やはり俺の社会人生活は間違っている 作:kuronekoteru
大満足の夕食を終え、現在は雪ノ下によるおつまみ作りをソファーで待機している。無論、覗き見をするのは辞めていない。
まだ食えるのか、という疑問はあるかもしれないが、まだ全然食欲は残っている。二人分よりも多めに作ってくれた彼女の手料理は余さず平らげてしまったというのに。まるで育ちざかりである。
酒の肴とは言え、彼女のことだから美味しい物を作ってくれるに違いないと期待感が高まる。
しばしの時間、大人しく覗き見しながら待っていると、彼女がワイングラスと白ワインのボトルを持ってこちらにやって来る。
「悪いのだけれど、先にこのワインを開けといてもらえるかしら」
彼女はワインオープナーを俺に手渡し、キッチンの方へ戻って行く。なるほど、コルク開けを頼まれたのか。
このワインのコルクを開けるのは少し苦手である。理由は単純に経験値不足からだろうか。そもそもワインを飲む機会はあまり多くない。
居酒屋やサイゼリヤでデカンタで頼むことは少なからずあることだが、ボトルを開けるのは何時振りだろうか。恐らく、一昨年のクリスマスにシャンパンを開けた時が最初で最後であろう。
あの時はコルクを飛ばすわ、中身を溢すわで散々であった。直後、普通に雪ノ下さんに怒られました。苦手な理由はこれでは……?
実はその失敗の後に、厳しくも優しい彼女に開け方を教えて頂いていた。今日はそれを実践しろってことですかね。頑張るぞい。
まずはボトルの頂部のフィルムを剥がし、コルクとご対面する。対戦よろしくお願いします。
ワインオープナーのスクリューをコルクの中心に垂直になるように突き刺す。後は丁寧にゆっくりと時計回りでスクリューでコルクを掘り進めていく。
オープナーのフック部がボトル口に引っ掛けられるようになったら、回すのを止める。そしてフックをボトル口に引っ掛ける。
最後に少しずつコルクを引き抜いていく。一気に抜く必要はないので落ち着いて行うのだ。
キュポンと景気良い音が室内に響き渡る。コルクは飛んでおらず、溢してもいない。俺はやったぞ。
「ちゃんと教えた通りに出来てるじゃない、今日はお説教する必要はないわね」
「ふっ、俺が二度も同じミスをするわけないだろ」
ドヤ顔で彼女にサムズアップをする。
「そうよね、そんな完璧なお兄さんだったら小町さんも鼻が高かったでしょうね。何度も同じことを注意する必要もなかったでしょうね。小町さんが可哀想だわ」
「やめてくれ、小町の気持ちを代弁するように俺を責めないでくれ」
久しぶりに見る頭痛いポーズである。相変わらず様になっている。頭を抑えていない手は四角い白いお皿を持っている。その皿が目の前のテーブルに置かれる。
皿上には一口サイズにカットされたモッツァレラチーズを生ハムで巻き、粗挽き黒胡椒とオリーブオイルが散らされている一品が綺麗に載せられている。
これ絶対旨いだろうと眺めていると、もう一品が運ばれてくる。
「おお、アヒージョか。これ好きなんだよなあ」
熱々のアヒージョがスキレットに入っているようだ。食材にはベーコン、じゃが芋、ブロッコリーなどが使われている。更に追加でバゲットまで登場する。完璧じゃないか。
「その白ワインに合うと思うわ。熱いから火傷しないように気を付けてね」
「あいよ、じゃあグラスに注ぐわ」
まずは雪ノ下のグラスに、そして次に自分のグラスに注いでいく。彼女はどちらに注ぐ時もグラスを持って少し傾けてくれた。
視線を合わせ、グラスを少しだけ合わせて乾杯をする。本来はグラスの接触は好くないが、今回は彼女の方から合わせに来てくれたので構わないだろう。
乾杯したグラスをそのまま口に付けてゆっくりと傾ける。良くは分からないが葡萄だけでなく柑橘系や洋ナシの香りが混じっているように感じられた。味はすっきりしつつも果実の酸味と苦みが良い感じに混じり合っている。今まで飲んだ白ワインの中では一番美味しく感じた。
「正直あんまりワインの味の差とかは分からないんだが、これは美味しいな」
「そうね、私もあまり飲んだことがないから同じ感想だわ。誠に遺憾ね」
語尾のように辛辣な言葉が連なっているが、表情はにこやかである。はい可愛い。
続いて、アヒージョのじゃが芋を箸で一摘みし、少し冷ましてから口に含む。おお、少し濃いめの塩気とニンニクの風味が溶け出しているオリーブオイルの風味が堪らない。これはお酒が進みそうだ。
口の中を白ワインで一度リセットする。口内に残るアヒージョの余韻と交じり合う白ワインの風味が心地よく感じた。これが合うってことなんだろうな、と一人で納得する。
次に生ハムチーズを頂くことにする。これは食べる前から美味しいと分かってはいたが、口に含むと想像よりも濃厚なチーズが生ハムの塩気に優しく包まれているのを感じる。更に黒胡椒が効いてくることにより
一人で脳内で優勝していると、雪ノ下が感想を求めて話しかけてくる。
「おつまみはどうかしら?美味しくできているとは思うのだけれど…」
「おう、マジで旨い。店出した方が良いレベルの出来だぞ」
それは褒めすぎだと謙遜するが、表情や語気に嬉しさが滲み出ている。きっと色んな拘りを持って作ってくれたのであろう。褒めるついでに色々聞いてみたくなった。
「肉じゃがも凄い美味しかったんだが、何かコツとかあるのか?そんなに時間かかってないのに味もしっかり付いてたから驚いたわ」
「それはどうもありがとう。…そうね、強いて言うのであれば水を使わないことかしらね。焦げやすくなってしまうから火加減とかは少し難しくはなってしまうのだけれど、具材を煮る際には調味料だけを加えていたわ。あと……」
想像していた以上に彼女は手間をかけて料理をしてくれていたらしい。途中からレベルが高すぎて良く分からなくなったが、あの美味しさにはたくさんの彼女の料理への愛情が詰まっていたのであろう。
その後は二人で色んな話をした。基本的には今日の出来事に対する感想だったが、彼女の受け取り方と自分の受け取り方の違いを楽しんでいた。ちなみに映画の感想については俺がほとんど見ていなかったため、雪ノ下さんに叱られました。
暫くすると、お酒が進んだからだろうか、少し身体が熱くなっているし、頭はふらつくし、それと謎の高揚感が押し寄せて来ている。高揚感はアルコールのせいではなく、状況によるものかもしれない。
雪ノ下も同程度の量を飲んでいるので、顔や首や手などが多少だが赤くなっている。
いつもは白くて綺麗な肌が火照っているのを見ると否が応にもドキドキしてしまう。
彼女のその綺麗な首筋は髪を片側に結っているために、こちらからは鮮明に見える。
……その首筋に触れてみたいと思ってしまった。
やがて俺の手が彼女に触れまいとして動きだそうとしたその瞬間だった。
その手は彼女自身の手によって封じられてしまう。
「何やら妖しい目線を感じたから、この手は拘束させて貰うわ」
俺の手の上には彼女の手が重ねられていた。
今日何度も触れたこの手すら彼女の身体なのだと強く意識してしまっている。明らかに理性が失われつつあるようだ。
「悪いけど、暫くはこのまま捕まえといてくれ」
正直、彼女を傷つけるようなことをするつもりは一切ないが、俺の醜い欲望は彼女に触れたがっていた。だからこの状況は彼女を害さずに触れられる最善の状況であろう。
そんな俺の男心を分かっているとは思えないが、彼女は優しく微笑んで頷いてくれるのだった。
気が付けば、もう終電を意識するような時間になっていた。まじかよ。
「そろそろ帰るわ、色々とありがとな。飯も本当に旨かったわ」
「そんなに何度もお礼を言わなくて結構よ、でもどういたしまして。あと……」
お礼をお礼で返してくれる雪ノ下さん。ただその言葉には続きがあるようだ。なんだろう。
「その、良ければ泊まっていってもいいのだけれど…」
上目遣いで凄い提案をしてくれる。この雪ノ下さんの爆弾発言により、俺の思考は数秒は停止した。
いやいや、流石に泊まるのはアレでは?まだ早いと言いますか、時期尚早と言いますか、早計ですよね?
「……そういうのはまだ早いだろ」
「そう、じゃあ時期が来たら教えてね、比企谷君?」
彼女の表情には随分と余裕がある。きっと俺がヘタれると予想していたのだろう。悔しい。
仕返しは思い付かないので、取り敢えず恩返しだけ済ませようと思って彼女に提案する。
「料理とか全部作って貰ったし、片付けくらいはするぞ。台所借りてもいいか?」
少し驚いた顔をされる。俺が働こうとするのはまだ意外なイメージなんですかね。早くニートになりたい。
「私の方でやるから大丈夫よ。お皿もあなたが綺麗に食べてくれたお蔭ですぐ洗えるのだし」
「そうか…改めて本当にありがとな」
今日は何から何まで雪ノ下に感謝だ。いくら言葉を重ねても感謝し足りない。
最後に雪ノ下が玄関でお見送りをしてくれる。実は駅まで送ってくれるとか言い出したのだが、それだと駅で別れた後に一人で歩かせることになるので、丁重にお断りさせて頂いた。
「じゃあまたな、雪ノ下」
「……ええ、また、ね」
別れの挨拶も済ませたので、ドアノブに手をかけようとしたその時。
「比企谷君!」
彼女にしては珍しい大声で呼び止められる。思わず焦って後ろを振り返る。声を発した彼女自身も少し驚いているように見えるのは気のせいじゃないだろう。
「……その、次は何時会えるのかしら」
彼女の言葉と態度には不安が滲み出ていた。段々と彼女は顔を俯かせてしまう。
昨夜に出会う前には約1年もの隙間が空いていたのだ。だからこそ彼女は"また"という言葉に不安を感じたのだろう。
最後の最後にこんな不安そうな顔をさせてしまったことが俺は何よりも悔しかった。彼女を早く安心させたいという一心で何とか言葉を紡ぐ。
「近いうちに連絡する。その、ちゃんと誘う。だから少しだけ待ってくれ」
彼女はちゃんと安心してくれただろうか。その表情は彼女が俯いてしまっているのでまだ分からない。もしかして言葉足らずだった?心配になり、彼女の方へ近づいたタイミングでその顔が上げられる。
「あまり日は空けないでね。その、寂しいから……」
あまりにも可愛いので抱きしめそうになる、が何とかギリギリで耐える。おいおい、俺じゃなかったら危なかったぞ。あと早めに連絡できるよう頑張りますね。そう決意して彼女に頷いた。
彼女の家からの帰り道、俺は今日一日の出来事を反芻しようと、昼間に出会ったところから思い出し始める。この反芻する行為は彼女に出会ってから始めたことである。
最初の方は正直、彼女からの酷い罵詈雑言による憎しみを忘れないために思い出していただけだった。それが何時からか彼女との思い出を大切にしたいという気持ちへと変わっていったのだ。
多分その切り替わりが彼女への想いが芽生えたきっかけだったのだろう。
次に会えるのは何時になるだろう。きっとそれは俺次第なのだ。気持ち的には今すぐにでも会いたいのだが、そんなことはまだ言えそうにもない。
だから俺は必至で探さなくちゃいけないのだろう。
そう言えるような未来を。
長い一日になりましたが、お付き合いありがとうございました。
ご感想ありましたらよろしくお願いします。
あと誤字報告ありがとうございました!