やはり俺の社会人生活は間違っている   作:kuronekoteru

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やはり俺の社会人生活は間違っている #27

 

 今年の最後を締め括る十二月、その下旬ともなると街中は完全に冬景色となっていた。等間隔に整理された木々にはもう葉は付いておらず、落ちた先の地面にもその余韻は一切残っていない。

 千葉に近いこの場所では、雪は滅多に降ることもないので銀色の世界は広がらず、代わりに厚めのコートを羽織った人々が駅のホームで白い息を次々と連ねていく。その光景こそが都心の冬景色と言っても過言ではないのかもしれない。

 

 しかし、そんな寂しい季節にも関わらず、擦れ違う人達は皆明るい顔をしている。それは正月休みが近いからだろうか。それとも、至る所で派手にライトアップされているイルミネーションによるせいだろうか。

 

 会社では正月休みを気兼ねなく過ごすために必死で仕事を片付ける、正に師走に相応しい日々を過ごしていた。だが、今日だけは何があっても残業する訳にはいかなかった。事前に上司に相談してまで定時に退社し、目的地へと向かっている。忙しなく吐き出される白い息の行方に目もくれず、小気味良く地面を蹴って前へと進んでいく。

 

 そんな俺は一丁前に緊張をしながらも、きっと周りの人々と同じように明るい顔をしているのだろう。鞄には丁寧に包装された小さな四角い箱を隠し入れ、胸には想いを込めた不格好な言葉が今にも飛び出そうと鼓動を速めていた。まるで、一秒でも早く彼女に会わせろと急かすかのように。

 

「……悪い、待たせちまったみたいだな」

 

 漸く辿り着いた待ち合わせの場所、そこには白いコートにチェックのマフラーを身に着けた雪ノ下が佇んでいた。白魚のように細い指を擦り合わせていた彼女がこちらを向いて微笑む。

 

「……そうね、随分待たされた気がするわ」

 

 軽口を叩くように文句を紡いだ彼女の瞳は眩しいほどに輝いていて、その期待の眼差しに少しでも沿えるように俺は言葉を返す前に彼女の手を取って歩き始めた。

 

 

 

 予約をしている店まで並んでゆっくりと歩いて向かう。予定の時刻までは随分と時間があったから時間を掛けて。彼女の冷たくなっている手を温めるのには調度良い時間かもしれない。未だにこの繋ぎ方で高鳴る鼓動が煩いけれど、今日の街は騒がしいから気にはならなかった。

 

「雪ノ下は今日は会社休みだったのか?」

 

 仕事上がりであの時間に到着するのは困難だろうし、何よりも今日の彼女は随分と煌びやかな恰好をしている。スーツ姿でも十二分に綺麗なのだが、まるでドレスのような青いワンピースに身を包んでいる彼女には普段以上に魅了されてしまいそうになる。コートを羽織っている状態でこれなのだから困りものだろう。

 

 雪ノ下は俺の言葉を聞くと、その艶めいた黒髪をはためかせて俺の顔を覗き込む。嬉しそうに、楽しそうに口を開いて言葉を返してくれる。

 

「色々と準備をしたかったもの………それに、どうせ今日は仕事なんて手に付かないのだから行っても仕方ないじゃない?」

「………まぁそうだな」

 

 今日どころか、今週に入ってからはずっと意識してしまっていた。彼女から貰った腕時計が目に入らなければ、きっと仕事にもならなかっただろう。

 雪ノ下は俺の実感のこもった相槌を聞いて、くすくすと笑って言葉を続ける。

 

「なんて、今日もちゃんと出勤していた働き谷君に失礼かしらね」

「失礼なのは呼び方だけだからね。そっちの準備の方が大変だったまであるだろうし………その服も似合ってるしな」

 

 本当は出会って直ぐに褒められたら良かったのだろうが、俺はこういうやり取りの合間に差し込むことでしか自然に言葉にすることが出来ない。こんな調子で告白など出来るのかと心配になるけれど、入念にシミュレーションしてきた通りに事を進めれば何とかなる筈である。

 

「……ふふっ、比企谷君もスーツ姿がとても素敵よ」

 

 一瞬、驚きで目を丸くした彼女が朗らかな笑顔を向けてくれる。想定よりも早まってしまいそうになる言葉を飲み込んで、顔も身体も熱を帯びていく。

 まだ店までは距離があるけれど、彼女の手も俺の手も既に温まり切っていて、もう寒さなど微塵も感じなくなっていた。

 

 

 

 

 

「それにしても、フレンチなんて全く似合わないわね」

 

 店内に入り、コートを脱いでその魅力的な全貌を見せつけながら雪ノ下は口を開いた。キラリと光るイヤリングも相まって、まるで冬の星空を身に纏っているかのように思える。そんな見目麗しい彼女に当たり前のように見惚れながら、しどろもどろに言葉を返していく。

 

「悪かったな、まぁなんつーか雰囲気というか……」

 

 照れ臭さから、無意識に後頭部を掻いてしまう。勿論、俺にフレンチなんてお洒落な食べ物も場所も似合わないことなんて百も承知である。それでも、今日という日のディナーには他の選択肢など考えもしなかった。

 

「そうよね、雰囲気は大事よね……」

 

 俺の恥じらいが伝搬してしまったのか、彼女は人差し指の先端を合わせて少し頬を赤らめている。だが、とても嬉しそうに微笑んでいた。彼女に喜んでもらえるように、今日は好物が取り入れられているコースを選んだことが良かったのだろう。

 

 先ずはウェイターが食前酒としてスパークリングワインをグラスへと注いでくれた。軽く会釈でお礼を済ませ、改めて彼女と向き合ってグラスを持ち上げる。グラスの高さを合わせ、彼女の目を見て、ほんの少しだけグラスを近付けるように腕を動かして言葉を交わす。

 

「メリークリスマス、雪ノ下」

「メリークリスマス、比企谷君」

 

 注がれた金色の液体、そこから弾ける細やかな泡の音色がこの大切な聖夜を静かに盛り上げてくれている。そのまま目で合図をして、お互いにグラスに口を付けてゆっくりと傾けていった。

 口に広がる爽やかな果実の味わいを堪能していたのも束の間で、気が付けば彼女のワイングラスに残る綺麗な唇の跡ばかりを目で追ってしまっていた。

 

 

 結構なお値段するだけあって、コース料理は非常に豪勢で美味であった。鴨を使用したテリーヌの前菜から始まり、帆立の海鮮スープ、メインには牛フィレ肉の岩塩包み焼きと彼女の好物である伊勢海老のソテーが登場した。その際の雪ノ下さんの反応が大変に可愛らしく、自分の分まで彼女に振る舞おうとしたのは致し方ない。

 

 そんなこんなで、最後の一品であるラズベリーのパルフェを口にしている彼女は上機嫌だった。俺の顔を見ては微笑んでいるのは決して面白い造形をしているからではなく、単純に機嫌が良いからなのだろう。

 

「……ねぇ、比企谷君は記念日を分けて考えてくれるタイプかしら?」

 

 微笑んで話し掛けてくる彼女に、念の為に真面目な表情を作って応対する。変わらず微笑んでいるのを確認してから、彼女の言葉の意味を考えて返事を口にした。

 

「あれだろ、クリスマスと誕生日が近いとプレゼントを一緒にされたりするらしいな。俺はちゃんと別々に用意するつもりだぞ?」

「………それは嬉しいのだけれど、急に不安になってきたわ」

 

 見慣れた頭痛いのポーズをしている彼女のために水を追加オーダーしつつ、残ったデザートをスプーンで掬って口へと放り込んだ。甘酸っぱいラズベリーの風味が口一杯に広がるのを感じながら、俺はこの後の予定について今一度確認をし始める。

 

 彼女が不安に思っているであろうプレゼントを渡すタイミングと、俺の想いを伝える場所はもう決めているのだから。

 

 

 

 店を後にして外へと出ると、暖められていない冬の空気が肌に纏わり付いてくる。店内との寒暖差が気になるけれど、アルコールや諸々の雰囲気で上気している身体には都合が良かった。

 

 俺は隣で白い息を吐いている彼女に声を掛ける。上擦らないように気を付けて、可能な限り自然に聞こえるように。

 

「………折角だし、イルミネーションを見に行ってもいいか?」

 

 駅前には無料ではあるのだが、なかなかに評判の良いライトアップが展示されており、幻想的な光のアートを求めて毎年多くの男女が観に来ているらしい。

 俺の提案を首肯で快諾してくれた雪ノ下の手を取って歩き出す。今の関係に相応しい、指を絡めない自然な方法で。

 

 イルミネーションの光が近付く程に鼓動が早くなっていく。手を繋ぐ彼女にも伝わってしまっていないか、気付かれていないか心配になる。だが、確認する余裕など俺には残ってはいない。

 

 次に口を開く時にはきっと………。

 

 

 一直線に並んだブルーの光を放つ木々、それが一番奥が確認できない程に何処までも続いているように見えた。その通りには何十組ものカップルが集っており、百人百様にその美しい光の芸術を楽しんでいる。

 俺と彼女もその暖かな光の中に足を踏み入れる。周りに紛れて、光に紛れて歩を進めていった。眩しい輝きに包まれたその場所では自分の影さえも付いては来れやしない。

 

「……とても綺麗ね、比企谷君」

 

 彼女のその言葉を皮切りに、思わず握っている手の力が強まってしまう。何事かと立ち止まり、疑問符を浮かべながら俺の顔を覗き込んできた彼女から目を背けずに向き合った。

 

「…………雪ノ下」

 

 青い光に照らされた彼女の表情が変わっていく。訝しげから驚きへと変わり、戸惑いから焦りへと移っていく。恐らく俺の今からすることを理解してしまったのだろう。

 俺は周囲の騒めきに搔き消されてしまわぬように息を吸い、冷たい空気を胸に取り込んでから口を再度開いていく。

 

 そして、用意していた言葉を紡ごうとした――その瞬間に雪ノ下に強い力で腕を掴まれる。

 

 狼狽える俺を牽引するように先導する彼女の足先は入口方面へと向けられた。綺麗な明かりから遠ざかるように足早に歩いていく。失われていく機会に呆然としながらも、彼女の荒くなった息遣いと地面を叩く靴の音に耳を寄せては落ち着きを取り戻し始めていた。

 

 

 何処まで歩くのだろう、そう思っていると彼女は四車線を跨ぐ歩道橋へと足を掛けて登り始める。階段の先には人の影はなく、信号の赤い光が照らす寂しい空間が広がっていた。そんな場所で漸く腕を解放した彼女はくるりと振り返る。

 

「……私、こう見えてお人好しじゃないから、他の人に聞かせてあげるつもりはないの」

 

「……………」

 

 見た目通りだなんて軽口を返せない程に惹き込まれてしまったのは、彼女の赤々とした揶揄うような笑顔が眩しかったから。イルミネーションの下でなくても変わりはしない。その美しさも、その傲慢で魅力的な表情も………そして俺のこの気持ちも。

 

 一歩だけ距離を縮めようと彼女へと近付いた。決して自動車の走行音で掻き消されてしまわないように。間違っても他の人には届かないように。

 

「……正直、お前の居ない人生とかもう考えられないというか」

 

 雪ノ下雪乃と関わり始めて、俺の心に彼女が居座るようになってから七年の月日が経過している。印象だとか認識なんて日毎に変化してきた。良くなるだけだった訳でもなく、衝突だってしてきたし、相容れないことも多々あった。

 

「俺は………」

 

 それでも関わってくれて、関わり続けたくて此処まで辿り着いた。勘違いだなんて考える余地も無い程に思い知らされてしまったんだ。

 

 彼女を照らしていた光が青へと変わる。ただ、俺の瞳に映る彼女の顔色はイルミネーションの下で見たものとは異なっていた。

 

「お前を、雪ノ下雪乃を愛しています。だから、お前を愛する権利を俺にくれ……」

 

 冷たい空気を揺らして伝えた言葉、それが彼女の耳に届いたことは間違いないだろう。彼女自身の赤色が青い光の中でさえも綺麗に映し出されていた。

 雪ノ下の言葉を待っていた時間は長くはなかった。開かれる筈の薄い唇が胸に飛び込んで来ては、俺の身体すらを揺らして伝えてくれる。

 

「………あげるわよ、だから」

 

 その後に繋がる言葉は聞こえてはこない。代わりに彼女は顔をゆっくりと上げて瞳を閉じて静止した。貰えた権利を行使するために、彼女の細い肩に震える掌を静かに置いて、額よりも更に下へと顔を近付けていく。痛いほどに高鳴っている鼓動も、震える身体も自分だけではなかった。

 

 軽く触れ合うだけの短い接吻をした。感触は柔らかかった気がするけれど、味は分からない。それが俺の初めての感想だった。

 

 車が一台、二台と過ぎ去っていく。二人の間には言葉はなく、ただ余韻に浸れるだけの時間が流れていった。雪ノ下はやがて触れた場所を中指でなぞると、鞄から折り畳まれた紺色のマフラーを両の手で広げて俺に向き直った。

 

「巻いてあげるから少しだけ屈んでもらえるかしら」

 

 思考も覚束ない俺は言われた通りに前屈みになると、温かな毛糸の感触が首の後ろへと回され、彼女の甘いサボンの香りに包まれていく。もし手編みだったりしたら、一生大事にすべき贈り物だろう。そんなことを漠然と考えていると、不意に彼女の唇が花開いて甘い言の葉が囁かれる。

 

「あなたが好きよ」

 

 その甘美な衝撃にではなく、マフラーを引っ張る力によって顔が下へと引き下げられた。

 

 下がった先には、先程触れたばかりの柔らかな感触が待っていた。色々と言いたいことはあるけれど、先ずは大切なマフラーが伸びてしまわぬように彼女の後頭部と背中に手を当てて引き寄せる。すると、次第に首元に掛けられていた力は抜け落ちていった。

 

 息継ぎで彼女の熱い吐息が肌に触れる。少しだけアルコールの混じった甘い匂いに酔わされて、どちらからともなく離れた唇をもう一度求めては近付いて閉じていく。言葉だけでは伝え切れなかった想いを確かな熱で伝え、伝えられる。その行為は彼女の顔の色が何度も移り変わるまで繰り返されていた。

 

 

 酔いが冷め、漸く二人の間に距離が作られる。その僅かな距離を使って、雪ノ下はマフラーを正しく結び直して柔らかく微笑んでいた。

 お返しに鞄から包装された箱を取り出そうとした手は彼女に捕まえられ、そのまま強く握られていく。元々の想定とは大きく異なってしまっているし、此処で渡す必要も無いだろう。如何あっても、この後もずっと一緒に居るのだから。

 

 そのまま並んで歩き始め、二人を繋ぎ合わせてくれた橋を静かに降りていく。

 この瞬間も二人を繋げてくれている指は、然も自然に絡み合っていた。

 

 

 

 

 彼女のマンションまでの道、今夜は街灯だけでなく、所々にクリスマス仕様の明かりが照らしてくれていた。そんな記念すべき日に大きな一歩を踏み出した俺たちはこれからどうなっていくのだろうか。先週までと変わらない想いと、大きくなってしまった想いが重なり合ってしまっている。

 

 隣を歩く彼女はそんな男心なんて露知らず、楽しげな鼻歌交じりの横顔を見せてくれている。俺の恨みがましい視線に気が付いてか、こちらを見上げて不思議そうに首を傾げた。だが、そんな表情も一瞬のことで、直ぐに挑戦的な笑顔を作って口を開き、揶揄い混じりに言葉を紡ぐ。

 

「愛し合う二人は、こんな夜にはやはり愛し合うのかしらね?」

「………お、お前は好きって言ってただろうが」

 

 見事に悩みの真ん中を射抜かれてしまい、彼女の挑発的な台詞を受け流すことに失敗する。好きとか愛なんて言葉を安易に使いたくはないのだが、矜恃を保つ様な余裕を持つことは出来なかった。そんな俺が可笑しいのか、可愛らしい小さな笑い声を擁したままに再度口が開かれる。

 

「ふふっ、なら私のことを好きにしていいわよ」

 

 冗談にも聞こえるその言葉で必死に繋ぎ止めていた理性が崩れ落ちていく。身体は酷く強張ってしまい、繋いだ手にも力が入ることで、彼女へと緊張が伝わるのに時間は掛かりはしなかった。

 はにかむような照れ笑いが神妙な面持ちへと変わっていく。沈黙さえにも耐えきれなくなった彼女はぽそりと言葉を零した。

 

「…………その、優しくしてもらえると」

「…………善処する」

 

 繋げた指を脱力しようと努力はするのだが、目の前に近付いてきた通い慣れた光景が視界に入ると、余計に身体が固まっていく。隣の彼女も声を漏らして歩幅が極端に狭くなっていた。

 

 

 冬空の下、並んで静かに白い息を上げる。ぎこちない歩みのせいで、部屋に辿り着くまでにはまだ幾分か時間が必要になるのだが、二人の間に会話は消失する。

 冷めているでもなく、望んでいない筈もない。ただ、心の準備をする淡い時間を要しているだけ。互いを求めることを知った今だからこそ、この後の未来がふいにならないことを確信してしまっているのだから。

 

 そんな二人で過ごす初めての聖夜は例年よりも一層遅くまで続くことになるのだった。 

 




お待たせしてしまいましたが、無事投稿に辿り着きました。
評価やお気に入りだけでなく、ここすき機能を使ってくれている方も居るようでとても嬉しいです。
どのような形であれ、好意的な反応が目に見えると励みになります。本当にありがとうございます!!

残り二話を予定しておりますが、最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。

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