第一話 神風
――そこには、化け物がいた。その化け物のことを、人々は鬼と呼んだ。
夜に
人は、鬼を滅する為に、悪夢の夜を終わらせる為にとある組織を結成した。その名は、鬼殺隊。鬼と渡り合う為の術、''全集中の呼吸''を扱い、彼らを滅する為に日輪刀を……悪鬼を滅する刃を振るい続けた。例え、腕や足が無くなろうとも。己の命が危機に瀕したとしても。果てに失ったとしても。代々当主を務めてきた家系、産屋敷家の者を筆頭として、彼らは何度打ちのめされようと立ち上がってきた。
そして……時は大正。鬼殺隊を支える最高階級の剣士達、''柱''。その中の1人に、悪鬼の頸を捻じ切る風を――風の呼吸を扱う剣士がいた。名を、不死川実弥。
貧乏な家庭の七人兄弟。その長男として生まれた彼は、優しき男だった。妻子を虐待するろくでなしで、他人の恨みを買って刺殺された父親に代わって、家庭や母、弟妹達を守り抜いてきた。
しかし、貧乏故に楽ではなけれど幸せだった暮らしは、母が鬼に変貌させられたことで終わりを告げる。彼は、弟妹を守る為に無我夢中で戦った。
だが、医者を呼びに行った次男の玄弥を除いて、弟妹達は死んでしまう。そして、日が昇るその時まで目の前の鬼を最愛の母親だと知らぬまま、最後は殺してしまった。倒れ伏した母を見て動揺した玄弥の罵倒が、その事実を強く突きつけ、彼の心に深い傷を残した。実弥の精神は――崩壊した。
以降、優しき男はその本質を変えることはなけれど、醜い鬼に対する強い憎しみを持った修羅へと変貌した。すぐに家を出て治安の悪いところを転々とし、掻き集めた大量の武器と、鬼が喉から手が出る程欲しがる己の血を利用して鬼を狩り続けた。
自殺行為に等しい行為を続ける中、後に親友となる隊士と出会い……実弥は、鬼殺隊に入隊した。
仲間達の死を目にする度に募る、鬼を滅することへの執念。そして、殺された仲間達の想いと命を無駄にしない。玄弥が所帯を持って普通の人生を送れる世界を創る。玄弥を巻き込まない為に、自分が鬼殺の道へこの身と命を捧げる。これらの強い信念を抱え、彼は今まで以上に鬼を狩った。
数え切れぬほどに鬼を殺した頃。実弥は、親友の死と引き換えに''風柱''となった。親友の想いと命をまた一つ背負い、彼は弟が幸せに暮らせる世界を作る為にも奮闘した。
''風柱''になってから、時が流れた。
実弥に対する過去の暴言を謝って、認められたい。兄の側で兄を守りたい。そんな決意を胸に入隊した彼を、実弥は何度も拒絶し、辛く当たって冷酷な態度を取り続けた。全ては、玄弥の普通の人間としての幸せを願ってのことだった。しかし、2人はすれ違い続ける。
更に時が流れた。玄弥の同期である、鬼と化した妹を連れた隊士に引き寄せられるようにして、とうとう鬼の首魁……鬼舞辻無惨との最終決戦が訪れた。
戦いが始まった時には忠誠を誓った主君の死を目の前で目撃し、打ちのめされた。いざ鬼の根城に足を踏み入れてみれば、本心を吐露し合って、ようやく和解出来た最愛の弟を、玄弥を失ってしまった。
他にも、多くの隊士が命を奪われた。
自分より遥かに若くして''柱''になり、無限の可能性を秘めていた少年も。
度々声を掛け、「元気か」と気にかけていた、常に微笑みを崩さなかった少女も。
鬼殺隊最強の剣士で全く頭が上がらず、常に尊敬していた男も。
鬼に対する姿勢や考え方も近かった故に一番気が合っていた、幸福を運ぶと言われる白蛇と共にいた青年も。
友達であったその青年にずっと恋をしていた少女も。
父親に代わって''柱''となった、明朗快活で常に
そんな中でも、実弥は生き残った。最終的に''柱''の中で生き延びたのは……自分と、''水柱''の冨岡義勇、左目と左手を失ったことによって、一足早く前線から身を引いていた、元''音柱''の宇髄天元のみであった。
決戦の果てに手に入れた、鬼の居ない平和な世界。しかし、そんな世界で生きてほしかった弟は居ない。多くの仲間、友、愛する家族……。実弥は、全てを失ってしまった。もはや、自分がこの世界に生きている意味はない。そう思うこともあったが、辛い思いを沢山した兄に幸せになってほしい。それが玄弥の願いだった。だから、実弥は最期まで生き抜いた。最終決戦の最中に発現させた''痣''の影響で寿命が25歳にまで縮んでしまっていたものの、所帯を持ち、玄弥の分まで幸せになろうと必死に生きた。
人生のほとんどを鬼殺に捧げてしまったが、そのことを後悔してはいなかった。強いて後悔することがあるとするのなら……やはり、愛した家族を誰1人守れなかったこと。
(御伽噺みてェな話だが……。来世ってもんがあるんならよ……次こそは、家族を守りてェな……。玄弥、俺は……兄ちゃんは、お前の分まで生きたぞ……。匡近。今、そっちに行くからな)
そんな想いを胸に秘め、亡き親友の顔を思い浮かべつつ、実弥は静かに永き眠りについた。
身籠った妻と、最期まで近くで見届けることを引き受けてくれた友、宇髄に見守られてのことだった。
――不死川実弥、享年25歳。最愛の弟が幸せに暮らせる世界を創る為に鬼を滅し、大切な仲間や主君の死に対して涙を流した、情に厚く、優しき男。こうして、彼の人生は幕を閉じた。
★
辺り一帯に夜の帳が下りていた。道路を照らすのは、淡い月の光と道の端に沿って建てられたいくつものビルの窓から溢れ出す眩い光だけ。窓から光の溢れるそこがオフィスだとしたら、社員達が己の家族を養う為に必死で残業しているのだろう。人通りも交通量も少なく、街は静まりかえっていた。
そんな街の中を、獅子から逃れようとする兎さながらの様子で必死に走る男がいる。
「へへっ、大量だぜ……!これ程の大金がありゃ、一生遊んで暮らせる!」
短距離走の選手のように筋骨隆々で逞しい脚を持つ彼は、下卑た笑みを浮かべて街を駆ける。その鞄からは、大量の札束が顔を覗かせていた。
彼は、銀行強盗の常習犯。働いて金を稼ぐことなく、楽をして金を稼ぎたい。そんな望みを持った結果、静まり返った夜の銀行に忍び込んで大金を強奪。そして、例え警察や
現に、彼は人通りも交通量も少ない道路を自動車並みの速度で走っている。……逃げ切れるのも当然だろう。人間の走る速度が自動車に勝る道理はないのだから。
この世界を生きる人間達は、基本的に特殊だ。
逃走する自分を責め立てるようにパトカーのサイレンが鳴り始め、後方から迫る赤い光が己を照らす。だが、何の心配もいらない。これまでもこうして己の脚で逃げ切ってきたのだから。
男は、そう高を括っていた。――しかし。
「よォ、おっさん。そんなに嬉しそうに走って、どうしたってんだァ?お急ぎかい?」
(な、なんだこいつ!?いつの間に……!)
声のした方に顔を向けてみれば、胸元から腹部までのチャックを全て開けた黒いパーカーを羽織のように翻させながら、己と並走する何者かの姿があるではないか。その声は若々しい張りと、凡ゆる死線を掻い潜ってきた戦士のような力強さを兼ね備え、この世に生きる悪……その全てに対する憎しみをも感じさせた。パーカーがフード付きの物で、それを深く被っている故にその顔は見えない。
だが、息一つ切らさずに己と並走するその姿が、男に真横にいる何者かは只者ではないと直感させた。
「銀行から大量の金を奪ってきたところでな……。俺は警察やヒーローに追われてんだ。彼奴らから逃げ切れれば、遊び放題、美味いもん食い放題!極楽みたいな生活を手に入れられる!
自力で稼がず、楽をして稼いだ金で手にする遊び放題の生活。それを夢想しながら、男はニタニタと笑って答えた。
「へェ、そうかい……。よォく分かったぜェ」
男の答えを聞いた瞬間。一陣の風が吹き荒れ、真横にいた何者かが視界から消える。自分の頭では理解出来ない出来事が、今まさに男の目の前で起こった。
「うおっ!?」
突然巻き起こった風は、彼を押し倒さんとする程の勢いのものだった。ここで倒れれば、確実に足が止まる。起き上がる時間すらも煩わしいと思った男は、急ブレーキをかけるように踏み止まって、顔を覆い尽くすようにして交差した両腕を構え、決死に踏ん張った。
「な、何だってんだ――」
「テメェがァ……人の金を奪い取って、私利私欲の為に行使する
「驚かせやがって」と言葉を紡ぎ切るよりも前に、怒気に満ちた声を発しながら、少年が男の前に立ち塞がった。
「ひっ!?」
彼の発した、体の芯にズンとのしかかってくる重りのような声は、男の体を震え上がらせた。目の前の少年こそが先程まで並走していたパーカーを着た何者かなのだと察した男の視界が、背後から降りかかる月の光に照らされた少年の容姿を捉える。
フードが外れたことで露わになったその顔立ちは……微かな幼さを残しつつも大人のものに移り変わり始めており、修羅のようだ。
上下のまつ毛が非常に長いところは女性らしさがある。だが、大きく見開かれた目は、目の前の相手を視線で射殺さんとするかのように血走っていた。
無造作な白髪は月の光に照らされ、キラキラと銀色に輝く狼の体毛のよう。
そして、顔立ちを修羅だと思わせる一番の原因は、間違いなく鼻や額の部分にいくつも刻まれた傷だろう。
更に、彼が自分の真正面に立ったことでその体付きが明らかになった。チャックが全て開かれたパーカーの下にある肉体は、胸筋や腹筋の境がはっきりとしていて、色気すら発している。
その胸筋には、アルファベットのXのような形の傷が刻まれ、六つに割れた腹筋にも、左上から右下にかけてそこを切り開くかのように傷が刻まれていた。
傷だらけの風貌と、怒気を発することによって増した迫力は、少年を風神の化身だと錯覚させる。
「観念しなァ。テメェは、きっちり刑務所行きにしてやるからよォ!!!!!」
少年が叫び、口の端を吊り上げて不敵に笑いつつ、刀を構える。その時――
シィアアアアアアアア……!!!
風が木の葉を激しく揺らし、砂を巻き上げるかのような音が聞こえた。男は咄嗟に辺りを見回すが、風は吹いてなどいない。果たして、その音の発生源は何処なのだろうか?
それが目の前にいる少年からだと気が付いたその時には、もう遅かった。
――目の前に立ち塞がる全てを塵と化す、旋風が吹き荒れる。
「ぎゃあああっ!?」
迫り来る旋風。それに飲み込まれた男は、その肉体に大量の切り傷をつけられた上に、服の一部を大きく引き裂かれ、斬り刻まれて呆気なく宙に浮かされた。
「げふっ……」
その後。彼は重力に従って、背中からコンクリートの地面に向けて落下すると、背中を強烈に打ち付けたことで間抜けな声をあげ、気絶してしまった。
風を引き裂くようにして木刀を振り払った少年の姿が露わになる。振り向いてから、男が気絶したのを確認すると、男の体ごと宙に浮かんだ鞄と紙吹雪のように舞っている大量の札束を生真面目にも全て回収した。
「死なねェように加減はしてやったから安心しなァ。だが覚えとけよォ……。テメェらみてェな醜い
気絶した男を
「あっちです!銀行強盗の
「分かった!」
一先ず、鞄を元の銀行の前まで持っていこうとしたその時。そんな声が聞こえた。恐らくは、
それを悟った少年は鞄を手にしたまま、すぐ近くに建っている5階建てのビルの屋上に退散する。そして、体も服もボロボロの男を見て困惑している、派手な服を身につけた大人達を淡々と見下ろすと、フードを顔を見せないように深く被り直し、肩から掛けた細長いケースに木刀をしまってその場から立ち去るのだった。
★
「塚内警部、お疲れ様です!」
「ああ、三茶もご苦労様」
顔立ちが猫そのものであるのが特徴的な警察官、玉川三茶が、生真面目さを全面に出した気の緩みのない敬礼で自らの上司に挨拶する。
そんな彼に優しい笑みを向けながら、事件の後処理の現場に駆けつけたソフト帽を被り、きっちり着こなしたワイシャツの上からトレンチコートを羽織った男性は、塚内直正。特徴の薄い顔立ちだが、真面目且つ真摯に日々巻き起こる犯罪と向き合う、れっきとした警察である。
「それにしても……2ヶ月間逃走し続けた、銀行強盗犯を捕まえられたのは本当に良かった。今回の
塚内がソフト帽を脱ぎながら、安心したように呟くと……。
「それがですね……今回、
部下の三茶が言いにくそうに真実を述べた。
「何だって?」
想定外の事実に、塚内は微かに目を見開きながら咄嗟にその詳細を尋ねた。
三茶曰く、ヒーロー達が駆けつけた頃には、
「もしや、協力者か何かがいたのでしょうか?」
顎に手を当てて考え込む三茶を見ながら、塚内は答える。
「……いや、その心配はないよ。大金の入った鞄については、私が銀行の方にまで届けておいたから」
そう答える塚内の脳裏に浮かぶのは、無造作な白髪と傷だらけの顔に体、血走った目がやたらと印象に残る少年だ。
「警察の方、ですよね?
その修羅のような顔付きに反し、敬語を扱い、微笑みを浮かべながら彼は言った。塚内も見た目とのギャップに驚かされたものだ。
その後、彼から受け取った鞄を銀行の方に届けた訳なのだが、その少年なら何か知っていたかもしれない。話を聞いておくべきだったかと塚内が考えていたその時だった。
「あっ」
三茶が思い出したように声を上げる。
「そういえばですね。
「
風という単語が、塚内にここ最近で話題になっている噂話のことを思い出させた。
(風が吹き荒れた瞬間、
その噂話を思い出したと同時に、ふと先程の少年のことが思い浮かんだ。彼の名前を聞いた後、銀行から強奪された大金を届けてくれた礼を述べようとした時には、既に自分の視界から――まさしく、風のように姿を消していた少年のことを。
(彼の名前は……
「いや、まさか……な」
確証がない故、頭に浮かんだ推測を否定する。
いずれにせよ、自分はまたあの少年と会わなかればならない。彼のことを知らなければならない。確信にも似た予感を抱きながら、塚内は星が瞬く果てしない夜空を見上げた。
実弥さんのヒロインは誰がいい?
-
拳藤一佳
-
八百万百
-
蛙吹梅雨
-
リューキュウ
-
ミッドナイト
-
壊理