やはり俺の社会人生活は間違っている 作:kuronekoteru
ゴールデンウィークが終わった。この言葉だけで某福本漫画並みにぐにゃりそうになってしまうのだが、終わってしまった休みよりも目先の休みにとらわれることで精神を安定させる。
本日は木曜日のため、二日働けば二日の休暇となるのだ。等価交換最高じゃんと思ってしまうのだが、よくよく考えたら、これが本来あるべきレートなのではないだろうか。日本は早く週休三日制を導入して欲しい。一日くらいは大目に見てあげるから。
今朝は寝転がっていない彼女の顔が見たくなってしまい、待ち受けをふと眺める。明日には会う約束をしているのに、その時が待ち遠しくなる。ただ休日を待っていた去年よりも、今のこの想いの方がずっと強い気がする。
「で、で、ゴールデンウィークに彼とは進展あった?あったんでしょ?!」
「温泉旅行、若い男女が二人で夜に身を寄せ合う……何も起きない筈はなく……」
私は久しぶりに会社の同期の友人たちに詰め寄られていた。そもそも、私は彼女たちに四人で旅行へ行くと伝えていたのに、どうしてそんな期待をしているのだろうか。
進展……はなかったとは言わない。けれど、期待よりは些か小さかっただろうか。由比ヶ浜さんと一色さんに唆されて、期待値を上げ過ぎていた私が悪いのかもしれないけれど。
「………まぁ、同衾まではいったわね」
こんなことを殊更言う必要はないけれど、彼女たちの期待に負けたくはなかった。今現在、私が出せる最高値を提示する。
「おー、雪ノ下さんおめでとー!!」
「本当にやることやってたんだ……おめでとう」
手の先での軽い拍手を交えながら祝福される。加藤さんは笑顔で、橋本さんは驚愕の表情だった。恥ずかしいので、お礼を言って二人を制止する。
一応、彼女たちは私のことを心配してくれていたようで、これならもう大丈夫そうだと安心してくれていた。………えっと、本当に大丈夫なのかしら。
確かに、比企谷君には大切にされている自負があるし、異性として意識してくれているとは思う。それに、基本的に近付いたら近付いた分だけ距離を取る彼に対して、あそこまでの接近をしても逃げられないのだから、大丈夫かもしれない。そうね、きっと大丈夫。
「雪ノ下さん嬉しそうだね。それじゃあ今後の目標とか、未来予想図というか……そういうのあったりする?」
「うーん、次ってなると同棲とか?どうなりたいかとか聞きたい」
そう彼女たちに質問されて、私は思案してしまう。私は比企谷君とどうなりたいのかを。
漠然としたイメージの中から、これが良いと思える青写真を拾い上げる。叶ったとしても、きっと遠い未来なのだろう。けれど、決して無理だなんて思わない、思いたくなかった。
「……私は、彼と温かい家庭を築いていきたい」
私の言葉を聞いて、前のめりになっていた加藤さんがゆっくりと席に座り直し、長めに息を吐いた。橋本さんは……形容しがたい難しい表情になっている。何やら前世でどれだけ徳を積んだんだ、などと呟いている。
「雪ノ下さんなら絶対大丈夫、彼だってきっと同じことを思っているよ」
「……ありがとう、本当にそうだったら嬉しいのだけれど」
彼の、比企谷君の願いを、想いを聞きたくなる。けれど、それこそ何年もかけないと難しいのではないだろうか。そんな私の弱音が口をついて出てしまった。
「罰ゲームか何かでお願いを叶えるって体にすれば少しは聞けるんじゃない?」
「……罰ゲーム」
「なるほど、試合に負けて勝負に勝つって感じだねー」
大局的に見れば私の勝ち、……それならば試してみてもいいかもしれない。
彼が私に何を願っているのか、今の私はそれが最も気になっているのだから。
「で、先輩は次にどうしたいとかあるんですか?」
時刻は昼、会社の食堂で俺は一色いろはに今後の展望を聞かれていた。彼女には雪ノ下と同じベッドで寝たという情報は伏せて、一昨日の出来事について軽く話をしていた。その反応がこれである。
「……次って一体何の話だよ」
「次の段階ですよ、ちゃんとステップアップしていく努力をしないとダメなんですからね」
溜息も吐かずに、優しく諭すような口調でその言葉が渡される。え、今日のいろはす優しくない?適当に煙に巻かずに対応しよ。
にしても、次の段階か……。正直、昨日の添い寝イベントがまだ消化し切れていないから現状すらよく分からないんですけどね。
「雪ノ下先輩が許してくれるならしたいこと、ないんですか?」
彼女に許されるならしたいこと…、意外にもそれはすんなりと頭に浮かび上がってきた。しかし、これを後輩女子に伝えるのは恥ずかしい。だが、今日の一色には誠実に対応したいという気持ちが俺の口を割ってしまった。
「許されるなら…………その、ハグが、したい」
俺の気持ち悪い言葉を聞いた一色は、笑うでもなく、馬鹿にするでもなく、ただこちらをぼんやりと見ていた。少し間を置いて、彼女は口を開いた。
「良いんじゃないですか、先輩はそれで」
「え、全然分からないんだけど……」
「先輩は先輩のペースでステップアップしていけばいいんですよ。…そのうち雪ノ下先輩と同じになれますよ、きっと」
彼女の言葉はどこか抽象的で、結局は具体的な意味は教えてくれなかったけれど、不思議と不安は残らなかった。
× × ×
本日のお店はなんと回転寿司である。雪ノ下さんは行ったことがないらしく、知的好奇心で所望してきたのであった。
回転寿司なら何処へ連れて行くべきだろうかと少し悩んだが、安定のスシローを選択することにした。回転寿司でもそこそこの値段のする美味しい店もあるが、初めて行くのであれば100円寿司の方が面白いと思ったからである。半分ファミレスみたいな感じだしね。
無人の客席案内を経て、テーブル席に辿り着く。まずは雪ノ下に回転寿司のルールを簡単に説明することにした。回っている寿司を取っても良いし、タブレット端末を使用して注文をしても良い。会計は寿司が乗っている皿で計上するからレーンに皿を戻してはいけない等の基本的なことである。
「本当にお寿司が回っているのね……」
雪ノ下はレーンの上で回っている寿司を見て感嘆の声を上げている。雪ノ下家で寿司を食べに行ったとしても回転寿司なんて行かないだろうし、本当に珍しいのかもしれない。庶民派としては寧ろ回転寿司にしか行かないまであるのだが。
「回っている寿司を取る前に乾いていないかチェックした方がいいぞ。お店側は基本的には何周かしたら回収するらしいけど、念の為な」
「……なるほど、目利きが必要になるわけね」
そう言うと、彼女は少し目を細めてレーン上の寿司を見る目を鋭くする。通過する寿司皿に合わせて顔の向きを追従させる彼女の姿が微笑ましい。
「………そういえば、勝負をしましょう、比企谷君」
「え、急にどうした」
過ぎ去っていくオニオンサーモンを眺めていたと思ったら、俺の方を向いた途端に勝負を吹っ掛けてきた。
「勝負の内容はあなたが決めていいわ。ただし負けた方は勝者の言うことを一つ叶えること。それでいいかしら?」
雪ノ下にしては色々とおかしい気がする。幾らなんでも突発的だし、何よりも勝負内容が俺に有利過ぎるだろう。それにいつもの負かしてあげると言わんばかりの挑戦的な表情ではなかった。もしかして体調でも悪いのだろうか。
「……その、何か調子悪かったりしないか?俺にできることなら何でも言ってくれ」
「……だ、大丈夫だから、気にしないで勝負内容を決めてもらえないかしら」
何か訳ありなのだろうか、彼女は顔を隠すように横を向いてしまい、その本心を探ることはできそうにない。それならば勝利報酬として聞かせてもらうことにしよう。
「…じゃあ食べた枚数で勝負ってことで、ちなみに無理は厳禁だからな。美味しく食べられる分だけで何枚食べられるかを競うぞ」
内容は場所を考えたらこれが無難だろう。このルールであればまず負けることはないし、俺はゆっくり普通に回転寿司を楽しむこととしよう。
「枚数……ということは、一貫のお皿でも良いのよね?」
「ふっ、サラダでもデザートでも何でも良いぞ」
何だかんだやる気に満ち溢れ始める雪ノ下さん。楽しそうに横に貼られているメニューを見つめる横顔は、いつもの負けず嫌いな愛らしい彼女にしか見えなかった。
現在、雪ノ下は一皿一貫のメニューのみを頼んでおり、七皿を完食した状態だった。一方俺は一皿二貫以上のメニューのみで十二皿食べている。雪ノ下は少しだけ勘違いをしていたのだ。一貫メニューはネタが大きいので、二貫メニューの半分の量になるわけではない。だから十五皿は食べられる俺に勝てるはずもないのである。
敗北を悟って少し悔しそうにしている彼女に声を掛ける。
「俺が勝てる内容の勝負なんだから仕方ないだろ。ここはデザートがそこそこ美味しいから何か頼もうぜ」
「………じゃあアイスブリュレ」
雪ノ下の言葉を聞き、タブレット端末でささっと注文をする。店員を呼ばずに注文できるのがとても気軽で助かる。にしても、思っていた以上に敗北した雪ノ下さんのテンションが低い。悪いことをした気分にすらなってくる。
2分ほどで注文したアイスブリュレが専用レーンにて到着する。未だに立ち直っていない彼女を見て、俺は自分の前にアイスブリュレを置くことにした。そしてスプーンで掬い、彼女の口の前に差し出す。
「……ほら、いい加減機嫌直せって」
彼女は一瞬呆けたように見えたが、すぐさまその小さな口を開いてスプーンを咥える。冷たく濃厚なバニラと卵の甘味をゆっくりと味わっているのだろう。心なしか機嫌も元に戻っているような気がした。
「結構美味しいわね、……けれどまだ足りないわ」
雪ノ下はそう口にして、また機嫌が悪いように装い始める。口をムッとはさせているけれど、目元は笑っていた。そんな彼女にもう一度スプーンで一口分を掬い、口元へと運んでいく。彼女はふふと笑って美味しそうに咀嚼するのだが、またすぐに不機嫌そうに口元を歪ませる。
そんなやり取りがアイスブリュレが無くなるまで続いていた。
雪ノ下のマンションまでの帰り道、すっかり機嫌が良くなっている彼女に気になっていたことを問い掛けてみた。
「んで、今日の勝負は何が目的だったんだ?」
彼女の動揺が彼女の手を経由して俺の身体へと伝わる。やはり何か事情があったのだろうか。
雪ノ下は少し下を向いて何かを考えていたようだったが、その口からはそれらしい理由を聞くことは出来なかった。
言いたくないことを無理に聞く必要もないし、勝利報酬を使って聞くのも野暮だろう。それに、雪ノ下が悪意や変な下心を俺に向けることは無い筈だ。きっと何か可愛らしい理由でもあったのだろう。それくらいは彼女を理解しているつもりだ。
「……まあ、それよりも勝者の願いを聞いてくれるんだっけ?」
「……ええ、比企谷君のしたいことやお願いがあれば叶えてあげるつもりよ」
至って真面目そうに、真剣に俺の目を見てそう話す雪ノ下。お願い…したいこと……昨日の一色との会話を思い出してしまう。こういった弱みに付け込んで彼女に触れてしまうのは不誠実じゃないだろうか。しかし、許されるならしたいという気持ちが消えてはくれない。
「……その、何をしても許してくれるか?」
意を決し、雪ノ下の手を離して彼女の前に立つ。彼女はそんな俺を見て、深く息を吐いて返す言葉を準備している。やがて余裕のある挑戦的な表情になって、こちらの目をしっかりと見つめ返してくる。
「………構わないわよ」
その言葉を聞き、彼女の前に一歩近づく。雪ノ下は先ほどまでの余裕さを何処かへ飛ばし、顔を真っ赤にしてその目を閉じてしまった。悪いとは思うけれど、もう自分を止めることは出来なかった。
彼女の背中に左手を回し、右手は背中側から彼女の後頭部へと移動させる。少しだけ力を入れて彼女を抱き寄せた。彼女の髪や首筋から香る甘いサボンの匂い、胸には彼女の熱を持った吐息を感じる。華奢だけど、確かな女性らしさを感じる感触に頭が痺れそうになる。
どれだけの時間をそうしていたかは分からないが、腕に込めていた力を抜いて彼女を開放する。
「……これがあなたのしたかったこと?」
「……そうだよ、文句は聞かないからな」
先ほどよりも赤くなっている彼女にそう返答して、俺は背を向けた。一呼吸を置いて、雪ノ下は俺の手を握り直してくれる。これでさっきと元通りだろうか。いや、元には戻れない。
「ふふ、文句はないけれど、思っていたよりは大したことなかったわね」
これ以上ないほど真っ赤になっていたのに何を言っているのだろうか。彼女にそれを指摘してもブーメランになってしまうので言い返すことは出来ないのだが。
「…ちなみに、お前が勝ってたら何にするつもりだったんだ?」
「そうね、……比企谷君の残りの人生を貰おうと思っていたわね」
そんなことを口にしながら楽しそうに俺の手を握って笑っている。大変可愛らしいのだが、その発言にビビってしまう。あんな突発的な勝負に俺の人生がベットされていたのか…。
まあ、彼女のハグと比べたら悪くないレートだったかもしれない。俺の人生にそれほど価値はないだろうしね。
考えてみれば、先ほどの勝敗に関わらず、俺は今後の人生を結果的には彼女に捧げてしまうのではないだろうか。そういう意味では俺は負けていたのだろう。多分ずっと前から。
夜風に吹かれながら、彼女のマンションまでの道を二人でゆっくりと歩く。この次、この先には何が待っているのだろうか。少しずつでも前に進んで行きたい。
これからの未来に、彼女の隣に居られるように。
いつも本当に嬉しい感想ありがとうございます。
次回も読んで頂けると幸いです。