疾きこと風の如く   作:白華虚

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第二十三話 特訓開始

 雄英の敷地内に築かれた実弥の自宅。そこに設けられた木製の立派な道場で、緑谷は無我夢中にサンドバッグを何度も殴り、蹴っていた。

 

「……だあっ!」

 

 自分を鼓舞するように気合の一声を発し、額から汗を流しながら拳を振るう。しかし、それはまだまだ未熟な拳。肩や腕だけを使った手打ちパンチでしかなく、サンドバッグもほんの少し揺れるだけ。

 それを見た実弥が、ゆっくりとした動きでサンドバッグを殴りつけながら言った。ゆっくりでありながらも、その身体能力も相待ってか、サンドバッグが一瞬強く震える。

 

「……こんな風に腰を入れろ、腰をォ。腕と肩だけに頼るんじゃねェ。全身を使うんだ。慣れねェうちはゆっくりで良い。まずは踏み込んでみろ、あるとないとで威力が大きく変わるからなァ」

 

「うんっ……!」

 

 アドバイスを受け、それを含めてこれまでに受けたものを頭の中で反芻させつつ、緑谷はゆっくりと丁寧に体を動かす。少しずつ動きが改善されていくものの、一朝一夕に仕上げられるのなら苦労しないという話で。彼は沢山のアドバイスを受けた。

 

「ちょっと力みすぎ。肩の力抜いていいよ。無駄な力が入ってると、逆に威力が出なくなるから」

 

「蹴りも同じ。足だけに頼らないで、右手の振り上げとか軸足の回転も利用するんだ」

 

 実弥に加え、彼が連れてきた格闘技経験者の拳藤と尾白のアドバイスももらいながら、緑谷は無心でサンドバッグに打撃を叩き込み続ける。

 

 単純な動作の繰り返しのように思えるが、これが意外にも疲れるもの。どう動くべきか……アドバイスの一つ一つを反芻(はんすう)させ、考えながらゆっくりと動く。頭と体を同時に動かすのが何よりも大変なのだ。たったこれだけのことで思った以上に疲れが溜まり、息が上がっている。緑谷はこれを何百回と繰り返していて、しかも、既に2セット行っていた。今は3セット目を実行している最中である。

 

 こうしてアドバイスを受け、動きを改善しては殴る蹴るを繰り返して、実弥に指定された回数分サンドバッグを殴り終え……緑谷は、肩で息をしながら膝をついてしまった。

 

「はあっ……はあっ……」

 

(頭で考えながら行動するって、こんなに疲れるのか……!)

 

 膝をついている緑谷の額から、煌めく汗がポタポタと道場の床に滴り落ちる。

 深呼吸をして乱れた息を整えていると、彼の頬に心地よい冷たさをしたものが触れた感触がした。さながら、猛暑の中で飛び込んだプールのような冷たさだ。それに反応して振り向くと……。

 

「お疲れ様です、緑谷さん!」

 

 花のような弾ける笑顔のエリが冷えた水の入ったペットボトルを手にしていた。どうやら、頬に触れているのはそのペットボトルらしい。

 

「ありがとう、エリちゃん」

 

 眩しい笑顔を見ていると、自然に疲れが吹き飛んでいく気がした。チアガールに応援される立場の者達は、いつもこんな気持ちを味わっているのだろう。

 

 汗を拭いながら笑い返した緑谷は礼を言いつつ、ペットボトルを受け取って中身を喉に流し込む。体中に水分が行き渡り、熱った体が冷えていくのを不思議と感じ取れた気がした。

 

 実弥、拳藤、尾白にもペットボトルを手渡すエリを見て、出来た妹さんだなあと、緑谷は思う。ペットボトルの水を喉に通して次の特訓のメニューの準備の為に道場を出た実弥とエリを見送り、彼はここまでの特訓を思い返していた。

 ここまでの特訓では、特に特別なことはやっていない。腕立て伏せやら腹筋、持久走といった基本的なトレーニングや体力づくりから始まり、先程はあのようにして体の動かし方を叩き込んだ。

 

 こんな風に基礎的なことばかりやっていて、大丈夫なのだろうか。本当に強くなれるのだろうかという疑問も湧いてくるが、それを頭から振り切って、実弥の言ったことを思い出す。

 

「まずは基礎の基礎からだァ。俺から見るに、お前は……他の奴らより鍛えてる時間が少ねェ。だからこそ、まずは基本的なことを叩き込む。ビルと同じだ。土台がしっかりしてなきゃ、積み上げた力も脆いもんになっちまう」

 

 緑谷は、自分を鍛え上げるという意味でも他より出遅れてしまっている。その遅れを取り戻せるようにと、実弥は全力を尽くしている。

 

 ……あれだけ強い男の時間を自分に使わせてしまっている。緑谷にとっては、それがとても申し訳なく思えた。そう思う故に、文句一つ言わずについて行かなければ失礼になってしまうと考えている。

 

 今の緑谷は、''個性''を全力ではなくセーブして使うことが不可欠だ。''個性''をセーブすれば、それだけ自分の繰り出す攻撃の威力も抑えられるということになる。であればこそ、十分な威力を引き出す為に抑えられた分は技術で補うしかない。

 犠牲を最小限にしつつ、より威力を引き出せるように考えられているのだろうと緑谷は予測した。

 

 一説によれば、正しいパンチの打ち方をマスターすれば1.5倍から5倍もパンチ力がアップするらしい。――無論、個人差はあるが――

 地道に実弥の施す特訓を続けていれば、必ず成果が出るはず。雄英の入試に挑む為の10ヶ月を使って、ガリガリだった体格を細マッチョとも言えるレベルにまで鍛え上げられたのだ。努力が報われる……とは断言出来ないかもしれないが、地道に積み重ねた努力は無駄にならないことを緑谷は知っている。

 

 知っているから、実弥の施した辛い特訓にも耐えることが出来た。

 

「緑谷。お前……文句一つ言わずによくやったもんだよ。お疲れさん」

 

「中々ハードだったね……。頑張ってたな、緑谷。繰り返しやっていって、これから身につけていけば良いよ」

 

「拳藤さん、尾白君。2人もありがとう、色々教えてくれて」

 

 特訓のことを思い出していると、実弥に連れてこられた拳藤と尾白に話しかけられる。緑谷は、2人にも時間を使わせてしまって申し訳ないなと思いつつ、礼を言った。

 

 そんな彼の心情を察してか、2人は気にしてないとばかりに笑う。

 

「他人の力になれることは喜んでやっちゃうのがヒーローでしょ?やりたくてやってるんだし、申し訳なさそうな顔しないの」

 

「ご、ごめん」

 

「そこも謝らなくて良いから」

 

「まあまあ」

 

 「もう少し自分に自信持っても良いと思うんだけどな」と口を尖らせながら呟く拳藤を(なだ)めた後、尾白が言った。

 

「それにしても、驚いたよ。不死川に突然『うちに来い』って言われて来てみたら……まさかの緑谷を鍛えるって言い出したもんだから」

 

「ね。ていうかさ、良かったじゃん。雄英高校ヒーロー科1年の1番の実力者に鍛えてもらえるなんて」

 

 尾白の発言に笑顔で同意しつつ、拳藤は羨ましげに緑谷を見る。同年代最強の男に鍛えられるのだ。伸び代に期待するのも仕方のない話。自分も鍛えてもらえるのなら、もっと強くなれるはず。

 そう思うからこそ、直に特訓をつけてもらえる緑谷が彼女からすれば羨ましかった。

 

 緑谷は、縮こまって恐縮そうにしながら言った。

 

「ぼ、僕なんかが不死川君に鍛えてもらえるって、今思っても恐れ多すぎるよ……!勿論、強くならなくちゃいけない理由があるし、嬉しいんだけどさ……。それに、僕はエリちゃんに何回も心配かけてるし……。不死川君だって、相澤先生の頼みだから動いてくれてるんだろうし」

 

 そんな彼を見た拳藤は、難儀そうな顔をする。

 

「緑谷……もっと自分に自信持って良いと思うよ。まあ、謙虚なところは好きだけどさ。少なくとも、こうやってお前の世話を引き受けてる以上、不死川はお前のことを認めてるし、期待してるんじゃないかな」

 

 ペットボトルの水を口にし、喉を潤してから彼女は続けた。

 

「それにね。アイツ、『頼まれたからやる』ってだけの男じゃないよ。そりゃあ、頼まれた以上はきちんとこなそうって思うに違いないよ?でも、1番の理由はそこじゃない気がする」

 

 語る彼女の脳裏に(よぎ)るのは、入試が終わった後の実弥の姿。仮想(ヴィラン)達を見て腰を抜かしたり、実弥に言われなければ行動出来なかった者達を諭している姿だ。

 

「不死川って優しいんだよね。緑谷のことを認めてなかったら、ヒーローの世界に足を踏み入れさせない為に冷たく突き放すと思う。入試の後がそうだったし」

 

 その光景を思い出しつつ、緑谷の方を見て微笑んだ。

 

「不死川は、お前が夢を叶えるのを見てみたいんじゃないかな?友達が生き抜く未来を確立する為なら、いくらでも時間を割く。それが不死川実弥だと思うよ。そんな優しい男が突き放さず見守ってくれてるって相当なことだと思うけどな」

 

「僕が夢を叶える……未来」

 

 掌を見つめながら緑谷が呟く。拳藤の話が一段落ついたと見ると、尾白も口を開いた。

 

「緑谷。不死川はさ、お前の動きが少しずつ良くなっていくのを、お前がへこたれずに頑張ってるのを見て何回も満足そうに笑ってたよ」

 

「!」

 

 無個性として、長い間蔑まれてきた緑谷。だからこそ、期待されてる実感が中々湧かずにいた。期待されてることをしつこく教えられて、ようやくその実感が湧いてくる。それほどに彼の自己評価は低かった。

 実感出来てこそ感じる。期待されることに対する嬉しさを。見捨てられていないということ、夢を応援してもらえることの幸せを。

 

 拳藤が、胸に手を当てて嬉しそうに微笑む緑谷の肩に手を乗せながら言った。

 

「そういう訳だからさ。『時間割いてもらって申し訳ない』じゃなくて、『期待に応える為にがむしゃらに頑張るぞ』って、ドンと構えてな。そんでもって、不死川に直で鍛えてもらえることに誇り持ちなよ」

 

「うん……!」

 

 緑谷のあどけない笑みを見ると、拳藤は「よく言った」とばかりに満足そうに笑う。その最中に、ほんの少しずつ成長していく彼を見て弟を見守る兄のような笑みを浮かべていた実弥の気持ちが分かった気がした。

 

「……ところで、エリちゃんに何回も心配かけるって、何やらかしたの?」

 

「ああ、それか……。随分なことやらかしてるよね、緑谷」

 

「返す言葉もないです、尾白君……。え、えっと――」

 

 その後、緑谷が''個性''をろくに制御出来ず、既に何度か大怪我を負っていることを聞き、彼を心配する健気なエリの為にも、実弥と一緒にとことん特訓に付き合うと心に決めた拳藤であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んじゃ、今日の特訓の最後は……反射訓練だァ」

 

「「「反射……訓練?」」」

 

 どこから引っ張り出してきたのかも定かではない、四角い木の机を道場の床に置きながら実弥が言った。

 

 反射訓練の内容に察しもつかない3人は、同時に首を傾げた。

 

 エリと一緒になって水を注いだコップを机の上に並べながら、実弥が続ける。

 

「まあ、文字通り反射神経の類を鍛える訓練だ。目や予測能力も鍛えられる」

 

 特訓の内容は中々に単純で、お互いにコップの中の水をかけ合うというもの。コップを持ち上げる前に相手からコップを押さえられた場合は、それを動かすことが出来ない。相手が水をかけてくるのをどれだけ阻止し、自分は相手の妨害を潜り抜けて如何に水をかけられるかの勝負になってくる。自分がどれだけ速く動けるのかも大事だが、相手の動きをよく見てどう動くのかを予測することも大切。そういう意味でも、目や予測能力を鍛えられるのだ。

 

「緑谷は、分析の類が得意だからなァ。そういう奴は大概予測を磨けば化けるもんだ。……課題を改善していくのも大事だが、長所を伸ばすのも大事だ。伸ばせるもんはガンガン伸ばしていくぞォ」

 

 相手の動きを目で捉え、予測することが出来れば、多少なりとも格上を相手にして渡り合える。そのことを伝えると、実弥は机の前に腰を下ろし、緑谷を机の向かい側に招いた。

 

「訓練の要領は、実際にやっていけば掴めるだろォ。物は試しとも言うしなァ。やってみるか」

 

「……!お願いします!」

 

 実弥がそう言うと、緑谷は緊張したように息を呑む。机の上に乗ったいくつものコップと実弥に交互に目線をやり、実弥がいつ動き出すのかと目を凝らし、訓練開始の時を待った。

 

 ――静寂が流れる。実弥と緑谷、2人を焦らすかのように。達人同士が見合う光景のようにも思えた尾白と拳藤も思わず息を呑んでいた。

 

 そして、次の瞬間。

 

「始め!」

 

 エリが合図を出したのとほぼ同時に、()()()()()()()()()()()()()

 

「…………へ?」

 

 何が起こったのか全く分からない。自分の髪から机へと滴り落ちる雫を見ながら、緑谷は呆けた声を上げていた。勿論、実弥の動きを捉えられなかったのは拳藤と尾白も同じだ。

 

 恐る恐る視線を上げると、微かに口角を上げて「見えなかったろ?」と言わんばかりの笑みを浮かべ、空になったコップを緑谷に向ける実弥の姿がある。

 

(あの一瞬でコップを持ち上げて、僕に水をかけたのか!?)

 

 彼の姿から今の一瞬で起こった出来事を察した緑谷は、実弥の反応速度の凄まじさに冷や汗を流す他なかった。

 

「……もう一回、お願いします……!」

 

「おう」

 

 水に濡れて額に張り付いた前髪を掻き上げつつ、緑谷は体を震わせる。その震えは、実弥に対する畏敬故か、それとも……武者震いか。本人にも定かではないことだが、兎にも角にも実弥の動きに対して目を凝らすことに全霊を注いだ。

 

 

 

 

 

 

「いやー……見事に3人ともずぶ濡れになったね」

 

「不死川の反応速度、尋常じゃないよ……。もはやプロヒーロー並みじゃないか?しかも、トップクラスの」

 

「分かってたけど、一回も視認出来なかった……」

 

「大丈夫、私達もだよ」

 

 そんな風に会話を交わす3人は、ずぶ濡れになった髪をタオルで拭きながら乾かしている。

 

 結局、あの後も緑谷が反射訓練で実弥の動きを捉えることはなかった。何セットか訓練を行ったものの、全戦敗北。何度も何度も水を被ることになった。

 自分の鍛錬の為にと訓練に挑んだ尾白と拳藤も、格闘技を習っていることで多少速い攻撃に目が慣れているはずではあるのだが、それでも実弥の動きを一切捉えられず。一方的に水を被ってしまったのだった。そんなこんなで3人仲良くずぶ濡れになってしまった訳だ。彼らは、改めて実弥の実力を実感した。

 

「どう、緑谷。やっていけそう?」

 

 ヘアゴムをほどき、水に濡れたサイドテールを下ろしながら拳藤が尋ねる。尋ねられた緑谷は、頭に被さっているタオルの下から顔を覗かせて答えた。

 

「うん……めちゃくちゃハードだけど、僕には頑張らなきゃいけない理由が、強くならなくちゃいけない理由があるから」

 

 「夢の為なら、どんなに辛いことでも耐えてやるって思ってるよ」と付け加えながら笑う緑谷を見ると、拳藤もよく言ったとばかりに笑い返す。

 

「俺も出来る限り協力するよ」

 

「ありがとう、尾白君」

 

 3人の会話を密かに聞いていた実弥は緑谷の覚悟を受け止め、彼の未来の為にとことん鍛錬に付き合い、本気で向き合ってやろうと改めて心に誓うのであった。

 

 遂に始まった、緑谷との特訓の日々。休みを挟みつつも、体力づくりや体づくりを行ったり、体の動かし方を徹底的に彼の頭と体に叩き込んだ。早速、数日間に渡って特訓が行われたものの……緑谷は、宣言通り実弥の課す特訓の一つ一つを着実にやり抜き、弱音を吐くことなく彼に着いていった。

 その甲斐あってか、それとも彼の成長速度が凄まじいのか、既に格闘技をほどほどに習っている者程の動きが出来るようになっており、彼自身も特訓を見守る実弥達も彼の成長を実感していた。

 

 そんな日々を過ごし、多少高校生活に慣れてきたある日――彼ら、正確に言えばA組の面々を悪意が脅かすこととなる。


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