やはり俺の社会人生活は間違っている 作:kuronekoteru
行かないで欲しいと懇願したのに、目が覚めるとその残り香さえも消え去ってしまっていた。自然と涙が溢れそうになる。
早い話が月曜日だった。
ルーティンのように朝の準備をする。もう既に心は社畜モードである。俺の仲間は電気ケトルさんぐらいであろう。いつもありがとうね。
朝食のカップラーメンを食べ、歯を磨く。まだ慣れていない光景に少しだけ口角が上がってしまった。
会社のフロアに辿り着くと少し騒がしいことに気が付く。恐らく今日から配属になる新人にちょっかいを出している輩が居るのであろう。
自然と去年のことを思い出す。入社して一週間は他の施設を使っての全職種混合での全体研修が行われていた。そこには女子も存在していたので、浮かれる同期の男が喧しかった。同期の戸部こと佐藤もその枠であったのは覚えている。
吉田と話すようになったのは全体研修の最終日である。同期の女子に言い寄られていたのを眺めていたら、その女子を差し置いて俺の方に向かって話しかけてきたのだ。別に俺は羨ましいと思っていた訳でもないし、何なら働きたくないとしか思っていなかったまである。
その時は大した話もしていない、挨拶程度だっただろう。しかし、その後から定期的に吉田から話しかけてくるようになったのだった。
朝礼が始まると、俺の所属する部署の新人の配属が発表される。あまり興味がなかったので一瞥もしていなかったのだが、新人の自己紹介が始まった瞬間に驚かされてしまう。
「山田です!!ご指導ご鞭撻のほどお願いします!!!」
めちゃくちゃ声がデカいし、ついでにガタイもデカい角刈りの男がそこに居たからである。身長は175くらいに見えるのだが、筋肉が凄い。デカすぎて固定資産税かかりそうである。彼のやる気に満ち溢れたその眼が俺には眩しく映った。
どうやら今年の配属は山田だけのようだ。去年は三人だったことを考慮すると相当に少ない。不景気のせいなのだろうか。他の部署も少ないことは想像に難しくない。
そして予想通りではあるのだが、新人の教育係は吉田になった。仕事の割り振りが完璧である。素晴らしい上司を持てて俺は嬉しいです。
昼休みになり、大盛況の食堂へ向かう。この時期の食堂が最も混むのである。最初は新人のほぼ全員が社食を食べに来るからだ。暫くするとお弁当を作ったり、社外に食べに行く人で減るため、段々と落ち着いていくのだ。そんな去年を経験している先輩としては早く人が減るのを祈るのみである。
今日の昼食は何にしようか、やはり唐揚げだろうか。週に一回は食べたい。だから月曜日は唐揚げである。ちなみに金曜日はカレーである。
食券を購入し、食堂のおばちゃんに渡しに行こうかというタイミングで一人の男に群がる女性の集団が目に入った。その中心では吉田が困ったように笑っている。周りは新人の女の子なのだろう。イケメンは大変ですね。
不意に吉田と目が合うと苦笑しながらこちらに向かってくる。来られても困るんですけど。
……まさかこいつ俺の目を利用して女避けをしているのでは?
「……良かったら比企谷もお昼一緒にどうだ?」
全然良くないので帰って欲しい。最近は特に世話になっている気もするが、俺には荷が「先輩……?」重いので……へ?
吉田の真後ろから、亜麻色の髪をした見覚えのある女の子が現れた。
彼女とは高校の卒業式以来の再会だろうか。昔よりも少しだけ伸びたその髪とナチュラルから少しだけ背伸びをしたメイクの影響からか、学生の頃よりも幾分か大人の女性に見える。端的に換言すると綺麗になっていた。
「……久しぶりだな、一色」
「お久しぶりです、先輩」
昔のようにテンション高めな返事を期待していたのだが、彼女の声色は落ち着いたものだった。時の流れを感じさせるには十分な変化であろう。
何故か気を使われてしまい、一色と二人で昼食を取ることになった。一色の狙いは吉田だったのにね、ごめんね。
目の前のヘルシーランチ定食を注文した彼女は、どうしてか目を瞑り、深呼吸を繰り返している。話しかけづらいので先に食事を始める。
半分ほど食べたところで、彼女は閉じていた目を開き、笑顔を作って口を開いた。
「まさか同じ会社だったなんて驚きですよね、先輩は元気にしてましたか?」
「まあ悪い会社じゃないしな、ぼちぼち生きてるぞ」
「え、生きてる……?」
「おい」
こうやって一色と会話をするのは6年振りだろうか、高校では話さない日の方が少なかった気がする。何にせよ心地の良い懐かしさを感じさせた。
彼女はサポート関係の部署に配属されたらしい。別階のフロアなので業務中に関わることはなさそうだ。同じ階だったら昔みたいに頼られたのだろうか。
お互いに食べ終わり、トレイを下げようかと考えていると、一色が手を膝に置き、こちらを見つめていることに気付く。先ほどまでには感じられなかった真剣さをその瞳に宿しているようだった。
「……雪乃先輩とは上手くやれていますか?」
「…………上手くかは分からんが、最近は休みに出掛けたりはしている」
そう返答すると、彼女はホッとしたように息を吐いていた。そこからはケロッとした表情で喋り始める。
「それなら良かったです。二人でどういうところに行くんですか?温泉とかですか?」
「……そんな場所に二人で行けるかよ、先週は焼肉とららぽに行ったわ」
「へー、まあ金銭的に厳しいんですかね?」
「金の問題じゃねーっての」
恥ずかしさから頬を指で掻いてしまう。気持ち悪い仕草をしてしまったからか、一色の表情が厳しい感じになっている。具体的には眉間に皺を寄せている。そこまでの反応をされると辛い。
「……つかぬ事をお聞きしたいんですけど、雪乃先輩とはお付き合いされているんですよね?」
「付き合ってねーよ、どこ情報だよそれ」
何故か付き合っていると勘違いをされていたらしい。一色は俺の返事を聞くやいなや百面相かというほどの表情変化を見せる。大体の表情は昔に見たことあったので、懐かしさからぼけーっと眺めて過ごす。
「そうだったんですね!じゃあ今週の金曜日は私をご飯に連れてってくださいね?」
忙しなかった表情の変化が笑みで落ち着くと一色がメッシーを所望する。いや、どうしてですかね。金曜日は雪ノ下を誘いたいんですけど?
「……なんでだよ」
拒否にも近い返事をしてしまったにも関わらず一色の表情は変わらず笑顔であった。少しこめかみが動きましたけどね。
彼女は目を閉じて右手を握って口元に持っていくと、咳払いを行う。そして上目遣いで甘ったるい声で話し始める。
「16日の金曜日は先輩と一緒にいたいんですけど、駄目ですかあ?」
「へっ、懐かしいな、そのあざとさ」
少しだけ照れてしまったかもしれないが、今の俺にはそこまで効かなかった。圧倒的な成長を感じる。
しかし、16日か……確か彼女の誕生日だったであろう。それであればご飯くらい奢ることも吝かではない。会社の後輩にもなったことだしな。
「……じゃあ誕生日プレゼントってことでいいなら奢ってやるよ」
そう口にすると、彼女のただでさえ大きい瞳が更に大きくなる。頬も少し朱色になっている気がする。
「ありがとうございます、先輩!」
喜んでくれたようで嬉しいのだが、俺には幾つか質問があるのでそれを口にする。
「ちなみに、何系がいいとか希望はあるのか?」
「……そこは先輩に考えて欲しかったですけど、じゃあイタリアンでお願いします」
久しぶりに会うのにその期待は厳しくないですかね?まあ教えてくれたので助かった。下手したら焼き鳥屋とかを選んでいたであろう。
「あと、雪ノ下や由比ヶ浜も呼んでいいか?お前に会えたら喜ぶぞあいつら」
高校時代に一色を可愛がっていたのは俺だけじゃない。奉仕部のあの二人も随分と気にかけ、そして懐かれていただろう。間違いなく一色との再会を喜んでくれるだろう。
「あの二人には私からお話するので、今は秘密でお願いします。だから今週は二人きりで食べに行きましょうね?」
一色は悩む素振りもなくそう答える。なるほど、サプライズ的なのをやりたいのだろうか。可愛い後輩の久しぶりの頼みくらいは叶えてやろう。驚いた二人の姿も見たいしね。由比ヶ浜は当たり前だけど、雪ノ下も喜んで飛びつくのではないだろうか。
「了解、じゃあ店とか決めたら連絡するわ」
「はい、アカウントも変えてないので連絡待ってますね」
彼女はそう言うとトレイを持って立ち上がる。その姿を確認してから俺も立ち上がった。随分と懐かしい気分になったが、この後すぐに元通りの悲しき社会人に戻らないといけないのだった。時の流れは残酷なのよね……。
お店選びもジャンルさえ決まっていればあとは食べログさんと相談するだけで良いので楽勝である。
× × ×
一色と行く店は火曜日には決めたので、既に連絡済みである。そこまでは何の問題もなかったのだが、雪ノ下に土曜の予定を聞いたら残念ながら埋まってしまっていた。やはり独占はダメだったみたいである。
金曜日は一色に埋められてしまったので、誘えそうな日は残った日曜日だけだった。日曜日は普段は休むことに決めているので、家からも出ないのが常であるが、雪ノ下に会えない方があれなので誘ってしまった。ちなみに返事として猫が喜ぶ様子のスタンプが飛んできた。
そのスタンプの後に金曜日の予定について雪ノ下に聞かれた時は色々と辛かった。本当のことは言えないからね、適当に濁すしかありませんでした。
× × ×
一色の誕生日会の会場として選んだのはチーズに拘っているらしいイタリアンバルである。一色の厳しそうな評価としても合格らしく、喜んでくれていた。ちなみに俺の最寄り駅にあるので評判が良さそうなことは知っていた。
飲み物は赤ワインをボトルで頼み、食べ物はシーザーサラダを始め、ピザやパスタ、ラクレットチーズを注文して堪能した。
当たり前だが、一色とお酒を飲むのは初めてなので新鮮な気持ちで楽しんでいた。一色もちゃんと楽しんでくれているように見えた。
アルコールが回ってきたからか、お互いに少しお喋りになる。一色はもう既に会社に愚痴があるらしく、高圧的な女性社員やしつこく連絡してくる同期の男に対しての文句を話し始める。それが終わると大学時代の苦労なんかを語り始めた。やはりサークルクラッシュも経験済みのようだった。
俺からも彼女が知らないであろう大学時代の話を沢山した。大半は奉仕部の二人と遊んだ話ですけどね。
粗方大学の頃は話は終わってしまったので、最近のことについても話し始める。昨年度は全く会えなかったこと、今年度からは雪ノ下に毎週会っていること。誘い方の相談でもしようかと考えていると、目の前から軽く息を吐く音が聞こえた。
「……分かってはいたんですけど、そういうことだったんですね」
「……どういうこと?」
曖昧な表現だったからか、アルコールが回っている影響なのかは分からないが一色が何を言いたいのかを全く理解出来なかった。
「分かりました、協力してあげますよ」
「いや、だから何を?」
一色は俺の話を聞いていないのだろうか。全く会話が噛み合わない。だが、一色がふざけている様子ではないことだけはハッキリと分かった。
「折角こうして再会出来たことですし、”今度こそ”私も先輩の友人になってあげますね」
この時の彼女の笑顔が、高校を卒業したあの日の由比ヶ浜の笑顔と重なって見えた。
「で、先輩の今の悩みってなんですか?」
「……雪ノ下を誘う内容が思い付かなくて困ってる」
一色いろはの相談コーナーが始まったので、お悩みを投稿する。MC役はそれを聞いて腕を組んで適当に頷いている。首の動きが止まったと思ったら急に俺を馬鹿にした表情になる。
「……は?そんなの何でもいいじゃないですか」
「いや、お前も同期に誘われて困ってるって話してだろうが」
盛大に溜息をつかれる。少しだけイラッとするが、取り敢えず話を聞こう。
「それは相手の問題ですよ、お二人の間柄でそんな風に思われる訳ないじゃないですか。むしろ嫌味ですか?あ?」
どうしたらあれが嫌味に聞こえるのだろうか。しかし、目の前の彼女がぷりぷりしてしまったので謝罪はしました。
「取り敢えず、雪乃先輩と行きたい場所を片っ端から挙げて、抽選アプリでも使って決めればいいんじゃないですか?知らんけど」
なんか適当に聞こえるが、割と理に適っている気がするので参考にしますかね。
店を出て、一色と駅まで並んで向かった。道中ではお店の料理の感想なんかを話していた。彼女との物理的な距離が昔よりは少し離れている気もするけれど、落ち着く距離感だと思えた。
駅に着いたので、一色とはここでお別れとなる。一応、家まで送るかを聞いたけれど丁重に断られました。
「ではでは、改めて今日はご馳走様でした。また連れてきてくださいね!」
「……まあそのうちね、何かあったらね」
彼女は呆れるように笑うと手を振り、改札へと歩き出そうとする。だが、言い忘れたことを思い出したので呼び止める。
「一色、……その、誕生日おめでとさん」
そう口にすると、彼女は振り返り、軽くお辞儀をして走って行ってしまった。ホームで走ると危ないから気を付けてね?
その後、俺は駅からの帰り道に日曜日にどこへ行くかを考えていた。既に雪ノ下が考えてくれている可能性は十二分にあるが、自分でも悩みたかった。
一色のアドバイスを参考に雪ノ下と行きたい場所を考える。うん、何処でも行きたいんだよね。枕詞に "雪ノ下と行く"を付けるとどんな場所でも魅力的になってしまう。こうなるからそもそも列挙が出来ないことをちゃんと相談するべきだっただろうか。
そういえば、日曜日だと何時まで一緒に居られるか分からない。次の日に忌まわしき仕事があるからである。そういった事情もあることだし、雪ノ下に相談して決めよう。今回の店選びだって希望を聞いたりしたしね。
LINEを起動して、雪ノ下にメッセージを送ることにする。内容は直球でいいだろう。彼女の行きたい候補が聞けるといいのだが。
21:16『雪ノ下は今行きたいところとかあるか?』
21:17『参考にするから教えて欲しいんだが』
家で不貞寝していると、彼からのメッセージで目が覚める。内容は多分日曜日のことなんだろう。けれど、私のこの質問への回答なんて決まっている。
「……今すぐあなたのところに行きたいわよ」
感想いつもありがとうございます。
八雪要素が少なくなってしまったので、続きは早めに投稿します(29日の0時予定)