やはり俺の社会人生活は間違っている 作:kuronekoteru
彩り鮮やかな紅葉も既に地へと落ち、寒気が流れ込んでくる時期となった。
秋用の外套を羽織るのでは肌寒く感じる日も少なくはなく、マフラーや手袋を身に着けて出勤する人々も段々と多く目に入るようになってきている。冬はもうすぐそこまで来ているのだろう。
今年も気が付けば残りひと月と少しになり、そのことが比企谷八幡には大きな悩みの種の一つになっている。
悩みの一つは雪ノ下に何を贈るか、何を贈りたいのかというプレゼント選びである。一つと言っても、選ぶプレゼントは二つある。クリスマスと誕生日、二つの大事なイベントが近付いているのだ。彼女の喜ぶ物を贈りたいとは考えているけれど、彼女との関係性が不明瞭なことが選択肢の幅を拡げてしまっている。
俺には未だに形にし切れていない想いがある。それを伝えるまでは、俺と彼女の関係性のカテゴリーは友人になるのだろうか。そんな風には微塵も思っていないのは、きっと彼女も同じだろう。
彼女と過ごしていく日々の中で、胸の内で育ち続けた想いが確かな形となって表に出てくる日も遠くはない筈だ。
ただ、想いが象られてしまうことも少し怖かった。歪で脆い形にはならないように、間違わないように大切に胸に仕舞っている。
そんな少し先の未来と、本日の晩御飯のメニューが今の大きな悩みになっていた。
今週も最後の出勤日となる金曜日の昼休み、休み前で少し浮かれた社員達の雑談が飛び交う喧噪の中で一色と対面して食事を取っていた。
「一色は今まで貰って嫌だったプレゼントってあるか?」
大学では当たり前のようにモテモテだったらしい彼女に参考までに意見を頂戴する。ここで大事なのは欲しい物を訊かないことだ。一色の欲しいものを参考にするのは雪ノ下に対して真摯に向き合わないことに繋がるだろうし、自分で考えることが肝要だからね。ただ、女性にとっての地雷になりそうな物くらいは把握しておきたい。
「まぁ、普通にありますけど」
左上を向いて考え始めた彼女は、今まで幾多もの男を惑わしてきたであろう美少女顔を歪ませ始める。何度か溜息を吐き、俺がその様子をじっと見ていたことに気付いた彼女はささっと笑顔を取り繕って口を開いた。
「そうですね、取り敢えずアクセサリーは最悪です。男って大体はハートモチーフのアクセをチョイスしやがるんですけど、私は別に好きじゃないっていうか、センス悪い物送られても困りますし、一度くらいは着けないと申し訳ないなとか気を遣わされる時点でもう最悪です。まぁ、私は何一つ着けませんでしたけど」
………彼女に勇気を出して贈り物をした男に同情を覚えてしまう。いろはす本当に辛辣で酷い。
一色の言葉に傷付き、候補からアクセサリーを外そうか悩み始めていると、彼女の咳払いで意識を持っていかれる。彼女へと視線を戻すと、わざとらしい上目遣いでこちらを見詰めていた。
「……だけど、せんぱいから貰える物なら何だって喜んじゃいますよ?」
そんな嬉しい言葉が甘い声で囁かれる。彼女にアクセサリーを贈った男たちはこの言葉に騙されてしまったのだろうか。
「あざとい」
「はぁ~~………私は嘘ですけど、雪乃先輩はそう思ってるんじゃないですかね」
俺が照れなかったことが不満なのか、一色は分かり易く溜息を吐いて投げやりな態度になる。その態度には慣れているので何も思うことはないのだが、彼女の発言には物申さねばならない。
「おい、何でも良いが一番困るんだぞ。俺はちゃんと雪ノ下が欲しい物を贈りたい」
俺の誕生日には素敵な腕時計と美味しいケーキをプレゼントしてくれたのだから、彼女にもそれ相応に喜んで貰える物を選びたいと思うのは自然だろう。日頃の感謝だって積りに積っているのだから。
「……はいはい、記入済みの婚姻届けとかでいいんじゃないですかね」
完全に適当な意見を言い放ち、面倒ごとから追い払うようにしっしっと手を払っている。最初から彼女の欲しい物は自分で考えるつもりだから構わないのだが、そんなに煙たがらないで欲しい。
「もうお腹一杯なのでこの話は終わりで、次は私の愚痴を聞いて下さいってか聞け」
湯水の如く溢れ出る彼女の愚痴を聞き流しながら、雪ノ下への贈り物で頭を悩ませ続ける。
適当に相槌を打つ際に見えた彼女の胸元には、雪ノ下と由比ヶ浜からの再会を祝したネックレスがしっかりと掛けられていた。
両手にビニール袋を引っ提げてエレベーターに乗り込み、目的の階まで上昇する。歩いて彼女の部屋の前に到着すると、施錠されている扉に鍵を差してゆっくりと回転させた。
ガチャリと音を立て、開錠される振動が指へと伝わる。エントランスでも感じたけれど、本当に開いてしまうことに恐怖すら覚えそうになる。
「……お、お邪魔します」
恐る恐るその扉を開くと、サボンの微かな香りが鼻腔をくすぐった。目の前には明かりの点いていない暗い廊下が広がっている。その光景は新鮮ではあったが、少し寂寥感を感じてしまった。
部屋の明かりを点け、手洗いうがいを終えてからスマホを取り出す。雪ノ下からはまだ連絡は来ていないので、もう暫く時間が掛かるのだろう。繁忙期だから仕方ないのだろうが、体力が無いのだから無理はしないで欲しいものである。
『なるべく早く帰るわね』
最後に送られてきた彼女からのメッセージを眺めると自然と口角が上がってしまった。こんな目の腐った男に合鍵を預けてまで、一緒に食事を取りたいと願ってくれる彼女のために出来る限りの努力はしよう。
あの風邪の日以降、雪ノ下は比較的素直に気持ちを伝えてくれるようになっていた。俺は相も変わらず捻くれているのだが、彼女の想いにはなるべく応えてあげたいと思っている。
その第一歩として気合を入れてキッチンへと足を運ぶ。俺の手には食材の入ったビニール袋と、調理手順が事細かに表示されているスマホが握られていた。
サラダ用に盛り付けを行ったカルパッチョは既にラップを掛けて冷蔵庫へと仕舞っている。今は一口大にカットした食材を柔らかくなるまで煮込み、味付けに手作りホワイトソースを投入して軽くひと煮立ちさせたところだ。鍋からはコンソメとバターの豊かな香りが漂っており、否が応でも俺の空腹を刺激してくる。
空腹を誤魔化すためにではなく、味見のために一口分をスプーンで掬い、充分に冷ましてから口を付けた。クリーミーな味わいは概ね想像通りになっているのだが、以前に雪ノ下が作ってくれたシチューと比べると味が薄い気がする。しかし、雪ノ下はどちらかと言うと薄味の方が好みだから好都合かもしれない。
味見に集中していた俺の背後から急に腰へと手が回される。その手はひんやりとしているが、同時に温かい柔らかな感触が背中へと押し付けられた。
「………おかえり」
「あら、もう家主にでもなったつもりかしら、それとも宿り木かしらね?」
この状況を宿り木扱いするのは失礼だろう。今日は料理を作って待っていたけれど、普段は食っちゃ寝しているだけだからね。宿り木さんは半分は寄生ではなく自身の力で生きているんだぞ。
「どっちでもねーよ、家主が帰ってきたから挨拶しただけだろうが」
「なら、ただいま…………それで、どう?」
揶揄するような明るい声音が耳元で囁かれる。不意にスーツ姿の雪ノ下に抱き着かれている状況には未だに頭が追い付かないのだが、何とか平常心を装って返事を取り繕った。
「……味は悪くないぞ、煮込み加減も頃合いだと思う」
「そっちも気になるけれど、こういうのはどう思うかしら?」
先ほどまでよりも密着度を上げて、声色も心なしか高くなって再度問い掛けられる。彼女の熱い吐息が首元に当たって非常にこそばゆい。
相も変わらずリラックスとは程遠い行為により、上擦ってしまった声で感想を告げる。
「…………悪くない、です」
「ふふっ、なら料理も文句なしってことかしらね、楽しみだわ」
心底楽しそうに自室へと向かうお茶目な彼女の背中を呆然と見送る。彼女のせいで泡を吹いてしまった鍋を鎮めるべく火を弱め、自身の平静さを取り戻すために再びスプーンを握り直して味見に戻る。
冷ますことすら失念していたせいで舌は少し火傷してしまったけれど、多少煮詰まったお陰で俺好みの味へと近付いていたことは悪くない……いや、非常に喜ばしく思えていた。
食卓にはホワイトシチューと少し不格好なカルパッチョ、それにバゲットを置いている。上着を脱いだ彼女と向かい合わせで座り、味の感想が告げられるのをただじっと待っていた。
何やら言いたげな雪ノ下だったが、諦めて一口分を掬って口へと咥えた。思うところがあったのか、一瞬だけこちらを丸い目で見てきたのだが、直ぐにもう一口、もう一口と続けて味わっている。俺の視線を思い出したのか半分程を平らげると、頬を赤らめ軽く咳払いをして体裁を整え始める。
「食材を細かく切り過ぎて煮崩れしてしまっているわね。それにホワイトソースを作る時だと思うけれど、僅かにダマが出来てしまっているのが気になるかしらね」
一応小さめに切ったのは、疲れているだろう彼女が食べやすいように配慮したつもりだったのだが、崩れてしまっては文字通り形無しである。ダマに関しては弁明のしようもない。
やはり素人料理ではプロ並みの技術を持つ彼女を満足させることは出来なかったのだろう。少し落胆しそうになる俺の視界に、口元を緩めて微笑む彼女の優しい表情が映り込んだ。
「………けれど、とても美味しいわ、ありがとう比企谷君」
「……まぁ雪ノ下の料理と比べたら見た目も味も劣るけどな」
照れ隠しに捻くれた言葉で誤魔化してしまったけれど、彼女のその一言で心底救われた気がした。俺の気持ちを揺さぶった最初の辛口コメントも、雪ノ下流の捻くれだと解釈すれば可愛らしいとしか思えなくなる。
そんな彼女と食べる夕食はやはり嬉しいもので、自分の作った料理でも味気ある食事になっている。見栄えなんて、目の前で笑う彼女だけで充分なのだから。
「今日はどうしてシチューを作ってくれたの?」
珍しくお代わりまでしている彼女からそんな問いが投げ掛けられる。悩みに悩んだ癖に大した理由でないのが恥ずかしいけれど、正直に伝えることにする。
「もう冷え込みも強くなってきてるし、温かくて栄養のある好みの料理が良いかなと」
また体調を崩されたら心配だからね、雪ノ下にはちゃんと栄養を取って欲しいものである。
他にも候補は幾つかあったけれど、以前に食べさせてもらったシチューが印象に残っており、彼女自身もシチューが好きだと語っていたのが決め手になった。
「…………好きよ」
「……知ってる」
優しい笑みで告げられた言葉、その対象が自分でなくても動揺するのは仕方がないだろう。彼女の手元にある皿の中身を見詰めてしまったのは嫉妬からかもしれない。
その皿から立ち昇る白い蒸気の行方を目で追うと、白磁のような頬を少し赤らめた彼女の瞳と視線がぶつかる。その瞳には様々な想いが込められていそうで、今の彼女の心を解き明かすことは容易ではなかった。
ただ、その瞳に映っていたのは紛れもなく俺自身だった。
「………もっと好きになってしまったわね、誰のせいかしら」
きっと、今の俺は酷い顔をしている。
顔色は間違いなく真っ赤になっているだろうし、口も開いたまま閉じることが出来ていない。
目の前の彼女はそんな醜態を笑顔で見詰めてくれている。
返事をせずに黙っている俺を、ただ優しく見守ってくれている。
「………ありがとな」
漸く出てきた何に対する感謝かも曖昧なその言葉で、彼女は満足そうに頷いてくれていた。
「……折角あなたが作ってくれたご馳走が冷めちゃうわね」
雪ノ下はそう口にして食事を再開させる。本当に美味しそうに、幸せそうに食べてくれている。
そんな彼女を見て湧き出た言葉は、先ほど聞いたばかりの二文字の言葉だった。しかし、この面倒な感情をその言葉だけで表現することは到底不可能で、俺はまた言葉を飲み込んで自分の胸へと仕舞い直した。
だが、この胸に宿る熱は冷める気配を一向に見せない。同じ言葉を飲み込む度に、温度は際限なく上がり続けているのだから。
「ねぇ、比企谷君は花言葉には詳しいかしら?」
「有名なのは知っている程度だな、薔薇は色や本数で意味合いが変わるんだっけ」
当たり前のように俺の腕を枕にしている彼女がそんな問い掛けをしてくる。その声音は楽しげで、今までよりも鮮明なままに俺の耳へと到達する。先週までよりも更に近くなった距離も影響しているのだろう。その距離に比例して彼女の匂いと吐息の熱をより強く感じるのだから、俺の心身は穏やかではない。
「そうね、あなたなら私に何本の薔薇を贈ってくれる?」
「八本かな、八幡だけに」
渾身の持ちネタが不服だったのか、雪ノ下はその細い指で頬を抓ってきた。そして馬鹿、ボケナスと続けて小さく呟く罵倒さえしてくる。
「もう少しだけ頑張れないのかしらね、この八幡は……」
「………そこら辺の意味合いとか知らないんだが、じゃあおまけでもう一本」
罵倒の三段活用で下の名前を呼ばれる。正解に辿り着くまで罵倒され続けたら、体温が上がり過ぎて死ぬかもしれない。そんなドキドキを味わうために1本ずつ上げていこう。百本が愛の告白なのは知っているので、そこまでには終わって欲しいとは思っています。
しかし、僅か一手で彼女は満足されてしまったらしく、抓られていた頬が解放されていく。そして、代わりにその柔らかな頬を俺の胸に押し当てて嬉しそうに笑い始めたのだった。
きっと彼女の今日の言葉に浮かれていたのだろう。普段であれば決して行動には移さなかったのだが、先程までの仕返しとして、その瑞々しい頬に軽く唇を触れさせてしまった。
「…………別に、ここにしてくれても構わないわよ」
回り諄さの欠片もない愛情表現をしてしまったことに気付き、気付かれ、お互いに顔を真っ赤にしているのだが、それでも彼女の方に余裕が見られる。彼女の指差している場所と触れ合うためには、それこそ薔薇の花束を贈るような行動が必要になるのだろう。
体勢的に仕方ないとは言え、上目遣いであからさまな催促をしてくれる彼女に改めて目を合わせる。早くなった鼓動が事を急かしてくるけれど、俺の残念な理性と心の蕾はまだ時間を要していた。
「……それはもう少し待って欲しい」
「……いつまで?」
苦悩すべき重大な期日は自分でも驚くほど簡単に思い浮かぶ。今も思い悩み続けている、本来はもっと早くに確認すべきその日を。
「その、来月のクリスマスって予定あるか?」
「………ええ、イヴは金曜日だから比企谷君と過ごす予定だけれど」
聖夜も当然の如く一緒に過ごしてくれる気で居たことに思わず笑ってしまう。きっと次の日も一緒に過ごしてくれるのだろう。そんな彼女にだから、俺は怯えずに誘うことが出来るようになった。今この瞬間も、その先のずっと先の未来まで。
「……だから、その日まで待って欲しい」
「………楽しみにしているわね」
俺の決意表明を聞くと、彼女は優しく微笑んで頭を浮かし、先週までと同じ場所まで戻っていく。近過ぎると思っていた距離が今では少し遠く感じてしまう。
俺の胸に置かれている手を取り、ゆっくりと指を絡めると、やがて彼女は瞳を閉じて眠りへと入っていく。その柔らかな寝顔を眺めながら、彼女の艶のある黒髪を優しく撫でるだけでは満たされなくなっていた。
撫でる手を止めて、彼女の幸せそうな寝顔を静かに抱き寄せる。彼女を求めてしまっていることはもう否定する余地もない。そして、この距離を当たり前のように享受するためには、今一度深く考えて選択せねばならないのだろう。
雪ノ下に贈る想いを込めたプレゼントを。
そして、誰よりも大切な彼女へと贈る告白の言葉を。
日を開けてしまいましたが、続きを投稿することが出来ました。
お待たせしてしまって申し訳ございません。
最終話までは残り3話を予定しております。最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。