街の片隅には、詩が響いている──。
私は、通り雨が過ぎて晴れ渡った或る日の午後に、
大都会東京を東西に
この街の目抜き通りにはこの御時世であるというのに、のべつ幕なしに人が行き交う。それは疫病が
私用を済ませた後、
公園の入口へと続く道──
この道は道幅が狭く、北口と違ってネオン色は一切見当たらないものの、昔から若者等が好みそうな流行りの店が奥まで立ち並んでいた。だから車の代わりに若者たちが、似たり寄ったりの格好をして、手元には蓋付きのプラスチックのコップを持って、肩で風を切るように歩いていた。お洒落には
しかし、誰も彼もそうなのである。私だって、例に漏れることは無い。ある程度決められた枠組みの中で、生きる事を求められるのだ。下手に自己主張をして、その枠から逸脱すれば、それはこの島国では狂人なのである。醜いアヒルの子は、基本一生醜いままであるのだ。
建物の影から
階段に差し掛かって、その上から一度眼下に見下ろすも、やはり記憶とは変わらなかった。等間隔で植えられた木の枝葉から覗く木漏れ日が広場を照らしていた。その広場の中央にある大木の周りは人集りで
ここに来るまで昔と変わらぬ人の流れを見ていたのに、この御時世だからこそ私が求めているものがこの公園にあるのではないかと
だが、やはりこの場所は吉祥寺という街の延長線上に過ぎなかった。皆が
決して、私はこの場所を嫌っている訳では無い。何度もこの場所には友人と共に来訪したことがある。しかし、この頃の私の年を取ったが故の心境の変化が、きっとこのような否定的な思考をもたらしているのであった。
園内に入る気が
喋り声でもない、足音でもない。それはこの中では異質な張った弦が掻き鳴らされる音だった。
階段の中腹に目を
耳を少し澄ませば、彼は歌を歌っていた。
しかし、それはまさしく醜いアヒルの子であった。だから行き交う
私は暫く階段の上で立ち止まって、その歌っている歌を聞いていた。
お世辞にもキャッチーとは言えない音色。少し
しかし、それらに乗せられた言の葉には、強烈なものがあった。
最初は何の変哲もないこの街の片隅にあるありふれた情景を歌った歌であった。
『僕は見た。凍えた冬の日の夜に、井の頭池に架かる七井橋の
そして、彼はそれをこの様に称した。幸せだ、幸せだ、と。
しかし、そこから次第に、私たちとは縁のない別の世界──
『僕は見た。白いベッドの上で寝そべる男の子の首元に巻かれた包帯は真っ赤に染まっている。そして、母親は目に涙を浮かべて、
そして、彼はそれをこの様に称した。不幸せだ、不幸せだと。
まるでこの目で確かめてきたような生々しさを
この後も、この公園で起こる何気ない幸せな情景と、それに対比される生々しい不幸せが詩として、唄い続けられた。
そして、この詩の最後は、こう続いた。
『──この詩で僕は世界を救うことができるとは思っていない。誰かの不幸せを幸せに変えることができるとは思っていない。それはとうの昔に思い知らされた一介のしがないシンガーさ。
今、こうして歌っている時も、何処かで名の知らぬ誰かが
でも、唄うことはできるのさ。君たちに僕が見た世界を
その歌を聴き終わった後、私の中の安物の
私は財布の口を開けて、僅かではあるが何枚かの小銭を握り締め、その階段を数段下りた。
赤いマフラーを巻いて楽器を抱えた初老の男性の手前の缶には、数枚の硬貨が入っていた。私は、手に握り締めていた何枚かの小銭を入れた。
「ありがとね」
すっかり老熟して包み込むような低い声で感謝を告げた彼は、私に向かって
私は軽く
どうやら、彼は二〇代後半から二〇数年世界各地を転々としていたそうだ。人々が陽気に鼻歌を歌う欧米だけではない、原子力発電事故で不毛の土地となったチェルノブイリ、中東やアフリカといった貧困と戦争に
そう、つまり私も、彼の目の前を幾度もなく通り過ぎていたのだった。
きっと、明日も、明後日も、明明後日、その先も彼は天寿を全うするその日まで、あの街の片隅で詩を唄い続けているだろう。
私は、あの赤いマフラーを巻いた初老の男性が彼の望む讃歌を唄い、その詩があの街に響き渡る日が来れば良いと思った。
私は何が出来るのだろうか──。
まもなく新宿に到着すると車掌のアナウンスがかかる車内の中で、私は私自身に問いかけていた。
だから、私は今、この
拙文を読んでいただきありがとうございます。
モデルの方はいらっしゃいますが、フィクションの私小説です。