グラスワンダー、差して逃げる   作:こーたろ

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この小説に出てくる人名は、実際の人物とはなんの関係もありません。
大事なことだからもう一度言います。実際の人物とはなんの関係もありません!!(全身全霊)




グラスワンダー、差して逃げる Ⅰ

 「はっ……!はっ……!はっ……!!」

 

走る、走る、走る。

 目まぐるしく変わっていく景色を気に留めることすらできず、ただひたすら俺は走っていた。

 あたりはもう暗く、施設内の街頭だけが光源となっている。春先とはいえ、まだ夜は肌寒いというのに、俺は先ほどまで着ていた紺色のジャケットを小脇に抱えて全力疾走していた。

 

 なぜかって?そりゃ逃げるためにさ。

 

 ウマ娘という存在……通常の人間の何倍ものスピードで駆ける彼女たちが通うこのトレセン学園の敷地内で、トレーナーである俺がこの程度の速度で走っていたことで何も問題はない。……いや無くはないのだが、俺は今走らなければならない理由がある。

 

 担当ウマ娘から、逃げるためだ!

 

 体力がある方ではないので、少し木陰で休憩。

 追手の影はない。だが安心はできない。

 何故ならきゃつらに見つかったら最後、とてつもない速度で確保されるからだ……!

 

 周囲を警戒しながら木陰で息を整えていた俺の元に、見知ったウマ娘が現れる。

 

 

 「おやおやあ?!これは的野トレーナーさんじゃあありませんか!こんな夜に出歩いていては危ないですよ?」

 

 「ぜえ……はあ……バクシンオーか……ここに俺がいることは、誰にも言うんじゃねえぞ……」

 

 「はいっ!了解しました!!決して!的野トレーナーがここにいることは誰にも言いません!!」

 

 「どこかのうさんくさい医者くらい信用できねえんだけど……」

 

 サクラバクシンオー。

 

 このトレセン学園に所属するウマ娘の一人であり、短距離の鬼。余談だがこいつのトレーナーはマジで天才だと思う。俺だったらバクシンオーを短距離に説得することは無理だ。……まあ本人もバクシンオーを騙しているような形になってしまったことについては、相当罪悪感を抱えているようだが……。

 っと、そんな心配してる場合じゃねえ!

 

 「やべえ、こうしてる場合じゃねえんだった。俺は逃げる。じゃあなバクシンオー!」

 

 「ややっ?!なにかお困りのようですね?!この学級委員長が的野トレーナーを抱えて一緒に逃げてあげましょう!!」

 

 「やめろやめろ!!お前に抱えられてる所とか見られたらもっとややこしくなるわ!あと距離適性的に逃げられる気がしねえ!気持ちだけ受け取っておく!ってかお前も早く帰れよ~!」

 

 「そうですか……わかりましたっ!ではまたお会いしましょう!!」

 

 テンションが平常運転のバクシンオーを中庭に残し、俺はトレセン学園のトレーナー寮へと走っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここトレーナー寮はトレセン学園の敷地内の中でも少し離れた場所にある。トレーナー業は多忙で、学園に泊まること自体も珍しくないことからなるべく近くに、という理事長の意向らしい。

 そんなトレーナー寮ならば安心……と言いたいところだが、相手が相手故に油断はできない。

 ヤツは簡単にトレーナー寮へと乗り込んでくる。

 

 「頼む……もう流石に部屋にいんだろ……開けてくれよ長松……」

 

 祈るように俺は隣人トレーナーの部屋のチャイムを押す。

 前述のようにヤツは平気でトレーナー寮に入ってくる。自分の部屋は絶対に安全とは言えないのだ。最近は何故か俺の部屋の鍵をかけていても入ってくる。キーチェーン?んなもんはだいぶ前にぶっ壊された。ヤツにとってはあんな鎖余裕で引きちぎれる。

 

 長松トレーナーは俺の同期で、辛いことも楽しいことも分かち合ってきた仲だ。中央でトレーナーをやるということの厳しさを身をもって知りながら、それでも愚直にウマ娘と向き合ってきた俺たち。

 

 同僚の中でも、長松は俺にとって頼れる相棒。

 だからこんなピンチであっても助けてくれるはず!

 

 

 『はーい……ってなんだ的野かよ。一応聞くけど……どうしたの?』

 

 「良かった……!開けてくれ長松!俺を匿ってくれ!!」

 

 『またか……あー……なんか察したわ。はいはい、今開けるよ』

 

 助かった!!俺は歓喜に震えた。これで今日は敵襲に怯えずに枕を高くして眠ることができる!

 ガチャリ、と扉が開いて、見慣れた茶髪が顔を出した。

 一見チャラそうに見えるこいつは、実はとてもやさしく、俺なんかよりもずっと真面目なトレーナー。

 

 

 「またか……またなのか……」

 

 「いや、今回は俺本当に悪くねえーんだって信じてくれよ……!」

 

 呆れたように額に手を当てる長松。こいつには部屋が隣ということもあり、こうして匿ってもらうことが日常と化していた。

 とにかく安全を確保できた俺は手早に玄関の扉の鍵を閉めると、革靴を乱雑に脱ぎ捨てる。

 よかった……なんとか逃げ切ることに成功した……。見たか!異次元の逃亡者(担当ウマ娘に対してのみ)は伊達じゃねえぜ!

 

 洗面所に向かおうとすると、居間に人影があることに気付く。

 この時間にこいつの部屋にいる可能性があるのなんて、一人しかいない。

 

 

 「トレーナー、お客さん?」

 

 「よおネイちゃん。わりーけどちょっとだけお邪魔するぜ」

 

 「なんだ的野さん。やれやれ、まーた逃げてきちゃったんですか?」

 

 白を基調にしたブラウスに、ジーンズ生地のキュロットスカート。茶髪を低い位置で左右にふわりとまとめた特徴的な髪型は、このトレセン学園に通うウマ娘、ナイスネイチャだ。

 去年までずっとこの長松が担当していたこの子。長松が担当を外れた今も長松を慕い、こうして夕飯時にこいつの部屋にいることはなにも珍しくない。なんて羨ましい奴だけしからん。

 

 「ウチのは気性が荒くてよお……ネイちゃんみたいな健気なウマ娘がこうして夕飯に来てくれるなんて長松は幸せ者だなあ」

 

 「えっ?!いやそーゆーんじゃないんですって!た、たまたま夕飯を作り過ぎちゃったからいつもろくな食事してないトレーナーにおすそ分けに来ただけであって……」

 

 「はいはい、ネイちゃんそれ聞くの俺8回目」

 

 手を洗い終えると、ネクタイを緩めて居間へと入っていく。ネイちゃんが氷の入ったグラスに麦茶をいれてくれた。なんて良い子なんだ長松ホンマに許さんからな。

 

 「サンキュー……っはあ!生き返るう!」

 

 「おいおい……ある程度時間経ったら帰ってよ……?」

 

 「そんなご無体な!お前さんは俺がどうなっても良いっていうのか?!」

 

 「いや知らないよ……」

 

 長松は呆れたようにため息をついている。お前は知らないんだ。どれだけ『あいつ』が恐ろしいかということを……!

 

 「っていうか、的野は俺と違って優秀で、3年であの子を大成させて担当を外れて、次のウマ娘も大成させて今3人目の担当ウマ娘なわけでしょ?」

 

 「いや別に優秀だったとかじゃなくて、あいつらが元からすごかっただけだよ」

 

 トレーナーとウマ娘の契約期間は、3年間を一つの区切りとして変わっていく。ウマ娘にとってデビューからの3年間というのはとても大事な期間。そこをサポートするのがトレーナーの役目。例外としてあまりにもトレーナーとウマ娘の関係が上手くいかないことがあれば理事会に申請を出してトレーナー契約を破棄することもできるが、そもそも中央のトレーナーになること自体があまりにも狭き門であることから、中央のトレーナーで人格に問題があるようなことがまずなく、そういった申請が行われることはほぼない。

 

 あとたまにバケモンみたいなトレーナーは同時に複数のウマ娘のトレーナーを務めていることもある。これはマジでバケモン。一人のウマ娘をしっかり育てるのにも発狂しそうになるほど忙しいのに、何故複数人を見ることができるのか。

 

 空いたグラスにもう一度麦茶を注いでくれるナイスネイチャに小さくサンキュ、と声をかけ、右手でグラスを傾ける。グラスの中の氷が少し溶けて、カランと心地の良い音を立てた。

 

 「今担当してるウマ娘がなかなか自己評価が低くてよ……そんなことねえってことをわからせるためにあれこれ試しているんだが、必ずそのトレーニングの後にあいつが追いかけまわしてくるんだよなあ……」

 

 「あー……ほんと的野さんもウマ娘心がわかってないんですねえ。それじゃー嫌われちゃいますよー?」

 

 「なんてことを言うんだネイちゃん!俺ほどウマ娘の気持ちに理解を示そうとしているトレーナーはそうそういないぞ!」

 

 「そーゆーとこがダメなんですよ~せっかくあんなにキラキラしてるあの2人もそりゃ大変だわ」

 

 ま、トレーニング後に追いかけまわすあたり優しさ出てますけどねーと呟くネイちゃんの真意は俺には汲み取れない。いやトレーニング中に追いかけまわされたら確かに大変だけれども。

 

 「とにかく!俺はもうあいつを十分に育て上げたわけだし、周りの環境もすげーいい。ライバルはいるし、先輩も、後輩もいる。俺がやってやれるのは最低限のことだけで、あとはあんなめちゃつよチーム入ったんだからオハナさんがなんとかしてくれるっしょ」

 

 「そっかリギルだもんな。まあ確かにあそこなら安心か……」

 

 トレセン学園には『チーム』というものが存在する。大きいチームなら20人程度が在籍していることもあり、今話に挙がったチームリギルはトレセン学園内でも1位の人気と人数を誇るチームだ。そのリギルの面倒を見ているトレーナーがオハナさん……東条ハナさんは、ハッキリ言って超人だ。あの人数のウマ娘をコントロールしてどのレースに出走させるかを考慮し、トレーニングメニューも考えている。いつ寝てるんですか?と聞いてみたい。怖いからしないけど。

 

 「チームに入っても、担当トレーナーに指示とか出して欲しいものなんですよ」

 

 「そういうもんかねえ……あんま無駄な口出しはしない方が良いかなって思っちゃうけど」

 

 何故ネイちゃんが声のトーンを一つ下げて意味ありげに長松の方を見ながら言ったのかはわからないが、そういうもんなのかねえ?

 そんなジト目のネイちゃんのスマホに着信があったようで、可愛らしいピンクのスマホケース取り出す。ネイちゃんは画面を見て、なにやら苦笑いを浮かべながら立ち上がった。

 

 「あ~……ちょっと電話してますね……」

 

 「はいよ~」

 

 苦笑いで居間を去っていったネイちゃんを見送り、この場に残されたのは俺と長松のみ。

 

 「ネイちゃんはいい子だねえ~……つーか学生寮の門限って何時だっけ?」

 

 「平日は21時じゃなかったっけか?」

 

 長松の言葉を聞き、部屋の時計を見る。現在時刻は20時。あと1時間耐えれば俺の勝ちだ。

 

 「よしよし……あと1時間で俺は部屋に帰れる……。本当に今日は大変な一日だったぜ……」

 

 なんとか今日はヤツに見つかることなく家に帰れそうだ……!

 内心ガッツポーズをキメる俺の様子を、長松が少し引き気味に眺めている。

 

 「……的野なにしたの?なにして怒らせたの?」

 

 「いや別にマジでなんもしてねーよ。今日はドトウがマジで頑張ってたから、自己評価低いのどうにかしてほしい一心で『お前は一番になれる』『ドトウが一番なんだよ』って熱心に言ってやってただけだ」

 

 なぜか「救いは……救いはここにあったのですね……!」と感極まってたのはあまりよくわからなかったがまあいい。いつものことだ。

 呆れたような目線で俺を見てくる長松。なんや。なんか文句あんのか。事実やる気になってくれてたし、タイムも良くなってた。今のドトウに足りないのは自己肯定力なんや。俺のやっていることは間違ってない。

 

 「的野ほんと……肩持つわけじゃないけど怒りたくなる気持ちもわかるというかなんというか……」

 

 「は?!なんでだよ!どう考えたって俺悪いことしてないだるぉ?!アイツが怒る要素がどこにある!ってかなんであいつはトレーニング内容を知ってるんだよおかしいだるぉ?!」

 

 「いや……まあ、そのあれだ、なんだ。言葉には気をつけろよ」

 

 長松が何故かしどろもどろになりながら注意を促してくる。嫌だ。何故俺が言葉に注意せにゃならんのか。担当ウマ娘に良い影響を与えているのだから文句ないだろう。

 

 「まあちょっと変なトコもあるけどドトウはいい奴だよ。あの鬼と違ってな!」

 

 「誰が鬼なんですかー?」

 

 「ん?そりゃお前言わなくても……」

 

 

 あれ?おかしいな。今変な声が聞こえた気がする。

 俺の、後ろから。

 

 ついでに正面に座っている長松の顔が青ざめている。

 

 

 

 

 「誰が、鬼なんですかー?」

 

 聞き間違えるはずもない。

 見間違えるはずもない。

 

 このオーラ。話し方。

 

 おそるおそる、俺は首を動かし、後ろへと振り返る。

 

 い、嫌だ。そんなことがあっていいはずがない。

 

 何故ここにいるんだ……!

 

 

 「ぐ、グラス……何故」

 

 「こんばんは、長松トレーナー」

 

 「あ、ああ。お疲れ様、グラス……」

 

 「ちょっとこのお方をお借りしてもよろしいでしょうか。私の大切な担当トレーナーなもので」

 

 「う、うん。もちろん」

 

 

 

 

 オイオイオイ、死んだわ俺。

 

 おかしい!何故だ!ここは俺の部屋ではない!長松の部屋!俺の部屋の鍵が何故か開けられてしまうのはもう諦めたからまだしも、ここが開けられるはずはない!セキュリティどうなってんだこの寮!理事長マジ許さんからな!!

 

 

 

 「な、何故グラスがここに……ハッ……!」

 

 

 しかし俺は違うと気が付いた。

 長松の他にもう1人、この部屋を開けられる人物がいることを。

 

 

 

 「ご、ごめんね~」

 

 「ネイちゃん……裏切ったのか……?」

 

 両手を合わせてチロりと舌を出す仕草はとても可愛らしいのだが、今はそんなことを考えている暇はない。

 押し寄せる絶望。

 可及的速やかにこの場を退散する手立てを考えなければ。

 

 しかしなぜ!なぜ裏切ったんだネイちゃん……!

 

 

 「約束の写真は、必ず後で送っておきますからね、ネイチャさん」

 

 「う、うんありがとう……」

 

 何故か若干顔を赤らめながら感謝を述べるネイちゃん。

 おのれグラス!!ネイちゃんを買収したのか?!どんな方法で……!

 

 「……流石に学生時代の写真はネイチャさんには刺さりすぎた……ごめん的野さん……」

 

 学生時代の写真……?なんだそれは。しかもなんだかよくわからんそれを何故グラスが持っている?

 グラスがハイライトのない瞳で俺を見ている。まずい。殺られる……!

 ここは落ち着いてもらうしかねえ……!

 

 「ま、まあ落ち着こうグラス。お前さんは品行方正、純情可憐な大和撫子じゃあないか。な?平和的に行こう。この場でゆっくりと話し合えばきっと、わかるはずだ」

 

 「そうですね~……トレーナーさんとゆっくり過ごしたいのはやまやまなのですが……時間がないもので、少し、我慢してもらいますね」

 

 「え?なに、その注射器。お兄さん見たことないなあそれ。そんな危なそうなもの持ってこっち来ちゃダメじゃないかグラス。な?とりあえず落ち着いて……って力強すぎんだよ?!イタイタイタイ無理無理無理!」

 

 何故か片手に注射器を持ったグラスが、俺の手を抑えつけにかかる。普通の人間の何倍とも言われるウマ娘の実力行使に俺ごときが勝てるわけもなく、あっさりと俺は捕らえられた。

 首筋に針が当てられる。

 

 「大丈夫、痛いのは少しだけですから……ふふふ」

 

 「長松見てないで助けてくれないかな?!」

 

 「……また生きて会えることを、楽しみにしてるね……」

 

 全く助けようとしない親友に恨み言の一つでも言ってやろうかと思ったのも束の間。

 

 「うっ……なんだ……これ……」

 

 「大丈夫です。タキオンさん特製ですから」

 

 「なにも……大丈夫じゃ……ねえ……」

 

 急に身動きが取れなくなり、視界がぼやけていく。

 アグネスタキオン。ウマ娘でありながらマッドサイエンティストの側面も持つ彼女の薬など、何も信頼できない。

 例えるならば青保留のままとりあえず疑似3まで行って絶妙に外れやすい後半リーチに行って最後のカットインが緑だったくらい……あ、やべえ冗談言ってる場合じゃねえ。死んだわ、俺。

 

 

 「……ふふふ、おやすみなさい。トレーナーさん」

 

 「あ、そのーなんだろう、なんかいつも的野が迷惑かけてるみたいだね」

 

 「いえいえ。全然そんなことありませんよ。少し、私の担当であるという意識が足りないみたいですが、それ以外は素晴らしいトレーナーさんです」

 

 「そ、そうか。そりゃ……良かった」

 

 「では、そろそろお暇させていただきますね。ネイチャさんも、せっかくの2人きりの時間を邪魔しちゃってごめんなさい」

 

 「ええ?!あ、いや、アタシは……そーゆーんじゃ、ないけど……」

 

 「ふふふ。では、失礼しますね……」

 

 

 遠のく意識の中、声だけが俺の脳内に反芻する。

 

 おそらく俺はいつものようにグラスに首根っこを掴まれて引きずられているのだろう。

 

 

 グラスワンダー。

 彼女こそ、俺が最初に担当したウマ娘。

 

 不死鳥の異名を持つウマ娘だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




時系列おかしくね?とかそのあたりのツッコミはご容赦を……。
アニメ版とアプリ版で違うこともありますし、そもそもアニメ1期とアニメ2期の時系列逆だし、まあ、多少は、ね?
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