俺とファインモーションの3ヶ月限りの担当契約が結ばれた。
流石にそれでいいのかと不安になった俺は、直接ファインモーションに聞きに行ったのだが、「不束者ですがよろしくお願いしま~す!」とからかわれてしまった。もっとも、天然なこの娘のことだから、からかうつもりすらないのかもしれないが。本当に可愛いなこの娘。……じゃなかった。
しかしこうして本当に滝トレーナーから託された以上、俺も頑張らねばならない。
この3ヶ月間、ファインモーションはレースへ出走する。トレーニングを見るだけでは駄目なのだ。
一応、毎日一日の終わりにファインモーションの状態は報告することになっている。そのあたりは、滝トレーナーがこっちにいた頃と変わらない。
俺は臨時担当トレーナーなのだ。それ以上でも以下でもない。
今日はファインモーションと、この3ヶ月の間の目標を確認するためのミーティングだ。
流石に担当トレーナーが一時的に離脱することになったのだからモチベーションも下がっている恐れがある。
(しっかり支えてやらないとな……)
あれだけ天真爛漫な彼女でも、精神状態は常に移ろいゆくもの。
その精神状態を良い状態で保ってあげるのも、トレーナーとしての役割だ。
「こんにちは~松田トレーナー!」
「お、来たかファインモーション」
「はい~!見てくださいこれ!さっきウララちゃんが四葉のクローバーをくれたんです。今日はとってもいい日になりそうですね♪」
ファインモーションの手のひらの上に、ちょこんと四つ葉のクローバーが乗っかっている。
彼女の髪飾りにも似たそれをもらって、彼女はとても嬉しそうだ。
さては現代に現れた天使か何かかこの娘……。はっ、いかんいかん。
今日は大切なミーティングなんだ。
煩悩を頭から追いやって、俺は本日のミーティングを始めるべく、鞄からメモ帳を取り出した。
風で飛ばないようにその四葉のクローバーを保存して、ファインモーションをトレーナー室のホワイトボードの前に座らせる。
「よし、じゃあこれから3ヶ月、短い間だがよろしくな、ファインモーション」
「そうですね!もうお会いすることが無くなるのかと思っていたので、とっても嬉しいです」
「お、おおう。せ、せやな……じゃなくて、その間に出るレースは、もう滝トレーナーから聞いていると思うが……」
あまりの朗らかな笑顔に毒気を抜かれるが、本題は進めていかないとな。
俺はファインモーションに背を向けて、ホワイトボードにペンを走らせる。
「まずは函館1勝クラス。芝2000mだな。これに照準を合わせていこう。んでそこが勝てれば3週間後に阿寒湖特別だ。少し距離が伸びて芝2600だが……これもファインモーションの距離適性的には問題ないって、俺も滝トレーナーもそう踏んでる。そこを制することができたら……ローズ
ホワイトボードに、左から「函館1勝クラス」「阿寒湖特別」「ローズS」と書き込んでいく。
ファインモーションの実力を知っている俺からすれば、前2戦は間違いなく突破できるだろう。そして、G2であるところのローズSだってファインモーションなら勝てると信じている。
そして、そこを乗り越えればついにG1だが……その時にはもう、滝トレーナーは帰ってくる手筈になっている。俺の出番はそこまでだ。
ファインモーションの晴れ舞台を担当トレーナーとして迎えられないのは残念だが……。
いや、そんなのはおこがましいな。
むしろその晴れ舞台の準備を整えることができるならそんなに嬉しいことは無い!そうだろう。
ファインモーションは俺の話にうんうん、と相槌を打って聞き入ってくれている。
表情は相変わらず笑顔だ。
「北海道、ちょっと楽しみですね!」
「いやそこかい!!!」
楽観的なのはこの娘の長所か……。
遠征は少し心配だが、しっかりと体調を整えて、準備させてあげよう。
「よし!そうと決まればトレーニングだ!まずは目指せ函館1勝!」
「おー!」
元気にファインモーションが右手を上げる。
そのあまりにも健気な姿を見て、俺はなんとしても彼女をG1の舞台に連れていく、と覚悟を新たにするのだった。
♢♦♢
こんにちは!
ファインモーションです。
このトレセン学園に入学して、3ヶ月が経ちました。
最初は少し退屈だなと感じていた日々も、今ではそんなことありません!
とても楽しく、毎日を過ごせています。
こんな学園の廊下も、スキップしちゃいたい気分♪
「ん?どうしたファイン、やけに表情が明るいが」
「エアグルーヴさん!えへへ、やっぱりわかります?」
廊下で声をかけてきたのは、エアグルーヴ先輩です。生徒会副会長というすごい人で、『女帝』と呼ばれて皆さんから尊敬されています!
走る姿もカッコ良いので、とっても納得なの!
あとあと、裏庭で自分で植物を育てているんだって!とっても素敵な人だよね!
「お前はいつも騒がしいが……騒がしくないのに明るいのも珍しいと思ってな」
「それほどでもありませんよ!」
「いや、褒めてはいないが……」
やれやれと言った様子で頭を抱えるエアグルーヴ先輩。
あれ?私なにか変なこと言っちゃったかな?
「あ、そうだ!今度また実家から荷物が届くみたいなので、エアグルーヴ先輩にもおすそわけしますね!なんでも、兄がエアグルーヴ先輩のこと気に入ってしまったみたいで……」
「じ、実家?!や、やめろ。本当にやめてくれ。お前の実家に関わらせるのだけは絶対にやめろ……!」
「あれ?そうですか?うーん、喜ぶと思ったんですけど~」
何故かエアグルーヴ先輩は私の実家からの贈り物を拒むの。ちょっと量が多すぎるのかなあ……。
「ふう……まあいい。滝トレーナーがいなくなって、不自由はないか?」
「大丈夫です。今ついてくださっている方も、とっても良い人なんですよ~♪」
私の担当トレーナーである方は、今日本にはいません。なんでも、海外で重要なレースがあるんだとか。
でもでも、私は特に気にしないの。だって、初めて会った頃から私のことを気にかけてくれる方が、今はトレーナーをやってくれているから!
「……本当に大丈夫なのか?……あのトレーナーは2年間、誰も担当がつかなかったというある意味有名なトレーナーなんだが……」
「むう~皆わかってないんだよ。あの人は素敵な人なんですよ~?なんで今まで担当ウマ娘がつかなかったんでしょう?」
初めて会った時は、泥棒さんかもしれないと思ってびっくりしちゃったけど。
あの時、あんなにひどい事をしちゃったのに私のお友達を褒めてくれた。トレーナーさんがついてくれない時、心細かった練習も、あの人が来てから見違えるように楽しくなった。
私のことを理解してくれて、意見も尊重してくれる。
むしろなんで今まで担当がついていなかったのか不思議なくらいなの。
「……トレセン学園は伝統ある学園だ。そのトレーナーも、基本的には直轄のトレーナー養成学校からしかとらん。たまに地方からの引き抜きや、推薦もあるが……あとは、コネ。そんなものなんだ。だから……彼は異質なんだよ。養成学校は出ておらず、コネもなければ、誰かからの推薦もない。面接にはルドルフ会長も同席したらしいが……何故採用したのだろうな」
「……そうだったんですか」
考えてみれば、私は松田トレーナーのことを何も知りませんでした。
そっか……誰かからの推薦も、コネもなかった……私とは、正反対なの。
なのに、こんな環境に飛び込んできて、今も尚、苦しんで、もがいてる。
自然と私の胸が、きゅっと締め付けられるような感覚が、ありました。
「まあなんにせよ、あまりあのトレーナーに入れ込みすぎるなよ。どうせ3ヶ月だけの契約なんだ。ファインのことは、ウチで一番優秀な滝トレーナーに頼んであるのだからな。私もアイツに担当をしてもらったことがあるが……ふんっウマ娘たらしのいけ好かんヤツだが、実力は確かだ」
そっか、そうだよね。私と松田トレーナーの契約は、3ヶ月だけ……。
なんでだろう。なんか、まだ始まってすらいないのに、この胸の寂しさはなんなのでしょう。
エアグルーヴ先輩は、その後もブツブツと「なんで私は1年間だけだったんだ……アイツめ……」って言ってました。
私も、滝トレーナーさんはすごい人だと思います。ついていけば、きっと素晴らしい道が歩めるのかもしれません。
けど……。
松田トレーナーに会ってから私の日常は変わりました。
あの人がいなくなってしまったら……また元通りの、レールの上のひたすら走る私に戻っちゃうのかな……なんて。
♢♦♢
結論から言おう。
ファインモーションの実力は圧倒的だった。
『圧勝です!差し切ったのはファインモーション!!阿寒湖特別も制しましたファインモーション!!これは先が非常に楽しみなウマ娘がまた誕生しました!!!』
コースの位置取り、仕掛けるタイミング、抜群のスピード。
ハッキリ言って、このクラスの相手なら負ける気がしない。
トップスピードに乗ってしまったファインモーションを抑えるウマ娘などいるはずもなく、ほとんどのウマ娘達が「無理い~!」と叫んで抜き去られていった。
「はっ……はっ……はっ……!トレーナーさん!見てて、くれましたか?!」
「……ああ、お前がナンバーワンだよ」
笑顔でゴール板前を駆け抜けたファインモーションに、俺はサムズアップで答える。
天真爛漫な最高の笑顔が、夏の札幌競バ場に咲いていた。
この1ヶ月、俺は技術的な指導はほぼしていない。
だが、それでも圧倒的な才能と努力で、彼女はメキメキと成長した。
基礎トレーニングは、きっと実家の方でもやっていたのだろう。
トレセン学園に入学して、その基礎に応用が加わった。
滝トレーナーのメニューは完璧で、伸び伸びと走ることができている。
心から走ることが大好きなファインモーションが、レースを楽しんでしまえばもう敵はいない。
「さ……ウイニングライブの準備でもしますかね」
未だに笑顔で観客席に手を振るファインモーションを横目に、俺は裏方へと向かう。
まあ、正直ファインモーションが勝つことを信じて疑わなかった俺は、ファインモーションがセンターで踊る準備を既にしていたのだが。
(この瞬間、最高だな……!)
自分の担当ウマ娘が、一着でゴールする。
そして最高のウイニングライブを支えるべく、裏方に回るこの瞬間。この瞬間こそ、俺にとって至福の時間だった。
(……)
その時、胸に走った僅かな痛みを、俺は頭から追い払った。
北海道から東京へ戻ってきて、オフを挟んだ翌日。
俺とファインモーションは再びトレーナー室でミーティングを行っていた。
「よし!改めておめでとうファインモーション!圧倒的だったな!」
「ありがとうございます!」
無事に2勝。これでファインモーションはG2であるローズSへの挑戦権を得た。
ここまでは実に順調と言っていいだろう。
「まあ正直俺はファインモーションの勝利を疑ってなかったが……」
「あれ?でも松田トレーナー、一戦目の時裏で『負けたらどうしよう……俺のせいで最強のはずのファインモーションが負けたら……』って言ってませんでしたか?」
「おまっ……!聞いてたのかよ!そ、そりゃなあ、俺にもファインモーションを任された責任があるわけであって……」
「ふふふ~♪なんかあれを見たら私の方が緊張やわらいじゃいました!」
屈託のない笑みでそう言われると、もうなんでもいいか、と思ってしまう。
そしてこんな笑顔で周りを癒す存在のファインモーションだが、走りは優雅で、美しい。
その走りは既にトゥインクルシリーズを取り上げる記者からも注目され始めている。
ここまで無敗なのだ。当然のことだろう。
「……だが、次はG2。そう簡単にはいかないぞ。サクラ陣営から一人今年伸びているのが出てくるし、周りも強豪だらけだ。気を引き締めていこう」
「はいっ!次も頑張りますね!」
「ま、泣いても笑っても、俺は次が最後だ。必ず、G1に送り出してやるからな」
俺の最後の役目だ。気合いれないとな。
「あ……はい。そう、ですね」
ん?なんか元気が無かったが……まあ、気を引き締めてもらうためにああはいったが、俺の見立てではファインモーションが負けることは万に一つもないだろう。それだけの実力を、ファインモーションは持ってる。
初めてこの走りを見た時から、それは疑っていない。
だが、俺はこの時気付いていなかった。
ファインモーションのいつもの笑顔に、少し雲がかかったような印象があったことを。
♢♦♢
こんにちは。ファインモーションです。
私のウマ娘としての成績は、とっても順調。
これなら実家にもきっと喜んでもらえるし、私も走っていて楽しいし、良い事だらけ!
って、最近までは、思ってたの。
けど、私の次のレース……ローズSが終わったら、今の私のトレーナーさん、松田トレーナーの役目は終わり。
私はまた、滝トレーナーの元でウマ娘としてトレーニングを始めることになる……。
私は、滝トレーナーが嫌なわけじゃないの。
ただ、それ以上に松田トレーナーは私のことを考えてくれていて……。
この前、寮の部屋でエアグルーヴ先輩に、「松田トレーナーのままで、今後も走りたい」って言ったら、すっごい怒られちゃった。
どれだけのウマ娘が、あの伝説のトレーナーに指導してもらいたいと思っている、って。
実家からのきっての願いで担当をしてもらっているのに、それを私が断ったら、滝トレーナーの顔に泥を塗ることになるんだぞ、って。
しかも、聞いてみたら練習メニューやその他レースプランも、滝トレーナーが私のことを思って海外から松田トレーナーに指示を出してくれているんだって。
あの人は担当ウマ娘をないがしろになんかしない、今回も、ギリギリまでお前を海外に連れていけないか悩んでいたんだぞって……。
確かに、練習メニューもプランも、すごいと思う。
きっと、滝トレーナーじゃなかったら、私はここまで実力を発揮できてないかもしれない……。
私の中に渦巻く気持ち。
滝トレーナーの担当ウマ娘になることが不満……というより、私は……。
ここまで考えて、流石に私もわかっちゃったんだ。
私は、松田トレーナーと、もっと長く一緒にいたいだけなんだ、って。
♢♦♢
ファインモーションがスランプになった。
ぴょ?
ヤバイヤバイヤバイ。ローズSまでそんなに時間は無いぞ……。
かといって俺が技術的な指導をするわけにもいかないし……!
原因はわからないが、ファインモーションの走りにキレがない。
全体的に、というよりは、ファインモーションの魅力である終盤でのあの劇的な差し。あのスパート時のキレが出ないのだ。
今こちらに向かって走ってくるファインモーションの表情にも、いつもの笑顔は無い。
「どうしたもんか……」
俺にトレーナーとしての経験は浅い。
どこか浮かない表情をしているファインモーションを、助ける手立てがわからない。
今走り終えたファインモーションが、肩で息をしている。
手元のストップウォッチを見ても……タイムは、やはり悪い。
表情も、あの抜けるような笑顔が消えていた。
(この最高の笑顔まで、曇らせちゃダメだろ、俺)
技術的な指導は許されていない。
けど、精神面のケアは、できる限り自分の手でやっていいはずだ。
それが、こんな俺にできること。
せっかく担当してるのに、全部先輩トレーナーのおんぶにだっこじゃ、カッコつかねえだろうが……。
覚悟を決めて俺は、膝に手をついているファインモーションの肩を、叩く。
「……トレーナー……さん?」
「ファインモーション……今日、トレーニング終わった後時間あるか?」
「へ……?」
その日の夜。
トレーニングを終えた俺とファインモーションは、トレセン学園からほど近い場所にある商店街へと来ていた。
「わあ~!!」
俺にとっては何の変わり映えもしないいつもの道。
けれど、ファインモーションにとっては違ったようで、今も隣で目を輝かせている。
「松田トレーナー!これが、庶民の商店街という所なんですね!」
「ばっかお前でかい声でそんなこと言うな……」
流石箱入りウマ娘。
トレセン学園に入学してからもこういった場所には来たことがなかったようで、あちこちを見渡して感動している。
その姿は、東京に来たことがなかった田舎の子供が、初めて東京に足を踏み入れたかのような……いやまあ、実態はその真逆なのだが。
「素敵だね!トレーナーさん!私こういうのすっごい憧れていたんです!ドキドキしちゃうなあ……!」
「お、おう、そうか……でも!今から行くとこ、味の期待とかすんなよ?実家ですげえ料理食べてたファインモーションを連れて行くのにはちょっと抵抗があったんだから……」
ただでさえ、ファインモーションが所属している栗東寮の寮長であるフジキセキからは、「だ、大丈夫なのか?保護者として、頼むぞ?」と心配されたのだ……。余計な悪目立ちは避けたい。
「全然大丈夫ですよ!私憧れていたんです!日本を実家で勉強したときに、書いてあったんです!え~っと、なんだっけ、そうだ!『おふくろの味』!日本には、そういう文化があるんですよね!」
「……なにか曲解しているような気がするぞ……」
こんな生粋のお嬢様を庶民的な店に連れて行こうとしていることに若干の罪悪感を感じつつ、俺は商店街の道を歩く。
気分転換に、と思って誘ったが、俺にそんな高級な店を紹介できるスキルなどあるはずもなく。
そうして、たどり着いてしまった。
いつもの店に。
「ここだ、ファインモーション」
「ほえ?……なんか人力車のようなものから良い匂いがします……!」
人力車て。むしろなんで人力車の知識があったのかは謎だが……。
まあもうこうなったら仕方ない!行くしかあるまい!
俺はいつものラーメン屋の暖簾をくぐった。
「いらっしゃい……って、お前か」
「大将、久しぶり。今日はちょっと連れがいるんだ」
幸い、先客はいないようだ。カウンターの席は、どこも空いている。
奥の方に腰掛けるべく、俺はファインモーションに隣に来るように促した。
「わあ~!すごい……!」
どうやら本当に感動しているようで、ファインモーションは目をキラキラとさせている。
「……!」
「大将、何も言わないでくれ……」
驚いたように目を見開く大将。
そりゃファインモーションは有名になっているし、トレセン学園の事情に明るい大将がファインモーションを知らないわけはない。
俺がファインモーションの3ヶ月担当になったことも、大将には話してあるしな。
「お前……もっと気の利いた店なかったのかよ」
「言わないで……今の俺にそれは効く……!」
大将が自分から言うのもどうかと思うのだが、未だに感動しきり、といった感じでぶら下がったメニューを見ているあたり、新鮮さがあってよかったのかもしれない。
うん、そういうことにしてくれ。
「ファインモーション、いつも俺が食ってるやつでいいか?」
「あ、はい!それでお願いしますっ!」
やたらとハイテンションなファインモーションはまだ落ち着かない様子。
パドックでこの状態だったら俺は流石に慌てるね。
「大将、豚骨ラーメン大2つ。麺固め油少なめ。」
「……あいよ」
麺をバリカタにするヤツも多いが……俺は固めがちょうど良いと思ってる。
芯の残ってる感じはあまり好きじゃない。
……と、隣にはぽかんとした表情で俺のことを見つめるファインモーションがいた。
「……どうした」
「今のなんですか?!なにかの呪文ですか?!あ!私知ってますよ。確か日本のカフェでは呪文を唱えないと出てこないメニューがあるんですよね!今のはそれと同じですか?!」
「とんでもねえ文化だなそりゃ!」
ふんす、と言った感じでどや顔で知識を披露してくる姿は非常に微笑ましいのだが、微妙にズレているその知識を訂正すべきかどうか悩む。
「庶民のラーメン屋だとな?麺の固さだったり、味の濃さを自分なりに調整できるんだよ」
「な、なるほど!だから今麺固め、と伝えたんですね……!」
とりあえずは納得してくれた様子。
が、未だにファインモーションは厨房の大将に目が離せないらしく、じっと、作業の様子を眺めていた。
「い、今!松田トレーナー!網をすごい勢いで振ってますよ!あれはなんですか?!」
「あ、あれは湯切りっていってな、麺が含んだ湯を切ってんだよ……」
気合の入った迫力のある湯切りを見て、ファインモーションは興奮気味だ。
ものすごい力で俺の肩をゆすってくる。
全く……終始落ち着かない様子だが、その表情には普段の笑顔が戻ってきていた。
場所のチョイスはあれだが……まあ、当初の目標は果たせたかもしれないな。
「とっても美味しかったです!」
「おお、そりゃーよかった」
お勘定を済ませて出てきた俺を、笑顔でファインモーションが迎えてくれた。
正直トレーナーがウマ娘を連れてくる場所としちゃあ最悪の一言に尽きるかもしれないが、まあ、こんなところファインモーションは2度と来ないだろうし、人生経験としちゃあ、よかったんじゃねえのかな、と思う。
商店街を抜けて、トレセン学園までの帰路を辿る。
あたりはすっかり暗くなり、街灯だけが道がここにあることを示してくれていた。
「松田トレーナーさん」
「どした」
「次が、最後のレースですね」
「……そうだな」
そう、次が俺の役目の最後。
ローズSを無事制することができたなら、そこで俺はお役御免。
続くG1レースは、滝トレーナーに任せる。そういう契約だ。
「トレーナーさんは、私の担当して、どうでしたか?」
「どうって……そりゃ、ファインモーションみたいな逸材を担当できる機会なんざ、俺には一生来ないかもしれなかったんだし、めちゃくちゃ嬉しかったよ」
「……それだけ?♪」
「……!」
上目遣いで俺を見つめるファインモーション。
やめろ……!悪魔的可愛さすぎる……!
「ま、まあ、なんだ。その、楽しかった……よ。ありがとうな」
「ふふふ~どういたしまして~♪」
るんるんと先を歩いていくファインモーション。
危ないぞ、と言おうかと思ったが、車通りもない。まあ、いいか。
こちらに背を向けて歩いていたファインモーションが、ふと、立ち止まる。
「トレーナーさん」
「なんだよ」
「私実は、退屈でした。実家にいて、やっと出てきたトレセン学園でも、同じような、ただレールの上を走っているかのような日々に、退屈さを感じてたんです」
「……」
そんな気はしていた。
普段俺に見せる表情はあんなに笑顔な彼女が、授業中や一人でトレーニングをしているのをたまたま見た時は、無表情だったから。
彼女の生い立ちを知って、俺とは真反対だな、と思いつつも、その運命を真正面から受け止めるファインモーションを尊敬した。
けど、彼女はまだ若い。
ファインモーションの中で、きっと葛藤はあったのだろう。
「けど、松田トレーナーがそんな退屈な日々から引っ張りだしてくれたんです。
「……!」
くるりと振り返ったファインモーション。
彼女の美しい髪が、街頭に照らされていて。
彼女の儚さと可憐さと相まってとても幻想的に見えて。
不覚にも、見惚れてしまった。
「ねえ、キミはさ」
だから、次に出てきた言葉を理解するのに、とても時間がかかってしまったのだ。
「私の、本当のトレーナーに、なる気はない?」
「……!」
2人の間に訪れた静寂は、一瞬にも、永遠にも感じられた。