっせき)は覚悟しなければならない。私は腹を(くく)った。沈黙が続き、書類をめくる音だけが響いた。デスクの下の手をぎゅっと握りしめ、固唾(かたず)を飲んで彼女の下す決済を待つ。

 

「前日のデータまで全く異常なし。当日早朝の診断書の内容も、出走取消する(ほど)でもない。委員会にも報告は上がっており報連相(ホウレンソウ)に問題点は見当たらない。よって選手本人と望月(もちづき)に非はない。こちらは事故として処理しておくわ。上からはこれ以上咎めはないでしょう」

「お手数おかけします。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」

 

 私が深々と頭を下げると、先輩は顔を上げるよう指示をした。

 

「こういう時はお互い様でしょ。こちらが困っている時に、快く仕事や雑用を率先して手伝ってもらっているのだから。それとシンボリルドルフ本人からも、私へ出走に関する連絡がきていた」

「ルドルフからですか……?」

 

 礼儀正しい子だとは思っていたけど、まさか上司にまでルドルフが手を回してくれていたとは。驚いて思わず瞳を丸くすると、東条先輩はその様子をみて少しだけほほ笑んだ。

 

「ええ。出走前と後にね。特に後者では貴方を(かば)うような内容だった。これからも選手からの信頼に応えられるよう頑張りなさい。――おそらく次は有マもあることだし、あまり思いつめない様にね?」

 

 珍しく東条先輩が心配した言葉をかけてくれたので驚いてさらに目を丸くしてしまった。それとほぼ同時にコーヒーの入ったマグカップの湯気を揺らしながら、ゴールドシップのトレーナーが先輩側の通路を通りかかった。

 

「おお? おハナさんにしては指導が優しいじゃん」

「……無駄口叩かずキビキビ働きなさい。今月もうお金ないんだから(なお)の事ね」

「ちょっ!? 後輩の前でばらすなよ!」

 

 どうやら彼は東条先輩に今月も飲み代を(おご)ってもらったようだった。

 前々から疑問に感じているのだけれど、彼はどうやって生活しているんだろうか? 寮とカフェテリアの食事は職員も無料。超優良ホワイト企業トレセン学園とはいえ、この先輩の私生活は(ナゾ)に満ちている。

 

 そんな現在スッテンテンの財政破綻まったなしの彼からも、その後励ましの言葉を貰った。職場が良好か否かはウマ関係人間関係次第であり、ここは間違いなく前者であると感じながら私は再び仕事に取り掛かった――。

 

  ◆  ◇  ◇

――11月27日 午後10時――

――トレーナー寮 405号室の角部屋――

 

 2度寝から覚め、Tシャツジャージ姿で寝室からリビングへはいる。加湿器と暖房が時間で作動し、丁度いい具合に暖まっていた。

 

 そこを通過して浴室の鏡で髪型を整えて歯を磨き、玄関からリビングへつながる廊下を渡って戻る。

 リビングルームに入ってすぐ右手にはキッチンがあり、冷蔵庫の前にメモを見つける。

 

 作り置きの内容は昨日はうどんやそば。今日は鶏と玉子の雑炊だった。メモに書いてある作り方は鍋にあるスープを温めて、炊いてあるご飯に掛けるだけ。コンロの火を入れ、壁にかかっていたお玉を取ってかき混ぜる。

 焦がさない様に温めてどんぶりに盛ったご飯にかける。そして冷蔵庫にプラ容器で保管されている、刻まれたネギを追加。乾物が入っていると教えられた深めの引き出しから、袋のりを取り出して千切ってかけて完成だ。

 

 雑炊の器と水の入ったコップ、そしてレンゲをお盆に乗せて、キッチン前のテーブルの上に運ぶ。

 

 誰も居ない空間だが、これを作っておいてくれたトレーナー君への感謝を込めて『いただきます』と述べる。

 

 まずスープをすくってみると、透明な黄色がかった黄金の鶏ダシだった。丁寧に灰汁取りしたであろうそれを口に含むと、(ほど)よい塩加減とダシの旨味、卵の優しい甘みが広がっていく。

 

 それが食欲や空腹感を思い出させてくれて、無心に食べ進める。

 

"――どんなに落ち込んでいても、腹は減るものだな――"

 

 すっきりとしない気分だったが、思いやりを感じられる味付けの雑炊のお陰で幾分(いくぶん)か気は楽になった。

 

 お腹が膨れた所で食器を片付ける。そしてまだ万全でないため食後のコーヒーではなく、冷蔵庫の麦茶をマグカップに注ぎ、レンジで温めてリビング中央の薄型テレビ前へと向かう。

 スリッパを脱いでソファー付きの、分厚い深緑のラグの上に腰かける。そして目の前のテーブルにカップを置いてテレビをつける。

 

 電源を入れてすぐは衛星放送の番組だった。国内の時事のニュースが見たくてチャンネルを回す。しかし、どこの局も前走のジャパンカップ、日本初勝利という内容で持ちきりだった。私はリモコンを操作し無言でテレビの電源を落とした。

 

 そして牡蠣(かき)のむき身をデザインしたクッションを軽く抱き込み、ラグのコーナーソファーにもたれかかる。

 

 

 直前まで万全だったのに、レース前日に(かんば)しくない夢を見てその通り私は体調を崩した。――今思えばあれは虫の知らせだったのだろう。

 

 エナメル質が()れる嫌な音がするまで()み締めてしまった。歯を悪くしてしまうので力を抜く。

 ――悔しくてたまらない。怒りにも似たそれで、他者や物へと当たり散らさないために、トレーナー君に部屋を借りた。心境的にとてもじゃないが寮に帰る気分じゃなかったから。

 

 1か月後には有マがある。わかっていても、わかっていても気持ちが着いて行かない。こんな姿を他の者に見られでもしたら、皇帝()腑抜(ふぬ)けだと揶揄(やゆ)されるだろう。――口惜(くちお)しい限りだ。

 

 そんな気分がまだ冷めやらない。このままでは醜態(しゅうたい)(さら)してしまいかねないので、部屋着にしているジャージポケットに入れていたスマホを起動。通信アプリを使ってトレーナー君に『ひとりになりたい』と連絡を入れる。そして数分内に返信が帰って来てその許可は下りた。私の気持ちに余裕が無い時に、無理に踏み入らないでくれるのはありがたいものだ。

 

 そんなトレーナー君は私が不調で出走したというニュースを聞いた上から、今日叱りを受けるときく。それも私の心を乱す大きな問題のひとつだった。手は打ったしトレーナー君の上司、エアグルーヴのトレーナーである東条トレーナーは手厳しいが理不尽な方ではないと聞く。トレーナー君もバカじゃないきっと大丈夫だろう。

 

 ――そう思いたい。

 

 ソファーの傍にある海藻を模した不思議な形のブランケットを膝に掛け、ゴロリと寝転がる。気分がすぐれず、トレーナー君の処遇も心配で眠れなかった私の思考はすぐに途切れた――。

 

 

 

 

 

 ――次に目が覚めると、辺りは真っ暗だった。家電用リモコンで照明をつけると、丸いシンプルな壁掛け時計は午後19時半を示していた。大分寝すぎたようで両手を上で組んで背中を()ばすと、パキパキと音が鳴った。

 

"――世話になりっぱなしでは申し訳ないし、迎えに行くか――"

 

 当たり前とはいっても、私の為に働く彼女が真っ暗で寒い中ひとりで帰ってくるのは気の毒だった。寝室で冬の制服に着替える。それから髪や尾の身だしなみを整え、アプリで連絡を入れてからトレーナー寮を抜けて学園に向かった。

 

 

 漆黒の空を見上げれば星々が顔を(のぞ)かせ、日はとっぷりと暮れていた。外出制限門限も近くなり、ウマ娘も人もいない門をくぐって進むと――。

 

「おい」

 

 それは聞き覚えのある声だった。三日月(つき)の明かりに反射して見える透き通った黄色い瞳、そして豊かな黒鹿毛を高く結いあげたウマ娘。制服姿のブライアンが機嫌悪そうに立っていた。

 

「――ブライアンか。生徒会の仕事を休養中引き受けてくれてありがとう」

「――その情けないツラを何とかしてさっさと復活してこい。気持ちはわかるがな」

 

 ブライアンの物言いは辛辣(しんらつ)だが、最後の一言に無口な彼女にしては珍しく気遣いの言葉があった。私の様子を気にかけてブライアンなりに声をかけてくれたのだろう。

 眠そうに欠伸(あくび)をしながら『じゃあな』と言いブライアンは立ち去った。

 

 再び誰も居ない学園の中を歩いていると、今度は広場の方から直近での落雷を思わせる凄まじい声量の怒鳴り声が響いてきた。

 何かあってはいけないので様子を見に行くと――。

 

 噴水の広場にある蹄鉄(ていてつ)型の回廊(かいろう)を抜けると音の出所が"あの場所"だとわかった。負けた悔しさをぶつけるために叫ぶあの場所だ。歩みを(ゆる)め、事件性が無いかの確認でそっと(のぞ)き込む。

 

 大きな大木の切り株にできた(うろ)に両手をついて悔しさをぶつけているのは、1年早くデビューしたシービーだった。

 

 ――そして、ふと悔しそうに叫ぶ彼女の素直さが何だか(うらや)ましいと感じてしまう。それは私にはないシービー長所だと思うから。

 そっと立ち去ろうとすると、

 

「うげっ! ルドルフじゃん。――あー、一番見られたくない相手に、情けない所を見られちゃったなぁー」

 

 顔をこちらにあげたシービーとばっちり目が合ってしまった。涙を制服の(そで)(ぬぐ)った彼女は、精一杯の虚勢(笑み)を張った後こちらに近づいてきた。

 

「邪魔してすまない」

「こっちこそ騒音被害だしてたかな。ごめん。――なんか食欲なくてスッキリしたくて来ちゃったわ。それよりルドルフ体調悪いの? 美浦にも帰ってこないしで、寮のみんなが心配してたよ?」

「体調の方は問題ない。――ひとりになりたい気分だっただけで、休養明けには帰るつもりだ」

「そっかー。ルドルフにもそういう時があるんだね」

「私だってそういう時はあるさ」

「じゃ、場所かわる? 今度はアタシがルドルフの叫びを聞いててあげるから」

 

 ぱちんと指を鳴らしてニヤリと笑うシービーに『必要ないよ』と返す。すると、彼女は南国の海を思わせる、"緑がかった明るい青(ターコイズブルー)"の瞳を困惑に染めて眉をひそめ首をかしげた。

 

「え? じゃあルドルフは何でここに居るの? でもってアタシは見られ損?!」

 

 ショックですという顔を浮かべ、シービーは頭を抱え始めた。表情がころころ変わって面白いので、ニヤリと余裕の笑みを浮かべ、ここに来た目的を彼女に明かした。

 

「見られ損確定だね。残業しているトレーナー君を迎えに来たんだよ」

「なるほどミズ・満月の女神(セレーネー)をか。って――うわああ。最悪……しかも今の笑顔めっちゃムカつくんだけど」

「ふふっ表情がコロコロ変わって面白くてね。つい意地悪をしてみたくなったんだ」

「へー。ルドルフがイタズラするとか。ダジャレ以外にもそんな一面があったんだね? 新発見だ」

 

 私の態度にシービーは(ふく)れた後、今度は腕を組みながら(あご)に片手を当ててうんうんと(うなづ)いた。

 

「――ミズ・セレーネーに出会っていい意味で変わったね」

「ありがとう。表情豊かな彼女との日々は楽しくてね。私もついつい引っ張られてしまうんだ」

「そういうルドルフもアリだと思うし、いいんじゃない? ――そんな素敵なルドルフにはきっと有マ記念が待ってるよ」

 

 そう言うや否やシービーは私の顔の前に、握った拳をゆっくりと伸ばしてきた。拳で片目しか見えないが彼女の瞳には激しい闘志が燃え上がっている。

 

「勝負だ皇帝(ルドルフ)。アタシは挑めなかった春天に挑戦した後リーグを変える。タカオハリは有マを以てトゥインクルシリーズから別のリーグに行く」

 

 彼女から向けられた真っ直ぐな気持ちは私の中で(くす)ぶっていた、弱気さを吹き飛ばした――。

 

「あと何度かしかない真剣勝負(ラストダンス)。――第××期組の挑戦、受けてくれるよね? "楽しい"レースをしようじゃないか」

 

 むき出しの感情入交り、シービーは勝負への渇望と恍惚が入り混じるような笑みを、口元目元に浮かべた。

 

 熱だけが残り灰だけになった自らの心にある炉――それが再び点火された。

 目標も大切だが私は何のために走り始めたんだ。

 

 ――勝ちたいからだ! 根本はそこだ!

 

 瞳から迷いを消し、私もその拳に拳を勢いよく合わせる。

 

「無論だ。――絶対を示して見せよう」

「そう来なくっちゃ」

 

 

『ぷぇくしっ!』

 

 回廊の柱の影から随分と派手なクシャミが聞こえた。

 

「ええ!? ルドルフ以外にも居たの!? もー! 覗いてるの誰? 誰かいるの?」

 

 シービーは柱に向かっておどけてみせたが――返ってきたのは。

 

『…………にゃっ、にゃぁー』

 

 

 どう聞いてもバレバレな猫の声真似だった。しかも聞き覚えがあるとかいうレベルの声じゃない事に、私は腕を組み片手で頭を抱えた。

 

「そうかネコチャンか――ってならないよ! その誤魔化し方は使い古し過ぎだし、やるならもうちょっと気合い入れて真似しよう?」

 

 的確な突っ込みを入れるシービーをよそに、私は柱の裏に回り込む。視線の高さには誰も居ないが、下を見るとそこには柱を背もたれにして膝を抱えて顔を青くしたてトレーナー君がいた。膝とお腹の間にバッグとジュースらしき缶を2つ抱えている。

 

「君は半人半バ(セントウル)をやめて猫になったのかい?」

 

 そう質問すると彼女は気まずそうに視線を逸らした。

 

「話しかけるタイミングを見失って立ち聞きになってました。……ごめんなさい。あとこれ、寒いから」

 

 そうやってしゃがんで隠れていたトレーナー君は、コーンポタージュの缶を差し出した。いい塩梅の温度まで下がっており、これなら火傷せずに飲めるだろう。

 

「アタシの分もくれるの?! ありがとう! お、コンポタラッキー!」

 

 もう一つはシービーに渡してくれた。という事は我々がここにきてから買って様子を見ていたのだろう。そして、コーンポタージュを一気に飲み干したシービーは、わざとトレーナー君にジト目を送る。

 

「ごちそうさま! と・こ・ろ・で、ミズ・セレーネー……キミはいつからいたの?」

「ルドルフが来たところからです。――ここに来たのは凄い叫び声だったので、何かあったんじゃないかと思って」

「ほうほう。キミまで見ちゃったわけか――」

「ごめんなさい」

「まあこんな時間に叫んでたらそうなるか。他の人には言わないでね」

 

 トレーナー君が『「ええ、それは勿論です』と返事を返し終わらないうち。それとほぼ同時に盛大にシービーの腹が空腹を主張した。続いて私の腹もそれに同意するかのように鳴り響く。

 

「――あれ? ふたりともご飯食べてないの?」

 

 トレーナー君は心配そうな表情を浮かべた。私は夕飯は一緒にと考えていて取っていないと伝え、シービーは精神的な理由で食欲減退気味だったという。

 

「うーん。ルドルフ、体調は大丈夫? 問題なさそうならふたりを連れて、お外で食事しようかなと。代金は私持ちで」

 

 それを聞いてシービーはスマホを取り出して操作しはじめた。

 

「胃腸の具合は悪くない。ここ3日まともに食べれてない分、しっかりと食事をしたい気分だ」

「決まりだね。寮長には連絡いれといたよ。"いってこい"ってさ――行先はどこ?」

「デカネタで有名な回らないお寿司屋さん。お金の心配とかせずに目いっぱい食べてください」

「いいの!? ありがとう!」

 

 耳を前に向け嬉しそうに尾を振るシービー。私も回らない寿司と聞いて気分が上がった。

 

「門の外に車を回してあります。――行きましょうか」

 

 そうほほ笑むトレーナー君を先頭に、我々は豪華な晩餐を取るべく付いて行った――。

 

  ◇  ◆  ◇

――11月27日 22時半――

――トレーナー寮 405号室の角部屋――

 

 賑やかで楽しい夕食を取り終えた後、シービーを寮へ送ってふたりでまたトレーナー寮へ帰ってきた。

 

 帰宅して先に風呂を勧めたが、トレーナー君に『アスリート優先よ?』と断られた。

 そのためお先に頂いてリビングへ戻っておりテレビをみていた。まだどこの局の番組でもジャパンカップの話が出ているが――気持ちの整理のついた今は見られる。寧ろ次走への、勝利への渇望がみなぎってくるようだった

 

 そして髪を乾かして戻ってきたトレーナー君は、私の様子を見て狼狽(うろ)えた様子を見せた。――真剣な顔でテレビを見ていたからだろう。手招きしてぽんぽんと私の右隣のラグを片手で叩き、動揺を隠せない彼女をこちらへ寄せる。

 そろり、そろりと近寄ってきた彼女はそっとその隣に座って『なんですか?』と首を傾げた。

 

「タカオハリエースは有マを最後に別のリーグへ。ミスターシービーは春の天皇賞の後に同様だそうだ」

「……という事は?」

「――有マはきっと我々も選出されるだろう。――私は有マを勝ちたい。勝って強さを証明したいんだ。休養明けからのトレーニング計画に目を通したい。その準備はいつから出来るだろうか?」

 

 トレーナー君は安堵(あんど)したようにほっと胸をなでおろした表情をした。私の成長を促すために、きっと本心を隠して声をかけなかったのだろう。

 そんな彼女はテーブルの上のタブレット端末を手に取った。

 

 自作のアプリを起動し、トレーニング計画や現時点でわかる出走予定者のリストなど――有マで勝つための全資料を表示して私へ差し出した。

 

「作成済みです。どうぞ」

「前走の敗因とそれの対策についての資料は?」

「別のフォルダに入っています。先に見ますか?」

「そうだな。先に見よう。――いつもながら仕事が早くて丁寧だね。ありがとう、助かるよ」

「どういたしまして。――ではお茶淹れてきますね。飲み物は温かいほうじ茶でいいですか?」

「ああ、頼むよ」

 

 ――心に雨降ったが気持ち()は固まった。

 迷いを()き消し、次走になるであろうグランプリレース"有マ記念"――前年3冠バのミスターシービー。そして宝塚とジャパンカップを制したタカオハリエースをはじめ、投票で選ばれし英俊豪傑(えいしゅんごうけつ)

 

 彼女たちから勝利をこの手に掴むべく、まずは敗因を洗い徹底した分析から始めることにした――。




【ジャパンカップ編あとがき】

 展開は悩みました。
 シンボリルドルフ号ってどんな馬だっけと、年末年始悩んで出したのがこの妄想です。

 この世代を知る方に相談した結果『負けると心が折れる時もある。ルドルフは立ち直る強さを持ってる』と力説していただきました。
 タカオハリエース。古語である地名を冠させた不屈の宝塚ウマ娘。彼女のことも考慮し、惜敗ルートとして書かせて頂きました。

 皇帝も強い。ミスターシービーも強い、タカオハリエースも強い。みんな違ってみんないい。遠征リスク覚悟の上で地平線の向こうから来たウマ娘たち。そして、こんな中に逃げずに挑んだウマ娘ディアナソロンは勇者です。

◆史実と違う点◆
 まずマーク先と体調不良の理由です。
 向正面からの展開と3コーナーからのルドルフの位置を変えています。
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