やはり俺の社会人生活は間違っている 作:kuronekoteru
翌朝、目が覚めると同時に口内に少し違和感があることに気付く。寝る前にちゃんと歯を磨いたつもりだったのだが、にんにくスメルを完全に取り除くことは出来なかったようだ。焼肉をした次の日には稀によくあることである。
仕方がないので、取り敢えず歯を磨くことから今日を始めようと意を決し、ベッドから立ち上がった。
閑散としている我が洗面台には歯ブラシと歯磨き粉とハンドソープぐらいしか物が置かれていない。お洒落だった雪ノ下の家のと比較するとそれはもう雲泥の差であろう。
歯ブラシも毛先が開き始めているので、そろそろ交換の時期だろうなと考えながら歯を磨き始める。瞬く間に俺の口内はシトラスミントの香りに支配された。
遅めの朝ごはんを取り、出掛ける準備を始める。朝食が遅くなったのは昨夜に食べ過ぎたせいである。だって途中から雪ノ下さんが焼き専になって、俺が食べ専になったのだもの…。嬉しそうに焼いて食べさせてくれる彼女の肉を残す訳がない。
服装は先週とあまり変わっていない、だって他に良さそうなのあまり無いしね。安定の黒パンにカーキ色のシャツである。
こういうの雪ノ下さんは気にするのだろうか、気になるのであれば服を選んでくれるかもしれない。比企谷君に似合う服ね、取り敢えずこのアイマスクを着けてもらえるかしら?とか言われてしまうのだろうか。雪ノ下の表情が見られなくなるのは辛いな。
待ち合わせの駅に到着する。待ち合わせの時間は12時なのだが、何故か早く来る彼女を待たせないように40分前行動である。あまり早く来てはいけないというルールを作らないと、段々と待ち合わせ時間が機能しなくなってしまう恐れがある。一層の事、家に迎えに行く方が良いのではないだろうか。
因みに目的地はららぽーとだ。千葉にあるのだがTOKYOの名前を有する不調法者である。まあ実際には東京湾のことなので、全く問題はない。
5分もしない内に雪ノ下が改札から出てくる姿を発見する。今日は濃いめのブルーのシャツに薄水色のロングスカートのようだ。彼女の清楚な佇まいと合わさり、大変良く似合っている。
彼女はキョロキョロと周りを見渡すと、俺の姿を発見したようだ。呆れるように少し苦笑し、こちらに向かって真っ直ぐに歩いてくる。
「こんにちは、比企谷君。相も変わらず早いわね、そんなに楽しみだったのかしら」
俺が先に来ていることが気に食わないのか、やや不満気にも見える。だが実際には照れ隠しが配合されているのであろう、愛らしいね。というか、早く来るのは君のせいだからね?
「……おう、楽しみだったことは否定しないが、お前が先に来るとナンパで長蛇の列が出来上がる可能性があるからな」
あまり冗談ではない。何故なら、大学時代に遅刻した際、似たような景色を見てしまったからである。その時は由比ヶ浜が上手く対処してくれていたらしいのだが、雪ノ下一人となると非常に不安である。
そんな俺の心情を察してくれたのかは分からないが、彼女は照れを隠し切れなくなっている。普通に色々と赤くなってますね。
「相変わらず過保護気味ね、比企谷君は。……悪い気はしないけれど」
「いや、寧ろ足りていないだろ。迎えに行く位が適切なんじゃないかと思うレベルだぞ」
待ち合わせ時間の問題も解決するし、一石二鳥ではないだろうか。難点を挙げるとすると、雪ノ下の家の周辺に不審者情報が出回る可能性があることだろうか。
俺が不審者に見えない方法を本気で考え始めようかな、というタイミングで目の前から声が発せられる。
「…………そこまで言うのなら、次からは迎えに来ることを許可してあげるわ」
後ろ向きでそう言葉にすると、彼女はそそくさと歩いて行ってしまう。気分を害した訳ではないことは歩き方を見れば分かるのだが、何故先に行ってしまうのだろうか。
……今日はIKEAに行く予定は無かった筈なのに。
ららぽーと方面へと舵を取り直したので、無事に目的地に到着する。お昼にはまだ早いので、買い物からスタートになるであろう。何から見るのかと疑問に思うと、彼女は即座に回答をしてくれた。
「先ずは服を見ましょうか、比企谷君にも必要でしょうしね」
含みのある微笑である。普通に先週と似た格好なのを気付かれているのであろう。
「社会人になってから買ってないからな、選ぶの手伝ってくれると助かる」
大学の時は由比ヶ浜か小町が選んでくれていたので困らなかったのだが、今や大半は草臥れてしまったのでレパートリーは少ない。
「勿論そのつもりよ、では行きましょうか」
雪ノ下が先導し始めるが不安は特にない。どの方向へ行っても基本的に服屋はあるのだから。
雪ノ下チョイスで三点ほどメンズ服を購入する。諭吉さんが旅立ってしまったが悔いはない。だって雪ノ下さんが真面目に選んでくれたからね。
お次は雪ノ下の服を買う予定なのだが、やはり俺も選ぶのを手伝った方が良いのだろうか。センスの無さは自負しているので、寧ろ邪魔になることを危惧してしまう。
「……比企谷君はどれがいいと思うかしら」
マネキンを前に雪ノ下が俺に問い掛ける。遂にこの時が来てしまったようだ。
雪ノ下に似合う服を選べと言われれば至極簡単である。基本的に何でも似合うだろうからだ。
だがしかし、順位付けをしろと言うのであれば急に難易度が上がる。ほぼ満点同士を比較出来る程俺は目が肥えていないのだ。
「正直どれも似合うと思うぞ、いやマジで」
「……ありがとう、でも選んでみてくれないかしら」
雪ノ下はそう言葉にすると下を向いてしまったので、拒否は出来そうにない。
仕方がないのでちゃんと選ぼうと思い、改めてマネキンを含めた店内の服を眺める。
あまり露出が多い服を着せる訳には行かないので、ミニスカや肩出しはやめておこう。無論見たいし、似合うとは思うが駄目なものは駄目である。
店の奥の方にピンと来た服を見付けたので、雪ノ下を連れて移動する。
「このワンピースが良いと思うんだが…」
上が青色でスカートが白の上品なワンピースなのだが、腰には青色の紐が付いており、リボン状に結ばれていて可愛さも持ち合わせている。袖は七分丈でスカート丈も長いため露出も少ない。
「比企谷君はこういうのが好きなのね……」
お隣の雪ノ下の反応があまり良くない気がする。上から下まで舐めるようにじっくりと見ている。やはりワンピースは男の子が好きなだけなのだろうか、服も漫画も。
「あまり気に入らなかったか?だったら別のを」
「いいえ、私もちゃんと気に入ったわ」
雪ノ下は選んだワンピースを手に取るとサイズのチェックを始める。念の為に試着をするらしく更衣室に早足で向かってしまった。
俺はこの時間に一体何をしていればいいのだろうか…。結局、適当に他の服を眺めながら、雪ノ下が着たイメージを想像して過ごすことにした。
やがて、試着室から雪ノ下が戻ってくる。その顔には笑みが浮かんでいた。本当に気に入ってくれたのであろう。
俺は嬉しさのあまり、彼女から服を少しだけ強引に受け取るとそのままレジへ向かった。
きっと次に出掛ける時に見せてくれるだろうから、感謝の前払いだ。
昼食だが、雪ノ下も朝食が遅かったらしいので、休憩がてらに喫茶店で軽食で済ませることにした。二人で喫茶店のサンドイッチの美味しさを噛み締めました。
現在は喫茶店を出て、近くの雑貨屋に入ったところである。
「何か欲しい物があるのか?」
雪ノ下の家を見るからに足りない物はあまり無いと思われる。だから真剣に物色する彼女には少し違和感があったのだ。
「実は男性用の雑貨を探しているのよ、あまり品が無いのは嫌なのよね……」
彼女の言葉を聞き、一瞬思考が停止する。動き出した後も使い物になっておらず、ただ時間だけが過ぎていた。
そんな様子を見ていた雪ノ下が口元を抑えて笑う。久しぶりに爆笑しているんじゃないだろうか。え、笑うところありました?
「女性が一人で暮らしてると思われると危ないのよ。だから少しは部屋に男物のアイテムを置いたりすると良いらしいわ」
私も学生の時はしていなかったけれどね、と笑い涙を指で拭いながら続けて呟いた。
それを聞き、誰かにプレゼントしたりするのでは無いことに安堵する。
「……なるほどな、じゃあ選ぶの手伝うわ」
「ええ、比企谷君の趣味で選んでいいわよ」
雪ノ下はリアリティを重視したいようで、男である俺に選んで欲しいらしい。服を選ぶよりもずっと気が楽なので問題はない。
「マグカップならこれかな、この青いやつ」
俺は陶器のマグカップを指差す。外側が薄めの青色で内側が白い普通のマグカップである。隣には薄桃色のカラバリも置いてある。
「……そう、じゃあこれにするわね」
雪ノ下は特に文句も言わずにマグカップの入った箱を手に取る。何故か隣の薄桃のやつも一緒に。
まぁ、同居してると思わせるには効果的なのだろう。というか、そんな部屋の中まで見に来れなくないですか?まあ業者が立ち入ることもあるか……。
一人で納得していると、俺は我が家の洗面台の虚しさを思い出す。歯ブラシ立て用にでも使おうかと思い立ち、自分用にも購入することにする。べ、別にお揃いにしたい訳じゃないんだからね……。
その後すぐに雪ノ下に同じマグカップを買うことがバレてしまい、少し揶揄われた件については置いておこう。
続けてドラッグストアに立ち寄る。ここでは雪ノ下とは別行動をすることにした。
俺が今朝に気付いた歯ブラシを買いたかったのもあるのだが、彼女が薬局で何を買うのか見せたくない場合もあるだろうことを配慮した結果である。
かための歯ブラシを購入し、店の入り口で雪ノ下を待つことにした。手には服屋の紙袋が二つと、先程のマグカップが入った袋があるのでスマホも弄りづらい。だが、不思議と悪い気分ではなかった。
粗方の買い物も終わったらしく、雪ノ下はこの後の予定について悩んでいた。荷物も少なくないので、あまり遠くに行くのも億劫だろうし、時間もまだ晩御飯には早いのである。
普通に考えれば帰宅になってしまうのだろう。しかし、それは少し寂しかった。
何かを決めたようで雪ノ下がこちらに向き直り、その口を開く。その眼には強い決意が籠っているように思えた。
「では帰りましょうか」
「……まあ、ここら辺でやることも無さそうだしな」
最近は夜遅くまで一緒に居られることが多かったので、早めの解散宣言に悲しくなる。しかし、彼女にも都合があるのであろう。
男が寂しがる姿を見せても格好悪いだけなので、表には出さないように取り繕った。
「ここからなら比企谷君の家の方が近いわよね、今日はそちらに帰りましょうか」
「そうね、お前の家よりは大分近い………は?」
「先週は私の家に来たのだし、別に行ってもいいわよね?それとも家に上げられない理由があるのかしら、比企谷君?」
矢継ぎ早に問い掛けてくる彼女は少し焦っているように見える。いや、焦ってるのはこっちなんですけど?
俺の1Kの部屋なんかに彼女を上げて良いのだろうか。特に隠したい物がある訳ではないのだが、彼女の家とのギャップがどうしても気になってしまう。
だが、目の前で懸命に俺を説得しようとしている彼女の姿を見ていたら、その抵抗感も薄れていった。
「お前の家みたいに広くないんだが、……それでも良いなら来ていいぞ」
そう答えると焦りの顔から嬉しそうな表情へと見る見るうちに変わった。幼けなさの残るその笑顔にはどのような想いが込められているのだろうか。俺の部屋に来ることに価値なんて無いだろうに。
「ふふ、別に構わないわよ。寧ろ狭い方が良いかもしれないわね」
ご機嫌に歩き始める彼女の背中に付いて行く。狭い方が都合が良いことなんてあるのだろうか。
思い付くのは掃除がし易いのと近くに居られる、後は……探し物が容易とかだろうか。今更ながら、本当に部屋に見られては不味い物が無いかどうかを必死で考えてしまう。
まあ、気にしないでいいだろう。今はあるかもしれない危険物よりも確実に存在する大切な人を気に掛けるべきだ。
彼女はこのままだと駅方面の出口とは反対側に行ってしまうのだから。
今日は彼女の背を見てばかりだなと苦笑しながら、雪ノ下に追い付けるように駆け足で動き出す。どうせこの後は俺の家に行くのだ、先導してあげた方が良いだろうと荷物を片手で持ち直す。
「そっちは逆だぞ、ほら……」
彼女の横に立ち、もう片方の手を差し出す。本日に買った物よりも色々と重たい存在だけれど、何よりも大切に持って帰ろう。
一週間振りに握ったその手は、一週間前よりもずっと暖かく感じた。
いつも感想を頂けて本当に嬉しいです。
まだ不慣れですが、楽しく続けられるのは優しい読者が居てくれるおかげです。