やはり俺の社会人生活は間違っている 作:kuronekoteru
あの温泉旅行から時は流れ、今は雪ノ下のマンションに来ている。いや、大した時間は経っていないです。旅行帰りの日から寝て起きて寝て起きただけである。
ゴールデンウィークも残り2日となり、もう後はいつもの週末と一緒じゃんという気分にさえなってしまう。休みが終わるのが怖い。いや、会社に行かなくちゃいけなくなるのが怖いのだ。
まぁ、そんな労働への恐怖感は置いておくとして、本日は雪ノ下を迎えに来た訳ではない。単純に今日も明日も暇だろうし、家で一緒に過ごさないかと彼女からのお誘いがあったのである。時期的にどこも混雑しているだろうから、家で過ごすというのは悪くない。無論、緊張はするのだが。
エレベーターで6階まで登り、雪ノ下の家のインターホンを鳴らす。大した間もなく、パタパタとスリッパを鳴らす音が微かに聞こえてきた。
「……どなたかしら?」
ドアを開けたかと思ったら、顔を半分だけひょっこりと覗かせて、微笑しながら問い掛けてくる。このノリも懐かしい。
「おい、御自慢の記憶力はどうした。比企谷だよ、比企谷八幡」
「あら、比企谷君だったのね。比企谷君には鍵は空けとくから勝手に入ってと言ったのに……」
少しだけ拗ねるような声音になる。確かにエントランスを開けてもらう際に彼女からそう伝えられたが、人の家の扉を勝手に開けるのは気が引けてしまったのだ。
「いや、流石に人の家に勝手に入れねーよ。見た目も相まって不法侵入で捕まるぞ」
「……許可しているのだから通報はしないであげるわよ」
そう口にして、覗かせていた顔を引っ込めて扉を閉めてしまった。よく分からないけれど、俺に開けさせたいのだろうか。
恐る恐るドアノブに手をかけ、小声でお邪魔しますと呟きながら扉を開いた。
「いらっしゃい、比企谷君」
「おう、お邪魔し…………」
腕組みをして頬に手を添えながらご挨拶をしてくれる雪ノ下さん。この時点で結構な可愛らしさなのだが、今日は格好がヤバい。部屋着なんだろうが、緩めの紺色Tシャツに同色のショートパンツである。脚が長い、細い、白いで魅力的過ぎる。これは外から見られないように扉を開けなかったのは英断であろう。
魅力的な御御足を黙って凝視していると、彼女は隠すように手を太腿に置き、文句を口にする。
「……その、そこまで見られると恥ずかしいのだけれど」
「……す、すまん」
言い訳のしようがないので素直に謝罪する。雪ノ下は怒ったわけではないようで、取り敢えず靴を脱いで入るように指示される。
靴を脱いでいると、青いスリッパが用意されていることに気付いた。雪ノ下は薄ピンクのスリッパを履いているので、これは客用なのだろうか。
「それは比企谷君用だから、好きに履いて使っていいわよ」
まさかの俺専用だった。これも女性の一人暮らし防犯対策の一環なんですかね。
質問をしていないのに回答が来ることにはもう完全に慣れきってしまっていた。
「そういや、今日は何すんの?」
「……そうね、特にこれといってやりたいことは無いわね」
テレビ前のソファーに並んで座り、本日の予定を確認するが特に無いらしい。まぁ確かに、一緒に過ごそうって言われただけだしね。
「……それなら何か観るか、折角デカいテレビもあるしな」
「良いわね、比企谷君のお勧めを一緒に観ましょうか」
そう言って彼女はリモコンを操作し、アマプラビデオを表示させる。履歴に猫関係が多いのだろうことは視聴履歴に基づくおすすめに表示されているタイトルから予想出来る。
それにしても、雪ノ下も楽しめそうな俺の好きな作品って何だろうか。アイカツだろうか、アイカツを楽しめない人は恐らく居ないだろう。女の子向けであるのに、おじさんまで楽しんでいるのだ。老若男女誰でも楽しめるのは自明の理であろう。
しかし、アイカツは長過ぎるのが欠点だ。ここまでは見て欲しいという場面まで約40話もあるのだ。そこまで見せるとなると、泊まり込みのオールになってしまう。仕方がないので、別作品にしよう。
無難かどうかは分からないが、氷菓をチョイスした。推理要素もあるし、えるたそは可愛いし、何よりも京アニクオリティのアニメーションは素晴らしいからね。ちなみに氷菓はアマプラにはなく、dアニメチャンネルが必要だったので俺のアカウントに変更しました。
雪ノ下の反応も上々といったところだろうか。何度か体勢を変えながらも真剣に見てくれている気がする。
「ふふ、何だかんだ言っても手伝ってくれるところは比企谷君に似ているわね」
「……いや、基本的に俺には拒否権がなかったからね?」
俺の耳元近くで囁くように声が発せられる。彼女の髪からはサボンの甘い香りが発せられ、密着している右半身には彼女の体温を否が応でも感じてしまう。そう、雪ノ下は今、俺の右肩に頭を乗せ、右腕を抱くように密着しているのである。
最初は普通に座っていたのだが、途中で体育座りになったり、女の子座りに変えたり、急に手を重ねたりしている内に段々と密着度が上がっていました。俺は彼女が体育座りになった時点で、その白い綺麗な太腿が近くにあることにドキドキしていた。今はその滑らかで触り心地の良い脚が右手の甲に触れているので気が気じゃない。わたし、気になります。
「……その、ショートパンツなんて珍しいな」
天上にも昇るような気分ではあるのだが、無断で触れてしまっているのは間違いないので、遠回しに意識させるために服装の指摘をする。
雪ノ下は一旦、自分の脚を見てからこちらを見上げるように顔を上げる。その角度あざとくない?大丈夫?僕は大丈夫じゃないです。
「……えっと、似合っていないかしら?」
何を言うのかと思ったら、不安そうな表情で問い掛けてくる。え、この娘は鏡とか見ないタイプなのだろうか。普通に世界一似合っているまであるのだが?
「……は?滅茶苦茶似合ってるに決まってるだろうが」
「ふふふ、それなら良かった……」
安堵したのか、朗らかな笑顔を浮かべている。ついでに俺の腕を抱く力が強くなっており、密着度が上がってしまった。二の腕辺りに色々と柔らかい感触があるのだが、全力で気にしない方向でいこう。
「……でもあれだな、外だと日焼けとかするからやめた方がいいかもな」
他の男に見られたくないという独占欲でしかないのだが、俺の立場ではこんな言い方しかできない。
「………ええ、ありがとう、比企谷君」
あんな言葉でもきっと真意は伝わっているのだろう。
こんな距離感ではお互いの鼓動の音さえも隠せないのだから。
「そろそろ晩御飯の準備をするわね」
11話というキリが良いところまで見終わったタイミングで、彼女はホールドしていた俺の腕をするすると解いてソファーから立ち上がる。先ほどまでの雪ノ下の温度が消えてしまい侘しさを感じる。
「……何か手伝えることはあるか?」
俺もずっと座りっぱなしだったので、身体を伸ばすついでに立ち上がって彼女の方へと近付く。雪ノ下はどうやらオーブンを弄っているようで、後ろを向いてしまっている。うむ、太腿裏がとても綺麗ですね。
「料理は基本温めるだけだから、特に手伝って欲しいことは無いわね」
事前に準備をしてくれていたらしい。それは嬉しいのだが、何もしないのは少し申し訳がない。ぐるりと周りを見渡したが、綺麗な部屋なので掃除する箇所も無さそうだった。
「……ふふ、何かしたいのなら、お風呂掃除を頼めるかしら」
俺の様子を見て察してくれたらしく、微笑みながら仕事を斡旋してくれる。合点承知の助の意を伝え、風呂場へと向かった。
風呂場に入り最初に目に付いたのは我が家の倍近い長さの浴槽だった。これならば余裕で足を伸ばして入ることが出来るだろう。普通に羨ましくなってしまう。
鏡の前には石鹸をはじめ、シャンプーなどのボトルが何種類も設置されている。ここで何時も雪ノ下が身体を洗っているんだなと思ってしまいそうになったが、その近くにあった掃除用であろうスポンジを手に取って風呂場と煩悩の掃除を始めた。
煩悩はともかく、風呂場は最初から綺麗だったので、あまり変化はなかった。一通りスポンジで擦り、シャワーで流して掃除を終了にする。
風呂場から出ると、とても美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐった。手を洗い、リビングの方へ戻るとテーブルには見た目が色鮮やかなシーザーサラダが置かれていた。
「お風呂掃除ありがとう。オーブンの方もすぐに出来上がるから座って待っていてもらえるかしら」
「あいよ、凄く良い匂いだから楽しみだわ」
言われた通りに席に座る。雪ノ下の料理の前ではひねくれ者も素直になってしまうのだった。あれ、完全に胃袋掴まれてませんか?
「お、おお……!」
「ふふ、器が熱いから気を付けてね」
目の前に置かれた料理はドリアだった。というか見た目は完全にミラノ風ドリアだった。最近サイゼリヤには行けていなかったので、正直めちゃくちゃ食べたかったのである。
2人で頂きますをして、早速ドリアに手を付ける。スプーンで掬うと、ミートソースの赤とホワイトソースの白とターメリックライスの黄色が折り重なっていて非常に美しい。火傷しないように十分に冷ましてから口に含むと、濃厚な肉の旨味が詰まったミートソースが他と混ざり合っていく。おいおい、これマジで美味しいぞ。
「おい、本家を軽く超えてんぞ……マジで美味いわ」
「それなら良かったわ、ハードルが高いから張り切った甲斐があったわね」
雪ノ下はサイゼをライバルと認めて頑張ってくれたらしく、勝利を確認して安堵していた。雪ノ下を本気にさせるとは、やはりサイゼは素晴らしいなと再認識せざるを得ないだろう。しかし、ドリアについてはもう、この彼女お手製を食べないと満足できない気がしていた。
二人で皿洗いを終わらせて、再びテレビ前のソファーに並んで座る。終電までは3時間ほどあるので、あと8話くらいは見れるだろうか。
視聴を再開させると、雪ノ下の体勢もまた再開になる。彼女の匂い、体温、感触を再び感じる。最初はガチガチに緊張してしまっていたのだが、先ほどは2時間ほどこの状態だったので、ある程度は耐性が付いていた。感触以外は落ち着くまである。ただし、感触には慣れていないので、鼓動が落ち着くまでは時間がかかる。
幸せそうな雪ノ下のその表情が、落ち着くまでの時間を更に伸ばしてくれるのであった。
19話まで見終わり、そろそろお暇しようかなと思っていると、雪ノ下は立ち上がって洗面所の方へ向かってしまった。彼女が戻ってきたら帰る旨と今日のお礼を伝えよう。色々と幸せな一日だったと思う。
微かに水の流れる音が聞こえてくる。きっとお風呂の湯張りを行っているのであろう。俺にくっ付いていたから早く身体を洗いたいのかな?なにそれ泣ける。
涙が流れないように上を向いていると、パタパタとスリッパを鳴らす音が聞こえてきた。
「比企谷君、お風呂は私から入ってもいいかしら?」
「……は?いや、俺もう帰るけど」
至極当たり前のことを言ったつもりなのだが、彼女は可愛らしく首を傾げている。
「えっと、明日も予定は無いと聞いていたから泊まってくれるのかと……」
「いや、服も無いから泊まるのはちょっとな……」
服とかそういう問題ではないのだが、断る口実としては真っ当であろう。明日も一緒に過ごしてくれるなら、また明日来ればいいしね。
雪ノ下は納得してくれただろうか。傾げた首を戻して頷いているので、大丈夫そうに見える。
「比企谷君用の服ならちゃんと用意してあるから大丈夫よ」
…………はい?
「ちゃんと下着も用意しているし、今着ている服は洗濯して乾かすわよ。……他には何かあるかしら?」
「……あー、えっと、男女が一つ屋根の下で眠」
「旅館で一緒に寝たばかりじゃない」
したり顔でこちらを見つめる雪ノ下さん。確かにそれを言われると言い返せなくなってしまう。っていうか、雪ノ下さん準備万端過ぎませんか?
「……分かったから、先入ってきていいぞ」
俺の言葉を聞いて、彼女は満足そうに微笑んで風呂場へと歩いていった。スリッパがパタパタと鳴る音が楽しそうに聞こえるのは気の所為じゃないだろう。
俺は風呂から上がった。雪ノ下が入った後の風呂から上がった。特に何もせず、変な妄想もしていない自分のことを褒めてあげたい。これが理性の化け物の実力なのだ。
目の前の雪ノ下が用意してくれたパジャマは、黒色の綿素材の上下セットのパジャマのようだ。いや、これ雪ノ下がさっき着てたやつの色違いじゃん。雪ノ下のパジャマ姿に当たり前のように見惚れてしまったので、脳裏にはそのパジャマがしっかりと焼き付いていた。
少し気恥ずかしいが、他に選択肢がある訳ではないためパパっと着てしまうことにする。その後、髪をドライヤーで乾かして風呂場を後にした。
「もう遅いし、続きは明日にして寝ましょうか」
白いパジャマを着て微笑む彼女に連れられ、彼女の寝室へと向かう。今日は精神的な疲労が大きかったので、正直早く眠れるのは有難かった。
寝室にはアンティーク調の本棚と大きめのベッドが置いてあり、壁には収納スペースが取り付けられている。恐らくクローゼットなのだろう。パンさんグッズが見当たらないところを見ると、そのクローゼットに隠している気がしますね。
「俺はどこで寝ればいいんだ?」
俺の寝床用の布団が見当たらないのである。まさかあれか、床で寝ろってことですかね。これが飴と鞭の使い分けなのだろう。最近の雪ノ下は優し過ぎるとは思っていたのだが、ここで主従関係を再確認させる魂胆か。俺は絶対に屈しないぞ。
「……普通にベッドを使っていいわよ」
意外にも主様は固いフローリングではなく、柔らかそうなベッドの使用を許可して下さった。わーい。
正常な判断能力が俺に残っていれば、気付けていただろう。しかし、眠気が割と限界だった俺はその甘美な言葉に踊らされてしまい、とても良い香りのするベッドへと倒れ込んだ。
ゆっくりと息を吐く音の後、部屋の明かりが落とされる。寝るには煩わしい光が消え、落ち着く匂いに満たされた俺は意識を手放す直前であった。その意識が切れる前に肩を揺すられ、優しい声音が耳朶を打つ。
「その、もう少し奥の方に行ってもらえるかしら」
「………ん」
言葉にもならない返事をして、声とは反対の方向に寝返りを打った。その後に少し揺れる感覚があった気もするが、俺の意識と記憶はここで途切れてしまった。
× × ×
カーテンの隙間から差し込む太陽の光が俺の瞼を開かせようと熱を与えてくる。体内時計的にはいつもの起床時間よりも少しだけ早いだろうか。太陽さんの努力を恨めしく思いながら、ゆっくりと視界を取り戻していった。
「………………え?」
眼前、僅か拳二つ分の距離に雪ノ下の綺麗な寝顔が転がっていた。いや、寝転がっていた。綺麗に伸びている長い睫毛を有する瞼は固く閉ざされており、ただ静かに規則的に呼吸をしていた。
なんて安らかな寝顔であろうか。俺なんて衝撃のあまり大声を出しそうにもなったし、今も高鳴り続けている心臓の音だけで起こす自信すらあるというのに。
けれど、彼女が俺の傍で安心してくれているという事実が嬉しく思える。彼女の、雪ノ下の傍に居ても良いんだと思わせてくれるからだろうか。いや、きっとそんなに小難しい理由じゃないだろう。
俺はただ、俺の隣で幸せそうに眠る彼女の顔を、その目が開かれるまでずっと見つめていた。
日が空いてしまいました、読んでくださる方には申し訳ありません。
それと、前回も感想を頂けて嬉しかったです。
満足頂ける内容を書けている自信はありませんが、好意的な感想を頂けることが何よりも嬉しく思っております。