やはり俺の社会人生活は間違っている   作:kuronekoteru

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やはり俺の社会人生活は間違っている #20

 

 梅雨明けが宣言された7月の中旬、季節はすっかり夏一色である。

 夏と言えば、で浮かぶイメージは基本的には眩しく明るい青春の1ページ的な物が多いのではないだろうか。プールや海で水着姿で涼しく遊ぶ、浴衣で夏祭りや花火大会、俺も昔はそうだったかもしれない。だが、今となっては汗だくのリーマンと押し競饅頭を強いられる大変に厳しい季節だという認識が強い。これに関しては汗っかきが悪いのではない、暑過ぎる日本の夏と乗車率が高過ぎる東西線が悪いのだ。

 

 しかし、今年はそんな醜悪なイメージを払拭するような色濃い夏を味わうことになるだろう。今回はその1ページ目だ。

 

 

 日中は30℃を優に超える真夏日である土曜、涼みに来たのは猫カフェである。雪ノ下のマンションから徒歩圏内ということもあり、月に一度は訪れている。手慣れた様子で猫を膝に乗せて笑っている彼女を見ることができる素晴らしい場所なので文句は一切ない。ただ、新しく撮った写真を待ち受けにしたい欲とは戦わなくてはいけなくなったりする。あの日の待ち受け変更禁止勝負が実は曲者だった。

 

 猫カフェに来ることには文句はないのだが、彼女は自分の家で猫を飼おうとは思わないのだろうか。俺の住んでいる部屋はペット禁止なので飼うことはできないのだが、彼女のマンションでは禁止されていないだろう。たまに犬を連れている住民と擦れ違うし。

 

 膝に乗っていた猫が寝始めたタイミングで彼女に声を掛け、そのことについて質問をした。

 寝ている猫の頭を撫でているため、こちらには目線を向けてはくれない。だが、その幸福感を隠さずに優しい声音で返してくれる。

 

「そうね、考えていないこともないのだけれど、多頭飼いは相性とかも考えなくてはいけないから……」

「ほう、飼うなら複数飼いたいってことか。猫同士でじゃれ付いている様子とか見たいしな、気持ちは分かるぞ」

 

 やはり猫大好きフリスキーなだけはある。複数飼うことで一匹当たりに構う時間が減ることも猫にとっては良いことかもしれない。構われ過ぎるとストレス溜まったりするらしいしね。

 

「あら、今はあなたを飼い慣らしているところだからって意味だったのだけど」

 

 雪ノ下さんは小馬鹿にしたような可愛らしい笑みを浮かべてそれを口にした。可愛いから許してしまいそうになるけれど、ペット扱いは酷いだろう。

 

「ペット扱いは失礼だからやめろ。俺はこの暑い中で働きに出ている哀れな存在なんだからな」

「ペットに失礼って意味だったのね……。けれど、ちゃんと面倒見てあげてるじゃない」

 

 面倒見てもらっているって言っても、家でご飯作ってもらったり、衣服用意してもらったり、ちょっとばかしの愛情をもらったりしているだけだろ。……あれ、これって普通にペットがしてもらうことでは?

 

 自分の立ち位置に疑問を持ち始めた俺を見て彼女は可笑しそうにくすくすと笑う。その音か振動でかは分からないけれど、膝で寝ていた猫が大きな欠伸をして彼女の膝から飛び降りた。雪ノ下は少し残念そうな表情を一瞬浮かべたが、すぐにこちらを見つめて笑った。

 

「そろそろペットのご飯の材料を買いに行きましょうか」

 

 きっと彼女に飼ってもらえる猫は幸せになるのだろう。この笑顔を向けてもらえるのだから。

 

 

 暑い日差しの下、手を繋いで歩いている。アスファルトで舗装されている地面からの放射熱も合わせると相当な熱量である。少し遠くでは雲が固まっているので、もう少し経てばこの暑さから解放されるかもしれない。今は雪ノ下の手が少しひんやりしている気がするのだけが救いだろう。

 最近の夏は長いので、少なくとも9月まではこの酷暑が続くのだろう。彼女といるのにしんどい顔をするのも悪いので、何か楽しめることを考えたい。そんな考えが隣の彼女にもあったのだろうか、明るい声色で話し掛けてくれる。

 

「もうすっかり夏ね、そろそろ水着を買わないといけないかしら」

 

 水着か……何だかんだ大学の時にも見せてもらっていないので、俺の記憶では高校2年の千葉村の水着姿しか出てこない。あの水着は似合っていたと思うのだが、もう着ないのだろうか。いや、実はもう入らないのかもしれない。見た目的にも、腕に当たる感触的にも成長を感じるのだから。

 そうなると、おニューの水着を見られるのだろうか。欲を言えばビキニタイプが見てみたいのだが、周りに見られることを考えると露出は控えめにして欲しい。やはりパレオだろうか、うーん。

 

「ふふ、ちゃんと水着になれる場所に連れていってくれる気はあるのかしら」

「そうね、なるべく人が居ないところを探してみるわ」

 

 人が少ない海水浴場が良いのだろうか、千葉で幾つか人気があまりない場所に心当たりはあるのだが、それでもそこそこには人が居るらしい。もっと遠くの場所へ行かないといけないかもしれない。

 移動手段も考えないといけないだろうし、天気も気にしないといけない。夏は急に天気が悪くなることもあるし、………おっと。

 

 ポツポツと雨雫が地面を叩く音が聞こえた。空を見上げると、先程見えていた雲が真上まで来ていることに気付く。

 これは強くなるかもしれない、そう考えた時には自分のジャケットを脱いで隣の彼女の頭に被せていた。

 

「ゲリラ豪雨かもしれない、走って帰ろう」

「え、ええ、わかったわ……」

 

 雪ノ下のマンションまでは徒歩5分くらいの距離だろうか。走ればあまり濡れないだろう、そう思って走り出したのだが、到着するよりも空が大泣きし出す方がずっと早かった。

 

 痛いくらいの大きな雨粒が空から隙間無く降り注がれる。残り数メートルの道のりさえも果てしない距離に感じてしまう。隣の雪ノ下は大丈夫だろうか、そう心配しながら残りの数歩を踏み締めた。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 自分の髪から滴る水滴が邪魔で見えづらいけれど、雪ノ下の状態を確認する。頭に被せたジャケットを剥がすと、すっかり雨に染まりきっており、結構な重量になっていた。

 彼女の頭は少し濡れてはいるが、水が滴るほどには雨を被っていないようだ。一応、守ることは出来たのだろうか。

 

「……あなたは自分の心配をするべきね、水も滴る良い比企谷君になっているわよ」

「男が上がってるなら構わねーよ、さっさと風呂入った方が良いぞ」

 

 雪ノ下はあまり身体が丈夫ではない、これしきの事でも風邪を引いてしまう可能性は充分にあるだろう。

 対する雪ノ下さんはそんな心配に気付いていないようで、心底呆れたような顔で俺を見上げている。

 

「はぁ……すぐに用意するから、あなたから入りなさい」

「取り敢えずタオルで拭いて着替えれば平気だから、雪ノ下から入ってくれ」

 

 エレベーターに乗りながら、そんな押し問答を繰り返す。俺は引く訳にはいかないし、彼女も引いてはくれなかった。

 

 彼女が家の扉を解錠して玄関まで入ると、ここで待つように指示をされる。俺の今の状態だと、廊下を濡らしてしまうからだろう。

 直ぐにタオルを手に持って戻ってきてくれる。彼女の肩にも色違いのタオルが掛けられていた。

 

「取り敢えず少し拭いてお風呂に入って頂戴、お湯はもう入れ始めているから」

「いや、まずは……おおっ?」

 

 まずは雪ノ下から入って欲しい。そう言葉を繰り返す前に彼女にタオルで髪の毛を荒目に拭かれる。

 

「……どうしても私からと言うのであれば一緒に入ってもいいわよ」

 

 こちらを試すような表情と言葉に胸が高鳴る。よく見ると微かに服が透けてしまっているため、その扇情的な姿に惑わされそうになる。

 

「………じゃあ悪いんだが、先に入らせてもらうわ」

 

 きっと、本当は一緒に入る気なんて無いのだろうが、彼女の優しさに甘えさせてもらおう。この際カラスの行水でいいから、早く済ませるべきだろう。

 

 俺の諦めの言葉を聞いて、彼女は更に荒々しく俺の頭を拭いて笑っていた。

 

 

 またしても用意されていたパジャマに着替え、雪ノ下が風呂から上がるのを待っていた。このパジャマに袖を通すのは二回目で、温泉旅行のすぐ後にこの家に泊まった時以来だった。そもそも彼女の家の風呂に入ったのが二回目だからね。

 

 ドライヤーの音が止まってから数分後、スリッパが床を叩く音が聞こえてくる。外の雨が非常に喧しいので、微かにしか聞き取れはしない。

 すっかり温まり、紅潮している雪ノ下は大きな窓ガラス越しに映る止めどない雨粒を見て、口角を上げて目を丸くしていた。だが、その口を開く前には凛とした表情へと変わる。

 

「この雨では帰るのは難しいでしょうし、泊まっていけば良いと思うのだけれど……」

「……んじゃ悪いんだが、泊めてもらってもいいか?」

 

 確かに、この雨の中帰るのはしんどいので泊めてもらおう。ゲリラ豪雨だからそのうち止むかもしれないが、止んだらその時考えればいいだろう。

 

「う、うん。じゃあ晩御飯の準備するわね…」

 

 そう言って彼女はキッチンへと向かう。色違いのパジャマの上にエプロンを装着して、鼻歌なんて歌いながら機嫌良さそうに調理に取り掛かってくれている。

 外からは騒がしい雨の音が流れ込んでくるけれど、俺の耳には彼女の奏でている音の方がずっと鮮明に聞こえていた。

 

 

 夏の風物詩の一つである夕立、今では改名してゲリラ豪雨と呼ばれるようになった現象のせいで食材の買い出しには行けなかった。そんな状況で何を作るのかと思っていたのだが、目の前には美味しそうなツナの冷製パスタとオニオンスープが並んでいた。

 

 彼女と対面するように座り、食前の挨拶をして料理を頂く。パスタからは美味しそうな出汁とにんにくの香りがしており、スープからは優しい玉葱とコンソメの香りが漂っている。

 堪らず、パスタから口に含むと、醤油と鰹節、そしてにんにくとツナが合わさって食欲を加速させられる味になっている、やばい美味しい。次にオニオンスープに口を付けると、温かい野菜の旨味が胃袋と心を落ち着けてくれる。何だかホッとするような味わいだった。

 

「その、簡単な物でごめんなさい。あまり食材が残っていなくて……」

 

 落ち着いて食事をしていると、目の前の雪ノ下が何故か申し訳なさそうな顔をして謝るような言葉を告げてくる。俺は慌てて感謝や感想を言葉にしようと口を開く。

 

「何を謝ってるのか知らんけど、俺からしたら充分に凝ってると思うし、味もめっちゃ美味い。何なら家庭的な感じで寧ろ嬉しいまである」

 

 こんなに美味しい料理を俺なんかに作ってくれた彼女にそんな暗い顔はして欲しくない。そんな想いから口にした言葉はきっと本心で、彼女にもそれは伝わってくれたのだと思う。見る見るうちに微笑みに変わっていく表情を見せてくれる。けれど、何かに気付いたのか少しだけ照れるように顔を俯かせてしまう。

 

「………家庭的、かしら」

 

 雪ノ下に言われて初めて、その言葉に胸を打たれる。もし、彼女も同じ気持ちでいるのであれば、俺は相当攻めた発言をしてしまったのではないだろうか。

 

 またしても訪れる二人の静寂に、ガヤにも取れる窓を叩く音だけがこの場を繋いでくれていた。

 

 

「比企谷君は飼うならどんな猫種がいいかしら?」

「あんま考えたこともなかったけど……」

 

 食事と洗い物を済ませてソファーで一休み、その時の話題に選ばれたのは猫の話でした。今日猫カフェで話したことが理由だろう。空で話せるほど猫の種類に詳しくはないので、スマホで検索をしてみる。そこに映る猫を見ながら話すことにしよう。

 

「取り敢えずアメショは可愛いよな、マーブル模様が良い」

「アメリカン・ショートヘアね、好奇心があって明るい性格らしいから遊んでくれそうで良いわよね」

 

 猫種の性格まで把握されているらしい雪ノ下さんがハキハキと説明をしてくれる。何だか楽しくなってきたので、気になった猫を挙げていく。

 

「サイベリアンはシベリア種の多毛な猫ね、別に比企谷君と同じファミレス好きという訳ではないわよ。それに、大人しくて水を嫌がらないから一緒にお風呂も入ってくれるらしいわ」

 

「マンチカンは足が短いのが特徴的な猫よね。それに長毛種でふわふわした撫で心地、そして性格も穏やかだから多頭飼いにも向いているらしいわよ、比企谷君」

 

「ソマリは人見知りをするらしけど、甘えん坊らしいわね。寂しがり屋でもあるみたいだから、専業主婦になるなら飼えるのかしらね、比企谷君」

 

「ラグドールは抱っこが好きらしいわ。大らかな性格で子どもにも怒ったりしないらしいから、情操教育としては悪くないと思うのだけれど……」

 

 一々含みのある説明をしてくれたのは何とかスルー出来たのだが、何時の間にか密着するような距離で上目遣いにそんなことを言われると返さざるを得ない。

 

「……き、気が早いんじゃないか?」

 

 一瞬、結婚してたっけとか思ってしまったのだが、そんな筈はない。俺がプロポーズをそんな簡単に出来る訳がないのだ。自分が信じる自分を信じよう。

 

「……えっと、 "あなた"は飼う猫はどうしたい?」

「一番可愛がるのは "おまえ"だろうし、任せるわ」

 

 きっと彼女が選んでくれる猫が一番良いのだろう。彼女が見初めた猫はきっと多大な愛情を受けることが出来るだろうし、そんな愛を貰える猫が幸せにならない訳がないのだから。

 

 雪ノ下もそんな未来を想像しているのだろうか、今はただ幸せそうに顔を綻ばせていた。

 

 

 今日もやって来てしまった就寝タイム、前回は意識せずに彼女のベッドで寝ていたのだから驚くしかない。今回はすっかり緊張しているので長い夜になることは確定だろう。相も変わらず布団が敷かれる様子もない。

 

「ふふ、比企谷君は奥の方に入っていてね」

「あ、はい」

 

 ご機嫌な彼女には有無を言わせずに服従させる力がある。ソースは俺。

 壁に触れるのではないかという程に端に近付いて寝転がる。このダブルベッドを広々と使えば触れ合うことなく二人で寝転ぶことが出来るのだから。

 

 電気が落とされ、隣に彼女がゆっくりと寝転がる。視界の端には彼女の横顔が映っていた。彼女は軽く息を吐くと、こちらに向き直ってその口を開いた。

 

「………その、してくれないの?」

 

 俺の耳朶に響いたその言葉は、脳に辿り着くとピンク色に変換される。きっと先ほどの子どもとか、教育云々の話が影響しているのだろう。手を出せと言われているのだろうか、違うだろうけどそうとしか取れない、助けて誰か。

 

「……比企谷君にその気があれば構わないけれど、今のは腕を出してという意味よ」

 

 あたふたしている間に彼女に正解を告げられる。なるほど、危ないところだった。

 しかし、腕枕はこの前の勝負での話なので、今回それをする言い訳が思い付かない。

 

「……それはこの前限定じゃなかったのか?」

「あら、期限や回数は決めていなかったのだから無期限無制限よ」

 

 あっけらかんに彼女はそう口にした。言い訳さえ有るのなら、行動しても良い筈だろう。

 今度は最初からゆっくりと横に俺の左腕を伸ばしていく。そして、また温かい笑みが重さを預けてくれる。

 

「ふふ、比企谷君の方も同じ条件なのだから、何時でもいいわよ」

 

 俺の右腕を取って彼女は笑った。

 

 彼女のその背中にゆっくりと優しく右手を触れさせ、少しだけ力を入れる。彼女の身体を引き寄せるためではなく、ただ抱いているような感覚を味わいたかったから。

 手と腕だけを接触させる、それだけの行為で嬉しく感じる、どうしようもなく心が躍ってしまう。

 

「私、こういうのがしてみたかったのよね」

 

 小さく呟かれた彼女の言葉、彼女もきっと同じ想いを抱いている。

 

「……やりたいことがあったら言ってくれ」

 

 きっと同じことをしたいと想えるから。

 

「この夏は色々経験させてね……まずはプールか海かしら?」

 

「……海なら海月が多くなるお盆前に行かないとな」

 

「ふふ、楽しみね」

 

「……そうだな」

 

「水着も買いに行かないとね」

 

「そうだな!」

 

 ……………………。

 

 

 

 

 何時の間にか、雪ノ下は俺の腕の中で眠ってしまっていた。話し疲れたのだろう、今日はいつもよりも饒舌に言葉を紡いでくれていた。

 

 背中に置いていた手を彼女の頭に移動させて、その綺麗な黒髪を優しく撫でる。彼女の幸せそうに笑った顔が見たいから。

 

 今はもう、彼女の小さな呼吸音以外は何も聞こえない。

 静寂に満ちたこの部屋には、カーテンの隙間から月明りが綺麗に差し込まれていた。

 

 




前回も多くの感想ありがとうございました!
まさか20話まで書くとは思っていなかったので、続ける理由をくれている読者の方々には感謝しています。
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