やはり俺の社会人生活は間違っている   作:kuronekoteru

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やはり俺の社会人生活は間違っている #1

 

 労働とは義務であり、悪である。

 早朝から行きたくもない会社のために眠たい身体を叩き起こし、乗車率200%を超える車両に身体を捻じ込む。果てには夕方まで会社に軟禁されてしまうという。

 こんな日をなんと週に五日も、しかも年の大半は連続で過ごせというのである。

 

 普通に考えて現代社会の地獄でしかない。だがしかし、俺の入社した会社は世間的にはホワイトに分類されているらしい。

 日本まじで終わっているのでは……? 電車に関しては東西線が悪い、千葉から東京に働きに行く人間が多すぎるのだ。

 

 そんな気が狂うような社会人生活も早2年目となった。

 1年目は仕事を覚えるのだとか、同期と上手くコミュニケーションを取れるように勤しむことに必死で、瞬く間に過ぎ去っていった。

 ……きっとあの二人もそんな感じなのであろうことは想像に難しくない。雪ノ下は上手く社会に溶け込めているだろうか。無理をしていないだろうか。

 

 最近会えていない奉仕部二人のことを思い浮かべながら帰り支度をしていると、同期の吉田が珍しく声を掛けてきた。

 

「比企谷は確か今夜は暇だよね? 佐藤達とご飯を食べに行くから来て欲しいんだけど、だめかな?」

 

 吉田は仕事は出来るわ、性格も良いわで隙の無い爽やか完璧イケメンである。昔懐かしの葉山と比べても遜色ない程に顔立ちが良いのが癪である。俺なんかにも普通に接してくれる人間性は嫌いじゃないが。

 

「……気持ちは嬉しいんだが、今日はアレがアレでちょっと都合が悪いからまた今度誘ってくれ」

 

 俺は即興にしては完璧な言い訳をして丁重にお断りをしていた。社交辞令も交えられるようになり、社会人としての成長を感じざるを得ない。

 

 目の前の男は俺の返答が予想通りだったのか、爽やか笑顔から表情を変えずに口を開いた。

 

「暇ってことだよね。じゃあ駅前の居酒屋に19時集合でよろしく」

 

 吉田はそう言い終わるや否や、俺の返事も待たずにそそくさと佐藤と思われるチャラそうな男と共に会社から出て行ってしまう。まぁ実際は暇だからいいんだけどね、今日は華金で明日は休みだし……。

 

 

 渋々とだが、俺は指定された時刻である19時丁度に目的地へと到着した。時間を守ることは社会人の基本なのだ。

 ……5分前行動? えっと、これプライベートなので許してください。

 

「比企谷、こっちだぞ」

 

 中に入り周りを見渡していると、店の奥の方に位置する個室から素敵な笑顔で俺を呼ぶ奴の声が聞こえた。その男前を目印に俺は活気のある店内をいそいそと歩いて行く。そして、漸く席に辿り着いた俺は見知った男たちに挨拶しようと口を開こうとしたのだが。

 

「…………はい?」

 

 同期の吉田と佐藤だと思われる男、その対面には初めて見る女性が二人ともこちらを見つめていた。片側の女性は、茶髪を肩まで伸ばした明るそうな雰囲気で、もう一人は黒髪ショートで大人しい印象を受ける女性だった。どちらも目鼻立ちが整っており、美人と言って差し支えない二人組。

 

「比企谷君、早く座って自己紹介するっしょ」

 

 現状に着いていけずに困惑する俺に対して、チャラ男は自己紹介するように迫る。今すぐ逃げ出したいのだが、社会で揉まれたせいか昔よりも逃げ足が遅くなってしまったのである。仕方がないので就職活動中に身に着けた自己紹介を披露するとしますかね。見知らぬ他人に対して話すのも学生よりは俄然慣れたものである。

 

「……あー、えっと、比企谷です。こいつらとは会社の同期です。その、よろしくお願いします」

 

「よろしくね、比企谷くん!」

「比企谷……? あ、よろしくー」

 

 俺の挨拶に対して明るい朗らかな笑顔と何故だか疑問符を浮かべる女性陣。まあ半数を笑顔に出来たのであれば上々の自己紹介だっただろう。だったよね?

 

 自己紹介を終え、席に座りおしぼり袋を開けながらに俺は気付いた。これって所謂合コンと呼ばれるイベントではなかろうか。

 

「……おい、合コンだなんて聞いてないぞ」

「言ってないからね」

 

 向こう側に座る女性たちには聞こえないように小声で文句を告げたのだが、素敵な笑顔でそう返されてしまうと非難する言葉はもう出てこなくなる。正にイケメン無罪であり、これが許されてしまう社会が憎い。

 対面の女性の目的は間違いなく横に座る男だろうし、ここは無難に盛り下げないよう気を付けながら時期を見て帰ろう。俺はそう踏ん切りをつけ、軽く息を吐き姿勢を正した。

 

 すると、女性の一人がスマホを確認して何やら嬉しそうに笑い始めた。そのままに彼女は席を立つと、先ほどの佐藤のように個室からひょっこりと顔と手を出して声を発し始める。

 

「こっちこっち、はやくー!」

「ちょっと、お店に迷惑になるから騒がないで欲しいのだけれど……」

 

 その返ってきた澄んだ声を聴いて俺の身体は反射的に動いた。聞き間違える筈もない、この声は……。

 無意識に立ち上がっていた俺は通路から聞こえてくる音に神経を集中させる。段々と小気味の良い足音が近付き、やがて先ほどの声の持ち主の姿が現れた。長い黒髪を垂らし、白磁のような肌を持つ彼女。

 

「………雪ノ下」

 

「………比企谷君」

 

 そこには、あの雪ノ下雪乃が立っていた。唯でさえ作り物のように美しかった学生時代から更に綺麗になったその容貌に、俺を含めた男性陣全員が息を呑んだ。

 

「比企谷君、もしかして知り合いなん? 紹介してくれっしょ!」

 

 チャラ男に声を掛けられた気がするが、久しぶりに見た彼女に見惚れてしまっているので何も言葉を返すことは出来ない。

 そんな静止した空気を動かすように、吉田は全員に聞こえるように明るく声を掛けた。

 

「みんな集まったことだし、先ずは乾杯をしようか」

 

「雪ノ下さんの分も頼んでおいたよー」

「え、ええ……ありがとう」

 

 少しぎこちなさはあるが笑顔で返しているところを見ると、雪ノ下は同期の女の子と仲良く出来ているのであろう。あの文化祭の時のように一人で激務に追われたりしていないかと心配だったが、それは杞憂だったみたいだ。

 

 乾杯の後、俺たちは改めての自己紹介を行った。吉田と佐藤は相手方の女性である加藤さんと橋本さんと共に楽しそうに会話をしている。

 そんな四人を横目に、俺は久しぶりに再会した雪ノ下に声を掛けようとしたのだが、同期の佐藤から横槍が入ってしまう。

 

「そういや、雪ノ下さんと比企谷君ってどういう関係なん? 知り合いっぽかったけどさ」

「……高校で同じ部活だっただけだ」

 

 高校で同じ部活になって、何だかんだ大学生の時も仲良くしていた間柄です。などとマウントを取りたい欲に駆られるが、本人の目の前だと流石に出来やしない。

 

「そうなん? 付き合ってたりとかはしてないん? だったらめっちゃ美人だし俺アタックしちゃおっかな~」

「おいおい、佐藤じゃ無理だろう……」

 

 吉田は意味深に笑って佐藤を牽制し、俺を一瞬見てから雪ノ下にその顔を向ける。まさか、吉田までもが雪ノ下を狙っているのだろうか。

 俺がそんな危機感を募らせていると、吉田は静かに席を立ち雪ノ下に声を掛ける。

 

「雪ノ下さん、ちょっといいかな」

 

 対する雪ノ下は特に嫌がる素振りも見せずに快諾してしまう。そして彼女も席を立って二人で何処かへ歩いて行ってしまった。

 あの吉田に本気で狙われたら、雪ノ下といえど危ないんじゃないだろうか。内心無茶苦茶に焦っていた俺はトイレに行く振りをして席を立ち、二人の様子を見に行くことにした。

 

 焦りのままに大袈裟に店内を見回すと、店の入り口の方で会話している二人が目に映し出された。あの雪ノ下が興味深そうに吉田の話を聞いている姿が俺の目に入り、心の奥底から醜い嫉妬が芽生えそうになるのを理性で抑え込む。

 

 ――今の俺に出来るのはただ黙って元の場所へと戻ることだけだった。

 

 

「吉田君、二人で何の話してたん?!」

 

 俺が席に戻ってから数分もせずに雪ノ下たちも帰ってくると、間髪入れずにチャラ男が口を開いて詮索を入れ始める。騒がしいだけだと思っていたけれど、躊躇なく訊けるメンタルは見習いたいものだ。

 

「……秘密だよ」

 

 イケメン笑顔で誤魔化す彼に対し、俺は恨みを込めた視線を向けてしまう。だが、それでは何も解決はしないので、動揺を隠し切れないまま雪ノ下に直接訊いてしまった。

 

「ゆ、雪ノ下……その、何を話していたんだ?」

「た、大したことではないわよ……」

 

 雪ノ下は少し頬を赤く染め、俯きながらそう小さく呟いた。その可愛らしい姿には心打たれそうになるけれど、彼女が照れている理由を想像すると腸が煮えくり返りそうになるのだった。

 

 

 

「少し早いけれど、二次会に行こうか」

「おっけーい!!カラオケ行くっしょ!!」

 

 店の外に出ると吉田達が二次会の提案をしていた。相手方の女性陣も笑顔で快く同意しているように見える。俺としては憎悪の気持ちで満ち満ちているため、1秒でも早く帰りたいのだが、雪ノ下が行くのであれば帰る訳には行かないだろう。

 彼女も特に拒否をしている様子は見られないため、俺は二次会への参加を決意していると、吉田が雪ノ下に一歩近付いて口を開いた。

 

「雪ノ下さんには悪いんだけど、二人で別のところに行ってもらえないかな?」

「ええ、構わないわ」

 

 雪ノ下の了承が出たところで俺の意識が飛びそうになる。このままでは不味い、何か行動を起こさなくてはと必死で頭を回転させようとする。

 

 ――しかし、俺のそんな悪あがきは一瞬で無意味なものになった。

 

「比企谷君、早く行きましょう?」

「…………は?」

 

 突然、雪ノ下に手を取られて頭が真っ白になる。えっ、吉田はいいの? 誘われたんじゃないの??

 

「近くに良いバーがあるから、そこでいいかしら?」

 

 雪ノ下に柔らかい微笑みで問い掛けられては、二つ返事で了承してしまうのも致し方ないだろう。そんな俺の様子を見て嬉しそうに歩き始める彼女の様相に、俺の心拍数は著しく上昇していた。

 

「比企谷、雪ノ下さんのエスコートをしっかりするんだぞ」

「ファイトっしょ、比企谷君!」

 

 同期の吉田と佐藤が声を掛けてくれているのだが、俺には彼等に反応する余裕など一切なかった。今はただ、彼女の手の感触に俺の意識は奪われていたのだから。

 

 

 

 ただひたすらに彼女の背中を追いかけていると、気が付けばお洒落なバーへと入店していた。暗い店内には大きなカウンターが鎮座しており、周りには幾つか座れる椅子が設置されている。

 

 お店のマスターに案内されるがままにカウンターに並んで座り、適当にカクテルとつまみを注文した。頼んだ酒が到着したタイミングで、隣に座る彼女は微笑みながらグラスを持ち上げる。

 

「久しぶりね、比企谷君。一先ずは乾杯をしましょうか」

「お、おう。……乾杯?」

 

 グラスは接触させないように、ゆっくり丁寧に乾杯をした。

 これは割れてしまう恐れがあるから本来は接触させない方が良いというのもあるが、俺自身が彼女に触れる勇気を持ち合わせていないからだった。

 

 お互いに一口だけグラスに口を付けると、雪ノ下がこちらに問い掛けてくる。

 

「……比企谷君も合コンなんて行くのね? 残念ながら私の同期の子はまだちゃんと生きているのだけれど」

「いや待て、合コンだなんて知らなかったし、俺はゾンビの類ではない」

 

 何も嘘を言っていないのだが、彼女は不服そうにこちらを見つめている。合コンだと知っていたら行かなかったからね?

 

「……どうかしらね」

「そういうお前はどうなんだよ、なんか吉田と仲良く話してたけどよ」

 

 少し苛立ちを込めてそう呟いてしまったところ、彼女の瞳が僅かに大きくなった。そして、お得意の意地の悪そうな微笑でこちらを見つめる。

 

「あら、嫉妬かしら? ふふっ、少し嬉しいわね」

 

 彼女の素敵なその笑顔と、羞恥心から少し顔が赤くなってしまう。それを隠すように俺は顔を視線の反対側へと向けるも、雪ノ下はそのまま言葉を続けた。

 

「……吉田君、だったかしら? には比企谷君の会社での様子を話してもらっていただけよ。彼は私と比企谷君が知り合いだって最初から知っていたらしいわね」

「……はい?」

 

「私の同期の加藤さんが吉田君と知り合いだったらしくてね、今回のことを協力して企画してくれたらしいわよ」

「いや、俺は雪ノ下と知り合いだなんて会社で喋った記憶がないんだが……」

 

 一体全体どうなっているんだと俺は首を傾げた。そんな俺の様子が可笑しいのか、目の前の彼女はくすくすと笑っている。

 

「あなた酔っぱらうとすぐ私たちのことを話すらしいじゃない」

「………記憶にございません」

 

 まじかよ、理性の向こう側の俺なにやってんだよ。

 もう同期とは酒を飲まない。というか会社関係の飲み会には参加しても酒は飲まないようにしよう、うん。

 

「私もね、同期にはあなたのことを話したことがあるのよ」

 

 雪ノ下が静かに、ゆっくりと語り始める。俺は氷の入ったグラスを火照る頬に当てながら黙って聞いていた。

 

「だからかしらね、珍しい苗字ってこともあるし、特徴も特徴だから知り合い経由で特定されてしまったのでしょうね」

 

 なるほど、だから自己紹介の際に俺の名前を言ったら相手方に妙な反応をされたのか。

 俺は腑に落ちると同時に安堵した。そして吉田に胸の内で謝罪をする。あいつマジで良いイケメンだったのね。

 

「世間ってマジで狭いんだな……」

「そうね。というより、私とあなたが想像以上に運命の糸で繋がっているって感じかしらね?」

 

 揶揄うように笑いかけてくる。今の雪ノ下さんは大変上機嫌である、かわいい。

 

 

 その後、2時間ほど聞き慣れない名前のカクテルを飲みながら、お互いの近況についての話をしていた。

 やはり雪ノ下はエリートコースまっしぐららしい。1年目にして社長から表彰されるほどの仕事っぷりだそうだ。そんな彼女と仲良くしてくれる同期がいることを心から嬉しそうに語っていた。

 恵まれた環境で、より魅力的になっていく彼女を1年も見られなかったことが俺は何よりも悔しく感じた。

 

 酔いを感じながらも携帯を確認すると、そろそろ終電を意識する時刻であった。この時間が終わってしまうのは惜しいけれど、帰ろうと雪ノ下に声を掛ける。

 

「おい、そろそろ終電だから早く帰ろうぜ」

「………」

 

 返事をせず、こちらを睨みつけてくる雪ノ下。比企谷八幡のぼうぎょがさがった気がする。

 

「雪ノ下さん?」

「はぁ……。あなたは社会人になっても変わらないのね」

 

 彼女は何かに呆れているようだが、皆目見当もつかない。まさかお洒落なバーなんかには帰る前の作法があったりするのだろうか。

 

「……とりあえず出ましょうか」

 

 渋々といったところだが、店の外へと向かう雪ノ下に俺は黙って付いていった。

 

 もう日付も変わってしまいそうな時間だった。道行くサラリーマンと思われるスーツ姿の人々は駅に向かって歩いている。

 俺たちもその人々に付いていくように会話もせずに駅へと向かった。

 

 

「じゃあ気をつけてな」

「ええ、あなたもお巡りさんに気を付けてね」

 

 駅に到着したので、改札前で雪ノ下に別れの挨拶をする。

 特に酔っている様子もないので送らなくても大丈夫かなと思っていたのだが、段々と彼女の顔が赤みを帯びてくる。急にアルコールが回ってきたのだろうか。

 

「……あの、比企谷君」

「……どうした、雪ノ下?」

 

 雪ノ下は不安そうにこちらを見つめていた。一呼吸を置いてから彼女は続きの言葉を口にする。

 

「あ、明日は時間あるかしら。良ければ映画でも見に行かない?」

 

 俺は想像もしていなかった雪ノ下からの突然のお誘いに驚きを隠せない。しかし、動揺しながらも喜びの方が圧倒的に上回った俺は反射的に首を縦に振っていた。

 

 彼女は俺の了承の意思を確認すると、急にくるりと背中を向けた。

 

「……じゃあ明日の12時にここで集合にしましょう」

 

 そう言ってそそくさと逃げ帰ろうとしている雪ノ下を追いかけて、その手を握った。俺らしくもないが、これは酒で酔った勢いなんだと自分に言い訳をする。

 

「……やっぱ送るわ」

 

 心底嬉しそうに微笑む彼女からの返事は、俺の手を強く握り返すことだった。

 




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