やはり俺の社会人生活は間違っている 作:kuronekoteru
俺の住んでいる部屋は洋室9畳+キッチン付きの所謂1Kという間取りである。風呂トイレは別なので、一人暮らしにしては悪くない物件だとは思う。家賃は6万円で会社の補助金を考慮すると月5万円となる。
家賃は手取りの三分の一までにするべきという世間様のルールを守った、まさに俺に相応しい住居なのだ。
そんな俺が住むには順当な普通の家に、あの雪ノ下を招いてしまったのである。
遂に彼の家に来てしまった。少しだけ強引だった気がするけれど、それも仕方のないことだった。今日を逃してしまうと来ることはきっと難しくなると思ったから。
次からはきっと、彼が私の家まで迎えに来てくれる。そうなると、迎えに来てもらった上で彼の家に行き、挙げ句に帰りも送ってもらうなんてことは流石に私からは言えそうにもないのだから。
彼の部屋は物があまり多くなかった。置いてあるのはセミダブルのベッドに少し大きめの本棚、それとローテーブルと座布団程度だろうか。座布団が二枚あるのはきっと小町さんを考慮してなのだろう。
書物などで知る男の人の部屋とは趣が異なっているけれど、とても比企谷君らしい部屋だと思う。この部屋の香りと相まって私を落ち着かせてくれる。
けれど、ここまで物が少ないと、この部屋に忘れ物をするのは少し難儀だと思ってしまった。
雪ノ下はぐるりと俺の部屋を見回すと少し難しい顔をして考え込み始めてしまった。やはり、お気に召さなかったのだろうか。猫グッズもパンさんグッズも置いてないしね。まあ湯呑は大事に使ってるから台所にはあるけれど。
にしても、部屋に招いたのはいいのだが、この後は何をすればいいのでしょうね。我が家にはテレビも置いていないので、映画もゲームも無理である。一人ならスマホで事足りるからね。
こっそりグーグルさんにも聞いてみたのだが、碌な内容ではなかった。雪ノ下にそんなことは出来るわけがない。
先週は雪ノ下の家で何をしただろうか。ご飯を食べて、お酒を飲んだ記憶しかない。相当に甘やかされてしまった。今回は俺が甘やかすべきなのだろうか。それはハードルが高すぎるであろう。
取り敢えず晩飯について考えるかと方針を変更した瞬間に思い付く。そうだ、あれがしたいと思っていたじゃないか。
「……雪ノ下、今日は一緒に何か作らないか?」
何かに悩んでいそうな彼女だったが、俺の提案を聞くと次第に顔が綻ぶ。
「ふふ、いいけれどメニューは何か希望があるのかしら」
二人で作るのに適したメニューとはなんだろうか。我が家の広くないキッチンで並んで作業するのは正直難しい。だが、この部屋で二人で共同作業できる料理を俺は知っていた。
「餃子ってのはどうだ」
徒歩5分圏内のスーパーで食材を購入する。購入内容はタネとなる豚の挽肉に白菜、玉葱、大根おろし、大葉、それと餃子の皮である。大根おろしを入れるとジューシーで美味しくなるらしい。
「先ずはタネを作る準備ね、比企谷君は切った食材を混ぜ合わせてもらえるかしら」
我が家の台所に立ち、包丁とまな板を前にした雪ノ下が指示を出してくれる。自分のキッチンに彼女が居るのを見ると気持ちが舞い上がりそうになるのは仕方がないだろう。
「任せろ、混ぜるのは得意だからな。人に混ざるのは苦手だけど」
「社会人とは思えない台詞ね……」
彼女はトントンと小気味よく野菜をカットしながら苦笑している。それを横目に俺は混ぜるためのボウルを用意する。
俺が豚の挽肉をボウルに入れると、雪ノ下が切った野菜と調味料を追加で投入してくれる。調味料は醤油と料理酒、にんにく、生姜、胡麻油である。最後に大根おろしを加え入れ、混ぜ合わせる。匂いだけで既に美味しそうだ。
「タネはこれで完成ね、では包んでいきましょうか」
「……じゃあ向こうで包むか」
タネが出来たので、二人でローテーブルの方に移動し、餃子の皮で包んでいく工程に移行する。大きめの平皿を用意して、包んだ餃子を置く場所を確保する。後はタネを掬うスプーンと、水を入れたお椀を用意した。
座る位置は道具の置き場の関係上、すぐ隣同士になった。こんな些細なことでも少しこそばゆい気持ちになってしまう。
心を落ち着かせるために餃子包みに集中しよう。最初に皮を左手に取り、タネを気持ち少なめに皮の中央に乗せる。水で右手人差し指を少し湿らせ、皮の縁を円を描くように指先でなぞった。
後は両手を使い、ジグザグの折り目を作りながら皮を折り畳んでいく。初めて作った時は散々な出来だったが、今となっては簡単な作業である。
「意外と包むの上手ね、慣れているのかしら?」
「まあな、餃子の皮とオブラートを包むのには慣れてるぞ」
オブラートの方に関しては彼女よりも上手いんじゃないだろうか。これを言ってしまったら包まれていない言葉が飛んでくるのは必死なので決して口にしないが。
「……失礼ね、私も仕事ではオブラートに包んでいるわよ」
横から睨み付けてくる雪ノ下さんにビビりつつ、次の皮を手に取る。おかしい、俺の言葉だけでは失礼な要素は無い筈なのだが。
隣に座る彼女の手際は非常に美しく、包まれた餃子は既製品を疑うレベルの出来である。しかし、偶にタネを入れ過ぎてパツパツになった餃子も作成していた。まあそういう事もあるよね。
「ふふ、これは比企谷君のよ、タネが余りそうだったから仕方なくね」
ワザとであった。具沢山の方が嬉しいまであるから良いのだが、彼女にしては少しお茶目な気がする。
楽しそうに餃子を包んでいるお隣さんに対しても何か特別な餃子を作ってあげたいのだが、特にできそうなことも無い。
今はただ、彼女に美味しいと言ってもらえるように丁寧に優しく、彼女のことを想って包むことにしよう。
総数50個もの餃子が出来上がったので、焼きの作業に入っていこう。数が多いので何回かに分けて焼く必要があるだろう。
……というか、これ二人で食べ切れないでしょ。餃子が敷き詰められた二枚の大皿を両手に持ち、その重さに俺は衝撃を受けていた。
皿を運搬している俺がキッチンに入ったタイミングで雪ノ下から声を掛けられる。
「電気ケトルでお湯を沸かしてもらっていいかしら」
「……いいけど、何に使うんだ?」
雪ノ下には悪いのだが、我が家に紅茶のパック類は置いていない。飲み物は箱買いしているミネラルウォーターとマッ缶、あとはアルコール類だけである。電気ケトルは専ら朝食のカップラーメン用に働いてくれているのだ。
「餃子を焼くのに使うのよ、蒸し焼きするのに水ではなくお湯を入れることでカリッと仕上がるわ」
したり顔で解説をしてくれる雪ノ下さんだった。相も変わらず知識量が半端ない。雪ノ下と餃子って意外な組み合わせだと思っていたけれど、実は餃子好きだったりするのだろうか。
お湯も無事に沸いたので、雪ノ下はフライパンに油を敷いて餃子を並べていく。他の餃子とくっつかないように間隔を空けるのが肝要みたいだ。ある程度フライパンが温まったら、お湯を餃子が少し浸かるくらいまで入れて蓋をした。
「3分ほど蒸し焼きにするから、その間に取り皿を用意してもらえるかしら」
お安い御用である。二人分の取り皿と箸、グラスとミネラルウォーター、そして調味料の容器をローテーブルに持っていく。調味料は醤油とお酢と辣油である。人によっては胡椒を使うらしいが、今回は必要ないだろう。
数分して、焼き目が綺麗なきつね色に仕上がった餃子が目の前に置かれる。第二陣を焼くのはこれを食べ切ってからにしよう。今は早くこの雪ノ下特製餃子を食べたいのである。
対面に座る彼女と共に合掌し、食前の挨拶をする。餃子を俺のお酢9に醤油1の特製餃子タレに付けてから口に入れる。ザクッとした歯応えの後、中から旨味が流れ込んでくる。しっかりと味が付いているのだが、大葉のお陰でさっぱりとした味わいに纏まっている。めちゃくちゃ美味い……。
「……相変わらず美味しそうに食べてくれるわね」
雪ノ下にガン見されていたようである。少し恥ずかしさはあるが、この餃子を前にして表情に出さないのは無理であろう。
「雪ノ下のこの餃子が美味しすぎるからな、仕方ない」
「そ、そう言ってもらえると悪い気はしないわね」
悪い気どころか、相当嬉しそうな声色なんだよなあ……。それを誤魔化すように餃子を食べる雪ノ下を見ていると、心が洗われるようだった。
「そう言えば、今日はお酒は飲まないのね」
雪ノ下がその事に急に切り込んできたので、少し心臓が縮み上がった。無論、餃子に対してビールやレモンサワーなどのアルコールを合わせたいのは山々なのだが、先週の雪ノ下の家での理性低下がそれを妨げているのである。自分の家であれば尚更に油断してしまいそうなんですよね。
「き、昨日も飲んだしね。……雪ノ下は飲むか?」
「……あなたが飲まないなら私も要らないわ」
酒好きのような扱いをしてしまったからか、雪ノ下の反応が芳しくない。そんな風には思ってないからね、ごめんね?
にしても、雪ノ下も餃子にはビールとか欲しいタイプなのだろうか。多分違う気がする。
「酒なんか無くても最高に美味いぞ。だからその、次を焼いてくれるか?」
「……あなたが食べてくれるなら焼いてあげるわよ」
何でもね、と呟いて彼女は立ち上がった。機嫌良さげに鼻歌なんて歌っている彼女を見ながら考えてしまう。食べ物じゃなくても良いなら、焼きもちとか焼いて欲しいなと。こんなことを伝えたらきっと馬鹿にされてしまうだろう。
結局餃子は全て食べてしまったので、現在は食休み中である。食べ過ぎで動くのには少し時間が欲しいと雪ノ下に伝えたところ、彼女も休みたいと言い、今は俺のベッドで寝ている。そう、寝てしまっている。
安らかな表情で眠る彼女においたをするつもりは無いが、ドギマギくらいはしてしまう。というか、もう少し危機感を持って欲しい。これアルコールを摂取してたら危なかったかもしれないんですよ?
彼女にはちゃんとお酒飲んだら理性が弱体化することを伝えるべきなのだろうか。
大体1時間ほど時間が経ったので、そろそろ雪ノ下を起こそうかと思い、ベッドに近付く。相も変わらず安心し切った顔をしているのが複雑である。軽く声をかけても起きてくれないので、仕方なく頭を撫でにいく。布団の上を叩いてしまうと、変なところを触ってしまう可能性があるからね。
「おい、そろそろ起きろよ」
雪ノ下の髪の手触りの良さに感動しつつ、諦めずに声をかける。少しだけ反応が返ってきたと思ったら、撫でている手に頭を擦り付けてきている。こいつは猫なのだろうか、好きになると似てしまうんですかね。
「……おはよう、比企谷君」
「遅い時間だっての、帰る支度をしてくれ」
そこから数分し、漸く彼女の目が覚めたようだ。最後に彼女の頭を軽く叩いて帰る準備を促す。寝惚けながらも了承してくれた彼女はゆっくりとベッドから立ち上がり荷物を整理し始める。
荷物を纏めて、もう出ようかというタイミングで雪ノ下が申し訳なさそうに口を開く。
「悪いのだけれど、少しお手洗をお借りしてもいいかしら…」
「じゃあ先に外出てるわ、急がなくていいぞ」
別に急いでるわけじゃないので、ゆっくり準備して欲しいと思い、彼女にそう返事をした。雲一つない夜空を眺めながら彼女を待とう。今夜は月が綺麗だ。
10分ほど過ぎた頃、玄関から音がしてきた。その後すぐに扉が開き、雪ノ下が顔を見せる。
「ごめんなさい、長い時間待たせてしまって」
「……全然待ってないから気にするなよ」
言葉とは裏腹にこの時の彼女の表情は明るかった。少し休んで元気になったのだろう。少しミントの香りがするのはあれだろうか。ブレスケアってやつだろうか。餃子のにんにくが女性的には気になったのであろう。いつもながらしっかりしている。
「居心地悪くなかったか?」
「……悪かったら眠ったりは出来なかったでしょうね」
あの睡眠は居心地良いアピールだったのね。そう思うと悪い気はしない。元からしてはいないが。
扉に施錠を行い、彼女から買い物袋とその手を受け取って歩き出す。我が家に連れて来た時と変わらないはずの両の手に感じる重さが軽くなっている気がする。お持ち帰りと比べたら気が楽だからだろうか。
にこやかに笑って歩く彼女の足取りも軽やかに見えた。
雪ノ下の住むマンションの入り口に到着した。両の手の荷物とはここでお別れである。
「今日は楽しかったわ、餃子もありがとな」
「……こちらこそ色々とありがとうね、比企谷君」
「じゃあ "また"な、雪ノ下……」
「ええ、 "またね"、比企谷君……」
手を振り、彼女を見送る。彼女が見えなくなる寸前にこちらを振り返ったが、その時に見えた表情はとても明るいものであった。
電車から降り、自宅まで歩きながらに次の機会を思案する。普通に次週も誘って良いのだろうか。独占禁止法に触れてしまうんじゃないかと不安になる。
下らないことを考えてる間に自宅に到着した。解錠し、扉を開けた瞬間に部屋から餃子と雪ノ下の匂いが流れてくる。後でファブリーズをしないとね、消えて欲しくない匂いもあるけれど。
取り敢えず手を洗うべく洗面所に辿り着くと、そこには今朝には無かったはずの色が置いてある。
「あいつ何馬鹿なことやってんだよ……」
こんな光景を見せられたのだ、独り言も出てしまうであろう。
俺の眼前には薄桃色のマグカップと、そこに立てられたピンク色の歯ブラシがあるのだから。
どう見ても忘れ物という感じではないので、意図してやったのだろう。自分の安全のために買ったんじゃなかったんですかね…。次に会った時には問い詰めてやろう。
もう仕方が無いので、自分用のマグカップを取り出してその隣に設置する。こんな狭い部屋で同棲アピールは無理があるし、誰にするのかも分からない。けれど決して嫌な気持ちではない。寧ろ嬉しいのではないだろうか。
鏡面に映る男の表情がそう物語っているのだから。
いつも感想と誤字報告ありがとうございます。
どちらにも凄く助けられております。
これからもどうかよろしくお願いします!