やはり俺の社会人生活は間違っている 作:kuronekoteru
自動車の運転というのは恐ろしい。重量1000kgを軽く超える鉄の塊を制御する必要があり、何よりも危険を察知する能力が求められるからだ。
自動車学校では、常識では在り得ないだろうという危険行為をしてくる輩に気を付けながらの運転をシミュレートさせられたりする。あれで無事故は制限に近い速度を出したら無理だと思います。
速度を出さなきゃいいという意見は至極当然なのだが、速度が低い車というのはそれだけで他の車の迷惑になってしまうのだ。だからこそ周りの速度に合わせるために、危険に対して回避が難しい状況を作らざるを得ないのが日本の道路交通事情なのではないだろうか。いや、違うかもしれないが。
車は運転者とその同乗者の命を運ぶ箱舟であり、同時に他人の人生を奪う凶器にもなり得る。
結局何が言いたいのかというと、気を付けて運転しようねってことである。
夏だ!海だ!水着だ!を味わう前に、まずはその海へと辿り着かないといけない。今回選択した海水浴場は南伊豆にある穴場のスポットである。海が綺麗な上に人がほとんど居ないらしいのだが、車で片道4時間程度掛かってしまう。そのことを雪ノ下に相談すると、彼女は快諾どころか寧ろ嬉しそうだったので即時決定となった。綺麗な海というのが効いたのだろう、そんな海と雪ノ下の組み合わせが早く見たいです。
7月も最終日となった土曜日、午前7時に雪ノ下を迎えに行くと同時にお手製の朝食をご馳走になる。スケジュール的には温泉旅行の当日を思い出しますね、あの日と違って昨夜は普通に雪ノ下とご飯食べに行きましたけど。
「わざわざレンタカーを使わなくても、実家から車を借りても良かったのに」
「いや、高級車乗り回すのは怖いってのと、お前の家族に借りを作るのも怖いから……」
雪ノ下の父親に娘と二人で海に行くなんて知られたら、望み通り海……というか東京湾に連れて行かれるかもしれない。会ったことないから人柄とか知らないけど、俺が雪ノ下の父親なら絶対に許さないのだから。
俺がレンタルしたのはマツダの五人乗りの車である。人数的には軽自動車でも充分なのだが、長時間のドライブなので足回りを重視してみた。それに、もしもの場合には車の剛体性が必要だろうからね。まあ、車にはあまり詳しくないので、ネットの情報で選んだだけなのだが。
用意したアイスボックスに雪ノ下が作ってくれたお弁当を収納する。中身は着いてからのお楽しみらしい。他にも飲み物を何本か入れてある。
運転席に乗り込み、改めてバックミラーや席位置の調整を行う。雪ノ下のマンションに来るまでにもやったのだが、念の為と気恥ずかしさを誤魔化す為に再度行ってしまう。
その気恥ずかしさの原因が助手席へと乗り込んでくる。白いワンピースなんて着ちゃってるのだから、運転中に目を奪われないよう更に緊張感が増加する。勘弁して欲しいものである。
事故る要素は事前に減らしておきたい、その一心で俺は口を開いた。
「運転途中に見惚れると危ないから、慣れるまで見てもいいか?」
僅か10分で見切りをつけ、目的地へと出発する準備を再開する。少し暑くなった車内を冷やすために冷房を強め、カーナビを起動して目的地を入力する。
「んじゃ出発するぞー」
「ええ、道案内は任せなさい」
テンション高めな雪ノ下さんにほっこりする。俺は頼れるパートナーに改めて挨拶をした。
「……ああ、道案内宜しくな」
「ちょっと、カーナビの画面じゃなくて私を見なさい」
便利になったものだ、もし助手席の彼女の案内で運転することになったら間違いなく辿り着けなかっただろう。
お隣さんから苦情紛いのお小言が来ているので、軽くいなしておこうと口を開く。
「お前のことはさっき散々見てただろうが……」
「……………」
そこで照れるなら見ろとか言わないで欲しいんですけど?
固まってしまった空気を動かすようにシフトレバーをDに入れて、ゆっくりとアクセルを踏み込む。加速度をあまり感じないように気を付けながら。
「道中長いから、適当に音楽とか流してていいぞ」
「そうね、退屈に感じたら流そうかしらね」
4時間もトークで場を繋ぐ自信など無かったのだが、赤信号で止まる度に周りに見える景色の話を、運転中は楽しそうに鼻歌なんかを聴かせてくれる彼女のお陰で、退屈などせずに目的地へと近付いていく。
一度、高速道路のサービスエリアで休憩を挟み、軽食を取って水分補給を行った。綺麗に広がる青空による影響なのか海が近付いていることへの高揚感でかは分からないけれど、雪ノ下はずっとニコニコしてくれている。
「あなた運転上手いのね、ちょっと意外だったわ」
「……自覚はないんだが、確かに乗せた人には褒めてもらえるんだよな」
大学時代に免許を取ってから実家で運転したり、会社でも先輩社員の外部移動の送迎なども偶にだがやっていたりする。特別なことはやっているつもりは無いのだが、大概は褒めてくれるのだ。何なら教習所ですら教官に褒めてもらったまである。頭文字Dを読み込んでいるのが効いているのだろうか。
「それなら将来は私の送迎をしてもらうのもありかもしれないわね」
「いや、今も結構送り迎えしてるでしょ……」
雪ノ下は一体何を言っているのだろうか。まさか、今後は車での送迎をしろってことですか?車さえ有れば別に構わないというか、安全面と体力面を考えたら普通に良い案まである。ローンを検討するべきだろうか……。
「ふふ、休日じゃなくて会社の送り迎えの話よ」
え、平日は業務時間被ってるから流石に厳しいんですけど…。
頭上にハテナマークを浮かべて悩む俺を見て、彼女は相も変わらず笑顔を浮かべていた。
苦節、いや安穏の時間を経て漸く目的の海岸へと到着した。手前のトンネルを通り抜けた時に見えたマリンブルーの綺麗な海模様が今や目の前にある。
波が打ち寄せる音がとても心地良く、透明度の高い水は海底までしっかりとその容貌を露わにしてくれている。
テトラポッドに囲まれたその海辺の近くに持ってきたパラソルと椅子を並べていく。ここは砂浜はなく、下がコンクリートなので安定性は問題ないだろう。穴場と言うだけあり、他の人は俺たちを除くと男女のカップルが4人居るだけだった。
人が見ていない間にタオルを使って水着に着替える。面白味もない膝丈に合わせた青のサーフパンツを履いて白のラッシュガードを羽織る。
雪ノ下は車で着替えてもらっている。穴場たる所以だろう、ここには更衣室などは用意されていないのだ。周りに居る女性などどうでもいい、俺は雪ノ下の水着だけが見たいのだ。そんな想いを抱きながら波で揺れ動く水面を眺めて彼女の到着を待っていた。
「待たせてしまったかしら……」
後ろから控えめに声を掛けられる。振り向けば雪ノ下の水着姿が見ることが出来る、まさに緊張の瞬間であった。
今日の雪ノ下の水着を俺は把握していない。先週に一緒に買いに行って水着の種類ごとに一着ずつ選びはしたものの、試着した姿も見せてもらえず、買った水着も教えてもらっていない。だからこそ一週間もの間、悶々と過ごさざるを得なかったのである。
その鬱憤を晴らすかのように俺は笑顔で後ろを振り返った。
「………何……………だと………」
後ろを振り返ると、膝上まである白いパーカーを着た雪ノ下がそこに立っていた。
サンダルを履いた細くて白い綺麗な素足を見せてくれているのは嬉しいのだが、パーカーのファスナーが鎖骨付近まで閉められているので水着を見ることが出来ない。
「比企谷君に最初に見て欲しかったから」
雪ノ下は照れるようにこちらを見つめ、ゆっくりとファスナーを下ろし始める。彼女の言葉の意味を噛み砕く暇もなく、その光景に目を奪われる。心臓は痛いほどに鼓動し、彼女の一挙手一投足に心も奪われていく。
やがてファスナーがその使命を果たすと、全てが露わになった。
「………………綺麗だ」
言葉を失いそうになるほど、彼女の水着姿は魅力的であった。
白い素肌の対になるかのような黒いビキニが彼女を包み、彼女の美貌をこれでもかという程に引き立てている。
知っていた筈の細くて長い脚はその全貌が見えることでより一層の魅力が溢れているし、控えめだと思っていた胸元にも健康的な膨らみが確認できる。無駄な脂肪が一切付いていない身体だからか、大きくはなくても充分なメリハリを感じる。そして、細いながらも女性特有の美しい曲線が腰回りに描かれており、その中心には縦に伸びる綺麗なお臍が鎮座していた。
じっと見過ぎたせいか、雪ノ下の肌が少しずつ赤くなっていく。全身見えることで、赤くなっていないところとの対比が綺麗で余計に気になってしまう。うーん、可愛い。
「……見てくれるのは嬉しいけれど、隅々まで見るのはやめて」
そう言葉にすると、上目でこちらを細目で見つめ、腕を交差して胸元を隠してしまう。いやー可愛い、一生護りたい。
世界一綺麗で可愛い雪ノ下の水着姿が周りの男共にジロジロ見られていないかを確認する。どうやら、わざわざこんな秘境まで来るような男は自分の彼女にしか興味が無いらしく、二組ともきゃっきゃうふふしている。この海に雪ノ下が来ているというのに、全く馬鹿な野郎達である。
「それにしても、まさかビキニを着てくれるとは思ってなかったわ」
「あなたが人が居ない所を探すって言っていたから…」
良かった……穴場を探して本当に良かった…………。
空を見上げて、過去の自分を誇らしく思う。今日の空は快晴、文句なしの海日和だ。
海での楽しみ方を俺は分かっていない。既に充分以上に楽しんだとも思うのだが、海自体を楽しんだ訳ではない。取り敢えず膝ぐらいまで浸かる程度の浅瀬まで移動した。
周りのカップル達を観察しても、水を掛け合ってるだけに見える。あれが楽しいのだろうか、物は試しと手のひらの先で水を掬って雪ノ下の綺麗なお臍を狙って水飛沫を放つ。
「きゃっ……」
急に掛けたからか、可愛いお臍にヒットしたからかは分からないが、彼女が可愛らしく声を上げて身体を縮こませる。
………なるほど、これは楽しい。完全に調子に乗った俺は次はその白くて細い肩を目掛けて躊躇することなく水を掛けていく。嬌声にも似た可愛らしい声と水に濡れる彼女の身体を見て興奮しない男は居ない。
「……いい加減にしなさい!」
受け身であった彼女の目には闘志の炎が宿り、片手を鞭のように使って海面を切り俺の顔面に目掛けて水を放った。
「うおっ……ぐぉおおおおお」
「ふふ、これで少しは滑りが取れたんじゃないかしら」
海水が目にクリーンヒットし、涙が出るほど目に染みる。痛い、痛いけど何故か悪い気はしない。
目覚めたのではない、きっと夏の海という状況に浮かれて馬鹿になっているだけなのだろう。仕返しに俺も目一杯の水を彼女の身体に目掛けて放ち返す。水飛沫には太陽の光が反射して、きらきらと眩しい程に輝いていた。
暫く水を掛け合った俺たちは、一度陸へと戻って昼食を取ることにした。
アイスボックスから取り出された四角く包装された風呂敷を解くと、二段重ねの重箱が姿を見せる。その一段目には色取り取りのサンドイッチが詰められており、もう一段には唐揚げを始めとした美味しそうなおかず達が顔を覗かせる。
パーカーを羽織った彼女にどうぞと勧められ、頂きますをしてサンドイッチを手に取った。種類豊富な中から先ず口にしたのは卵サンドである。マヨネーズと合わさってしっとりとした卵が程よい塩気と酸味を効かせており、汗をかいた身体には堪らなく美味しく感じる。
「……これもどうぞ」
俺がサンドイッチさんに感動していると、横から彼女に唐揚げを箸で差し出される。水を掛け合っていた時よりもずっと近いその距離に気が付いた。潮の香りに混ざっても弱まることのない彼女の匂いに久しぶりに動揺し、急激に鼓動が早まっていくのを感じる。ただの "あーん"に何を今更戸惑っているんだ。
彼女の箸から俺の口へと渡された唐揚げを噛み締める。揚げてから時間は経っているのにそのサクサク感は健在であり、塩とニンニクで味付けされたもも肉は柔らかくて大変に美味である。
「ふふふ、お弁当もちゃんとお口に合ったかしら」
「……当たり前だろ、雪ノ下が作ってくれた弁当なんだからな」
自分が作った訳でもないのに、少し誇らしげになってしまったのは何故だろうか。理由はきっと浮かれていたからなのだろう。海は川の水と違って身体が浮くのだから妥当な理由である。
俺たちは自然が奏でる波風の音を聞きながら、ゆっくりと初めての雪ノ下の弁当を堪能した。
昼食後はもう少し深い場所へと移動して軽く泳いでみたり、テトラポッドの近くにいる小魚たちを眺めたり写真を撮ったりして過ごしていた。激レアである雪ノ下の水着写真もツーショットが条件だったけれど、しっかりと入手することが出来た。密着するその際には腰まで海に浸かることで事無きを得ました。
日が落ちるにはまだ早い時間だけれど、帰路に掛かる時間を考えて5時頃には帰る準備をし始める。此処には簡易シャワーすら無いので、持ってきた水を使って軽く海の塩を洗い流す。残りは近くの伊豆温泉でしっかりと落とす予定だ。
「ねぇ、来年も海に連れてきてくれる……?」
しっかりとファスナーを胸の上まで閉め切っている雪ノ下にそう言葉を投げられる。
「当たり前だろ」
そのファスナーを下すことが出来るのだから、俺は何度だって海に足を運ぼう。
そんな下心は半分冗談として、こんな遠くまで足を運んだ海はその甲斐以上の成果があったと思う。そもそも道中が全く苦じゃなかったというのもあるが、太陽の下で水着で笑う彼女が見られたことが何よりも大きかった。
今度来るときはシュノーケルなんかも楽しんでみよう。ボートも良いかもしれない。
彼女としたいことが増えていく。それを叶えることが出来ると思っているからか、未来を想うだけで口角が自然と上がるのを感じる。
「……来年も、その先も、また来ような」
「……ええ、もちろん」
お互い自然に手を出して指を重ねる。
一つの貝殻のように閉じられた手は暫く離れることなく海辺に佇んでいた。
温泉に入って疲れを癒し、新鮮な海鮮に舌鼓を打った俺たちは帰路を辿っていた。
湯上りの雪ノ下に改めて悩殺されたのは言うまでもないのだが、『泊まりに行く約束、今日でもいいのだけれど』と上目で誘われたのにしっかりと車を走らせている俺は強い。いや寧ろ、よわよわのヘタレなのだろう。脳内でメスガキver.の小町に罵倒されてしまいそうになる。
そんな雪ノ下の誘惑のせいで、時折目に入るホテルの看板を見ては動揺しそうになる。唯一の救いは助手席からはうっすらと心地よい寝息が聞こえることだろう。安らかに眠ってくれていることに、穏やかな気持ちが強くなって俺を支配してくれる。
あんなに手の込んだお弁当を作ってくれていたのだ、きっと夜が明ける前から起きて準備をしてくれていたのだろう。彼女が目覚めたら改めて感謝の言葉を言おう。美味しかった、ありがとうって。
彼女の頭を撫でることも、その寝顔を眺めることも出来ない。だからこそ、今はハンドルと足のペダルに集中して気を付けて運転するべきだろう。彼女にはこのまま眠っていて欲しいから。
アクセルペダルをゆっくりと踏んでいく、身体が加速度を感じないように。
他の誰かと比較する必要なんてない、俺と彼女の加速度で進んで行きたいから。
サイドミラーを確認するついでに目に入った彼女の寝顔もまた、優しい笑みを浮かべていた。
感想本当にありがとうございます。書こうと思える原動力になっています!
少し日が空いてしまいましたが、これからも続けていきたいです。