疾きこと風の如く   作:白華虚

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第二十九話 事件の終幕と……

『君のことだ。どうせ、何故生きているのかと聞いているんだろうね。録音なんだから、君の望んだ答えが返ってくるとは限らないのに。……まあ、簡単なことさ。ギリギリ一命を取り留めた。それだけだよ』

 

 スピーカーから響く楽しげな声。その一言一言から伝わるのは、凄絶なる悪意。声から滲み出るプレッシャーが、声の主が如何なる存在かを知らしめる。

 先程まで対峙していた(ヴィラン)達が可愛らしく思える程の巨悪には違いないだろう。実弥は、その肌でヒシヒシとプレッシャーを感じ取っていた。

 

(オールマイト先生がここまで取り乱すとは……。にしても、こいつ……無惨の野郎と等しい位の悪意の塊だ……!)

 

 生きている年数こそ無惨に及ばないだろうが、それに並ぶ悪意が声に宿っている。

 久々に対峙した凄絶な悪意に気が張り詰めていくのを感じつつ、実弥はチラリとオールマイトを見やる。血が出るのではないかと思うほどに握りしめた拳、憤怒に満ちた表情。たったそれだけでも、声の主がどれだけの悪なのか想像するのは難くない。

 

 ふと、実弥は彼が無意識のうちに重傷を負った腹部を押さえるような仕草をしているのを目撃した。

 ……古傷が疼くというやつだろうか。彼が意識せずとも、体は怪我を負わされた時の痛みを覚えているのかもしれない。それが無意識下の防衛本能として現れた結果が、きっとこの仕草なのだろう。

 

(こいつが……6年前、オールマイト先生に重傷を負わせた(ヴィラン)か!)

 

 なんとなく察しがついた実弥の真剣を握る手には、自然と力が入っていた。

 同じくして、凄絶な悪のプレッシャーに(さら)された切島、爆豪、轟は……全く動けなかった。

 指一本すらも動かせない。呼吸すらもままならない。猛暑の中で運動した時に溢れ出すかのように冷や汗がドッと溢れ出して、不快感を与える。

 

(な、なんだ、この声……)

 

(今までの(ヴィラン)とは格が違え……!)

 

(一体何者なんだ……?)

 

 彼らは、己の死すらも錯覚してしまっていた。血に塗れ、地面に伏せる自分達のイメージが脳内に流れ込んでくる。そんなイメージを見せて行動を封じてしまう程に、彼らの中で警鐘が鳴り響いていた。

 

『弔。計画は失敗してしまったのだろう?』

 

 オールマイトに対して放った、煽るかのような不快な声色に反し、声の主――オールフォーワンが酷く優しい声で死柄木に声をかける。

 彼の問いに、死柄木は力無く頷いていた。

 そんな彼に、不思議なくらいにぴったりなタイミングで録音された音声が言い放った。

 

『大丈夫さ、気にすることはない。何度でもやり直せる。その為に僕がいるのさ。ここから始めよう。ここから、少しずつ力を蓄え、君の名を轟かせよう。そして、社会に恐怖を刻みつけるんだ!』

 

「先生……!」

 

 激励の言葉を聞いた死柄木の目が、子供のように爛然と輝いている。

 それを見た実弥は、道理でボスにしては随分と子供のような幼い部分がある訳だと思った。死柄木は、あくまで表社会に侵攻を進める為の駒でしかない。彼らの裏に控える、この声の主こそが彼らを動かす本当のボス。そう結論づけた。

 

 すると、録音されたオールフォーワンの声が実弥に話題を移した。

 

『それはそうと……初めまして、不死川実弥君。僕の名はオールフォーワン。憎きオールマイトに致命傷を与えられて表立って動けなくなってしまったが、かつては悪の帝王として日本を支配していた者だ』

 

 その声色から、顔つきこそ分からないが、オールフォーワンの口元が不気味な笑みで歪んでいるイメージが実弥の中に浮かんできた。

 自己紹介を終えると、オールフォーワンが「そうだ」と何かを思い出したように言う。

 

『僕ら(ヴィラン)からすれば、名前で呼ぶよりこう呼んだほうがいいね。超常現象――神風。正体こそ知る者は少ないが、裏社会では、君のことが知れ渡っているよ』

 

「……チッ」

 

 楽しそうな声色の彼に対し、実弥は舌打ちを返す。その声を聞いた切島達の中にも、稲妻のような衝撃が走っていた。

 

「か、神風って……あの神風だよな!?」

 

 声一つ出すことすら躊躇する状況の為、小さな声で会話を交わすことにして、切島が爆豪と轟に話しかける。

 

「……あの神風に決まってんだろうが。今の時代で、鎌倉の時の暴風の方を話題に出す奴がどこにいるってんだ」

 

 爆豪が、神風の正体を明かしたオールフォーワンに対する恐怖と実弥に対する苛立ちが混じった瞳を向けて答える。

 一方、轟は点と点が線になるような感覚を覚えていた。

 

(成る程な……。道理で(ヴィラン)慣れしている訳だ。神風は、(ことごと)(ヴィラン)を殲滅してきた超常現象。俺達より遥か上の戦闘力、戦闘訓練の時の(ヴィラン)の心理を把握した立ち回り……。あれが不死川だとすれば、全部納得がいく)

 

 何が起これば、ヒーローとしての資格もないうちから(ヴィラン)との戦闘漬けになる日々を送ることになるのだろうか、と正体が判明したからこその疑問が出てきた。

 

 オールフォーワンが続ける。

 

『神風、君の信念は素晴らしい。未来を生きる者達の笑顔を、幸せを守る。(ヴィラン)を容赦なく屠って、続々と刑務所送りにしてきたその姿勢から、信念がヒシヒシと伝わってくるよ』

 

 『君の活動していた範囲でプロヒーローの動きが活性化しているのも、君自身が関与しているのだろうね』と楽しそうにしつつも恨めしそうに付け加えた後、彼は声を張り上げた。

 

『だからこそ……神風!僕にとってはオールマイト程ではないが、君の存在も邪魔で仕方がないんだ!今の君はランキングの上位に立つヒーロー達を大きく凌ぐ実力を身につけつつある……!他人が幸せに生きる未来を掴むことへの執念。それがオールマイトに引けを取らないくらいにある君が、彼と結託されては厄介極まりない!』

 

 そして……明確な殺意を乗せて、不気味なくらい楽しそうな声色で実弥に宣告を下した。

 

『覚悟しておくんだよ、神風。君が学生のうちに、力を完全につける前に、僕はどんな手を使ってでも必ず君を殺す!僕が弔の為に用意していた(ヴィラン)や彼の為になると目をつけていた(ヴィラン)すらも屠ってくれたことへの復讐も兼ねてね』

 

 声の主であるオールフォーワンに届く訳もない。それでも、宣告を下された実弥は叫ぶ。

 

「……ハッ、やれるもんならやってみろォ!!!こちとら、しぶとさには自信があるんでなァ!俺は死ぬ訳にはいかねェ……!俺自身の望む未来を掴むまでは!!!」

 

(そして……エリを1人にはさせねェ。絶対に)

 

 自分の宣告に対する実弥の言葉を予想していたのだろうか。録音されたオールフォーワンの音声は、やたらと楽しそうにくすくすと笑っていた。

 

「未来ある少年を殺させはしない……!貴様の方こそ覚悟していろ、オールフォーワン!貴様は私の手で……もう一度倒す!次こそ、この因縁を終わらせる!!!」

 

『ふふふ……いいよ、やれるものならやってみるといいさ、オールマイト!僕は君のことが憎くて仕方がないからね。君の思い通りにはさせないさ』

 

 実弥に続き、オールマイトもその目に力強い正義の心を宿して、拳を握りしめながら宣言する。そちらの返しもどんなものなのかを予想していたのか、オールフォーワンはとても愉快そうに笑っていた。

 平和の象徴と対峙することが自身でも分かっているはずなのに、愉快そうに笑っている。

 

 果たして、一体何がそんなに楽しいのか。理解が出来ない。そんな様子の声が不気味で仕方がなく、切島達は唖然としてその場に硬直するしかなかった。

 

 オールフォーワンの音声が、実弥とオールマイトを(なだ)めるかのように言葉を発する。

 

『まあまあ。こんなことを聞かされては黙っていられないというところだろうけれど……待ちたまえ。今日は戦いに来たんじゃない。弔達の回収の為に来たのさ。ここで2人を奪われる訳にはいかないからね。大人しく逃走させてもらうよ』

 

 そう言葉が発されると同時に、いつの間にやら黒霧が巨大な靄のゲートに変化していた。女体の脳無が死柄木を担ぎ、そこに足を踏み入れようとしている。

 その光景を目撃すると、オールマイトと実弥は同時に飛び出した。

 雄英を襲撃する……そんな企みが二度と繰り返されることのないように。明るい未来を踏み躙る危険性をこの場で少しでも排除する為に。

 今日はチンピラの軍勢を連れる程度でしかなかった彼らが、本物の(ヴィラン)の集団を連れられる程に力をつけるよりも前に捕らえんとして、逃走を図る一同に猛然と迫る。

 ――その時だった。

 

『まあ、わざわざ逃げさせてもらおうと言った相手を逃がす選択肢がある訳ないって話だよね』

 

 スピーカーから放たれるオールフォーワンの声が、不思議なくらい鮮明に実弥の耳に届いた。

 

(何だ……これ)

 

 何の根拠もないのに、実弥の中で嫌な予感がした。一滴の冷や汗が、なめくじのように彼のこめかみを伝った。

 

 ――その予感は的中する。オールフォーワンの声が、迫るオールマイトと実弥に向けて残酷過ぎる事実を告げたのだ。

 

『あのね、オールマイト。君の目の前に脳無が居るだろう?果たして、君はそいつを殴れるのかな?それでもって、神風は……刻めるのかな?だって、この脳無は――』

 

――()()()()()()()()()()()()()1()()()()()()()()

 

「なっ……!?」

 

「……は?」

 

 拳を振るいかけていたオールマイトが、刀を振りかぶっていた実弥が……同時に動きを止めてしまった。放たれた残酷な一矢が、2人の胸中を穿つ。

 巨悪からの宣告にさえ怯まなかった2人が、突然動きを止めた。何がどうなっているのか理解が出来ず、その場を傍観するしかなかった切島、轟、爆豪の頭の中が混乱する。

 

 きっと、彼らが動きを止めるのを予想していたのだろう。オールフォーワンは、してやったりと言わんばかりに話し始めた。

 

『忘れたとは言わせないよ、オールマイト。不死川君が神風へと変貌するきっかけになった事件。そよ風園で起こった悲劇。君の手が届かなかった相当な規模の虐殺事件。……分かるかい?君のせいで不死川君の弟や妹達。そして、育ての親は死んだのさ。しかも、そのうちの1人がこうして人外の化け物になったときた!』

 

「っっ……!おぉぉぉっ……!」

 

 オールマイトが苦悶の声を上げ、膝から崩れ落ちる。自分の不甲斐なさに押し潰されそうな彼の中に、宿敵がニタニタとほくそ笑んでいる光景がまるで目の前にしているかのように浮かんできた。

 

(やめろ……!やめろ……!言うな……!言うな!!!)

 

 ここまで言われると、実弥の中でも察しがついてしまった。女体の脳無が誰なのか……特定が出来てしまった。血の繋がりはないと言えど、大切な家族。弟妹同然の少年や少女達の顔や"個性"……。彼は、そのいずれも忘れていないから。

 今ある事実を肯定したくない。そんな実弥を嘲笑うかのように、オールフォーワンが続ける。

 

『神風、いくらか"個性"を増やしたとは言っても……分かるだろう?君の家族の中にいたはずだよ。"吸血鬼"の"個性"を持った女の子が』

 

 ――実弥の中に、思い出が蘇った。

 

 初めて出会った日のこと。夜空に浮かぶ星と満月がとても綺麗な日だった。その少女は、孤児院の先生に連れられ、そよ風園にやってきた。体調が悪いのではと心配になるくらい青白い肌と、血のように紅い瞳が特徴的だった。

 彼女は、口元や手を血だらけにして泣いていた。先生達曰く、"個性"が目覚めてから、血に対する飢えを抑えられずに両親を殺してしまったとのことだった。そして、彼女は独りぼっちになった。両親を殺してしまったことを後悔しながら、逃げ続けた。そんなところを、そよ風園の先生達が拾ったのだ。

 

 血に飢えた時は実弥がずっと側にいた。暴れた時には必死で押さえ込んだし、病院で事情を説明して、輸血と称して少量だけでも血を分けてもらえないかと頼み込んだこともあった。どこか前世の宿敵である鬼に似たような点があったからこそ、余計に必死になって面倒を見て、真摯に向き合った。

 吸血鬼の力を宿すが故に日光が苦手で、昼よりも夜が好き。そんな少女だった。それ故に夜に眠れない時は、一緒に月を眺めたり、遊んでやったりしたこともあった。

 

 彼女も、例外なくあの日の事件で死んだ。実弥にとって、今世で初めて出来た妹で、彼の1歳年下だった。故に、自分より年下の弟妹達を守る為に自分の全てを懸けて(ヴィラン)と対峙し、死んでしまった。

 そんな彼女が今、望みもしない形で目の前にいる。

 

「体を、改造しやがった……のか……」

 

 実弥の中でまた一つ何かが砕け散った。知りたくなかった事実に愕然とし、身体中から力が抜けて思考が停止する。そのまま膝をつくと、地面を呆然と見つめ、手にしていた真剣を地面に落としてしまった。

 

『ああ……!本当に残念だよ!絶望を味わっている君達の顔を見られないことが本当に残念だ!僕の(もたら)した残酷な事実に是非とも苦しんでくれ!そして、あわよくばその心が完全に折れることを祈っているよ!』

 

 オールフォーワンの高笑いが響き渡る。突然降下された爆弾のような事実に、誰一人として動けない。それを最大の好機として、死柄木を抱えた脳無がゲートの中に飛び込んだ。

 

「くそっ……たかが学生が神風の正体だったなんてな……。道理でクソゲーを遊ばされる訳だ……。だが、クソゲーはこれで最後にしてやる……!次に会った時は必ず殺すぞ、オールマイト、神風……!」

 

「……では、またお会いしましょう。次こそは必ず我らが野望を果たしてみせます」

 

 死柄木の憎悪に満ちた言葉と、黒霧の紳士的な挨拶を最後に脅威は過ぎ去り、静寂が流れる。

 

「に、逃げた……のか?」

 

 やっとのことで声を発せるようになった切島が、尻餅をつくように地面に腰を下ろしながら呟く。

 危機を乗り越えることが出来たのを喜ぶべきなのかもしれない。だが、取り乱したオールマイトと実弥を目の前にした上に、残酷な事実を聞いてしまった彼と爆豪、轟は何一つとして喜ぶことが出来なかった。

 

「っっ……!ざけんなァッ……!!!」

 

 膝をついた実弥が拳を握り締め、歯を食いしばって絞り出すように呟く。

 刹那――

 

「ふざけんなァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ッ!!!!!」

 

 実弥の憤怒と哀しみに満ちた怒号が響き渡った。自分の拳から血が出てもなお、己を責めるように何度も何度も地面を殴りつける実弥の姿が何とも痛々しい。

 

「不死川……」

 

 心を傷めているであろう彼に「大丈夫か?」と何とか声をかけようとして手を伸ばしかけた切島は、その手のやりどころが無くなったかのようにゆっくりと手を下ろしつつも何も言えず。

 

「……」

 

(不死川が……そよ風園で起こった虐殺事件の被害者……)

 

 爆豪と轟は考え込むようにその場に立ち尽くして、地面を見つめていた。

 脅威を退けたというのに、後味の悪過ぎる形で事件は幕を閉じたのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、程なくして雄英の教師を連れた飯田がUSJに帰還し、プロヒーロー達の手によって、残った(ヴィラン)達が一掃された。

 重傷を負った相澤と、指一本を骨折した緑谷以外に大きな怪我が無かったのは喜ばしいことだったが……兎にも角にも全体の雰囲気が重々しい上に、酷く傷心した様子のオールマイトと実弥を見た後では何も喜べなかったし、何も知らない飯田や、散らされた先で戦い続けていたクラスメイト達は困惑した。

 そもそもの話、オールフォーワンがスピーカーに録音した音声を通して真実をぶちまけてくれたせいで、実弥に起こった悲劇を、オールマイトが突然崩れ落ちた理由を、不本意ながらも出口付近に集まっていたクラスメイトの全員が知ってしまっている。

 こんなに重々しい雰囲気になるのは当然だった。

 

 校舎に戻ると、生徒達一人一人に事情聴取が行われた。勿論、実弥は傷心しつつも全てを話した。オールフォーワンと名乗る(ヴィラン)連合のブレーンのこと、相手の切り札であった脳無が人間の肉体――恐らくは死体――を改造して出来た化け物であること、そして……自分の弟や妹達がその脳無に改造されているであろうこと。

 

 生徒達の事情聴取を担当していて、実弥とも関わりのある塚内は実弥の吐露を聞いて、悲痛な表情をした。

 

「オールフォーワンめ……。まさか、生きていたとは……!しかも、一時ヴィジランテとして活動していたとは言えど、既に不死川君に目をつけているなんて……!」

 

 所業があまりにも惨過ぎる。いくら目をつけているとは言えど、嫌がらせの為にターゲットの家族を改造して、思うままに手駒として扱うなど……。

 

(いや……奴は、元からそういう奴だったな)

 

 オールマイトとも関わりのある塚内もまた、オールフォーワンのことを長年追ってきた。6年前で全てが終わったはずだった。だが……実際は、終わってなどいなかった。虎視眈々と嫌がらせの準備を続け、こうして、また一つ思い出を壊した。

 塚内は、怒りを堪えるように眉を(しか)め、拳を握りしめる。

 オールマイトや実弥の取り乱しようは、これまでの生徒からも聞いていたが、原因が判明すればとても納得がいった。

 

「……塚内さん」

 

「っ、何だい?」

 

 実弥が消え入るように呟いた。物思いに耽っていた塚内は、ハッとしつつ、彼の言葉に耳を傾ける。

 

「脳無は知性がない。感情がない。誰かに命令されて、それに従って動く……。そんな人形みたいな奴らです。(ヴィラン)に利用されて、促されるままに他人を殺す。俺の弟や妹達がそんな風に扱われるなんて……耐えきれない」

 

 実弥の声が震える。そして、涙ながらに頭を下げた。

 

「無茶を承知でお願いします……。アイツらを、俺の家族を、探してやってください……!死ぬ前にただでさえ苦しんだはずなのに、死んでなお苦しまなくちゃあならないなんて……あまりにも酷すぎる……!」

 

(不死川君……)

 

 塚内が実弥の涙を見たのは2回目だ。1回目は、雄英への受験を誘いにそよ風園を訪ねた時。そして、2回目が今。

 そのいずれも、彼は自分以外の誰かを思って涙を流している。

 単に慈悲深いで片付けられる話ではない。本当に……優しすぎる。

 

 そんな彼にいつの日か必ず報われてほしい。思い切って、笑えるようになってほしい。塚内は、そう思った。

 

「……勿論だ。我々の全力を尽くすよ。だから、笑っていてくれ、未来のヒーロー。エリちゃんの為にもね」

 

「……!ありがとうございます……!」

 

 自分達の全てを懸けてでも見つけ出す。そして、因縁を終わらせる。

 酷く優しい笑みを浮かべた実弥を見た塚内は、固く決意した。

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 事情聴取を終えると、いつの間にか夕方になりかけていた。USJから校舎に戻る際に、ミッドナイトからエリをリカバリーガールに預けていることを聞いてはいたものの……実弥は、すんなりとエリの元に向かう気にはなれなかった。

 

 ガラス張りになった雄英の壁を通して、橙色に染まり始めた空を眺める。どこまでも広がる夕焼けの空に、思わずため息が出た。

 人生も、どこまでも広がるこの空のように不変であればいいのに。呆然とそんなことを思った。

 

 ……今でも信じたくない。妹の1人が脳無に改造され、巨悪の好きなように扱われているなど。少なくとも、前世で殺した鬼が母親だと判明した時と同じくらいのショックを受けていた。

 思い返してみれば、あの事件の日、ヒーロー達に事件の詳細を説明してから、寝室に戻った時には、"破裂"によって血溜まりと化して死んでしまった子供達以外の亡骸が何一つ存在していなかった。きっと、心を傷めて事情を説明している間に何者かが何らかの方法でそよ風園に侵入し、彼らの遺体を回収したのだろう。その中の1人に"吸血鬼"の彼女もいた。

 

 実弥は、首から下げた銀色のロケットペンダントを開き、弟妹達と撮った写真に目を落とした。

 

「……ごめんな。苦しいよな……。兄ちゃんが間に合ってりゃ、あんな姿になることなかったのにな……」

 

 後悔先に立たずとはよく言ったものだ。そもそも、「後」に「悔」やむと書いて「後悔」という熟語が成り立つ。

 ……本当によく出来た言葉だ、と実弥は思う。失ってしまって、もう何もかも遅いというのに後になるにつれてどんどん悔やみが積み重なる。自分の無力さに打ちのめされてしまいそうだった。

 それでも、生きるしかない。前に進むしかない。望む未来の為に、エリの笑顔の為に。

 

 もっと強くならなければ、同じ被害者を出さないように励まなければと痛感する実弥に誰かが声をかける。

 

「……不死川」

 

 声の方を振り仰ぐと、どこか暗い顔の切島と八百万の姿があった。

 

「……どうしたァ?」

 

 実弥が尋ねると、八百万が口を開いた。

 

「……神風の正体は、不死川さんだったのですね」

 

「強えのも納得がいったよ……」

 

 伏し目な八百万に続き、切島が苦笑する。そんな彼らを見て、自嘲するように笑みを浮かべて実弥は言った。

 

「学級委員長がヴィジランテだなんて、失望したか?」

 

 実弥の問いに、2人は全力で首を振った。

 

「そんなことないですわ……!勿論、ヴィジランテとしての活動を行うのはよろしくないのは承知しております。ですが、真面目な不死川さんがそうなるには、そうなるだけの理由があるのを知りましたから。本当は、同情なんてよろしくないのかもしれませんが……」

 

「そんな状態で、よくヒーローになろうって思えたよな……。凄えよ、不死川……。俺なら、家族を殺した(ヴィラン)が憎くて、ヴィジランテか(ヴィラン)を殺す(ヴィラン)を続けてる……」

 

「……そうかァ」

 

 2人とも顔を伏せ、静寂が流れる。実弥も何も言わずに、2人が言いたいことを言えるまで待った。

 数秒後、切島が勇気を振り絞るようにして言った。

 

「不死川!お前に何が起こったのか……全部教えてくれ!スピーカーの音声を通して聞かされたから、全部知ってる!でも、そうじゃねえ……!そうじゃねえんだ!俺は、不死川の……ダチの口から聞きたい!」

 

 八百万も、頭を下げながら続ける。

 

「不躾かもしれません。不死川さんにお辛い思いをさせるだけかもしれません……!ですが、貴方からお聞きしたいのです!お友達として、共にクラスを率いる者として!お願いします!」

 

「頼むっ!」

 

 切島も同じように頭を下げた。

 ……聞く側からこうも頼まれては、断る理由もない。そもそも、自分が辛くなるくらい、実弥にはどうということもないのだ。

 

「……分かった。そこまで言うなら、話すぜェ。全部な。ただ……自分で言うのもなんだが、重いぞ。お前らが受け止めきれねェくらいには」

 

「……クラスで一番強いお方とオールマイト先生が取り乱したのを既に見ておりますから」

 

「覚悟は出来ちまったよ、とっくに」

 

「…………そうか」

 

 こうして、実弥は全てを話した。

 

 自分が天涯孤独の孤児であったこと。そよ風園の先生達に拾われたこと。エリと出会ったこと。あの日の悲劇で、エリ以外の全てを失ったこと。エリの笑顔と、未来を生きる子供達の為に(ヴィラン)との戦闘漬けの生活を送ってきたこと。その最中に相澤や根津に誘われて、雄英を受けると決めたこと。

 話せるだけのことを全て話した。

 

 話を終えて実弥が2人を見ると……それはもう泣いていた。言いたいことがあっても、まともに言えないくらいには。

 だから、実弥は2人が落ち着くまで待ってやった。

 

「……(わり)ィ、落ち着いたよ。ありがとな」

 

 しばらくすると、だいぶ落ち着いたのだろう。切島が涙を拭いながら口を開いた。

 

「不死川……お前、本当に漢らしい奴だよ……。やっぱり、俺だったら、(ヴィラン)が憎くてそっちを殺すのを優先しちまう……。でも、お前はエリちゃんや他の子供達の未来を選んだ。道を踏み外さないことを選んだ」

 

 八百万も切島の言葉に頷きつつ、言った。

 

「不死川さん。弟さんや妹さんは、きっと貴方のことを誇りに思っていらっしゃいます。恨んでなんていないはずですわ」

 

 そして、包み込むように実弥の手を握って続ける。

 

「この傷も……全て誰かを守って出来たもの。誰かの為に自分を犠牲に出来る優しい貴方を恨む理由なんてどこにもありません。不死川さんは、何も悪くないです」

 

 切島もグッと拳を握って、自分の胸の内に込み上げてきたものを己の言葉に乗せ、全力でぶつけていく。

 

「そうだ……!不死川は悪くねえよ!俺達、結局は他人だから取り留めのないことしか言えねえ!同情しか出来ねえ!でも……お前の辛い思いを一緒に背負って和らげることなら出来る!だから、だから……辛かったら、遠慮なく言ってくれ!」

 

 胸の内をぶつけるのは、八百万も同じだ。決意を固めたかのような表情で言い放った。

 

「そうですわ!皆さんのお兄様だからと1人で請け負う必要なんてありません!私達は、お友達ですから……一緒に支えます!ですから、笑っていてくださいまし。辛そうな顔をなさらないでくださいまし……」

 

「そうだぜ。いつも通り、皆の兄貴でいてくれ!笑っててくれ!不死川の辛そうな顔見てるとさ……俺達の(ここ)も痛えんだ……!」

 

 2人の言葉が次々と実弥の心にストンと落ちていく。

 

 ……そうだ。彼らは友達だ。精神年齢的には十分な大人である故に、守らなければならない子供として見ていたが……それだけじゃない。辛いこと、楽しいことを共有し合える友達なのだ。

 いつの間にか、彼らに心配をかけていた自分が不甲斐ない。それでも、今は――

 

(――笑わねェとな)

 

「……ありがとなァ、お二人さん。そうだな……俺が辛くて押し潰されそうな時はよろしく頼むぜ。そうすりゃあ、俺は何回だって立ち上がれる」

 

 実弥は、憑き物が取れたかのように優しい笑みを浮かべた。それが、泣きたくなるような底無しの慈悲に満ちた笑みで……。思わず、切島と八百万の涙腺が緩んだ。

 

 2人が再び目を潤ませたことに実弥はギョッとし、焦ったように声をかける。

 

「ど、どうしたァ?なんか悪いことしたか?」

 

「ち、違うんだ……」

 

「不死川さんのお顔が、泣きたくなるくらいに優しくて……」

 

 再び泣き始めてしまった2人を見て、実弥は「仕方ねェなァ」とばかりに微笑み、落ち着くまで側についてやっていた。まるで弟や妹を慰めるかのように撫でられることに恥ずかしがる切島と八百万だったが、実弥にとってはお構いなしらしかった。

 

 ……そんな彼らの会話を、こっそりと聞いていた者達の姿がある。

 

「……ヒーロー志望が盗み聞きなんて感心しねえな」

 

 1人は、校舎の床を淀んだ瞳で見つめる轟焦凍。

 

「そりゃテメェもだ。立派なブーメラン持ってんな、半分野郎」

 

 もう1人は、考え込むように壁の一点を見つめる爆豪勝己。

 前者は他人に興味がない、後者は他人の事情なんざ知ったこっちゃない。そういう少年達ではあるが、やはり気になってしまった。クラス最強の男があれ程に憤怒し、取り乱すなど珍しすぎるものだから。

 ここまで、本物の修羅場をいくつも潜ってきた。他人の未来の為に己の全てを賭けるくらいの覚悟と望む未来への執念がある。実弥の強さの理由はそこにあるのかもしれない。彼らはそう思った。

 

「……?俺はブーメランなんて持ってねえぞ?」

 

「…………そういうことじゃねェんだよ、ボケ」

 

「俺はボケてねえ。事実だ」

 

「……面倒くせェ。もう喋んな」

 

「分かった」

 

 そんな小言を交わしつつ、爆豪と轟は3人の邪魔をしないようにとそっとその場を去った。

 

(……他人の未来の為に己の全てを賭ける、か。あそこまで強くなるのも納得がいく。あれは本気の目だ。不死川を超えられれば、絶対に奴を否定出来る。必ず超えてやるぞ)

 

(テメェは余計なこと考えてねえで、さっさといつもの調子に戻りやがれ。全力のテメェを超えなきゃ意味ねェんだよ。……いつまでもあの調子引きずってきやがったら、ブッ殺してやる)

 

 ――それぞれの思いを胸に秘めて。

 

 

 

 

 

 

「失礼します」

 

「おや、不死川。エリちゃん、迎えが来たよ」

 

 落ち着いた八百万と切島と別れた後、実弥はエリを迎えに行く為に保健室を訪ねていた。

 リカバリーガールが暖かい笑みで実弥を出迎えると同時に、エリを呼ぶと……。

 

「!お兄ちゃん!」

 

 エリは、椅子から兎のように軽やかに降りたかと思うと、パアアアッと顔を明るくさせて満面の笑みで実弥に駆け寄ってきた。

 

 そんな元気いっぱいな彼女の姿を見た瞬間……実弥は、思わず彼女の小さな体を抱きしめていた。

 

「……お兄ちゃん?どうしたの?」

 

「……」

 

 次々と涙が溢れてくる。泣いているというよりも、泣いてしまったという方が正しかった。無意識のうちに、実弥の頬を大粒の涙が伝っていた。

 実弥のそんな姿を見ると、リカバリーガールは気を遣ってか、保健室を出た。そんな彼女の気遣いに感謝をしつつ、実弥はエリを抱きしめて離さない。

 

「エリ……。無事で、良かった……」

 

 たった一言だけ、実弥が言葉を絞り出す。それだけでエリはハッとして、なんとなく何か辛いことがあったんだろうなと察した。

 

「……お兄ちゃんが守ってくれるから、私は無事だよ。頑張ったんだね、辛かったんだね、お兄ちゃん。……お帰りなさい」

 

「ああ……。ただいま」

 

 エリも女神のように微笑みながら、精一杯実弥を抱きしめ返し、心の痛みを和らげられるようにと彼の頭を撫で続けていた。

 

(……エリだけは、絶対に守る……。皆の苦しみも終わらせる。俺自身の手で……)

 

(私に出来ることは少ないけど……お兄ちゃんの辛さを一緒に背負うことは出来る。私と一緒に乗り越えようね、お兄ちゃん)

 

 愛おしく思い合い、守り合うように兄妹は互いを時間の許す限り抱きしめ合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「手酷くやられたようじゃな」

 

「そうだね、ドクター。けれど、君が念の為にと造ってくれた脳無がとてもとても役に立ったよ」

 

「先生の協力があってこそじゃよ」

 

 暗がりの中で悪意に満ちた笑みを浮かべながら、2人の人物が会話を交わしている。

 

 1人は、小太りな体型をした禿頭の老人。白衣を羽織り、真っ白な口髭を蓄えていた。医者のような出立ちをしているにしては、歯車型のゴーグルを装着しているのがとても違和感を感じさせる。

 名を殻木球大。悪の帝王、オールフォーワンに心酔する協力者で、彼の旧友。己の研究に利用出来る実験体を探す為だけに、全国に児童養護施設や個人病院を私有しているという生粋のマッドサイエンティストだ。

 

 そして、もう1人は……顔や首にいくつものチューブ――生命維持装置を取り付けた男。その顔は殆どが瘢痕(はんこん)で覆われて、目や鼻が確認出来ず、明確に形が分かるのは口だけという、ほぼのっぺらぼう状態の不気味な顔だった。

 この妖怪のような姿の男。彼の正体こそがオールフォーワン。顔がこうなったのは、無論、先のオールマイトとの決戦が理由だった。

 

「オールマイトと不死川君の両方が揃えば、あの脳無を制圧するなんて造作もないことのはず。そうされなかったということは……余程の絶望を与えられたんだろうねぇ。ああ……彼らの顔を見られないのが本当に残念だよ!」

 

 ニタニタと不気味な笑みを浮かべ、楽しそうに言う彼の姿は……まるで子供のようだった。

 

「随分と楽しそうだな、先生よ」

 

「そりゃあそうとも。僕の大好きな嫌がらせが彼らの心を抉ることが出来たのだから」

 

 暗い室内の中に響き渡る、2人の愉悦に満ちた笑い声。オールマイトと実弥の絶望した顔を想像するのが楽しくて仕方ないらしく、不愉快極まりない雰囲気が形成されていた。

 

「さて、儂はドラキュラちゃんの家族を増やしてあげなければ。お喋りも程々にして、脳無の製造に勤しむとしようかのう!次は誰を実験体にするか……。考えただけで興奮が止まらぬわ」

 

 興奮冷めやらぬ様子で去っていく殻木を、オールフォーワンは不気味な笑みを浮かべて見送った。

 

(愛称まで付けるとは……随分と溺愛しているようだね。これを不死川君が知ったらどうなることか)

 

 また新たな嫌がらせのネタが出来たことに対して嬉しそうに笑う彼に、何者かが声を掛けた。

 

「……神風は雄英にいたのか?」

 

 その声に反応し、オールフォーワンが答えた。

 

「ああ、君か。安心するといい。不死川君……いや、神風は間違いなく雄英にいるよ。弔が一方的に蹂躙されて戻ってきたのが他でもない証拠さ。少し調べてみたんだが、1年くらい前に雄英の敷地内に引っ越したそうだ」

 

 その答えに、声の主は歓喜する。白手袋を身につけた手で拳を握り、待ち侘びたかのように声を発した。

 

「そうか……!やっと、やっと見つけたぞ、壊理……!お前もそこにいるんだろう?お前は俺の物だ。()()()()失敗したが、今度は逃がさない……!神風を殺し、お前を取り戻してみせる!!」

 

 酷薄さを感じさせる瞳に薪を焚べ、野望の炎を激しく燃やす。その男の特徴は、何よりも顔に取り付けている赤いペストマスクにあった。

 

(お前の居場所はここしかない。お前は……俺の理想を実現する為の道具!それこそが、お前の存在する意味なんだ!!!)

 

 事件を終え、平穏を手にした裏で……悪意は早々に蠢き始める。虎視眈々と、尊い平和な日々を打ち砕く為に。

 安心を手にしたはずなのに、皮肉にも実弥を狙う脅威がまた一つ増えた瞬間であった……。




済まぬ実弥さん……済まぬ……。

2021/11/26
こちらの後書きにそよ風園での事件の知名度的なことに関しての記述をしておりましたが、「敵犯罪が頻発してるのでそれほど人々の記憶に残らないのではないか」との意見をいただきまして、その発言を取り消しにいたします。
申し訳ございませんでした。

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