学園お抱え装蹄師の日常    作:小松市古城

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91:冷えた工房の床で

 

 

 

 

 

 

 

      

「はっくしゅっ…!……あーくそ」

 

 後輩と樫本理子がトレンディな雰囲気で泥のように重い話をしている頃。

 装蹄師の男は工房に備品のように配されていた軽トラをジャッキスタンドにあげ、車体の下に潜り込んでいた。

 

 すでに山奥の工房は肌寒いを通り越し、下界より一足早く純粋な寒さの季節が到来している。

 

 

 

 

 

 

 装蹄師の男は蹄鉄製作に行き詰っていた。

 

 ゴールドシップに贈る蹄鉄については方向性を見出していたが、残る二人であるエアグルーヴ、そしてシンボリルドルフに贈るべき蹄鉄について、良いテーマを思いつけていない。

 

 彼女たち二人は、すでに己のスタイルを確立している存在である。

 

 今更それを変えるような蹄鉄を提案することにも気が引けたし、彼女たちへ願う装蹄師の男の気持ちもまた、既に彼女たちが手にしているレースでの栄達ではなかったからだ。

 

 ならば自分にできることはなんであろうか、と考えれば考えるほど、何も浮かんでこない。

 

 結果、行き詰った男はこの山奥の工房に来て以来、初めて蹄鉄から離れる時間をつくることにした。

 

 とはいえ何をするということも思いつかず、困っていたところに目に入ったのはこの工房に配されていた2台のクルマであった。

 1台はハイエース、1台は軽トラ。

 

 目をひかれたのは軽トラである。

 

 今や軽自動車を製造することを諦めてしまった元飛行機メーカーの作った軽トラ、その最終型であった。 

 

 ここに装蹄師の男を連れてきた後輩が意図したものかどうかはわからなかったが、もし意図的なチョイスだとしたらなかなかのものだ。

 

 装蹄師の男はにやつく表情を抑えられず、軽トラのドアを開けた。

 

 

 

 暖気がてらしばらくゆっくりと峠を流した後、念のため後輩の男に連絡を取る。

 

 後輩の話によれば、舗装された峠道から分岐して工房に至る未舗装路は私道であるらしい。しかもその私道は工房を通りさらに奥まで続いているとのことだった。

 

『私道なんで好きに走って構いませんけど、崖から落ちても助けなんか来ないっスからね…ホドホドにしてくださいよ』

 

 そんなありがたい御忠告もいただいた。

 

 試走してみると、私道は峠道から別れ工房の前を通り、最終的には4キロほど山中を蛇行して行き止まりになっていた。

 

(ちょうどいい峠のダートコース、だな…)

 

 装蹄師の男は久しぶりに、クルマのアクセルを全開に踏み込んだ。

 

 

 

 3往復ほど、『ホドホド』のペースで軽トラを走らせて工房に戻った。

 

「た、楽しい…………けど…」

 

 煙草を味わいながら、軽トラの走り、その想像以上の爽快感に感動すら覚える。

 

「……めっちゃ…遅ぇ……」

 

 一方で、その遅さに驚きもする。

 

 軽自動車規格では64psが自主規制上限であるし、軽トラは作業車両であるからそれよりも出力は低く、トルクを高めにとってある。そもそも速さではなく実用一辺倒のトラックであるから、当然ではあった。

 

 しかし、「楽しさ」と「速さ」は、必ずしもリンクするものではない。

 

 それは学園に置いてくることになった元愛車にも言える特性だった。

 

 装蹄師の男はなにか閃きそうな気が喉元まで来ているがそれがなにかわからず、煩悶に頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 夜の工房は冷える。

 それがコンクリ打ちの床に背板を引いているとはいえ10センチ程度の高さのところで身を横たえていればなおさらである。

 

 装蹄師の男はそれを感じつつも、軽トラの下に潜り込んであれこれいじるのをやめる気はなかった。

 

 何かが閃きそうなときほど、何か別のことに没頭していたほうが閃くことがあることを、彼は経験的に知っていた。

 

「…あ」

 

 あえて目の前の整備に没頭して1時間余り。

 

 閃いた。

 

 背板を急いで転がし、軽トラの下から這い出ると、装蹄師の男は部屋にあるノートに向かう。

 

 ノートが汚れるのもかまわず、閃いたアイデアを忘れないうちに、断片的なそれを白紙のページに書き込んだ。

 

 そうなのだ。きっとこれが伝えたいのだ。

 

 彼の頭の中で突如として散らばっていた発想の欠片が組み上がっていた。

 

 シンボリルドルフとエアグルーヴ、彼女たちに自分が示したいもの、それをつらつらと書き連ねていく。

 

 速さは関係ない、走りの爽快感。

 安全に、彼女たちの走る本能を満たせる蹄鉄。

 それが、次の道を見据え始める彼女たちに自分ができる贈り物だと、装蹄師の男は考え始めていた。

 

 キーワードとそれに紐づく要素、そして構造や形状など、思いつくままに紙に出力していく。

 

 シンボリルドルフからは過去に進路に関して相談を受けたことがある。エアグルーヴもそう遠からぬうちに同じ悩みを抱えることになるはずだ。

 

 そのときに、彼女たちに原点と、行く道を同時に指し示せるような、そんな蹄鉄。

 

 レースで戦っていくための蹄鉄を打ってきた身としては発想の転換が求められる。

 しかし彼女たちに自分が健在であることを示すためにも、そのような新たな挑戦に取り組まなければならないような気がした。

 

 

 

 

 

 

 シンボリルドルフは生徒会室でエアグルーヴと差し向かい、紅茶を嗜んでいた。

 

「今日もお疲れ様でした、会長」

 

 エアグルーヴは毎日シンボリルドルフと顔を合わせているが、最近ふとした瞬間に物憂げな表情をしていることが気にかかっていた。

 そしてそれは今この瞬間も、である。

 

 紅茶をひと啜りしてため息をついた後、シンボリルドルフはおもむろに口を開いた。

 

「…もう、兄さんが居なくなって、どのくらい経ったかな…」

 

 シンボリルドルフは少し遠くを見つめるような瞳で、耳は力なく折れてしまっている。

 表情と話題のリンクに、物憂げな表情は、装蹄師の男を想ってのことであったのだ、という確信にかわる。

 

「…元気に…されているのでしょうか、先生は…」

 

 かくいうエアグルーヴの心中もシンボリルドルフと同じく、いつもどこかで装蹄師の男のことを気にしていた。

 

 しかし装蹄師の男の後輩の手配だということが分かり、この部屋で彼を詰問して以降、二人の間で装蹄師の男について改めて語り合うことは一種の禁忌のような雰囲気があった。

 

「…あの一件以来、つくづく我々は護られている存在なのだということを折に触れて痛感するよ」

 

 ルドルフは気持ちをエアグルーヴと共有できたことにすこし安堵したのか、苦笑いのような表情を浮かべながら柔らかな声音でそう語った。

 

 事実だった。

 

 学園の工房が閉鎖されたというのに、蹄鉄のサポートは手厚くなる方向であちらこちらが動いていたし、これを嚆矢として様々なことが変わり始めている。

 発端となったメディア対応についても一段とURAや学園は気を遣ってくれており、急速にその体制を変えつつある。これまでもウマ娘ファーストの学園ではあったが、その傾向がさらに強まっている。

 

「後輩の彼は、我々を学生の身分だ、と言った。それは、悔しいが正しいと思う。我々は、レースを走ること以外は、まだ子供…というより、大人になりかけの存在だ」

 

 エアグルーヴはこくりと頷く。

 同意せざるを得ない。

 今回の騒動に際し、彼女たちにできることはなかった。

 

 その結論に至るまで、何度も秋川理事長や駿川たづなさんとの激論があった。

 自分たちの名が通っていることを利用して、メディアを通して反論することもできたであろう。しかし今回の騒動はメディアが発端であり、それを考慮すれば誰を信用していいのか判断が出来ない中で発言することは余計な波紋、意図しない反応を呼び起こし、さらに事態を悪化させることにもなりかねなかった。

 

 結局、沈黙せざるを得ない。

 その答えには納得していた。

 

「エアグルーヴ…大人になるということは、どういうことだろうか」

 

 シンボリルドルフは真剣な表情でエアグルーヴに問いかける。

 

「…経済的に自立し、社会的な責任を果たすこと、でしょうか…」

 

 突然の問いに、エアグルーヴはたどたどしくもそれらしき回答をする。

 

「…なるほど。それはたしかにその通りだな。でも、私はそこにひとつ、自分なりの定義を追加したいと思ったんだ」

 

 エアグルーヴは聞き返す。

 

「自分なりの定義、ですか…?」

 

 シンボリルドルフはこくりと頷いた。

 

「私はウマ娘の幸せを願い、それを実現するべくここまで走ってきた。それは今も変わらぬ目標だ。だが、今回のことでよくわかった。一個人の私としては、愛する者を護る力を手に入れなければ、大人とは言えないような気がしたんだ」

 

 エアグルーヴは真剣な眼差しでそう語るシンボリルドルフに、ごくりと喉を鳴らす。

 

「…それは…つまり…」

 

 この世の中にこんな熱量を持つ告白があるのだろうかと、エアグルーヴは思う。

 

「…今さらだ、とは思わないでくれよ、エアグルーヴ。もちろん兄さんへの想いがあってこそ、気づくことができたのは事実だが…」

 

 シンボリルドルフは言葉を区切る。

 

「…レースに勝つだけではない、大人としての力。今回の件で、身近な大人たちが見せてくれた背中は、それだけのものだっただろう…?」

 

 エアグルーヴは身近な大人を思い返した。

 

「…おハナさんもそうですし…URAの樫本室長も…」

 

「あぁ…それに、兄さんの後輩の彼だって、そうだ。彼らなりに、私たちを護ろうとしてくれた。それが、どれだけ尊く、ありがたいことか…」

 

 エアグルーヴはその名を聞いて、この間、この部屋で繰り広げられたある種の茶番を思い浮かべた。

 

「あの時の会長はヒトが悪かったですよ…あの視線でよく、後輩氏は歩いて部屋を出ていけたものです…」

 

 シンボリルドルフは苦笑する。

 

「…いつか、あの日の非礼を詫びねばなるまいな。まぁそれは、私が彼らと対等に話ができる大人になってからでも良いとは思うが」

 

 エアグルーヴはシンボリルドルフの話を聞いて、焦りと哀しみを感じる。

 

 自分はこの一件から何も学べていない。

 何をするべきかもわからない。

 ただ鬱々としていただけではないか。 

 

「…会長…私は…私は…」

 

 うまく二の句が継げずにいると、優しい瞳でシンボリルドルフが頷いた。

 

「エアグルーヴ…焦ることはないんだ。ただ、我々は今目の前にあることをしっかりとこなしながら、次の道を模索していけばいい。我々が道を誤らず歩んでいければ、また兄と出会うこともあるはず、だ…」

 

 語尾が弱くなってしまうあたり、私もまだまだだな、とシンボリルドルフは思った。

 しかし今は、一足先に当面の結論を出した自分が、エアグルーヴの背中を押してやるときだと信じていた。

 

 エアグルーヴは俯き加減で、瞳に涙をためている。

 

 その様子を見て、シンボリルドルフは微笑を浮かべ、立ち上がってエアグルーヴの隣に腰を下ろした。

 

「会長…どうしたんで…っ!」

 

 シンボリルドルフはエアグルーヴの肩に手を乗せ、自らにぐっと引き寄せた。

 

「だから、また…兄と逢うまでは…我々のレースは休戦だ。これからもよろしく頼むぞ、エアグルーヴ」

 

 エアグルーヴはシンボリルドルフの体温を感じ、これまで感じていた焦りや寂しさが霧消するように安堵し、頬に涙を一筋、伝わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 





 しばらく間隔があいてしまいまして、大変お待たせいたしました。

 本当は100話記念になんかちょっとした気の利いた話でも書けたらよかったんですが、例によって無計画でして、いつも通りの淡々とした話で恐縮です。

 だらだらと続いていますが、引き続きよろしくお願いいたします。 
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