グラスワンダー、差して逃げる   作:こーたろ

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英国の淑女と落ちこぼれ Ⅱ

 

 「本当に、ごめんなさいー!!」

 

 「いやいや、大丈夫だよ。怪しい事してたのは俺の方だしね」

 

 あの泥棒騒動から2時間ほど。

 俺は学園の保健室のベッドに腰掛けて、目の前の鹿毛のウマ娘と相対していた。

 

 先ほどから大丈夫だよと声をかけてはいるのだが、彼女の罪悪感はなかなか拭えないようで。

 

 「私が、冷静になればよかったんです。そしたらきっとトレーナーさんにもあんな目に遭わせずにすんだのに……」

 

 「元を辿れば俺が怪しすぎたから、気にしないで」

 

 笑いながら答えるものの、彼女の表情は晴れない。

 まあ、確かに、あの後俺の身に降り注いだ悪夢を考えれば、その気持ちもわからなくはないが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2時間前に起こったできごとを、簡単に説明しよう。

 

 

 「どろぼーーーーー?!!?!??!?!」

 

 「ち、ちが……!」

 

 「なんですってえええ?!泥棒が出たんですか?!どこですか?!なんということでしょう!!……しかし!しかしこの学級委員長にお任せを!今すぐに!先生方を呼んできますので!!バクシンバクシーン!!!」

 

 「おいファイン!大丈夫か!ちょっと下がっとけ、コイツが泥棒か!」

 

 「え、いや、ちが」

 

 「シャカール!ちょっと待って!実はその人が泥棒かどうか……」

 

 「うるせえ!今ここで時間使うのは効率的じゃねえ!まずはコイツを黙らせてからだ!おらあああ!!!」

 

 「ぐえええ!!!」

 

 「ここに泥棒が出たと聞いたぞ!どこのどいつだ!!タイマンしやがれ!!」

 

 「ごへえ!!」

 

 「バクシンバクシーン!!よくわかりませんがとても大きなズタ袋をゴールドシップさんからお借りしました!!これで解決です!とりゃー!!」

 

 「うわああ?!?!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とまあ、とてつもない速度でウマ娘達によって無力化された俺は、無事職員室、保健室の順番で送還され、今に至る。

 3人のウマ娘はそれぞれ俺に謝ってきたが、まあ俺が悪いので全然大丈夫。……身体は全然大丈夫じゃねえけど……。

 

 「何はともあれ、誤解が解けてよかったよ。ってなわけで、俺は一応この学園のトレーナーで、今日から滝トレーナーの手伝いをすることになってる松田って言うんだ。これからよろしくね」

 

 「はい!私はファインモーションって言います!よろしくお願いしますね!」

 

 ファインモーション、か。いい名前だな。

 朗らかに笑う彼女の姿はやはり可憐で、思わず見とれてしまいそうになる。

 

 っといけないいけない。そんなことを言っている場合じゃないんだ。

 

 「俺を撃退した彼女たちは……ファインモーションのお友達なのか?」

 

 「え……?あ、そうです!同じ学園の友達です。ちょっとクールな感じなんですけど、実はとっても優しいんですよ」

 

 「ああ、そうだろうね。あの瞬間も、君のことを思って俺を警戒してたから」

 

 「……!」

 

 まあ、めちゃくちゃ怖かったけど。

 髪型とかもすげえ怖かったし、殴りかかってきた時は死を確信したけど。

 

 ファインモーションが何やら驚いた顔で俺を見ている。

 

 「ん?俺なんか変なこと言ったか?」

 

 「いえ!……松田トレーナーは、優しい方なんですね」

 

 「ははは、そんなことねえよ」

 

 何度も繰り返すが、不用意な行動をした俺が悪かっただけだしな。

 

 あ、そうだ。

 

 

 「滝トレーナーはなんか言ってた?」

 

 「あ~っと、それが、うなされてる松田トレーナーを見てひとしきり笑ってから、もし目が覚めたら、今日のトレーニングは松田トレーナーと一緒に行ってみて……ってファインモーションはいつも通りトレーニングをするだけでいいからって」

 

 「ええ?!なんじゃそりゃ……」

 

 確かに、時間が経ってしまったせいで滝トレーナーはきっと他のウマ娘を見に行かなければならなくなったのだろうが……本当に俺が見ていいんだろうか……と思ってスマホを取り出すと、滝トレーナーからは既に連絡が入っていて。

 

 

 『災難だったね。俺も昨日の今日でウマ娘達に伝えてなくってさ、ごめんよ汗 ファインモーションについてだけど、いつものトレーニングを今日は見るだけみてあげて。技術的な指導はしないでいいから。と、いうよりしないで。今は彼女の能力を測る期間だから』

 

 「なるほどね……」

 

 やはりそこは名トレーナー。流石にポッと出の俺に指導なんかさせるわけがない。

 滝トレーナーには考えがあるのだろう。

 

 (名トレーナーって言われて、期待されてる新しいウマ娘をどんどん担当してるんだ……プレッシャーも相当だろうな……)

 

 俺にとっては雲の上の存在過ぎて、そういった気持ちはよくわからない。

 けど、G1を獲ることが当たり前とされて、次世代のスターを次々送り出さなければいけないという重圧は、想像に難くない。

 

 「……どうしましたか?」

 

 「いや!ごめんよ、滝トレーナーから連絡きてて、今日はファインモーションの練習を見て欲しいって!」

 

 「本当ですか~!ありがとうございます!じゃあ私、着替えてきますね!」

 

 「OK!コースで待ってるね」

 

 笑顔で保健室を出ていったファインモーションを見送り、俺も少し伸びをしてから、コースへと向かう。

 体の節々が痛むが、そうも言ってられないだろう。

 

 (それにしても……俺の目が覚めるまで待っててくれたのか……)

 

 おそらく罪悪感があったから、待っていてくれたのだろう。

 しかし、それでも自分のトレーニングの時間を削ってまで待っていてくれたというのは驚きだった。

 

 滝トレーナーが担当しているウマ娘の中では、一番入学してからの日が浅いファインモーション。

 とはいえ、滝トレーナーが担当している時点で、将来有望ということで学園に来ていることは間違いない。

 

 (どんな走りを見せてくれるのかな……)

 

 線が細そうで、あんな可憐な淑女のようなウマ娘が、どんな走りを見せてくれるのか、俺は楽しみでならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「よーし!ファインモーション!準備OKだぞ~!」

 

 「は~い!じゃあ残り400付近で合図くださ~い!」

 

 トレセン学園内の、コースを使える時間は有限だ。

 そりゃ誰かがずっと使っていたら他の娘たちが練習できないし、一人一人に割り当てられる時間には限界がある。

 そのあたりのやりくりも、トレーナーの仕事だ。

 

 俺とファインモーションはコースに出る前にストレッチ、準備運動を終え、芝のコースへと出てきた。

 まだコースの使用時間までは余裕があったため、本当は今日俺が死んでる間にやるはずだったフットワークのトレーニングをいくつかこなす。やはりこのあたりのトレーニングメニューには目を見張るものがあった。

 参考にさせてもらおう……。

 

 俺は滝トレーナーの指示通り、ファインモーションに何かを指導することは無い。

 タイムの計測と、状態の確認。その程度だ。

 

 コースの使用時間になり、ファインモーションが逆側までジョギングがてら向かう。

 今から行う練習メニューは、残り400mからの加速、だ。

 ファインモーションが笑顔でこちらに手を振ってから、ゆっくりとコースを走りだす。

 

 (優雅……だな)

 

 その走る姿勢は、美しかった。

 決して無駄なところに力は入っておらず、前傾姿勢になりすぎているわけでもない。

 

 程よく力の抜けた良いフォームだ。

 

 少しずつ加速して、彼女は俺のいるゴール地点を目指す。

 彼女は集中して走っており、その瞳は確かに俺の方を見据えていた。

 

 そろそろ、残り400m地点。

 俺が、ゆっくりと手を上げて……今だ!

 

 勢いよくその手を下ろして合図を出す。

 

 

 その瞬間……ファインモーションが、風になった。

 

 (……ッ!速い……!)

 

 今までもウマ娘の走りは見てきた。

 仕事が無いなりに、トレセン学園のコースには立ち寄っていたし、その際にトレーニングをしているウマ娘達の姿を見たこともある。

 しかしファインモーションのこの加速力は、それらとも一線を画するものである、と俺は瞬時に分かった。

 

 コースの芝の部分でストレッチ等をしていた生徒たちのどよめきが、そのなによりの証拠。

 誰もがファインモーションのスピードと迫力に、気圧されている。

 

 瞬く間に近づくファインモーションの影。

 

 (ストップウォッチ……!)

 

 止めなければ、と俺は手に持つストップウォッチのスイッチに親指を押し当てる。

 残り100……50……!

 

 

 (……!!)

 

 目の前をファインモーションが通るとき。

 

 彼女の笑顔が見えた。

 

 心の底から楽しそうに走る彼女を見た。

 

 

 俺の目の前を彼女が通る瞬間だけ、スローモーションになったかのような錯覚。

 この感覚を、俺は覚えている。

 

 俺がトレーナーを志した、あの日と……同じ。

 

 鳥肌が立った。

 

 それだけこのウマ娘は……ファインモーションは、キラキラしていて……カッコよかったのだ。

 

 

 

 

 「ご~~~るっ!ファインモーション選手今ゴールです!!」

 

 「あ、やべっ」

 

 少しずつ減速しながら、満面の笑みで両手を挙げるファインモーション。

 あまりにファインモーションがカッコよすぎてストップウォッチ止め忘れた!!!

 

 こ、ここは正直に話そう……。

 

 

 「松田トレーナー!タイムどうですか~!?」

 

 「す、すまんファインモーション!マジでファインモーションの走りがカッコよくってびっくりしてたらストップウォッチ止め忘れた」

 

 「ええ?!」

 

 ちょっとちゃんと止めてくださいよ~!と、彼女は笑顔で言う。

 やべえ……こんなんじゃ一生担当ウマ娘のトレーナーになることなんかできないぞ……。

 

 (でも……やっぱり普通じゃない。この娘は……本当に頂点を獲れる逸材……なんだな)

 

 今の走りで確信した。

 あの加速力。そこらのウマ娘とは比較にならないほどの速度。

 

 彼女がゴールした瞬間、俺は幻視したのだ。

 

 こんな冴えない男が待っているゴールなどではなく、煌びやかな装飾がなされたG1のゴール板の前を、他を寄せ付けない圧倒的な力で一着でゴールする彼女の姿を。

 

 (羨ましい……な)

 

 素直にそう思った。

 本当だったら、この手でこのファインモーションを育ててみたい。

 世代に1人いるかいないかというこの最高峰の逸材を、自分の手で伸ばしてみたい。

 

 (まあ……無理な話だ)

 

 ファインモーションは、滝トレーナーの担当ウマ娘なのだ。

 俺なんかの立ち入る隙は、無い。

 

 もう一本!行ってきますね~!とスタート地点へと戻るファインモーションを送り出し、俺は一人拳を握りしめる。

 

 彼女のような逸材はそういないだろう。

 

 そしてこの彼女の輝きを見てしまった俺は……果たして新しく担当ウマ娘と契約できたとして、この感動を味わうことができるのだろうか……?

 

 

 

 (……考えるだけ、無駄か)

 

 考えてもしょうがない。

 今俺は、担当ウマ娘と来年契約できるように、全力で学ぶことしかできないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばらく、滝トレーナーの補佐としての日々を過ごした。

 

 

 「スペー!!チームに入ったからって少しなまってるんじゃないかー!お前のベストはもっと速かったはずだぞー!」

 

 「はいっ!がんばり……ますっ!!」

 

 

 「マックイーン!ペース落ちてる!最強のステイヤーのスタミナはそんなもんかー!」

 

 「上等……ですわ……っ!」

 

 

 滝トレーナーの担当ウマ娘は、どのウマ娘もとんでもない逸材ばかり。

 超有名なウマ娘達だから、最初は俺の方が緊張していたように思う。

 

 しかし彼女たちは人が良く、すぐにコミュニケーションをとることができるようになった。本当に良い娘達ばっかりだ。

 

 そして俺も、技術的な指導こそしないものの、タイムの計測や、トレーニングの補助、トレーニングメニュー管理などを行ってトレーナーとしての経験を順調に積んでいる。

 滝トレーナーにも、「マジで忙しい時期だったから助かるよ!」と言われ。

 

 こっちからしたらこんな貴重すぎる機会を頂いているのだから、むしろ俺が金を払うべきでは?とも思うのだが、滝トレーナーは全く気にしていない。

 

 「さて……今日もやりますかね」

 

 滝トレーナーの指導を見て、自分なりの考察をメモ帳にまとめていた俺は、ゆっくりとコースの芝から立ち上がった。

 あのあたりのもうレジェンドと呼ばれるウマ娘達は滝トレーナーとの強い信頼関係で結ばれていて、トレーニングも非常に効率的だ。あれがトレーナーとウマ娘の関係としての完成形なのだろう。

 ……ちょくちょくウマ娘達が滝トレーナーに突貫していって激しいコミュニケーションをとっているのが気になるが……。ま、まあそういうもんなんだろ。知らんけど。

 

 「松田トレーナーさん♪」

 

 「うおっ!びっくりした!来てたのかファインモーション」

 

 「はい~!準備万端ですよ~!今日はぽかぽかで、絶好のトレーニング日和ですね!」

 

 「なんだ、随分と機嫌が良いな」

 

 「はい!天気良し、風良し、気分かなりよしっ♪このままどこまでも走れそうです!」

 

 くるくるとその場で回りながら、本当にどこまででも走れそうな様子のファインモーション。

 お嬢様ということもあってか、たまにこうして浮世離れした発言をするのだが、どうもそれも愛らしさにつながっているような気がする。

 

 ファインモーションはここ最近は滝トレーナーについていた。

 まあ単純にまだ日も浅いので、滝トレーナーが着いた方が良いに決まってる。コミュニケーションの観点からもそうだし、トレーニングメニューを考える上でもそうだろう。

 

 ということで最近はファインモーション以外のウマ娘達のトレーニング補佐をやっていたのだが……。

 

 (やっぱり、俺は特別この娘に惹かれるモノを感じるんだよなあ……)

 

 あの日この娘が俺に与えた感動は、どうやら本物だったらしい。

 どんなレジェンドウマ娘と呼ばれるウマ娘達の走りを見ても、あれほどの感動は得られなかった。

 

 もちろん、タイムや実績で言えば、それこそ今練習しているスペシャルウィークであったりメジロマックイーンの方が上だろう。

 けど、そうじゃないんだ。

 ファインモーションが走っている姿は、まるで1枚の完成された絵を見ているかのような……そんな恍惚としてしまう何かがあった。

 

 「松田トレーナー、行きましょう?今日はどんどん走っちゃいますよ~!」

 

 「わかったわかった!とことん付き合ってやるさ!」

 

 久しぶりのファインモーションとの練習なのだが、なんだか彼女は上機嫌だ。

 理由はよくわからないが、調子が良いのはいいことだし……。俺は俺にできることをせいぜいやりますかね……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファインモーションの走る姿勢は本当に美しい。

 仮に自分が担当トレーナーだったとしても、姿勢について指導することはないだろう。

 

 滝トレーナーとは、毎日トレーニングが終わった後に情報交換している。

 ウマ娘達は非常に勤勉で、トレーニング後も自主練を願い出ることが多く。それ故にトレーニング終了の時間はかなり遅くなるのだが、俺と滝トレーナーはその後にミーティングを行っている。

 担当ウマ娘が今日どのような状態だったかを確認しなければいけないから。

 って考えるとやっぱり複数のウマ娘の担当って人間業じゃないよな……。

 

 最近は滝トレーナーに確認してもらうために、ビデオでウマ娘達の走る姿を録画してみたりもしている。

 言葉で伝えられるのには限界があるからね。

 

 「ねえ松田トレーナー!今のスタートどうでしたか?すご~く集中してみたんだけど!」

 

 「いいんじゃないか?平均よりも速かったし、少なくとも周りに出遅れることはないだろ」

 

 ビデオカメラをいじりながら、少し息が上がってきたファインモーションの質問に答える。

 息遣いそのものは苦しそうだが、彼女の声音からは、心底彼女が走ることを楽しんでいるのが伝わってくる。

 この生来の走り好きが、彼女の魅力なんだろうな。

 

 

 「ねえ、松田トレーナー。どうして松田トレーナーは、私に指導してくれないんですか?」

 

 「……え?」

 

 突然の質問に、俺は思わず顔を上げる。

 ファインモーションは、変わらない笑顔で俺のことを見つめていた。

 

 「松田トレーナーも、トレーナーさんじゃないですか!もっと、私に指導してもいいんですよ?」

 

 「……そうもいかなくてな。俺は、あくまで滝トレーナーの補佐なんだ。滝トレーナーの担当ウマ娘であるファインモーションに、技術的な指導はできないよ。別にこれは、他のウマ娘にも同じことが言える」

 

 「ふう~ん……そうだったんですね」

 

 「ああ。でも別に問題はないさ。ファインモーションだって、まだ経験も何もない俺の意見よりも滝トレーナーの指導をしっかり聞いたほうが実力伸びるぞ」

 

 本当は指導してみたい。ファインモーションの走りに、俺は心を動かされたから。

 けど、それは滝トレーナーのせっかくの好意に背くことになる。そんな恩を仇で返すような真似は、俺はするつもりがない。

 

 そっかあ~と後ろを振り返って、ファインモーションがスタート位置に戻っていく。

 よし、俺ももう一度カメラの準備しないとな。

 

 「ねえ、松田トレーナー」

 

 「ん~?どした?」

 

 「世界って……思い通りにいかないことばかりですね」

 

 「……!……そうだな」

 

 彼女の後ろ姿が、やけに儚く映る。

 

 

 ……。ファインモーションの真意はわからない。

 

 俺とファインモーションが、同時に空を見上げた。

 夕暮れの赤い空には、2羽の鳥が、自由に空を飛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 滝トレーナーの補佐になってから、1ヶ月半が経過した。

 本当にとんでもない経験をさせてもらったなあと心の底から思う。

 

 最初に言われていたのだが、滝トレーナーは今年の夏、一人のウマ娘を海外のレースに出場させるために、海外にいくことが決まっていた。

 だから、俺が滝トレーナーの補佐としていられるのは、それまでの間。そういう契約だった。

 

 そして来週が、その期日。

 短い間だったが、本当に勉強になってばかりの日々だった。

 

 ただ、一つだけ心残りなのは……。いや、やめよう。これだけたくさんのものをもらっておいて、ないものねだりはできない。

 

 どうやら滝トレーナーからも少しずつ信頼してもらえているようで、「なんで君みたいな人材が担当を持てないのかわからない」とまで言ってくれた。それも理事長の前で。

 ……あんまりこういうことは言いたくないが、滝トレーナーのおかげで、俺は来年、担当ウマ娘を持てるかもしれない。

 卑怯なやり方だ、と罵倒されてもいい。俺はそれでも成し遂げたいんだ。自分の夢を。

 

 今日は、そんな滝トレーナーに何やら急に呼び出された。

 まだウマ娘達は授業を行っている平日の午前中。

 

 普段はトレーナー同士が集まるために使用されるトレーナー会議室の扉の前に俺は来ていた。

 コンコン、と2回扉をノックする。

 

 「松田です!」

 

 「入って入って~」

 

 ドアノブを回し、会議室に入る。

 そこにはひらひらと手を振る滝トレーナーの姿があった。

 

 「急に呼び出しちゃってごめんね。緊急で連絡しなきゃいけないことがあってね」

 

 「大丈夫です。ウマ娘達の昨日のデータは、もうまとめ終わっているので」

 

 「さっすが!本当頼もしくなったよね……ずっと俺の補佐やって欲しいくらいだわあ~」

 

 滝トレーナーが冗談めかして笑った。

 本当にこの人には感謝しかない。あのラーメン屋で出会っていなかったら、きっと俺は今も不毛な日々を過ごしていただろう。

 

 「んで……さっそく本題なんだけどね」

 

 「……はい」

 

 俺が席につくと、滝トレーナーの表情が真剣なものに変わる。

 これは担当ウマ娘達のレースプランや、大事なレースの作戦について考える時と同じ表情……俺も思わず息を呑んだ。

 

 「俺が、来週から海外に行くのは知ってるよね?」

 

 「もちろんです。だから、俺のことはそれまでの短期で雇ってくれていたんですよね」

 

 「そそ。……んで、問題はその時期の話なんだけど……」

 

 滝トレーナーは未だに悩んでいるようで、両手で机に肘をついて、頭を抱えながら話を続けている。

 いったいどうしたんだろう。

 

 「今からする話は、断ってもらってもいい。ハッキリ言って、君を侮辱する行為になりかねない」

 

 「……!……大丈夫です。遠慮なくおっしゃってください。俺には、ここまで滝トレーナーにもらった恩がありますから」

 

 本当にまっつんはいい奴だね……と自嘲気味に呟いて、滝トレーナーが顔を上げた。

 

 「俺が不在の間、こっちに残る担当ウマ娘のほとんどは、もう『チーム』に参加してる。だから、そのチームのトレーナーをやっている人たちに、練習メニューや目標レースの話はひととおり通せたんだ」

 

 なるほど。確かに滝トレーナーが不在の間、全員を海外に連れていくわけではないのだから、その間に面倒を見てくれる人が必要になる。

 確かにレジェンドウマ娘と呼ばれるウマ娘達はもう既に『チーム』に参加していることが多い。スペシャルウィークやメジロマックイーンもそうだ。

 

 「けど……僕が担当しているウマ娘の内、今回海外に連れていけないウマ娘で一人だけ、チームにまだ所属していないウマ娘がいる」

 

 「……!ファイン……モーション」

 

 「そう」

 

 ファインモーションはメイクデビューこそ終えたものの、まだ駆け出しで、チームにはもちろん入っていない。

 と、いうよりレースプランは確か、この夏も日本でレースの予定がある。

 

 「元々、ファインモーションは海外に連れて行こうと思ってたんだけど、そっちの登録ができなくて。であれば、ということで俺の親しい他のトレーナーにひとまず面倒を見てもらうことで合意してたんだけど……そのトレーナーの担当ウマ娘が、ファインモーションが出走する予定のレースに出走することになっちゃってね……一時的とはいえ、あんまりそこ2人を担当するのは良くないだろうって上から言われちゃってね」

 

 「は、はあ……」

 

 つまり、ファインモーションがこのままでは3ヶ月間1人で練習と出走をしなければならない?いやいや、そんなの無理だろ。

 チームを持ってる他のトレーナーとかにお願いした方が良いんじゃ……。

 

 「だから僕は、上にある提案をした」

 

 「……」

 

 滝トレーナーが真っすぐ俺を見ている。

 なんだ。どういう流れだこれ。

 

 

 

 「君に、3ヶ月間ファインモーションの担当を任せたい」

 

 

 

 「……え?」

 

 

 

 

 

 急激に心拍数が上がる。

 どういうことだ?俺は担当をまだ持っていない落ちこぼれトレーナーだぞ?

 

 「ちょ、ちょっと待ってください!それはあまりにもファインモーションが可哀想ではないですか?」

 

 最初の感情で出てきたのは、喜怒哀楽で言えば喜の感情だった。

 けれど、それはファインモーションの気持ちを度外視しているし、あれだけの可能性を秘めたウマ娘のデビュー期間を、まだ担当すら持てていない俺に担当させるというのは流石にどうかと思う。

 彼女は由緒正しい家の出だし、彼女の家も黙っていないだろう。

 

 「……俺も、最初は他のトレーナーにお願いしようと思った。けど、『3ヶ月限定で、しかも技術的な指導は最低限にして無駄なクセをつけさせずに担当してもらい、3ヶ月後には俺の元へ戻してください』って……そんな虫の良い話を受け入れてくれるトレーナーなんて、いないんだよ……」

 

 「……!」

 

 そうか。考えてみれば確かにそうだ。

 今担当を持っているトレーナー達は皆、実績や経験のある人だ。その人たちに、『面倒見てもらうけど、無駄なことはしないで。あと3ヶ月したら返して』と言う行為は、確かに相手からしたら良い気持ちはしないのかもしれない。メリットが無いのだ。

 

 

 名トレーナーと名高い滝トレーナーだからこそ、お高くとまっていると思われる可能性だってある。

 

 「これは、トレーナーとしてのプライドを傷つける行為だ。『お前は何も指導せず、ただ出走登録とトレーニングを見守るだけで良い』って言ってるようなものだから。……だから、嫌だったら断ってくれてもいい。俺はそれを非難するつもりはないよ。むしろ当然さ。トレーナーってそういう生き物だから」

 

 滝トレーナーが拳を握りしめている。

 ファインモーションのことも大事に考えているからこそ、葛藤しているのだろう。

 

 そしてきっと、この1ヶ月半で俺のことをある程度評価してくれたから、こうして話を持ち掛けてくれた……。

 なるほど……な。

 

 

 「……受けさせてください」

 

 「……!良いのか……?」

 

 「元々、担当いないんですよ?俺。担当を持った時の勉強にもなるし……任せてください。滝トレーナーが帰ってくるまで、ファインモーションにクセは絶対につけませんから。最高の状態で、戻してみせます」

 

 断る理由なんかなかった。

 元々俺は担当がいないのだ。滝トレーナーのおこぼれを期待しているだけの薄汚いトレーナー、と罵られてもかまわない。

 それになにより……俺は、ファインモーションには最高の状態でG1に挑戦させてあげたい。

 俺がその一助になれるなら、そんなに嬉しいことは無い。

 

 「……本当にすまない。ありがとう……」

 

 滝トレーナーは、未だに自分の判断を苦悩しているらしく、両手を頭に当てたままだ。

 ファインモーションの実家から期待をされて任されたのに、大事な期間を他の人間に任せることになるのだから。

 

 (その想いも、受け継いで……俺は頑張ろう)

 

 

 

 こうして、俺とファインモーションの3ヶ月間だけの担当契約が決まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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