第** 死と終わり
物事が生まれる、または始まるにはまず終わりがなければいけない。終わりがあるから始まりがある、それはすべてにおいて絶対である。
世界とてそれは例外じゃない。
例外などありえない。
例外なんてあってはいけない。
死とは一つの終わりだ。
ただ勘違いしてはいけない、それはあくまで一つであってスベテではないということ。
たとえば人が(仮にこの人の名前をAとする)一人死んだとする。そうすると、当然者から物へ成り下がり人生は終わる。
たしかに死んだことにより『生』を失いAの人生は終わった、でも『A』という人間の元の元の元の元は死んでいない、いや終わっていない。『それ』は『A』が死んだ後もまた新しい『モノ』を作り出す、簡単に言えば、生まれ変わりである。もちろんそれは完全な『A』ではない、だが『A』と元は同じであり無意識よりもさらに深いところではあるが、たしかに少しだけでも『A』の記憶、経験などは残っている。いわば『A』の別の可能性なのである。
死は『A』の中の人生という一つを終わらせただけであり、すべてを終わらせたわけじゃない。すこしだけだが『A』はまだ続いているのだ。終わりとはすべての果て、結果だ。果てには続きがない、続きがないから終わりである。逆に言えば続いてる限り終われない。つまり――死んだだけじゃ『A』の元はまだ続いてるため終わっていない――ということになる。
死も一つの終わり、世界で生きるには生まれる前に死を決定付けられる。不死など存在しない――だが。
そのためどうしても不具合が、バグがでてしまう。それは世界に生きながらも、世界からの影響をほとんど受けられない存在。存在として、生き物なら生き物として、致命的な欠陥があるにもかかわらず認められている、認識されている異常。
たとえば、本来死がない『モノ』は生き物ではない『何か』だ。つまり不死者は生き物ではなく現象に近いモノ、それにもかかわらず『生』があって『死』がない不死者が生き物として認められている、認識されている。これは異常だ。世界にありえるはずがないモノが存在するのはりっぱな――りっぱというにはおかしいが――バグ、不具合だ。
この世界にはそんなありえない『モノ』が存在する。
そして四月の終り。死に焦がれた哀れな
忘れ去れた廃倉庫。終わりの灰色の中でソレは哂う。
「殺して、魅せようか」
永い、永い旅路の果ては今ここに――。
できることなら終わるように消えて死にたい。
しかし不死の旅路に『死』の終わりは訪れず――。