やはり俺の社会人生活は間違っている 作:kuronekoteru
またしても来てしまった月曜日の朝がアラームを鳴らし、俺の耳朶に挨拶をしてくれる。
憂鬱な気分でスマホを触り、アラームを止めるが、不意に待ち受けの画面が目に入るとそんな気分も薄れてしまう。……今日も頑張ろう。
朝食を食べて、歯を磨く。ただそれだけでも心が少し満たされるようになっていた。
お昼休みになったので、唐揚げ定食を食べに食堂へ向かう。
入口が少しつっかえていたのが何事かと思ったが、一色いろはが入口横で立っており、誰かを探すように周りをキョロキョロしていた。まあ、男性社員は一瞬立ち止まっちゃうよね、わかります。
俺を探していない可能性もあるし、横をこっそり抜けようとしたのだが、そんな上手くいく訳もなく、腕を取られてしまった。
「なんで無視しようとするんですかね、せんぱーい……」
「棒だし低いし怖い、俺じゃないかと思ったんだよ」
謎の罰として俺は昼食を奢らされてしまった。これってパワハラになりませんか?なりませんか……。
入口からは正反対の窓側の席を取り、二人で対面するように座る。俺の席側だと窓から差し込んでいる陽の光が眩しいので少し辛い。
「これからは探すの面倒なので、基本はこの席辺りで集合してくださいねー」
「……え、まあいいけどさ」
大したことではないようにあっけらかんと提案されてしまう。先週は結局、月曜日しか一緒に食べていないのだが、これからは毎日なのだろうか。ってか同期で友達いないの?先週のあの集団は何だったの?
そういえば、俺は一色に秘密をバレてしまった謝罪をしなくてはいけないだろう。鎌をかけられたとはいえ、俺の失態なのだから。
姿勢を正し、両手を膝に置き、彼女の目を見て口を開く。
「すまん一色、実は雪ノ下にお前のことバレちまったわ……」
「ええ、知ってますよ。雪乃先輩からLINE飛んできましたし」
表情も変えずに箸で鯖味噌を摘まみながら彼女は答えた。しかし、段々と彼女の口角が上がっていき、やがて微笑にも見える表情へと変化した。
「正直、私の事をちゃんと覚えてくれていたってことが嬉しかったです」
一色は結構大人っぽくなったという印象が強かったのだが、彼女の今の表情からは、我らが奉仕部が大切に思っていた頃の可愛い後輩らしさが浮かび上がっていた。
「で、約束を反故にしてくれた先輩にお願いがあるんですけどー」
え、気にしてないんじゃないの?さっきのは何だったの、と思っていたのだが、それはそれらしい。
昔によく見た仕事を振ってくる時の笑顔がそこにはあった。完全に作られている顔ですね。
「ゴールデンウィークに温泉に行きませんか?」
「は?なんでそうなるんだよ……」
何で急に温泉に行きたがるんですかね、この後輩は。あと、周りに誤解されるからそういうことは冗談でも言わないでね。
質問に質問で返してしまったからか、彼女は呆れるようにこちらを見つめ、わざとらしく長い溜息をついた。
「先輩が自分で言ってたじゃないですか、二人で温泉に行けるかよって。だから雪乃先輩と結衣先輩も誘って行きましょうよ。私も2人に会ってゆっくりお話ししたいですし」
なるほどね、確かにあの二人も一色と会いたがるだろうし、俺も久しぶりに由比ヶ浜に会いたい気持ちはある。でも温泉か…、女三人と男一人で温泉旅行は肩身が狭過ぎませんかね?
返答を渋っている俺をじっと見ていた一色はまた呆れるように溜息をついた。だが、今度のは短く、優しさを感じるような音色であった。
「……可愛い後輩の我が儘を叶えたいって体でなら先輩も誘えるんじゃないですか?」
「……そういうことね」
あの夜に協力してくれるって言っていたのはこういうことだったのだろうか。
昔から一色を助けているようで、実は俺が助けられていたということは少なくなかった。その関係は今も、これからも変わらないのかもしれない。それが嬉しくて笑ってしまった。
「じゃあ、雪乃先輩へのお誘いは先輩からお願いしますねー。結衣先輩には雪乃先輩から誘ってもらうように頼んでもらえますか?」
「あいよ」
「じゃあ善は急げってことで、ほら、早くLINEで送っちゃってくださいよ」
了承した途端にこの後輩は当たり前のように急かしてくる。でもまだ誘い方とか考えてないから待ってもらえませんかね?
「……どうせ週末に会うからその時でいいか?」
「いいですけど、私としてはLINEとか使って文章で送った方が良いと思いますけどねー」
誤解を生まなければいいですけど、と追加で呟く。正直、意味がわからないのでスルーしよう。
ゴールデンウィークは再来週の土曜日からなので、遅くとも今週の土曜日までには誘って欲しいとのこと、日程の調整や宿の予約については一色の方で受け持ってくれるという旨を聞き、本日のお昼は解散となった。
× × ×
「……そういえば雪ノ下さんは知ってる?」
漸く今週も最後の出勤となり、そして彼と会える日である金曜日、そのお昼時に同期の橋本さんから神妙な面持ちで話しかけられる。私は首を傾げ、彼女に続きを話してもらうように促す。
「あの比企谷君がね、なんか社内で後輩の女の子といちゃついてるらしいよ」
「えっ、嘘でしょ?!」
私よりも先にオーバーリアクションで加藤さんが反応する。あなたがそこまで驚くようなことかしらね。まあ比企谷君のキャラクターをあまり知らない彼女からしたら、想像もできない出来事なのかもしれない。
落ち着いて話すために少し息を吐く。思うところが無いわけではないので、表に出さないように努めなければならない。
「……知っているわよ。その後輩の女の子は私の後輩でもあるのよ、高校の時のね」
へぇー、と彼女たちは反応している。けれどその顔を見る限り、納得はしていなさそうだった。
「高校時代の後輩だとしても、仲良すぎるんじゃない?なんか毎日一緒にお昼食べてるらしいよ」
「……そもそも何処情報なのかしら?」
一色さんに対して嫉妬してしまいそう…いや、してしまったことを隠すように別の話題に切り替える。それにしても、加藤さんは一体誰からそんな話を聞いているのだろうか。
「比企谷君の同期の佐藤君からだよ。LINE交換したんだけど、結構頻繁に連絡が来るんだよねー」
「へー、仲良くなったんだ?」
「……仲良くって訳じゃないけど、まあ積極的にアピールしてきてくれてるね」
意外と加藤さんは男性の扱いが巧く、受け身ながらに相手に攻めさせるように誘導している節がある。大人しそうな見た目とは裏腹に、とても強かな女性だと思う。
情報の出処は分かったけれど、そんなに目立つように毎日一緒に食べているのね……。そう、一色さんにはどんなお礼をしてあげようかしらね。全くもって会う日が楽しみだわ…………。
本日のお店は石窯で焼くピザを大々的に売りに出しているイタリアンバルである。今回は雪ノ下がお店を探して選んでくれたので味には期待できるであろう。二週連続イタリアンでも全く気にならない。
お店に入ると、まず内装のこだわりを感じることができた。古材とアンティーク品を積極的に取り入れており、ヨーロッパ感を見た目から楽しむことができる。これには期待度が更に高まってしまう。
メニューを開くと、多種多様なピザが1000円程度の価格から記載されている。小さいサイズを頼み、是非に色んな種類を食べたいところだ。
「比企谷君はどんなピザが食べたいとかあるかしら」
俺のメニューにのめり込むように見ている姿が可笑しかったからか、少し口元を緩ませている彼女に声をかけられる。
「美味しそうなお店だし、とりあえず基本のマルゲリータは押さえておきたいってのはある。あとはカルツォーネは食べてみたいし、サラダっぽいインサラータも食べておきたいところだな……」
「ふふふ、そうね、私もその辺りが食べてみたいかしら。あとはシーフードも食べてみたいわね」
二人でテンション高めに注文する内容を決めていく、仕事終わりの充足感とこのお店への期待感、そして目の前の彼女が居るからであろう。この俺の高揚感は。
注文から20分程度で一枚目のピザのマルゲリータが到着する。店内に充満する香りによって、既にこちらは腹ペコ状態であった。
ピザに合わせて注文したお酒は、チーズに合うとお店が推している白ワインである。空きっ腹に入れて悪酔いしてもいけないので、まだ乾杯後に一口だけ舐めるように飲んだ程度にしてある。
ピザは4等分されており、スモールサイズで頼んだために1ピース当たりの大きさは丁度いい感じである。
待ちきれないと言わんばかりに、お互いに1ピースずつ手に取り、目を合わせ、タイミングを合わせて食前の挨拶をする。そして、手に持ったピザに口を付けた。
窯焼きにより、こんがりサクサクな表面だけど中はもっちりとした薄めのピザ生地の上には、熱々なモッツァレラチーズと上品な酸味とトマトの香りが引き立つソースが乗っている。こんなの旨いに決まっている。夢中で喰らいついていたため、気が付けば手に持っていた1ピースが綺麗さっぱり無くなっていた。
「ピザってここまで美味しかったんだな……」
「窯焼きじゃないとここまでの味は出せないでしょうね、見事だわ」
雪ノ下も一口は小さいけれど、パクパクと速いペースでピザを食べ進んでいる。時折、チーズが伸びてしまい、焦っている姿が微笑ましかった。それを恥ずかしがるように赤面してしまった時には、軽く意識が飛ぶかと思いました。
「ピザは先週も食べたんだが、圧倒的に今日のお店の方が美味しかったわ……」
「ふふ、それなら今日、ここを選んだ甲斐もあったわね」
頼んだピザは全て食べ終わってしまい、今は残ったワインを飲みながら食休みをしている。
本日の感想を告げると、お店を選んでくれた彼女は嬉しそうに微笑んでくれた。のだが、その微笑には普段とは少し異なるニュアンスを感じた。強いて言うなら、彼女の機嫌が悪いときに似ている気がする。え、なんで?
こういう時は話題ずらしに限る。ゴールデンウィークの温泉についても話さないといけないし、今この場で尋ねてしまおうと決心をする。
ただ、二人で行くではないにしろ、温泉に誘うことには変わりないので、照れから若干どもってしまう。
「……雪ノ下、その、ゴールデンウィークって予定は空いてたりするか?」
「え、ええ、空いているけれど……。な、なにかしら?」
何故か雪ノ下がテンパっているけれど、俺の内では温泉に誘わなければという意識でいっぱいいっぱいであった。深呼吸をして、彼女の目を見つめて口を開く。
「……その、温泉に一緒に行かないか?」
断られたらどうしようかという恐怖心から、一瞬目を閉じてしまう。怯えるように徐々に目を開いていくと、そこには顔が朱を通り越して真っ赤になり、目をパチクリさせ、あたふたしている雪ノ下さんがいた。
静寂が10秒、20秒、30秒と過ぎる頃には冷静さを取り戻しかけたのか、改めて姿勢を正し、返答するための状態に移行し始めていた。そして、遂には口を開き始める。
「…………ええ、喜んで」
その時の彼女は涙でも流してしまうのではないかというほど、感情的で幸せそうな表情になっていた。そこまで喜んでくれるなんて一色も嬉しいだろうに。
「一色の発案でな、由比ヶ浜も誘って四人で行きたいんだとよ」
「……はい?」
先ほどまでの笑顔は崩れていないのだが、眉だけがピクピクと動いている。この動きはどこかで見たことがある気がする。あー、あれだ、平塚先生だわ。この表情を見た後は意識が飛んだりするから記憶には曖昧に残っていたんだな、納得だ。……え?
「……そう、一色さんがね」
明らかに雪ノ下は怒っている。俺はシェルブリッドを覚悟し、体を強張らせて目を閉じる。
「……由比ヶ浜さんも入れて四人でね」
「…………そう、それは楽しみね」
平塚先生であればとっくに来ているであろう衝撃が来ないことに疑問を持ち、再びゆっくりと目を開くと腕を組んで呆れ顔で苦笑している彼女の姿が見えた。
「由比ヶ浜さんには私から誘えばいいのかしら?」
「お、おう、それで頼むわ……」
普段通りの微笑になっている雪ノ下に安堵し、息を吐く。
雪ノ下は口に手を当てて、んんっと喉を鳴らして改めてこちらを見つめてくる。座高の関係上、少しだけ上目遣いにも見えるそれにより、落ちつけたはずの動悸が少しだけ早くなった。
「他の人も一緒になら最初に言ってもらえるかしら?」
「お、おお、すまん」
雪ノ下を温泉に誘うことに精一杯で、誘い方が良くなかったようである。正直、何て言って誘ったかもあまり覚えていない。
「まぁでも、一色さんにはお礼をしないといけないわね。皆で温泉だなんて……」
「お前らとゆっくり話がしたいって言ってたし、その時に、昔みたいに会話出来ればあいつも満足してくれるんじゃないか?」
協力してくれるという話ではあったが、一色が彼女たちに会いたいという言葉に偽りはなかったであろう。そもそも、一色が自分に得がないことで動いてくれるイメージがまるで無い。
「けれど、久しぶりに可愛い後輩に会うのだもの、何かプレゼントとかしてあげたいわね。この前も誕生日だったのだし……」
顎に手を置いて考え始める雪ノ下。やはり彼女も一色には優しいし甘い。数年の隔たりがあったとしても、きっと何も変わらずに接してしまうのだろう。
そういう空間で俺たちはあの日々を過ごしてきたのだから。
帰りの電車の中で、隣に座る雪ノ下は由比ヶ浜に連絡を取っている。きっと、由比ヶ浜も尻尾を振るように喜んでくれるであろう。ゴールデンウィークは5日もあるのだ、日程を合わせることも可能だろう。
早速返事が来たらしく、雪ノ下は小さく「やった」と明るい声で呟く。それを伝えるためにか、少しだけこちらに体重を預けてくる。彼女の体温は勿論のこと、サボンの香りがより強く鼻腔をくすぐり、少し弱くなっている理性を刺激してくる。
「由比ヶ浜さんも行けるって返事が来たわよ」
「……それはよかった」
本当によかったと心の底から思える。久しぶりに由比ヶ浜に会える。そして、また四人で集まることができるのだ。
少しだけ目頭が熱くなり、うっすらと一滴だけ涙が零れる。目を瞑り、俺の肩に頭を預けてくれている彼女には気付かれていない。
「……私、今幸せよ」
「……俺もだわ」
俺も本当に幸せだ。
「きっと明日も幸せね」
「……そうだな」
明日も幸せに決まっている。
明日も彼女と一緒に居られるのだから。
最近、お気に入りや評価も少しずつですが、増えていることがとても嬉しいです。
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