「長いようで……短かったなァ」
2月26日。冬の終わりが近付きつつあるとは言えど、厳しい寒さが飛び遅れてしまった一羽の鳥のように取り残されている頃。
実弥は白い息を吐きながら、目の前にあるアルファベットのHのような形をしたガラス張りの建物を見上げた。
都会に並び立つ3階建てのビル並の高さの建物。これは、他の土地に比べて幾分か高い場所に建てられているが故に遠くからも目立ち、より存在感を放っている。こうして、この建物を近くから見上げることには慣れたものだが、その山のような大きさと存在感には何度でも圧倒される。
その建物の正体は、巨大な校舎。そして、今、実弥が立っているのは……国内最高峰のヒーロー養成校、国立雄英高等学校の校舎の目の前だ。
あの日、実弥の前に新たな道が開けた。根津達から勧誘を受け、雄英を受けることを決めた実弥は雄英の敷地内に建てられた新築の家に引っ越すことになった。
受験に対して本気で挑まなければならなくなった以上、エリを
その結果、ヒーローが常に身近に存在する雄英でなら他の場所にいるよりも安心出来るだろうという結論が出て、その敷地内に実弥とエリの暮らす家を建てることが決定したのだ。相澤が雄英の教師として勤めている以上、エリの''巻き戻し''に対する保険もかけることが出来て一石二鳥。実弥自身としても自分より先を歩む雄英の先輩達から学べることがあるかもしれなかった為、その提案を受け入れる他に選択肢は無く、すんなりと受け入れた。
そして、誘いを受けてから2ヶ月弱で自宅が完成し、そよ風園を実家として残しつつも引っ越しをして、通っていた中学校も転校し、今に至るという訳だ。最低でも3ヶ月はかかる家の建築をそれ未満で終わらせられたのも''個性''のおかげ。使い方さえ間違えなければ助けになってくれる力なのだろうと、実弥は改めて実感した。
閑話休題。ここまでの日々を振り返りつつ、実弥は首から下げた銀色のロケットペンダントを手にする。表面に風車の模様を
エリが初めて家族となった日に、そよ風園の皆で撮った写真である。先生も弟妹達も、自分も。誰もが幸せを満喫していて、眩しい笑顔を浮かべている。エリだけが少しぎこちない笑みではあるが、そこが可愛くて愛おしい。そんな思い出深い写真。
新居の方に仏壇や遺影ごと持ってくるという訳にもいかず、せめて、亡くなった皆が自分の近くにいられるように。自分をずっと見守っていられるようにとこの写真をペンダントに入れ、常に持ち歩くことを決めた。
そんな写真を見つめ、実弥は至極穏やかに呟いた。
「皆、見てるか。兄ちゃんな……これから、雄英の入学試験受けるんだ。受かれば、俺は晴れてヒーローの卵になるって訳だ。皆の為にも
雄英の入試を受けるにあたって、実弥の心の中に憂いの感情は何一つ無い。自身に対して良い影響を
雄英高校ヒーロー科の試験は、筆記試験と実技試験の二つ。
生真面目な実弥は、そよ風園の先生達に恩を返す為に、将来は少しでも良い高校なり大学なりに進学し、良い職に就くことを決めていた。その目標を実現する為に弟妹達の世話をしつつも、日々の勉学に必死で取り組んでいたし、模試も常にA判定を維持してきた。受験勉強にも本気で取り組んできたのは言うまでもない。
そして、実弥には前世も含め、同年代とは比べ物にならない程の戦闘経験がある。加えて、雄英の敷地内に引っ越したことでそこに勤めるプロヒーローや先輩達の胸をお借り出来た為、以前にも増して実力が上がった。
やれるだけの対策を全力で出来た。だから、心配していることは何も無い。
気分こそ穏やかだが、見た目はそうとは言えない。傷だらけの顔は周りの受験生達を怖がらせるには十分だった。
(え、ええっ……!?な、なんか凄い強面の人がいるんだけど……!?あ、あの人もヒーロー志望、なのかな……?)
ここにいる、黄色く大きなリュックを背負ったモサモサの緑髪の少年もそんな受験生の1人。きっちり着こなした制服にそばかすと幼なげな顔付き。見た目が特徴的な子供達も増えている中で比較的普通とも地味とも言える見た目の彼の名は、緑谷出久。
先ほど、緊張のし過ぎで体がガチガチに硬直し、
不良と言っても過言では無い実弥の見た目と、彼と関わらないようにと雄英の校舎に入らず、ただじっと見守る他の受験生達の様子に困惑して、再び体がガチガチになってしまっていた。
彼は善人である。人を見た目で判断してはいけないことをよく分かっている人物だ。それでも、
その時だった。
「あ、あのー……」
「ん?」
「と、通りたいなあ……って」
防寒対策バッチリの厚手のコートを身につけた少女が言いにくそうに実弥に声を掛けた。ショートボブの茶髪に木漏れ日のようなほんわかした雰囲気と、赤く可愛らしいほっぺた。
(さ、さっきのいい人!?)
転び掛けた緑谷を救けてくれた少女だった。「え、声掛けちゃうの!?」と言いたげに目を見開き、酸素を取り込もうとする金魚のように口をパクパクさせた。
あの少女が睨みつけられ、気圧される未来が見える。男である自分がなんとかしなくては、と一歩を踏み出す。
(怖がってちゃ駄目だ!しっかりしろ、緑谷出久!)
怖がる自分に鞭打って、歩みを進めていくと……実弥が口を開いた。
「おォ、邪魔になってたかァ。
「う、うん」
同年代にしては低めの大人びた穏やかな声色だった。予想と反した優しい声色と反応に、朗らかな少女は目をぱちくりさせながら頷いて答える。
「そうか……お前もかァ。んじゃ、お互い頑張ろうぜ。悪かったなァ、怖がらせて」
彼女の答えを聞いた実弥は、微笑みながらそう言うと、藍色の鞄と愛用の木刀をしまった黒いケースを背負って、ズカズカと雄英の校舎の中に歩みを進めていってしまった。
そんな彼の背中を見送る少女は、口を半開きにしてポカンとした後に呟いた。
「はあ……人って、見た目によらないもんやねえ」
その後。彼女もハッとして、駆け足で雄英の校舎の中へと足を踏み入れていく。
周りの受験生達がホッと胸を撫で下ろし、こぞって動き出す。緑谷もまた緊張状態が解かれて深く息を吐いた。
「こ、怖かったぁ……。凄いな、さっきのいい人……。周りの人達も皆、傷だらけの人に声をかけることすらしなかったのに」
ゆっくりと深呼吸をする。晩冬の朝の冷たい空気を吸い込み、白く染まった息を吐き出す。そして、グッと拳を握りしめた。
「絶対合格しないと!僕に期待してくれてる人がいるんだから」
自分の原点であり、ここに辿り着くまでのきっかけをくれた憧れの人物の顔を思い出しながら、緑谷も他の受験生達に続いて雄英の校舎へと足を踏み入れるのであった。
★
「リスナー諸君!今日は俺のライブへようこそー!Everybody say HEY!」
特に問題もなく筆記試験を終えた後のこと。実技試験の概要を説明する為に設けられた教室内に爆音と言っても過言ではない音量のファンキーな声が響き渡る。部屋中を反響しながら自身の耳に轟くその声に、実弥は耳がキーンとする感覚を覚えながら苦笑した。
(相変わらず元気だな、マイクさんは)
声の主である、長い金髪をトサカのように逆立てて橙色のグラスがはめられたサングラスを掛けた男を見る。彼は、ボイスヒーロー・プレゼントマイク。雄英に勤める教師の1人で、相澤曰く腐れ縁の同僚らしい。校長である根津の特別な許可のおかげで鍛錬やエリを迎えに行く際、校舎内に頻繁に足を踏み入れることの出来る実弥は、既に彼のことを見知っていた。ついでに言うと、実技試験に備えての戦闘形式の鍛錬に付き合ってもらった経験もある。
閑話休題。こちらにまで元気を振り撒くその声を聞きながら、ふと梟のようにカッと見開いた大きな目と燃える炎のような焔色の髪が特徴的だった青年を思い出す。
先程からハイテンションで言葉を投げかけるプレゼントマイクを見て、見事に滑ってんなァ、と思いつつも、''個性''も何も無い素の状態で彼の爆音の声量に差し迫る程の
(アイツ、肺活量どうなってんだ。凄ェ奴だったんだな……)
剣術でも心の強さでもない、戦闘には大方関係のない面で感心した実弥であった。
そうこうしているうちに実技試験の概要の説明が始まったようで、実弥は耳がキーンとするのを
実技試験は、市街地を模した演習場で行われる10分間の試験。そこで仮想
まさに、
そういう''個性''を持つ者達の中で早くも、こんなの無理だ、と項垂れる数名を目にして、試験概要聞いただけで諦める生半可な覚悟しかねェなら始めから来んなァ、と呆れた。
大した覚悟もない者が他人の命や未来を背負わなければならないヒーローを志していることに舌打ちしそうになる気持ちを抑え、プレゼントマイクの説明を脳裏で反復しながら自身の目でプリントに目を通す。そして、気になる記載を見つけた。
(
仮想
受験生達の戦闘力を始めとした能力を見るのであろう試験に、何故そのような存在を用意するのか。最初こそ迷った。だが、実弥はすぐに吹っ切れた。
(迷う必要はねェ。仮想だろうが何だろうが、
未来を生きるべき存在には、自身の周囲に大勢いる受験生達も含まれている。仮想
「質問、宜しいでしょうか!」
あの青年程の声量ではないと言えど、ハキハキとした聞き取りやすい声が耳に届いた。その声に実弥が顔を上げると、眼鏡をかけており、七三分けのツーブロックをした真面目の塊と言うべき見た目の少年が目に入った。彼が声を上げた受験生らしい。
模範的なビシッとした挙手をしている彼は、プレゼントマイクに促されて話し始めた。
彼は、説明になかった0Pがプリントに記載されている件について「誤載であれば、日本最高峰たる雄英において恥ずべき痴態」だの、葉に衣を着せぬ言い方で0Pのことを問い詰めていたが、それはさておき。
「――ついでに、そこの縮れ毛の君!先程からボソボソと気が散る!物見遊山のつもりなら、即刻
突如、眼鏡少年が誰かをビシッと指差し、その鋭い目で射抜きながら指差した先にいる者を咎めるように厳しい言葉を投げかけた。
彼の指す先に視線を誘導され、自然とそちらを向く。すると、そこには、緑色のモサモサした髪が特徴的な少年の姿があった。彼は、眼鏡少年の言葉ですっかり萎縮してしまっていた。
よく見れば……今朝、自分に声をかけてきた少女に手を差し伸べられた、彼女がいなければ転倒していた黄色いリュックの少年ではないか。ただでさえ、その時から緊張して体をガチガチにしていたと言うのに。これでは逆戻りだ。
(健気に頑張ってんだろうになァ)
実弥は、彼の境遇を憐れんだ。何より、注意を受ける彼を見てクスクスと笑う周囲の声に腹が立った。だから――
「す、すみませ――」
「おい」
立ち上がって声を上げた。突如立ち上がった実弥に視線が集中する。集まる視線を受け流し、彼は続けた。
「確かにボソボソ言ってたそいつが悪いかもしれねェ。けどなァ、大勢の前でそれを注意すんのは違うと思うぜェ。眼鏡、お前が注意したそいつな……朝から体ガチガチに硬直させて、これ以上ねェくらいに緊張して萎縮してんだよ。これ以上プレッシャーかけるようなことすんなァ。
眼鏡少年は、実弥の指摘にハッとしたような顔をする。そして、自分の失態を悔やむように下唇を噛むと、緑髪の少年に向けて綺麗なお辞儀をして頭を下げた。
「……先程の君、済まなかった。確かに彼の言う通りだ……。俺が気になっていたこととは言え、大勢の前で注意をした結果、君は笑われてしまった。申し訳ない!」
「い、いや……僕の方こそ迷惑になったのは事実だし……。ごめん!」
眼鏡少年が実弥の言うことを聞き入れて素直に謝罪したのに対し、緑髪の少年も迷惑をかけたことを謝罪する。
彼らが穏便に事態を収めたのを見て薄く笑みを浮かべた後。目を見開いて血走らせ、こめかみに青筋を浮かべて続けた。
「そんでもって、注意を受けたそいつを笑ってやがった奴ら。ヒーローを目指す自覚はあんのかァ?他人の失敗を見て、『こいつは自分より下だ』とばかりにヘラヘラしやがってよォ……ふざけてんのか。人の失敗を見て笑うような腐った性根の奴らがヒーローになれると思うなァ」
「失敗した奴に対して優しく声掛けて、前向かせてやんのがヒーローのやることじゃねェのか?……まァ、説教臭ェなり何なり、テメェらの好きに捉えりゃいいさ。真剣に捉えられねェ奴はそれまでだ」
辺りの空気が凍りつく。先程まで緑髪の少年を見下すように笑っていた者達も、時が止まったように硬直した。
空気が凍りついたが、実弥は満足したように息を吐いていた。別に自分がどう思われようが知ったことじゃない。ただ、この行動が未来を生きる子供達の幸せを守るヒーローが増えることに繋がるのならそれでいい。周りには目も暮れず、プレゼントマイクに向けて頭を下げた。
「説明を中断させて申し訳ありません。眼鏡の彼の質問にお答えしてあげてください」
「OKOK、勿論そのつもりだ。取り敢えず……受験番号7111君、ナイスなお便りサンキューな。他のリスナー諸君もCheer up!大事な話になるから、よーく聞いてくれよ!」
そんな実弥を見て、彼奴も変わらねえな、と内心で呟きつつ、プレゼントマイクは説明を再開。0Pがギミックのようなものであり、避けて通ることを勧めた後――
「――
激励の意味を込めて受験生達に雄英の校訓を送り、実技試験の説明は幕を閉じた。
「俺の会場は……Dかァ」
憎たらしげに自分に向けられる、数多くの視線。それを柳に風と受け流しつつ、実弥は荷物を手にして立ち上がった。
試験会場までの移動には、バスを使うという。自身の会場にまで運行されるバスに向かおうと足を踏み出したその時。
「あ、あのっ」
震えた声が背中にふわりと降りかかる。振り返ると、先程実弥が庇った緑髪の少年――緑谷出久の姿があった。
声が震えているのは、やはり自分の見た目が原因だろう。見た目の怖い相手だと分かりきっているのに勇気を出して声をかけてきた少年の心の強さがなんだか微笑ましかった。
「さっきは……ありがとう、ございました」
まるで不良相手に話をし、機嫌を悪くさせないように慎重に言葉を選んでいるかのようだ。地味にしどろもどろな感じで言われた言葉がおかしく感じ、実弥は失笑した。
「気にすんなよォ。災難だなァ、朝から転びかけるわ、わざわざ大声で注意受けちまうわで」
至極穏やかな笑みを浮かべる実弥を何度も瞬きしながら見つめる緑谷。
「お、お恥ずかしい限りです……」
(な、なんだろう……このあったかい気持ち……)
まるで、目の前の人物が自分の実の兄で、弟である自分のことを心から気にかけてくれている。そんな優しさに包まれて、照れくさそうに頬を掻きつつ、不思議と暖かい気持ちを覚えていた。
「……頑張れよォ。怪我ねェようになァ」
目の前の少年をどうしても憐れみ、気にかけたくなってしまう。何故、そんな気持ちを覚えるのか。実弥自身も理解していない。ただ今向けられるだけの暖かな感情を向け、モサモサの緑髪をポンと軽く撫でた。
「あ……」
自分の名前を言い、相手の名前も教えてもらおうとする前に実弥は大股で歩みを進め、ズカズカと去っていってしまう。
「…………頑張らなきゃ」
見知らぬ自分を気にかけてくれた、心優しいあの人の名前を知りたい。いつか、今日のお礼をしたい。そんな気持ちを胸に緑谷はグッと両手を握りしめる。そして、きびすを返し、自分の会場へと向かうバスの元へと向かっていくのであった。