グラスワンダー、差して逃げる   作:こーたろ

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アグネスタキオン、少しフラついている 

 「プリンを買ってきてくれたまえ」

 

 「……は?」

 

 素っ頓狂な声が出た。

 

 私は今、このトレセン学園のトレーナー室で雑務を行っている所。

 本来ならばやらなくていい仕事も多数あるけれど、今に限っては理事長や学園の先生方に提出する始末書まで書かされている。

 

 なんで私がそんな始末書を書いているかって?

 それは今この瞬間にプリンを買ってこいとねだってきた目の前にいるウマ娘に原因がある。

 

 「……あのねタキオン……誰のせいで私が今始末書を書いていると思って……」

 

 「おや?不可解な話だね。私は君に指示された通りに所定の研究室で研究をしていたはずだが?責任を問われる所以はないよ」

 

 「……そうだね。その研究室の床が抜けて、下の階に薬が落ちて大パニックになったことを除けば、その通りだね……」

 

 「そんなものは私の知るところではないな。この学園の造りが悪い」

 

 ああ言えばこう言う……!もう私はこの担当ウマ娘……アグネスタキオンに言葉の応酬で勝つことは諦めていた。

 

 「そんなことより!今私は猛烈にプリンが食べたい。先日そこの冷蔵庫に入っていたプリンはなかなか良かったよ。できれば同じものがいいね」

 

 「あ~!それ私が買って業務終わったら食べようと思ってたプリン!やっぱりタキオンが食べたんだ!」

 

 「おや?伝えてなかったか?それは失敬。まあまあ、では今日2つ買って来れば良いではないか。それで万事解決。何も問題あるまい」

 

 「私があの日感じた絶望を除けばね!」

 

 はあ……。やっぱりトレーナー室の冷蔵庫にプリンを入れておくのはやめておこう。

 私のソファに寝転がって、クッションを空中に投げてはキャッチする動作を繰り返しているタキオンを尻目に、私は冷蔵庫へ向かう。

 

 昨日冷やして置いた水出しコーヒーがあるはずだから、それを飲もう。牛乳……は切らしてたから、まあ砂糖を少し入れればいいかな。

 

 「モルモット君!!クッションを落としてしまった!!今すぐ拾ってくれたまえ!」

 

 「やってること3才児なんだけど?!」

 

 どうやらソファの背もたれ側にクッションが落ちてしまったらしい。

 いや、それで駄々こねるウマ娘(高校生)、かなりヤバイシチュエーションでしょこれ。

 

 水出しアイスコーヒーをマグカップに注ぎ、机の上にソーサーと共に置く。

 それからタキオンの落としたクッションを拾ってあげるべく、よっこらせとソファの裏側にかがみこんだ。

 

 と、その瞬間に、私の足首に鈍痛が走る。

 

 (痛っ……あちゃー、まだ足治ってないみたい……)

 

 実は私はちょっと前に足を痛めてしまった。まあ、タキオンの研究に付き合っていると身体がボロボロになることは割といつも通りなので、保健室の先生にも相談してなければ、病院にも行ってない。 

 担当ウマ娘が怪我したらコトだけど、トレーナーの私が怪我したところで特に問題はないからね。

 

 幸いこの3年間で私の身体は相当丈夫になったようだし、湿布貼っておけばその内治るかなあとタカをくくっている。

 

 さて。雑務の続きをしますかね。

 とりあえずクッションはポンとタキオンの顔付近に投げておいてあげた。

 

 「あー!そんなぞんざいに扱うな!危ないだろう!全く」

 

 と、言いつつしっかりとクッションをキャッチして、タキオンはむくりと起き上がる。

 

 「おや、モルモット君。私の分の飲み物はどこかね?」

 

 「タキオンあなたコーヒー飲めないでしょー。麦茶なら冷蔵庫入ってるから、それどーぞ」

 

 「水出しコーヒーを作成した際に水出しアイスティーも作っていたはずだが?今年久方ぶりに購入できたファーストフラッシュの素晴らしい風味と香りを持つアイスティーが!」

 

 「全部飲んじゃったでしょー。研究室に持っていく~とか言って」

 

 はて、そうだったか……?と思考にふけるタキオン。

 

 タキオンによく幽閉される……じゃなかった連れていかれる研究室は、ここからそこまで離れていない。

 だからこそ実験中に意識が無くなった私をタキオンがここまで連れてきてソファに放り込んでおくことがよくあるのだけど……。いや普通そんなことあっちゃいけないけどね?

 

 まあでもタキオンの実験の被検体になる、というのは私とタキオンが担当契約を結ぶときに交わした約束であるから、それ自体に私は不満はない。タキオンのあの狂気じみた走りを見られるのなら、それも悪くない、って私は本気でそう思ったから。

 

 

 私は昔から走るのが好きだった。同い年くらいの女の子にはかけっことかで負けたことは無かったし、そこそこ速かったように思う。

 けど、テレビで見るウマ娘達の走りは本当比べ物にならないくらいすごくて。私は自分が走ることなんかよりも、才能あふれるウマ娘達の走りをもっと近くで見たいとそう思った。

 

 そしてやってきたこのトレセン学園で……私はタキオンの狂気にも似た走りを見てしまった。

 その瞳は狂気に満ちていて……なのにどこか儚い雰囲気を纏うこのウマ娘に、私はどうしようもなく惹かれてしまったんだと思う。

 

 ノートパソコンで雑務をこなしながら、私はもそもそと立ち上がって冷蔵庫へと歩くタキオンを眺める。

 するとタキオンは何か思い出したとばかりにこちらを向いた。

 

 

 「そうだ。今ちょうど研究が良いところでね。午後、今実験中の薬を飲んだ後にランニングマシンで測定を行ってもらいたいのだが……」

 

 え、なんて?

 ランニングマシン?

 

 「えっ?!あ、あ~……タキオン、申し訳ないんだけど、今日は走る系は勘弁してくれない……?」

 

 「なんだい歯切れの悪い。君は私のトレーナーでありモルモットだろう?この前限界に挑戦すべく併走したときなんか、なかなか良い声が出てたじゃあないか。あれは傑作だったよ!数値も一般的な成人女性とはかけ離れたものが計測できたしね!」

 

 うう、言いづらい……。実は前回のタキオンとの併走トレーニング(何故トレーナーの私が走らされているのか)の翌日から、私の足首が痛み出したのだ。

 別に隠すようなことでもないのだけど、タキオンが罪悪感を感じてしまうとあれだし……。

 それに断りたいのはやまやまだけれど、私はタキオンの研究に協力するという条件付きでトレーナーをさせてもらっているのだし、なるべくは研究に付き合ってあげたいという気持ちもある……。

 

 「……わかった、午後ね。動きやすい服装に着替えてから研究室に行くから」

 

 「素晴らしい!それでこそだよモルモット君。今は私の怪我も完治していないから併走はできないが……ゆくゆくはまた心ゆくまで併走しようじゃないか!ウマ娘でもないのにコースを走り、奇異の目に晒されて羞恥した君の心拍数の上昇値は、なかなか興味深かったからね!」

 

 鬼かこのウマ娘。

 耳も尻尾も生えちゃいないのにトレセン学園のコースで走らされる私の身にもなってほしい。

 

 「よしよし……まずは緊張及び過負荷状態で臓器別のエネルギー消費量を測定しよう……実に興味深い研究成果が得られそうだ!」

 

 ぶつぶつと一人で話し始めてしまった……こうなってしまうとタキオンはもう止められない。

 大人しく覚悟を決めて、無事に走り切れるように頑張ろう。

 

 私は深くため息をついて、これから訪れるであろう窮地に備えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「これで良しっと……」

 

 お昼を食べ終えた後。

 タキオンは実験の準備を先にしておく、とのことで研究室に向かっていた。

 

 私は着ていたカジュアルスーツから、簡易的なジャージに着替えるべく、まず靴を脱いだ。

 

 「いたた……大丈夫かなこれ」

 

 足首に貼っていた湿布をはがすと、少し腫れているようにも見える。まあ、骨が折れているとかそういうことはないようだし、捻挫程度のものなのだろう。

 

 「さて……いいからテーピングだ!ってね……」

 

 某スポ根漫画の部長さながらのセリフを呟きながら、私は自分の救急箱から医療用テープを取り出す。

 まあこれでもトレーナーですからね。今まで何度もタキオンにテーピングをしてきたし、この程度はおてのもの。この医療用テープはウマ娘にも利用できるものなのでなかなか強力なやつだ。

 

 「これで持ってくれよ~私の足~」

 

 タキオンは研究と実験を繰り返すタイプの研究者。実験からしばらくはその成果をもとに研究をしてくれるはず。

 つまりこの実験を無事乗り越えれば、3日くらいは走らされることは無いだろう。

 

 「これでも最初の頃に比べればだいぶ扱い優しくなったよね~……タキオンもけっこう私に本音話してくれるようになったし」

 

 思い返せばタキオンの担当になった直後は、だいぶ無茶ぶりをされたものだ。

 足が発光する謎の薬を飲まされたり、椅子に括り付けられて無理やり発熱する薬を飲まされたり。

 

 それはもう『モルモット』と言って差し支えの無い扱いだったように思う。

 

 けれど、タキオンが目指していたモノを知って。

 その信念を知って。情熱を知って。

 

 その力になりたいと私も本気で思ったから、2人でトゥインクルシリーズを乗り越えられたのだと思う。

 タキオンの身体は強くなくて、これから先は主要レースに出れるかはわからないけれど、それでも彼女の名前をトゥインクルシリーズの歴史に刻むことができたのは、素直に嬉しかった。

 

 G1、獲れたしね!

 

 今のタキオンは、きっとこれから先、タキオンのように怪我で苦しむウマ娘達を救うためのもの。タキオンはそういうウマ娘だ。私はこの3年間で、それを知ったんだから。

 

 だから、協力してあげたい。

 

 

 「よしっ!できたっ!」

 

 だから彼女の頑張りを想えば、私の身体程度安いもの。

 歩けなくなる……は流石にまずいか。まあ、この程度の捻挫だったら、そこまでひどく悪化はしないでしょ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「よく来たモルモット君!待ちわびたよ!さあさあ!実験を始めようじゃないか!」

 

 「はいはい。今日は室内で本当に良かったですよ……」

 

 研究室の扉を開けると待っていたのは、いつもの白衣姿に身を包んだタキオン。

 目をキラキラさせて楽しそうなのはなによりなのだが、今日の薬はいつもに増して色がヤバイ。ピンクて。人の飲む色してないよそれ……。

 

 「この前急にグラスワンダー君にこの健康状態を底上げする薬が欲しいと言われた時は戸惑ったものだが……まあ良い。彼女にもそれなりの考えがあってこそだろう」

 

 グラスちゃん……?あー、なんとなーく察してしまった。さらば的野。アーメン。

 

 「さて、準備運動は済ませてきたようだね。なに、そのくらい君の顔色と心拍数でわかるようになってきたさ」

 

 「あ、あはは~流石タキオン……」

 

 「では始めようではないか!計測の準備はできている。胸部にこの装置を貼ってくれれば、データはこのパソコンに送られるようになっているからね。これをつけてくれたまえ」

 

 興奮気味にタキオンが私に薬と、データ計測用の装置を押し付けてくる。

 まあ、装置を取り付けるのは慣れたものなのでなにも問題ないが、この薬……見た目ヤバすぎるでしょ……。

 

 「ええいままよ!」

 

 「良い!実に良いよその飲みっぷり!いつになっても君の反応は飽きないねえ!」

 

 こういうのはためらっているとハードルが高くなっていく一方だからね。私の長年のタキオン経験がそう言っている。

 この薬……飲んですぐに身体に影響はなさそう。

 

 右手を何回が握っては開いてを繰り返して、私は自分の身体に変調がないことを確認する。

 

 「まあすぐに効果が表れるタイプのものではないからね。安心するといい。さあ、ではこのランニングマシンに乗りたまえ。なに、速度はそんなに出さないよ。まあもっともそれはウマ娘基準の話、ではあるがね!」

 

 「マジですか……」

 

 ここまで来たら覚悟を決めるしかない。

 

 私は意を決して、ランニングマシンに乗った。

 

 「よし!では始めよう!楽しい実験の始まりだ!」

 

 タキオンが手元の装置のスイッチを押すと、ランニングマシンが動き出す。

 って……最初っからだいぶハイペースだね?!

 

 「た、タキオン!流石に最初からは、速すぎないかな?!」

 

 「なにを言っているんだい?!計測したいのは限界が近づいてからのデータさ!君の身体能力は脳天からつま先まで知り尽くしているつもりでね、これくらいから始めないと限界など程遠いのだよ!」

 

 過大評価しすぎ!私はタキオンのトレーニングに嫌ってほど付き合わされたからこの体力があるだけであって基本的には一般女性なんですが?!

 必死で私は足を動かす。確かにこの速度で走り続ければすぐにでも限界はくるだろう。

 

 「ふうん……各臓器、異常はない。腕の振りも、以前と同じ。だがなんだ……?妙な数値のブレが……」

 

 ヤバ。もしかして足かばってるのバレちゃう?

 

 

 

 

 

 と、思ったその瞬間。

 

 視界が、ブレた。

 

 

 「……痛っっ!!」

 

 足首に走る信じられないほどの鈍痛。

 しかもその次の瞬間にはもう目の前にランニングマシンの走る部分が迫っていて、私は正面からモロに身体を打ち付けてしまった。

 

 「ぐへっ……」

 

 痛ったあああ!!!

 

 ランニングマシンから嘲笑われるかのように後方へと弾き飛ばされ、私はうつ伏せでその場に倒れ込む。

 ジンジンと打ち付けたお腹と足首が痛んだ。

 

 (あ、あれ?!テーピングが甘かった?全然大丈夫だと思ってたのに……!)

 

 無意識に、私はテーピングがしてある右足を確認する。

 別にテーピングが剝がれていたりするわけではない。

 

 が、猛烈にその内部からは痛みを訴えられている。

 

 

 「……足」

 

 (あ、ヤバ)

 

 私が足を見たその瞬間、タキオンに右足のふくらはぎを掴まれる。

 流石にバレちゃったか……。

 

 「……いつからだ」

 

 「あ、いやーこれは、え~っと、その」

 

 そそくさと私は体育座りのような格好になり、タキオンから距離をとってうずくまる。

 流石に前回の併走(仮)で足痛めたとは言いにくい……。

 

 すると、タキオンは何も言わず私の方へと近寄ってきて……。

 

 やば、怒られるかも……。

 と、思ったその時だった。

 

 

 「……へ?」

 

 突然の、浮遊感。

 気付けば、私の身体は軽々と持ち上げられていて。

 

 持ち上げられていて……?

 

 

 「あ、あのあのあのあの、タキオン?!」

 

 「……」

 

 無表情でタキオンは私を持ち上げ……というよりこれ、お姫様抱っこってやつじゃ……?

 

 急激に心拍数が上がる私と裏腹に、タキオンは相変わらずの無表情で何のためらいもなく研究室のドアを開く。

 ええ?!このまま?!このまま外行くの?!

 めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど?!

 

 「……」

 

 「……~ッ!///」

 

 なにか抗議をしようと思ったのだけど、こうして近くでタキオンの顔を見てしまうと何も言えない。

 そりゃそうでしょう!?

 

 私の担当ウマ娘顔良すぎなんだもん!!は?!無理なんだが?!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ふふふ……今日の実験はなかなか有意義なものになりそうじゃないか!」

 

 時刻は午後2時。おそらくそろそろ愛しのモルモット君がこの場に現れることだろう。

 私は今、モルモット君に今日行ってもらう実験のための準備を進めている。

 

 「遅いな、モルモット君。もっと早く来てくれてもよかったのに」

 

 全ての準備が完了してしまった。

 この私を待たせるとは……。

 

 手持ち無沙汰に試験官をいじりながら、頬杖をつき、しばし思考にふける。

 

 

 私としては、ウマ娘の速度の限界に挑む挑戦は終わった。しかし、あくまでそれは自分を被検体としてのこと。まだまだ研究の余地はあるはずだし、私の知的欲求はそれらのもっと深い知識を求めてやまない。

 故に、モルモット君には引き続き研究に強力してもらっている。彼女は有用だ。通常の成人女性よりもよっぽど健康体だし、運動能力も高い。

 ウマ娘との比較サンプルを取るのにこんなに適した存在はいないだろう。なにせウマ娘は生物学上雌なのだから。

 

 時計が進む音だけが、研究室に響く。

 私は姿勢を正して、試験官の中身を見た。うん。いい色をしている。

 

 

 たまに、ふと思う。

 何故私はこんなにも研究にこだわるのか、と。

 

 知的欲求があるのはいい事だ。かの有名な作品にも、精神的に向上心のない者はバカだ、とはっきりある。

 

 しかしそれとは別に、私は何かに突き動かされて、この研究をしているのではないのかと思うことがあるのだ。

 

 「……まあ、別になんでもいい」

 

 手元の試験管を試験官たてに戻して、私は立ち上がった。

 

 その瞬間、研究室の扉が開き、いつもの顔がひょこりと顔を出す。

 

 

 「よく来たモルモット君!待ちわびたよ!さあさあ!実験を始めようじゃないか!」

 

 「はいはい。今日は室内で本当に良かったですよ……」

 

 まあ前回の外での併走もとても良かったがね。

 隣で走る君を見ていると、一瞬君が普通の人間であることを忘れてしまいそうになるほどの高揚感を感じたものだ。

 

 

 「さて、準備運動は済ませてきたようだね。なに、そのくらい君の顔色と心拍数でわかるようになってきたさ」

 

 「あ、あはは~流石タキオン……」

 

 「では始めようではないか!計測の準備はできている。胸部にこの装置を貼ってくれれば、データはこのパソコンに送られるようになっているからね。これをつけてくれたまえ」

 

 さて、さっそく始めようじゃないか。今日は一体どんな結果が得られるのか。

 楽しみでならないね!

 

 薬を渡して、彼女がそれを一気に飲み干す。

 装置もとりつけて、準備完了だ。

 

 やけに今日は歯切れが悪かったが、どうやら覚悟が決まったらしい。うんうん。素直なモルモット君は大好きさ。

 

 「よし!では始めよう!楽しい実験の始まりだ!」

 

 私が勢いよくランニングマシンのスイッチを押す。

 ウマ娘にとってはランニングぐらいの速度だが、一般人にとっては中距離走を走るくらいの速度だろう。

 

 「た、タキオン!流石に最初からは、速すぎないかな?!」

 

 「なにを言っているんだい?!計測したいのは限界が近づいてからのデータさ!君の身体能力は脳天からつま先まで知り尽くしているつもりでね、これくらいから始めないと限界など程遠いのだよ!」

 

 嘘はない。この3年間で彼女の身体的データは取りつくしているし、成長度合いも把握済み。

 であればこそ、この速度が適正であると判断したのさ!

 

 さて……データのほうはどうなっているかな?

 

 「ふうん……各臓器、異常はない。腕の振りも、以前と同じ。だがなんだ……?妙な数値のブレが……」

 

 ……何かおかしい。

 

 まだ始めて時間が経っていないのにも関わらず、異常な速度で体力が消費されている。

 トレーナー君の体力の低下?いや、そんなはずはない。前回の値は正常だった。

 速度の調整ミス?いや、それもない。何度か計算を繰り返して、正確な数値を出したはずだ。

 

 

 では、一番考えられるのは。

 

 そこまで思考に至って、瞬時に速度を緩めようとしたその時。

 

 

 「……痛っっ!!」

 

 「?!」

 

 トレーナー君の体勢が明らかに崩れる。

 右足が嘘のように後ろ側へポーン、と投げ出されて、彼女は真正面からランニングマシンへと激突した。

 

 「ぐへっ……」

 

 弱弱しい言葉を残して、彼女は瞬く間にランニングマシンの後方へ投げ出される。

 

 あまりに凄惨なその光景。

 一瞬だけ、頭が真っ白になる。

 

 

 

 「……な、んで……」

 

 機械の故障?いや、それはない。先ほど私が試験運転で乗ったばかりで、しかもこれは最新のものだ。

 

 

 いや、そんなことはどうでもいい。

 今は彼女の身体……ッ!

 

 急激に背筋に走った悪寒と、激しく警鐘を鳴らす心臓を無視して、私は彼女の元に一目散に駆け寄る。

 

 嘘だ嘘だ嘘だ。

 そんなはずはない。今までだって大丈夫だったじゃないか。

 

 倒れ伏した彼女が苦痛に顔を歪め……自らの足を見ていた。

 

 

 ……足?

 

 嫌な予感がする。

 

 急いで彼女のジャージの裾をめくりあげ、状態を確認する。

 そこに現れたのは……ぐるぐるにテーピングが巻かれた足首だった。

 

 

 「……足」

 

 怪我?いつ?……いや……本当は分かっていた。

 きっと彼女は……前回の、あの併走トレーニングの時に怪我をしたのだ。

 

 頭が回らない。

 いつもなら冷静に判断できるはずの脳が、正常な判断を促してくれない。

 

 何故黙っていた?いや、そんなの彼女のことをよく知る私だから分かる。私のためを思って黙っていたのだ。私の研究で足を痛めたと言えば、私が悲しむと思って。

 何故今日の研究に協力した?いや、違う。私が無理やり協力させたんじゃないか。

 

 

 

 ……虫唾が走る。

 なにが彼女のことをよく知っているだ。

 身体能力を把握している、だ。

 

 実の所、なんにもわかっちゃいない。

 彼女に無理だけをさせて、愉悦に浸る、傲慢な研究者。

 それが今の私だ。

 

 

 唇を噛む。

 

 

 何のために研究を続けているのか。

 そんなの、わかっていた。

 ウマ娘達から、怪我というものを無くすため。

 

 どっかのバカのように、「幻の三冠ウマ娘」なんていう不名誉な異名を金輪際つけさせないために、私はウマ娘の限界が知りたかった。

 

 それが、目の前の愛しい存在すら怪我を負わせている始末。

 

 

 「……まるで児戯だな……」

 

 

 だが、そうも言ってられない。

 私は研究に明るいが、医療に精通しているわけではない。

 

 このモルモット君の状態がどうなのかはわからないが、至急彼女を保健室へと送り届ける必要があるだろう。

 

 私は自らに沸々と沸き上がる怒りを押し殺して、膝を抱えてうずくまる彼女を抱き上げる。

 

 

 「……へ?」

 

 保健室はここからそこそこの距離だったな。だが致し方あるまい。

 幸いモルモット君は軽い。この程度、ウマ娘の私からしたら造作もない。

 

 「あ、あのあのあのあの、タキオン?!」

 

 「……」

 

 彼女に文句を言うのは、お門違いも良いところだ。結局、私のせいで彼女は怪我を負い、そしてこうして無茶をした。

 怪我しているなら無理なんかさせなかったのに、などという綺麗ごとは、そもそも気付けなかった私の落ち度。

 

 

 「……~ッ!///」

 

 

 

 モルモット君の顔が非常に赤い。

 

 おそらく炎症による痛みで発熱しているのだろう。

 

 

 (まったく……度し難いウマ娘だ。私は)

 

 2度と無理などさせてはいけない。

 

 そう心に誓って、他人の目など全く気にせず、私は保健室までの道を急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アグネスタキオン。
彼女は史実では、わずか4戦しか走っていません。
圧倒的な強さを、速さを誇り、誰しもがクラシック三冠を有力視していた。

しかし、彼女の三冠の夢は、怪我によって絶たれました。
あまりにも短すぎる命。

一方ウマ娘としての彼女は、研究に明け暮れています。「速度の限界が見たい」と、そう言って。
かつて自分が見ることのできなかった限界を、今この姿で見たいと渇望する。
しかし、それだけではない。

作者はこうも思うのです。
彼女が研究に没頭するなによりの理由は、もう2度と自分のような目にあうウマ娘を出したくないからではないか、と。

ゲームのストーリーの端々に隠された史実を辿っていくのは、本当に面白いですね。
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